ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

クン・テムル

索引 クン・テムル

ン・テムル(Гүнтөмөр/Kün temür、)は、モンゴル帝国の第21代(北元としては第7代)皇帝(大ハーン)。モンゴルの年代記『黄金史綱』ではトゴーン(Toγoγan)、『恒河の流れ』ではコケ・テムル(Köke temür)とも表記される。 また、モンゴル年代記以外では漢語史料の『明実録』で坤帖木児、ティムール朝で編纂されたペルシア語史料ではکن تیمور(Kun tīmūr)と表記される。.

32 関係: 実録岡田英弘年代記北元ペルシア語マフムード (オイラト)ハーンモンゴル (曖昧さ回避)モンゴル帝国トグス・テムルティムール朝ダヤン・ハーン刀水書房アリクブケアルタン・トプチエルベク・ハーンエンケ・ハーンエセン・ハーンオルク・テムルオルジェイ・テムルオゲチ・ハシハガンガイン・ウルスハル靖難の変藤原書店蒙古源流永楽帝漢語1377年1399年1402年

right 卯(う、ぼう)は十二支のひとつ。いわゆる「うさぎ」。通常十二支の中で第4番目に数えられる。前は寅、次は辰である。.

新しい!!: クン・テムルと卯 · 続きを見る »

right 午(うま、ご)は、十二支のひとつ。通常十二支の中で第7番目に数えられる。前は巳、次は未である。.

新しい!!: クン・テムルと午 · 続きを見る »

実録

実録(じつろく)は、中国の史官が、皇帝一代の事績を記録した書物である。.

新しい!!: クン・テムルと実録 · 続きを見る »

岡田英弘

岡田 英弘(おかだ ひでひろ、1931年1月24日 - 2017年5月25日)は、日本の東洋史学者。東京外国語大学名誉教授。東洋文庫専任研究員。 専攻は満洲史、モンゴル史であるが、中国・日本史論についても多くの著作がある。.

新しい!!: クン・テムルと岡田英弘 · 続きを見る »

年代記

年代記(ねんだいき)または編年史(へんねんし)は、出来事や事件を年ごとに記述した歴史書のこと。.

新しい!!: クン・テムルと年代記 · 続きを見る »

北元

北元(ほくげん、拼音:Bĕiyuán)は、1368年に、元(大元)の第14代大ハーンのトゴン・テムル・ハーン(在位:1333年 - 1370年)が長江流域に興った明の北伐を逃れて大都(現在の北京)からモンゴル高原に撤退し、中国の漢民族定住農耕地域を失ってから後の大元ウルス(モンゴル帝国の皇帝直轄政権)についての後世の呼び方のことである。この政権に属する遊牧諸部族を同時代の漢文史料では韃靼(だったん、拼音:dádá)と呼び、日本では韃靼のカタカナ表記であるタタールという名称も用いられる。.

新しい!!: クン・テムルと北元 · 続きを見る »

ペルシア語

ペルシア語のファールシー ペルシア語(ペルシアご、فارسی‌, پارسی‌; Fārsī, Pārsī)は、イランを中心とする中東地域で話される言語。ペルシャ語、ファールシー語、パールシー語ともいう。 言語学的にはインド・ヨーロッパ語族-インド・イラン語派-イラン語群に分類される。ペルシア語は高度な文明を持っていた古代ペルシア帝国から現在に至るまでイラン高原を中心に使われ続けてきた言語であり、文献によって非常に古くまで系統をさかのぼることができる。ただし、現在のペルシア語にはアラビア語からの借用語が非常に多く、その形態は古代ペルシア語とはかなりの断絶がある。.

新しい!!: クン・テムルとペルシア語 · 続きを見る »

マフムード (オイラト)

マフムード(? - 1416年)は、オイラト部の族長。漢字では馬哈木と書かれる。.

