ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

ブリテンのトマ

索引 ブリテンのトマ

ブリテンのトマ(英語: Thomas of Britain、仏語: Thomas d'Angleterre, アングルテールのトマとも)は、12世紀の詩人。トリスタンとイゾルデ伝説の作品の一つである古フランス語の詩『トリスタン』を書いたことで知られる。.

20 関係: 古ノルド語古フランス語中央公論新社中高ドイツ語中英語佐藤輝夫トリスタントリスタンとイゾルデヘンリー2世 (イングランド王)フランス語ベルールアリエノール・ダキテーヌアーサー王物語アイルハルト・フォン・オベルクゴットフリート・フォン・シュトラースブルク白水社詩人英語新倉俊一 (フランス文学者)12世紀

古ノルド語

古ノルド語(こノルドご、、 )とは、インド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派北ゲルマン語群に属する言語である。古北欧語(こほくおうご)とも。 一般には、8世紀から14世紀にかけて、スカンディナヴィア人やスカンディナヴィア出身の入植者たちによって用いられていたであろう言語を指す。時代区分を2世紀から8世紀とする文献もある。 アイスランド語の書物『グラーガース』は、スウェーデン人、ノルウェー人、アイスランド人、デンマーク人がと呼ばれる同一の言語を話していた、と記している。スウェーデンやデンマークといった、東部の方言を話していた人々は、自身の言葉を(デーン人の言語)あるいは(北方人の言葉)と呼んでいた。.

新しい!!: ブリテンのトマと古ノルド語 · 続きを見る »

古フランス語

古フランス語(こふらんすご、ancien français)は、9世紀から14世紀にかけて現在のフランス北部を中心に話されていたフランス語である。 西ローマ帝国の崩壊(476年)以降、俗ラテン語の地域ごとの分化はとどまるところを知らず、ガリア(フランス)の俗ラテン語はガロ=ロマンス語と呼ばれる方言群となった。フランス語はそうしたガロ=ロマンス語の一つであるが、古フランス語と言うときには現代フランス語の直接の祖だけでなく、ガロ=ロマンス語の諸方言全体を指す。 14世紀には、ガロ=ロマンス語は、フランス南部のオック語との対比の上で、オイル語として認識されるようになり、ついで14世紀半ばには、そのオイル語のイル=ド=フランス方言(パリ周辺の方言。フランシアン語とも)に基づいて中期フランス語(期のフランス語)が生じていった。 古フランス語(ガロ=ロマンス方言連続体)が土着の言葉として話されていた領域は、おおまかに言ってフランス王国の歴史的領土とその封臣領、ブルゴーニュ公国、それにロレーヌ公国とサヴォワ伯国を東限としたものである(全体としては現在の北仏および中央フランス、ベルギーのワロン地域、スイス西部、イタリア北部となる)。しかし古フランス語の影響が及んだ地域はそれよりずっと広く、イングランド、シチリア、十字軍諸国に当時の社会における支配階級の言語として、また通商の言語として伝播した(なお、異民族間の共通語を表す「リングワ・フランカ」は「フランク人の言葉」という意味だが、実際に十字軍時代から東地中海で通商に用いられ「リングワ・フランカ」と呼ばれたロマンス語系のピジン言語は実質的にはオック語とイタリア語に基づくものである)。.

新しい!!: ブリテンのトマと古フランス語 · 続きを見る »

中央公論新社

株式会社中央公論新社(ちゅうおうこうろんしんしゃ)は、日本の出版社である。読売新聞グループ本社の傘下。略称は中公(ちゅうこう)。 本項では、旧法人の株式会社中央公論社(ちゅうおうこうろんしゃ)についても述べる。.

新しい!!: ブリテンのトマと中央公論新社 · 続きを見る »

中高ドイツ語

中高ドイツ語(ちゅうこうドイツご、独:Mittelhochdeutsch)とは、高地ドイツ語の1050年頃から1350年頃にかけての段階のことをいう。それより前は古高ドイツ語(およそ750年~1050年)、それより後の時代については初期新高ドイツ語(1350年頃から1650年頃まで)と呼ぶ。.

新しい!!: ブリテンのトマと中高ドイツ語 · 続きを見る »

中英語

中英語(ちゅうえいご、Middle English)または中期英語(ちゅうきえいご)、中世英語(ちゅうせいえいご)は1066年のノルマン・コンクエスト以後15世紀後半頃までの英語の名称である。文章に方言による大きな揺れが見られる。印刷の普及によって古英語の時代に用いられたウェストサクソン方言にかわってロンドンの方言(東アングリア方言)をもとに文語が形成された。そして、ラテン系言語であるオイル語の系統のフランス・ノルマン語の語彙がノルマンディー公側近の貴族により大量に流入した。またこのころのスコットランド南東部のノーザンブリア方言がスコット人の話す英語いわゆるスコットランド語につながる。中英語以後1650年頃までを初期近代英語という。なお近代英語は中英語からの大母音推移を蒙ったため、両者の音韻組織は大幅に異なる。.

新しい!!: ブリテンのトマと中英語 · 続きを見る »

佐藤輝夫

佐藤 輝夫(さとう てるお、1899年1月10日 - 1994年4月13日)は日本のフランス文学者、中世フランス文学研究で著名。 徳島県生まれ。旧制撫養中学をへて、1923年に早稲田大学仏文科卒。早稲田に在学中に吉江喬松の指導を受ける。1926年から1928年にかけて、フランスのパリ大学、ボルドー大学(フランス語版)に留学し、中世フランス文学を専攻。1932年に母校の文学部講師となり、助教授をへて1945年に教授となる。退任後1969年に明星大学教授。 1954年に『ヴィヨン詩研究』で読売文学賞、1973年に『「ローランの歌」と「平家物語」』で学士院賞受賞。 フランス文学研究者の渡辺一夫からは、「現代日本における数少ないフランス中世文学研究者中の大きな存在」と評され、特にヴィヨン研究は特筆されている。『トリスタン・イズー物語』や『ローランの歌』の翻訳は、今でも読まれている。.

新しい!!: ブリテンのトマと佐藤輝夫 · 続きを見る »

トリスタン

トリスタン(Tristan, Tristram, トリストラムとも)は、『トリスタンとイゾルデ』や『アーサー王物語』などに登場する伝説の人物。アーサー王伝説においては「円卓の騎士」の一人となっている。 「トリスタン」という名前がピクト系であり、またトリスタンの父親の名前もピクト系であることからトリスタンの起源はピクト人の伝承にあるのではないかと思われている。そして、この物語がコーンウォールを経て、ブルターニュへ、そして西洋の各地に移ったと見られる。 中世ヨーロッパの散文『トリスタンとイゾルデ』、または『トリスタン物語』の主要人物である。もともと『アーサー王伝説』とは別の伝説であったが、『散文のトリスタン』以後、アーサー王物語にも組み込まれた。マロリー版では中盤においてランスロット卿とともに実質的な主人公として活躍する。 名称について、英語ではトリスタン(Tristan)ないしトリストラム(Tristram)、フランス語ではトリスタン(Tristan)、ドイツ語ではトリスタン(Tristan)ないしトリストラント(Tristrant)とされる。.

新しい!!: ブリテンのトマとトリスタン · 続きを見る »

トリスタンとイゾルデ

『トリスタンとイゾルデ』または『トリスタン物語』は、中世に宮廷詩人たちが広く語り伝えた恋愛物語。騎士トリスタン(Tristan)と、主君マルク王の妃となったイゾルデ(Isolde)の悲恋を描く。 イゾルデはドイツ語の音訳で、英語では『トリスタン(あるいはトリストラムTristram)とイズールト(Iseult)』、フランス語では『トリスタンとイズー(Iseut または Iseult, Yseut, Yseult)』と表記される。.

新しい!!: ブリテンのトマとトリスタンとイゾルデ · 続きを見る »

ヘンリー2世 (イングランド王)

ヘンリー2世(Henry II, 1133年3月5日 - 1189年7月6日)は、プランタジネット朝(あるいはアンジュー朝)初代のイングランド王国の国王(在位:1154年 - 1189年)である。 父はフランス王国の有力貴族のアンジュー伯ジョフロワ4世、母は神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世の皇后で、皇帝ハインリヒの死後イングランドにもどり、その後、フランスに渡ってジョフロワ4世と再婚したマティルダである。外祖父(母マティルダの父)はイングランド王のヘンリー1世であった。母マティルダはヘンリー1世死後、1141年内の数か月という短期間ながらイギリス初(スコットランドを含めて)の女性君主となった人物である。 ヘンリー2世は頑丈な体躯をもち、猪首であった。また、「大食ではなく造化の間違い」でできたといわれるほどの巨腹であったが、波乱の生涯を送り、精力的に活動した堀米(1974)pp.238-241。父方と母方からの相続と自身の婚姻により広大な所領を獲得し、ピレネー山脈から南フランスおよびイングランドにまたがる、いわゆる「アンジュー帝国」を築いたが、晩年は息子たちの反乱に苦しんだ。.

新しい!!: ブリテンのトマとヘンリー2世 (イングランド王) · 続きを見る »

フランス語

フランス語(フランスご)は、インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派に属する言語。ロマンス諸語のひとつで、ラテン語の口語(俗ラテン語)から変化したフランス北部のオイル語(またはウィ語、langue d'oïl)が母体と言われている。日本語では、仏蘭西語、略して仏語とも書く。 世界で英語(約80の国・地域)に次ぐ2番目に多くの国・地域で使用されている言語で、フランス、スイス、ベルギー、カナダの他、かつてフランスやベルギーの領域だった諸国を中心に29カ国で公用語になっている(フランス語圏を参照)。全世界で1億2,300万人が主要言語として使用し、総話者数は2億人以上である。国際連合、欧州連合等の公用語の一つにも選ばれている。このフランス語の話者を、'''フランコフォン''' (francophone) と言う。.

新しい!!: ブリテンのトマとフランス語 · 続きを見る »

ベルール

ベルール (Béroul) は、12世紀のノルマン人の詩人。『トリスタン』の執筆者。 ベルールとは、ノルマン語で書かれた『トリスタンとイゾルデ』伝説の詩におけるひとつの版の著者に、習慣的に帰されている名前である。この文学は現在までただひとつの写本(フランス国立図書館、写本番号 fr.

新しい!!: ブリテンのトマとベルール · 続きを見る »

アリエノール・ダキテーヌ

アリエノール・ダキテーヌ(Aliénor d'Aquitaine, 1122年 - 1204年4月1日)は、アキテーヌ公ギヨーム10世の娘でアキテーヌ女公。はじめフランス王ルイ7世の王妃、後にイングランド王ヘンリー2世の王妃。 ベルナール・ド・ヴァンタドゥールら吟遊詩人を庇護して多くの文芸作品を誕生させ、洗練された宮廷文化をフランス、イングランドに広めた存在として知られる。子孫が、各地の君主及び妃となったことから「ヨーロッパの祖母」と呼ばれる。中世盛期の西欧において、最も裕福で地位の高い女性の一人であった。.

新しい!!: ブリテンのトマとアリエノール・ダキテーヌ · 続きを見る »

アーサー王物語

アーサー王像(ペーター・ヴィッシャー作、1480年ごろ、インスブリュック宮廷内教会) アーサー王物語(アーサーおうものがたり)またはアーサー王伝説(アーサーおうでんせつ)とは中世の騎士道物語。.

新しい!!: ブリテンのトマとアーサー王物語 · 続きを見る »

アイルハルト・フォン・オベルク

アイルハルト・フォン・オベルク(Eilhart von Oberg, 中高ドイツ語ではOberge)は12世紀後半のドイツの詩人。中高ドイツ語のロマンス『トリストラント』(Tristrant)で知られる。.

新しい!!: ブリテンのトマとアイルハルト・フォン・オベルク · 続きを見る »

ゴットフリート・フォン・シュトラースブルク

ットフリート・フォン・シュトラースブルク(Gottfried von Straßburg、1170年頃 - 1210年頃)は、中世ドイツの叙事詩人。資料が欠けているため生涯は不詳だが、騎士ではなく市民階級の出身で、修道院の付属学校に学んだ後にシュトラースブルク(ストラスブール)で聖職者あるいは官吏になったと考えられている。文法学、弁論術、修辞学を包括する広い学識を持ち、文体は流麗かつ端正、また論理的であり、そのため型破りな文体を持っていたヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハと対立し、互いの著作で批判しあっている。代表作『トリスタンとイゾルデ』(1210年頃、未完)は『トリスタン』伝説を、ブリテンのトマの作品(1170 - 75年頃)をもとにまとめたもの。 この作品はのちワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』(1857 - 59年)の原作ともなった。.

新しい!!: ブリテンのトマとゴットフリート・フォン・シュトラースブルク · 続きを見る »

白水社

株式会社白水社(はくすいしゃ)は、日本の出版社。語学書や翻訳書の出版を多く手がける。新人劇作家の登竜門といわれる岸田國士戯曲賞を主催していることでも知られる。 社名は、屈原の長詩「離騒」の註の「淮南子に言ふ、白水は崑崙(こんろん)の山に出で、これを飲めば死せずと。神泉なり」に由来する。.

新しい!!: ブリテンのトマと白水社 · 続きを見る »

詩人

詩人(しじん)とは、詩を書き、それを発表する者。また、そのことを職業にしている者。 後者でも詩作のみで生活している人はほとんどおらず、多くの場合、評論、随筆、翻訳、小説、音楽、絵画、演劇、漫画、歌の作詞など他の分野の創作活動を並行して行っていたり、あるいは(文学と縁遠い)他の職業を持っている。たとえば高村光太郎は彫刻家としても多数の作品を残しているし、草野心平にはバーや居酒屋の経営をしていた時期がある。アルチュール・ランボーは10代に残した業績によって詩人と呼ばれているが、詩作を止めた後は貿易商などさまざまな仕事に捧げた。 シンガーソングライターが詩人としても高い評価を得、詩集を出すまでに至る例もある。ボブ・ディラン、パティ・スミスなどがその例である。 また、詩人は古くから聴衆を前に自身の詩を朗読するのを常としていたが、その行為を、ポエトリーリーディングという表現形態において現代社会に甦らせた動きが、欧米のみならず、日本においても1990年代の半ば以降見受けられる、フランスのパリのレーベルで自身のポエトリーリーディングのCDを出している詩人であり美術家でありポエトリーリーディングアートパフォーマーである千葉節子等がその代表的な例である。 詩を書く者以外に対しても「詩人」という言葉が使われることがある。新明解国語辞典第六版(三省堂)にもそのような広義の意味が書かれているし、三好達治は『詩を読む人のために』(至文堂、1952年)の中で「誰かもいったように」と前書きした上で「詩を読み詩を愛する者は既に彼が詩人」であると書いている。 歌の歌詞の作者のことは一般に作詞家と呼ばれる。.

新しい!!: ブリテンのトマと詩人 · 続きを見る »

英語

アメリカ英語とイギリス英語は特徴がある 英語(えいご、)は、イ・ヨーロッパ語族のゲルマン語派に属し、イギリス・イングランド地方を発祥とする言語である。.

新しい!!: ブリテンのトマと英語 · 続きを見る »

新倉俊一 (フランス文学者)

新倉 俊一(にいくら しゅんいち、1932年7月5日 - 2002年3月7日)は、日本のフランス文学者。中世文学専攻。東京大学名誉教授。財団法人日仏会館元常務理事。.

新しい!!: ブリテンのトマと新倉俊一 (フランス文学者) · 続きを見る »

12世紀

アンコールの地にアンコール朝の王スーリヤヴァルマン2世はアンコール・ワットの建設を行い、続くジャヤーヴァルマン7世はアンコール・トムを築いた。画像はアンコール・トムのバイヨン四面像(観世菩薩像)。 12世紀(じゅうにせいき)とは、西暦1101年から西暦1200年までの100年間を指す世紀。.

新しい!!: ブリテンのトマと12世紀 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »