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V.R.のポルカ

索引 V.R.のポルカ

V.R.のポルカ(仏語:Polka de V.R.)はセルゲイ・ラフマニノフのピアノ曲。クセヴィツキーが経営していた楽譜出版社(仏語:Edition Russe de Musique)の1911年のピアノ曲集“Nouvelle Collection de Musique”において、カトワールやゲディケ、スクリャービン、メトネル、セルゲイ・タネーエフの作品と一緒に発表された。現在はブージー&ホークス社より刊行されている。初版では Polka de W.R. と題されており、ブージー&ホークス社の現行版もこれを踏襲している。題名にあるV.R.(もしくはW.R.)とは、ラフマニノフの父ワシーリー(・アルカディエヴィチ)・ラフマニノフの名の頭文字にほかならない。「ゴドフスキー氏に(A Monsieur Lopold Godowsky)」献呈されている。 ラフマニノフは、父ワシーリーが素人ながらもピアノ演奏を嗜んだことを憶えており、少年時代の思い出をもとに、父親のよく弾いたポルカをパラフレーズして、このポルカを書き上げた。トランスクリプションに着手したのは、1911年3月24日(聖金口イオアンの聖體禮儀の初演の翌日)のことである。曲名からも察せられるように、ラフマニノフはこの舞曲を父親の創作ないしは即興演奏だと信じていたようだが、現在では原曲が判明し、ワシーリー・ラフマニノフが真の作者ではなかったことも明らかにされた。 原曲は、19世紀ドイツのサロン音楽(パーラー音楽)の作曲家、フランツ・ベーア(Franz Behr, 1837年~1898年)の作曲した、ピアノのための冗談ポルカ《笑う小娘(Scherzpolka: Lachtäubchen)》作品303にほかならない。このため現在では、《V.R.のポルカ》については、「ベーア作曲/ラフマニノフ編曲」という具合に作者名が表記されるようになってきた。 判明する限りで初演は1922年5月6日、ロンドンのクィーンズホールにおいて作曲者自身の演奏によって行なわれた。ラフマニノフはその後4度この小品を録音している。また、ヴラジーミル・ホロヴィッツやシューラ・チェルカスキーらのお気に入りのアンコール・ピースとなった。 変イ長調、4分の2拍子、アレグレット。右手の簡単な序奏のあと、左手の広い音域による合いの手の入ったポルカが始まる。「レッジェーロ」の記号どおり軽やかなダンス。 Category:ラフマニノフのピアノ独奏曲 Category:ポルカ.

27 関係: 即興演奏変イ長調ポルカレオポルド・ゴドフスキーロンドントランスクリプションブージー・アンド・ホークスパラフレーズピアノピアノ曲フランツ・ベーアフランス語ニコライ・メトネルアレクサンドル・ゲディケアレクサンドル・スクリャービンアンコールウラディミール・ホロヴィッツゲオルギー・カトゥアールシューラ・チェルカスキーセルゲイ・ラフマニノフセルゲイ・クーセヴィツキーセルゲイ・タネーエフ演奏記号1911年1922年3月24日5月6日

即興演奏

即興演奏(そっきょうえんそう)は、楽譜などに依らず音楽を、即興で作曲または編曲しながら演奏を行うこと。ともに歌を歌うことも含まれる。アドリブ(ラテン語:ad lib)、インプロビゼーション(英語:improvisation)などとも言う。 広義には決めごとによらず音を出す行為を指すため、音楽の最も原始的な形態は即興であったとみなす事ができる。しかし現在では自由即興を除けば、ある一定の決まり事の中で即興的に演奏されることを即興演奏と呼ぶ事が多く、その決まり事の内容や範囲がジャンルやスタイルによって異なる。クラシック音楽、ジャズや各種の民族音楽など非常に多くのジャンルで行われる。 既存の音楽の表現の幅を広げる以外に即興性そのものに価値を見いだす即興専門の表現者もいる。また、芸術表現としてだけでなく、演奏家の教育や音楽療法の一環として行われる事も多い。また、先鋭的な表現を目指す前衛音楽や実験音楽、ノイズミュージックと隣接する。特に即興に新しさを求める場合は異なるジャンルへの越境が頻繁に行われる。.

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変イ長調

変イ長調(へんイちょうちょう)は、西洋音楽における調のひとつで、変イ (A♭) 音を主音とする長調である。調号はフラット4箇所 (B, E, A, D) である。.

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ポルカ

ポルカ(英語・チェコ語など polka)は、1830年頃おこったチェコの民俗舞曲である。速い2拍子のリズムに特徴がある。チェコのほか、タトラ山脈近辺のスロヴァキア、ポーランドなどの山岳地帯にも広がりをみせている。.

