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平永盛 (平安時代)

索引 平永盛 (平安時代)

平 永盛(たいら の ながもり、生没年不詳)は、平安時代中期の軍事貴族。『平群系図』『安西氏系図』によれば、常陸介平群清幹の孫にして、秋田城介平群利方の子で、母は平貞盛の女であるが、外叔父平維叙の猶子となり、平姓に改めたという。名は永成とも。従五位下・鎮守府将軍に叙任され、平群将軍と号す。 長保3年(1001年)7月東三条院案主として初見。寛仁元年(1017年)敦良親王の立太子に際して春宮坊の陣頭を命じられるが、時に従五位下・中務権少輔であった。同2年(1018年)1月23日、鎮守府将軍に任じられる。翌3年(1019年)6月陣定で審議すべき雑事を申請しているが、その内容は明らかでない。 系図によれば、平季信の女を娶って子の頼義を儲けたが、安房の安西氏はこの子孫であるという。また、和泉の日根野氏も永盛の子孫とされる。.

35 関係: 大日本史料宝賀寿男安西氏安房国寛仁小右記中務省常陸国司平安時代平安時代史事典平群氏平貞盛平氏後朱雀天皇従五位和泉国秋田城介竹居明男立太子猶子生没年不詳鎮守府将軍軍事貴族鈴木眞年藤原詮子長保陣定東京大学史料編纂所権記春宮坊1001年1017年1018年1019年1月23日 (旧暦)

大日本史料

『大日本史料』(だいにほんしりょう)は、1901年(明治34年)から現在まで刊行が続けられている日本史の史料集である。 六国史(『日本書紀』 - 『日本三代実録』)の後、国史の編纂事業が行われていないため、その欠落部分を埋めるべく編纂が始まった。 平安時代の宇多天皇(887年即位)から江戸時代までを対象とし、歴史上の主要な出来事について年代順に項目を立て、典拠となる史料を列挙する。.

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宝賀寿男

宝賀 寿男(ほうが としお、「寶賀壽男」とも表記。1946年4月17日 - )は、日本及び北東アジアの古代史・系譜の研究者。日本家系図学会及び家系研究協議会の会長。元大蔵省(現財務省)の官僚で、現在は弁護士。.

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安西氏

安西氏(あんざいし)は、安房の豪族で、戦国大名となった一族である。出自については、古代豪族の忌部氏(斎部氏)だという説がある。他にも三浦氏、桓武平氏、平群氏、宇多源氏など諸説存在する。里見氏に敗れ、滅亡する。.

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安房国

安房国(あわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

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寛仁

寛仁(かんにん)は、日本の元号の一つ。長和の後、治安の前。1017年から1020年までの期間を指す。この時代の天皇は後一条天皇。.

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小右記

『小右記』(おうき / しょうゆうき)は、平安時代の公卿藤原実資の日記。「小右記」とは小野宮右大臣(実資のことを指す)の日記という意味。全61巻。全文は漢文で書かれている。『野府記』(やふき)ともいう。.

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中務省

中務省(なかつかさしょう)は、律令制における八省のひとつ。和名はナカノマツリゴトノツカサ。唐名は中書省など。「中」は禁中の意。.

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常陸国司

常陸国司(ひたちこくし)は、常陸国の国司のことで、常陸守、常陸介、常陸大掾、常陸少掾、常陸大目、常陸少目の各1人で構成された。常陸国は、上総国・上野国とともに、天長3年(826年)以降、親王が国守を務める親王任国となり、この場合の常陸守を特に常陸太守と称した。親王任国となった当初から親王太守は現地へ赴任しない遙任だったため、国司の実務上の最高位は常陸介であった。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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平安時代史事典

『平安時代史事典』(へいあんじだいしじてん)は、1994年に平安京遷都1,200年を記念して、古代学協会・古代学研究所編集のもと角川書店より出版された、平安時代の総合大事典。角田文衞監修。全3冊。なおこの事典は絶版となっていたが、2006年11月にCD-ROM版が発売された。.

