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セム

索引 セム

ムは、旧約聖書創世記の第6章から11章にかけての「ノアの方舟」のエピソードに出てくる人物で、ノアの3人の息子のうちの一人。他の2人はハム、ヤフェテ。 (この兄弟の年齢順は諸説あり、一般的にヘブライ語の聖書では「ハムが末子」「セムがヤペテの兄」という記述から「セム>ヤペテ>ハム」の年齢順としているが、七十人訳聖書では本文の「セム、ハム、ヤペテ」は下から数えていると判断されているらしく「末子→より若い」「ヤペテの兄→ヤペテの弟」という記述にされている。) 大洪水後、ノアが酔いつぶれて全裸で寝てしまった時にヤペテとともに気遣って上着をかけて隠してやり、これによってノアにヤペテとともに感謝されて祝福を受けたとされる。 また、大洪水の後他の兄弟とともに子孫を各地に広げた人物とされており、『創世記』第10章の系譜によると大洪水後にセムにはエラム、アシュル、アルパクシャド、ルド、アラム​という息子が生まれ、それぞれが以下の民族の始祖とされた。 (後の地名との対応は『ユダヤ古代誌』第I巻vi章の解説より).

40 関係: 口語訳聖書古代リビュア佐藤寛 (社会学者)ナバテア王国ミデヤン人ノア (聖書)ノアの方舟ハム (聖書)バクトリアモアブヤペテリュディアロト (聖書)ヘブライ語ダマスカスアモン人アラム人アラム語アラビア語アルメニアアルパクシャドアッシュール (聖書)アッシリアアブラハムイエメンイスラエル (民族)エチオピアエラムエドムカラケネ王国カルデアガリラヤ湖セム語派セム族 (民族集団)サナア創世記法政大学新共同訳聖書日本聖書協会旧約聖書

口語訳聖書

口語訳聖書(こうごやくせいしょ)とは、口語文に翻訳された聖書。おもに日本語訳聖書にいう。次のようなものがあるが、本稿では日本聖書協会の翻訳・発行による『口語訳聖書』(新約1954年、完訳1955年)について詳述する。;『新共同訳聖書』(新約1987年、完訳1988年);『新約聖書 共同訳』(新約1978年);『新改訳聖書』(新約1965年、初版完訳1970年、2版1978年、3版2003年、20172017年);『リビングバイブル』;『現代訳聖書』(完訳1983年);『聖書』(改訂訳1980年);『原文校訂による口語訳聖書』(完訳2002年).

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古代リビュア

古代のリビュア(Ancient Libya)とは、現在の北西アフリカのナイル川より西側の地区を指し、現在のベルベル人と考えられる人々が住んでいた。ベルベル人は何千年も前から古代エジプトにいた。狭義のリビュアはエジプトの西側を指す。マレ・リビュクム(Mare Libycum)はクレタ島とキュレネ、アレクサンドリアの間の地中海の海域の一部を指す。 古代ギリシアでベルベル人はリビュア人と呼ばれた。.

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佐藤寛 (社会学者)

佐藤 寛(さとう かん、1957年 - )は、日本の社会学者。専門は、開発社会学、援助研究。 1981年東京大学文学部社会学科卒業後、アジア経済研究所入所。同研究支援部長、JETRO貿易開発部上席主任調査研究員、JETRO海外調査部上席主任調査研究員、研究所海外調査員(ブライトン駐在)、等を経て、現在同国際交流・研修室長。東京大学教養学部非常勤講師、国際開発学会副会長。 従来社会学とは先進国(欧米諸国)の市民社会を研究分野として発展し、途上国は人類学の領域だと考えられていたが、佐藤寛は開発援助の問題を社会学的に分析した。.