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レオポルド・ゴドフスキー

レオポルド・ゴドフスキー(Leopold Godowsky, ポーランド語 Leopold Godowski レオポルト・ゴドフスキ, 1870年2月13日 - 1938年11月21日)は、ポーランド(現・リトアニア。当時はロシア帝国)のユダヤ人のピアニスト、作曲家、教師。「ピアニストの中のピアニスト The Pianist of Pianists」と呼ばれる。.

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ロンドン

ンドン(London )はグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国およびこれを構成するイングランドの首都。イギリスやヨーロッパ域内で最大の都市圏を形成している。ロンドンはテムズ川河畔に位置し、2,000年前のローマ帝国によるロンディニウム創建が都市の起源である。ロンディニウム当時の街の中心部は、現在のシティ・オブ・ロンドン(シティ)に当たる地域にあった。シティの市街壁内の面積は約1平方マイルあり、中世以来その範囲はほぼ変わっていない。少なくとも19世紀以降、「ロンドン」の名称はシティの市街壁を越えて開発が進んだシティ周辺地域をも含めて用いられている。ロンドンは市街地の大部分はコナベーションにより形成されている 。ロンドンを管轄するリージョンであるグレーター・ロンドンでは、選挙で選出されたロンドン市長とロンドン議会により統治が行われている。 ロンドンは屈指の世界都市として、芸術、商業、教育、娯楽、ファッション、金融、ヘルスケア、メディア、専門サービス、調査開発、観光、交通といった広範囲にわたる分野において強い影響力がある。また、ニューヨークと並び世界をリードする金融センターでもあり、2009年時点の域内総生産は世界第5位で、欧州域内では最大である。世界的な文化の中心でもある。ロンドンは世界で最も来訪者の多い都市であり、単一の都市圏としては世界で最も航空旅客数が多い。欧州では最も高等教育機関が集積する都市であり、ロンドンには大学が43校ある。2012年のロンドンオリンピック開催に伴い、1908年、1948年に次ぐ3度目のオリンピック開催となり、同一都市としては史上最多となる。 ロンドンは文化的な多様性があり、300以上の言語が使われている。2011年3月時点のロンドンの公式の人口は817万4,100人であり、欧州の市域人口では最大で、イギリス国内の全人口の12.7%を占めている。グレーター・ロンドンの都市的地域は、パリの都市的地域に次いで欧州域内で第2位となる8,278,251人の人口を有し、ロンドンの都市圏の人口は1200万人から1400万人に達し、欧州域内では最大である。ロンドンは1831年から1925年にかけて、世界最大の人口を擁する都市であった。2012年にマスターカードが公表した統計によると、ロンドンは世界で最も外国人旅行者が訪れる都市である。 イギリスの首都とされているが、他国の多くの首都と同様、ロンドンの首都としての地位を明示した文書は存在しない。.

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トランスクリプション

トランスクリプション(transcription)とは、音楽において、記譜されていない曲ないしは音を記譜することである。たとえばポール・マッカートニーなどの作曲家たちは楽譜を読んだり記譜したりすることはせず、曲を印刷された形に移すのはトランスクライバーの仕事である Cameo Lake Music, Music Transcription.

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ブージー・アンド・ホークス

ブージー・アンド・ホークス(英語:Boosey & Hawkes)は、イギリスの楽譜出版社である。クラシック音楽関連の出版社としては世界最大手。.

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パラフレーズ

パラフレーズ(Paraphrase)は、他の言葉で元々の文や一節を言い換えること。主に修辞学やクラシック音楽の技法として使われる。語源はギリシア語のπαράφρασις(para phraseïn, 付け加えた表現方法)で、それがラテン語のparaphrasisを経て、英語/フランス語/ドイツ語他のparaphraseになった。 Paraphraseの対義語はmetaphrase、つまり翻訳/直訳である。.

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ピアノ

ピアノは、弦をハンマーで叩くことで発音する鍵盤楽器の一種である。鍵を押すと、鍵に連動したハンマーが対応する弦を叩き、音が出る。また、内部機構の面からは打楽器と弦楽器の特徴も併せ持った打弦楽器に分類される。 一般に据え付けて用いる大型の楽器で、現代の標準的なピアノは88鍵を備え、音域が非常に広く、オーケストラの全音域よりも広いフランツ・リストの『ハンガリー狂詩曲』やビゼーの『子供の遊び』、モーリス・ラヴェルのほとんどの作品にみられるように、多くのオーケストラの作品はピアノ曲の編曲である。Samuel Adler, The Study of Orchestration (Third Edition, NORTON, 2002) p.666-667.

