ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
ダウンロード
ブラウザよりも高速アクセス!
 

宝蔵院流中村派

索引 宝蔵院流中村派

宝蔵院流中村派(ほうぞういんりゅうなかむらは)とは、中村尚政(中村市右衛門)の系統の宝蔵院流槍術。他の系統の宝蔵院流と同じく薙刀術の形も伝えていた。 中村尚政は14歳で宝蔵院流開祖・胤栄に入門し、1605年(慶長10年)、宝蔵院流の印可を授かった。印可の際、師の胤栄より「一つ残さず全て授けた」という内容の誓紙を差し出されたという。 その後、さらに他流を研究して工夫を加え、宝蔵院流中村派を大成した。 1631年(寛永8年)、尚政は松平忠昌に召し抱えられ、福井藩江戸屋敷の槍術師範となった。以後、中村家は福井藩の槍術師範家となり、代々当流を伝えた。 福井藩以外には、水戸藩、高松藩(松平家藩政期)、三河吉田藩(大河内長沢松平家藩政期)、高崎藩(大河内長沢松平家藩政期)などで伝えられた。 Category:槍術 Category:薙刀術.

14 関係: 印可宝蔵院流槍術三河吉田藩福井藩高崎藩高松藩胤栄薙刀術松平忠昌槍術水戸藩江戸藩邸1605年1631年

印可

印可(いんか)とは、師がその道に熟達した弟子に与える許可のこと。印定許可、印信認可等の略。 その証として作成される書面は印可状あるいは印証書と呼ばれる。いわゆる“お墨付き”のこと。 禅宗では、悟りを開いたと認められた弟子の僧侶が、師の肖像を絵師に描いてもらい、師はその肖像の上に「偈文」という漢詩の形を取った説法をしたため、これを一種の卒業証書とした。ただし、宗派により形式が異なり肖像の無いものもある。これに倣い武術(剣術、槍術、柔術など)、茶道、あるいは軍学や算術などにおいても印可が与えられる。 現在禅林墨跡として残されている印可状の中には宗峰妙超(大燈国師)が関山慧玄(無相国師)に与えた「与関山慧玄印可状」や圜悟克勤が虎丘紹隆に与えた通称を流れ圜悟と称する「与虎丘紹隆印可状」などは国宝に指定されている。また重要文化財とされている物もある。 Category:禅用語 Category:仏教哲学の概念 いんかしよう Category:武道・武術の称号.

新しい!!: 宝蔵院流中村派と印可 · 続きを見る »

宝蔵院流槍術

宝蔵院流槍術(ほうぞういんりゅうそうじゅつ)とは、奈良の興福寺の僧宝蔵院覚禅房胤栄(1521 - 1607)が創始した十文字槍を使った槍術である。薙刀術も伝承していた。 初代宝蔵院覚禅房胤栄、2代目胤舜、3代目胤清、4代目胤風。 初代胤栄は、柳生とも親交があったと云われる。また、福島正則の家臣で勇猛な武将として知られる笹の才蔵こと可児吉長が、初代胤栄に教えを請うた、とも云われる。 現在はほとんどの形などが失伝しており、宝蔵院流高田派の江戸に伝えられた系統のみが現存している。だが、この系統も全伝は現存せず、辛うじて残っていた「槍合わせの形」のみが伝えられ、薙刀術の形などは失伝している。 2017年から女性にも入門が許可され、2018年には初級の審査に合格者が出ている。.

新しい!!: 宝蔵院流中村派と宝蔵院流槍術 · 続きを見る »

三河吉田藩

三河吉田藩(みかわよしだはん)は、三河国吉田(現在の愛知県豊橋市今橋町)を領した藩。藩庁は吉田城。明治維新後に豊橋藩(とよはしはん)と改称された。譜代大名が歴代藩主を務め、吉田藩に入部することは、幕閣になるための登竜門のひとつであった。.

新しい!!: 宝蔵院流中村派と三河吉田藩 · 続きを見る »

福井藩

松平忠昌上屋敷(龍ノ口屋敷)模型 福井城(現在は福井県庁) 福井藩(ふくいはん)は、越前国にあって現在の福井県嶺北中心部を治めた藩。藩庁は福井城(福井市)。藩主は越前松平家(福井藩主家)。家格は親藩・御家門で、32万石。越前藩(えちぜんはん)とも呼ばれる。また、北の庄(北ノ荘)という地名が「福井(福居)」と改称される以前の、つまり第3代忠昌以前の結城(松平)秀康・忠直時代を故に北ノ荘藩(きたのしょうはん)と称することがある。.

新しい!!: 宝蔵院流中村派と福井藩 · 続きを見る »

高崎藩

崎城 高崎藩(たかさきはん)は、上野群馬郡(群馬県高崎市)周辺を領した藩。藩庁は高崎城に置かれた。.

新しい!!: 宝蔵院流中村派と高崎藩 · 続きを見る »

高松藩

松城月見櫓 高松藩(たかまつはん)は、江戸時代に讃岐国(現在の香川県)を領有した藩。生駒氏の代は讃岐一国を領していたが、松平氏(高松松平家)の代になり半国の東讃地域を領した。藩庁は高松城(現在の高松市)。.

新しい!!: 宝蔵院流中村派と高松藩 · 続きを見る »

胤栄

胤栄(いんえい、大永元年(1521年) - 慶長12年8月26日(1607年10月16日))は、安土桃山時代の興福寺の僧衆(僧兵)・武術家。覚禅坊。興福寺子院の宝蔵院(寶藏院)の院主。 宝蔵院流槍術を始めた。上泉信綱の弟子となり新陰流剣術を学び、槍術を大膳大夫盛忠に学ぶなど、多くの師に付いたと伝えられるが、中でも天真正伝香取神道流大西木春見の影響が強く表れている。素槍に比べ槍としての攻防を多様にする十文字鎌槍の創始は当時の槍術には画期的なものであった。 晩年は僧侶が殺生を教える矛盾を悟り槍術から離れ、全ての武具は高弟の中村尚政に与え、僧としての活動を主にした。二代目を胤舜が継いだ。他の門弟には下石三正、礒野信元がいる。1607年死去。享年87。.

新しい!!: 宝蔵院流中村派と胤栄 · 続きを見る »

薙刀術

薙刀術(なぎなたじゅつ)は、日本固有の長柄武器である薙刀を使用する武術である。.

新しい!!: 宝蔵院流中村派と薙刀術 · 続きを見る »

松平忠昌

松平 忠昌(まつだいら ただまさ)は、江戸時代前期の大名。越前国福井藩(北ノ庄藩)3代藩主公式には福井藩第3代に数える忠昌以降を(相続時の混乱から)別系統(別藩)と捉える学説・主張もあり、それに従えばその系統の初代となる。。初代藩主結城秀康の次男で、2代藩主松平忠直の同母弟。.

新しい!!: 宝蔵院流中村派と松平忠昌 · 続きを見る »

槍術

槍術(そうじゅつ)は、槍で戦う武術である。鑓術、鎗術とも書く。.

新しい!!: 宝蔵院流中村派と槍術 · 続きを見る »

水戸藩

水戸藩邸跡石碑(京都市上京区下長者町通烏丸西入北側) 水戸藩(みとはん)は、常陸にあって現在の茨城県中部・北部を治めた藩。藩庁は水戸城(水戸市)に置かれた。.

新しい!!: 宝蔵院流中村派と水戸藩 · 続きを見る »

江戸藩邸

松平忠昌上屋敷(龍ノ口屋敷)模型 江戸藩邸(えどはんてい)は、江戸時代に江戸に置かれた藩邸(藩の屋敷)である。ただし、江戸時代当時の歴史的呼称ではなく、後世つくられた歴史用語である。当時は、単に武家屋敷もしくは江戸屋敷と呼ばれ、個別の屋敷は当該屋敷を使用する武家の家名を付して○○家屋敷などと呼ばれた。.

新しい!!: 宝蔵院流中村派と江戸藩邸 · 続きを見る »

1605年

記載なし。

新しい!!: 宝蔵院流中村派と1605年 · 続きを見る »

1631年

記載なし。

新しい!!: 宝蔵院流中村派と1631年 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »