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索引 琴

(きん、こと)とは、日本の伝統楽器。日本で「こと」と呼ばれる楽器は、(1)琴(きん)、(2)箏(そう)、(3)和琴 (わごん)、(4) 一絃琴 (須磨琴)、(5) 二絃琴 (八雲琴) がある。 (1)琴(きん)と(2)箏(そう)は混同されることがあるが、両者の違いは、(1)琴は弦を押さえる場所で音程を決める(和琴は柱を使う)。(2)箏は柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節する。いずれも、指にはめた爪(ピック)または指(あるいは手の爪)で弦を弾いて音を出す。.

66 関係: 埴輪うつほ物語古墳時代古事記古琴古筝大正女三宮奈良時代宇治八の宮寄絃小樽市中国大陸常用漢字常陸国一弦琴京阪二弦琴仲哀天皇伊予国伊勢神道弥生時代弦楽器彦根市俗謡土佐国ハープモノコードヴァイオリントンコリピアノベトナム和琴アメノウズメアイヌアコーディオンオルガンオルゴール出雲大社出雲国八戸市光源氏琵琶端唄箏曲縄文時代登呂遺跡須磨琴魔術...近江国醍醐天皇臣籍降下蛍兵部卿宮東京村上天皇楽器河内国源氏物語末摘花 (源氏物語)明石の御方明治日吉大社日本1820年 インデックスを展開 (16 もっと) »

埴輪

武装男子立像(群馬県太田市出土)東京国立博物館蔵、国宝 埴輪(はにわ)とは、日本の古墳時代に特有の素焼の焼き物。古墳上に並べ立てられた。日本各地の古墳に分布している。.

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うつほ物語

文化3年絵入本 『うつほ物語』(うつほものがたり、宇津保物語)は、日本の平安時代中期に成立した長編物語。全20巻。著者は不明だが源順説などがある。『竹取物語』にみられた伝奇的性格を受け継ぎ、日本文学史上最古の長編物語である。 写実的な描写などは『源氏物語』の成立へ影響を与えたと言われている。当時の貴族にとって、その演奏が教養でもあった楽器のひとつ「琴(きん)」の音楽をめぐって物語が展開していく。当時の年中行事を記した日記的な記述が多くみられる点も特徴のひとつである。 『枕草子』に源涼と藤原仲忠の優劣論争が記され、『源氏物語』の「絵合」巻に「『うつほ』の俊蔭の物語絵」が見えている。.

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古墳時代

古墳時代(こふんじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つである。古墳、特に前方後円墳が盛んに造られた時代を意味する。縄文時代、弥生時代に次ぐ考古学上の時期区分である。ほぼ同時代を表している「大和時代」は日本書紀や古事記による文献上の時代区分である。現在は研究が進んだこともあって、この時代の呼び方は「古墳時代」がより一般的となっている。 古墳時代の時期区分は、古墳の成り立ちとその衰滅をいかに捉えるかによって、僅かな差異が生じる。例えば、前方後円墳が造営され始めた年代に関しても、議論が大きく揺れ動いてきた。現在のところ一般的に、古墳時代は3世紀半ば過ぎから7世紀末頃までの約400年間を指すことが多い。中でも3世紀半ば過ぎから6世紀末までは、前方後円墳が北は東北地方南部から南は九州地方の南部まで造り続けられた時代であり、前方後円墳の時代と呼ばれることもある。 前方後円墳が造られなくなった7世紀に入っても、方墳・円墳、八角墳などが造り続けられるが、この時期を古墳時代終末期と呼ぶこともある。 西暦266年から413年にかけて中国の歴史文献における倭国の記述がなく詳細を把握できないため、この間は「空白の4世紀」とも呼ばれている。日本国家の成立を考察すれば、倭国のヤマト王権が拡大し、王権が強化統一されていった時代と考えられている。古墳時代終末期に倭国から日本国へ国名を変更した。.

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古事記

真福寺収蔵の国宝・『古事記』。信瑜の弟子の賢瑜による写本 古事記(こじき、ふることふみ、ふることぶみ)は、日本最古の歴史書である。その序によれば、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上された。.