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ピアノ曲

ピアノ曲(ピアノきょく)は、ピアノで演奏するために作られた曲をいう。 優れたピアノ曲を多数残しているクラシック音楽の作曲家には、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、リスト、ブラームス、フォーレ、ドビュッシー、チャイコフスキー、ラフマニノフ、スクリャービンなどがいる。.

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フランツ・ベーア

フランツ・ベーア(Franz Behr, 1837年 - 1898年)は19世紀ドイツ・ロマン派音楽の作曲家。サロン用の歌曲やピアノ曲を大量に作曲し、当時は人気を誇ったが、現在では忘れられている。 出版された作品も数多く、作品番号つきだけでも582曲に上る。また、ジョルジュ・バックマン(Georges Bachmann)やウィリアム・クーパー(William Cooper)、シャルル・モルレもしくはチャールズ・モーリー(Charles Morley)、フランチェスコ・ドルソ(Francesco d'Orso)という偽名でも作品を発表した。作品の多くは、偽名で発表されたものも含めて何れもサロン用の性格的小品であり、《ジプシーのキャンプ》《鬼火》《妖精のワルツ》《ペルシオッタ、またはカタルーニャ風セレナード》《山岳の夕暮れの鐘》といったように詩的な(もしくは情景示唆的な)題名が付いている。また、《ブルガール人の行進》、マズルカ《花月》《上出来》、《王朝風のガヴォット》《大公夫人のガヴォット》、ワルツ《パリ》というように、舞曲によるものが目立っている。 こんにち唯一生き残ったベーア作品は、冗談ポルカ《笑う小娘 La rieuse, polka badine ヘ長調》作品303である。これはセルゲイ・ラフマニノフによってヴィルトゥオーゾ向けの小品に編曲され、《W.R.のポルカ》として発表されたことにより、レパートリーとして余命を保つこととなった。.

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フランス語

フランス語(フランスご)は、インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派に属する言語。ロマンス諸語のひとつで、ラテン語の口語(俗ラテン語)から変化したフランス北部のオイル語(またはウィ語、langue d'oïl)が母体と言われている。日本語では、仏蘭西語、略して仏語とも書く。 世界で英語(約80の国・地域)に次ぐ2番目に多くの国・地域で使用されている言語で、フランス、スイス、ベルギー、カナダの他、かつてフランスやベルギーの領域だった諸国を中心に29カ国で公用語になっている(フランス語圏を参照)。全世界で1億2,300万人が主要言語として使用し、総話者数は2億人以上である。国際連合、欧州連合等の公用語の一つにも選ばれている。このフランス語の話者を、'''フランコフォン''' (francophone) と言う。.

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ニコライ・メトネル

ニコライ・カルロヴィチ・メトネル(Николай Карлович Метнерニカラーイ・カールラヴィチュ・ミェートニェル;ラテン文字表記の例:Nikolai Karlovich Medtner、1880年1月5日モスクワ - 1951年11月13日ロンドン)は、 ロシアの作曲家、ピアニスト。.

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アレクサンドル・ゲディケ

アレクサンドル・フョードロヴィチ・ゲディケ(Александр Фёдорович Гедике; Alexander Goedicke、1877年3月4日 モスクワ - 1957年7月9日 モスクワ)は、ロシアのオルガニスト、ピアニスト、作曲家。 モスクワに何世代にもわたって続くドイツ系音楽家の家庭に生まれた。モスクワ音楽院に進学し、1891年よりピアノをガリ、パプスト、サフォーノフに師事する。作曲はセルゲイ・タネーエフとアレンスキーの指導を受けるが、1898年ごろから公式の作曲教育を受けるのを止め、独学に転じた。1909年にピアノ科教授に迎えられたのを機に母校モスクワ音楽院に勤務するが、その後は室内楽やオルガンの指導も行い、とりわけJ.S.バッハの優れた解釈で名を馳せるようになった。 作曲家としては、オペラや交響曲など多数の作品を残したが、中心はオルガン曲とピアノ曲であった。伝統的な指導をほとんど受けていなかったにもかかわらず、いくつかの力作は評価され、23歳のときコンクールに提出した作品はルビンシュタイン賞を受けている。 父方のいとこに作曲家のニコライ・メトネルがいる。.

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アレクサンドル・スクリャービン

アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン(Александр Николаевич Скрябин, 1872年1月6日 - 1915年4月27日)は、ロシアの作曲家、ピアニスト。作曲者自身はフランス語風に Alexandre Scriàbine(もしくは Scriabine)と綴ることを好んだ。英語では Alexander Scriabin, ドイツ語では Alexander Skrjabin となる。.

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アンコール

アンコール (仏:encore) とは、コンサートやリサイタルにおいて追加演奏を要望するかけ声のことであり、またその再演奏や、時にはアンコールで演奏された曲目のことも指す。転じて、一度済ませたことを再び行うこと(例えば、「アンコール放映」といった使われ方)。.

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ウラディミール・ホロヴィッツ

ウラディミール・サモイロヴィチ・ホロヴィッツ(Vladimir Samoilovich Horowitz、ולדימיר הורוביץ‎ 、1903年10月1日1989年11月5日)は、ウクライナ生まれのアメリカのピアニストである。義父(妻の父)は名指揮者として知られるアルトゥーロ・トスカニーニ。.

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ゲオルギー・カトゥアール

ルギー・リヴォヴィチ・カトゥアール(露語:Георгий Львович Катуар, Georgy L'vovich Katuar)またはジョルジュ・カトワール(仏語:Georges Catoire, 1861年4月27日 モスクワ - 1926年5月21日 同地)はフランス系ロシア人のピアニスト・作曲家。モスクワ大学で数学を専攻し、1884年に際立った名誉を得て卒業。その後まもなく家業に携わったが、けっきょく音楽家に転じた。 ベルリンでワグネリアンのピアニスト、カール・クリントヴォルトに師事し、自らもリヒャルト・ワーグナーへの傾倒を深めて1879年にワーグナー協会の会員に加わった。当時はロシア人音楽家にワーグナー嫌いの傾向が見られたため、ワーグナーへの忠誠をきっぱりと誓ったカトゥアールは、いきおい低い評価に甘んぜざるを得なかった。例えばリムスキー=コルサコフ一派は、カトゥアールの作品をほとんど一顧だにしなかった。 カトゥアールのピアノ・ソナタや性格的小品集、いくつかの編曲は、クリントヴォルトの薫陶の賜物である。最も有名なピアノ用のトランスクリプションは、ピョートル・チャイコフスキーの《管弦楽組曲第1番》から「序奏とフーガ」の編曲であり、これはチャイコフスキー自身のお墨付きを得て、ユルゲンソン社から出版された。 カトゥアールはクリントヴォルトの門人ヴィルボルクにも学んだものの、その指導に満足できずに、1885年後半にベルリンのクリントヴォルトに再び師事した。1886年の間モスクワに何度か小旅行に行き、この間にチャイコフスキーの面識を得ている。チャイコフスキーはカトゥアールのピアノのための変奏曲集に非常に打たれ、この青年作曲家に「作曲に専念しないと大罪になるよ」と語ったという。楽譜出版社ユルゲンソンを紹介されたのも、この頃のことだった。カトゥアールは1886年になってもクリントヴォルトにピアノを師事し続けたが、同時にオットー・ティルシュに楽理と作曲を師事。ティルシュの指導法が不満で、フィリップ・ルーファーに鞍替えする。ルーファーの指導は短期間に終わったが、その成果は《弦楽四重奏曲》に見ることができる。 1887年にモスクワに帰郷。クリントヴォルトの推薦を得たにもかかわらず、演奏会ピアニストとしてデビューすることは断わった。チャイコフスキーに再会し、グーベルトやセルゲイ・タネーエフにもベルリン時代の弦楽四重奏曲を見てもらう。3人とも、これは面白い作品だが、テクスチュアに難ありだと述べた。チャイコフスキーから推薦状をもらってサンクトペテルブルクに行き、ニコライ・リムスキー=コルサコフに作曲と楽理を師事できるように取り計らって貰う。チャイコフスキーはリムスキー=コルサコフに宛てて、カトゥアールは「非常に才能に恵まれている(中略)けれども、真剣な勉強が足りません」と述べている。 リムスキー=コルサコフは、一度きりの指導でカトゥアールをリャードフのもとに厄介払いしてしまう。だがその成果は作品2のピアノ曲となって表れた。リャードフの薫陶によってカトゥアールは熟練した対位法や楽式論を身に付けるとともに、愛らしい「奇想曲」作品3などの小品を作曲する。 モスクワに帰ると、アントン・アレンスキーと親交を結ぶ。この間、カトゥアールは、《弦楽四重奏曲第2番》(後に弦楽五重奏曲に改作)とカンタータ《ルサルカ》作品5を作曲する。 カトゥアールが作曲活動に取り掛かったことについて、家族からも友人からも、また音楽家仲間からも支持されず、1899年以降はずっと絶望を味わった揚句に、田舎にこもり、ほとんど作曲から足を洗ってしまう。2年間の隠居の後で、すでに音楽界の友人とはほとんど疎遠になっていたが、隠遁生活の結果として《交響曲》作品7が出来上がった(ちなみにこの作品は、当初は六重奏曲として構想された)。 1919年からモスクワ音楽院作曲科の教授に選ばれ、在任中に楽理や作曲について論文を著した。作曲の高弟にニコライ・ミャスコフスキーやドミトリー・カバレフスキーがいる。 今も変わらず無名のままではあるものの、ピアノ曲はアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルが、ヴァイオリン・ソナタはダヴィッド・オイストラフが録音しており、現在ではマルカンドレ・アムランが積極的にピアノ曲を再評価している。カトゥアールの作風は、チャイコフスキーや、ショパン風だった頃の初期のスクリャービンに似通ったところがあり、ガブリエル・フォーレを連想させなくもない。カトゥアールはヴィルトゥオーゾのピアニストであり、超絶技巧や、音色に対する鋭い聴覚を演奏家に要求している。 甥ジャン・カトワールは作家で音楽家である。.