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ナバテア王国

ナバテア王国は、紀元前2世紀前半頃にペトラ(現在のヨルダン西部)を中心に栄えたナバテア人<!-- ループリンク -->の王国。元来ペトラ周辺を拠点に活動していた遊牧民であったナバテア人はキャラバン貿易によって莫大な富を形成し、ペトラに先住していたエドム人を排除して定住生活を営むようになった。紀元前168年に建国され、キャラバン貿易の商隊路に沿う形で領土を広げていった。紀元前63年にハスモン朝イスラエルの内戦に介入するが、共和政ローマ介入によって最終的にローマ軍にペトラ目前まで攻め込まれ、ローマの属国となった。その後、アラビア半島西を通る交易ルートは紅海を通る海上ルートが主流になっていったためペトラの商業都市としての重要性が低下し、その衰退の勢いを止めることができないまま、106年にローマのアラビア・ペトラエア属州に組み込まれて消滅した。 交易の要衝に位置していたこともあり、ナバテア王国は周辺国家との交流が盛んであったと考えられており、当時のペトラは多数の外国人が居住する国際都市であったと考えられている。王国の収入は交易による関税収入が主であり、国民の多くは隊商活動に従事していたと考えられており、そのため王政ではあったものの商業貴族の権力が強かったとされる。国境を接するハスモン朝やローマ帝国、アッシリア、古代エジプトなどの周辺諸国からの文化的、宗教的影響を受けた。権力の誇示のために作られた岩窟墓であるエル・カズネを含むナバテア王国の遺跡群は世界遺産に指定されている。.

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ミデヤン人

ミデヤン人(ミデヤンじん、Midian, מִדְיָן )は古代パレスチナのセム系民族の一つ。ユダヤ人に吸収され消滅した。.

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ノア (聖書)

箱舟の建設を指揮するノア ノア(נוֹחַ Nóaḥ, נֹחַ Nōªḥ、Νώε, Noe, نوح Nūḥ)は、旧約聖書・『創世記』5章〜10章に登場するノアの方舟(箱船)で有名な人物。創世記の記述に従うならば、すべての人類の祖先ということになる。 キリスト教の正教会では「ノイ」と呼ばれ、聖人とされている正教会では旧約聖書の義人達も聖人として記憶される。。 イスラム教においては「ヌーフ」と称され、アブラハム(イブラーヒーム)、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)、ムハンマドと共に五大預言者のうちの一人とされる。聖典「クルアーン(コーラン)」にも「ヌーフ章」という名称で、単独で記述がなされている。.

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ノアの方舟

ノアの方舟(ノアのはこぶね、Noah's Ark)は、旧約聖書の『創世記』(6章-9章)に登場する、大洪水にまつわる、ノアの方舟物語の事。または、その物語中の主人公ノアとその家族、多種の動物を乗せた方舟自体を指す。「はこぶね」は「方舟」のほか、「箱舟」「箱船」などとも記される。 『クルアーン』にも類似の記述があり、「ヌーフの方舟」と呼ばれる(11章 フード)。.

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ハム (聖書)

ハムは、旧約聖書創世記に出てくる物語ノアの方舟のノアの3人の息子セム、ハム、ヤペテの一人。 兄弟の年齢順については諸説あり、一般的にヘブライ語の聖書では「ハムが末子」「セムがヤペテの兄」という記述から「セム>ヤペテ>ハム」の年齢順としているが、七十人訳聖書では本文の「セム、ハム、ヤペテ」は下から数えていると判断されているらしく「末子→より若い」「ヤペテの兄→ヤペテの弟」という記述にされている。 ハムは大洪水の後、父親が酔いつぶれて全裸で寝ていたのをわざわざセムとヤペテに言いふらしたためノアの怒りを買い、父から「カナン(注:「ハム」ではない)は彼らのしもべになれ」と呪いをかけられる。 その後、兄弟共々他の兄弟とともに子孫を各地に広げた人物とされており、『創世記』第10章の系譜によるとそれぞれが以下の民族の始祖になったとされた。 (カッコ内の後の地名との対応は『ユダヤ古代誌』第I巻vi章の解説より、ヨセフスによると大半の名前がもう使われていないという。).