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古琴

100px 古琴(こきん、クーチン、)は、中国の古い伝統楽器。七弦琴(しちげんきん)とも呼ぶ。3000年の歴史がある撥弦楽器で、八音の「糸」に属し、7本の弦を持つ。箏などと違い、琴柱(ことじ)はなく徽(き)と呼ばれる印が13あり、これに従い、左指で弦を押さえて右指で弾く。古琴演奏技は、2003年、ユネスコの無形文化遺産保護条約に基づく「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に掲載され、2009年9月に無形文化遺産として正式登録された。 古琴は中国の文人が嗜むべきとされた“琴棋書画”の一番目である。孔子、諸葛孔明、竹林の七賢の嵆康、陶淵明、白居易など、歴史上著名な多くの文人によって演奏された。日本でも菅原道真、重明親王が学んだことが知られる。「君子左琴」「右書左琴」「伯牙絶弦」「知音」など、琴にまつわる故事成語も多い。 ボイジャーのゴールデンレコードには管平湖による古琴の演奏が収められている。.

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古筝

古筝(こそう、グーチェン、あるいは単に筝、)は中国の伝統的なツィター属の撥弦楽器である。弦の本数は地方によって異なるが、現代では21本のものが代表的である。弦の材質には金属弦・絹糸の弦・金属芯のナイロン弦などがある。右手の指にはめた義爪で弦をはじいて演奏する。.

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大正

大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.

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女三宮

女三宮(おんなさんのみや)は、.

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奈良時代

奈良時代(ならじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つで、平城京(奈良)に都が置かれた時代である。平城時代(へいじょうじだい)ともいう。日本仏教による鎮護国家を目指して、天平文化が花開いた時代である。.

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宇治八の宮

宇治八の宮(うじはちのみや)は、紫式部の『源氏物語』の登場人物の一人。『源氏物語』五十四帖中、第四十五帖「橋姫」で登場し、第四十六帖「椎本」で死去する。宇治八宮、八の宮、桐壺帝八の宮、とも称される。.

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寄絃

寄絃(よつら)とは、古代日本の神道において、神事の際に魔除けのために梓弓の弦を打ち鳴らす行事のこと。 巫女が祈祷を行うのに先んじてこれを行ったとされている。『豊受皇太神御鎮座本紀』によれば、天鈿女命が弓を並べて叩いたのが和琴の由来であると伝えており、古来においては弓は神事における楽器の一つとしても用いられていた。藤原明衡の『新猿楽記』にも寄絃の儀を行う巫女の姿が描かれている。 『源氏物語』にて、病で苦しむ葵上のために光源氏らが巫女を呼んでこの行事を行わせたところ、六条御息所の生霊が出現したとされている。 Category:神道.

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小樽市

小樽市(おたるし)は、北海道後志総合振興局の市。保健所政令市。.

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中国大陸

中国大陸(ちゅうごくたいりく、Mainland China)とは、台湾(中華民国)・香港・マカオを除いて、中華人民共和国が実際支配及び直接統治するアジア大陸(ユーラシア大陸東部)の広い陸地(亜大陸)である。古くは日本列島と地続きであった。本項では、中華人民共和国成立以前の日本語圏の中国関連分野と今の中国語圏での政治的な意味合い、この二つの事を含む用法について詳述する。.

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常用漢字

常用漢字(じょうようかんじ)は、「法令、公用文書、新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活において、現代の国語を書き表す場合の漢字使用の目安」として内閣告示「常用漢字表」で示された現代日本における日本語の漢字。現行の常用漢字表は、2010年(平成22年)11月30日に平成22年内閣告示第2号として告示され、2136字/4388音訓[2352音・2036訓]から成る。 常用漢字表の目的は、漢字使用の目安であって制限ではない一方、日本の学習指導要領では義務教育の国語で読みを習う漢字は常用漢字しか規定がない。日本の主な報道機関は、日本新聞協会が発行する『新聞用語集』(新聞用語懇談会編)に掲載される新聞常用漢字表に基づき、各社で多少手を加えて、漢字使用の基準としている場合が多い。.

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常陸国

常陸国(ひたちのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。 上総国・上野国とともに親王が国司を務める親王任国であり、国府の実質的長官は常陸介であった。.

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一弦琴

一弦琴(いちげんきん、一絃琴)とは、細長い木製の胴に一本の弦を張った琴で、弦楽器の一種蒲生『国史大辞典』「一絃琴」。須磨琴・独弦琴・板琴などともいう三谷『日本史大事典』「一弦琴」。 一般的なものは、胴の長さは110cmくらい、幅は頭部で11cm・尾部で8cmくらい、中間に2か所のくびれがある。胴の表面部には徽とよばれる12個の目印がはめ込まれている。弦は絹糸で作られている。 奏者は左側に尾部を見るようにして頭部の横側に正座して演奏を行う。元々は膝の上に琴を載せて演奏していたが、後には台の上に置いて演奏するようになった。右手人差指に竜爪(短管)と呼ばれる義甲を、左手中指に転管(長管)という管をそれぞれはめて、転管で徽がはめられている感所(勘所)を抑えながら、竜爪で撥弦(弦をはじく)して演奏する。竜爪と転管は、8cmくらいの竹もしくは象牙の管の中間から少し外れた場所から斜め切りにし、短い方を竜爪に、長い方を転管にして用いる。 日本における一弦琴の由来は諸説あって不明である。『日本後紀』によれば、延暦18年(799年)7月のこととして三河国に流れ着いた天竺の人が一弦琴をひいたのが最古の記録であるが、インドのビーナに近いものであったと推定される。「一弦琴の祖」と称される須磨琴については、幕末に松平四山が著した『当流板琴大意抄』によれば、平安時代(9世紀)に在原行平が須磨に流された際に庇の板で琴を作ってつれづれを慰めたとする説を載せているが、同時代の富士谷御杖が著した『北辺随筆』ではこの説を否定している。 中根淑の説では今日知られる一弦琴は寛文年間(17世紀)に中国(清)から伝えられた比較的新しいもので、宝暦から明和年間の頃(18世紀)に河内国金剛輪寺にいた覚峯(麦飯真人と号する)という僧侶が普及させ、中山信敬(備前)・中川蘭窓ら弟子に伝えられた。幕末から明治にかけて大坂で真鍋豊平やその門人である土佐(高知)の徳弘太橆や東京の富田豊春が活躍して隆盛となり、志士たちからは一弦琴の練習を口実に密会を重ねたとされる。だが、その隆盛も短い間であり、高雅で繊細な楽曲に向いていたが余りに地味であったため、明治末期以降衰微して、現在わずかに行われるのみである。.

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京阪

京阪または京坂(けいはん)とは、京都の京と大阪の阪をとったもの。以下に大別される。.

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二弦琴

二弦琴(にげんきん、二絃琴)とは、ツィター属の弦楽器の一種。二本の弦を同音に調律するのが特徴である。 日本における二弦事の一番古い形は八雲琴で、明治期にこれを改良・分岐した東流(二絃琴)、更に大正期に東流を改良・分岐した大正琴、これらとは別の流れである竹琴が知られている三谷『国史大辞典』「二弦琴」。 八雲琴は文政3年(1820年)に伊予国の中山琴主が出雲大社の神託を受けて作ったものとされ、当初は出雲琴・玉琴とも呼ばれた。元々は竹を2つに割って作ったが、今日では杉や桐の板で作られ、表板には竹を模した3つの節を、裏板には2つの響穴を刻んでいる。また、表板の表面には31か所の徽と呼ばれる目印が記され、徽に刻まれた31文字を読むと「ヤクモコトツホハウエヨリシタマテヲワカノミソチニナラヒキメヌル(八雲琴(の)壺(=目印)は)上より下までを和歌の三十一(文字)に倣ひ決めぬる)」となる。胴の長さは約109cm、幅は11.5cm(尾部)~12.4cm(頭部)ある。頭部に開けられた2個の孔から絹糸で出来た2本の弦が出て、尾部に開けられた1個の孔を通して転軫に巻き付ける。転軫とは糸巻きのことで弦の張力調整機能を持つ。実際の演奏は琴を琴台に載せ、左手中指にはめた転管で弦を抑え、右手人差指にはめた竜爪を弾いて演奏した。琴主の没後は、大岸元琴(琴主の実弟)・村田友琴・黒田琴翁によって三派に分かれて明治に隆盛を迎えるが、大正以降は衰微して今日に至っている。 大岸元琴の弟子で囃子方であった藤舎廬船(長唄家元としては初代藤舎呂船)は明治の初めに裏板を設けず、表板の裏側を船形にくり抜いた新しい琴を開発して新たな流派を創設して「東流」と称した。廬船が囃子方であったことから、歌舞伎の世界で用いられ始め、三味線とも組み合わされて演奏された。大正の初めには森田吾郎が更なる改良を行って大正琴を発明した。 竹琴は明治の初めに盲目の地歌箏曲家であった葛原勾当が発明したもので、八雲琴とは別の系列に属する。.

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仲哀天皇

仲哀天皇(ちゅうあいてんのう、成務天皇18年? - 仲哀天皇9年2月6日)は、『古事記』『日本書紀』に記される第14代天皇(在位:仲哀天皇元年1月11日 - 同9年2月6日)。日本武尊命を父に持ち、皇后は三韓征伐を行った神功皇后であり、応神天皇の父である。熊襲を討とうとした橿日宮に至ったが果たせず、即位9年で死去したと伝わる。和風諡号は足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)、帯中日子天皇(古事記)。容姿端正、身長一丈。.

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伊予国

伊予国(いよのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。.