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平群氏

平群氏(へぐりうじ)は、「平群」を氏の名とする氏族。 武内宿禰の後裔と伝えられ、大和国平群郡平群郷(奈良県生駒郡平群町)を本拠地とした古代在地豪族の一つ。姓は臣(おみ)、後に朝臣。.

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平貞盛

平 貞盛(たいら の さだもり)は、平安時代中期の武将。平国香(良望)の嫡男。.

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平氏

平氏(へいし、たいらうじ)は、「平」を氏の名とする氏族。姓(カバネ)は朝臣。家紋は揚羽蝶、鱗など。 日本において皇族が臣下に下る(臣籍降下)際に名乗る氏の一つで、有名な桓武平氏を含め4つの流派がある。.

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後朱雀天皇

後朱雀天皇(ごすざくてんのう、寛弘6年11月25日(1009年12月14日) - 寛徳2年1月18日(1045年2月7日))は、平安時代中期の第69代天皇(在位:長元9年4月17日(1036年5月15日) - 寛徳2年1月16日(1045年2月5日))。諱は敦良(あつなが)。 一条天皇の第三皇子。母は藤原道長女中宮彰子。同母兄に後一条天皇。.

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従五位

従五位(じゅごい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。正五位の下、正六位の上に位する。贈位の場合、贈従五位という。近代以前の日本における位階制度では、従五位下以上の位階を持つ者が貴族とされている。また、華族の嫡男が従五位に叙せられることから、華族の嫡男の異称としても用いられた。.

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和泉国

和泉国(いずみのくに/いづみのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。畿内に属する。.

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秋田城介

秋田城介(あきたじょうのすけ)は、古代から中世の日本において、出羽国の秋田城を専管した国司である。はじめは官職ではなく、国司の一人の任務にすぎなかったが、平安時代中期に出羽城介という令外官となり、鎌倉時代に秋田城介と呼ばれるようになった。.

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竹居明男

竹居明男(たけい あきお、1950年6月15日 - )は、同志社大学名誉教授。文化史家。.

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立太子

立太子(りったいし)は、広く東アジアにおいて広まった儀礼で、日本の天皇・中国の皇帝の皇子等を跡継ぎとして太子に立てることである。また、日本においてはこの概念が定着していることから、ヨーロッパの王家に対しても、「立太子」の語を用いることがある。.

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猶子

子(ゆうし)とは、兄弟・親類や他人の子と親子関係を結ぶ制度。漢文訓読では「なほ子のごとし」(訳:あたかも実子のようである)という意味。 中国における本義は兄弟の子の意味。養子との違いは、家督や財産などの相続を必ずしも目的の第一義とはせず、実力や「徳」に優れた仮親の権勢を借りたり、一家・同族内の結束を強化するために行われた。具体的には、官位などの昇進上の便宜、婚姻上の便宜、他の氏族との関係強化が図られる場合に組まれるようである。そのため、子供の姓は変わらない場合があったり、単なる後見人としての関係であるなど、養子縁組と比べて単純かつ緩やかで擬制的な側面が大きい。 ただし、相続に関しての実際は明確な区別はなく、猶子であっても相続がなされる場合も多い。ときに両者をまったく同義で使用している場合がある。.

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生没年不詳

生没年不詳(せいぼつねんふしょう)とは、歴史上の人物の生没年がともに不明であることを示す。 生没年(せいぼつねん)は、ある個人の生まれた年(生年)、死亡した年(没年)をあわせた名称であり、伝記を記述するに当たって重要な要素の一つである。.

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鎮守府将軍

鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)は、奈良時代から平安時代にかけて陸奥国に置かれた軍政府である鎮守府の長官。令外官である。平安時代中期以降は武門の最高栄誉職と見なされたが、鎌倉幕府の成立で征夷大将軍が武家の首長職として常置されるに及び、鎮守府将軍の権限と地位はその中に吸収された。.

