目次
吐谷渾
吐谷渾(とよくこん、拼音:tǔyùhún)は、中国の西晋時代に遼西の鮮卑慕容部から分かれた部族。3世紀から7世紀まで(286年 - 663年)、青海一帯を支配して栄えたが、チベット民族の吐蕃に滅ぼされた。
見る 世伏と吐谷渾
夸呂
夸呂(かりょ / こりょ、生年不詳 - 591年)は、吐谷渾の首長。
見る 世伏と夸呂
宇文弼
宇文 㢸(宇文弼、うぶん ひつ、546年 - 607年)は、中国の北周から隋にかけての政治家・軍人。字は公輔。本貫は代郡。河南郡洛陽県の出身。
見る 世伏と宇文弼
伏允
伏允(ふくいん、生年不詳 - 635年)は、吐谷渾の首長。歩薩鉢と号した。隋の侵攻を受けてその領土を失ったが、隋末唐初の混乱に乗じて旧領を回復した。のちに唐の太宗の侵攻を招いて敗死した。
見る 世伏と伏允
北史
『北史』(ほくし)は、中国の北朝について書かれた歴史書。李大師により編纂が開始され、その子の李延寿によって完成された。二十四史の一つ。 全100巻で、本紀12巻、列伝88巻の構成となっている。 南北朝時代(439年 - 589年)の北朝にあたる王朝、北魏・西魏・東魏・北斉・北周・隋の歴史を記している。詔令や上奏文の多くを削って叙事に重きを置き、記述の総量は断代史である『魏書』・『北斉書』・『周書』・『隋書』を合わせた分量の半分ほどであるが、断代史の4書に見られない記述も少なくない。特に『魏書』の記さなかった西魏の人物についての増補部分が大きい。
見る 世伏と北史
隋
隋(呉音: ずい、漢音: すい、 swěɪ、581年 - 618年)は、中国の王朝である。魏晋南北朝時代の混乱を鎮め、西晋が滅んだ後分裂していた中国をおよそ300年ぶりに再統一した。しかし第2代煬帝の失政により滅亡し、その後は唐が中国を支配するようになる。都は大興城(現在の中華人民共和国西安市)。国姓は楊。開祖楊堅は後漢代の有名な官僚の楊震の子孫にあたるというが、これには疑義が多い(詳しくは楊堅#出自についてを参照)。
見る 世伏と隋
隋書
『隋書』(ずいしょ)は、二十四史の一つで第13番目にあたる。中国大陸史の中における隋代を扱った歴史書。志の部分だけは通史である(後述)。
見る 世伏と隋書
首長
首長(しゅちょう、くびちょう)は、行政機関における独任制の長を意味する用語で、広い意味では一般に集団・組織を統率する長を意味する。
見る 世伏と首長
楊堅
楊 堅(よう けん、541年7月21日 - 604年8月13日)は、中国の隋の初代皇帝(在位:581年3月4日 - 604年8月13日)。小名は那羅延。諡は文皇帝、廟号は高祖。文帝(ぶんてい)と称される。 疑い深い性格だったが、有能な官僚を用いて内政につとめ,科挙を創始して中央集権体制を確立し、約300年ぶりに中国全土を統一した。その治世は〈開皇の治〉と言われ、後継の唐王朝からも評価される。中国の皇帝の中で名君の一人とされる。
見る 世伏と楊堅

