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切韻

索引 切韻

『切韻』(せついん)とは、隋の文帝の仁寿元年(601年)の序がある、陸法言によって作られた韻書。唐の科挙の作詩のために広く読まれた。最初は193韻の韻目が立てられていた。

目次

  1. 34 関係: 劉臻反切大中祥符天宝 (唐)中古音中宗 (唐)一切経音義 (慧琳)平水韻広韻仁寿 (隋)北宋周祖謨唐韻唐蘭儀鳳元和 (唐)四声石井望礼部韻略神龍 (唐)科挙韻書顧炎武顔之推高昌区開元開皇集韻陸法言楊堅敦煌

  2. 7世紀の中国語書籍
  3. 中国語辞典
  4. 隋朝
  5. 音韻学

劉臻

劉 臻(りゅう しん、527年 - 598年)は、南朝梁から隋にかけての学者。両漢書に精通して、漢聖と称された。字は宣摯。本貫は沛国相県。

見る 切韻と劉臻

反切

『説文解字』艸部、大徐本系の一篆一行本。下についている反切は唐韻による 反切(はんせつ)は、漢字の発音を示す伝統的な方法のひとつ。2つの漢字を用い、一方の声母と、他方の韻母および声調を組み合わせて、その漢字の音を表す。

見る 切韻と反切

大中祥符

大中祥符(たいちゅうしょうふ)は、宋の真宗趙恒の治世に行われた3番目の年号。1008年 - 1016年。

見る 切韻と大中祥符

天宝 (唐)

天宝(てんぽう)は、中国・唐の玄宗の治世後半に使用された元号。742年 - 756年。

見る 切韻と天宝 (唐)

中古音

中古音(ちゅうこおん)は、音韻学上、南北朝時代後期から、隋・唐・五代・宋初にかけて使用された中古中国語の音韻体系。南北朝後期、隋から唐代初期の中古音を前期中古音、唐代中期から五代・宋にかけての中古音を後期中古音に分ける。中古音で重要なのは前期中古音なので、その中心となる時代から隋唐音と呼ばれることもある。狭義としては、中古音の復元の中心となる『切韻』に示されている音韻体系を指す。 中古音は、『切韻』などの韻書や韻図、現代中国語の諸方言、日本語・朝鮮語・ベトナム語など周辺言語の漢字音の研究から推定される。

見る 切韻と中古音

中宗 (唐)

中宗(ちゅうそう)は、唐の第4代・第6代皇帝。諱は顕。

見る 切韻と中宗 (唐)

一切経音義 (慧琳)

『一切経音義』(いっさいきょうおんぎ)は、元和2年(807年)に慧琳(えりん)が著した大蔵経の仏典に出てくる難語や梵語などの外国語の意味や発音を記した音義書。全100巻。『一切経音義』という名の書には玄応によるものもあるため、区別のために『慧琳音義』と呼ばれることが多い。 従来の書と異なって唐代中期の長安の音を記しており、当時の中国語の発音を知るために重要な書である。

見る 切韻と一切経音義 (慧琳)

平水韻

平水韻(へいすいいん、ひょうすいいん)は、 漢詩の押韻に使われる106韻。一般に詩韻(しいん)と呼ばれるものはこの平水韻を指す。『切韻』系の韻書を整理したもので、中古音の音韻体系を表している。上平声15韻、下平声15韻、上声29韻、去声30韻、入声17韻の計106韻。

見る 切韻と平水韻

広韻

『広韻』(こういん、旧字体:廣韻)は、北宋の大中祥符元年(1008年)に陳彭年(ちんほうねん)らが先行する『切韻』『唐韻』を増訂して作った韻書。正式名称は『大宋重修広韻』。 『切韻』系韻書の一つであり、清代に再発見されて以降、古音を知るための重要な書として利用されてきた。またベルンハルド・カールグレンによる中古音の復元にも利用された。『広韻』以前の切韻系韻書は長く失われていたが、第二次大戦後に王仁昫『刊謬補欠切韻』の完本が発見された。

見る 切韻と広韻

仁寿 (隋)

仁寿(じんじゅ)は、隋の文帝楊堅の治世に行われた2番目の元号。601年 - 604年。

見る 切韻と仁寿 (隋)

北宋

北宋(ほくそう、拼音:Běisòng、960年 - 1127年)は、中国の王朝。趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建てた。国号は宋であるが、金に開封を追われて南遷した後の南宋と区別して北宋と呼び分けている。北宋期の首都は開封であった。 北宋と南宋とでは華北の失陥という大きな違いがあるが、それでも社会・経済・文化は継続性が強く、その間に明確な区分を設けることは難しい。そこで区分しやすい歴史・制度・国際関係などは北宋・南宋の各記事で解説し、区分しにくい分野を宋で解説することにする。

見る 切韻と北宋

周祖謨

周祖謨(しゅう そぼ、1914年11月19日 – 1995年1月14日)は、中国の言語学者。近代的な言語学の理論を使用せず、中国の音韻学・訓詁学の伝統にとどまっていたが、その範囲内できわめて質の高い研究を行った。

見る 切韻と周祖謨

唐(とう、、618年 - 907年)は、中国の王朝。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国であり、中央アジアや東南アジア、北東アジア諸国(朝鮮半島や渤海、日本など)に政制・文化などの面で多大な影響を与えた。首都は長安に置かれた。

見る 切韻と唐

唐韻

『唐韻』(とういん)は、中国唐代に孫愐によって編纂された『切韻』の修訂本。751年成書といわれるが、733年という説もある。 早くに散佚し現在に伝わらないが、宋代に『唐韻』を更に修訂した『大宋重修広韻』が編まれている。 清の卞永誉(中国語版)『式古堂書画彙考』に引く唐元和年間『唐韻』写本の序文と各巻韻数の記載によると、全5巻、韻目は195韻であったとされる。この数は王仁昫『刊謬補缺切韻』に等しいが、韻の配列や内容まで等しかったかどうかはわからない。 蒋斧旧蔵本『唐韻』残巻(去声の一部と入声が残る)が現存するが、韻の数が卞永誉の言うところとはかなり異なっており、元の孫愐本からどの程度の改訂を経ているのかはよくわからない。ほかに敦煌残巻(P2018、平声「東・冬・鍾」の一部)も残る。

見る 切韻と唐韻

唐蘭

唐 蘭(とう らん、1901年 - 1979年1月11日)は、中国の古文字学者・歴史学者。

見る 切韻と唐蘭

儀鳳

儀鳳(ぎほう)は、唐の高宗李治の治世に使用された元号。676年 - 679年。

見る 切韻と儀鳳

元和 (唐)

元和(げんわ)は、中国・唐の憲宗の治世で使用された元号。806年8月 - 820年12月。

見る 切韻と元和 (唐)

四声

四声(しせい)とは、中国語の声調を、中古漢語の調類に基づいての4種類に分類したもの。音韻学では平声(へいせい、ひょうせい、ひょうしょう)・上声(じょうせい、じょうしょう)・去声(きょせい、きょしょう)・入声(にゅうせい、にっしょう)をいう。 現代中国語の北方官話を基礎とした普通話の声調も四つあるがゆえに「四声」と呼ばれることがあるが、中古漢語のものとは異なり、元の入声は失われて平声が二つに分かれ、陰平(第一声)・陽平(第二声)・上声(第三声)・去声(第四声)をいう。

見る 切韻と四声

石井望

石井 望(いしい のぞむ、正仮名遣: いしゐ のぞむ、1966年〈昭和41年〉 - )は、日本の漢文学者、言語学者。長崎純心大学人文学部准教授。専門は尖閣前史、元曲崑曲音楽、崑曲字音、漢文圏音律、蘇州語、漢字等韻学、長崎唐学、漢文教育、漢文文明論。

見る 切韻と石井望

礼部韻略

『礼部韻略』(れいぶいんりゃく)は、中国宋代に編纂された韻書の一つ。景祐4年(1037年)、『集韻』とともに丁度らによって勅撰された。5巻。韻目は206韻。9590字を収録。「礼部」とは科挙(国家官吏登用試験)を監督していた役所であり、『礼部韻略』はもっぱら科挙試験のための参考書として作られた簡略版の韻書である。

見る 切韻と礼部韻略

神龍 (唐)

神龍(しんりゅう)は、武周の武則天及び唐の中宗李顕の治世に使用された元号。705年 - 707年。

見る 切韻と神龍 (唐)

科挙

科挙(かきょ、、)とは、中国で598年 - 1905年、すなわち隋から清の時代まで、約1300年間にわたって行われた官僚登用試験これを官吏登用試験とするのは誤りである。科挙時代の中国においては「官」と「吏(胥吏)」は全く異なる存在である。である。同様の制度は中国だけでなく、朝鮮、ベトナムにも普及した。 科挙の合格者発表(放榜) 貢院の号舎 科挙の競争率は非常に高く、時代によって異なるが、最難関の試験であった進士科の場合、最盛期には約3000倍に達することもあったという。最終合格者の平均年齢も、時代によって異なるが、おおむね36歳前後と言われ、中には曹松などのように70歳を過ぎてようやく合格できた例もあった老年になって科挙に合格した人物の有名な例として、南宋時代の詹義という人物は科挙に合格した記念に『登科後解嘲』と題する詩を自作し、彼はその中で50年前には23歳だった(つまり合格時の年齢は73歳)と自虐的に語っている。

見る 切韻と科挙

隋(呉音: ずい、漢音: すい、 swěɪ、581年 - 618年)は、中国の王朝である。魏晋南北朝時代の混乱を鎮め、西晋が滅んだ後分裂していた中国をおよそ300年ぶりに再統一した。しかし第2代煬帝の失政により滅亡し、その後は唐が中国を支配するようになる。都は大興城(現在の中華人民共和国西安市)。国姓は楊。開祖楊堅は後漢代の有名な官僚の楊震の子孫にあたるというが、これには疑義が多い(詳しくは楊堅#出自についてを参照)。

見る 切韻と隋

韻書

韻書(いんしょ)とは、漢字を韻によって分類した書物。元来、詩や詞、曲といった韻文を作る際に押韻可能な字を調べるために用いられたものであるが、音韻は押韻の必要以上に細かく分類されており、字義も記されているので、字書などの辞典のもつ役割も果たした。 韻とは声母(頭子音)・介音(半母音)を除いた音節後半部(主母音+韻尾)とかぶせ音韻である四声の違いを区別したもので、たとえば『広韻』では206韻の韻目(押韻可能な韻の類別。代表字によって~韻と呼ばれる)が立てられ、同韻内では声類、等呼の違いによる小韻(完全に声母・韻母・声調を同じくするグループ)によって漢字が分類されている。

見る 切韻と韻書

顧炎武

顧 炎武(こ えんぶ、万暦41年5月28日(1613年7月15日) - 康熙21年1月9日(1682年2月15日))は、中国明代末期から清代初期(明末清初)の儒学者。明の滅亡に際して反清運動に参加した。経学や史学の傍ら、経世致用の実学を説いた。清朝考証学の祖の一人。

見る 切韻と顧炎武

顔之推

顔 之推(がん しすい、531年 - 590年頃)は、中国の南北朝時代末期の学者。字は介。本貫は琅邪郡臨沂県。顔之儀の弟。

見る 切韻と顔之推

高昌区

高昌区(こうしょう-く)は、中華人民共和国新疆ウイグル自治区トルファン市に位置する市轄区。トルファン盆地の中央に位置する。古くより交通の要所であり、シルクロードの要衝として栄えた。現在は観光都市となっている。

見る 切韻と高昌区

開元

開元(かいげん)は、中国・唐代の元号のひとつ。玄宗の治世に行われた。 この時期は、玄宗の治世の前半にあたり、「開元の治」と呼ばれ唐の絶頂期と評価されている。

見る 切韻と開元

開皇

開皇(かいこう)は、隋の文帝楊堅の治世に行われた年号。隋朝最初の年号。 581年 - 600年。

見る 切韻と開皇

集韻

『集韻』(しゅういん)は、宋代に作られた韻書の一つ。景祐6年(1039年)丁度らによって作られた勅撰の韻書である。平声4巻・上声2巻・去声2巻・入声2巻の全10巻。 『広韻』の206韻を踏襲しているが、順序や韻字に一部違いがみられる。諸橋轍次の『大漢和辞典』の主な反切は集韻によっている。

見る 切韻と集韻

陸法言

陸 法言(りく ほうげん、生没年不詳)は、中国・隋代の音韻学者。本貫は魏郡臨漳県。法言は字であり、名は詞または慈という。陸爽の子で、稽胡人である。

見る 切韻と陸法言

楊堅

楊 堅(よう けん、541年7月21日 - 604年8月13日)は、中国の隋の初代皇帝(在位:581年3月4日 - 604年8月13日)。小名は那羅延。諡は文皇帝、廟号は高祖。文帝(ぶんてい)と称される。 疑い深い性格だったが、有能な官僚を用いて内政につとめ,科挙を創始して中央集権体制を確立し、約300年ぶりに中国全土を統一した。その治世は〈開皇の治〉と言われ、後継の唐王朝からも評価される。中国の皇帝の中で名君の一人とされる。

見る 切韻と楊堅

清(しん)、または清国(しんこく)は、1636年に満洲に建国され、漢民族を征圧し1644年から1912年まで中国本土とモンゴル高原を支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に順天府(北京)に置かれた。満洲人のアイシンギョロ氏(満洲語:, 転写:aisin gioro, 愛新覚羅氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。清朝、満清、清王朝、大清国、大清帝国ともいう。 清の影響圏 1917年に張勲が清の最後の皇帝、溥儀を皇帝に立てて清国を復古させたが失敗した(張勲復辟)。

見る 切韻と清

敦煌

敦煌(とんこう)は、中国の地名、またはそれを題名に冠した創作物。

見る 切韻と敦煌

参考情報

7世紀の中国語書籍

中国語辞典

隋朝

音韻学