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日乗 (本興寺)

索引 日乗 (本興寺)

日乗(にちじょう、1345年 - 1425年5月14日(応永32年4月26日))は、法華宗陣門流の僧で、この門流の東海別院である常霊山本興寺(静岡県湖西市鷲津)を開山した。院号は大慈悲院。.

51 関係: 南北朝時代 (日本)南朝 (日本)奈良時代密教尾張国山号三河国弘和征夷大将軍後小松天皇応永勝劣派遠江国遷化静岡県行基題目高野山真言宗豊橋市足利義満霊鷲山薬師堂門流永徳法 (仏教)法華宗陣門流法華経津島市渥美郡湖西市本興寺 (湖西市)明徳明徳の和約海部郡 (愛知県)新居町 (静岡県)日印日蓮日陣愛知県普門寺 (豊橋市)1339年1345年1383年1390年1392年1414年1419年1425年4月26日 (旧暦)...5月14日 インデックスを展開 (1 もっと) »

南北朝時代 (日本)

南北朝時代(なんぼくちょう じだい)は、日本の歴史区分の一つ。建武の新政の崩壊を受けて足利尊氏が新たに光明天皇(北朝側)を擁立したのに対抗して京都を脱出した後醍醐天皇(南朝側)が吉野行宮に遷った1336年(延元元年/建武3年)から、南朝第4代の後亀山天皇が北朝第6代の後小松天皇に譲位するかたちで両朝が合一を見た1392年(元中9年/明徳3年)までの、56年間をいう。また両朝の並立はひとえに後醍醐天皇の皇位に対する執念が生み出したものであることから、彼を中心に歴史が動いた南北朝時代の序章とでもいうべき1331年(元弘元年)の元弘の乱から建武新政の終焉に至る5年間もまたこの時代に含めるのが一般的である。 鎌倉時代の後半から半世紀にわたって両統迭立という不自然なかたちの皇位継承を繰り返した皇統は、すでに持明院統と大覚寺統という二つの相容れない系統に割れた状態が恒常化するという実質的な分裂を招いていた。それが倒幕と新政の失敗を経て、この時代になると両統から二人の天皇が並立し、それに伴い京都の北朝と吉野の南朝の二つの朝廷が並存するという、王権の完全な分裂状態に陥った。両朝はそれぞれの正統性を主張して激突し、幾たびかの大規模な戦が起こった。また日本の各地でも守護や国人たちがそれぞれの利害関係から北朝あるいは南朝に与して戦乱に明け暮れた。 こうした当時の世相を、奈良興福寺大乗院の第20代門跡・尋尊は自らが編纂した『大乗院日記目録』の中で「一天両帝南北京也」と表現した。これを中国の魏晋南北朝の時代を模して南北朝時代と呼ぶようになったのはかなり後のことである。なお明治以後に南朝の天皇を正統とする史観が定着すると、この時代の名称が「北朝」の語を含むことが問題視されるようになったため、吉野朝時代(よしのちょう じだい)という新語が作られたが、第二次世界大戦後に皇国史観が影を潜めるとともに死語同然となった。.

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南朝 (日本)

南朝(なんちょう)は、吉野朝廷(よしのちょうてい)とも称され、南北朝時代に京都以南の大和国の吉野(奈良県吉野郡吉野町)、賀名生(同県五條市西吉野町)、摂津国の住吉(大阪府大阪市住吉区)を本拠とした大覚寺統の後醍醐天皇に属する朝廷。1336年から1392年まで56年あまり存続し、叙位や元号の制定など政権としての機能を有した。.

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奈良時代

奈良時代(ならじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つで、平城京(奈良)に都が置かれた時代である。平城時代(へいじょうじだい)ともいう。日本仏教による鎮護国家を目指して、天平文化が花開いた時代である。.

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密教

密教(みっきょう)とは、秘密の教えを意味し、一般的には、大乗仏教の中の秘密教を指し、秘密仏教の略称とも言われる。金剛乗、あるいは金剛一乗教、金剛乗教ともいう。中国語圏では一般に密宗(ミイゾン)という。.

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尾張国

尾張国(おわりのくに/をはりのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

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山号

山号(さんごう)は、仏教の寺院に付ける称号。 寺院によっては付けていない所もあり、付けている場合についても、その寺院が所在する山の名称を付けている場合と、医王山や鶴林山のように、所在地とは関係のない、仏教用語を山号として付けている場合がある。それについては、以下の様々な理由によるものとされる。「号」も参照。.

