ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

朽木稙綱 (戦国武将)

索引 朽木稙綱 (戦国武将)

朽木 稙綱(くつき たねつな、生没年不詳)は、戦国時代の武将。近江国朽木谷の国人。父は材秀、子には晴綱、藤綱、成綱、直綱、輝孝がいる。.

27 関係: 大永天文 (元号)奉公衆室町幕府京極氏御供衆内談衆六角定頼六角氏足利義稙足利義輝足利義晴近江国永禄永正朽木晴綱戦国時代 (日本)1505年1516年1522年1525年1530年1540年1549年1562年16世紀

大永

大永(だいえい、たいえい)は、日本の元号の一つ。永正の後、享禄の前。1521年から1527年までの期間を指す。この時代の天皇は後柏原天皇、後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義稙、足利義晴。.

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と大永 · 続きを見る »

天文 (元号)

天文(てんぶん、てんもん)は、日本の元号の一つ。享禄の後、弘治の前。1532年から1555年までの期間を指す。この時代の天皇は後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義晴、足利義輝。.

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と天文 (元号) · 続きを見る »

奉公衆

奉公衆(ほうこうしゅう)は、室町幕府に整備された幕府官職の1つである。将軍直属の軍事力で、5ヶ番に編成された事から番衆、番方などと呼ばれた。番衆(小番衆)とも。 鎌倉時代の御所内番衆の制度を継承するもので、一般御家人や地頭とは区別された将軍に近侍(御供衆)する御家人である。奉行衆が室町幕府の文官官僚であるとすれば、奉公衆は武官官僚とも呼ぶべき存在であった。後年、豊臣秀吉も奉公衆の制度を設けている。.

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と奉公衆 · 続きを見る »

室町幕府

花の御所(室町殿) 室町幕府(むろまちばくふ)は、足利尊氏が京都において軍事貴族(武家貴族)として創始した武家政権。その称は3代将軍足利義満が京都北小路室町(現在の今出川通と室町通が交わる付近)に造営した花の御所(室町殿)に由来する。足利幕府ともいう。足利氏が15代にわたって将軍職を継承したが、織田信長によって事実上の滅亡に追い込まれた。.

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と室町幕府 · 続きを見る »

京極氏

京極氏(きょうごくし)は、日本の武家の一つ。本姓は源氏。宇多源氏の流れを汲む近江源氏、佐々木氏の別家である。.

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と京極氏 · 続きを見る »

御供衆

御供衆(おともしゅう)は、室町幕府将軍の出行に供奉した人物である。また、御相伴衆のように幕府における身分・格式を示す一種の称号でもあった。その格式は、御相伴衆・国持衆・準国主・外様衆に次ぐものであったが、将軍の出行に供奉するという点で、将軍に最も親近な名誉的な職であったと推測されている。.

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と御供衆 · 続きを見る »

内談衆

内談衆(ないだんしゅう)とは、室町幕府の引付方あるいは内談方において所務沙汰の審議にあたった構成員。鎌倉幕府に置かれた引付衆の後身的存在であるため、引付衆(ひきつけしゅう)とも呼ばれた。.

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と内談衆 · 続きを見る »

六角定頼

六角 定頼(ろっかく さだより)は、戦国時代の武将・守護大名。室町幕府管領代、近江国守護。南近江の戦国大名。六角氏14代当主。.

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と六角定頼 · 続きを見る »

六角氏

六角氏(ろっかくし)は、日本の氏族。宇多源氏佐々木氏の流れで、鎌倉時代から戦国時代にかけて近江国南部を中心に勢力を持った武家(守護大名)。藤原北家流の公家・六角家とは血の繋がりは無い。佐々木六角氏とも言う。.

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と六角氏 · 続きを見る »

諱(いみな)とは、人名の一要素に対する中国などの東アジアの漢字圏における呼称である。忌み名(いみな)とも。漢字圏以外でも同様の概念はあり、英語では (直訳すると「真の名」)がそれに当たる。.

