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三大始祖

索引 三大始祖

三大始祖(さんだいしそ)とは現在のサラブレッドの直系父系祖先を可能な限り遡った場合に辿り着く、ダーレーアラビアン (Darley Arabian 1703) ・バイアリーターク (Byerley Turk 1679) ・ゴドルフィンアラビアン (Godolphin Arabian 1724) の3頭の種牡馬のことである。.

132 関係: ナリタブライアンナスルーラミトコンドリア・イブミスタープロスペクター系ミスターシービーマンノウォーマースクマッチェムマッチェム系ノウンファクトチョーサー (競走馬)ネアルコネイティヴダンサーハンブルトニアン (競走馬)ハンブルトニアン10ハプロタイプハイフライヤーバートレットチルダーズバードキャッチャーバイアリータークバザードポリメラスポテイトーズメッセンジャー (競走馬)メダルゲームリローンチレリックロベルト (競走馬)ロイヤルチャージャーワキシーヴァレンヌ (競走馬)ヴォルテール (競走馬)ヴォルティジュールボナヴィスタボワルセルトランペイタートウルビヨン (競走馬)トウショウボーイヘロド (競走馬)ヘロド系ヘイルトゥリーズンヘイロー (競走馬)ヘイスティングズ (競走馬)ブラックロック (競走馬)ブライアンズタイムブレイズ (競走馬)プリンスリーギフトパートナー (競走馬)パーソロンヒンドスタン...テンプラ (馬)ティズナウテスコボーイディープインパクト (競走馬)フライングチルダーズフライングチルダーズ系ファラリスファロス (競走馬)フェアプレイ (競走馬)ドンカスター (競走馬)ホエールボーンダーレー・ジャパンダーレーアラビアンダーシーズホワイトタークダーシーズイエロータークベンドアベイミドルトンベイボルトンアラブ種アングロアラブアホヌーラインディアンリッジウッドペッカー (競走馬)ウェストオーストラリアン (競走馬)エイムウェルエクリプス (競走馬)エクリプス系オルフェーヴルオルコックアラビアンオーム (競走馬)オーモンドカーウェンズベイバルブガロピンキングファーガスギンザグリングラスクラブ (競走馬)クライムカイザークォーターホースクサール (競走馬)ケードコンダクター (競走馬)コーディング領域ゴドルフィンゴドルフィンアラビアンザバロンザテトラークザフライングダッチマンシリーンシンボリルドルフシンザンジェネラルスタッドブックジェベル (競走馬)ジグ (競走馬)スペクテイターストックウェル (競走馬)スパンカーステイゴールドスクワート (競走馬)スタンダードブレッドセントライトセントサイモンソーサラー (競走馬)ターントゥターター (競走馬)タッチストンサラブレッドサルタン (競走馬)サンプソン (競走馬)サンデーサイレンスサーハーキュリーズサイアーライン種牡馬競走遺伝子遺伝的組換え馬主STARHORSESTARHORSE2STARHORSE3X染色体Y染色体日本 インデックスを展開 (82 もっと) »

ナリタブライアン

ナリタブライアン(Narita Brian、1991年5月3日 - 1998年9月27日)は、日本の競走馬・種牡馬。中央競馬史上5頭目の三冠馬。「シャドーロールの怪物」と呼ばれた。 1993年8月にデビュー。同年11月から1995年3月にかけてクラシック三冠を含むGI5連勝、10連続連対を達成し、1993年JRA賞最優秀3歳牡馬JRA賞の部門名はいずれも当時の名称。、1994年JRA賞年度代表馬および最優秀4歳牡馬に選出された。1995年春に故障(股関節炎)を発症したあとはその後遺症から低迷し、6戦して重賞を1勝するにとどまった(GI は5戦して未勝利)が、第44回阪神大賞典におけるマヤノトップガンとのマッチレースや短距離戦である第26回高松宮杯への出走によってファンの話題を集めた。第26回高松宮杯出走後に発症した屈腱炎が原因となって1996年10月に競走馬を引退した。競走馬を引退したあとは種牡馬となったが、1998年9月に胃破裂を発症し、安楽死の措置がとられた。 半兄に1993年のJRA賞年度代表馬ビワハヤヒデがいる。1997年日本中央競馬会 (JRA) の顕彰馬に選出。 ※馬齢は旧表記に統一する。.

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ナスルーラ

ナスルーラ (Nasrullah) は、イギリス生産の競走馬、種牡馬。イギリスとアメリカ合衆国で種牡馬として供用され、大きな成功を収めた。イギリス・アイルランドで1回、北アメリカで4回のリーディングサイアーを獲得。欧米双方でリーディングサイアーとなった最初の種牡馬であり、子孫にも数々の活躍馬を輩出してナスルーラ系と称されるサイアーラインの祖となった。競走馬名は「偉大なる」を意味するとされる。.

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ミトコンドリア・イブ

ミトコンドリアのハプロタイプL0からL3がアフリカにのみ存在する一方その他の地域はMかNどちらかしか存在しない 現生人類の移動 ミトコンドリア・イブ(Mitochondrial Eve)とは、人類の進化に関する学説において、現生人類の最も近い共通女系祖先(the matrilineal most recent common ancestor)に対し名付けられた愛称。約16±4万年前にアフリカに生存していたと推定され、アフリカ単一起源説を支持する有力な証拠の一つである。 しばしば誤解を受けるが、彼女は「同世代で唯一、現生人類に対し子孫を残すことができた女性」ではない。母方以外の系図を辿れば、彼女以外の同世代の女性に行き着くことも可能である(後段の「よくある誤解」を参照)。人類の出アフリカの時期を求める手掛かりのうち、年代特定が比較的容易なサンプルの一つであるという以外には、彼女は人類史に特別な意味や興味を占める人物ではない。.

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ミスタープロスペクター系

ミスタープロスペクター系(ミスタープロスペクターけい、Mr.

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ミスターシービー

ミスターシービーは日本の競走馬の馬名であり、日本競馬史において同名の競走馬が2頭存在する日本競馬においては、顕著な活躍(GI・JpnI級の競走優勝、あるいは主要国際競走優勝馬と同じ馬名)や種牡馬登録などによって保護された馬名以外は、登録抹消後に一定期間を経れば再利用することができる。競走馬#馬名登録のルールも参照のこと。。.

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マンノウォー

マンノウォー(Man O' War、1917年 - 1947年)は、アメリカ合衆国の競走馬・種牡馬。セクレタリアトと並ぶアメリカを代表する名馬である。『20世紀米国の100名馬(ブラッド・ホース誌)』第1位。『20世紀のトップアスリートベスト100 (ESPN) 』第84位。全弟にジョッキークラブゴールドカップの勝ち馬のマイプレイがいる。 生産者のオーガスト・ベルモントが陸軍の志願兵として第一次世界大戦に向かったため、不在中の彼の栄誉をたたえて夫人が「My Man O' War(私の戦争に行った夫)」と命名した。だが登録の際になぜかMyが抜け落ちて「Man O' War」になってしまったという。愛称は赤味がかった栗毛の馬体に由来する「Big Red(ビッグレッド)」で、必要な場合をのぞきほとんどこの名前で呼ばれていた。.

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マースク

マースク(Marske、1750年 - 1779年)は、18世紀中ごろに活躍したイギリスの競走馬・種牡馬。エクリプスの父であり、6戦3勝、イギリス種牡馬チャンピオン2回の記録を残した。体高(肩までの高さ)は15ハンド(約152.4センチメートル)ほど。.

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マッチェム

マッチェム(Matchem、1748年 - 1781年)は18世紀のイギリスの競走馬。18世紀の競走馬・種牡馬で、まだサラブレッドの概念が完全には確立していない時代の名馬である。父方直系子孫は現在でも残存し、エクリプス、ヘロドと並びサラブレッド三大始祖の一頭に数えられる。この3頭の中ではもっとも早く生まれた。.

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マッチェム系

マッチェム系(マッチェムけい、Matchem Sire line)とは馬(主にサラブレッドとトロッター)の父系の一つ。ゴドルフィンアラビアン(Godolphin Arabian)を始祖とする。本来ならばゴドルフィンアラビアン系とすべきであるが、現在のゴドルフィンアラビアンの父系に属する馬は全てマッチェム(Matchem)の直系子孫であるためマッチェム系と呼ばれている。.

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ノウンファクト

ノウンファクト (Known Fact) とは、アメリカ合衆国生産、イギリス調教の競走馬、種牡馬である。2000ギニー、ミドルパークステークスなどに優勝し、種牡馬としても成功を収めた。1980年イギリス最優秀3歳牡馬。 半兄にメトロポリタンハンデキャップなどアメリカでG1競走を3勝しているテンタム、G2シネマハンデキャップの優勝馬テリートがおり、近親にも多数の活躍馬がいる。.

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チョーサー (競走馬)

チョーサー(Chaucer、1900年 - 1926年)は、イギリスの競走馬・種牡馬。大種牡馬の母の父として史上屈指の成功を収めた。馬名の由来は母の名カンタベリーピルグリムよりイングランドの詩人「ジェフリー・チョーサー」を連想したもので、その代表作「カンタベリー物語」が、カンタベリーピルグリム(カンタベリー大聖堂に参詣する巡礼者)によって語られていくという形をとることに関連がある。 その血統背景は一流で、母カンタベリーピルグリムはオークス馬、母の父はセントサイモンの引き立て役となったトリスタン、母の母は1000ギニーと2000ギニーに勝ったピルグリミッジであった。半弟にもスウィンフォードがいるという優れた一族。チョーサーは母の小柄な体格を受け継ぎ、自身も小柄で優れた体格というわけではなかったが、美しい馬体だったと伝えられている。 もっとも競走成績はそれほど優れてはおらず、2-6歳の間にジムクラックステークスやリバプールカップに勝った程度であった。種牡馬入り後は順調に種牡馬成績を伸ばし、1916年にはサイアーランキングで2位につけた。 産駒は牝馬の活躍が目立ち、キャニオン、ピリオン、シリーニらが活躍。繁殖牝馬として成功したものもシリーン、スカパフローなど数多く、母の父としてハイペリオン、フェアウェイ、ファロス、シックル、ファラモンドなどを輩出した。これらの出現により、チョーサーは20世紀で最も優れたブルードメアサイアー(母の父)と呼ばれることもある。牡馬の活躍馬はジョッキークラブステークスでゲインズバラを破ったプリンスチメイ、29戦して22勝したステッドファストがおり、メールラインもプリンスチメイを通じて伸びた。父方子孫はセントサイモンの悲劇を乗り越え一時大きく繁栄、ボワルセルなどが出たが現在は衰退している。1927,1933年チャンピオンブルードメアサイアー。自身は1926年にウッドランド牧場にて死亡。.

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ネアルコ

ネアルコ (Nearco) はイタリアの競走馬。1930年代後半に活躍した。リボーに並ぶフェデリコ・テシオの傑作といわれ、競走馬として14戦14勝の戦績を残し、種牡馬として1947-1949年のイギリスチャンピオンサイアーとなった。 馬名の由来は紀元前6世紀のギリシャの画家に因んだもの。体高は162.6センチメートル。直系子孫は世界のサラブレッドの約半数を占めるまでに発展している。.

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ネイティヴダンサー

ネイティヴダンサー はアメリカ合衆国の競走馬である。22戦21勝で、唯一の敗戦がケンタッキーダービー2着のみという戦績を残した。おもな勝ち鞍はプリークネスステークス、ベルモントステークス。いつの間にか先頭に立っているレースぶりと芦毛の馬体が当時のモノクロテレビで映えたためグレイゴースト(灰色の幽霊)、グレイファントム(灰色の幻影)の愛称で呼ばれ雑誌『タイム』の表紙を飾るなど人気を博した。1952年度および1954年度のアメリカ年度代表馬に選出。.