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三河国

三河国(みかわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。三の大字を用いて参河国(參河國)とも表記する。現在の愛知県東半部。.

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弘和

弘和(こうわ)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。南朝方にて使用された。天授の後、元中の前。1381年から1384年までの期間を指す。この時代の天皇は、南朝方が長慶天皇・後亀山天皇、北朝方が後円融天皇・後小松天皇。室町幕府将軍は足利義満。.

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征夷大将軍

征夷大将軍(せいいたいしょうぐん 旧字体:征夷大將軍)は、朝廷の令外官の一つである。「征夷」は、蝦夷を征討するという意味。 飛鳥時代・奈良時代以来、東北地方の蝦夷征討事業を指揮する臨時の官職は、鎮東将軍・持節征夷将軍・持節征東大使・持節征東将軍・征東大将軍などさまざまにあったが、奈良末期に大伴弟麻呂が初めて征夷大将軍に任命された。征夷大将軍(征夷将軍)の下には、征夷副将軍・征夷軍監・征夷軍曹、征東将軍(大使)の下には、征東副将軍(副使)・征東軍監・征東軍曹などの役職が置かれた。 大伴弟麻呂の次の坂上田村麻呂は阿弖流為を降して勇名を馳せたが、次の文室綿麻呂が征夷将軍に任ぜられた後は途絶えた。平安中期に藤原忠文が、平安末期には源義仲が征東大将軍に任じられたが、もはや蝦夷征討を目的としたものではなかった。なお、後述のとおり、義仲が任命されたのは征東大将軍であり、従来考えられていた征夷大将軍ではなかったことが明らかにされている。 平氏政権・奥州藤原氏を滅ぼして武家政権(幕府)を創始した源頼朝は「大将軍」の称号を望み、朝廷は坂上田村麻呂が任官した征夷大将軍を吉例としてこれに任じた。以降675年間にわたり、武士の棟梁として事実上の日本の最高権力者である征夷大将軍を長とする鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府が(一時的な空白を挟みながら)続いた。慶応3年(1867年)徳川慶喜の大政奉還を受けた明治新政府が王政復古の大号令を発し、征夷大将軍職は廃止された。.

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後小松天皇

後小松天皇(ごこまつてんのう、天授3年6月27日(1377年8月1日) - 永享5年10月20日(1433年12月1日))は、室町時代北朝最後の第6代、歴代第100代の天皇(在位:弘和2年4月11日(1382年5月24日) - 応永19年8月29日(1412年10月5日))。諱は幹仁(もとひと)。.

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応永

応永(おうえい、旧字体:應永)は、日本の元号の1つ。明徳の後、正長の前。1394年から1427年までの期間を指す。この時代の天皇は後小松天皇、称光天皇。室町幕府将軍は足利義満、足利義持、足利義量。日本の元号の中では、昭和、明治に次いで3番目の長さ(35年)であり、一世一元の制導入以前では最長である。また、応永10年から22年までの約10年間は戦乱などが途絶え「応永の平和」と言われる。.

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僧(そう、संघ Saṃgha)はサンガを音写した「僧伽」の略で仏教の戒律を守る、男性の出家修行者である「比丘(びく)」と女性の出家修行者である「比丘尼(びくに)」の集団のこと。仏教の三宝の一つ。在家信者を含めた教団を僧(サンガ)とは呼ばず、出家者が四人以上集まったとき僧となる。男性の出家修行者の集団を比丘僧といい、女性の場合は比丘尼僧という。衆あるいは和合衆と訳される。.

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勝劣派

#勝劣派(しょうれつは)は、日蓮門下の諸門流のうち、所依の法華経を前・後半で迹門(しゃくもん)・本門(ほんもん)に二分し、本門が迹門に優れるという勝劣をたてる諸派の総称。(対義語→一致派).

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遠江国

遠江国(とおとうみのくに/とほたふみのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。東海道に属する。.

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遷化

遷化(せんげ)は、高僧の死亡を、婉曲的に、かつ、敬っていう語。正しくは遷移化滅(せんいけめつ)で、遷化はその略語。お隠れになるとも表現する。死因については特に問わない。丁寧には御遷化(ごせんげ)という。.