新しい!!: クン・テムルとマフムード (オイラト) · 続きを見る »

ハーン

ハーン(可汗、合罕、qaġan/qaγan、khaan)は、北アジア、中央アジア、西アジア、南アジアにおいて、主に遊牧民の君主や有力者が名乗る称号。古い時代の遊牧民の君主が名乗った称号カガン(古テュルク語: - qaġan/qaγan)はその古形である。.

新しい!!: クン・テムルとハーン · 続きを見る »

モンゴル (曖昧さ回避)

モンゴル (Монгол) 民族.

新しい!!: クン・テムルとモンゴル (曖昧さ回避) · 続きを見る »

モンゴル帝国

モンゴル帝国(モンゴルていこく)は、モンゴル高原の遊牧民を統合したチンギス・カンが1206年に創設した遊牧国家。中世モンゴル語ではイェケ・モンゴル・ウルス ( Yeke Mongγol Ulus)すなわち「大モンゴル・ウルス(大蒙古国)」と称した。 モンゴル帝国の創始者チンギス・カンと『四駿四狗』やその他の後継者たちはモンゴルから領土を大きく拡大し、西は東ヨーロッパ、アナトリア(現在のトルコ)、シリア、南はアフガニスタン、チベット、ミャンマー、東は中国、朝鮮半島まで、ユーラシア大陸を横断する帝国を作り上げた。最盛期の領土面積は約3300万km²で、地球上の陸地の約25%を統治し、当時の人口は1億人を超えていた。三大洋全てに面していた。 モンゴル帝国は、モンゴル高原に君臨するモンゴル皇帝(カアン、大ハーン)を中心に、各地に分封されたチンギス・カンの子孫の王族たちが支配する国(ウルス)が集まって形成された連合国家の構造をなした。 中国とモンゴル高原を中心とする、現在の区分でいう東アジア部分を統治した第5代皇帝のクビライは1271年に、大都(現在の北京)に遷都して緩やかな連邦と化した帝国の、モンゴル皇帝直轄の中核国家の国号を大元大モンゴル国と改称するが、その後も皇帝を頂点とする帝国はある程度の繋がりを有した。この大連合は14世紀にゆるやかに解体に向かうが、モンゴル帝国の皇帝位は1634年の北元滅亡まで存続した。また、チンギス・カンの末裔を称する王家たちは実に20世紀に至るまで、中央ユーラシアの各地に君臨し続けることになる。.

新しい!!: クン・テムルとモンゴル帝国 · 続きを見る »

トグス・テムル

トグス・テムル(モンゴル語:、Tögüs-Temür)は、モンゴルの第17代大ハーン(北元としては第3代皇帝)。昭宗アユルシリダラの弟。治世の元号から天元帝と呼ばれることもある。クビライ以来続いてきた元朝の王統から出た最後の大ハーンとなった。.

新しい!!: クン・テムルとトグス・テムル · 続きを見る »

ティムール朝

ティムール朝(、)は、中央アジアのマー・ワラー・アンナフル(現在のウズベキスタン中央部)に勃興したモンゴル帝国の継承政権のひとつで、中央アジアからイランにかけての地域を支配したイスラム王朝(1370年 - 1507年)。その最盛期には、版図は北東は東トルキスタン、南東はインダス川、北西はヴォルガ川、南西はシリア・アナトリア方面にまで及び、かつてのモンゴル帝国の西南部地域を制覇した。創始者のティムール在位中の国家はティムール帝国と呼ばれることが多い。 王朝の始祖ティムールは、チャガタイ・ハン国に仕えるバルラス部族の出身で、言語的にテュルク化し、宗教的にイスラム化したモンゴル軍人(チャガタイ人)の一員であった。ティムール一代の征服により、上述の大版図を実現するが、その死後に息子たちによって帝国は分割されたため急速に分裂に向かって縮小し、15世紀後半にはサマルカンドとヘラートの2政権が残った。これらは最終的に16世紀初頭にウズベクのシャイバーニー朝によって中央アジアの領土を奪われるが、ティムール朝の王族の一人バーブルはアフガニスタンのカーブルを経てインドに入り、19世紀まで続くムガル帝国を打ち立てた。.