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シューラ・チェルカスキー

ューラ・チェルカスキー(Shura Cherkassky, 1909年10月7日 - 1995年12月27日)はウクライナ出身のユダヤ系アメリカ人ピアニスト。本名アレクサンドル・イサーコヴィチ・チェルカスキー(Александр Исаакович Черкасский)。従来は1911年生まれとされてきたが、チェルカスキー自身が晩年にオデッサへ赴いて調査したことにより生年が確定した。.

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セルゲイ・ラフマニノフ

ルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ(Серге́й Васи́льевич Рахма́нинов、ラテン文字転写例: Sergei Vasil'evich Rachmaninov姓はRachmaninoff、Rachmaninow, Rakhmaninovなどと表記されることがある。名も同様に、Sergey、Sergeなどとも表記される。ラフマニノフ自身は欧米でSergei Rachmaninoffと綴っていた。、1873年4月1日(当時ロシアで用いられていたユリウス暦では3月20日) - 1943年3月28日)は、ロシア帝国出身の作曲家、ピアニスト、指揮者。.

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セルゲイ・クーセヴィツキー

ルゲイ・クーセヴィツキー(Serge Koussevitzky, 実名はSergei Aleksandrovich Koussevitzky, 1874年7月26日 - 1951年6月4日)は、アメリカ合衆国で活躍したユダヤ系ロシア人指揮者、作曲家。クセヴィツキーの表記が用いられることもある。1924年から1949年まで、ボストン交響楽団の実質的な終身常任指揮者を務め、就任期間の記録的な長さを誇っている。.

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セルゲイ・タネーエフ

ルゲイ・イヴァノヴィチ・タネーエフ(Сергей Иванович Танеев、ラテン文字転写例: Sergei Ivanovich Taneyev、1856年11月25日(当時ロシアで使用されていたユリウス暦では11月13日) - 1915年6月19日)はロシアの作曲家、ピアニスト、教育者である。作曲家のアレクサンドル・タネーエフは親類に当たる。姓はタネイエフ、タニェエフなどと表記されることもある。.

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演奏記号

演奏記号(えんそうきごう)は、五線記譜法による楽譜にあって、演奏をするために必要なさまざまな記号のうち、五線、音部記号、拍子記号、音符、休符、調号、臨時記号などをのぞいた、重要であるが記譜法上必要不可欠な要素ではない記号をいう。演奏記号には、文字を用いてことばによって示すものと、それ以外のマークやシンボルによるものとがある(どちらも記号と呼ばれる)。 文字を用いる記号を標語という。標語は基本的にイタリア語で書かれる。声楽曲の場合にはその曲の歌詞の言語で書かれることもあり、器楽曲でもドイツ語やフランス語で書かれることもあるが、全体としては例外的である。また、標語を含めた様々な音楽用語を楽語と呼ぶことがある。 以下に示される訳の多くは、一般的な訳によっているため、必ずしも音楽表現に最適の訳とは限らない。関孝弘のように、「専門用語としてではなく、日常用語としての理解が必要」と特にイタリア語の音楽用語の紋切り型解釈を批判する人物もいる。.

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1911年

記載なし。

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1922年

記載なし。

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3月24日

3月24日(さんがつにじゅうよっか、さんがつにじゅうよんにち)はグレゴリオ暦で年始から83日目(閏年では84日目)にあたり、年末まであと282日ある。.

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5月6日

5月6日(ごがつむいか)はグレゴリオ暦で年始から126日目(閏年では127日目)にあたり、年末まではあと239日ある。誕生花はシャクナゲ。.

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