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静岡県

静岡県(しずおかけん)は、太平洋に面する日本の県の一つ。県庁所在地は静岡市。中部地方及び東海地方に含まれる。2017年(平成29年)現在、県の人口は約367万人であり都道府県別で第10位である。.

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行基

行基(ぎょうき/ぎょうぎ、天智天皇7年(668年) - 天平21年2月2日(749年2月23日)『大僧正舎利瓶記』、奈良時代の日本の僧。寺と僧侶を広く仏法の教えを説き人々より篤く崇敬された。そして行基集団を形成し、道場や寺院を49院、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所、国家機関と朝廷が定めそれ以外の直接の民衆への仏教の布教活動を禁じた時代に、禁を破り畿内(近畿)を中心に民衆や豪族など階層を問わず困窮者のための布施屋9所等の設立など数々の社会事業を各地で成し遂げた。朝廷からは度々弾圧や禁圧されたが、民衆の圧倒的な支持を得、その力を結集して逆境を跳ね返した。その後、大僧正(最高位である大僧正の位は行基が日本で最初)として聖武天皇により奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘された。この功績により東大寺の「四聖」の一人に数えられている。.

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題目

(だいもく)とは、日蓮系・法華経系の宗教団体などにおいて勤行の際に用いられる南無妙法蓮華経の文句のことである。「お題目」とも言う。元来は題名(だいめい)の意であり、法華経(サッダルマ・プンダリーカ・スートラ)の翻訳題(あて字)である妙法蓮華経(鳩摩羅什による訳)の五字のことを指しているが、南無(帰依するの意)を加えて七字にしても「題目」と呼ぶ。 なお、お題目は、建前の意味で使用されることもある。ここでは、上記いずれについても記載する。.

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高野山真言宗

野山真言宗(こうやさんしんごんしゅう)は、真言宗の宗派である。総本山は金剛峯寺。別称として、高野宗・高野派。 全国約3700の末寺を包括する包括宗教法人である。 最高職は管長で、総本山金剛峯寺の座主を兼ねる。現在の管長は2014年11月15日に就任した第413世中西啓寶大僧正。任期は4年。 宗務は宗務総長及び各部長が方針を定める。各役員は、総本山金剛峯寺の責任役員を兼ねる。.

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豊橋市

豊橋市(とよはしし)は、愛知県の南東部にある都市。東三河地方の中心都市であり、同地方の人口の約半数を占める。中核市に指定されている。.

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足利義満

足利 義満(あしかが よしみつ)とは、室町時代前期の室町幕府第3代将軍(在職1368年 - 1394年)である。父は第2代将軍足利義詮、母は側室の紀良子。 南北朝の合一を果たし、有力守護大名の勢力を押さえて幕府権力を確立させ、鹿苑寺(金閣)を建立して北山文化を開花させるなど、室町時代の政治、経済、文化の最盛期を築いた。義満が邸宅を北小路室町へ移したことにより、義満は「室町殿」とも呼ばれた。のちに足利将軍を指す呼称となり、政庁を兼ねた将軍邸は後に歴史用語として「室町幕府」と呼ばれることになった。.

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霊鷲山

霊鷲山(りょうじゅせん、名称については後述)は、インドのビハール州のほぼ中央に位置する山。釈迦仏が『無量寿経』や『法華経』を説いたとされる山として知られる。.

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薬師堂

薬師堂(やくしどう)は、薬師如来を本尊とする仏堂の呼称である。 薬師如来は大乗仏教において病気平癒等の現世利益に効験のある仏として信仰されており、アジアの仏教圏の中でも特に日本で広く信仰を集めている仏であることから、日本では薬師如来を本尊とする寺院や薬師如来を祀る仏堂が各地に数多く存在する。ただし、薬師如来を本尊とする仏堂がすべて「薬師堂」と呼称されるわけではなく、寺院ごとにさまざまな名称で呼ばれている。薬師如来像を安置する堂が寺院の中心となる建物である場合は「本堂」「金堂」「根本中堂」などと呼称される場合が多い。 薬師如来を本尊とする寺院の寺号には、「薬師寺」「薬王寺」「医王寺」などのほか、「東光寺」「東明寺」のように「東」の字が付くことが多い。これは、薬師如来が東方浄瑠璃浄土に住すると信じられていることによる。また、薬師如来の詳名「薬師瑠璃光如来」にちなんで「瑠璃光寺」と号する寺院もある。 派生して、薬師如来が病気平癒の仏とされることから、製薬や医療の分野でも「薬師堂」の名前が使われることがある。また、薬師堂があった場所の地名となっているところもある。.

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門流

流(もんりゅう)とは、妙法蓮華経(法華経)を正法ととらえる日蓮門下の分派を、派祖もしくは派祖が弘法した地名によって示す場合の呼称。.

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永徳

永徳(えいとく)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。北朝方にて使用された。康暦の後、至徳の前。1381年から1383年までの期間を指す。この時代の天皇は、北朝方が後円融天皇、後小松天皇。南朝方が長慶天皇、後亀山天皇。室町幕府将軍は足利義満。.

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法 (仏教)

仏教における法(ほう、、ダルマ(ダーマ)、パーリ語:、プラークリット: धम्म、ダンマ)とは、法則・真理、教法・説法、存在、具体的な存在を構成する要素的存在などのこと。本来は「保持するもの」「支持するもの」の意で、それらの働いてゆくすがたを意味して「秩序」「掟」「法則」「慣習」など様々な事柄を示す。三宝のひとつに数えられる。仏教における法を内法と呼び、それ以外の法を外法と呼ぶ。 ダルマは「たもつ」「支持する」などの意味をもつ動詞 (dhR) からつくられた名詞であり、漢訳仏典では音写されて達磨(だつま)、達摩(だつま)、曇摩(どんま)、曇無(どんむ)などとなり、通常は「法」と訳されている。.

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法華宗陣門流

法華宗陣門流(ほっけしゅうじんもんりゅう)は、日蓮を宗祖(高祖)とし、日陣(にちじん)(1339年~1414年)を派祖(門祖)とする、仏教の日蓮門下の一派である。本尊は三宝尊である。法華経の題目(南無妙法蓮華経)を唱えること(唱題)を正行(しょうぎょう)とする。.

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法華経

法華経の 現代の解説書にはしばしば、このような写真とこのような主旨の解説が添えられている。。 『法華経』(ほけきょう、ほっけきょう)は、大乗仏教の代表的な経典。大乗仏教の初期に成立した経典であり、誰もが平等に成仏できるという仏教思想の原点が説かれているNHK 100分de名著 法華経[新]第1回「全てのいのちは平等である」2018年4月2日放送。聖徳太子の時代に仏教とともに日本に伝来した聖徳太子によって著されたとされる法華経の注釈書「法華経義疏」は、三経義疏の1つである。。.

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津島市

駅前から西に延びる天王通り 津島市(つしまし)は、愛知県西部にある市である。海部津島広域行政圏の中心で、国・県の施設も立地する。あいち海部農協と海部東農協の本部も置かれる。.

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渥美郡

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湖西市

湖西市(こさいし)は、静岡県の最も西に位置する市である。旧浜名郡の一部で、1972年に市制施行。2010年3月23日に新居町と合併。歴史、漁業、自動車工業、農業の町。.

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本興寺 (湖西市)

本興寺(ほんこうじ)は、静岡県湖西市鷲津にある仏教寺院。法華宗陣門流の東海別院。山号は常霊山(法華経自我偈の一句「常在霊鷲山」にちなむ)。院号は大悲院。本尊は三宝尊。塔頭が四院ある(長勝院、光明院、玉葉院、東光院)。.

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明徳

明徳(めいとく)は、日本の元号の一つ。元中・康応の後、応永の前。1390年から1393年までの期間を指す。この時代の天皇は、北朝方が後小松天皇。南朝方が後亀山天皇。室町幕府将軍は足利義満。 足利義満は、土岐康行の乱や2年の山名氏を挑発して蜂起させた明徳の乱、さらに応永期の応永の乱で有力守護大名を討伐して将軍権力を固めていく。1392年(元中9年/明徳3年)には北朝が南朝の持つ三種の神器を接収し、後亀山天皇が譲位して南北朝合一(明徳の和約)が成し遂げられ、元号も明徳に統一された。 康暦の政変で失脚した後に幕政に復帰した細川頼之は明徳の乱でも戦い3年に没しており、弟の細川頼元が管領に就任している。4年には斯波義将が管領に就任しており、幕府の将軍を頂点とする三管領体制が整いつつある時期である。.

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明徳の和約

明徳の和約(めいとくのわやく)は、明徳3年/元中9年(1392年)に南朝(大覚寺統)と北朝(持明院統)間で、和議と皇位継承について結ばれた協定。明徳の和談、元中一統とも。 この和約に従って同年閏10月5日(ユリウス暦1392年11月19日)、南朝の後亀山天皇が吉野から京都に帰還して、北朝の後小松天皇に三種の神器を譲って退位して南北朝の合一が図られた。これによって、建武3年(1336年)以来の朝廷の分裂状態が終了した。.

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海部郡 (愛知県)

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新居町 (静岡県)

新居町(あらいちょう)は、かつて静岡県浜名郡にあった町。 東海道本線の駅名は新居町(あらいまち)であるが、駅名以外は、あらいちょう(住民の呼び方もあらいちょう)である。2010年3月23日に湖西市に編入、廃止された。なお、「新居町」の表記は「湖西市新居町」として残されている(詳しくは後述)。.

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日印

日印(にちいん、文永元年(1264年) - 嘉暦3年12月20日(1329年1月20日))は、法華宗・日蓮宗の僧。北陸道の越後国寺泊(現在の新潟県長岡市)にて生誕。鎌倉殿中問答で知られる。.

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日蓮

妙傳寺 本蓮寺 日蓮(にちれん、貞応元年(1222年)2月16日には、「その誕生日の2月16日については自ら記すところではないが、『本門宗要抄』の下巻と、この書と大体同時代の成立と思われる日道の『御伝土代』に誕生を2月16日と記している」とある(但し、漢数字は算用数字に改めた)。なお、『本門宗要抄』には偽書説があるが、それについてはで「日蓮の事蹟・生涯についてはおそらく日蓮の直弟たちの間の周知のこと、またその伝承されていたことがつづられたもので、この両書は日蓮宗の初期の伝承を伝える珍重すべきものである。したがって2月16日の誕生は真を伝えているとみて良い。」としている。 - 弘安5年(1282年)10月13日)ユリウス暦では1222年3月30日 - 1282年11月14日、グレゴリオ暦に換算すると1222年4月6日 - 1282年11月21日。グレゴリオ暦の施行は1582年で日蓮はそれ以前に亡くなっているが、日蓮宗諸派では日蓮の事跡をグレゴリオ暦換算の日付で祝うため、グレゴリオ暦の日付を併記している。なお、換算はによる。は、鎌倉時代の仏教の僧。鎌倉仏教のひとつである日蓮宗後に十三宗のひとつとなる。(法華宗)の宗祖。滅後に皇室から日蓮大菩薩(後光厳天皇、1358年)と立正大師(大正天皇、1922年)の諡号を追贈された。.

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日陣

日陣(にちじん、延元4年/暦応2年4月21日(1339年5月30日) - 応永26年5月21日(1419年6月14日))は、法華宗陣門流の門祖(派祖)である。宗門の高祖(宗祖)日蓮有縁の地佐渡ヶ島(佐渡国)の東岸、北陸道の越後国瀬波郡加治庄荒川郷(現在の新潟県胎内市)にて生誕。父は佐々木高貞、母は今出川兼季の娘妙菊で、俗姓は栗原氏とされる。.

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愛知県

愛知県(あいちけん)は、太平洋に面する日本の県の一つ。県庁所在地は名古屋市。.

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普門寺 (豊橋市)

仁王門 本堂 客殿 普門寺(ふもんじ)は、愛知県豊橋市にある高野山真言宗の寺院。山号は船形山(せんぎょうさん)。本尊は聖観音菩薩。豊橋市の紅葉スポットとしても知られる。.

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1339年

記載なし。

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1345年

記載なし。

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1383年

記載なし。

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1390年

記載なし。

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1392年

記載なし。

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1414年

記載なし。

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1419年

記載なし。

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1425年

記載なし。

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4月26日 (旧暦)

旧暦4月26日は旧暦4月の26日目である。六曜は大安である。.

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5月14日

5月14日(ごがつじゅうよっか、ごがつじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から134日目(閏年では135日目)にあたり、年末まではあと231日ある。誕生花はシラン。.

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