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伊勢神道

伊勢神道(いせしんとう)とは、伊勢神宮で生まれた神道の説。外宮の神職(度会氏)の間で唱えられるようになった。このため、度会神道・外宮神道ともいう。.

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弥生時代

弥生時代(やよいじだい)は、日本列島における時代区分の一つであり、紀元前10世紀頃から、紀元後3世紀中頃までにあたる時代の名称。採集経済の縄文時代の後、水稲農耕を主とした生産経済の時代である。縄文時代晩期にはすでに水稲農耕は行われているが、多様な生業の一つとして行われており弥生時代の定義からは外れる。 2003年に国立歴史民俗博物館(歴博)が、放射性炭素年代測定により行った弥生土器付着の炭化米の測定結果を発表し、弥生時代は紀元前10世紀に始まることを明らかにした。当時、弥生時代は紀元前5世紀に始まるとされており、歴博の新見解はこの認識を約500年もさかのぼるものであった。当初歴博の新見解について研究者の間でも賛否両論があった。しかし、その後研究がすすめられた結果、この見解はおおむね妥当とされ、多くの研究者が弥生時代の開始年代をさかのぼらせるようになってきている。 弥生時代後期後半の紀元1世紀頃、東海、北陸を含む西日本各地で広域地域勢力が形成され、2世紀末畿内に倭国が成立。3世紀中頃古墳時代に移行した。.

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弦楽器

弦楽器(げんがっき)(絃楽器とも)とは、弦に何らかの刺激を与えることによって得られる弦の振動を音とする楽器の総称である。弦の振動を得るために、弦とそれを張力をもって張っておく装置を備え、多くの場合は得られた音を共鳴させて音を拡大するための装置を持つ。 楽器分類学では弦鳴楽器と呼ぶ。.

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彦根市

彦根市(ひこねし)は、滋賀県の北東部に所在する市である。滋賀県北部、東部の中心となる都市である。 旧坂田郡鳥居本村と旧愛知郡稲枝町を除き、かつては犬上郡に属していた。.

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俗謡

俗謡(ぞくよう)とは、広義には、民謡、流行歌、俗曲などといった通俗的な歌の総称である。 狭義には、民謡が本来あった地域を離れて都市部に流入し、様々に手を加えられることによって、都会風、または大衆音楽(ポピュラー音楽)風に変質したものをいう。専門的歌い手(職業歌手のほか、日本では芸者など)によって技巧化されたり、楽器の伴奏が加えられたり、歌詞が変更されたりする。.

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土佐国

土佐国(とさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。.

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ハープ

ハープ(harp)は、西洋音楽で用いられる弦鳴楽器。 コンサートハープ ダブル・アクション・ペダル・ハープ ハープの7本のペダル(左足用が3本と右足用が4本) 現代のコンサートハープの基本的な構成要素と用語(英語) ケルティック・ハープを弾く女性 ハープと演奏者を表したサーサーン朝ペルシア時代のモザイク。インド、ビシャプール発掘。ルーブル美術.

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モノコード

モノコード(英語:Monochord)は1本の弦を張り、その振動を利用して音程を計測し、音律を規定することを目的とした楽器、器具。モノコルドともいう。.

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ヴァイオリン

ヴァイオリンまたはバイオリンは弦楽器の一種。ヴァイオリン属の高音楽器である。ヴァイオリン属に属する4つの楽器の中で最も小さく、最も高音域を出す楽器である。弦を弓や指などで振動させて音を出す、弦鳴楽器に属する。しばしば「Vn」「Vl」と略記される。.

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トンコリ

トンコリはアイヌに伝わる伝統的な弦楽器でカラフトアイヌが用いていた五弦琴(三弦や六弦の物もある)。 江戸時代には北海道の宗谷地方やオホーツク沿岸地域でもほぼ同じ楽器が存在し「カー」と呼ばれ演奏されていた文献記録があるが、近代までに伝承は途絶えた。現在判明している製作法や演奏法は、すべて樺太アイヌのものである。.

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ピアノ

ピアノは、弦をハンマーで叩くことで発音する鍵盤楽器の一種である。鍵を押すと、鍵に連動したハンマーが対応する弦を叩き、音が出る。また、内部機構の面からは打楽器と弦楽器の特徴も併せ持った打弦楽器に分類される。 一般に据え付けて用いる大型の楽器で、現代の標準的なピアノは88鍵を備え、音域が非常に広く、オーケストラの全音域よりも広いフランツ・リストの『ハンガリー狂詩曲』やビゼーの『子供の遊び』、モーリス・ラヴェルのほとんどの作品にみられるように、多くのオーケストラの作品はピアノ曲の編曲である。Samuel Adler, The Study of Orchestration (Third Edition, NORTON, 2002) p.666-667.

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ベトナム

ベトナム社会主義共和国(ベトナムしゃかいしゅぎきょうわこく、)、通称 ベトナム()は、東南アジアのインドシナ半島東部に位置する社会主義共和国。首都はハノイ。ASEAN加盟国、通貨はドン、人口9,250万人(2014年末)。 国土は南北に細長く、北は中華人民共和国、西はラオス、南西はカンボジアと国境を接する。東は南シナ海に面し、フィリピンと相対する。.

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和琴

和琴(わごん)は、雅楽の国風歌舞でもちいられる日本固有の弦楽器で、日本最古の楽器。大和琴(やまとごと)、東琴(あずまごと)とも。 現在日本でよく知られる箏は大陸からの渡来楽器が基となっており、和琴とは起源や系統が異なる。 なお、和琴の起源は神代紀の「天沼琴」(あめのぬごと)である。「天石窟(あめのいわや)前で天香弓六張をならべ弦を叩いて音を調べた」とある。.

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アメノウズメ

天鈿女命像 天岩戸神社東本宮 アメノウズメ(アマノウズメ)は、日本神話に登場する神。「岩戸隠れ」の伝説などに登場する芸能の女神であり、日本最古の踊り子と言える。 一説に別名「宮比神」(ミヤビノカミ)『お伊勢さん125社めぐり』別冊『伊勢人』、伊勢文化舎、2008年、p.113。。大宮売神(オオミヤノメノカミ)と同一視されることもある。.

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アイヌ

アイヌは、北海道・樺太・千島列島およびカムチャツカ半島南部にまたがる地域に居住していた民族。母語はアイヌ語。 1878年(明治11年)、イギリス人旅行家・イザベラ・バードが北海道の日高地方でスケッチしたアイヌ民族の男性。 アイヌは、元来は物々交換による交易を行う狩猟採集民族である。文字を持たない民族であったが1923年(大正12年)に出版された知里幸恵のアイヌ神謡集では、その発音を、ローマ字で表記するなどの工夫がされている。、生業の毛皮や海産物などをもって、アムール川下流域や沿海州そしてカムチャツカ半島、これらの地域と交易を行い、永く、このオホーツク海地域一帯に経済圏を有していた。 1855年2月7日(安政元年12月21日)の当時のロシア帝国との日露和親条約での国境線決定により、当時の国際法の下、各々の領土が確定した以降は、大半が日本国民、一部がロシア国民となった。21世紀初頭の現在、日本国内では、北海道地方の他に首都圏等にも広く居住している。.

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アコーディオン

アコーディオン (Accordion)は、鍵盤楽器、蛇腹楽器の一種である。.

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オルガン

ルガン (organ) は、加圧した空気を鍵盤で選択したパイプに送ることで発音する鍵盤楽器であり、パイプオルガンとも呼ばれる。パイプオルガンに準じた鍵盤楽器である、リードオルガンや電子オルガンもオルガンの名で呼ばれる。.

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オルゴール

櫛の歯が18本のシリンダー・ムーブメント 写真提供:日本電産サンキョー商事株式会社 30本の櫛歯を持つシリンダー・ムーブメント オルゴールは、機械仕掛けにより自動的に楽曲を演奏する楽器の一つ。自鳴琴とも呼ばれた。.

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出雲大社

出雲大社(いずもおおやしろ、正仮名遣いでは「いづもおほやしろ」/ いずもたいしゃ)は、島根県出雲市大社町杵築東にある神社。式内社(名神大)出雲国一宮で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁包括に属する別表神社、宗教法人出雲大社教の宗祠。.

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出雲国

出雲国(いずものくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。山陰道に属する。.

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八戸市

八戸市(はちのへし)は、青森県東部に位置し、太平洋に面する中核市。青森市・弘前市と共に、青森県主要3市の一角を構成する。 三八地域県民局が設置されており、三戸郡を包含する八戸圏域連携中枢都市圏の中心となっている。.

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光源氏

光源氏(ひかるげんじ)は、紫式部の物語『源氏物語』の主人公。平安時代の公卿。一世源氏。近衛中将、大将、大納言、内大臣、太政大臣、准太上天皇を歴任。広大な四町の邸宅を造営し六条院と呼ばれる。『源氏物語』五十四帖中第一帖「桐壺」から第四十帖「幻」まで登場する。 なお「光源氏」とは「光り輝くように美しい源氏」を意味する通称で、本名が「光」というわけではない。.

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琵琶

琵琶(びわ、, 特に日本のものは )は、東アジアの有棹(リュート属)弦楽器の一つ。弓を使わず、もっぱら弦をはじいて音を出す撥弦楽器である。古代において四弦系(曲頚琵琶)と五弦系(直頚琵琶)があり、後者は伝承が廃絶し使われなくなったが、前者は後に中国及び日本においていくつもの種類が生じて発展し、多くは現代も演奏されている。ヴェトナムにはおそらく明代に伝播した四弦十数柱のものが伝承され、ダン・ティ・バと呼ばれる。なお、広義には阮咸(げんかん)や月琴などのリュート属弦楽器も琵琶に含めることもある。 四弦系(曲頚)琵琶は、西アジアのウード、ヨーロッパのリュートと共通の起源を持ち、形もよく似ている。すなわち卵を縦に半分に割ったような形の共鳴胴に棹を付け、糸倉(ヘッド)がほぼ直角に後ろに曲がった形である。五弦系(直頚)琵琶はインド起源とされ、糸倉は曲がらず真っすぐに伸びている。正倉院に唯一の現物である「螺鈿紫檀五絃琵琶」(らでんしたんごげんのびわ、図参照)が保存されている。.

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端唄

端唄(はうた)は邦楽の一種である。.

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箏(そう)は、日本の伝統楽器。十三本の糸を有するが、十七絃箏など種々の多絃箏がある。箏は一面、二面(いちめん、にめん)と数える。弦楽器のツィター属に分類される。 一般的に、「箏(こと)」と呼ばれ、「琴(きん)」の字を当てることもあるが、「箏」と「琴」は別の楽器である。最大の違いは、箏は柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節するのに対し、琴は柱が無く弦を押さえる場所で音程を決める。ただし、箏の柱(箏の駒)は「琴柱」とするのが一般的で(商品名も琴柱)、箏の台は琴台(きんだい)と必ず琴の字を使う。 箏 総象牙巻繰り甲の箏(金子誠次作).

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箏曲

箏曲(そうきょく)は、箏(そう)つまり「こと」の音楽の総称。また、特に現代では近世に発達した俗箏による音楽を指す場合が多く、大きく生田流箏曲と山田流箏曲に分かれる。三曲のひとつ。箏曲の古典的な音楽においては箏と三絃(「さんげん」。箏と合奏する三味線(しゃみせん)の事)の合奏曲(大半が弾き歌い)がほとんどである。そのため箏曲家とは、多くの場合、三絃・箏・地歌(地唄)の三つを扱うことの出来る演奏者である。また、箏だけを扱う演奏者は一般的に「箏奏者」「箏演奏家」と名乗ることが多い。箏.

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縄文時代

縄文時代(じょうもんじだい)は、約1万5,000年前(紀元前131世紀頃)から約2,300年前(紀元前4世紀頃)、地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発展した時代であり、世界史では中石器時代ないしは、新石器時代に相当する時代である。旧石器時代と縄文時代の違いは、土器の出現や竪穴住居の普及、貝塚の形式などがあげられる。 縄文時代の終わりについては、地域差が大きいものの、定型的な水田耕作を特徴とする弥生文化の登場を契機とするが、その年代については紀元前数世紀から紀元前10世紀頃までで、多くの議論がある。 なお、沖縄県では貝塚時代前期に区分される。次の時代は同地域では貝塚時代後期となり、貝塚文化と呼ばれる。また東北北部から北海道では縄文時代の生活様式が継承されるため、続縄文時代と呼ばれる。.

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登呂遺跡

登呂遺跡(とろいせき)は、静岡県静岡市駿河区登呂五丁目にある、弥生時代の集落・水田遺跡。国の特別史跡に指定されている。 弥生時代後期に属し、1世紀ごろの集落と推定される。「登呂」はこの地域の小字(1973年、住居表示実施により町名にも採用)。.

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須磨琴

(すまこと)とは、一枚の板に一本の弦だけが張られた、単純な構造の一絃琴である。芦管と呼ばれる長短2本の爪を指先にはめて演奏する。その起源には複数の説が存在するが、最も有名なのは、六歌仙の一人として知られる在原業平の兄である在原行平が平安時代、文徳天皇時に須磨に流された際、寂しさを紛らわすために、浜辺に流れ着いた木片から、後に須磨琴と呼ばれる一絃琴を製作したと伝えられている説である。須磨琴はまた板琴、独絃琴、一つ緒の琴という名でも知られている。1965年に神戸市須磨区の上野山福祥寺、通称須磨寺において須磨琴保存会が発足した。.

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魔術

術(まじゅつ)とは、仮定上の神秘的な作用を介して不思議のわざを為す営みを概括する用語である。魔法(まほう)とも。 人類学や宗教学の用語では呪術という。魔術の語は手品(奇術)を指すこともある。.

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近江国

近江国(おうみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.

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薫(かおる)は、紫式部の物語『源氏物語』に登場する架空の人物。いわゆる第三部「宇治十帖」の中心人物の一人。薫の君(かおるのきみ)、薫大将(かおるだいしょう、かおるのたいしょう)とも。「薫」は本名ではなく、生まれつき身体にえもいわれぬ芳香を帯びていたことに因む通称。 表向きは光源氏の次男(実は柏木の長男)。母は源氏の正妻・女三宮。.

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醍醐天皇

醍醐天皇(だいごてんのう、元慶9年1月18日(885年2月6日)- 延長8年9月29日(930年10月23日))は、平安時代の第60代天皇(在位:寛平9年7月13日(897年8月14日)- 延長8年9月22日(930年10月16日))。臣籍の身分として生まれた唯一の天皇で、はじめ源 維城(みなもと の これざね)といった。のち父の即位とともに皇族に列し親王宣下ののちに敦仁(あつぎみ・あつひと)に改めた。 宇多天皇の第一皇子。母は内大臣藤原高藤の女藤原胤子。養母は藤原温子(関白太政大臣基経の女)。.

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臣籍降下

臣籍降下(しんせきこうか)は、皇族がその身分を離れ、姓を与えられ臣下の籍に降りることをいう。賜姓降下(しせいこうか)とも言い、そのような皇族を俗に賜姓皇族という。皇族女子が臣下に嫁すことで皇族でなくなる場合は臣籍降嫁(しんせきこうか)とも言った。また日本国憲法施行後は皇籍離脱(こうせきりだつ)の語が用いられる。.

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蛍兵部卿宮

蛍兵部卿宮(ほたるひょうぶきょうのみや)は、紫式部が著した小説『源氏物語』に登場する架空の人物である(藤壺の兄の兵部卿宮とは別人)。「蛍」の主要人物であることからこの名で呼ばれる。 桐壺帝の皇子で、朱雀帝、光源氏の異母弟(恐らく第三皇子か)。「花宴」で帥宮として登場、「少女」で藤壺の兄宮が式部卿宮となった後を襲い兵部卿宮となる。 当代きっての風流人として知られ、「絵合」「梅枝」などで判者をつとめた他、管弦の場面でもたびたび登場する。兄弟の中でも源氏とは特に仲がよく、源氏の不遇な時代にも交流を断たなかったこともあって(「須磨」)、その後も親しく交際を続けた。 最初の正妻は桐壺帝の右大臣の娘(弘徽殿大后・朧月夜の姉妹。つまり頭中将とは相婿である)で、早くに死別。しばらく独身を通した後、「胡蝶」で源氏の養女玉鬘に求婚する。「蛍」で源氏の悪戯により玉鬘の艶やかな姿を目の当たりにした逸話は有名で、その後も文を取り交わしていたが、髭黒に奪われ思いは叶わなかった。その後女三宮の婿候補にも挙がったが果たせず、結局真木柱(髭黒の娘、式部卿宮の孫)を後妻としたものの、夫婦仲は芳しくなかった(「若菜下」)。「幻」で紫の上を失い傷心の源氏を見舞ったのが最後の登場で、「紅梅」で既に死去していたことが知られる。 子女は息子二人(「若菜下」に登場、母は不明)と娘(宮の御方、母は真木柱。「紅梅」に登場)がいる。最初の正妻を愛して死後も懐かしんだが、他にも通う女性や召人なども多かったらしい(「胡蝶」)。.

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東京

西新宿東京スカイツリー/レインボーブリッジ渋谷/国会議事堂 東京(とうきょう、)は、日本の関東平野中央部の東京湾に面する都市、あるいは都市圏であり、江戸幕府の所在地・江戸が慶応4年7月(1868年9月)に「東京」に名称変更されたものである。 明治2年3月28日に、日本の都(みやこ)が京都から「東京」に遷された。そして現在の日本の事実上の首都である。 現在の東京は世界都市であり、都市圏として世界最大の人口・経済力を擁している。.

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村上天皇

村上天皇(むらかみてんのう、延長4年旧6月2日(926年7月14日)- 康保4年旧5月25日(967年7月5日))、は、平安時代中期の第62代天皇(在位:天慶9年(946年)旧4月28日 - 康保4年(967年)旧5月25日)。諱は成明(なりあきら)。 第60代醍醐天皇の第十四皇子。母は藤原基経女中宮穏子。第61代朱雀天皇の同母弟。.

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楽器

楽器(がっき、musical instrument)とは一般的には「音楽の素材としての音を発するための道具の総称下中直也(編) 『音楽大事典』 全6巻、平凡社、1981年」「音楽に使用される音を出す器具『音楽中辞典』 音楽之友社、1979年」とされる。.

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河内国

河内国(かわちのくに/かはちのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。畿内に属する。.

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源氏物語

土佐光起筆『源氏物語画帖』より「若紫」。飼っていた雀の子を逃がしてしまった幼い紫の上と、柴垣から隙見する源氏。 朝顔」。雪まろばしの状景。邸内にいるのは源氏と紫の上。 『源氏物語』(げんじものがたり)は、平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説。文献初出は1008年(寛弘五年)。作者の紫式部にとって生涯で唯一の物語作品である物語の他には「紫式部日記」や和歌集の「紫式部集」があり「小倉百人一首」にも和歌が収められている(*)。後に、紫式部の「源氏物語」と「紫式部日記」の2作品は絵画化された。約150年後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」、約200年後の鎌倉時代初期に「紫式部日記絵巻」が制作された。(*)「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」。主人公の光源氏を通して、恋愛、栄光と没落、政治的欲望と権力闘争など、平安時代の貴族社会を描いた上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。紫式部日記。。 下級貴族出身の紫式部は、20代後半で藤原宣孝と結婚し一女をもうけたが、結婚後3年ほどで夫と死別し、その現実を忘れるために物語を書き始めた。これが『源氏物語』の始まりである。最初は、当時紙が貴重で紙の提供者がいれば、その都度書き江戸時代の松永貞徳の源氏物語の写本全54冊(54帖)の1冊1冊の厚みが示すように、紫式部は当初多くの分量は書けず1冊(1帖)の厚みは薄いが、支援者の藤原道長により安定した紙の供給が行なわれて以降は34帖「若菜」のように1冊(1帖)の厚みが急激に増した。上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。(参考)『源氏物語』与謝野晶子訳、各帖の総ページ数より、1帖「桐壷」26、2帖「帚木」44、3帖「空蝉」12、そして、34帖「若菜」上192、下190。(角川文庫 1999年(平成11年)5月10日)所収、仲間内で批評し合うなどして楽しんでいたが紫式部日記より、当初、紫式部は仲間内で意見を言い合ったり手紙のやり取りで批評し合って楽しんでいたことから「最初は現代の同人誌のような楽しみ方だった」。上智大学文学部教授 三田村雅子、NHK 2012年4月4日放送「100分de名著 源氏物語」第1回。NHK出版100分de名著『源氏物語』 (2012/3/24)。、その物語の評判から藤原道長が娘の中宮彰子の家庭教師として紫式部を呼んだ。それを機に宮中に上がった紫式部は宮仕えをしながら藤原道長の支援の下で物語を書き続け、54帖からなる『源氏物語』を完成させた中宮彰子は一条天皇の妻であったが、一条天皇のもう一人の妻であり後に亡くなった藤原定子の家庭教師は清少納言だった。なお、藤原道長の要請で宮中に上がった紫式部は、宮中の様子を中心に書いた「紫式部日記」を残している。。 なお、源氏物語は文献初出から150年ほど後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」として絵画化された 五島美術館。現存する絵巻物の内、徳川美術館と五島美術館所蔵のものは国宝となっている。また現在、『源氏物語』は日本のみならず20ヶ国語を超える翻訳を通じ世界各国で読まれている 総合研究大学院大学教授 伊藤鉃也 日本文学研究専攻。2009年3月時点、刊行されたもの24種類、現在進行中のもの4種類、未確認(あるらしい、というもの)6種類。。.

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末摘花 (源氏物語)

末摘花(すえつむはな)とは、.

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明石の御方

明石の御方(あかしのおんかた)は、紫式部の物語『源氏物語』に登場する架空の人物。「明石の方」「明石の君」とも呼ぶ。しばしば「明石の上」と誤って呼ばれるが、出自の低い側室なので、作中で「上」と呼ばれることは一切ない。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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日吉大社

摂社樹下神社拝殿(右)と東本宮拝殿(左奥)両宮の参道は直交している。 東本宮 本殿(国宝)西本宮本殿と異なり、隅柱上のみに舟肘木を置く。 日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。境内大宮橋は日本百名橋に選定されている。 全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社である。通称として山王権現とも呼ばれる。猿を神の使いとする。西本宮と東本宮を中心とする400,000m2の境内は国の史跡に指定される。社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読んだが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしている。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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1820年

記載なし。

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