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同諡号廟号一覧
同諡号廟号一覧(どうしごうびょうごういちらん)。
見る 定宗と同諡号廟号一覧
定宗 (高麗王)
定宗(ていそう、923年 - 949年4月13日)は第3代高麗王(在位:945年 - 949年)。姓は王、諱は堯、諡号は至徳章敬正粛令仁簡敬荘元文明大王。父は太祖、母は神明順成王后劉氏。恵宗の異母弟で光宗の同母兄。945年、王規と王式廉の政争で王式廉が勝利をして、その後ろ盾で王座についた。だが実権は王式廉に握られ、在位わずか4年で病死した。
見る 定宗と定宗 (高麗王)
定宗 (朝鮮王)
定宗(ていそう、チョンジョン、1357年7月18日 - 1419年10月15日)は、李氏朝鮮の第2代国王(在位:1398年 - 1400年)、権知高麗国事。諱は当初芳果(ほうか、パングァ、방과)、改名して曔(けい、キョン、경)、字は光遠(こうえん、クァンウォン、광원)。世子になる前は永安君(ヨンアングン、えいあんくん)。
見る 定宗と定宗 (朝鮮王)
廟号
廟号(びょうごう)は、中国、朝鮮半島、ベトナムなどの東アジアの漢字文化圏において皇帝や王が死亡した後に、先祖を祭るための廟に載せるための名前のことである。
見る 定宗と廟号
ハーン
ハーン(汗、可汗、合罕、干、qaġan/qaγan、khaan)は、北アジア、中央アジア、西アジア、南アジアにおいて、主に東北に住む騎馬民族の君主や有力者が名乗る称号。古い時代の遊牧民の君主が名乗った称号カガン(古テュルク語: - qaġan/qaγan)はその古形である。
見る 定宗とハーン
モンゴル帝国
モンゴル帝国(モンゴルていこく)は、モンゴル高原の遊牧民を統合したチンギス・カンが1206年に創設した遊牧国家(ウルス)である。中世モンゴル語ではイェケ・モンゴル・ウルス ( Yeke Mongγol Ulus)すなわち「大モンゴル・ウルス(大蒙古国)」と称した。 モンゴル帝国の領土。
見る 定宗とモンゴル帝国
グユク
グユク(Güyük、、 1206年3月19日 - 1248年4月20日)は、モンゴル帝国の第3代皇帝(在位1246年8月24日 - 1248年4月20日)。漢語資料の表記では貴由、古余克、谷由皇帝。『元史』(大宗紀、定宗紀)の表記では古与、貴由、貴裕。ペルシア語資料での表記では كيك خان Kuyūk khān ないし گيوك خان Guyūk khān など。大元ウルスによって贈られた廟号は定宗、諡は簡平皇帝。 第2代皇帝オゴデイの長男で、第6皇后ドレゲネとの間に生まれた長男である。グユクは第3代モンゴル皇帝であるが、先代のオゴデイがモンゴル皇帝として初めて「カアン」(Qaγan, Qa'an)を名乗ったものの、グユクはこの「カアン」(哈罕皇帝/合罕皇帝)を父のオゴデイのみの称号と考えたのか、自らは名乗りとして用いず、もっぱらカン(ハン Qan/χan 〜 خان khān)の称号のみを名乗ったと考えられている。
見る 定宗とグユク
元 (王朝)
元(げん)は、中東アジアから東ヨーロッパまで広大な領域にまたがったモンゴル帝国の後裔の一国であり、そのうち中国本土とモンゴル高原を中心領域にモンゴル帝国皇帝の直轄地として、1271年から1368年まで東アジアと北アジアを支配したモンゴル人が建てた征服王朝である。 正式国号は、大元(だいげん)で、ほかに元朝(げんちょう)、元国(げんこく)、大元帝国(だいげんていこく)、元王朝(げんおうちょう)、大モンゴル国(だいもんごるこく)とも言う。モンゴル人のキヤト・ボルジギン氏が建国した征服王朝で、国姓は「奇渥温」である。
見る 定宗と元 (王朝)
東アジア
東アジア(ひがしアジア、East Asia)は、アジアの東部にあたる国々を指す地域区分である。東亜などとも呼ばれる。北西からモンゴル高原、中国大陸、朝鮮半島、台湾列島、日本列島などを含む。
見る 定宗と東アジア

