ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

古示現流

索引 古示現流

古示現流(こじげんりゅう)は古流剣術の一派。薩摩藩御流儀であった示現流の分派にあたる。しばしば小示現流と混同される。 示現流開祖の東郷重位の外孫の種子島時貞(島津義久の継室の女房・一之臺の養弟・北条時盛の養孫でもある)は示現流の剣技に優れ、独自の創意工夫を加えようとしたが、宗家たる東郷家と対立するに至り、結局独立することになった。時貞は己の剣術には重位の孫として秘伝が伝わると称した。彼が創意工夫を加えた示現流は古示現流と呼ばれた。 古示現流が示現流や小示現流と混同されることが多かったためか、『本藩人物誌』や「称名墓誌」では時貞が稲富流砲術や馬術の皆伝であったことには触れられているが、古示現流の祖であることは記されていない。 時貞の弟子・帆足親次は古示現流の奥義を極め、多くの弟子が集まった。このため、この流派は帆足流とも呼ばれた。さらに帆足親次の孫弟子・中原喜左衛門の代には中原流とも呼ばれた。 Category:剣術流派 Category:鹿児島県の歴史.

11 関係: 外孫小示現流島津義久一之臺 (種子島氏)北条時盛剣術砲術示現流種子島時貞馬術東郷重位

外孫

外孫(がいそん)は、父系制の家族制度のもとで、他家に嫁いだ娘が生んだ子のこと。「そとまご」とも言う。 戦後の日本においては、内孫(嫡孫)と外孫の違いはあまり意識されることはなく、外孫の語が用いられることも少ない。.

新しい!!: 古示現流と外孫 · 続きを見る »

小示現流

小示現流(こじげんりゅう)は薩摩藩に伝承した古流剣術の一派。示現流の分派である。しばしば古示現流と混同される。 示現流の三代目宗家である東郷重利は、四代目となるべき東郷実満(重治)が若いうちに重い痛風を患い、事実上一子相伝が不可能となってしまった。 そこで、代わって高弟の伊集院久明に一子相伝を授け、実満成長の折に久明より相伝することとした。 実満が成長するに及び、伊集院久明は改めて東郷家に一子相伝を伝えた。 これにより事実上の示現流四代目の役割を果たした久明の名声は高まった。また、久明自身も弟子を取っており、以降、伊集院家が家伝として伝える示現流は小示現流とも呼ばれることとなった。久明の剣術は次男の俊国が継承する。 示現流系の流派としては、比較的薩摩藩外に伝わることが多かった流派で、日向の諸藩でも伝えられていた。 幕末の師範は伊集院鴨居で、桐野利秋や田中謙助は門人だったといわれる。.

新しい!!: 古示現流と小示現流 · 続きを見る »

島津義久

島津 義久(しまづ よしひさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。薩摩国の守護大名・戦国大名。島津氏第16代当主。 島津氏の家督を継ぎ、薩摩・大隅・日向の三州を制圧する。その後も耳川の戦いにおいて九州最大の戦国大名であった豊後国の大友氏に大勝し、また沖田畷の戦いでは九州西部に強大な勢力を誇った肥前国の龍造寺氏を撃ち破った。 義久は優秀な3人の弟(島津義弘・歳久・家久)と共に、精強な家臣団を率いて九州統一を目指し躍進し、一時は筑前・豊後の一部を除く九州の大半を手中に収め、島津氏の最大版図を築いた。しかし、豊臣秀吉の九州征伐を受け降伏し、本領である薩摩・大隅2ヶ国と日向諸県郡を安堵される。豊臣政権・関ヶ原の戦い・徳川政権を生き抜き、隠居後も家中に強い政治力を持ち続けた。.

新しい!!: 古示現流と島津義久 · 続きを見る »

一之臺 (種子島氏)

一之臺(いちのだい、天文6年(1537年) - 元和5年(1619年))は安土桃山時代から江戸時代の武家の女性で、島津氏当主島津義久の継室妙連夫人(種子島時尭の娘)の女房。種子島氏庶流国上能登守時通の娘。本名不詳。義久継室亡き後に義久より、その大奥の治令を掌握するように命じられる。その後、多年の功労を賞して、小濱村に1千石の采地を与えられる。一之臺が死去すると所領の小濱村に見隆寺が建立される。 義久より伊勢長門守貞清の次男(つまり伊勢貞昌や東郷重尚の従兄弟)を養育することを許可され、一之臺の養弟となり、北条主水佐時盛と称して、一之臺の名跡を相続する。その養孫の十郎(和田讃岐正貞と東郷肥前重信の娘との子)の代の寛文6年(1666年)に家嫡の種子島久時の命で種子島氏に復し、種子島次郎右衛門時貞と称すという。時貞は稲富流砲術や弓馬術(馬術とも)で有名だが、古示現流の祖であるともいう。.