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バクトリア

バクトリアの範囲 バクトリア(Bactria)は、バクトリアーナ(バクトリアナ)、トハーリスターン(トハリスタン)とも呼ばれ、ヒンドゥークシュ山脈とアム(オクサス)川の間に位置する中央アジアの歴史的な領域の古名。 現在はイランの北東の一部、アフガニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、および、トルクメニスタンの一部にあたる。かつてその領域にはグレコ・バクトリア王国などが栄えた。.

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モアブ

モアブ(:𐤌𐤀𐤁)は、古代イスラエルの東に隣接した地域の古代の地名であり、死海の東岸、アルノン川(現ヨルダン・ハシミテ王国のワディ・アル・ムジブ)以南からゼレド川以北(現ヨルダンのワディ・アル・ハサ)の高原地帯に広がる地域を指す。この地域は、現在のヨルダン・ハシミテ王国のカラク高原地域(カラク県)にほぼ等しい。 なおモアブと呼ばれた地域は、中世イスラム期にはマアブ(Maāb)と呼ばれていたことが、9世紀のアラブ人地理学者ヤアクービーの記述から分かる。 旧約聖書によれば、ロトとロトの長女との間に生まれた息子モアブ(מואב ヘブライ語で「父によって」の意)に由来し、その子孫がモアブ人となってを打ち払ってその地域に定住したとされている。.

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ヤペテ

ヤペテは、旧約聖書創世記に出てくる物語ノアの方舟のノアの3人の息子の一人であり、創世記では父ノアからセムとともに祝福されている。 また、大洪水の後他の兄弟とともに子孫を各地に広げた人物とされており、『創世記』第10章の系譜によるとヤペテの息子はゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メシェク、​ティラス​といい、それぞれが以下の地域の民族の始祖とされた。.

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リュディア

リュディア(Λυδία、Lydia; 、紀元前7世紀 - 紀元前547年)は、アナトリア半島 (現在のトルコ)のリュディア地方を中心に栄えた国家である。王都はサルディス。世界で初めて硬貨(コイン)を導入したことで知られる(エレクトロン貨)。.

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ロト (聖書)

ト(לוֹט, Lot)は『旧約聖書』の登場人物である。『創世記』11章後半から14章、および19章に登場する。父はテラの息子であり、ロトはアブラハムの甥にあたる。また、『新約聖書』では義人として紹介されている(『ペトロの手紙二』2:7-8)。 アブラハムに伴って古代エジプトへ、そしてカナンへと旅をするが、アブラハムの牧夫とロトの牧夫との間に争いが起きたため、ロトは肥沃な土地である東方のヨルダン地域へと移動し後にソドムへと移住する。エラムの王ケドルラオメルによってソドムが略奪されると、ロトの家族は家財もろとも捕虜として連れて行かれるが、そのことを伝え聞いたアブラハムによって救出される。 後に、天使がソドムに派遣され、ヤハウェがソドムとゴモラを滅ぼすことを決定したことをロトに伝える。そこでロトは夜が明ける前にロトの妻 と2人の娘を伴ってソドムを脱出し、近隣の都市ツォアル(ベラ)へと向かう。逃げる際に「後ろを振り返ってはいけない」と指示されていたが、ロトの妻は後ろを振り返ってしまい、「塩の柱」となる。 その後、彼らは山中の洞窟に移住したが、ここで娘たちは父を酔わせ近親相姦し父によって男子を1人ずつ生んだ。長女の息子は「モアブ(父親より)」と名付けられモアブ人の祖となり、また、次女の息子は「ベン・アミ(私の肉親の子)」と名付けられ後にアンモンの人々の祖となった。 ロトがいた洞窟とされる場所は東ローマ時代はキリスト教徒の巡礼地となり、教会が建造された。この教会の遺跡(دير عين 'أباطة UNGEGN式: Deir 'Ain 'Abata デイル・アイン・アバタ)が死海東南岸に残されている。教会横には「ロトの洞窟」が存在する。教会は現代のヨルダン王国カラク県に位置するが、カラク地域は歴史的には「モアブ」と呼ばれていた。洞窟で生まれたというモアブ人は鉄器時代には同地域に王国を築いていた。.

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ヘブライ語

ヘブライ語(ヘブライご、עברית, Ivrit, Lingua Hebraea)は、アフロ・アジア語族のセム語派に属する北西セム語の一つ。ヘブル語とも呼ばれる。.

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ダマスカス

ダマスカスはシリア(シリア・アラブ共和国)の首都。ダマスクスとも表記される。アラビア語ではディマシュク(دمشق Dimashq)で、別名をシャーム(الشام al-sham)という。日本語の聖書翻訳の慣行ではダマスコと表記する。「世界一古くから人が住み続けている都市」として知られる。カシオン山の山麓、バラダ川沿いに城壁で囲まれた古代から続く都市と新市街が広がる。現在の人口は約200万人といわれるが、都市圏全体では400万人に迫るといわれる。.

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アモン人

アモン人は古代パレスチナのセム系民族の一つである。アンモン人と訳される事もある。.

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アラム人

アラム人(英:Aramaeans)とは、古代オリエントの遊牧民。隊商貿易で活躍した。.

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アラム語

記載なし。

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アラビア語

アラビア語(アラビアご、اللغة العربية, UNGEGN式:al-lughatu l-ʻarabīyah, アッ.

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アルメニア

アルメニア共和国(アルメニアきょうわこく、)、通称アルメニアは、南コーカサスに位置する共和制国家。東ヨーロッパに含められることもある。首都はエレバンで、黒海とカスピ海の間にある内陸国であり西にトルコ、北にジョージア、東にアゼルバイジャン、南にイランとアゼルバイジャンの飛び地ナヒチェヴァン自治共和国と接する。1991年にソビエト連邦から独立した。ナゴルノ・カラバフを巡ってアゼルバイジャンと、アルメニア人虐殺に対する歴史認識をめぐってトルコと激しく対立していたが、近年はアルメニア大統領が両国を訪問するなど関係修復を目指して対話を行っている。.

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アルパクシャド

アルパクシャド(アルパクサデ)は、旧約聖書の『創世記』に登場する人物。セムの息子で、ノアの孫、アブラハムの先祖にあたる。 『創世記』の記述によれば、父セムが100歳のとき、すなわち大洪水の2年後に生まれ、35歳で息子シェラが生まれ、その後他にも男子女子の子どもをもうけ、シェラ誕生の後403年生きたという。.

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アッシュール (聖書)

アッシュール、アシュル(Ashur、ヘブライ語:אַשּׁוּר、アシュア)は、ノアの息子であるセムの次男である。 兄弟に、エラム、アラム、アルパクシャド、ルドがいる。創世記10章11-12節で、アッシュールまたはニムロドがニネヴェなどのアッシリアの都市を造ったと言及されている。ノアの洪水以後の諸民族は、彼らから分岐したという(創10:32)。 なお、歴代誌2章24節に登場するテコアの父アッシュール(Ashur father of Tekoa)、 ユダの子孫、ヘズロンとアバイアの息子、ヘラとナアラーの夫などは別人である。.

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アッシリア

アッシリアに関連した都市と国の位置関係ハニガルバトとは、『ミタンニ』に対するアッシリア側からの他称である。 紀元前627年頃)の浮き彫り(ロンドンの大英博物館蔵)。 アッシリア(Assyria)は、メソポタミア(現在のイラク)北部を占める地域、またはそこに興った王国(前2500年 – 前605年)。首都は、初期はアッシュールで、後にニネヴェに遷都した。南側にバビロニアと隣接する。チグリス川とユーフラテス川の上流域を中心に栄え、後にメソポタミアと古代エジプトを含む世界帝国を築いた。アッシリアの偉業は、ペルシア帝国に受け継がれてその属州となった。.

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アブラハム

レンブラント『アブラハムとイサク』、1634年。 アブラハム(英語 Abraham 、ヘブライ語 אַבְרָהָם (ab-raw-hawm') アブラハーム、ギリシア語 Αβραάμ Avraám アブラハム)は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教を信仰する「啓典の民」の始祖。ノアの洪水後、神による人類救済の出発点として選ばれ祝福された最初の預言者。「信仰の父」とも呼ばれる。 ユダヤ教の教義では全てのユダヤ人の、またイスラム教の教義では、ユダヤ人に加えて全てのアラブ人の系譜上の祖とされ、神の祝福も律法(戒律)も彼から始まる。イスラム教ではイブラーヒーム(ابراهِيم, Ibrāhīm)と呼ばれ、ノア(ヌーフ)、モーセ(ムーサー)、イエス(イーサー)、ムハンマドと共に五大預言者のうちの一人とされる。キリスト教の正教会においてはアウラアムと称され、聖人に列せられている。 族長カビル族と呼ばれるヘブル人の先祖たちの一人である。.

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イエメン

イエメン共和国(イエメンきょうわこく、الجمهورية اليمنية)、通称イエメンは、中東のアラビア半島南端部に位置する共和制国家である。ただし、インド洋上の島々の一部も領有している。.

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イスラエル (民族)

イスラエル(イスラーエール、&#1497;&#1513;&#1512;&#1488;&#1500;)とは、古代のヘブライ人(聖書ではアブラハム・イサク・ヤコブ)を先祖とし、主としてセム系の言語を用いる民族。.

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エチオピア

チオピア連邦民主共和国(エチオピアれんぽうみんしゅきょうわこく)、通称エチオピアは、東アフリカに位置する連邦共和制国家である。東をソマリア、南をケニア、西を南スーダン、北西をスーダン、北をエリトリア、北東をジブチに囲まれた内陸国。隣国エリトリアは1991年にエチオピアから分離した国家である。首都はアディスアベバ。 アフリカ最古の独立国および現存する世界最古の独立国の一つである。人口は約1億200万人(2016年7月推定)で、サハラ以南のアフリカでは、ナイジェリアに次いで二番目に人口の多い国である。.

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エラム

ラム諸王朝の領域 エラム(Elam)は古代オリエントで栄えた国家、または地方の名。紀元前3200年頃から紀元前539年までの間、複数の古代世界の列強国を出現させた。.

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エドム

ドムはパレスチナの南南東、死海の南からアカバ湾に至る地域で、一般に「エドムの地」と言われる。エドムの範囲は、北は死海、南は葦の海(紅海)に至る山地で、北はセレデ川の境界にモアブと接していた。エドム人は後にヘレニズム文化でギリシア語化し、イドマヤ人と呼ばれるようになった。 「エドムの地」とは、イサクの子エサウが住んだ地を意味する。「セイルの地」「セイル山」とも呼ばれているが、「セイル」は「毛皮のよう」つまりエサウの身体の状態を表す言葉から来ているという説がある。 出エジプトの後に、エドムの西の境界の町としてカデシュ (en) をあげている。ホル山もエドムにある。 ヨシュアの領土分割相続の時にユダ族の南の境界は、ツィンの荒野で、エドムとの国境であった。 エドムの地には、アカバ湾からシリヤ・メソポタミヤに通じる王の道があり、エジプトとアラビアを結び交通の要路があったので、農耕、通商、貿易による巨額の収益があった。.

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カラケネ王国

ラケネ王国(Characene)とは、紀元前129年にアラブ人のがバビロニアに作った王国。甘英が通った、條支国と同一という説がある。首都は ヒスパネシオスは元来セレウコス朝によって任命されたカラケネの総督(サトラップ)であった。バビロニアは紀元前139年頃にはパルティアの支配下に入ったが、セレウコス朝は失地回復を目指してパルティアと戦いを繰り広げた。 この戦いは最終的にパルティアの勝利に終わったが、紀元前128年頃、パルティアに侵入したサカ族によってパルティア王フラーテス2世が殺され、パルティアの政局が混乱し、パルティアのバビロニア総督がバビロニアでの独立勢力の確立を目指すなどし、パルティアの影響力が大幅に低下した。 この機に乗じてヒスパネシオスは影響力を拡大し、ヒメロスと戦ってこれを破り一時セレウキアを占拠するなどして王を名乗り、カラケネ王国を築いた。その後ヒメロスの巻き返しがあったが、間もなく勢力を回復したパルティアが再びバビロニアに影響力を行使するようになると、ヒメロスは排除された。カラケネ王国もパルティアに対抗する実力は無く、その後パルティア内の半独立国として存続した。 しかし、パルティアがサーサーン朝によって打倒されると、カラケネ王国もその影響下に入ったが、サーサーン朝は中央集権的な国家体制を築き上げていき、カラケネ王国も消滅した。.

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カルデア

ルデア(Chaldea, Chaldæa、ギリシア語の Χαλδαία, より; アッカド語: māt Ḫaldu; כשדים,; アラム語: ܟܠܕܘ, )はメソポタミア南東部に広がる沼沢地域の歴史的呼称である。紀元前10世紀以降にこの地に移り住んだセム系遊牧民の諸部族はカルデア人と呼ばれるようになった。カルデア人は紀元前7世紀に新バビロニア王国を建国した。 短命に終わったバビロン第11王朝(BC6世紀)を、歴史家は慣習的にカルデア王朝、カルデア帝国、あるいは新バビロニア王国と呼ぶ。と言っても、この王朝の歴代の支配者のうち、カルデア人であると分かっているのは最初の4人だけである。最後の支配者ナボニドゥス(そしてその息子であった摂政ベルシャザル)の出自ははっきりしていないが、一説にはアッシリア出身とも言われる。カルデア人が定住した地域はバビロニア南部にあり、主にユーフラテス川の東岸沿いにあった。カルデアという名は一般にメソポタミア南部全域を指す言葉として使われるようになったが、本来のカルデアは実のところ、ユーフラテス川とチグリス川の堆積物によってメソポタミア南東端に形成された、この2つの川の流れに沿った長さ約400マイル、幅およそ100マイルに広がる広大な平原であった。.

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ガリラヤ湖

リラヤ湖 ガリラヤ湖(ガリラヤこ、、)は、イスラエル北部地区に位置する、国内最大の湖である。.

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セム語派

ム語派(セムごは)ないしセム語族(セムごぞく)は、言語学においてアフロ・アジア語族に属するとされる言語グループである。.

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セム族 (民族集団)

ム族(Semites)は、セム系の言語を使用する人々の総称である。中東、西アジアや北アフリカに分布する古代・現代のさまざまなセム語の話手を指し、アッカド人、古代アッシリア人、バビロニア人、エブラ人、ウガリット人、カナン人、フェニキア人(カルタゴ人を含む)、ヘブライ人(イスラエル人、ユダヤ人、サマリア人)、アラム人、カルデア人、アムル人、モアブ人、エドム人、ヒクソス、ナバタイ人、サバ人、マルタ人、マンダ教徒、サービア教徒、シリア人、アマレク人、アラブ人、アッシリア人、パルミラ人、などを含む。.

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サナア

ナア(Sana'a、صنعاء; )は、アラビア半島南西にあるイエメンの首都である。サナア県の中心ではあるが、行政上はサナア県に属さず、Amanat Al-Asemah「アマナット・アル・アシマ」(サナア市)を単独で構成している。サナアは標高約2,300mの高原にあり首都としては世界でも高地にある。市内には粘土で作った煉瓦造りの建物があり、アラブ文化が色濃く残っている。イスラムの都市であり、市内にはムスリム大学やモスクが数多く見受けられる。2008年に完成したサーレハ・モスクは4万人を収容する。サナアの人口は1,747,627人、都市圏人口は2,167,961人(2004年)で世界で最も増加率の高い首都の一つである。サヌアとも表記される。.

