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サン・マルコ広場

索引 サン・マルコ広場

ン・マルコ広場(サン・マルコ ひろば、イタリア語:Piazza San Marco)はヴェネツィアの中心的な広場で、回廊のある建物に囲まれ、ドゥカーレ宮殿やサン・マルコ寺院などがある。ヴェネツィアの広場は方言でカンポ(campo)と呼ばれるが、サン・マルコ広場は別格であり、ピアッツァ(piazza)と呼ばれる。世界で最も美しい広場とも言われており、観光名所のほか、海からの玄関口でもある。 サン・マルコは、ヴェネツィアの守護聖人である福音記者マルコに、由来する。サン・マルコ寺院の聖堂の正面部分は柱廊に囲まれた台形になっていて、実際より奥行きがあるようにみえる。この台形広場(piazza)に、海に面したサン・マルコ小広場(Piazetta San Marco)が続いており、全体としてL字型になっている。小広場にはカナル・グランデに面して2本の円柱があり、それぞれ頂上には聖マルコを象徴する「有翼の獅子」像と、「」像がある。中世にはこの柱の間に死刑執行台を設置したため、ヴェネツィアっ子は柱の間を通り抜けないという。.

21 関係: ため息橋守護聖人広場マルコ (福音記者)ヤーコポ・サンソヴィーノリアルト橋ルネサンス建築ヴェネツィアヴェネツィアの獅子ビザンティン建築ドゥカーレ宮殿アックア・アルタイタリア語カナル・グランデカッフェ・フローリアンサン・マルコ寺院国立マルチャーナ図書館聖マルコと聖テオドーロの円柱鐘楼 (サンマルコ広場)観光死刑

ため息橋

ヴェネツィアのため息橋 ため息橋(溜息の橋, Ponte dei Sospiri )とは、16世紀に架けられたヴェネツィアの橋の1つである。白の大理石で造られたこの橋には覆いがあり、石でできた格子の付いた窓が付けられている。Rio di Palazzoを渡り、ドゥカーレ宮殿(写真左手)の尋問室と古い牢獄(写真右手)を結んでいる。 ため息橋からの眺めは囚人が投獄される前に見るヴェネツィアの最後の景色であった。ため息橋という名前は、独房に入れられる前に窓の外からヴェネツィアの美しい景色を見られるのは最後であるというので囚人がため息をつくというところから、19世紀にジョージ・バイロンが物語詩『チャイルド・ハロルドの巡礼』の中でBridge of Sighsと呼んだのが初めである。実際には、厳しい取調べや略式の刑執行は橋が建設された頃には無くなっており、宮殿の屋根の下の独房も専ら短期刑の囚人のものであった。 現在は、ヴェネツィアの観光名所となっており、ドゥカーレ宮殿のそばで海側のバリア橋(Ponte.Paglia)がため息橋を眺めるスポットとして有名な他(上の写真はそこから見た景色)、1つ内陸の橋(写真の奥に見える橋)からも見ることができる。また、牢獄も公開されており、ドゥカーレ宮殿からため息橋を渡って、外の景色を眺めることも可能である。 地元の言い伝えによれば、恋人同士がこの橋の下で日没時にゴンドラに乗ってキスをすると永遠の愛が約束されるのだという。このため、橋の下の水路は、ゴンドラでヴェネツィアを観光する時の定番のコースとなっている。この伝説をモチーフとして、『リトル・ロマンス』(1979)という映画も作られている。 なお、イギリスのケンブリッジとオックスフォードには、ヴェネツィアのこの橋にちなんだ「溜息の橋」(The Bridge Of Sigh)という橋が架かっている。こちらは牢獄とは無関係である。ケンブリッジは、「ケム川に掛かる橋」がその名の由来であるが、大学にはケム川に掛かる橋は2つあり、その片方が溜息の橋である。橋は立入禁止。溜息の由来は学業でついていけない学生がつく溜息など、幾つかの噂がある。オックスフォードのものは、川ではなく、ニューカレッジ・レーンという通りの上にかかっており、ハートフォード・カレッジの2つの建物を繋いでいる。.

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守護聖人

ヨーロッパの守護聖人 守護聖人(しゅごせいじん、ラテン語:patronus)は、キリスト教の伝統的な信仰の一つで、特定の職業・活動や国、地域などを、ゆかりのある聖人(あるいは天使)がそのために取りなし、守っているという思想。カトリック教会および正教会でよく見られる信仰である。プロテスタントの諸教会では聖人を職業や活動に結び付けることは一般的にはなされない。.

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広場

ミラノのドゥオモ広場 広場(ひろば)は、都市において主として多くの人が集まるために設けられた、広く平らな場所・歩行者空間のことである。.

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マルコ (福音記者)

福音記者マルコ(San Marco Evangelista、Mark the Evangelist)は新約聖書の『マルコによる福音書』の著者とされる人物。ギリシア語ではマルコス。マルクとも表記する。マルコスというのはギリシャ名としては一般的なものであり、また同書の中には筆者の名は直接には記されていないが、伝承は『使徒行伝』からパウロの書簡にたびたびあらわれるマルコなる人物を同一人物と考え、福音記者とみなしてきた。聖人の概念を持つ全ての教派で、聖人として崇敬されている。カトリック教会・正教会での記念日(記憶日・聖名祝日)は4月25日(ユリウス暦を使用する正教会では5月8日に相当)。.

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ヤーコポ・サンソヴィーノ

ヤーコポ・サンソヴィーノ(Jacopo Sansovino、1486年7月2日 - 1570年11月27日)は、イタリアのルネサンス期の建築家、彫刻家。ヴェネツィアの主導的建築家として活躍し、盛期ルネサンス建築を導入した。.

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リアルト橋

リアルト橋(Ponte di Rialto)は、ヴェネツィアのカナル・グランデに架かる4つの橋の一つ。「白い巨象」とも呼ばれる。 この橋の周辺は海抜が比較的高く洪水の被害も少ないため、ヴェネツィアでは最も早くこの周りに集落ができ商業の中心地となった。最初は木製の跳ね橋で、銀行や商品取引所で賑わっていたため「富の橋」と呼ばれた。しかし、パレードの見物人の重みで崩壊したり、火災に遭ったりしたため、石造りの橋に変えようと提言され、1557年、ヴェネツィア共和国は橋の設計案を一般から募集した。一般公募にはミケランジェロも参加したが、結局、採用されたのはアントニオ・ダ・ポンテの案だった。 ポンテの案は、橋の下を多くの船が通ることを考えた単一アーチで、そりの大きい太鼓橋だった。工事は軟弱な地盤や技術上の問題から困難とされたが、4年後には長さ48m、幅22m、水面からの高さ7.5mのそりの大きい太鼓橋が完成した。 橋の上にはアーケードが作られ、商店が並んでいる。ヨーロッパの橋としては珍しく、カナル・グランデを見晴らす欄干と花瓶型の手摺がついている。 File:Canale Grande Venice 2.jpg|橋上からの臨むカナル・グランデ File:1 venice grand canal rialto bridge 2012.jpg|橋上からの臨む夜のカナル・グランデ File:Venice Scene 45.jpg|橋上の階段 File:Walking in venice.JPG|橋上の階段 File:Rialto Bridge Grand Canal.jpg|リアルト橋.

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ルネサンス建築

ルネサンス建築(~けんちく)は、一義的にイタリアのフィレンツェで1420年代に始まり、17世紀初頭まで続いた建築様式を指す。古典古代を理想とするルネサンスの建築における表現といえる。 人体比例と音楽調和を宇宙の基本原理とし、ローマ建築の構成を古典主義建築として理論づけた。ルネサンス建築にはじまる古典主義建築の系譜は、後のバロック建築・新古典主義建築を通じて継承され、西欧建築の主流であったが、19世紀の歴史主義において相対化し、やがて解体した。 ルネサンス建築は、本質的な意味では15-16世紀のイタリアの一部の都市にのみ成立したといえるが、フランス、イギリス、ドイツなど、西欧諸国の建築活動にも影響を与えた。当初これらの国々では、主にルネサンス建築の表層的な意匠が導入されたため、各国独自の嗜好が表れており、それぞれ特徴を持った建築になっている。.

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ヴェネツィア

ヴェネツィア(Venezia)は、イタリア共和国北東部に位置する都市で、その周辺地域を含む人口約26万人の基礎自治体(コムーネ)。ヴェネト州の州都、ヴェネツィア県の県都である。ヴの表記によりベネチアと表記されることもある。 中世にはヴェネツィア共和国の首都として栄えた都市で、「アドリア海の女王」「水の都」などの別名をもつ。英語では「Venice」と呼ばれ、これに由来して日本語でもヴェニス、ベニスと呼ばれることもある。.

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ヴェネツィアの獅子

ヴェネツィアの獅子(Leone di Venezia)は、イタリアの都市ヴェネツィアの象徴である「有翼の獅子(翼を持ったライオン)」のこと。9世紀、ヴェネツィア商人はアレクサンドリアにあった聖マルコの聖遺物をヴェネツィアに持ち帰った。それ以来、ヴェネツィアの守護聖人は聖マルコとされ、聖マルコを表す「有翼の獅子」もまたヴェネツィアを象徴するものとされるようになった。 12世紀頃に、ヴェネツィアのサン・マルコ広場にある円柱上に聖マルコを表す有翼の獅子像が設置された。以来、ヴェネツィアの獅子といえばこの像のことを指すことが一般的である。.

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ビザンティン建築

ビザンティン建築(ビザンティンけんちく、Byzantine Architecture)は、東ローマ帝国(ビザンツ帝国、ビザンティン帝国)の勢力下で興った建築様式である。4世紀頃には帝国の特恵宗教であるキリスト教の儀礼空間を形成し、そのいくつかは大幅な補修を受けているものの今日においても正教会の聖堂、あるいはイスラム教のモスクとして利用されている。日本では、ビザンツ建築と呼ばれる場合もある。 ローマ建築円熟期の優れた工学・技術を継承し、早い段階で技術的成熟に達するが、その後、東ローマ帝国の国力の衰退と隆盛による影響はあるものの、発展することも急速に衰退することもなく存続した。 キリスト教の布教活動とともに、ブルガリアやセルビアなどの東欧の東ローマ帝国の勢力圏のみならずロシアあるいはアルメニアやジョージアなど西アジアにも浸透していった。その影響力は緩やかなもので、地域の工法・技術と融合しながら独自の様式を発展させた。また、初期のイスラーム建築にも影響を与えている。 ハギア・ソフィア大聖堂周囲の4本のミナレットはオスマン帝国時代にモスクに転用された際に付け加えられたもの。.

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ドゥカーレ宮殿

*ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale、Doge's Palace)。イタリア語で、総督や○○公の宮殿のこと。英語からの訳で「ドージェ宮」と呼ばれることもある。イタリア各地を中心に所在する。.

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アックア・アルタ

アックア・アルタ(、複数形:アックエ・アルテ (acque alte))は、元々はイタリア語で満潮を指す言葉であるが、イタリア北部のヴェネト州ではアドリア海北部で定期的に発生する異常潮位現象を指してこの言葉を用いている。アクア・アルタとも書かれる。この項目では、北アドリア海における異常潮位現象について説明する。 この現象により特に水位が高くなるのはヴェネツィアの潟で、ヴェネツィアやキオッジャでは都市内部まで水が浸水することもある。浸水は、北アドリア海周辺のグラードやトリエステなどの都市でもまれに観測されている。この現象は主には秋から春にかけての時期に見られ、潟から外海への水の流出を防いでいる風が普段よりも強く吹くことで、潟の水量が増し、そこに満潮が重なることで発生する。この特殊な風は、アドリア海の北沿いを吹くシロッコやボーラなどの季節風が、ヴェネツィアの潟の独特な地形の影響を受けることで起こる。.

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イタリア語

イタリア語(イタリアご)は、インド・ヨーロッパ語族イタリック語派に属する言語の1つで、おおよそ6千万人ほどが日常的に使用しており、そのほとんどがイタリアに住んでいる。後置修飾で、基本語順はSVO。イタリアは漢字で「伊太利亜」と表記することから、「伊太利亜語」を略記し伊語と称される。.

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カナル・グランデ

アッカデーミア橋からサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂を望遠するカナル・グランデの眺め カナル・グランデ(衛星写真) カナル・グランデ (Canal Grande) は、ヴェネツィアの運河。大運河の意で、そう訳されることもある。街を二分するようにS字形をしている。.

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カッフェ・フローリアン

ッフェ・フローリアン (Caffè Florian) はイタリア・ヴェネツィアのサン・マルコ広場にある、ヴェネツィアに現存する最も古いカフェ。カフェ・ラッテの発祥店として有名。.

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サン・マルコ寺院

ン・マルコ寺院 サン・マルコ寺院 (Basilica di San Marco) は、福音記者マルコにささげられた、イタリアのヴェネト州の州都ヴェネツィアで最も有名な大聖堂である。 ビザンティン建築を代表する記念建築物であるとされるが、その当時、コンスタンティノポリスで500年以上も前に流行した形式を採用している。サン・マルコ広場 (Piazza San Marco) に面して建ち、ドージェ(総督)の館であるドゥカーレ宮殿 (Palazzo Ducale) に隣接し繋がっている。建物内は、黄金に煌く壁や天井と、祭壇には2,000個もの眩い宝石が埋め込まれた黄金の衝立がある。 1807年からはヴェネツィア大司教座が置かれているため、本来現在は「サン・マルコ大聖堂」と呼ばれるのが適切である。しかし長らく「司教座聖堂(大聖堂)ではなかった」点が特徴の一つでもあり、現在も歴史上の呼称に合わせた「寺院(ないしは聖堂)」の呼び名が一般的である。.

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国立マルチャーナ図書館

国立マルチャーナ図書館(イタリア語:Biblioteca nazionale Marciana)は、イタリアのヴェネツィア、サン・マルコ広場の一角に建てられたルネサンス建築の図書館である。マルチャーナとは、ヴェネツィアの守護聖人である聖マルコの事である。イタリアでも最も古い図書館の一つで、世界的に見ても随一の古い文献コレクションを保管している図書館である。.

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聖マルコと聖テオドーロの円柱

聖マルコと聖テオドーロの円柱(Colonne di San Marco e San Todaro)は、イタリア ヴェネツィアのサン・マルコ広場の小広場に、カナル・グランデに面して立っている2本の円柱のことである。 または、かつてヴェネツィア共和国の影響下にあった都市に立てられた、同国の象徴としての円柱のことを指す場合もある。 それぞれ頂上には聖マルコを象徴する「有翼の獅子」像と、「」像がある。.

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鐘楼 (サンマルコ広場)

ン・マルコの鐘楼(伊: Campanile di San Marco)はヴェネツィアのサン・マルコ広場にある鐘楼。日本では単に「鐘楼」もしくは「ヴェネツィアの鐘楼」といわれることが多い。ヴェネツィアにある観光名所の中でも特に有名であり街のシンボルとされている。 高さは98.6mあり、サン・マルコ寺院の前の角に単独で建っている。下半分はシンプルなレンガ造りになっており、その上部にアーチ型の鐘架があり中に5つの鐘がある。鐘架の上にはヴェネツィアを象徴する歩行中のライオンと女性の形が象ってあるレンガ造りの壁があり、さらのその上にピラミッド型の尖塔が乗っている。この尖塔の頂上にある金色の像は大天使ガブリエルを模したものである。鐘楼は1514年に現在の形で完成しているが、1902年に崩壊したため現在サン・マルコ広場に建っているのは1912年に再建されたものである。.

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観光

観光(かんこう)とは、一般には、楽しみを目的とする旅行のことを指す。 英語では観光する側(en:sightseeing)と、観光させる側(en:tourism)で言葉が(概念も)分かれている。 これには、後述される宗教行為の対象者(大衆:観光客)と行為者(仕掛け人:観光業者)の立場が現れているとも見られる。 なお狭義には、観光事業を指すこともある。.

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死刑

死刑(しけい)は、対象者(死刑囚)を死亡させる刑罰である。抽象的な表現として「極刑(きょっけい)」あるいは「処刑(しょけい)」とも表現される。刑罰の分類上は生命刑に分類される。.

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