新しい!!: 古示現流と一之臺 (種子島氏) · 続きを見る »

北条時盛

北条 時盛(ほうじょう ときもり)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将。北条氏の一門。鎌倉幕府の初代連署・北条時房の長男。佐介流北条氏の祖。佐介 時盛(さすけ ときもり)とも称される。 弟に大仏流の祖・朝直などがいるが、彼らとは異腹であり、時盛は「庶兄」であったのではないかという見解がある。.

新しい!!: 古示現流と北条時盛 · 続きを見る »

剣術

剣術(けんじゅつ)は、日本における刀剣(日本刀)で戦う武術である。.

新しい!!: 古示現流と剣術 · 続きを見る »

砲術

術(ほうじゅつ).

新しい!!: 古示現流と砲術 · 続きを見る »

示現流

島津斉興 示現流(じげんりゅう)とは、薩摩藩を中心に伝わった古流剣術。流祖は東郷重位。現在の宗家は13代東郷重賢。 薩摩藩内では江戸後期に島津斉興より御流儀と称され、分家の佐土原藩を除き、藩外の者に伝授することを厳しく禁じられていた御留流である。近隣諸藩にも示現流を称する流派が存在するが、それらが単なる借名か、それとも藩を致仕した元門人による伝授など示現流と関連があったのかどうかは、熊本藩に伝わっていた寺見流以外は多くが失伝しているために不明である。興味深いのは「示現流」の源流の1つである天真正自顕流発祥の地である関東の笠間藩に「回帰」した流れから、佐土原藩経由で延岡藩に伝わり、延岡藩主だった牧野家が常陸の笠間に転封になったことから、笠間まで伝わったようである。.

新しい!!: 古示現流と示現流 · 続きを見る »

種子島時貞

子島 時貞(たねがしま ときさだ、元和6年8月11日(1620年9月7日) - 延宝6年12月28日(1679年2月9日))は、江戸時代初期の薩摩藩の武士。通称は十郎、後に二(「次」という場合も)郎右衛門。 示現流開祖の東郷重位の娘と和田讃岐守正貞との長男として生まれ、島津義久の女房一之臺の養甥で、種子島氏庶流国上氏の分家である北条甚四郎時住の養子となる。このため、初めは「北条二郎右衛門」と称しており、「万治2年高帳写」でも『北条次郎右衛門』と記載されている。後に種子島氏嫡家の種子島久時の命で北条氏から種子島氏に改姓するという。北郷久利より稲富流砲術を皆伝し、川上久慶より弓馬術を皆伝する。弓馬術では徳川家光台覧の犬追物に参加する程の腕で江戸城に呼ばれて小袖二重を拝領した一人となる。砲術については子孫が代々相伝し、門人もいた。なお、古示現流の開祖とも言われるが、古示現流が示現流や小示現流と混同されることもあってか、時貞の弓馬術や砲術ほど知られていない。藩職は久志秋目地頭を勤める。家督と砲術は長男種子島時春が継承する。墓所は日蓮宗八品派の正建寺で法号は『称名墓誌』では『本(一字欠き)院貞(一字欠き)日覚居士』とある。.

新しい!!: 古示現流と種子島時貞 · 続きを見る »

馬術

場馬術 馬術(ばじゅつ)は馬に騎乗して運動の正確さ、活発さ、美しさなどを目指すスポーツ、技術体系、また競技種目である。.

新しい!!: 古示現流と馬術 · 続きを見る »

東郷重位

東郷 重位(とうごう ちゅうい / しげかた、永禄4年(1561年) - 寛永20年6月27日(1643年8月11日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・剣豪。島津氏(薩摩藩)の家臣。示現流剣術の流祖。幼名は弥十郎、通称は藤兵衛、のち長門守、和泉守、越前守、肥前守を名乗った。諱の重位は、示現流では口伝では「ちゅうい」とする。.

新しい!!: 古示現流と東郷重位 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »