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会典

索引 会典

会典(かいてん、満洲語:uheri kooli bithe)は政治書の一種で、法令や典章を記録したもの。 会典の語は明代から見うけられ「典章会要」を意味する。会典の多くは当該王朝の官撰による。同じく政治書である会要との最大の違いは「職官」の項目があることで、中央と地方の制度の沿革を記録している。現存している会典に『唐六典』『元典章』『明会典』『大清会典(daicin gurun i uheri kooli bithe)』がある。 最初の会典は『唐六典』であり、玄宗の開元10年(722年)から編纂された。『周礼』の分類に従って、理典・教典・礼典・政典・刑典・事典の六部からなり、開元26年(738年)に30巻が成立した。明の弘治10年(1497年)に『唐六典』にならって『明会典』が制定が命じられ、正徳6年(1511年)に180巻が完成した。その後、万暦年間に改訂増補が行われて290巻とされた(増補前のものを『正徳会典』、増補版を『万暦会典』とも称する)。

目次

  1. 16 関係: 大元聖政国朝典章大清会典万暦乾隆康熙会要弘治 (明)嘉慶 (清)周礼光緒玄宗 (唐)開元雍正正徳 (明)満洲語

大元聖政国朝典章

『大元聖政国朝典章』(だいげんせいせいこくちょうてんしょう)は、中国元代に政府が編纂した政治書。略称は元典章(げんてんしょう)。第5代カアンクビライから第9代シデバラまでの約60年間に行われた地方統治、経済、軍事、法令について記載されており、裁判等での判例としても使用された。『元史』に記載されていない情報も書かれている。 まず始めに出された正集60巻は、分詔令(1巻)、聖政(2巻)、朝綱(1巻)、台綱(2巻)、吏部(8巻)、戸部(13巻)、礼部(6巻)、兵部(5巻)、刑部(19巻)、工部(3巻)の計10門、373目という構成で、1260年から1320年までの情報が記載されている。その後に出された『新集至治条例』は典章部分に関する増補であり、国典、朝綱、吏、戸、礼、兵、刑、工の8門から成り、1322年までの情報が書かれている。現存するのは元代の福建で作られたものであり、台北の国立故宮博物院にある。しかし奥付等が無いために正確な刊行年は不明である 。 清代の1908年、董康が北京法律学堂から復刻しているが(沈刻本)誤字誤植が極めて多く、1931年に陳垣が作った『元典章校補』10巻を参照しなければ読めない。1976年に国立故宮博物院から写真複写版が出版されている(元刻影印本)。

見る 会典と大元聖政国朝典章

大清会典

『大清会典』(だいしんかいてん、だいしんえてん、満洲語:、転写:Daicing gurun i uheri kooli bithe)は、清朝により編纂された清朝の政治制度に関連する史書。漢文以外に満文によっても編纂されている。

見る 会典と大清会典

万暦

万暦(ばんれき)は中国、明の元号(1573年 - 1620年)。第14代皇帝神宗の在位中に使われた。このため神宗は万暦帝と呼ばれる。

見る 会典と万暦

乾隆

乾隆(けんりゅう、満洲語:、転写:abkai wehiyehe)は、清の高宗の治世中に使われた元号。1736年 - 1795年。 一世一元の制であったため高宗は乾隆帝と称される。 中国史上、康熙に次いで2番目に長く用いられた元号である(60年)。

見る 会典と乾隆

康熙

康熙(こうき、z)は、清の元号(1662年-1722年)。 聖祖の治世に使われ、ここから聖祖は康熙帝と呼ばれる。 中国史上最も長く用いられた元号である(61年)。

見る 会典と康熙

会要

会要(かいよう)は、一つの王朝の国家制度・歴史地理・風俗民情を収録した歴史書の一種。二十四史の志や表の不足を補うものである。 最初に編纂された会要は、後周・北宋の王溥が編纂した『唐会要』である。宋では有史館・編修院・国史院・実録院・日暦所・起居院・玉牒所・聖政所・時政記房などの記録機構があり、さらに「会要所」が設立され、2千余巻の宋の会要が編纂された。しかし李心伝の『国朝会要総類』以外はすべて散逸してしまったため、後に徐松が『永楽大典』の中から必要部分を取り出して、『宋会要輯稿』を編纂した。元・明では会要は編纂されず、会典の編纂に重点が置かれた。その後、清の初めから乾隆時代にかけて再び多くの会要が編纂された。

見る 会典と会要

弘治 (明)

弘治(こうち)は中国、明の元号(1488年 - 1505年)。第10代皇帝孝宗の在位中に使われた。このため孝宗は弘治帝と呼ばれる。

見る 会典と弘治 (明)

嘉慶 (清)

嘉慶(かけい、満洲語:、ローマ字表記:saicungga fengšen)は、清の仁宗の治世中に使われた元号。1796年 - 1820年。一世一元の制を採用していたため仁宗は嘉慶帝と称される。

見る 会典と嘉慶 (清)

周礼

『周礼』(しゅらい)は、儒教経典(十三経)の一つで、『礼記』『儀礼』とともに「三礼」を構成する書物である。 『周礼』は偽書の疑いがあり、紀元前11世紀に周公旦が作ったとも、前漢代に劉歆が作ったともされる。また現代の研究の進展により戦国時代末期に成立したとの見方が示されている。 内容としては、周王朝の「礼」、すなわち文物・習俗・政治制度、特に官位制度について記されており、戦国時代以降の儒者にとって理想的な制度とみなされた。ただし、考古学調査によって得られた金文資料や他の先秦文献に記された制度とは、食い違いを見せている。 後漢の鄭玄による注、唐の賈公彦による疏を伴って『周礼注疏』として『十三経注疏』に収められている。

見る 会典と周礼

光緒

光緒(光緖、こうしょ、こうちょ、満洲語:、転写:badarangga doro、)は、清の徳宗の治世中に使われた元号。1875年 - 1908年。 一世一元の制を採用していたため徳宗は光緒帝と称される。

見る 会典と光緒

玄宗 (唐)

玄宗(げんそう)は、唐の第9代皇帝。諱は隆基。唐明皇とも呼ばれる。 治世の前半は、太宗の貞観の治を手本とした、開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えたが、後半は政治に倦み楊貴妃を寵愛したことで安史の乱の原因を作った。

見る 会典と玄宗 (唐)

開元

開元(かいげん)は、中国・唐代の元号のひとつ。玄宗の治世に行われた。 この時期は、玄宗の治世の前半にあたり、「開元の治」と呼ばれ唐の絶頂期と評価されている。

見る 会典と開元

雍正

雍正(ようせい、満洲語:、転写:hūwaliyasun tob)は清の世宗の治世に使われた元号。1723年 - 1735年。 一世一元の制であったため、世宗は雍正帝と呼ばれる。

見る 会典と雍正

正徳 (明)

正徳(せいとく)は中国、明の元号(1506年 - 1521年)。第11代皇帝武宗の在位中に使われた。このため武宗は正徳帝と呼ばれる。

見る 会典と正徳 (明)

満洲語

満洲語(満州語、まんしゅうご、)は、満洲民族が話すツングース諸語に属する言語。かつては清朝の公用語の一つで「清語」「国語」などと呼ばれた。

見る 会典と満洲語

明(みん)は、中国の王朝である。1368年から1644年まで存在し、明朝あるいは大明とも号した。朱元璋が元を北へ逐って建国し、李自成軍による滅亡の後には、清が李自成政権(順)と明の再建を目指す南明政権を制圧して中国大陸を支配した。

見る 会典と明