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三枝守輝

索引 三枝守輝

三枝 守輝(さいぐさ もりてる、正保4年(1647年) - 宝永元年10月18日(1704年11月15日))は江戸時代の旗本。父は三枝守全、母は小出三尹の娘による。本文は1004頁、コマ番号は511頁。。初名は守真(もりざね)、通称は源八郎、内近、右近。官位は従五位下、能登守。法名は宗恕。妻は丹波国綾部藩主九鬼隆季の娘、後妻は公卿平松時量の娘。子は源八郎(夭折)、三枝守英(時量の娘との間の子)、女子。 による。本文は1000頁、コマ番号は509頁。。三枝氏は三枝連(さいぐさのむらじ)の流れで、三枝連は天津彦根命の末裔であるという。「三枝連」の由来は顕宗天皇の治世の時、諸氏を集めて祝宴が開かれた際、庭に三茎の草があり、これを天皇に献上して三枝連を賜ったという逸話に由来するという。しかし、この説に寛政重脩諸家譜は疑いを示している。

目次

  1. 35 関係: 加茂郡大番宝永家督寛永寛政重修諸家譜小姓組小出三尹岩瀬郡布衣三枝守全三枝氏九鬼隆季平松時庸京都所司代延宝伊豆国御目見徳川家綱従五位アマツヒコネ元禄稲葉正往顕宗天皇貞享能登国陸奥国正保死罪江戸時代旗本承応書院番10月18日 (旧暦)11月15日

加茂郡

岐阜県加茂郡の位置(1.坂祝町 2.富加町 3.川辺町 4.七宗町 5.八百津町 6.白川町 7.東白川村 薄黄:後に他郡に編入された区域 薄緑:後に他郡から編入した区域) 加茂郡(かもぐん)は、岐阜県(美濃国)の郡。 以下の6町1村を含む。

見る 三枝守輝と加茂郡

大番

大番(おおばん)、大御番所(おおごばんどころ-しょ)また、御侍衆(おさむらいしゅう)は、江戸幕府に設けられた職制の一つ。五番方(書院番、小姓組、大番、小十人、新番)に数えられる軍事部門の職制で、旗本たちの常備兵力を組織した。五番方の中で最も歴史が古く、最も規模が大きかった。格式は両番(書院番、小姓組)の下に置かれ、馬上資格を持っていた。徳川将軍本陣備である他の四番方が若年寄支配だったのに対し、先手備である大番は老中支配だった。江戸の泰平の世では江戸本城と幕府要地の警護を担当する役目に専念した。

見る 三枝守輝と大番

宝永

は、日本の元号の一つ。元禄の後、正徳の前。1704年から1711年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇、中御門天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉、徳川家宣。

見る 三枝守輝と宝永

家督

家督(かとく)は、家父長制における家長権を意味する。鎌倉時代に家督の嫡子単独相続、遺産の分割相続が原則とされた。室町時代に両者とも嫡子相続を原則としたが、現実には完全な制度として確立しておらず、内紛が発生した。のち江戸幕府の絶対的な権力を背景として、家督の嫡子単独相続が確立した。 なお、主に武家においては、断絶した家名を他氏の者が相続することを名跡を継ぐといい、実子または血縁者が相続する場合の家督継承と区別された。主な例としては平姓畠山氏を源氏の足利義純が相続し、源姓畠山氏に変わったことなどが知られている。 また、鎌倉時代には家督権は財産権とあわせて跡職(跡式)・跡目と称して嫡子が継いだが、庶子に分割する相続財産をも跡職と称した。その後、江戸時代には先代の死亡にともなう相続の場合を跡目相続、先代の隠居による場合を家督相続と呼び分けた。

見る 三枝守輝と家督

寛永

寛永 (かんえい、寛󠄁永)は、日本の元号の一つ。元和の後、正保の前。1624年から1644年までの期間を指す。この時代の天皇は後水尾天皇、明正天皇、後光明天皇。江戸幕府将軍は徳川家光。

見る 三枝守輝と寛永

寛政重修諸家譜

『寛政重修諸家譜』(かんせいちょうしゅうしょかふ)は、寛政年間(1789年 - 1801年)に江戸幕府が編修した大名や旗本の家譜集である。1,530巻。文化9年(1812年)10月に完成した。『寛政譜』・『諸家譜』と略称される。