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と諱 · 続きを見る »

足利義稙

足利 義稙(あしかが よしたね)は、室町幕府第10代将軍。父は室町幕府第8代将軍・足利義政の弟で、一時兄の養子として継嗣に擬せられた足利義視。母は裏松重政の娘(日野富子の妹に当たる人物であるが名は伝わらない)。 初名は義材(よしき)。将軍職を追われ逃亡中の明応7年(1498年)に義尹(よしただ)、将軍職復帰後の永正10年(1513年)には義稙(よしたね)と改名している。 将軍在職は2つの時期に分かれており、1度目は延徳2年7月5日(1490年7月22日)から明応3年12月27日(1495年1月23日)まで在職した後、約13年半の逃亡生活を送る。2度目は永正5年7月1日(1508年7月28日)から大永元年12月25日(1522年1月22日)まで在職した。.

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と足利義稙 · 続きを見る »

足利義輝

足利 義輝(あしかが よしてる)は、室町時代後期(戦国時代)の室町幕府第13代征夷大将軍(在職:天文15年(1546年) - 永禄8年5月19日(1565年6月17日))。.

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と足利義輝 · 続きを見る »

足利義晴

足利 義晴(あしかが よしはる)は、室町時代後期(戦国時代)の室町幕府第12代将軍(在職:1521年 - 1546年)。第11代将軍足利義澄の長男。母は日野永俊の娘で日野富子の姪とされるが、永俊娘は永正2年(1505年)に義澄と離縁しているため、義晴の生母としては疑問が残る。これに対して将軍家で御末を務めていた「阿与」という女性が母親であった『菅別記』とする説もあり、母親の身分が低くて記録に残さなかった可能性も高い。.

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と足利義晴 · 続きを見る »

近江国

近江国(おうみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と近江国 · 続きを見る »

永禄

永禄(えいろく)は、日本の元号の一つ。弘治の後、元亀の前。1558年から1570年までの期間を指す。この時代の天皇は正親町天皇。室町幕府将軍は足利義輝、足利義栄、足利義昭。.

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と永禄 · 続きを見る »

永正

永正(えいしょう)は、日本の元号の一つ。文亀の後、大永の前。1504年から1521年までの期間を指す。この時代の天皇は後柏原天皇。室町幕府将軍は足利義澄、足利義稙。.

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と永正 · 続きを見る »

朽木晴綱

朽木 晴綱(くつき はるつな、永正15年(1518年) - 天文19年(1550年))は戦国時代の武将。朽木稙綱の子。室は飛鳥井雅綱の娘。子に朽木元綱。近江朽木谷城城主。.

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と朽木晴綱 · 続きを見る »

戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と戦国時代 (日本) · 続きを見る »

1505年

記載なし。

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と1505年 · 続きを見る »

1516年

記載なし。

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と1516年 · 続きを見る »

1522年

記載なし。

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と1522年 · 続きを見る »

1525年

記載なし。

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と1525年 · 続きを見る »

1530年

記載なし。

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と1530年 · 続きを見る »

1540年

記載なし。

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と1540年 · 続きを見る »

1549年

記載なし。

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と1549年 · 続きを見る »

1562年

記載なし。

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と1562年 · 続きを見る »

16世紀

16世紀(じゅうろくせいき)は、西暦1501年から西暦1600年までの100年間を指す世紀。 盛期ルネサンス。歴代ローマ教皇の庇護によりイタリア・ルネサンスの中心はローマに移動した。画像はこの時代に再建がなされたローマのサン・ピエトロ大聖堂の内部。 カール5世。スペイン王を兼ねイタリア各地やネーデルラントも支配したが周辺諸国との戦いにも明け暮れた。画像はティツィアーノによる騎馬像(プラド美術館蔵)。 「太陽の沈まない帝国」。カール5世の息子フェリペ2世の時代にスペインは目覚ましい発展を遂げ貿易網は地球全体に及んだ。画像はフェリペ2世によって建てられたエル・エスコリアル修道院。ここには王宮も併設されておりフェリペ2世はここで執務を行った。.

新しい!!: 朽木稙綱 (戦国武将)と16世紀 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »