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ジェリェズニツァ川

索引 ジェリェズニツァ川

ェリェズニツァ川(Željeznica,Жељезница)はボスニア・ヘルツェゴビナを流れる川で、トレスカヴィツァ山麓を源流とする。上流部は美しい森林に覆われており、多くの急流がある。トゥロビ村(Turovi)からの流れは希少な自然や釜状の地形を作っている。カザニ(Kzani)には峡谷があり、その急流の美しさは旅行者をひき付けている。ジェリェズニツァ川は西サラエヴォポリェを特徴付ける地理的に主要な物の一つで、トルノヴォやイストチナ・イリジャを南に流れ、最終的にはサラエヴォの近くでボスナ川に合流する。ジェリェズニツァ川の西側はヤホリナ山と境を接し、右岸には考古学的な発見がされたブトミル地区があり流域は新石器時代より集落が存在した。.

8 関係: ヤホリナ山ボスナ川ボスニア・ヘルツェゴビナトルノヴォ (スルプスカ共和国)トレスカヴィツァ山ブトミルイストチナ・イリジャサラエヴォ

ヤホリナ山

ヤホリナ山(Jahorina,Јахорина)は、ボスニア・ヘルツェゴビナ南東部にある山で、ボスニア・ヘルツェゴビナを構成するボスニア・ヘルツェゴビナ連邦、スルプスカ共和国の2つの構成体にまたがっている。サラエヴォの南東部に位置し、ビイェラシュニツァ山と接している。ヤホリナ山は標高1,913mで、サラエヴォ周辺の山の中では中規模の高さの山である。 サラエヴォ周辺の他の山と同様にヤホリナ山もウィンタースポーツの目的地として有名である。今日ではヤホリナ山はスキー以外にもハイキングやそりの目的地としてポピュラーで、40kmの整備されたスキーコースが立地する。.

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ボスナ川

源流のヴレロ・ボスネ ボスナ川(Bosna,Босна)はボスニア・ヘルツェゴビナを流れる川で、ボスニア・ヘルツェゴビナ国内を流れる3つの重要な河川の一つである。他の2つはネレトヴァ川(Neretva)、ヴルバス川(Vrbas)などで、ボスナ川は全長271kmの長さを有する。ボスニア・ヘルツェゴビナ領内を流れる河川では他にウナ川、北西部を流れるサヴァ川、北部を流れるドリナ川が有名である。ローマ時代にボスナ川はボッシニア(Bossina)、バスイヌス(Bathinus)と呼ばれMalcolm, Noel (1994).

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ボスニア・ヘルツェゴビナ

1992年-1998年の国旗 1992年-1998年の国章 ボスニア・ヘルツェゴビナは、東ヨーロッパのバルカン半島北西部に位置する共和制国家。首都はサラエボで、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国のふたつの構成体からなる連邦国家でもある。 ほぼ三角形の国土を持ち、国境のうち北側と南西側2辺でクロアチア、東側1辺でセルビア、モンテネグロと接する。ユーゴスラビアからの独立時、独立の可否や国のあり方をめぐってボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人がそれぞれ民族ごとに分かれてボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で戦った。.

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トルノヴォ (スルプスカ共和国)

トルノヴォ(Трново,Trnovo,Trnovo)はボスニア・ヘルツェゴビナの基礎自治体で同国を構成する構成体のうちスルプスカ共和国に属し、イストチノ・サラエヴォを構成する自治体の一つである。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争以前はボスニア・ヘルツェゴビナ連邦のトルノヴォと共にトルノヴォ自治体を形成していた。自治体の中心はデイチチ(Dejčići)に置かれている。トルノヴォはサラエヴォから幹線道路M-18号線(サラエヴォ - トルノヴォ - フォチャ - トレビニェ)を南に行った場所に位置する。 周辺はヤホリナ山、トレスカヴィツァ山などの山地に囲まれており、1984年に開催されたサラエボオリンピックでは主要な会場となった。今日では様々なウィンタースポーツの目的地としてサラエヴォ周辺の観光地の一つとなっている。町の中心を流れるジェリェズニツァ川は主な地理的な特徴の一つである。.

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トレスカヴィツァ山

トレスカヴィツァ山(Treskavica,Трескавица)は、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォの南の町トルノヴォにある山である。ジョキン・トラニ(Đokin Toranj)の山頂は標高2,088mあり、トレスカヴィツァ山はサラエヴォ周辺の山では一番標高が高い。ボスニア・ヘルツェゴビナで一番標高が高いマグリッチ山(Maglić)よりは300mほど低い。 天気が良く見通しが利く日などは登山者は遠くのモンテネグロやアドリア海を望むことができる。.

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ブトミル

ブトミル(ボスニア語:Butmir、クロアチア語:Butmir、セルビア語:Бутмир)は、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォ郊外の地区で、サラエヴォ県・イリジャ自治体に含まれる。小さな集落であるが、ブトミル文化の名の元となった地名としてよく知られている。 地質的には、ブトミル地区には燧石が豊富である。地区を流れる小川は、イリジャ中心部でジェリェズニツァ川(Željeznica)に合流している。地区の西にはイリジャが近接しており、またサラエヴォは北東にあたる。サラエヴォとブトミルの間には、ボスニア・ヘルツェゴビナ最大の国際空港であるサラエヴォ国際空港がある。 ブトミル地区は、新石器時代にさかのぼる考古学的発見によって良く知られるようになった。およそ4千5百年前に、この地に人々が居住し、築き上げた独自の文化はブトミル文化と呼ばれている。 ブトミルには北大西洋条約機構(NATO)の重要な訓練基地が築かれている。ブトミル訓練基地は2005年4月に、アメリカ合衆国を含む12箇国によって開設された.

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イストチナ・イリジャ

イストチナ・イリジャ(セルビア語:Источна Илиџа、ボスニア語:Istočna Ilidža、クロアチア語:Istočna Ilidža)、あるいは東イリジャはボスニア・ヘルツェゴビナの基礎自治体であり、同国を構成する2つの構成体のうち、スルプスカ共和国(セルビア人共和国)に属する。 ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争前のイリジャ自治体の市域のうち、紛争を終結させた和平合意であるデイトン合意によってスルプスカ共和国に属するとされた領域が、同自治体から分離されてイストチノ・イリジャとなった。かつてはスルプスコ・イリジャ(Српска Илиџа / Srpska Ilidža、セルビア人のイリジャ)と呼ばれたほか、その中心となる地区の名前を取ってカシンド(Kasindo)と呼ばれることもあるが、スルプスコ・イリジャの呼称についてはボスニア・ヘルツェゴビナ憲法裁判所により違憲とされたため、新しい呼称としてイストチナ・イリジャ(東イリジャ)が取り入れられた。 スルプスカ共和国の法的な首都であるイストチノ・サラエヴォを構成する6つの自治体のうちの一つである。同じくイストチノ・サラエヴォを構成する自治体であるイストチノ・ノヴォ・サラエヴォと合併する案もある。.

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サラエヴォ

ラエヴォ (ボスニア語:Sarajevo 、クロアチア語:Sarajevo、セルビア語:Сарајево)は、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都であり、同国で最大の人口をもつ都市である。ボスニア・ヘルツェゴビナの構成体のひとつであるボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の首都でもある。 日本語表記においては、一般に「サラエボ」や「サライェヴォ」 などの表記も多く見られる(以下、本項では「サラエヴォ」とする。呼称と表記も参照)。 2011年8月の推計では、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエヴォ県に属する4つの自治体の人口は併せて311,161人である。サラエヴォはまた、サラエヴォ県の県都でもある。サラエヴォはボスニア地方のサラエヴォ渓谷のなかにあり、ディナール・アルプスに取り囲まれ、ミリャツカ川周辺に広がっている。サラエヴォの町は宗教的な多様性で知られており、イスラム教、正教会、カトリック教会、ユダヤ教が何世紀にもわたって共存してきた。旅行ガイドブックのロンリープラネットでは、「世界の都市」ランキングにおいてサラエヴォを43位にランクしている。これは、同じ旧ユーゴスラビア諸国の観光都市であるドゥブロヴニクの59位、リュブリャナの84位、ブレッドの90位、ベオグラードの113位、ザグレブの135位を上回る。 サラエヴォに隣接して、ボスニア・ヘルツェゴビナの構成体のひとつであるスルプスカ共和国の首都であるイストチノ・サラエヴォ(東サラエヴォ)がある。現在のイストチノ・サラエヴォの市域には、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争前のサラエヴォの市域の一部が含まれている。 この地域に人が居住を始めたのは先史時代にまでさかのぼるものの、現代のサラエヴォにつながる町ができたのは15世紀のオスマン帝国の統治下でのことであった。オーストリア=ハンガリー帝国に併合されたのちもボスニアの州都と位置付けられたサラエヴォは、近代以降の何度かにわたって国際的な注目を受けることになった。1914年にはこの地はオーストリア帝位継承者の暗殺事件の現場となり、この事件によって第一次世界大戦が引き起こされた。1984年にはサラエヴォは1984年冬季オリンピックの会場となり、さらに後のユーゴスラビア崩壊のときには、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争において数年間にわたるセルビア人勢力による包囲を受けた。現在のサラエヴォは紛争後の復興開発が進み、21世紀初頭において紛争前の水準を回復しつつある。サラエヴォは、ボスニア・ヘルツェゴビナの経済・文化活動の拠点となっている。サラエヴォはヨーロッパで初めて、そして全世界で2番目に早く終日(朝から夜まで)運行の路面電車が運行された町である終日運行の路面電車の世界初はアメリカ合衆国のサンフランシスコであった。 Lonely Planet: Best Cities in the World。.

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