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ウベア島 (フランス領ウォリス・フツナ)

索引 ウベア島 (フランス領ウォリス・フツナ)

ウベア島(Uvea、英語ではウォリスWallis島)は、フランス領ウォリス・フツナの島。ウォリス・フツナで最も大きく人口も多いため、島の都マタウトゥには同海外領の首都が置かれている。 ウベア島は面積77.5km、周囲50km。島の最高点は131mのロカ山である。島内にはいくつかの湖があるが、これは火山起源のものであり、ラロラロ湖のようにほぼ完全な円形と垂直な崖を持っている。ウベア島はウォリス・フツナのもう一方であるフトゥナ島及びアロフィ島から北東に240km離れている。ウベア島の周りには環礁が広がっており、15の小島が浮かんでいて、ウベア諸島を形成している。 考古学的な調査によれば、ウベア島には1400年ごろには人類が住んでいた。13世紀から16世紀ごろまではトンガ大首長国の一部だったが、やがてツイ・トンガの影響力は弱まり、ウベア独自の王朝が成立した。ウベア島は1767年8月16日にコーンウォール人の探検家サミュエル・ウォリスによって「発見」され、この島はウォリス島と名づけられた。 1842年4月5日、ウォリス政府はフランスの保護を要請し、1887年4月にフランスはこの地を保護領とした。1959年の国民投票により、1961年にウベア島はフランスの海外領となった。 ウベア島の人口は10,071人(2003年)で、住民のほとんどはウベア語を話す。住民のほとんどはローマ・カトリックを信仰する。主都は東海岸のマタウトゥ。ウベア島は西のヒヒフォ、東のハハケ、南のムッアの3地区に分かれている。 ウベア島北部のヒヒフォ空港へはエア・カレドニア・インターナショナルが定期便を運行しており、マタウトゥにオフィスがある。.

16 関係: マタウトゥトンガ大首長国ヒヒフォ空港フランスウォリス・フツナエア・カレドニア・インターナショナルコーンウォール人サミュエル・ウォリス13世紀1400年16世紀1767年1842年1887年4月5日8月16日

マタウトゥ

マタウトゥ(マタ・ウトゥ、Mata-Utu、より正確には Matāʻutu)は南太平洋にあるフランス海外県、ウォリス・フツナの首都である。 マタウトゥの町は人口最大の島、ウォリス島(現地語ではウヴェア島、 ʻUvea)のハハケ地区の行政中心地でもあり、島の東海岸に位置する。(ウォリス島は西のヒヒフォ、南のムア、東のハハケの三地区に分かれており、ハハケが島の中心部に当たる。)経緯は、南緯13度10分、西経176度08分。人口は2013年の調査では1,075人であった。.

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トンガ大首長国

トンガ大首長国(トンガだいしゅちょうこく、別名:トゥイ・トンガ帝国、英語:Tu'i Tonga Empire)は、オセアニアにおいて大きな勢力を誇った大首長国(領域交易圏帝国)である。トンガタプ島のトンガを中心とし、首都をムアに置いていた。海洋国家としての側面も強く、その最盛期には、交易帝国はニウエからティコピアに広がり、その影響圏は更に広大な領域に及んでいた。 トンガの交易帝国は、サモアのマヌア大首長(Tu'i Manu'a)及びフィジーのプロトゥ大首長(Tu'i Pulotu)の勢力衰退の後、紀元950年頃に形成され始めた。ヤップ島に本拠を置くミクロネシア交易帝国圏と、同時代に併存していた。.

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ヒヒフォ空港

ヒヒフォ空港(ヒヒフォくうこう、Hihifo Airport)またはヴァリ・イイフォ空港(ヴァリ・イイフォくうこう、Aéroport de Wallis - Hihifo)はフランスの海外準県であるウォリス・フツナの主島、ウベア島(ウォリス島)北部のヒヒフォ地区に位置する空港である。ウォリス・フツナ唯一の国際空港であり、首都であるマタウトゥからは約5.6km離れている。.

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フランス

フランス共和国(フランスきょうわこく、République française)、通称フランス(France)は、西ヨーロッパの領土並びに複数の海外地域および領土から成る単一主権国家である。フランス・メトロポリテーヌ(本土)は地中海からイギリス海峡および北海へ、ライン川から大西洋へと広がる。 2、人口は6,6600000人である。-->.

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ウォリス・フツナ

ウォリス・フツナ、またはワリス・フテュナ(Collectivité des Îles Wallis et Futuna) は、フランスの海外準県(フランス語でcollectivité d'outre-mer、COM)である。火山性熱帯環礁で、南太平洋のハワイからニュージーランドまでの約3分の2の辺り(南緯13°18'、西経176°12')に位置する。現地には伝統的に首長として3つの地域に各王がいる。.

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エア・カレドニア・インターナショナル

ア・カレドニア・インターナショナル(フランス語:Air Calédonie International)またはエアカラン (Aircalin)は、フランスの海外領土ニューカレドニアの国際線用航空会社。.

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コーンウォール人

ーンウォール人(Cornish people)は、コーンウォール地方の住民、またはかつてコーンウォール地方に存在した民族名で、コーンウォール語を話していた。 現在、コンウォール語を人工的に復活させたため、言語をアイデンティティとすることができる。.

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サミュエル・ウォリス

ミュエル・ウォリス(Samuel Wallis、1728年4月23日 - 1795年1月21日)は、コーンウォールの航海士。世界一周航海を行った。 コーンウォールのカメルフォード郊外に生まれる。1766年に、フィリップ・カートレット指揮のスワロー号とともに世界周航を行うドルフィン号の指揮官に任命された。ドルフィン号はマゼラン海峡を通過後にスワロー号と別れた後、タヒチ島に向かった。ウォリスは、この島をキング3世島と命名した(1767年6月)。ウォリス自身は体調不良で船室にこもっていたため、副官のトバイアス・フルノーが初めて足を踏み入れ、ペナントを掲揚し、国王の名のもとに島を領有した。その後、ドルフィン号はバタビアに寄港したが、そこで船員の多くが赤痢で死んだ。さらに喜望峰を経由して、1768年5月にイングランドに帰港した。ウォリスはそこで、太平洋に向けてまもなく出発するジェームズ・クックに有益な情報を伝えることができた。ドルフィン号の乗組員のなかにも、クックと航海をともにする者がいた。 1780年に海軍本部のコミッショナー(委員)に任命された。 ポリネシアのウベア島は、ウォリスにちなんでウォリス島と命名された。 File:The Natives of Otaheite Attacking Captain Wallis retouched.jpg|敵対するタヒチ人に立ち向かうドルフィン号 File:Memorial to Samuel Wallis in Truro Cathedral.jpg|トゥルーロ大聖堂にあるウォリスとその部下たちの記念プレート.

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13世紀

チンギス・ハーン像。 モンゴル帝国の発展。 モンゴル帝国の最大領域。 13世紀(じゅうさんせいき)は、西暦1201年から西暦1300年までの100年間を指す世紀。.

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1400年

14世紀の最後でもある。.

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16世紀

16世紀(じゅうろくせいき)は、西暦1501年から西暦1600年までの100年間を指す世紀。 盛期ルネサンス。歴代ローマ教皇の庇護によりイタリア・ルネサンスの中心はローマに移動した。画像はこの時代に再建がなされたローマのサン・ピエトロ大聖堂の内部。 カール5世。スペイン王を兼ねイタリア各地やネーデルラントも支配したが周辺諸国との戦いにも明け暮れた。画像はティツィアーノによる騎馬像(プラド美術館蔵)。 「太陽の沈まない帝国」。カール5世の息子フェリペ2世の時代にスペインは目覚ましい発展を遂げ貿易網は地球全体に及んだ。画像はフェリペ2世によって建てられたエル・エスコリアル修道院。ここには王宮も併設されておりフェリペ2世はここで執務を行った。.

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1767年

記載なし。

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1842年

記載なし。

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1887年

記載なし。

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4月5日

4月5日(しがついつか)は、グレゴリオ暦で年始から95日目(閏年では96日目)にあたり、年末まであと270日ある。誕生花はカイドウ、コデマリ。.

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8月16日

8月16日(はちがつじゅうろくにち)はグレゴリオ暦で年始から228日目(閏年では229日目)にあたり、年末まであと137日ある。.

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