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創世記

光と闇の分離 『創世記』(そうせいき、ヘブライ語:、ギリシア語:Γένεσις、)は、古代ヘブライ語によって記された、ユダヤ教、キリスト教の聖典で、イスラム教の啓典である聖書(旧約聖書)の最初の書であり、正典の一つである。写本が現存しており、モーセが著述したとされている。いわゆるモーセ五書は、ユダヤ教においてはトーラーと呼ばれている。 『創世記』はヘブライ語では冒頭の言葉を取って(ベレシート)と呼ばれているおり、これは「はじめに」を意味する。また、ギリシア語の七十人訳では、2章4節からとってΓένεσις(ゲネシス)と呼ばれており、「起源、誕生、創生、原因、開始、始まり、根源」の意である。.

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法政大学

1889年(明治22年)5月、フランス法系の結集を図るため、東京法学校と東京仏学校の2校が合併して和仏法律学校と改称し、当時の司法次官(司法官僚トップ)で日本における「法律の元祖」 といわれる箕作麟祥が初代校長に就任した。以降、日本の現行諸法典を創った法典調査会の中心人物が校長に就任している。中でも、「日本民法典の父」 といわれる梅謙次郎は、20年間にわたり学監、校長、初代総理として、本学の発展に大きく貢献した。梅が校長を務めていた1903年(明治36年)に法政大学と改称(専門学校令準拠)、大学令が施行された翌年の1920年(大正9年)に旧制大学となり、1949年(昭和24年)より新制大学となって今に至っている。 File:Mitsukuri Rinsho 1888.jpg|司法次官時代に和仏法律学校初代校長に就任した箕作麟祥。日本で初めて「権利」「義務」「憲法」といった訳語を用いて近代法典を翻訳し、日本における「法律の元祖」と評された。後に校長と行政裁判所長官を兼任。 File:Ume_Kenjiro.jpg|学祖・梅謙次郎。和仏法律学校校長、のち法政大学初代総理。民法・商法起草者。東京帝国大学法科大学長、文部省総務長官。「法政大学」と名付けた人物であり、20年間にわたり無報酬で本学の発展に尽力した。 File:TOMII Masaaki.jpg|富井政章。和仏法律学校校長。帝国大学法科大学長。薩埵の義理の兄で、東京法学校時代から本学の発展に貢献した。梅とともに現行民法典を起草した三人のうちの一人。貴族院勅選議員、枢密顧問官。 File:Yokota Kuniomi.jpg|司法次官時代に和仏法律学校校長に就任した横田国臣。法典調査会第三部長(刑法起草責任者)、検事総長、大審院院長(最高裁判所長官)。 File:Michel_Revon,_Professor_of_French_Law.jpg|和仏法律学校の第2代教頭に就任したミシェル・ルヴォン (Michel Revon) 。司法省名誉法律顧問。東京帝国大学法科大学教授。ボアソナードの後任者として梅謙次郎を支えた。帰国後、ソルボンヌ大学教授に就任。.

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新共同訳聖書

新共同訳聖書(しんきょうどうやくせいしょ)は、聖書の日本語訳の一つ。1987年に初版が刊行された。正式な英語名は The Bible, The New Interconfessional Translation。.

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日本聖書協会

一般財団法人日本聖書協会(にほんせいしょきょうかい)は、主に日本語訳聖書などを出版する聖書協会である。プロテスタント系であるが、ローマ・カトリックとも共同作業を行うほか、正教会にも聖書を頒布している。所在地は東京都中央区銀座四丁目。聖書協会世界連盟加盟。.

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旧約聖書

旧約聖書(きゅうやくせいしょ)は、ユダヤ教の聖典であるタナハを元に書かれたキリスト教の正典である。また、イスラム教においてもその一部(モーセ五書、詩篇)が啓典とされている。「旧約聖書」という呼称は旧約の成就としての『新約聖書』を持つキリスト教の立場からのもので、ユダヤ教ではこれが唯一の「聖書」である。そのためユダヤ教では旧約聖書とは呼ばれず、単に聖書と呼ばれる。『旧約聖書』は原則としてヘブライ語で記載され、一部にアラム語で記載されている。.

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