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31年政治テーゼ草案

索引 31年政治テーゼ草案

31年政治テーゼ草案(31ねんせいじテーゼそうあん)は、コミンテルン極東局のら『風雪のあゆみ (七)』 野坂参三 1989年9月 ISBN 978-4406017596によって作成された、日本共産党(当時のコミンテルン日本支部)の綱領的文書。この文書は、日本の「当面する革命の性質は、ブルジョア民主主義的任務を広範囲で包容するプロレタリア革命でなければならぬ」としていた。 「31年テーゼ草案」は、クートベ(東方勤労者共産大学)帰りの風間丈吉により持ち込まれた。日本共産党がプロレタリア革命を直接掲げたのは後にも先にもこの文書のみである。この文書は、プロレタリア革命を掲げる一方、「社会ファシズム論」により社会民主主義との闘争を強調し、天皇制や地主制度との闘争はそれほど強調されていなかった。 この文書は、作成者のサファロフが失脚したため廃棄されることになり、新たに32年テーゼが作られることとなった。また、日本では野呂栄太郎たちの主導する『日本資本主義発達史講座』により、この規定は日本の現実に合わないことが32年テーゼの発表に先立って研究されはじめていた。 現在の日本共産党は、この文書を、〈一時、党内に混乱をもたらしていた〉〈民主主義革命の方針を社会主義革命の方針に、戦略方針を転換せよという誤った指示がふくまれていました〉と規定している。なお、翻訳は青木文庫『コミンテルン 日本に関するテーゼ集』(ISBN 978-4-250-61016-5)にある。.

16 関係: 天皇制地主ブルジョア民主主義コミンテルン極東局共産主義革命社会ファシズム論社会民主主義青木文庫風間丈吉野呂榮太郎東方勤労者共産大学民主主義革命日本日本共産党日本資本主義発達史講座32年テーゼ

天皇制

天皇制(てんのうせい)とは、日本の君主制。『岩波 日本史辞典』によると「広義には前近代天皇制と象徴天皇制を含め、狭義には明治維新から敗戦までの近代天皇制を指す」とされている。『日本史広辞典』によれば天皇制は、「天皇を中心とする日本の国家体制」である。 『岩波 日本史辞典』によれば、「象徴天皇制は天皇が元首でないので君主制としない説もある」という。「君主制(王制)」について、『日本大百科全書(ニッポニカ)』は「一般には、世襲の君主が、ある政治共同体において最高権力(主権)をもつ政治形態」としている。.

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地主

記載なし。

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ブルジョア民主主義

ブルジョア民主主義(ブルジョアみんしゅしゅぎ)とは、ブルジョワによる民主主義を指す用語。主に社会主義や共産主義などの立場から、自由主義(資本主義)社会の議会制民主主義に対して批判的な意味を持って使用されている。類似用語は自由民主主義など。対比用語はプロレタリア民主主義など。.

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コミンテルン極東局

ミンテルン極東局(-きょくとうきょく)もしくはコミンテルン執行委員会極東局 (Дальневосточное бюро ИККИ) とは、極東におけるコミンテルン執行委員会の支局であり、上海に在った。東洋書記局や東洋局とも言われている。1930年7月29日より、前モスクワ中山大学校長のパーベル・ミフが代表を務めており、自身も参与したという野坂参三によれば、他に31年政治テーゼ草案を作成した、ラジョス・マジャール、ヤー・ウォルグが居た『風雪のあゆみ (七)』 野坂参三 1989年9月 ISBN 978-4406017596。中国共産党におけるミフ派には、陳紹禹(王明)やが居た。 李立三コースに反対の立場であったミフ派は、李立三の失脚後に中国共産党の幹部となるものの、李立三に影響された党員と対立してしまう 豊島拡 1933年。1931年2月、反ミフ派が除名となり、同年6月、イギリスによりプロフィンテルンのアジア太平洋支部である太平洋労働組合書記局書記のイレール・ヌーランが逮捕されるヌーラン事件が起こると、国民党は非ミフ派を逮捕していき、中国共産党の中央は完全にミフ派となった。 なお、コミンテルンと中国共産党との金銭の受け渡しは主に上海で行われており、上海にあるドイツ商のが受け渡し機関と目されていた。.

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共産主義革命

共産主義革命(きょうさんしゅぎかくめい communist revolution)とは共産主義を目指した革命である。 バブーフやブランキは、平等社会を目指しての暴力革命を主張した。 マルクス主義では、資本主義の発展により矛盾が増大すると、社会革命(社会主義革命、共産主義革命)が発生し、プロレタリア独裁の段階を経由して、市場・貨幣・賃金労働などが廃絶された新しい無階級社会である共産主義社会が生まれ、階級抑圧の機構としての国家・軍隊・戦争なども消滅するとした。 後にスターリンによって定式化されたマルクス・レーニン主義の概念では、共産主義の第一段階(より低い段階)が社会主義社会と呼ばれ、第二段階(より高い段階)が共産主義社会と呼ばれた。これにより当時の社会主義諸国は社会主義段階と位置づけられ、貨幣・国家などの廃止は将来の共産主義社会にて実現されるとされた。スターリニズムや一国社会主義論も参照。.

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社会ファシズム論

会ファシズム(しゃかいファシズム、Sozialfaschismus、social fascism)とは、社会民主主義をファシズムと同一であるとする見解による用語で、ファシズム勢力より社会民主主義勢力への敵対と打倒を優先すべきとする。その主張および運動方針は、社会ファシズム論または社会民主主義主要打撃論とも言われる。 1920年代後半から1930年代前半に、ヨシフ・スターリン、コミンテルンの支持で各国の共産党が主張し、特にナチス伸張期のヴァイマル共和国時代のドイツ共産党の実践によって顕著であった。しかし結果的にはNSDAPがドイツの政権を獲得し、ドイツ共産党が非合法に追い込まれたため、この方針への反省がおこなわれ、1935年のコミンテルン第7回大会によって自己批判の対象となった。.

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社会民主主義

会民主主義(しゃかいみんしゅしゅぎ、social democracy)とは、社会主義思想、民主主義思想の一つであり、自由民主主義社会における中道左派思想の一つである。政治的目的としては、自由競争市場経済や資本主義経済により発生する、労働者の貧困、失業などの問題を議会や政府の管理と介入により軽減・解決し、実質・実態としての政治的・経済的・社会的な公正や機会平等、人権保護、環境保護、国際協調と国際社会との共生を追求する。また、実際に政治運動を進める際には特に労働運動との密接な繋がりの下に行う。 現代的な社会民主主義は欧州で生まれ、冷戦期の西欧・北欧諸国を中心に発展してきた政治思想である。社会民主主義政党/社会民主党は、旧共産党が社会民主主義に転じた東欧諸国も含め、現在の欧州各国で与党や有力な野党となっている。アジア、アメリカ合衆国、カナダ、ラテンアメリカ諸国にも社会民主主義政党は存在するが、これらの政党は欧州型の政党と規模や主張の点で大きく異なる部分がある。各国の社会民主主義政党の多くは、社会主義政党の国際組織である社会主義インターナショナルに加盟している。 社会民主主義は、暴力革命やプロレタリア独裁のような過激な方法も肯定する共産主義とは異なり、穏健な改良主義である。.

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青木文庫

青木文庫(あおきぶんこ)は、青木書店が発行していた文庫本である。 1950年代はじめ、青木書店は、総合的な文庫本を企画し、青木文庫を発刊した。自社出版物からは、長谷部文雄訳の『資本論』などの社会・経済分野のものを文庫化し、文学では日本のプロレタリア文学や、外国の革命文学の作品を多く刊行した。特に、戦前に発表された後再刊されていなかった、黒島伝治の『武装せる市街』の復刊や、田岡嶺雲の評論集などの、近代文学の埋もれた作品の発掘にも力をいれた。小林多喜二やマクシム・ゴーリキーの作品も多く文庫にされた。 1950年代から60年代にかけては、多くの在庫をもち、総合的文庫として定着していたが、70年代にはいると在庫もしぼり、新刊も、戸坂潤の論文集や宮本顕治・宮本百合子の往復書簡『十二年の手紙』や蔵原惟人の『芸術書簡』などわずかになった。 1980年代に刊行を停止した。その後、判型をやや大きくした新装版として、峠三吉の『原爆詩集』や服部之総の明治維新に関する著作などを刊行した時期もあった。.

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風間丈吉

間 丈吉(かざま じょうきち、1902年2月25日 - 1968年5月24日)は日本の社会運動家。日本共産党中央委員長を務め、のち転向した。.

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野呂榮太郎

野呂 榮太郎(のろ えいたろう、1900年(明治33年)4月30日 - 1934年(昭和9年)2月19日)は日本の在野のマルクス経済学者で、戦前の非合法政党時代の日本共産党の理論的指導者の一人であるとともに、幹部(委員長)として党を指導するなど、実践活動にも関わった。.

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東方勤労者共産大学

東方勤労者共産大学(とうほうきんろうしゃきょうさんだいがく、Коммунистический университет трудящихся Востока)、略称クートヴェ (КУТВ) は、コミンテルンが植民地および発展途上国の共産主義者と共産党幹部の養成のために開設した学校。1921年4月21日にモスクワに設立され、同年10月21日に公式に開校された。校舎はストラスナヤ広場 (現) の一角に存在した P.8-9 高谷覚蔵 1937年。付近には、プラウダおよびイズベスチヤの発行所が存在した。 本校の上級学校に最高幹部養成を目的とした国際レーニン学校がある。.

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民主主義革命

#リダイレクト市民革命.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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日本共産党

日本共産党(にほんきょうさんとう、Japanese Communist Party)は、日本の政党。英文略称はJCP。.

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日本資本主義発達史講座

日本資本主義発達史講座(にほんしほんしゅぎはったつしこうざ)は、野呂栄太郎・服部之総・羽仁五郎・平野義太郎・山田盛太郎らを中心にマルクス主義理論家を結集して発刊された日本の資本主義の歴史・経済・社会・文化の総合的研究。1932年5月から1933年8月まで、岩波書店から刊行された。全7巻。 検閲・発行禁止がしばしば行なわれたが、基本的に日本共産党の32年テーゼと同じ認識が示されており(しかしこの講座の企画自体は32年テーゼの公表以前である)、天皇制を廃棄するブルジョワ民主主義革命から社会主義への展望を示している。『講座』とも略称され、雑誌『労農』による向坂逸郎らが、社会主義革命の立場から批判を行なったので、向坂らが「労農派」、『講座』の執筆者が「講座派」と呼ばれた。当時の社会科学研究者に大きな影響を与え、現在においても大きな影響力を有する著作が多い。.

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32年テーゼ

32年テーゼ(32ねんテーゼ)は、1932年5月にコミンテルンで決定された『日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ』の通称。「赤旗」1932年7月10日特別号に発表された。日本からは片山潜、野坂参三、山本懸蔵らが参加して討議された。前年に草案として提示されたいわゆる「31年政治テーゼ草案」を作成したゲオルギー・サファロフが失脚したため、あらたなテーゼが必要とされてつくられたものである。発表以降、1936年2月に岡野(野坂参三)・田中(山本懸蔵)という変名で「日本の共産主義者への手紙」がモスクワにおいて発表されるまで日本共産党の綱領的文書として扱われた。.

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