見る 三枝守輝と寛政重修諸家譜

小姓組

小姓組(こしょうくみ)は、江戸幕府に設けられた職制の一つ。徳川将軍の馬廻衆(親衛隊)としての高い格式を持ち、同様の書院番と共に両番と称された。五番方(書院番、小姓組、大番、小十人、新番)に数えられる軍事部門の職制であり、大番、小十人、新番よりも上に置かれた。小姓組の番士には幕府内での出世(両番家筋)の道が開かれていた。

見る 三枝守輝と小姓組

小出三尹

小出 三尹(こいで みつただ/みつまさ)は、江戸時代前期の大名。和泉陶器藩初代藩主。秀家流小出家2代当主。三尹の「三」は石田三成からの偏諱ともされる。

見る 三枝守輝と小出三尹

岩瀬郡

福島県岩瀬郡の範囲(1.鏡石町 2.天栄村 薄黄:後に他郡に編入された区域) 岩瀬郡(いわせぐん)は、福島県(陸奥国・岩代国)の郡。 以下の1町1村を含む。

見る 三枝守輝と岩瀬郡

布衣

布衣、『装束着用之図』(国立国会図書館蔵)より 布衣(ほい)は、日本の男性用着物の一種で、江戸幕府の制定した服制の1つ。幕府の典礼・儀式に旗本下位の者が着用する狩衣の一種だが、特に無紋(紋様・地紋の無い生地)のものである。下位の旗本(すなわち御目見以上)の礼装は素襖とされているが、幕府より布衣の着用を許されれば六位相当叙位者と見なされた。 布衣は元々、平安時代の中流階級の都人のお洒落着・布衣(ほうい)であったといい、のちに貴族の狩衣に発展したが、狩衣のうち無模様・裏地なしの質素なものは布衣と呼んでいた。江戸時代、幕府は元和元年(1615年)に服制を定め、布衣が旗本の礼装に採用された。やがて布衣は服装の呼称のみならず江戸幕府の旗本の格を示す用語となった。

見る 三枝守輝と布衣

三枝守全

三枝 守全(さいぐさ もりあきら、慶長15年(1610年) - 延宝8年5月26日(1680年6月22日))は、江戸時代の旗本。父は三枝守昌、母は信濃国諏訪高島藩主諏訪頼水の娘による。本文は1004頁、コマ番号は511頁。。初名は守勝、通称は源八郎、内匠。官位は従五位下、能登守、隠岐守。法名は全心。正室は和泉国陶器藩主小出三尹の娘であり、その間に嫡男の三枝守輝がいる。他に小出守里(京都町奉行)、三枝守仍(もりなお)、娘(一柳直増室)、他女子2人がいる。 による。本文は1000頁、コマ番号は509頁。。三枝氏は三枝連(さいぐさのむらじ)の流れで、三枝連は天津彦根命の末裔であるという。「三枝連」の由来は顕宗天皇の治世の時、諸氏を集めて祝宴が開かれた際、庭に三茎の草があり、これを天皇に献上して三枝連を賜ったという逸話に由来するという。しかし、この説に寛政重脩諸家譜は疑いを示している。

見る 三枝守輝と三枝守全

三枝氏

三枝氏(さいぐさし)は、武家の一つ。古代甲斐国の在庁官人である三枝氏や、戦国時代の甲斐武田氏の家臣である三枝氏と、その子孫の三枝氏が存在する。家紋は丸に三階松。

見る 三枝守輝と三枝氏

九鬼隆季

九鬼 隆季(くき たかすえ、)は、江戸時代前期の大名。丹波国綾部藩初代藩主。

見る 三枝守輝と九鬼隆季

平松時庸

平松 時庸(ひらまつ ときつね)は、江戸時代前期の公家。西洞院時慶の次男。西洞院家から分家して新家「平松家」を興した。

見る 三枝守輝と平松時庸

京都所司代

京都所司代(きょうとしょしだい)は、近世の日本において京都に設置された行政機関である。 永禄11年(1568年)に織田信長が設置したものと、江戸時代に江戸幕府が設置したものがある。「所司」の本来の意味においては、鎌倉幕府の侍所の次官を所司と呼んだが、室町幕府の侍所では長官を所司と呼び、その代理を所司代と呼んだ。

見る 三枝守輝と京都所司代

延宝

は、日本の元号の一つ。寛文の後、天和の前。1673年から1681年までの期間を指す。この時代の天皇は霊元天皇。江戸幕府将軍は徳川家綱、徳川綱吉。

見る 三枝守輝と延宝

伊豆国

伊豆国(いずのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。

見る 三枝守輝と伊豆国

御目見

御目見(おめみえ)とは、江戸時代に大名や旗本が将軍に直接拝謁すること。また、その資格。「上聴」とも呼ばれる。

見る 三枝守輝と御目見

徳川家綱

徳川 家綱(とくがわ いえつな)は、江戸幕府の第4代将軍(在職:1651年 - 1680年)。

見る 三枝守輝と徳川家綱

従五位

従五位(じゅごい)とは、日本の位階および神階における位のひとつ。正五位の下、正六位の上に位する。贈位の場合、贈従五位という。近代以前の日本における位階制度では、従五位下以上の位階を持つ者が貴族とされている。また、華族の嫡男が従五位に叙せられることから、華族の嫡男の異称としても用いられた。

見る 三枝守輝と従五位

アマツヒコネ

アマツヒコネは、日本神話に登場する神。

見る 三枝守輝とアマツヒコネ

元禄

は、日本の元号の一つ。貞享の後、宝永の前。1688年から1704年までの期間を指す。この時代の天皇は、東山天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。

見る 三枝守輝と元禄

稲葉正往

稲葉 正往 / 正通(いなば まさみち)は、江戸時代前期から中期の譜代大名、老中。相模小田原藩3代藩主、越後高田藩主、下総佐倉藩初代藩主。稲葉正則の長男、母は毛利秀元の娘。正成系稲葉家宗家4代。

見る 三枝守輝と稲葉正往

顕宗天皇

顕宗天皇(けんぞうてんのう、、、允恭天皇39年 - 顕宗天皇3年4月25日)は、日本の第23代天皇(在位:顕宗天皇元年1月1日 - 同3年4月25日)。『日本書紀』での名は弘計天皇。

見る 三枝守輝と顕宗天皇

貞享

は、日本の元号の一つ。天和の後、元禄の前。1684年から1688年までの期間を指す。この時代の天皇は霊元天皇、東山天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。

見る 三枝守輝と貞享

能登国

能登国(のとのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。現在の石川県北部にあたる。

見る 三枝守輝と能登国

陸奥国

陸奥国(むつのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県と秋田県の一部(鹿角郡)。等級区分で大国の一つ。 明治維新後、出羽国とともに分割された後の陸奥国については、陸奥国 (1869-)を参照。

見る 三枝守輝と陸奥国

正保

は、日本の元号の一つ。寛永の後、慶安の前。1644年から1648年までの期間を指す。この時代の天皇は後光明天皇。江戸幕府将軍は徳川家光。

見る 三枝守輝と正保

死罪

死罪(しざい)。

見る 三枝守輝と死罪

江戸時代

江戸時代(えどじだい、)は、日本の歴史の内江戸幕府(徳川幕府)の統治時代を指す時代区分である。他の呼称として徳川時代、徳川日本、旧幕時代、藩政時代(藩領のみ)などがある。江戸時代という名は、江戸に将軍が常駐していたためである。

見る 三枝守輝と江戸時代

旗本

旗本(はたもと)とは、元来は戦場で主将の旗下にあって主将を護衛する武士団のことを指す。 一般的には江戸時代の徳川将軍家直属の家臣のうち石高が1万石未満で御目見以上の家格だった武士の身分を指す。主人は殿様(大名と同様)、正妻は奥様と呼ばれた。 これに対し、御目見以下の家臣は御家人という。

見る 三枝守輝と旗本

承応

は、日本の元号の一つ。慶安の後、明暦の前。1652年から1655年までの期間を指す。この時代の天皇は後光明天皇、後西天皇。江戸幕府将軍は徳川家綱。

見る 三枝守輝と承応

書院番

書院番(しょいんばん)とは、江戸幕府に設けられた職制の一つ。徳川将軍の馬廻衆(親衛隊)としての高い格式を持ち、同様の小姓組と共に両番と称された。五番方(書院番、小姓組、大番、小十人、新番)に数えられる軍事部門の職制であり、大番、小十人、新番よりも上に置かれた。書院番の番士には幕府内での出世(両番家筋)の道が開かれていた。

見る 三枝守輝と書院番

10月18日 (旧暦)

旧暦10月18日は旧暦10月の18日目である。六曜は先負である。

見る 三枝守輝と10月18日 (旧暦)

11月15日

11月15日(じゅういちがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から319日目(閏年では320日目)にあたり、年末まであと46日ある。

見る 三枝守輝と11月15日