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軍事貴族

軍事貴族(ぐんじきぞく)は、日本の古代後期から中世最初期にかけて出現した軍事専門の貴族・公家(地下人)のことをいう。武家貴族とも呼ばれ、成立期の武家(武士)の母体となった。為憲流藤原南家、利仁流と秀郷流と勧修寺流上杉氏の藤原北家、国香流桓武平氏、清和源氏、広元流大江氏、嵯峨源氏の渡辺氏と瓜生氏、宇多源氏の佐々木氏、多々良姓大内氏、日下部姓朝倉氏、大蔵姓諸氏、中原姓諸氏、惟宗姓諸氏などが代表的な軍事貴族である。.

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鈴木眞年

鈴木 真年(すずき まとし、鈴木眞年とも。天保2年(1831年)- 明治27年(1894年)4月15日)は日本の江戸時代末期から明治時代にかけての系譜研究家・国学者。初めは紀州徳川家に属して系譜編輯事業を担当、明治維新後は弾正台に属して新政府の下での系譜編纂事業に就く。のち、宮内省・司法省・文部省・陸軍省と所属を変遷しながらも、この間に系譜編纂を継続し公的・私的いずれの立場においても多数の系譜集を編み世に送った。.

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藤原詮子

東三条殿跡・藤原詮子居住地、京都市中京区押小路通釜座西北角 藤原 詮子(ふじわら の せんし/あきこ、応和2年(962年) - 長保3年閏12月22日(1002年2月7日))は、平安時代、第64代円融天皇女御。第66代一条天皇生母(国母)。院号は東三条院(ひがしさんじょういん)。 摂政関白・太政大臣藤原兼家の次女で、母は摂津守藤原中正の娘時姫。先後して摂関に在職した道隆・道兼・道長、また冷泉天皇女御超子は同母の兄弟。.

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長保

長保(ちょうほう)は、日本の元号の一つ。長徳の後、寛弘の前。999年から1003年までの期間を指す。この時代の天皇は一条天皇。.

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陣定

陣定(じんのさだめ)は、平安時代摂関期の朝議の形式のひとつ。左右近衛府の陣に公卿の座を設定し、大臣以下の公卿と四位の参議以上の議政官が出席して、外交・財政・叙位・受領任命・改元など、重要な政務が審議された。 近衛府の陣(主として左近衛府側)において招集されたので、会議の場を陣座(じんのざ)又は杖座(じょうざ)と呼称された。.

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東京大学史料編纂所

東京大学史料編纂所(とうきょうだいがくしりょうへんさんじょ、英称:Historiographical Institute, the University of Tokyo)は、東京大学の附置研究所(共同利用・共同研究拠点)の一つであり、日本史に関する史料の編纂と刊行を行っている。.

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権記

『権記』(ごんき)は、平安時代中期に活躍した藤原行成の記した日記である。名の由来は、極官(ごくかん)の権大納言による。『行成卿記』、『権大納言記』とも。執筆時期は藤原道長の全盛期で、特に蔵人頭在任中(一条天皇期)の活動が詳細に記されており、当時の政務運営の様相や権力中枢・宮廷の深奥を把握するための第一級の史料。 正暦2年(991年)から寛弘8年(1011年)までのものが伝存し、これに万寿3年(1026年)までの逸文が残っている。自筆本は伝わらない。最も古い写本は、鎌倉時代以前に筆写された伏見宮本(宮内庁書陵部蔵)である。同時期の日記に『小右記』(藤原実資)、『御堂関白記』(藤原道長)がある。.

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春宮坊

春宮坊(とうぐうぼう)は日本古代の律令制において存在した機関。和訓は「みこのみやのつかさ」。.

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1001年

11世紀および2千年紀における最初の年である。.

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1017年

記載なし。

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1018年

記載なし。

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1019年

記載なし。

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1月23日 (旧暦)

旧暦1月23日は旧暦1月の23日目である。六曜は大安である。.

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