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夏燮

索引 夏燮

夏 燮(か しよう、Xia Xie、1800年 - 1875年8月30日)、字は謙甫、号は謝山居士または江上蹇叟。清の歴史学者。 安徽省当塗出身。1823年、挙人となり、青陽県学の訓導となった。1851年、直隷省臨城県学の訓導となった。同年に『中西紀事』の初稿が完成している。これは中国と西洋の通商の経緯と文化の衝突を述べたものである。夏燮は植民地主義による侵略に反対し、イギリス領事との談判の際には外国人から尊敬を得たという。 夏燮は『明史』に不満を持ち、司馬光の『資治通鑑』に倣って編年体の『明通鑑』100巻を著した。晩年は経書の研究に力を注ぎ、『儀礼』に造詣が深かった。また琴が得意であった。

目次

  1. 15 関係: 司馬光安徽省当塗県儀礼 (経書)編年体経書直隷資治通鑑臨城県挙人明史明通鑑1800年

司馬光

司馬 光(しば こう、天禧3年10月18日(1019年11月17日)- 元祐元年9月1日(1086年10月11日))は、中国北宋時代の儒学者、歴史家、政治家。字は君実。陝州夏県(現在の山西省運城市夏県)涑水郷の人。号は迂叟。諡は文正。温国公の爵位を贈られた。このため「司馬温公」・「司馬文正公」と呼ばれることも多い。また「涑水先生」とも呼ばれた。祖先は西晋の高祖宣帝・司馬懿の弟司馬孚だといわれている。歴史書『資治通鑑』の編者として著名。政治面では旧法派の領袖として王安石ら新法派と対立した。

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安徽省

安徽省(あんきしょう、アンホイしょう、安徽省、、Anhui)は、中華人民共和国の省の一つ。名称は安慶府の安と徽州府の徽による。省都は合肥市。略称は皖。

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当塗県

当塗県(とうと-けん)は中華人民共和国安徽省馬鞍山市に位置する県。

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儀礼 (経書)

『儀礼』(ぎらい)は、儒教の経書の一つ。礼について記す。十三経の一つであり、『礼記』『周礼』と共に三礼の一つである。前漢の魯国の高堂生が伝えた『士礼』(しらい)17篇とされ、五経の一つ礼経として重視された。『儀礼』の名は晋代から始まる。周公旦制定や孔子編纂説がある。 周の階級秩序は王・諸侯・卿・大夫・士であり、『儀礼』は士に関する礼を中心とするが、一部、大夫礼と諸侯之礼が含まれている。古代の風習を知るには三礼の中で最も便利である。 日本語版は池田末利訳註『儀禮』東海大学古典叢書 全5巻:東海大学出版会で発刊されている。

見る 夏燮と儀礼 (経書)

日本の琴 琴を演奏する女性。長谷川雪堤画 琴の練習風景。大正時代 琴(きん/こと)とは、日本の伝統楽器。日本で「こと」と呼ばれる楽器は、(1)琴(きん)、(2)箏(そう)、(3)和琴 (わごん)、(4)一絃琴(須磨琴)、(5)二絃琴(八雲琴)がある。(1)琴(きん)と(2)箏(そう)は混同されることがあるが、両者の違いは、(1)琴は弦を押さえる場所で音程を決めるが(和琴は柱を使う)、(2)箏は柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節することである。いずれも、指にはめた爪(ピック)または指(あるいは手の爪)で弦を弾いて音を出す。

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編年体

編年体(へんねんたい、Annals、annāles)とは、歴史の記述法の一つで、起こった出来事を年代順に記してゆく方法を指す。対して、個人や一つの国に関しての情報をまとめて記述するのを紀伝体という。また、英語のAnnalsは編年体に限定しない全ての歴史記録を指すこともある。 日本の六国史のうち『日本書紀』を除くものは国史体とよばれる独特の記述法になっている。これは編年体を基本としつつ、重要人物の死亡記事があるごとに簡単な列伝(薨伝と呼ばれる)を挿入するものであるが、編年体の一種とされる。

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経書

経書(けいしょ)は、儒教でとくに重視される文献の総称。経典(儒家経典)ともいう。

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直隷

直隷(ちょくれい、直隷省とも)は明代から清代にかけて、黄河下流の北部地域を指した行政区画。

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資治通鑑

『資治通鑑』(しじつがん、)は、中国北宋の司馬光が、1065年(治平2年)の英宗の詔により編纂して1084年(元豊7年)に完成した、編年体の歴史書。全294巻。もとは『通志』といったが、神宗により『資治通鑑』と改名された。『温公通鑑』『涑水通鑑』ともいう。 収録範囲は、紀元前403年(周の威烈王23年)の韓・魏・趙の自立による戦国時代の始まりから、959年(後周の世宗の顕徳6年)の北宋建国の前年に至るまでの1362年間としている。 この書は王朝時代には司馬光の名と相まって、高い評価が与えられてきた。また後述のように実際の政治を行う上での参考に供すべき書として作られたこともあり、『貞観政要』などと並んで代表的な帝王学の書とされてきた。また近代以後も、司馬光が執筆に用いた史料で既に散逸したものが少なくないため、有力な史料と目されている。

見る 夏燮と資治通鑑

臨城県

臨城県(りんじょう-けん)は中華人民共和国河北省邢台市に位置する県。

見る 夏燮と臨城県

清(しん)、または清国(しんこく)は、1636年に満洲に建国され、漢民族を征圧し1644年から1912年まで中国本土とモンゴル高原を支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に順天府(北京)に置かれた。満洲人のアイシンギョロ氏(満洲語:, 転写:aisin gioro, 愛新覚羅氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。清朝、満清、清王朝、大清国、大清帝国ともいう。 清の影響圏 1917年に張勲が清の最後の皇帝、溥儀を皇帝に立てて清国を復古させたが失敗した(張勲復辟)。

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挙人

挙人(きょじん、満洲語:、tukiyesi)は中華圏の人材登用に関する称号。時代によって概念が異なる。

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明史

『明史』(みんし、)は、中国清代に編纂された歴史書。二十四史の一つ。「本紀」24巻、「列伝」220巻、「表」13巻、「志」75巻、「目録」4巻の計332巻から構成される紀伝体で、明朝の成立から滅亡までについて記述される。編纂開始は順治年間、完成は1739年(乾隆4年)であるが、大部分は康熙年間に編纂されている。

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明通鑑

『明通鑑』(みんつがん)は、清の夏燮の著書。100巻。 夏燮は『明史』にゆがみがあることを不満に思い、司馬光の『資治通鑑』にならって編年体による『明通鑑』を編纂し、明代の政治・経済・軍事・外交・文化などの歴史を記述した。夏燮は明の歴史を三期に分けた。『明前紀』4巻では、1352年から1368年まで元の年号を用いて、朱元璋が郭子興の農民軍に加入して、陳友諒・張士誠を破って明朝建国までを述べている。『明紀』90巻では1368年から1644年まで、すなわち朱元璋が皇帝を称した時から、崇禎帝が自殺して呉三桂が清軍を引き入れた時までを述べている。『附編』6巻では1644年から1664年まで清の年号を用いて、南明の諸政権の抗清の歴史を描いている。著述されている期間は合わせて312年にわたる。

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1800年

18世紀最後の年である100で割り切れてかつ400では割り切れない年であるため、閏年ではない(グレゴリオ暦の規定による)。。

見る 夏燮と1800年