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ハンブルトニアン (競走馬)

ハンブルトニアン(Hambletonian、1792年 - 1818年)は、18世紀末に活躍したイギリスの競走馬である。父の父はかのエクリプス、牝系はのちに1号族と呼ばれる名牝系に属し、母の父は大種牡馬ハイフライヤー、母の母の父もマッチェムという良血であった。 名前はノース・ヨークシャー州にある地名(ハンブルトン)から来ている。なお、19世紀のアメリカ合衆国に同名(ハンブルトニアン10)のスタンダードブレッドがいるが、由来は同じ地名であり、ハンブルトニアンの活躍をふまえたうえで名付けられたという。.

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ハンブルトニアン10

ハンブルトニアン(Hambletonian、Hambletonian10、Rysdyk's Hambletonian、Miller's Hambletonian、1849年 - 1876年)は、スタンダードブレッド最大の根幹種牡馬。1849年にニューヨーク州で父アブダラ (Abdallah) と母チャールズケントメア (Charles Kent Mare) の間に生まれた。体高(肩までの高さ)は15.2ハンド(154.4センチメートル)ほど。18世紀末にイギリスで活躍したサラブレッド、ハンブルトニアンと区別するためハンブルトニアン10(ハンブルトニアンX)やリスダイクハンブルトニアン、ミラーズハンブルトニアンとも呼ばれている。 父アブダラはスタンダードブレッドだが、その父マンブリノ (Mambrino) はサラブレッドであり、さらに1788年にアメリカへ輸入されたイギリス生まれのメッセンジャー(父系はフライングチルダーズ系)へと遡ることができる。ハンブルトニアンはトロッター競走(繋駕速歩競走のひとつ)の大レース「ハンブルトニアン」の名前の由来となったが、このメッセンジャーもペーサー競走(繋駕速歩競走のひとつ)の大レース「メッセンジャーステークス」に名を残している。 当初まったく期待されていなかったため公式なレースには出走していない。トライアルレースで1マイル2分48秒のタイムを残してはいるが、これは現在の速歩競馬の水準と比較してかなり遅く、1879年に作られたスタンダードブレッドの基準に彼自身は合格できないほどである。しかし種牡馬としては活躍し、1851年から1875年までの24年間で1325頭もの産駒を残した。種牡馬となった産駒は130頭、繁殖牝馬となったのは80頭である。とくにその中のハッピーミィディアム (Happy Medium) 、ディクテイター (Dictator) 、アブダラ (Abdallah) 、ジョージワイクス (George Wikes) 、ハロルド (Harold) 、エレクショニア (Electioneer) が大種牡馬となり、直系子孫は大繁栄。現在の北米のスタンダードブレッドの99%以上の父方直系祖先となっている。そのためスタンダードブレッドにおいて始祖的な位置づけを持つ。.

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ハプロタイプ

ハプロタイプ(haplotype)とは、"haploid genotype"(半数体の遺伝子型)の略。単倍型とも訳される。.

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ハイフライヤー

ハイフライヤー(Highflyer、1774年 - 1793年)は、18世紀後半に活躍したイギリスの競走馬・種牡馬。18世紀を代表する名馬で、無敗の成績と種牡馬としての大きな成功を残した。18世紀を代表する名馬であり、サラブレッド種の成立にも貢献した1頭である。.

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バートレットチルダーズ

バートレットチルダーズ(Bartlet's Childers、またはヤングチルダーズYoung ChildersあるいはブリーディングチルダーズBleeding Childers、1716年 - ?)は、イギリスの種牡馬。大競走馬フライングチルダーズの1歳下の全弟で、不出走ながら種牡馬として成功した。曾孫のエクリプスを通じ、父系子孫は現在でも大きな勢力を持つ。1742年イギリス種牡馬チャンピオン。 本馬は兄と同じく最初生産者の名をとって「(ヤング)チルダーズ」と呼ばれていた。その後ジョン・バートレットの手に渡りバートレットチルダーズと呼ばれるようになった。鼻出血の持病持ちで競走には使われておらず、最初から種牡馬として供用されている。供用地Mashamが含まれるヨークシャーは当時馬産が盛んで、飛ぶように速いと評判だったフライングチルダーズの弟バートレットチルダーズは種牡馬として重用された。多くの繁殖牝馬と交配されるという幸運の結果、スクワートを出した。スクワートはマースクの父で、マースクはエクリプスの父である。そのほか(スメイルズ)チルダーズなどを送り出している。.

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バードキャッチャー

バードキャッチャーまたはアイリッシュバードキャッチャー(Birdcatcher or Irish Birdcatcher、1833年 - 1860年)は、アイルランドの競走馬・種牡馬である。アイルランド初めての歴史的名馬で、1852,56年イギリスリーディングサイアーを獲得した。全弟にセントレジャーステークス優勝馬でのちにフランスで種牡馬として成功したフォアバラーがいる。 バードキャッチャーは15.3ハント (155 cm) と当時としては標準的な大きさで、均整のとれた優れた馬体の持ち主だった。栗毛に白い白斑を持ち、これはのちにザテトラークやストックウェルに受け継がれた。この白斑はベンドア斑、またはバードキャッチャー斑と呼ばれバードキャッチャーやストックウェルが大種牡馬となったことで19世紀のサラブレッドには比較的よく見られたが、20世紀中ごろ以降出現はまれになっている。.

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バイアリーターク

バイアリーターク(Byerley TurkまたはByely Turk、1679年 - 1705年)は、イギリスの軍馬・種牡馬。後世にサラブレッド三大始祖の一頭として記録される。父方直系子孫はそのヘロド (Herod) を通じて一時大繁栄したが現在は衰退している。 名前および品種について、ジェネラルスタッドブックはバイアリーターク (Byely Turk)、つまりターク種と記載しているが、残された絵画での特徴はアラブ種のもので、ターク種ではなく単にトルコ生まれのアラブ馬との説もある。名前の綴りもByely Turkではなく、馬主であるロバート・バイアリー (Robert Byerley) から正しくはByerley Turkだったのではないかと考えられている。.

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バザード

バザード (Buzzard) は18世紀末に活躍したイギリスの競走馬である。馬名は英語でノスリ、ハゲタカの意。 競走馬としてははっきりしないが、1789-1794年の6年間に28勝した記録が残っている。勝ったレースには、クレイヴンステークス2回、ジョッキークラブプレート、そのほかいくつかのプレート、ハンデキャップ、数多くのマッチレースなどがある。この中には、200ギニーを賭けたラダマントゥス (Rhadamanthus) とのマッチレースも含まれている。1794年10月、ヒロイン (Heroine) に対する100ギニーのマッチレースの勝利が最後の競走であった。 種牡馬としては、カストレル (Castrel) 、セリム (Selim) 、ブロンズ (Bronze) 、ルーベンス (Rubens) の4兄弟、クラシックホースであるクイズ (Quiz) などの産駒が知られている。1805年にアメリカのヴァージニア州に輸出されたが当地では成功できず、1811年に24歳で死亡した。 ヘロド (Herod) の父系はほかにフロリゼル (Florizel) 、ハイフライヤー (Highflyer) が有力であったが、カストレルとセリムの父系は1820年代ごろから有力になり、のちにヘロド系の主流となった。現在ヘロド系全体が大きく勢力を落としているが、バザードからセリムを経てトウルビヨン (Tourbillon) へと至る父系がかろうじて継承されている。.

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ポリメラス

ポリメラス (Polymelus) とは、イギリスのサラブレッドの競走馬、および種牡馬である。とくに種牡馬としての成績が顕著で、産駒ファラリスの影響もあって現在のサラブレッドの8割以上を超える馬の父系の祖先となっている。.

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ポテイトーズ

ポテイトーズ(PotooooooooまたはPot-8-Os、1773年 - 1800年)は、18世紀のイギリスの競走馬・種牡馬。エクリプスの代表産駒で、現代に残るエクリプス系競走馬の大半の祖となった。.

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メッセンジャー (競走馬)

メッセンジャー(Messenger、1780年 - 1808年)はイギリスの競走馬。のちアメリカ合衆国に渡り、スタンダードブレッドの重要な基礎種牡馬となった。その名は今もスタンダードブレッドによって行われるペース競走(繋駕速歩競走の一種)の大レースメッセンジャーステークスとして残っている。.

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メダルゲーム

大規模ゲームセンター内のメダルゲームコーナー メダルゲームは、アーケードゲームのうち、メダルを使用するゲームである。「コインゲーム」、稀に「ギャンブル・カジノゲーム」とも呼ばれる。.

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リローンチ

リローンチ (Relaunch) はアメリカ合衆国の競走馬、種牡馬。同地で重賞競走を2勝し、種牡馬としてブリーダーズカップ・クラシック優勝馬スカイウォーカーをはじめ、多くの活躍馬を送り出し父系を広げた。 馬名は英語で「再始動」、「再発射」などの意味がある。.

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レリック

レリック (Relic) はアメリカ合衆国生まれの競走馬および種牡馬。.

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ロベルト (競走馬)

ベルト (Roberto) はアイルランドの競走馬、およびアメリカ合衆国の種牡馬。父はヘイルトゥリーズン (Hail to Reason) 、母はコーチングクラブアメリカンオークス優勝馬ブラマリー (Bramalea) である。1972年のエプソムダービーがおもな勝ち鞍で、歴史的名馬ブリガディアジェラード (Brigadier Gerard) に唯一土をつけた馬としても有名。日本ではブライアンズタイム、クリスエス、リアルシャダイ、シルヴァーホークなどの父として知られている。.

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ロイヤルチャージャー

イヤルチャージャー(Royal Charger、1942年 - 1961年11月)は、1940年代に活躍したイギリスの競走馬、種牡馬。父は大種牡馬ネアルコで、ロイヤルチャージャーはその代表的な種牡馬の一頭である。.

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ワキシー

ワキシー(Waxy、1790年 - 1817年)は、1793年の第14回ダービーステークスに優勝したイギリスの競走馬。後年種牡馬としても成功する。ダービー時の騎手はビル・クリフト。 1793年から1796年まで競走生活を送る。ダービーステークスで2着に負かしたGohannaとはライバルで何度か戦った。4歳時Gohannaに一度だけ敗れている。 種牡馬としては4頭のダービーステークス(エプソムダービー)優勝馬を出すなど成功した。これはサーピーターティーズル、シリーニに並ぶ記録である。 27歳で死亡。ニューマーケットの近くのオール・セインツ教会に埋められた。.

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ヴァレンヌ (競走馬)

ヴァレンヌ(Varenne、1995年 - )はイタリアの繋駕速歩競走用競走馬。イタリアにとどまらず、フランス、北アメリカ、北欧などでも活躍した。イタリア国内での人気は非常に大きく、「Il Capitano」(イタリア語でキャプテンの意)との愛称で親しまれた。ドライバーはGiampaolo Minnucci。体高(キ甲=首と背の境から足元まで)166センチメートル、体重580キログラム前後という相当な大型馬である。.

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ヴォルテール (競走馬)

ヴォルテール(ヴォルテアーVoltaire、1826年 - 1848年4月)とは1820年代にイギリスで活躍した競走馬である。1829年のドンカスターカップに優勝。のちに種牡馬としても成功した。血統は父がブラックロック、母がファントムメア。生産はロバート・スティーヴンソン。毛色は黒鹿毛。牡馬。 フランスのヴュイエ大佐が考案した血統理論、ドサージュ理論において、「シェフ・ド・ラス(chefs-de-race、純血種の長)」と呼ばれる16頭の先祖馬の1頭に選定されている。.

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ヴォルティジュール

ヴォルティジュール(Voltigeur、1847年 - 1874年)とはイギリスの競走馬である。エプソムダービーとセントレジャーステークスの二冠を制した。ドンカスターカップで無敗のザフライングダッチマンに唯一土を付けた馬としても知られている。.

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ボナヴィスタ

ボナヴィスタ (Bona Vista) とは、イギリスのサラブレッドの競走馬、および種牡馬である。1892年の2000ギニーステークス優勝馬。シリーンの父として知られるほか、ハンガリーでリーディングサイアーとなって成功した。.

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ボワルセル

ボワルセル (Bois Roussel) は、1930年代後半に活躍したフランスの競走馬、種牡馬。大繁殖牝馬プラッキーリエージュが最後に残した産駒であり、1938年エプソムダービーに優勝した。種牡馬としても成功を収めた。.

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トランペイター

トランペイター(Trumpator、1782年 - 1807年5月7日)は、18世紀末に活躍したイギリスの競走馬、種牡馬である。1803年イギリス首位種牡馬。半弟にピペイター (Pipator) 、ハラペイター (Harpator) がいる。 1782年に初代クラーモント伯爵によって生産、所有された。毛色は青毛で、成馬としては15.2ハンドの体高を持つ馬であった。父はマッチェム (Matchem) 産駒のコンダクター (Conductor) 、母はバイアリーターク (Byerley Turk) 傍系のスクワーラル (Squirrel) を父に持つブルネット (Brunette) という牝馬である。 競走馬としては1785年のクラーモントステークス、1786年のクラレットステークスなどに勝った記録が残っている。種牡馬としてとくに成功し、後継種牡馬となったソーサラー (Sorcerer) 、18勝を挙げたペネロピ (Penelope) 、ペイネイター (Paynator) らを送り出した。1803年には産駒が46勝、6,331ポンドを稼ぎ、イギリス首位種牡馬となった。.

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トウルビヨン (競走馬)

トウルビヨン (Tourbillon) はフランスの競走馬である。ジョッケクルブ賞などに優勝した。種牡馬としては凱旋門賞と2000ギニーなどに優勝したジェベルなどを輩出。フランスの名馬産家マルセル・ブサックの傑作である。競走馬名は「旋風」を意味する。.

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トウショウボーイ

トウショウボーイは日本の競走馬である。1970年代半ばにテンポイント、グリーングラスと共に「TTG時代」を作り、「天馬」と称された。主な勝ち鞍は皐月賞、有馬記念、宝塚記念など。1976年度優駿賞年度代表馬および最優秀4歳牡馬。競走馬を引退した後に種牡馬としても大きな成功を収め、三冠馬ミスターシービーをはじめ7頭のGI級競走優勝馬を輩出。特に中小生産者に絶大な信頼を寄せられ、「お助けボーイ」と呼ばれた。1984年、JRA顕彰馬に選出。.

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ヘロド (競走馬)

ヘロドまたはキングヘロド(Herod、King Herod、1758年 - 1780年)は、18世紀後半に活躍したイギリスの競走馬・種牡馬。サラブレッド種の成立に極めて大きな役割を負い、残した血量はあらゆる時代のいかなる種牡馬・繁殖牝馬をも凌駕している。馬名はヘロデ大王に由来、かつてはキングヘロドと呼ばれていた。.

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ヘロド系

ヘロド系(ヘロドけい、Herod Sire Line)とは、1688年にイギリスに輸入されたバイアリーターク (Byerley Turk) を始祖とし、ヘロド (Herod) を経由するサラブレッドの父系である。エクリプス系やマッチェム系と共に三大父系の一つに数えられるが、縮小が激しくほとんど見ることが無い父系となっている。.

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ヘイルトゥリーズン

ヘイルトゥリーズン(Hail to Reason、1958年 - 1976年)はアメリカの競走馬、種牡馬。1960年に2歳チャンピオンに選ばれるなど活躍した。種牡馬としても成功し、ヘイルトゥリーズン系は日本・アメリカ大陸などで大いに繁栄した。.

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ヘイロー (競走馬)

ヘイロー (Halo、1969年2月7 - 2000年11月28日)はアメリカの競走馬。種牡馬。 競走馬として3-6歳時に31戦9勝2着8回の戦績を残した。種牡馬としてはサンデーサイレンス、グッバイヘイローなどの産駒を残している。サニーズヘイロー(Sunny's Halo)がケンタッキーダービーを勝ち、デヴィルズバッグ(Devil's Bag)が2歳チャンピオンに輝いた1983年と、サンデーサイレンスが二冠を達成した1989年にはアメリカのリーディングサイアーとなっている。 半兄に日本に輸出され皐月賞馬ハワイアンイメージを出したファーザーズイメージ、半姉にトスマー(アメリカ最優秀3歳牝馬、最優秀古馬牝)らがいる。母系を遡ると祖母にアルマームードがいるが、これは種牡馬として多くの実績を残したノーザンダンサー(Northern Dancer)と同じ母系である。 気性が荒くいつでも口籠を装着されていたという。これは、父のヘイルトゥリーズンから受け継がれたもので、ヘイロー以上に手の負えない馬だった。荒馬のヘイローも父と比べれば並みの馬に見える程であったという。 1997年に種牡馬を引退し、2000年に31歳で亡くなった。.

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ヘイスティングズ (競走馬)

ヘイスティングズ (Hastings) はアメリカ合衆国の競走馬、および種牡馬。1896年のベルモントステークス優勝馬で、種牡馬となったあとに2度の北アメリカリーディングサイアーの座に輝いた。アメリカ殿堂馬フェアプレイの父、同じく殿堂馬マンノウォーの祖父にあたる馬でもある。.

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ブラックロック (競走馬)

ブラックロック (Blacklock) は、19世紀前半のイギリスの競走馬・種牡馬である。1829年に産駒が62勝を挙げ、イギリス首位種牡馬となった。非常な気性難で知られ、「accursed blood(呪われた血統)」と呼ばれた。 現役時代、現在も名前が残るレースには勝っていないが、強豪として知られた。競走成績は英語版(#Race record)に詳細があるが、セントレジャーで2着に入った他、4歳時のグレートサブスクリプションパース(4歳、4マイル)ではアガサやセントヘレナに100ヤード以上の差をつけ7分23秒のタイムで勝ったという。 1820年からバートン司教のもとで種牡馬として供用された。彼の産駒は優秀で、70頭以上の勝ち馬を送り出し、442勝で5万ポンド以上の賞金を獲得した。おもな産駒にドンカスターカップに勝ったヴォルテール (Voltaire) 、ほかブルタンドルフ (Brutandorf) 、ヴィロシピード (Velocipede) 、ローレル (Laurel) などがいる。1831年にローラ (Laura) という牝馬と交配したあと、血管を破裂させ死亡。17歳。.

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ブライアンズタイム

ブライアンズタイム(Brian's Time、1985年5月28日 - 2013年4月4日)はアメリカ合衆国の競走馬であり、フロリダダービー、ペガサスハンデキャップに勝利した。のちに日本に種牡馬として輸入されたサラブレッドである。.

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ブレイズ (競走馬)

ブレイズ (Blaze) は18世紀中ごろに活躍したイギリスの競走馬、種牡馬である。1751年イギリス首位種牡馬。馬名は、英語で馬の顔の「白い斑」(流星)のこと。 フライングチルダーズ (Flying Childers) の仔で、その主要な産駒である。競走馬としては1738-1740年におそらく7勝。ルイスとニューマーケットのキングズプレート、700ギニーのスウィープステークス(相手はラウンドヘッド〈Roundhead。ラスの半弟〉)などに勝利した。種牡馬としてはサンプソン (Sampson)、スクラブ (Scrub)、グレネーダー (Grenadier) など多数の強豪馬を産出し、1751年のイギリス首位種牡馬を獲得している。とくに有力であったサンプソンは、5つのキングズプレートを獲得したほか、産駒に第1回セントレジャー勝ち馬アラバキュリア (Allabaculia) がいる。サンプソンは体高が15ハンド2インチの大型馬であり、この時代のサラブレッドの中でもっとも大きいと考えられた。また、ブレイズの牝駒にはサイプロン(Cypron。大種牡馬ヘロド〈Herod〉の母)がおり、後世への血統的影響力はここからがもっとも大きい。 1756年にスコートンで死亡。父系はサンプソンからエンジニアー (Engineer)、マンブリノ (Mambrino)、メッセンジャー (Messenger) を通じたラインが受け継がれ、エクリプス (Eclipse) を経由しないダーレイアラビアン (Darley Arabian) 系としては唯一現存する父系である。.

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プリンスリーギフト

プリンスリーギフト(Princely Gift、1951年 - 1973年)はイギリスの競走馬・種牡馬。鹿毛の牡のサラブレッド。 大種牡馬ナスルーラとイギリスで3勝したブルージェムの間に生まれ、競走馬としては1953年から1956年に23戦して9勝。勝ち鞍はクリアウエルステークス、モールトンステークス、チャレンジステークス、ハンガーフォードステークス、ポートランドハンデキャップなど。ほかにジュライステークス2着などがある。総獲得賞金は6,673ポンドであった。 1956年に引退し種牡馬入りすると、ナスルーラの後継種牡馬の一頭となった。1966年にはイギリスの2歳種牡馬ランキング3位、翌1967年には2位に付ける。産駒の傾向として、フロリバンダ、ファバージ、キングストループ、サンプリンセス、ソーブレスドなど早熟で短距離が得意な馬を輩出した。 プリンスリーギフトの仔は、テスコボーイ、ファバージ、バーバーらが日本に輸出され大成功した。これらの成功を受け日本のサラブレッド生産界は、プリンスリーギフト産駒、さらにはラインゴールドやボイズィーボーイなどプリンスリーギフトの孫世代にあたる種牡馬まで次々に輸入した。その数は20頭以上にのぼる。その結果、日本では一時的にプリンスリーギフトの血を持つ馬が増加したが、日本以外の国では、プリンスリーギフトの血を持つ馬は希少となった。 父系子孫としてはテスコボーイのものが比較的発展し、トウショウボーイ - ミスターシービー - ヤマニングローバルのラインが2000年代初頭まで、またエアジハードやサクラバクシンオーなどのサクラユタカオーを経たものは現在でも残っている。.

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パートナー (競走馬)

パートナー、またはクロフツパートナー ((Croft's) Partner) は、イギリスの競走馬・種牡馬。 この馬に関する事柄はそう多くは伝えられていないが、卓越したパワーを持った、すばらしく美しい馬だったという。リンカンシャー州で生まれ、競走馬としてはハリファクス卿のもとで1723-26年まで走り6勝全勝。1728年に種牡馬としてジョン・クロフトに購入されたあとにスマイリングボール (Smiling Ball) という馬を相手に負けているが、これが生涯唯一の敗戦である。種牡馬としてはターター (Tartar)、トラヴェラー (Traveller) などを出した。マッチェム (Matchem) 、スペクテイター (Spectator) の母の父としても知られる。.

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パーソロン

パーソロン(Partholon、1960年 - 1985年)はアイルランドの競走馬。父マイリージャンと母パレオの間に生まれた鹿毛の牡のサラブレッドである。日本で種牡馬として成功し、その系統をパーソロン系と呼ぶこともある。ホモ鹿毛遺伝子の持主で、栗毛や青毛の産駒が存在しない。馬名は、ケルト神話に登場するパーソロン族に由来する。.

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ヒンドスタン

ヒンドスタン、はイギリスの競走馬。日本で種牡馬として成功した。馬名の由来はインドのヒンドスタン平原より。.

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テンプラ (馬)

テンプラとは、アラブ血量を偽って登録されたアングロアラブのことをいう。具体的にはアングロアラブとして登録されたアラブ血量が25%未満のサラブレッド系種のことである。かつての日本において盛んに生産されたとされる。.

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ティズナウ

ティズナウ (Tiznow) は、アメリカ合衆国の競走馬、種牡馬である。2000・2001年にはブリーダーズカップ・クラシックを史上初めて連覇し、競走馬として高い能力を示した。2000年にはエクリプス賞年度代表馬に選出されている。同年の3歳牡馬チャンピオン、2001年の古牡馬チャンピオンでもある。.

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テスコボーイ

テスコボーイ (Tesco Boy) とはイギリスの競走馬である。競走馬としてはそれなりの成績しか残せなかったが、種牡馬として日本に輸出されてからは大きく成功した。馬名の「テスコ」は馬主であるジャック・コーエンが創業したスーパーマーケットチェーンに因む。.

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ディープインパクト (競走馬)

ディープインパクト(Deep Impact、2002年(平成14年)3月25日 - )は、日本のサラブレッドである。2005年(平成17年)に日本競馬史上6頭目の中央競馬クラシック三冠(無敗での達成は2頭目)を達成、2006年(平成18年)には日本調教馬としては初めて芝部門・長距離部門で世界ランキング1位となった国際競馬統括機関連盟(IFHA) 2006年12月31日付 2016年4月2日閲覧。国際競馬統括機関連盟(IFHA) 2016年4月2日閲覧。。種牡馬としては2012年から2017年の日本のリーディングサイアーである公益社団法人日本軽種馬協会 JBIS(Japan Bloodstock Information System) 年度別サイアーランキング,,,,,, 2018年1月1日閲覧。。 このほか2005年にJRA賞年度代表馬・最優秀3歳牡馬、2006年に年度代表馬・最優秀4歳以上牡馬を受賞し、 2008年(平成20年)には顕彰馬に選出された。.

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フライングチルダーズ

フライングチルダーズ(Flying Childers、または単にチルダーズChilders、もしくはデヴォンシャーチルダーズDevonshire Childers、1714年 - 1741年)は、イギリスの競走馬・種牡馬。近代競馬における最初の名馬とも言うべき馬で、18世紀3名馬の一頭に数えられている。全弟にエクリプスの3代父バートレットチルダーズがいる。 名前はレオナルド・チルダーズの持ち馬ということで「チルダーズ」と呼ばれたが、のちにデヴォンシャー公爵の手に渡り「デヴォンシャーチルダーズ」とも呼ばれるようになった。また、飛ぶように早いという意味で「フライングチルダーズ」とも呼ばれ、現在ではこの名称がもっとも有名となっている。.

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フライングチルダーズ系

フライングチルダーズ系(Flying Childers Line)とは、18世紀のサラブレッドに存在していた父系。フライングチルダーズを始祖とする。現在サラブレッドとしては弟バトレットチルダーズやヘロドの父系に押され断絶しているが、スタンダードブレッド・アメリカ乗用馬・テネシー乗用馬、その他トロッター、乗用馬等へ受け継がれている。特に北米のスタンダードブレッドの99%はこの父系に属すとされ、競走馬としての実頭数はヘロド系やマッチェム系を上回る規模にある。.

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ファラリス

ファラリス(Phalaris、1913年 - 1931年)とは、イギリスの競走馬・種牡馬である。子孫にネアルコやネイティヴダンサーが出ており、現代サラブレッドの約8割がこの馬に辿り着くと言われ、主流父系の始祖となった。馬名の由来は「ファラリスの雄牛」の逸話などで知られる古代シチリアの暴君 (Phalaris) から。.

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ファロス (競走馬)

ファロス (Pharos) は、イギリスの競走馬・種牡馬。競走馬としては1920年代前半に活躍した。全弟にフェアウェイ(セントレジャーステークス、イギリスリーディングサイアー4回)、全妹にフェアアイル(1000ギニー)がいる。馬名の由来は、アレクサンドリアの大灯台があるファロス島。.

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フェアプレイ (競走馬)

フェアプレイ (Fair Play) はアメリカ合衆国の競走馬、および種牡馬。競走馬としてローレンスリアライゼーションステークスなどの勝鞍を持ち、種牡馬入りして多くの実績馬を輩出した。とくにマンノウォーの父として有名である。1956年にアメリカ競馬殿堂入りを果たした。.

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ドンカスター (競走馬)

ドンカスター(Doncaster)はイギリスの競走馬・種牡馬。1873年のダービーステークスに優勝した。産駒にベンドアがいる。名前の由来はドンカスター競馬場があるイギリスのドンカスターより。 デビューが遅れ緒戦はいきなり2000ギニーで、この競走を惨敗すると次はエプソムダービーに向かい一変して楽勝した。当時は良血馬であればデビュー戦がいきなりクラシックと言うこともめずらしくはなかったが、初勝利がエプソムダービーというのはなかなかめずらしい。 このあとパリ大賞典3着、セントレジャーステークス2着、ニューマーケットダービー2着と善戦するもなかなか勝てず、2勝目は翌年のグッドウッドカップになった。3勝目はさらにその翌年のアスコットゴールドカップで前年2着の雪辱を果たし優勝した。2日後にアレキサンドラプレートに勝ち引退。 生涯成績は10戦4勝、2着3回。獲得賞金は3万6547ドル(米貨換算)。引退後は種牡馬としてもまずまず成功し、ベンドア(ダービーステークス)、フェアウェル(1000ギニー)などの産駒を残している。.

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ホエールボーン

ホエールボーン(Whalebone、1807年 - 1831年)とは、エプソムダービー(第31回 1810年)勝ち馬である。1826, 27年英リーディングサイヤー。馬名のホエールボーンは、英語で 「ヒゲクジラのひげ」 の意味。15ハンド2分の1インチ(約154センチメートル)しかない小さな馬だったと伝えられている。 父ワクシーもエプソムダービー(第14回 1793年)勝ち馬で、1810年リーディングサイアー。ポープ、ホエールボーン、ブリュッヒャー、ウイスカーと4頭のダービー馬の父である。母ペネロピは18勝もした名牝・名繁殖牝馬であり、ホエールボーン、その全弟ウイスカーと2頭のダービー馬、1000ギニー馬ウイジWhizgigと3頭のクラシック馬を輩出した。 1831年、Ogressという牝馬と交配した際に血管を破裂させたのが元で死亡した。 本馬はメールライン(サイアーライン)上では現在に繋がるタッチストン、バードキャッチャー、現在では滅びているものの一時発展したウェイバリーやディフェンス系等の分岐点に当る。エクリプス系の内、セントサイモン系を除く全てのサラブレッドの父系祖先ということになる。本馬はY染色体に突然変異(YE3領域に1塩基の欠失)を持っていたと考えられており、子孫はY染色体ハプログループ3に属する。すなわちゲノム解析により本馬の子孫を鑑別可能である。.

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ダーレー・ジャパン

ダーレー・ジャパン株式会社(Darley Japan K.K.)はアラブ首長国連邦ドバイの首長ムハンマド・ビン=ラーシド・アール=マクトゥーム(シェイク・モハメド)が代表を務める「ダーレー・グループ」の事実上の日本における現地法人の一つである。.

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ダーレーアラビアン

ダーレーアラビアンあるいはダーレイアラビアン(Darley Arabian、1700年 - 1730年)は、サラブレッド三大始祖の一頭(ただし4代孫のエクリプスを三大始祖とすることもある)。玄孫のエクリプス (Eclipse) を通じて主流血統を築いた。名前はダーレー所有のアラブ馬の意。.

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ダーシーズホワイトターク

ダーシーズ・ホワイト・ターク (D'Arcy's White Turk) は、17世紀後半にイングランドで活動したアラブまたはトルコ系種牡馬で、サラブレッドの始祖の一頭。別名セドベリーターク (Sedbury Turk) とも。プレースズ・ホワイト・ターク (Place's White Turk) と同一視されることもあるが、同一馬とすると輸入年(1657年輸入)に矛盾がある。 1675年あるいは1676年にシリアのアレッポから輸入され、セドバリースタッドで繋養された。産駒としては、種牡馬として成功したオーボイ (Hautboy) のほか、ラッグス (Luggs) 、13号族の牝馬グレーロイヤル (Grey Royal) などが記録されている。死亡年は不明だが、交配記録より1690年以降と考えられる。 父系子孫はオーボイからグレーオーボイ (Grey Hautboy) 、さらにベイボルトン (Bay Bolton) が出て、一時三大始祖に並ぶほどの勢力を持ったが、19世紀初頭に消滅した。また、この馬に由来する芦毛遺伝子も一時広まったが、現在のサラブレッドの芦毛は別の馬に由来するものである。.

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ダーシーズイエローターク

ダーシーズ・イエロー・ターク(D'Arcy Yellow Turk)は、サラブレッドの始祖の1頭で、1670年あるいは1675年頃イギリスに輸入されたターク系種牡馬である。ドッズワースDodsworthと同一馬とも言われる。 競走馬としての成績は残っておらず、おそらく未出走。種牡馬としてリッチモンドのセドバリースタッドで供用され、スパンカーSpanker、ブリマーBrimmer等を残した。父系は数代で絶えたが、これらを通じて初期のサラブレッドに影響を残した。特にスパンカーは多くの馬の母系に入っている。 なお、初期のサラブレッドには月毛や河原毛と考えられる馬がいくらか存在した。著名なところではシルバーロックスSilverlocks(月毛)、ロクサナRoxana(月毛?)、ブリリアントBrilliant(河原毛。母がシルバーロックス)などがいる。シルバーロックス及びロクサナの母母にクリームチークスCream Cheeks(月毛?)という馬がおり、この馬の母父父がダーシーズイエロータークである。ただしシルバーロックスの母父アカスタータークAcaster Turk(登録上は芦毛)に由来する可能性もある。しかし、18世紀中ごろには次第に見られなくなり、1777年生まれのGolden Dunなどを最後に姿を消した。現在、北米やドイツで1966年に生まれたミルキーMilkieを祖とする月毛や河原毛、佐目毛のサラブレッドが僅かに存在するものの、草創期のサラブレッドに存在した月毛との関係は不明である。.

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ベンドア

ベンドア()とはイギリスの競走馬・種牡馬である。1880年のエプソムダービーに優勝した。種牡馬としては同時期にセントサイモンがいたことからリーディングサイアーになることはなかったが、イギリスクラシック三冠馬オーモンドなどを出している。子孫は後にセントサイモン系の衰退を期に現在の主流となった。名前は紋章学の襷「Bend」と金色「Or」より。 毛色は母の父ソーマンビー、父の父ストックウェルから受け継いだベンドア斑(別名:バードキャッチャー斑)により黒い斑点を持っており、しかも尾花栗毛の珍しい毛色であった。馬体そのものは16.1ハンド(約164cm)のすばらしい馬体を誇っていたという。.

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ベイミドルトン

ベイミドルトン(Bay Middleton、1833年 - 1857年)は、1830年代に活躍したイギリスの競走馬・種牡馬。2000ギニー、エプソムダービーの二冠をはじめ、出走した6戦すべてに勝利した。種牡馬としてもザフライングダッチマン、アンドーヴァー2頭のエプソムダービー優勝馬を残した。 ベイミドルトンは1830年代中ごろの最強馬で、2000ギニー、エプソムダービーを楽勝したうえ、セントレジャーステークスの優勝馬エリスを2度にわたって破っている。セントレジャーステークスに出走していれば三冠を達成する可能性はかなり高かったと思われるが、ウェストオーストラリアンが初めて三冠を達成したのが1853年のことで、当時は三冠路線自体が成立していなかった。このためセントレジャーステークスには出走していない。4歳時はアスコットゴールドカップを目指すも結局不出走で引退した。 引退後は種牡馬になっており、ザフライングダッチマン、アンドーヴァー、ザハーミット、アフラダイティ4頭のクラシックホースを含む多くの勝ち馬を送り出し、1844年と1849年にはイギリスチャンピオンサイアーを獲得している。1848年にベンティンク卿が死亡したあとはエドワード・モスティンのデインベリースタッドに移りそこで10年を過ごした。.

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ベイボルトン

ベイボルトン(Bay Bolton、1705年 - 1736年)は18世紀初頭に活躍したイギリスの競走馬、種牡馬。この時代の競走馬としてはもっとも優れた一頭であり、種牡馬としても成功した。いわゆる三大始祖が成立する以前のサラブレッドのため父系は現在に残っていないが、エクリプス (Eclipse) の父母母父、スナップ (Snap) の母母父、ボニーラス(Bonny Lass。1号族a分枝の祖)の父として現在につながっている。 1705年にヨークシャーで生まれる。父はグレイホートボーイ (Grey Hautboy) 、母はメークレスメア (Makeless Mare) 。生産者であるマシュー・ピアソン卿のもとで、5歳時にブラウン・ラスティ (Brown Lusty) という名でデビュー、のちにボルトン公爵に売られベイボルトンと呼ばれるようになった。1710年にヨークで行われたアン女王のゴールドカップ (Queen Anne's Gold Cup) で6歳馬を相手に勝ち、このあともほぼ無敗。ミドルハムムーアのグレートサブスクリプションパース、ドラゴン (Dragon) とのマッチレースなどに勝った。 種牡馬としてはボルトン公爵のもとで供用された。1724,1726,1727,1729,1732-1734年の間に7回チャンピオンサイアーになったという後世の集計もある。おもな産駒としてはボルトンスターリング (Bolton Starling) 、ルービー (Looby) 、フェアノート (Fearnought) 辺りであろう。.

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アラブ種

アラブ種の雌馬 アラブ種の骨格 アラブ(種) (Arab、Arabian) とは、ウマの品種の一つ。現存する馬の改良種の中で最初に確立した品種とされる。体高約150cm、体重約400kg。 サラブレッドよりは小柄で華奢な体躯で、速力もサラブレッドには劣るが、耐候性、耐久性に優れる。 その成立ははっきりしないが、アラビア半島の遊牧民、ベドウィンにより、厳格な血統管理の元に改良が進められ、品種として確立した。伝承によるとケヒレット・エル・アジュズ(「老婦人の牝馬」の意)という牝馬がアラブ種の根幹牝馬である。 サラブレッドはこのアラブを元にイギリスやその他の在来馬と掛け合わせて作られた品種であり、三大始祖は全てアラブ種かそれに類するターク、バルブ種である。特にダーレーアラビアンはジェネラルスタッドブックにおいて純粋なアラブとされている。また、サラブレッド成立後、主にフランスでこのアラブとサラブレッドを掛け合わせて作られたのがアングロアラブである。日本ではサラブレッドと共にこのアングロアラブも競走馬として多く用いられ、生産も盛んであった一方、アラブ自体はあまり普及しなかったため、日本でアラブといえば一般的にアングロアラブのことを指し、アラブは「純血」アラブと言わないと通じないことがある。.

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アングロアラブ

アングロアラブ アングロアラブ(Anglo-Arabian)は、馬の一種で、アラブとサラブレッドの混血種である。.

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アホヌーラ

アホヌーラ (Ahonoora) とはイギリスで生産された競走馬および種牡馬である。.

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インディアンリッジ

インディアンリッジ (Indian Ridge) とはアイルランドで生産された競走馬、および種牡馬である。.

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ウッドペッカー (競走馬)

ウッドペッカー (Woodpecker) とは18世紀末に活躍したイギリスの競走馬、種牡馬である。馬名は英語で「キツツキ」の意。 競走馬としては1777年から1781年にかけ15勝。活躍場を多数産したヘロドHerod産駒の中でもかなり上級の部類に入る。1780年にニューマーケットで行われたスウィープステークスでポテイトーズPotooooooooを破り、クレーヴンステークスを1778,1779,1781年の3度勝った。ただし、ポテイトーズとは何度か(少なくとも4度)対戦しており、勝ったり負けたりであった。この他比較的著名な馬としてキングファーガスKing FergusやマンブリノMambrinoと対戦しており、何れもにも勝利している。 種牡馬としては、当初3ギニーで供用されたが、最終的に100頭を越える勝ち馬を送り出し、種付け料は30ギニーにまで上昇した。主な産駒にバザードBuzzardがいる。1789年から1792年には、それまで2位を11度続けていたエクリプスEclipseを退け種牡馬リーディング2位にリストされた。粗野な大きな馬で、垂れ下った広い耳が特徴であった。1798年の後半にロンドン近郊のペットワースで死亡。.

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ウェストオーストラリアン (競走馬)

ウェストオーストラリアン(West Australian、1850年 - 1870年)とは、イギリスの競走馬である。19世紀中ごろに活躍し、1853年に史上初となるイギリスクラシック三冠を達成した。ほかアスコットゴールドカップなどに勝利した。種牡馬としては失敗に終わったが直系子孫は残っている。.

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エイムウェル

イムウェル(Aimwell、1782年 - 不明)とはイギリスの競走馬である。1785年にダービーステークスを制し、三大始祖以外の父系に属す馬として唯一のクラシック勝利馬となった。馬名はジョージ・ファークァーのコメディー「しゃれ男たちの計略 (The Beaux' Stratagem)」の主人公エイムウェル男爵より。 エイムウェルが制したのは1785年5月5日に行われた第6回ダービーステークスである。ダービーは前年8ハロンから12ハロンに延長されており、この年もエプソム競馬場の芝12ハロンで行われた。出走馬は10頭、チャールズ・ヒンドレー騎乗のエイムウェルは7対1の8倍のオッズであった。結果はチャールズに導かれたエイムウェルが2着グランサム、3着ヴェルジュースを抑えて優勝、1,023ギニーの賞金を獲得した。 生産者、馬主である第3代クラモント伯爵ウィリアム・フォーテスキューはこの年幸運に恵まれ、1週間後にはトライフルでオークスを制し、ダービー・オークス両制覇を成し遂げた最初の人物となった。 なお、1786年春にニューマーケットで負けた後の記録は一切残っておらず、その後の消息は不明。ジェネラルスタッドブックに1頭も産駒は登録されておらず、種牡馬としてどれだけ供用されたかも不明である。この馬を最後に、イギリスから三大始祖以外の父系に属する馬はほぼ姿を消した。.

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エクリプス (競走馬)

リプス(Eclipse、1764年 - 1789年)とは、18世紀後半に活躍したイギリスの競走馬・種牡馬である。18戦18勝の戦績に加え、サラブレッドの基礎を作ったと言われる。Eclipseの子孫TouchStone1831年の仔Orlando1841年、この仔にEclipse1855年がいる。このEclipse1855年は”ヒムヤー”Himyar1875年という現在まで続く系統の始祖である。ことわざ「Eclipse first, the rest nowhere.」(意味: 「唯一抜きん出て並ぶ者なし」(『新英和大辞典』研究社より引用))で知られる。.

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エクリプス系

リプス系(エクリプスけい、Eclipse Sire Line)とは、馬(サラブレッドの他クォーターホース等)の父系の一つ。ダーレーアラビアン(Darley Arabian)を始祖とする。本来ならばダーレーアラビアン系とすべきであるが、現在のダーレーアラビアンの父系に属するサラブレッドは全てエクリプス(Eclipse)の直系子孫であるためエクリプス系と呼ばれている。アラブ種やスタンダードブレッドを除く、サラブレッド、クォーターホース、セルフランセ等の主要馬種のほとんどで主流血統を形成しており、特にサラブレッドの97%はエクリプス系に属するとされる(2014年に日本で生産されたサラブレッドにおけるシェアは99.85%である。残りは全てマッチェム系)。 Y染色体ハプロタイプは、ハプロタイプ2ないしハプロタイプ3である。ハプロタイプ2はアラブ種に多く、ダーレーアラビアンやエクリプス自身はハプロタイプ2であったと考えられている。セントサイモン系やフライングチルダーズ系、ヤングマースク系はハプログループ2(ハプロタイプ2からなる集団)に属している。 ハプロタイプ3はホエールボーンの系統で見られる。ハプロタイプ3はY染色体のYE3領域にある1塩基の欠失で定義されるもので、サラブレッド及びその影響下にある馬種以外には見られないため、ホエールボーンが持っていた(そしておそらくホエールボーンで発生した)突然変異が広まったと考えられる。ファラリス系伸長の影響により、サラブレッドにおいてハプログループ3の占める割合は96.5%にも達している。.

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オルフェーヴル

ルフェーヴル (Orfevre)は日本の競走馬。 中央競馬史上7頭目のクラシック三冠馬月刊『優駿』2011年12月号22-23頁。おもな勝ち鞍は皐月賞、東京優駿、菊花賞(2011年)、宝塚記念(2012年)、有馬記念(2011年、2013年)。フランスの凱旋門賞にも遠征し、2年連続で2着となった。馬名はフランス語で「金細工師」(仏:)。.

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オルコックアラビアン

ルコックアラビアン(Alcock Arabian)とは、サラブレッドの始祖の一頭である。父系子孫としてダービー馬を出すなど三大始祖以外では最も有力な父系の一つを形成した。芦毛の始祖としても知られる。。なお、ペラムズグレイアラブ(Pelham's Grey Arab)など別名とされるものが複数存在する。 オルコックアラビアンが登場するのは、ジェネラルスタッドブック第1巻第4部。ここには三大始祖を含む102頭の輸入種牡馬群が記載されている。通説ではこの馬は、1700年代にロバート・サットンによってコンスタンティノープルから輸入された純血アラブとする。また、実はイギリス生まれで、カーウェンズベイバルブ(Curwen's Bay Barb)の産駒であるとの説も根強い。ともかく1720年代にリンカンシャー州で供用されていた事が記録に残っている。1722年にはバストメア(Basto mare)との間にクラブ(Crab)を産み、1728年には産駒の勝ち数がイギリス最多を記録した。プライアーのメモには、1723年に死亡したと書かれているが、1726年生まれの仔の存在する事と矛盾しており、死亡日は不明である。 インドハイデラバード州では、本馬を記念するオルコックバルブステークス(IND-G3)が行われている。また、セガ(後のセガ・インタラクティブ)のメダルゲームのSTARHORSEシリーズに逃げ馬として登場する。.

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オーム (競走馬)

ーム(Orme、1889年 - 1915年)とは、イギリスのサラブレッドの競走馬、および種牡馬である。父はイギリス三冠馬オーモンド、母はセントサイモンの全姉アンジェリカという血統で、競走馬時代はクラシックには縁がなかったものの、エクリプスステークス連覇などの成績を残した。特に種牡馬としての成績が顕著で、イギリス三冠馬フライングフォックスなどの父となった。.

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オーモンド

ーモンド (Ormonde) は、イギリスの競走馬・種牡馬である。19世紀末に史上4頭目のイギリスクラシック三冠を達成し、16戦不敗の成績を残した名馬である。不遇の晩年を送り、種牡馬としても成功することはできなかった。代表産駒はオーム。.

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カーウェンズベイバルブ

ーウェンズ・ベイ・バルブ(Curwen's Bay Barb、別名ペルハムズ・ベイ・バルブ Pelham's Bay Barb)は、サラブレッドの始祖の一頭で、1698年ごろイギリスに輸入されたバルブ系種牡馬である。サラブレッドに対する遺伝的影響は4.2パーセント(異説によると5.6パーセント)であるが、この数値はRuby mareと並び、すべての基礎繁殖馬群のなかでGodolphin ArabianとDarley Arabianに次ぐ高い影響力を持つ。 その生涯は極めて不明瞭であり、Taffolet Barbやthe Lowther Bay Barbと同一馬であるとも言われる。もともとはモロッコ王イシマエルからフランス王ルイ14世へ贈られたものだったが、ヘンリー・カーウェンがイギリスへ送ったものという。交配相手は限られていたが、Mixbury Galloway、Hip、Creeping Molly、Monkey、Brocklesby Betty(23号族基礎)などを出した。このほかにも9号族や、12号族、18号族の基礎牝馬となったものがおり、Partner(母父)、Crab(母母父)、Herod(4代前)、Matchem(4代前)の血統中にも見つけることができる。また、別の始祖、Alcock Arabianの実父という説もある。.

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ガロピン

ピン(Galopin、1872年 - 1899年)は、1870年代に活躍したイギリスの競走馬・種牡馬。1875年のエプソムダービー優勝馬で、大種牡馬セントサイモンの父として知られている。自身もイギリス種牡馬チャンピオン3回、母の父としても3度首位になっており、優れた種牡馬であった。.

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キングファーガス

ングファーガス (King Fergus) は、18世紀末に活躍した競走馬、種牡馬である。馬名はダルリアダ王国のファーガス王より。種牡馬として成功し、エクリプス系を発展させた主要な系統となった。1797年イギリス首位種牡馬。 現役時代は1778-1781, 1784年の5年間走に8勝。大きなレースや強い馬に勝ったことはなく、目立った競走馬ではなかった。一方、種牡馬としては最初アイルランドで、その後イギリスで供用され、ハンブルトニアン (Hambletonian) などの有名な競走馬を送り出すなど成功した。1797年にはそのハンブルトニアンなどの活躍によりイギリスの首位種牡馬を獲得している。1777年から1796年までの20年間ヘロド (Herod) -ハイフライヤー (Highflyer) 親子が連続して首位種牡馬を獲得しており、それをストップさせる形となった。また、首位獲得はエクリプス系として初であった。1801年ヨークシャーバラブリッジ (en) で死亡。 直系子孫は現在でも残存しており、主要国でもときおり見かけることができる。後継種牡馬のうち当初優勢であったのはベニングバラ (Beningborough) のほうであったが、19世紀中に衰退し、現在残っているのはすべてハンブルトニアンの子孫である。ハンブルトニアンの子孫にはセントサイモン (St. Simon) 、リボー (Ribot) らがいる。.

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ギンザグリングラス

ンザグリングラス(Ginza Green Grass)は、日本の競走馬、種牡馬である 2007年に千葉サラブレッド・セールにて210万円で取引された馬である。同年JRAでデビューし1勝を挙げる。2008年に地方競馬に移籍、主に大井競馬場や川崎競馬場で出走した。2014年引退。引退時はメジロマックイーン産駒最後の競走馬となっていた。JRA11戦1勝、南関東98戦2勝。 引退後は熱心なファンが引き取り、北海道沙流郡日高町の旭牧場で種牡馬入り。2015年、2016年とも3頭の繁殖牝馬との交配に恵まれ、2016年4月17日に初仔も生まれている。 父系は1964年に日本に輸入されたパーソロンを起点としており、以下メジロアサマ、メジロティターン、メジロマックイーンに次ぐ4代目となる。内国産種牡馬が4代続いた例としては、1970年代のアイアンハート、本馬と同父のグランアクトゥール(既に種牡馬引退)に次いで3例目である。メジロアサマが生まれた1966年から起算すれば、2009年にシンザン系が断絶して以降、この父系は日本国内で継承されている父系として最も古いものとなっている。 なお、この父系は、大系統で言えば三大父系の中で最小のヘロド系に属している。日本のヘロド系はパーソロンやダンディルートの子孫により2000年ごろまでは栄えたが、その後は縮小し2010年ごろまでにほぼ消滅した。2017年現在、本馬が日本で唯一のヘロド系種牡馬となっている。この父系は日本以外でも縮小が激しく、活躍しているのはイギリスのIndian Ridgeの後継にほぼ限られる。2015年に主力であったCompton Placeが死亡し、危機的状況に陥っている。.

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クラブ (競走馬)

ラブ (Crab) は18世紀前半に活躍したイギリスの競走馬、種牡馬である。18世紀にはクラブという名を持つ馬が何頭もいたため(多くは本馬の産駒)、オールドクラブ (Old Crab) やポートモア卿のクラブ(Lord Portmore's Crab)と呼ばれることも多い。半弟にともにフライングチルダーズ (Flying Childers) を父に持つブラックレグズ (Blacklegs) 、スニップ (Snip) がいる。馬名は英語で「カニ」。 1727-1729年に6勝。敗戦も何度か経験しているが、ヴィクトリアス (Victorious) やクレオパトラ (Cleopatra) のような馬を負かし、強い馬であった。のちに種牡馬として高い評価を得、三大始祖以外の父系に属す種牡馬としては最大級の成功を収めた。この成功は大きく、クラブの父系は1800年ごろまで残った。キングファーガス (King Fergus) やポテイトーズ (Potoooooooo) などといったエクリプス系基幹種牡馬たちにもクラブの強い影響がみられる。また、本馬は芦毛であり、この毛色をサラブレッドに定着させる強い力となった。1748-1750年イギリス首位種牡馬。.

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クライムカイザー

ライムカイザーは日本の競走馬。TTG3強世代の一頭で、トウショウボーイ・テンポイント・グリーングラスの同期であった。おもな勝ち鞍は1976年東京優駿(日本ダービー)、弥生賞・京成杯。名前の由来はClimb(上り詰める)+Kaiser(ドイツ皇帝の称号)であるが、後に犯罪皇帝 (Crime Kaiser) とも呼ばれるようになった。.

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クォーターホース

ーターホース(Quarter horse)は、正式にはアメリカンクォーターホース(American quarter horse)と呼ばれるウマの品種の一つ。体高は150cm、体重は400kg程度。アメリカにおいて主として乗馬・牧畜作業・競馬用として使用。世界各地で400万頭余りが登録されており、事実上世界で最も頭数の多い品種である。.

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クサール (競走馬)

ール (Ksar) は、1920年ごろに活躍したフランスの競走馬である。凱旋門賞(1921,1922年)、ジョッケクルブ賞(1921年)などに優勝した。1931年フランス首位種牡馬。馬名はクサールに由来。.

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ケード

ード (Cade) はイギリスの競走馬・種牡馬である。マッチェム (Matchem) の父として知られる。産駒に同名馬がいるためオールドケード (Old Cade) とも呼ばれている。 ケードは当時フライングチルダーズ (Flying Childers) 以来の名馬と呼ばれたラス (Lath) の2歳下の弟である。産まれて10日後に母ロクサナ (Roxana) が死亡したため、やむなく牛の乳によって人の手で育てられた。1740年10月、ニューマーケットでセドバリー (Sedbury) 、エレファント (Elephant) 、ブラックシルバー (Blacksilver) などを負かしてキングズプレートを獲得。1745年10月まで兄ほどではないが競走馬として活躍した。その後1756年9月に死亡するまでノースヨークシャー州のイーズビー・アビーで種牡馬として供用された。1752, 1753, 1758, 1759, 1760年にイギリスのチャンピオンサイアーを獲得している。.

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コンダクター (競走馬)

ンダクター(英語:Conductor)とは、18世紀後半に活躍したイギリスの競走馬、種牡馬である。馬名はラテン語で賃借人、雇い主を意味するConductorコンドゥクトルに由来する(現在は英語に取り入れられ指揮者、導体を意味する)。 1770年から1773年までの4年間におもにニューマーケットで走り、10勝。マッチェム (Matchem) 産駒らしく、丈夫で素直な馬であったという。1773年のキングズプレートやジョッキークラブプレートに勝利し、マークアンソニー (Mark Anthony) 、ファイヤーテイル (Firetail) 、トレンサム (Trentham) 、アマランサス (Amaranthus) などを倒している。 種牡馬としても成功し、マッチェム系のラインを伸ばした。産駒にトランペイター(Trumpator、1803年イギリス首位種牡馬)とインペラーター (Imperator) がいる。.

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コーディング領域

遺伝子のコーディング領域はタンパク質に翻訳される領域を指す。 つまりコーディング領域は成熟mRNA の5' 非翻訳領域(five prime untranslated region:5' UTR)と3' 非翻訳領域(three prime untranslated region:3' UTR)の間にある開始コドンと終止コドンに挟まれたタンパク質に翻訳されるmRNA あるいはその鋳型となるDNA の領域を指す。.

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ゴドルフィン

ドルフィン(Godolphin Racing Inc.)は、UAE・ドバイの王族マクトゥーム家による競走馬管理団体である。UAEの副大統領でドバイの首長であるムハンマド・ビン=ラーシド・アール=マクトゥーム(しばしばシェイク・モハメドと表記される)が中心となって出資している。名称はサラブレッドの三大始祖の一頭であるゴドルフィンアラビアンにちなむ。.

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ゴドルフィンアラビアン

ドルフィンアラビアンまたはゴドルフィンバルブ(Godolphin Arabian, Godolphin Barb、1724年 - 1753年)は、サラブレッド三大始祖の一頭、遺伝的にはサラブレッド最大の創始者。伝説的な生涯が伝えられており、その馬生は小説にもなった。.

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ザバロン

バロン(The Baron、1842年 - ?)は、1840年代に活躍したアイルランド・イギリスの競走馬・種牡馬である。父、祖父と同じくアイルランドの出身で、イギリスに渡りセントレジャーステークスを制すことでアイルランド競馬のレベルを知らしめた。種牡馬としてもストックウェルの父として知られる。.

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ザテトラーク

テトラーク(The Tetrarch、1911年 - 1935年)は、アイルランドの競走馬である。 奇妙な斑点模様を持つことで知られる一方、抜群のスピードを武器に短距離で圧倒的な強さを誇り、種牡馬としても成功した。イギリスでは20世紀最強の2歳馬とされる。競走馬名の由来はヘロデ・アンティパスの称号「テトラーク(Tetrarch、四分封領主)」から。本馬の父ロアエロドがヘロデ大王を意味することから、その息子ヘロデ・アンティパスにちなんで名付けられた。あだ名は「Spotted Wonder」(脅威のまだら)。.

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ザフライングダッチマン

フライングダッチマン (The Flying Dutchman) はイギリスの競走馬である。19世紀中ごろの強豪で16戦15勝、エプソムダービー、セントレジャー、大ロシア皇帝陛下プレート(現在のアスコットゴールドカップ)勝ちなどの成績を残した。セントサイモンの父ガロピンのブルードメアサイアーでもある。 2歳時はシャンペンステークスなど5戦5勝、3歳になっても勢いは止まらず8か月ぶりに出走したエプソムダービーでもホットスパーを下し勝利、さらにセントレジャーも勝利しイギリスクラシック二冠を達成した。4歳になっても大ロシア皇帝陛下プレートを8馬身で圧勝するなどしたが、ドンカスターカップで生涯唯一の敗戦を喫している。相手は無敗の二冠馬ヴォルティジュール(セントサイモンの父方祖先)で、ザフライングダッチマンの騎手チャールズ・マーロウは泥酔しての出走だった。このため馬主・エグリントンはすぐに再戦を申し込み、翌年2頭のマッチレースが実現した。 マッチレースはヨーク競馬場の2マイルで行われ、掛け率は互角。ザフライングダッチマンには名誉回復のためにマーロウが跨っていた。レースは当初ヴォルティジュールが先行し、その3馬身後をザフライングダッチマンが追った。そして直線入り口からゴールまでは2頭ならんでの激闘が展開され、競馬史に残るマッチレースとして現代に語り継がれている。結果は徐々に差を詰めたザフライングダッチマンが先にゴールに達し、1馬身差でヴォルティジュールに雪辱した。ザフライングダッチマンはこのレースを最後に現役を退いている。なおマーロウは名誉回復を果たしたものの、泥酔の件が大きく響いて信用を失い、次第に競馬界から追い出される形となり、最期は貧乏窟で亡くなった。 引退後は種牡馬となったがほどなくフランスに輸出された。現役時代からの期待に比べれば成功したとはいえないが、フランスでの産駒ドラールがアンドロクレスを出し直系を繋いでいる。子孫はトウルビヨンや日本ではシンボリルドルフ、メジロマックイーン、トウカイテイオーなどが代表格である。.

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シリーン

リーン (Cyllene) とはイギリスの競走馬である。1890年代末に活躍した。クラシック登録がなかったためクラシック競走には出走していないが、アスコットゴールドカップ、ジョッキークラブステークスに勝った。 種牡馬としてもイギリスで2回、アルゼンチンで1回リーディングサイアーとなった。.

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シンボリルドルフ

ンボリルドルフ (Symboli Rudolf) は、日本の競走馬である。日本競馬史上4頭目の中央競馬クラシック三冠馬(無敗で三冠達成した初の馬)であり、その他のGI競走を含めると史上初の七冠馬でもある。1984年度優駿賞年度代表馬および最優秀4歳牡馬、1985年度同年度代表馬および最優秀5歳以上牡馬。主戦騎手は岡部幸雄。1987年、顕彰馬に選出された。 馬名「シンボリ英語で「象徴」を意味する「Symbol」を変形させた造語。」は馬主の冠名、「ルドルフ」は神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフ1世にちなんで名づけられた。その競走成績・馬名から「皇帝」、または「七冠馬」と称される。 ※以下、馬齢はすべて2000年以前に使用された旧表記(数え年)にて記述する。.

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シンザン

ンザン(1961年 - 1996年)は、1960年代に活躍した日本の競走馬、種牡馬である。史上2頭目、戦後初のクラシック三冠馬。1964年・1965年啓衆社賞年度代表馬。1984年に顕彰馬に選出された。八大競走の勝利数から「五冠馬」と呼ばれる。その走りは「鉈の切れ味」と形容された。 注意:馬齢はとくに断りがない限り旧年齢(数え)での表記とする(一部満年齢の使用箇所あり)。.

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ジェネラルスタッドブック

『ジェネラルスタッドブック』(General Stud-Book、サラブレッド血統書、略称GSB)とは、サラブレッドを定義付けている血統書である。1791年に初刊行。後のスタッドブック(血統書)、さらにはサラブレッドの方向性を定めたものとして大きな意味を持っている。イギリスのウェザビー社が4年ごとに出版しており、最新版は2013年刊行の第47巻である。 成立は18世紀後半に遡る。ジョッキークラブ事務局長のジェームズ・ウェザビーは、サラブレッドの体系的な血統書の発刊を目指し、甥で同名のジェームズ・ウェザビーに各牧場の私的な血統記録や、過去のレーシングカレンダーを集めさせ1791年にはそれまでの活躍馬の血統とそれらの簡単な成績、をまとめたジェネラルスタッドブック序巻を出版。2年後の1793年に、序巻の内容を補完したジェネラルスタッドブック第一巻を刊行した(この刊はその後も6度に渡って改討され、1891年に最終改討版が出版されている)。その後も、第2巻、第3巻と、以後のサラブレッドを収録しながら今日に至るまで刊行され続けている。 ジェネラルスタッドブックの意義としてはサラブレッドの基準を定めたと言うことがあげられるだろう。純血種(多少語弊があるが)としてのサラブレッドが定義づけられ、以後のサラブレッドの方向性に大きな影響を及ぼした。.

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ジェベル (競走馬)

ェベル(Djebel、1937年 - 1958年)はフランスの競走馬、種牡馬である。名馬産家マルセル・ブサックの代表的な生産馬で1940年の2000ギニー、1942年の凱旋門賞を制した。.

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ジグ (競走馬)

(Jigg) は、18世紀初頭に活躍したイギリスの競走馬、種牡馬である。 バイアリーターク (Byerley Turk) の産駒で、その系統を継承した馬である。ヘロド (Herod) の父であるターター (Tartar) の父パートナー (Partner) の父にあたる。18世紀初頭という時代に加え、競走馬として下級(出走歴があるかどうかも定かでない)、種牡馬としても1718年に生まれたパートナーが活躍するまでは凡庸だったため、記録が少なく成績などはほとんど分からない。1731年までに30数頭の産駒を送り出したという。そのほかの産駒にロビンソンクルーソー (Robinson Crusoe) 、ショック (Shock) 、ミスジグ(Miss Jigg、9号族)など。近親にバートレットチルダーズ (Bartlet's Childers) やケード (Cade) などがいる。.

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スペクテイター

ペクテイター (Spectator) は、18世紀中ごろに活躍したイギリスの競走馬、種牡馬である。馬名はラテン語で「観客」(SPECTAROR スペクタートル)の意。半妹にジュリアがいる。 競走馬としては1754-1757年にニューマーケットで走り5勝。1754年4月に600ギニーを賭けたスウィープステークスを勝ったほか、1756年のジョッキークラブプレートでマッチェム (Matchem)、ブリリアント (Brilliant)、ウィッスルジャケット (Whistlejacket) らを破った強豪である。 種牡馬としては1758年から第3代アンカスター公のもとで供用された。三大始祖の父系に属さない馬としては最後の強い影響力を残した種牡馬であり、ダービー馬エイムウェル (Aimewell) を出したマークアンソニー(Mark Anthony。20勝)、ダンパー (Damper)、トロフィー (Trophy)、サルファー (Sulphur) らを産した。牝馬の中にもジュノー(Juno。ヤングエクリプス〈Young Eclipse〉、ドラゴン〈Dragon〉の母)、その姉の無名馬(ダイオメド〈Diomed〉の母)、ヘレン(Helen。サージェント〈Sergeant〉、ダンガノン〈Dungannon〉の母の母)、ミスローズ(Miss Rose。オークス馬ベリーナ〈Bellina〉の母の母)がいる。1772年に死亡。この馬のラインは18世紀末から19世紀初頭まで残っていた。.

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ストックウェル (競走馬)

トックウェル(Stockwell)は、19世紀中ごろに活躍したイギリスの競走馬・種牡馬。2000ギニーとセントレジャーステークスに勝ち二冠を達成した。種牡馬としても計7回のイギリスリーディングサイアーを獲得するなど活躍し、「種牡馬の皇帝」と呼ばれた。 母は大繁殖牝馬ポカホンタス。本馬の全弟にラタプラン、半弟にキングトムがいる。 2歳から5歳にかけ20戦して12勝。16戦11勝説もあり英語版wikipediaはこちらを採用している。大きなレースは2000ギニーとセントレジャー程度だが、3歳時はエプソムダービーで大敗したほかは勝ちまくり、13戦して11勝だった。 4歳時はロシアインペリアルプレート(当時のアスコットゴールドカップの名称)で2着に入ったものの1勝もできずに終わった。5歳時も1戦のみで、唯一出走したマッチレースでは対戦相手が故障している。このレースを最後に引退した。 種牡馬成績は非常に優秀なもので、計7回リーディングサイアーを獲得した。412頭の産駒のうち、209頭が勝ち上がり、1,147勝、総獲得賞金は362,451ポンドという。特に1866年の獲得賞金は特筆もので、この年の産駒の勝ち数は132にも及び、総獲得賞金61,340ポンドはその後68年間破られなかった。 ストックウェルはヴァイエの標準ドサージュで340と、19世紀中ではセントサイモン、ガロピン、タッチストンに次ぐ4番目の値が与えられており、影響度の大きい種牡馬である。直系子孫は短期的には発展しなかったが、ドンカスターの仔であるベンドアを通じて非常に拡大した。ファラリス系、オーム系共にベンドアの直系子孫である。.

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スパンカー

パンカー(Spanker、またはオールドスパンカー〈Old Spanker〉、ペルハムズベイアラビアン〈Pelham's Bay Arabian〉、1675年 - ?)は、17世紀後半にイギリスで活躍した競走馬、種牡馬。初期のサラブレッドに強い影響を与えた。馬名は英語で「帆の一種」あるいは「駿馬」の意。 ジェネラルスタッドブックなどは、1675年頃に第2代バッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズが生産したとする(異説ではチャールズ・ペルハムの生産)。18世紀の同名馬と区別する際は、オールドスパンカーやバッキンガム公のスパンカーと呼ぶ。父ダーシーズイエローターク(Darcys Yellow Turk)は1670年頃に輸入された馬で、母オールドモロッコメア(Old Morocco Mare)は、輸入種牡馬フェアファックスモロッコバルブ(Fairfax's Morocco Barb)と6号族始祖オールドボールドペグ(Old Bald Peg。1640年頃の生まれか)の間に生まれた牝馬である。 競走成績の詳細は不明だが、主にニューマーケットで走っていた。優れた馬だったことは確かで、チャールズ2世(在位:1660年 - 1685年)の統治下でもっともよい馬という。1687年にバッキンガム公が死亡した後はチャールズ・ペルハムが購入した。この時期、少なくとも12頭の産駒を残した。スパンカーのもう1つの馬名ペルハムズベイアラビアンは、この時の馬主と毛色、アラブ色の強い血統に由来している。 産駒は、3頭の牡馬と少なくとも9頭の牝馬がジェネラルスタッドブックに記録されている。ケアレス(Careless)とヤングスパンカー(Young Spanker)は競走馬として活躍し、牝馬のうち2頭は27号族と42号族の始祖となった。その他、いわゆる三大始祖の後継種牡馬となったジグ(Jigg、母父がスパンカー)、バートレットチルダーズ(Bartlet's Childers、母がスパンカーの2×3を持つ)、ケード(Cade、やや遠いが母母母母父がスパンカー)といった種牡馬の血統中にもスパンカーの名を見つけることができる。.

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ステイゴールド

テイゴールド(英:Stay Gold、中:黄金旅程 1994年3月24日 - 2015年2月5日)は日本の競走馬である。引退後は種牡馬となった。 1996年に中央競馬でデビュー。GI競走での2着4回を含む重賞競走での2・3着の多さから、勝利に一歩及ばない「善戦ホース」として人気を博す。しかし2001年末に引退レースとして臨んだ香港の国際競走・香港ヴァーズに優勝し、国際GI制覇を果たして有終の美を飾った。 競走馬引退後は種牡馬として供用され、数々のGI、重賞勝利馬を輩出している。 ※現役中に馬齢の表記が変更されたため、競走名をのぞき馬齢は全て新表記を用いる。.

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スクワート (競走馬)

ワート(Squirt、名前はスクォートなどとも読まれる)は、イギリスのサラブレッドの競走馬、および種牡馬。三大始祖の一頭ダーレーアラビアンの孫の世代であり、エクリプスの祖父に当たる。.

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スタンダードブレッド

タンダードブレッド(Standardbred)とは、温血種・中間種に分類される馬の品種の1つ。別名アメリカントロッターとも。主な用途は競馬と乗馬であり、競走馬としての需要はサラブレッドに次ぐ規模にある。全速力ではサラブレッドにかなわないため平地競走に使われることは稀であるが、速歩が得意なため主に繋駕速歩競走に使用されている。.

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セントライト

ントライトとは日本の競走馬、種牡馬である。1941年に活躍し、同年日本競馬史上初のクラシック三冠馬となった当時は三栄冠馬と呼ばれた。。主戦騎手は小西喜蔵。また、種牡馬としてオーエンス、オーライト、セントオーと3頭の八大競走優勝馬を輩出した。1984年顕彰馬に選出。 兄弟は優秀で、タイホウ(繁殖名大鵬。帝室御賞典、目黒記念、オールカマー)、クリヒカリ(別名アルバイト、横濱農林省賞典4歳呼馬(現:皐月賞)、帝室御賞典〈秋〉)、トサミドリ(大種牡馬、皐月賞、菊花賞)らがいる。.

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セントサイモン

ントサイモンあるいはサンシモン (St. Simon) は、19世紀末に活躍したイギリスの競走馬である。以後のサラブレッドに絶大な影響を残した馬で、史上もっとも偉大なサラブレッド種牡馬と言われることもある。異名は「煮えたぎる蒸気機関車」 (Blooming steam-engine) 。 馬名表記は、由来による「サンシモン」、英語による「セントサイモン」の2通りあるが、この記事ではより一般的な「セントサイモン」で統一する(詳細は下記参照)。.

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ソーサラー (競走馬)

ーサラー (Sorcerer) は、18世紀末から19世紀初頭にかけて活躍したイギリスの競走馬、種牡馬である。馬名は英語で「魔法使い」の意。半妹にダービーとオークスを勝ったエレノア (Eleanor) 、繁殖牝馬として成功したジュリア (Julia) 、クレシダ (Cressida) がいる。 1799年から1801年の3年にわたって走った。超一流とまでは行かないが強い競走馬で、5歳のときにはダービー馬サーハリー (Sir Harry) をいちど破ってもいる。引退後は馬主のもとで種牡馬として供用され、1811年から1813年の3年にわたって首位種牡馬となった。おもな産駒に2000ギニーとダービーに勝ったスモレンスコ (Smolensko) 、セントレジャーに勝ったスーズセイヤー (Soothsayer) 、後継種牡馬となったコマス (Comus) 、ほかにオークス馬が3頭、2000ギニー馬が2頭、アスコットゴールドカップ勝ち馬が1頭いる。1821年没。.

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ターントゥ

ターントゥ(Turn-To、1951年 - 1973年)は、アイルランドで生産され、アメリカでの競走馬生活を送ったのち、種牡馬となった馬である。自身も早くから優れたスピードを見せた競走馬であったが、とくに種牡馬として現代競馬に多大な影響を及ぼした。その子孫がターントゥ系と呼称されることもある。.

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ターター (競走馬)

ターター (Tartar) は18世紀中ごろに活躍したイギリスの競走馬、種牡馬である。なお、ターター (Tartar) という名を持つ馬は、1792年のセントレジャーステークス勝ち馬(本馬の孫だが馬名との関係は不明)などほかにも数頭いる。 後世ヘロド (Herod) の父としてのみ知られるが、当時としてはかなり強い馬であった。競走馬としての活動期間は1748年から1750年の3年間で、リッチフィールドやギルフォードのキングズプレート、そのほか多数の競走に勝利している。当初はパートナー (Partner) という父と同じ名前で走り、翌年第4代アンカスター公によってターターと名付けられた。 競走馬引退後はウールストンで供用され、有名なヘロドのほか、ファニー(Fanny。キングファーガス〈King fergus〉の母の母)、ターターメア(Tartar Mare。ヴォランティア〈Volunteer〉らの母)などを産した。16歳のときに同地で没した。.

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タッチストン

タッチストン(Touchstone、1831年 - 1861年)は、イギリスの競走馬である。1830年代に活躍したステイヤーであり、種牡馬としても成功。通算で4度のイギリスリーディングサイアーを獲得した。馬名は試金石の意。 父カメルは馬体にも競走成績にも見るところのないサラブレッドで、その父ホエールボーンは、カメルのほかに現在の主流父系(エクリプス系参照)に繋がるサーハーキュリーズを出しており、父系的には主流との分岐点にあたる。母系はのちに14号族と呼ばれる牝系に属し、母バンターは14-a族の祖となった繁殖牝馬である。また、全弟ランスロットは1840年セントレジャーステークスに優勝している。 このような血統背景を持ち初代ウェストミンスター侯爵に生産されたタッチストンもまた、父に似て不格好な馬体の持ち主で体高も15ハンド(約152.4センチメートル)にすぎず、タダでももらい手がなかったほどであるが、3歳秋に本格化すると、当時エプソムダービーよりも権威が高かったセントレジャーステークスに41倍の低評価で出走。プラムに4馬身の差を付け優勝した。 古馬となってもドンカスターカップ連覇(1835,1836年)、アスコットゴールドカップ連覇(1836,1837年)などの戦績を残し、生涯に少なくとも21戦の競走に出走し、16勝を挙げた。調教では走らず、本番の競走でも距離が短いと馬が本気にならず勝ちきれなかったという。.

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サラブレッド

ルフェーヴル(2011年12月25日、有馬記念表彰式) サラブレッド(英: Thoroughbred)とは、18世紀初頭にイギリスでアラブ馬やハンター(狩猟に用いられたイギリス在来の品種)等から競走用に品種改良された軽種馬である。 競走時には人を背負った状態で、数分間継続して50〜70km/hの速度で走る能力を持つ。日本国内のレースにおいて、200m区間平均速度75km/hが計測されたことがある。 競馬以外には乗馬やポロなど多数の用途に使用される。オリンピックなどの馬術競技で活躍するサラブレッドも少数ながら存在し、アメリカ合衆国の障害飛越殿堂馬22頭のうち、サラブレッドは15頭にもおよぶ。 語源は Thorough + bred で人為的に完全管理された血統を意味する.

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サルタン (競走馬)

ルタン (Sultan) とは、イギリスの競走馬である。19世紀初頭に活躍し、種牡馬としては同時代を代表するほどに成功した。馬名は父セリムがセリム1世にちなんでいることからサルタン(スルターンの英語読み)と名づけられたのが由来。 2歳でデビューし、8歳でトライアルに勝つなど息の長い活躍を見せた。クラシック競走こそエプソムダービーでテイレシアスの2着、セントレジャーステークスは人気での惨敗と勝利にはいたらなかったものの、5歳時にニューマーケットゴールドカップ、6歳時にエプソムダービー馬グスタヴスとのマッチレースを制すなど合計14勝をあげた。ニューマーケット競馬場は得意で、勝ち星の多くがニューマーケットでのものであった。 引退後はバーレイのマーカススタッドで種牡馬入りしている。産駒のベイミドルトンは無敗で二冠を達成し、グレンコーも種牡馬として成功した。特筆すべきは2000ギニー優勝馬を5頭輩出したことで、産駒の勝ち数として同レース最多である。リーディングサイアーには1832 - 1837年の6年に渡り輝いており、この時代をリードしていた。父方直系子孫はその後微衰したが、トウルビヨンを通して現在にもつながっている。.

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サンプソン (競走馬)

ンプソン (Sampson) は、18世紀中ごろに活躍したイギリスの競走馬、種牡馬である。 ジェームズ・プレストンの生産。ロビンソンのもとで1750年から1752年の3年間走り、おもに3 - 5マイルの距離に使われた。超一流ではないが強い馬で、リッチフォールド、ウィンチェスター、カンタベリー、ルイス、ニューマーケットのキングズプレートに勝っている。種牡馬としても成功した。おもな産駒にアラバキュリア(Allabacuria、セントレジャー)、エンジニア(Engineer、後継種牡馬)、ベイマルトン(Bay Malton、ヘロド〈複数回〉およびジムクラックを破る) がいる。ちなみに、体高(肩までの高さ)は15.2ハンドもあり、それまでに計測された競走馬の中では最も大きな馬と考えられた。.

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サンデーサイレンス

ンデーサイレンス(Sunday Silence、1986年 - 2002年)は、アメリカ合衆国生まれの競走馬、種牡馬である。1996年にアメリカ競馬殿堂入りを果たした。そのイニシャルからSSと呼ばれることもある。 ※文中の「GI級競走」は日本のパート1国昇格前および昇格後のGI競走とJ・GI競走、ならびに昇格後のJpnI競走を指す(詳細については競馬の競走格付けを参照)。.

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サーハーキュリーズ

ーハーキュリーズ(Sir Hercules、1826年 - 1855年)とは、19世紀前半に活躍したアイルランドの競走馬・種牡馬である。アイルランド競馬初期の名馬で、2歳時にアイルランドで4戦全勝、3歳時イギリスに渡るとクラレットステークスに勝ち、セントレジャーステークスで3着に入った。引退後は最初アイルランドのブラウンズタウン牧場で種牡馬入り、さらにアイルランドとイギリスを転々とするなかでバードキャッチャー、フォアバラー兄弟とエプソムダービー馬コロネーションらを送り出した。後世への影響は、バードキャッチャーが孫にストックウェル、フォアバラーは産駒にリーミントンを出したこと、自身は青毛に白い斑点を持っており、これを産駒のバードキャッチャーを通じてベンドア斑点(バードキャッチャー斑点)として後世に伝えたことなどがある。.

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サイアーライン

イアーライン(Sire line、父系、又はMale lineメールライン)とは、馬における父方の系図(家系)のことをいう。起点となる種牡馬の名を取り-系と呼ぶ。代表的なものを右の表に記載するが系統名はあくまで一般的なもので、固定されたものではない。同様に直系母系のみに焦点をあてたファミリーライン(メアーライン、牝系)がある。.

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種牡馬

牡馬(しゅぼば)とは繁殖用の牡馬のこと。種馬(たねうま)ともいう。 牛、豚、羊などの畜産では優秀な種牡の精子を採出して凍結保存することが許されているが、競走馬に代表される馬産は一般的に人工授精や凍結精子の利用などによる人工的な妊娠手段を拒んでいる。凍結した精子は保存や運搬、売買が容易であるが、馬産においては常に生きた種牡馬が生きた繁殖牝馬(種牝馬)に直接交配をする必要がある。 したがって、優秀な種牡馬があっても繁殖牝馬にとって移動不可能な地域にいては交配ができないし、またいずれは寿命で死んでしまうため、生産界は常に新しい優秀な種牡馬を創出し発見する必要がある。また、競走馬の場合、交配が行われてから、子供が誕生して競走年齢に達して一定の成績が判定できるまでに4年から5年ほどの時間を要する事から、新しく種牡馬になったものが優秀であるかそうでないか判明するまでにタイムラグが生じる。 これらの事情により、種牡馬の市場は他の畜産市場よりも流動的である。 この項では主に競走用の種牡馬について説明する。乗用や食肉用の種牡馬では異なる点もある。.

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競走

走(きょうそう)とは、人や動物や乗り物が、一定距離を走り、速さを競うことである。 ただし「速さを競う」とは言っても、通常は速さを測定や計算することはなく、着順や所要時間で勝敗を決める。 走ること以外(水泳・舟艇・航空機など)で速さを競うものを含め、レース()やレーシング()とも言う。.

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遺伝子

遺伝子(いでんし)は、ほとんどの生物においてDNAを担体とし、その塩基配列にコードされる遺伝情報である。ただし、RNAウイルスではRNA配列にコードされている。.

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遺伝的組換え

遺伝的組換え(いでんてきくみかえ)は、狭義には、生物自身が遺伝子をコードするDNA鎖を途中で組み変える現象を差す。英語のRecombinationに相当する言葉として用いられる。広義には人工的な遺伝子組み換えも遺伝的組換えと記述される。.

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馬主

主(うまぬし、ばぬし、ばしゅ)とは、広義ではウマ(馬)を所有する人を指す。 本項では主に競走馬を所有している人・法人・組合について触れる。.

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STARHORSE

STARHORSE(スターホース)とはセガ・インタラクティブ(2015年3月まではセガ)のメダルゲームで、競馬ゲームとして2000年に稼動された。 シリーズ作品であり、続編として.

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STARHORSE2

『STARHORSE2』(スターホースツー)とはセガ(後のセガ・インタラクティブ)のメダルゲームで、競馬ゲームとして2005年に稼動された。 シリーズ作品であり、STARHORSEシリーズでは5 - 8・10作目となる。 バージョンアップ版として次の作品が発売、稼動されている。.

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STARHORSE3

『STARHORSE3』(スターホース3)は、2011年11月22日に稼動を開始したセガ・インタラクティブ(2015年3月まではセガ)の競馬メダルゲームである。『STARHORSE』シリーズの最新作。従来のシリーズ同様、バージョンアップ版として次の作品が発売、稼動されている。.

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X染色体

X染色体(エックスせんしょくたい)とは有性生殖をする真核生物にみられる性染色体の一種である。雌が性染色体として相同染色体の対を持つとき、それをX染色体と呼ぶ。このとき、雄はX染色体と共にY染色体を組として持つか(XY型)、あるいは対にならないX染色体のみを持つ(XO型)。このような性決定様式は雄がヘテロ型であるため「雄ヘテロ型」と呼ぶ。.

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Y染色体

Y染色体(ワイせんしょくたい、英語:Y chromosome)は性染色体の一つ。正常な雄個体ではX染色体と同時に存在し、正常な雌個体には存在しない性染色体をY染色体という。 X染色体とY染色体が同時に関与する性決定様式を、雄がX染色体とY染色体との組を持つヘテロ型であるため、雄ヘテロ型、さらに限定してXY型と呼ぶ。雄ヘテロ型性決定にはY染色体が関与しないXO型もあり、他に雌ヘテロ型の性染色体・性決定様式(ZW型・ZO型)も存在する。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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