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前田直信

索引 前田直信

前田 直信(まえだ なおのぶ、天保12年閏1月5日(1841年2月25日) - 明治12年(1879年)12月9日)は、幕末の加賀藩における加賀八家筆頭前田土佐守家の第10代当主。第8代当主前田直良の長男。母は篠井氏。子は前田信兆、前田直行。 嫡男であったが、藩主前田斉泰の子静之介が養子として入ってきたため、母の実家に養子に出される。1856年、元服して前田直会と名乗っていた静之介が亡くなったため、呼び戻され家督を相続する。藩主斉泰が将軍徳川家茂に供奉して上洛する際には供を務めたり、京都守衛の藩兵を率いて上洛した。率兵上洛時には正確な情勢認識のもと文書を出しており、家臣に対しても町人とのトラブルを避けるよう注意を喚起している。 大政奉還後は加賀藩大参事、明治維新後は尾山神社の祀官となり祖霊に仕えた。 Category:幕末加賀藩の人物 なおのふ Category:1841年生 Category:1879年没.

22 関係: 加賀藩大参事大政奉還天保尾山神社幕末徳川家茂元服前田信兆前田土佐守家前田直会前田直行前田直良前田斉泰明治明治維新12月9日1841年1856年1879年1月5日 (旧暦)2月25日

加賀藩

金沢城石川門(重文) 加賀藩(かがはん)は、江戸時代に加賀、能登、越中の3国の大半を領地とした藩。藩祖前田利家の妻である芳春院(まつ)の死後、芳春院の化粧料(婦女に対して生活補助として与えられた領地(石高))だった近江弘川村(現在の滋賀県高島市今津町)を飛び地として加える。.

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大参事

大参事(だいさんじ)は、明治時代初期の府藩県三治制の時期に置かれた、地方官の長官に次ぐ官職。現在の副知事、幕藩体制における家老に相当する。 明治2年、版籍奉還後の官制改正で、知事(知府事・知藩事・知県事)の下に正・権の大参事を置くと定められた(県には権官はなし)。 諸藩の正・権大参事は、公議人を兼任することとされ、公議所が廃止された後は、いずれか1名が集議院の議員となった。 明治4年、廃藩置県に伴う府県官制の制定によって、府県には参事が置かれることとなり、大参事の官職は廃止された。 Category:明治時代の政治 Category:日本の地方自治の歴史 Category:明治維新.

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大政奉還

大政奉還(たいせいほうかん)とは、江戸時代末期の慶応3年10月14日(1867年11月9日)に江戸幕府第15代将軍徳川慶喜が政権返上を明治天皇に奏上し、翌15日に天皇が奏上を勅許した政治的出来事である。 「大政奉還図」これは「10月13日に二条城において将軍・徳川慶喜が諸藩重臣に大政奉還を諮問した様子を描いた絵」であり「慶喜が明治天皇に大政を奉還している様子を描いた絵」ではない。 邨田丹陵.

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天保

天保(てんぽう)は日本の元号の一つ。文政の後、弘化の前。1831年から1845年までの期間を指す。この時代の天皇は仁孝天皇。江戸幕府将軍は徳川家斉、徳川家慶。.

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尾山神社

尾山神社(おやまじんじゃ)は、石川県金沢市に所在する神社。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。 主祭神は、加賀藩の藩祖前田利家で、創建は1873年。旧社格は、別格官幣社。境内摂社に歴代藩主を祀った金谷神社がある。神門は津田吉之助によって建てられたもので、重要文化財に指定されている。例祭は利家の命日である4月27日。.

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幕末

幕末(ばくまつ)は、日本の歴史のうち、江戸幕府が政権を握っていた時代(江戸時代)の末期を指す。本記事においては、黒船来航(1853年)から戊辰戦争(1869年)までの時代を主に扱う。.

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徳川家茂

徳川 家茂(とくがわ いえもち)は、江戸幕府第14代征夷大将軍。初めは第12代将軍・徳川家慶の偏諱を賜って慶福(よしとみ)と名乗っていた。 実父・徳川斉順は家慶の異母弟で、家茂は第13代将軍・家定の従弟にあたる。将軍就任の前は徳川御三家紀州藩第13代藩主。 徳川斉順(清水徳川家および紀州徳川家の当主)の嫡男流産した兄がいたため次男とみなされることもある。だが、父は家茂が生まれる前に薨去している。祖父は第11代将軍徳川家斉、祖母は妙操院。御台所は孝明天皇の皇妹・親子内親王(静寛院宮)。第13代将軍・徳川家定の後継者問題が持ち上がった際、家定の従弟にあたる慶福は徳川氏の中で将軍家に最も近い血筋であることを根拠に当時慶福よりも血筋が近い者として家定の叔父にあたる美作津山藩主松平斉民と阿波徳島藩主蜂須賀斉裕がいたが、徳川家を出て他家の養子となっていたためどちらも将軍後継者としてみなされなかった。皮肉なことに、この両者とも家茂より長生きし、実子を儲けている。、大老で譜代筆頭の彦根藩主井伊直弼ら南紀派の支持を受けて13歳で第14代将軍となった。.

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元服

元服(げんぶく、げんぷく)とは、奈良時代以降の日本で成人を示すものとして行われた儀式。通過儀礼の一つである。 「元」は首(=頭)、「服」は着用を表すので、「頭に冠をつける」という意味。加冠とも初冠(ういこうぶり)とも言われる。なお、公家の女子の成人式は裳着(もぎ)と言う。民間においては褌親(へこおや・ふんどしおや)の元で、初めてふんどしを付け、性に関する知識を授かる褌祝(ふんどしいわい)と呼ばれる儀式がある。.

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前田信兆

前田 信兆 (まえだ のぶよし、文久元年(1861年) - 昭和9年(1934年)) は、加賀藩出身の士族。裁判官。 父は加賀藩年寄前田直信。弟は男爵前田直行。子は前田彰、前田健次郎。通称孫八郎。位階は正四位。.

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前田土佐守家

前田土佐守家(まえだとさのかみけ)は、前田利家の二男前田利政を家祖とする加賀藩重臣の家系である。大名であった利政は、関ヶ原の戦いでは東軍への出兵を拒否したことにより改易となった。直之の代に前田利常に仕えて加賀八家の筆頭となり、以後、代々筆頭重臣の地位を占めた(加賀八家は家老ではなく、より格上の存在である)。家禄は1万1,000石であり、加賀八家の中で最も少ない。 土佐守家は、藩主家の前田氏や、同じく加賀藩重臣で藩祖利家の女婿でもある前田長種を祖とする前田氏との区別の為もあり、歴代当主の内4人が土佐守を叙任されていることに因んで称され、別に「直之系前田家」とも称される。近江国にあった芳春院の化粧領を知行地としたため、近江守に叙任されることもあった。定紋は「瓜輪に梅鉢」。明治に至り、直行が男爵を授けられて華族に列した。現在も家系は存続している。.

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前田直会

前田 直会(まえだ なおより、弘化4年8月24日(1847年10月3日) - 安政3年2月13日(1856年3月19日))は、江戸時代後期の加賀八家筆頭前田土佐守家の第9代当主で、第8代当主前田直良の養子。実父は加賀藩13代藩主前田斉泰。母の名は不明。通称は静之介。旧字体表記は直會。 わずか1歳にして直良の養子となり、養父よりさらに幼い5歳にして家督を継承する。1856年、10歳で夭折した。 Category:加賀藩士 なおより なおより Category:1847年生 Category:1856年没.

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前田直行

前田 直行(まえだ なおつら、慶応2年9月7日(1866年10月15日) - 昭和18年(1943年)3月10日)は、明治・大正期の華族。前田土佐守家の第11代当主。.

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前田直良

前田 直良(まえだ なおさだ、文政3年10月12日(1820年11月17日) - 嘉永4年4月6日(1851年5月6日))は江戸時代の人物。加賀八家筆頭前田土佐守家の8代目当主。父は7代目当主前田直時。母の名は不明。長男は前田直信。幼名は初丸。正室は奥村栄実の娘。官位は従五位下近江守。 父が若くして亡くなったため、9歳という幼年で家督を相続するが、父への藩主前田斉広の信頼が篤かったため、また奥村栄実の後見もあって無事職を務め上げている。父同様経済に明るかったようである。嘉永4年(1851年)、参勤交代の途上で病を発し、江戸で急逝した。遺書はあらかじめ書かれていたため家督その他の問題については何事もなかったが、周囲は相当に混乱した。現存する覚書に当時の混乱ぶりが記録されている。 なおさた Category:加賀藩士 Category:1820年生 Category:1851年没.

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前田斉泰

前田 斉泰(まえだ なりやす)は、加賀藩の第12代藩主。加賀前田家13代。第11代藩主前田斉広の長男。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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明治維新

Le Monde illustré』1869年2月20日刊行号内の挿絵。 明治維新(めいじいしん、Meiji Restoration, Meiji Revolution)とは、明治時代初期の日本が行った大々的な一連の維新をいう。江戸幕府に対する倒幕運動から明治政府による天皇親政体制への転換と、それに伴う一連の改革を指す。その範囲は、中央官制・法制・宮廷・身分制・地方行政・金融・流通・産業・経済・文化・教育・外交・宗教・思想政策など多岐に及んでいるため、どこまでが明治維新に含まれるのかは必ずしも明確ではない。.

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12月9日

12月9日(じゅうにがつここのか)は、グレゴリオ暦で年始から343日目(閏年では344日目)にあたり、年末まであと22日ある。.

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1841年

記載なし。

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1856年

記載なし。

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1879年

記載なし。

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1月5日 (旧暦)

旧暦1月5日(きゅうれきいちがついつか)は旧暦1月の5日目である。六曜は大安である。.

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2月25日

2月25日(にがつにじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から56日目にあたり、年末まであと309日(閏年では310日)ある。.

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