新しい!!: クン・テムルとティムール朝 · 続きを見る »

ダヤン・ハーン

ダヤン・ハーン(Даян хаан、 Dayan Khan、1464年 - 1524年)は、モンゴルの第34代(北元としては第20代)大ハーン。長らく分裂状態にあったモンゴル諸部を再統一し、ハーンの権威を回復させた。本名はバト・モンケ(Batu Möngke、Батмөнх)。明朝で編纂された漢文史料では大元大可汗や小王子、或いは達延汗と記されている。 ダヤン・ハーンはモンゴル中興の祖として称賛されており、モンゴルの諸王公はチンギス・カン(太祖テムジン)、セチェン・カーン(世祖クビライ)に次ぐ偉人としてダヤン・ハーンを位置づけている。現在のモンゴル国における「チンギス・カンの末裔」は大部分がダヤン・ハーンの流れをくんでいる。.

新しい!!: クン・テムルとダヤン・ハーン · 続きを見る »

刀水書房

刀水書房(とうすいしょぼう)は歴史書を専門とする日本の出版社である。.

新しい!!: クン・テムルと刀水書房 · 続きを見る »

アリクブケ

アリクブケ(モンゴル語:, ラテン文字転写: )は、モンゴル帝国の第5代皇帝(大ハーン)。漢文史料では阿里不哥、ペルシア語史料では()と書かれる。書籍によってはアリクブカとも表記される。.

新しい!!: クン・テムルとアリクブケ · 続きを見る »

アルタン・トプチ

『アルタン・トプチ』(モンゴル語:Алтан товч, 転写:Altan tobči)はモンゴルの年代記。同名のものが3種類存在する。.

新しい!!: クン・テムルとアルタン・トプチ · 続きを見る »

エルベク・ハーン

ルベク・ニグレスクチ・ハーン(Элбэг нигүүлсэгч хаан、Elbeg nigülesügči Qaγan、、1362年 - 1399年)は、モンゴルの第20代ハーン。漢字表記は額勒伯克。.

新しい!!: クン・テムルとエルベク・ハーン · 続きを見る »

エンケ・ハーン

ンケ・ハーン(モンゴル語:Энх хаан、、? - 1394年)は、モンゴル帝国の第19代(北元としては第5代)皇帝(大ハーン)(在位:1391年 - 1394年)。イェスデルの長男。.

新しい!!: クン・テムルとエンケ・ハーン · 続きを見る »

エセン・ハーン

ン・ハーン(、、? - 1454年)は、15世紀中頃のオイラトの首長。はじめエセン・タイシと称し、漢文史料では也先と表記される。 オイラトの最大版図を築き、1449年には明に侵攻して土木堡(現在の河北省張家口市懐来県)の地で明軍を破り、皇帝・英宗正統帝を捕虜とした(土木の変)。その後、非チンギス・カン裔のモンゴル貴族として初めてハーンを称したが、部下の反乱によって滅ぼされた。.

新しい!!: クン・テムルとエセン・ハーン · 続きを見る »

オルク・テムル

ルク・テムル・ハーン(モンゴル語: 英語:Örüg Temür Khan、生年不詳 - 1408年)は、モンゴル帝国の第22代(北元としては第8代)皇帝(大ハーン)(在位:1402年 - 1408年)。 漢文史料の『明史』『明実録』では鬼力赤(グイリチ)と表記される。この人物は『蒙古源流』を始めとするモンゴル年代記には一切登場しない。.

新しい!!: クン・テムルとオルク・テムル · 続きを見る »

オルジェイ・テムル

ルジェイ・テムル・ハーン(Өлзийтөмөр хаан、 英語:Öljei Temür Khan、1379年 - 1412年)は、モンゴル帝国の第23代(北元としては第9代)皇帝(大ハーン)(在位:1408年 - 1412年)。エルベク・ハーンの子。モンゴルの年代記『黄金史綱』ではオロイ・テムル、漢語史料では完者禿(オルジェイト)、本雅朱里(ベンヤシリ、プニヤシュリー)と表記される。.

新しい!!: クン・テムルとオルジェイ・テムル · 続きを見る »

オゲチ・ハシハ

チ・ハシハ(? - 1402年)とは、北元のエルベク・ハーンに仕えたオイラト部族連合の首長の一人。オゲチ・ハシャハ、ウゲチ・ハシハとも。.

新しい!!: クン・テムルとオゲチ・ハシハ · 続きを見る »

ガンガイン・ウルスハル

『ガンガイン・ウルスハル』(Гангын урсгал, 転写:Gangga-yin urusqal)は、1725年にゴムボジャブによって編纂されたモンゴル年代記。現在、この写本はロシア科学アカデミー東洋学研究所サンクトペテルブルク支部図書館に1本だけ所蔵されている。.

新しい!!: クン・テムルとガンガイン・ウルスハル · 続きを見る »

靖難の変

靖難の変の地図 靖難の変(せいなんのへん)は、明王朝初期の政変、内乱。1399年7月にはじまり、華北を舞台に1402年まで続く。「靖難」とは、「君難を靖んじる」という意味で、乱を起こした燕王朱棣(永楽帝)が挙兵する際に掲げた主張に基づく。.

新しい!!: クン・テムルと靖難の変 · 続きを見る »

藤原書店

株式会社藤原書店(ふじわらしょてん)は、日本の出版社。主に、歴史、経済学、社会学、女性学等の社会科学全般の専門書や、教養書の出版をしている。.

新しい!!: クン・テムルと藤原書店 · 続きを見る »

蒙古源流

『蒙古源流』(もうこげんりゅう、Erdeni-yin tobči)は、1662年にサガン・セチェン・ホンタイジによって書かれたモンゴル年代記。原名は『(Qad-un ündüsün-ü erdeni-yin tobči、ハドン・ウンドゥスヌ・エルデニイン・トヴチ:帝王の源流の宝玉の史綱)』といい、略して『Erdeni-yin tobči(エルデニイン・トヴチ:宝玉の史綱)』という。.

新しい!!: クン・テムルと蒙古源流 · 続きを見る »

永楽帝

永楽帝(えいらくてい)は、明の第3代皇帝。姓は朱(しゅ)。諱は棣(てい)。廟号は太宗(たいそう)であったが、嘉靖帝の時に成祖と改称された。諡号は体天弘道高明広運聖武神功純仁至孝文皇帝、嘉靖帝の時に啓天弘道高明肇運聖武神功純仁至孝文皇帝と改称された。一般的に日本ではその在位中の元号から永楽帝と称される。.

新しい!!: クン・テムルと永楽帝 · 続きを見る »

漢語

日本語における漢語(かんご)とは、語種の一区分である。比較的古い時代の中国語から借用された形態素、すなわち漢字の字音から構成される語彙体系である。漢字の音読みと対応する語彙体系であるので字音語と称することもある佐藤喜代治(1996)、88頁。。固有語である「和語」、漢語以外の借用語である「外来語(洋語)」と対立する概念である。 漢語の原義は「漢民族の言語」であり、本来は漢民族が母語である中国語を自称する際の用語なのだが、日本においては国語として定着した中国由来の語彙体系を「漢語」と総称することが多い。また、漢字の字音は複合の自由度が高く、日本で独自に造語されたいわゆる「和製漢語」も多い。 日本語以外でも、朝鮮語、ベトナム語などの言語は同様の語彙体系を有している。これら言語が有する中国由来の語彙体系をまとめて「漢語系語彙(Sinoxenic vocabulary)」と呼ぶことがある。.

新しい!!: クン・テムルと漢語 · 続きを見る »

1377年

記載なし。

新しい!!: クン・テムルと1377年 · 続きを見る »

1399年

記載なし。

新しい!!: クン・テムルと1399年 · 続きを見る »

1402年

記載なし。

新しい!!: クン・テムルと1402年 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »