246 関係: 劉備、ふるさと紀行、南嶺山脈、南京市、南京長江大橋、南京長江二橋、南北朝時代 (中国)、南唐、南通市、南水北調、大巴山脈、大渡河、天目山 (浙江省)、天津市、太平天国の乱、奉節県、孟浩然、孫権、宝山区 (上海市)、宜賓市、宜昌市、安史の乱、安寧河、安徽省、宋 (南朝)、岳陽市、岳陽楼、岷江、崑崙山脈、崇明島、巣湖、巫峡、上海市、中国大陸、中国語、中華人民共和国、中華民国、三峡、三峡ダム、三江併流、九江市、京杭大運河、広元市、建康 (都城)、建文帝、張士誠、当曲、後周、後蜀、後漢、...、信江、修水、チベット、チベット語、チベット高原、ハ陽湖、ハ江、バヤンカラ山脈、メコン川、ヤク、ヨウスコウカワイルカ、レイ水、ワイリー方式、トンネル、ビン (十国)、ディチュ河、フフシル、フウ江、列強、嘉陵江、呉 (十国)、呉 (三国)、呉 (春秋)、呉越、呉淞江、アジア、イギリス、カム、カラチョウザメ、カン江、ゲン江、シャングリラ市、スナメリ、タンラ山脈、サルウィン川、唐、凱里市、八王の乱、六朝、前蜀、四川省、四川盆地、瞿塘峡、玉竜ナシ族自治県、玉龍雪山、玉樹チベット族自治州、理塘河、秦嶺山脈、秦嶺・淮河線、秦淮河、稲作、米、紅河、紀元前223年、紀行番組、烏江、田、牛欄江、瀟湘八景、瀾滄江、白帝城、銭塘江、隋、鎮江市、運河、荊南、荊州、華中、靖難の変、青弋江、青衣江、青海省、褶曲、西蔵、西陵峡、西晋、襄陽市、鮮水河、貴州省、資江、越、麗江市、黄巣、黄河、黄河文明、黄浦江、辛亥革命、范仲淹、船、蘇州市、蘇通長江公路大橋、赤壁、赤壁の戦い、赤水河、葛洲ダム、重慶市、蕪湖市、長江三峡下り、長江デルタ、長江文明、鋼、雲南省、雅安市、雅ロウ江、虎跳峡、陳 (南朝)、陳友諒、柴栄、柑橘類、揚州市、李白、東シナ海、東海テレビ放送、東方之星沈没事故、東晋、杜甫、梁 (南朝)、楚 (十国)、楚 (春秋)、楚瑪爾河、横断山脈、橋、武夷山、武漢市、武漢長江大橋、武昌区、武昌起義、毛沢東、水陽江、氷河、永楽帝、江南、江安県、江西省、江蘇省、江陵市、汨羅江、沱江、沱沱河、河口、河川争奪、沼地、洞庭湖、洪秀全、渠江、渡し船、温帯夏雨気候、温暖湿潤気候、清、清江、湘江、湖南省、湖口県、湖北省、溪洛渡ダム、漢口、漢陽区、漢江、漢江 (中国)、朱元璋、成都市、成昆線、明、春秋時代、昭文社、浙江省、斉 (南朝)、撫河、攀鋼集団、攀枝花市、曲麻莱県、曹操、普渡河、1126年、1127年、1279年、1368年、1421年、1851年、1864年、1911年、1926年、1952年、1956年、1965年、1977年、2002年、2012年、208年、222年、280年、317年、589年、610年、958年、978年。 インデックスを展開 (196 もっと) »
劉備
劉 備(りゅう び、延熹4年(161年) - 章武3年4月24日(223年6月10日))は、後漢末期から三国時代の武将、蜀漢の初代皇帝。字は玄徳。 黄巾の乱の鎮圧で功績を挙げ、その後は各地を転戦した。諸葛亮の天下三分の計に基づいて益州の地を得て勢力を築き、後漢の滅亡を受けて皇帝に即位して、蜀漢を建国した。その後の、魏・呉・蜀漢による三国鼎立の時代を生じさせた。 明代の小説『三国志演義』では中心人物として登場する。.
ふるさと紀行
『ふるさと紀行』(ふるさときこう)は、1963年5月2日から2007年9月30日まで東海テレビで放送された紀行番組。.
南嶺山脈
南嶺山脈(なんれいさんみゃく、ナンリン山脈、Nanling, 、)は、中華人民共和国の南部を東西に伸びる山脈。広西チワン族自治区および広東省の北部、湖南省および江西省の南部を走る中国南部最大の褶曲山脈で、長江水系と珠江水系の分水嶺であり、華中と華南の境界をなしている。南嶺山脈の南側(嶺南、華南)は亜熱帯の気候で、稲の二期作が盛んになっている。 別名は五嶺山脈(ごれいさんみゃく、五嶺)といい、西から東の順に、越城嶺(えつじょうれい)、都龐嶺(とほうれい)、萌渚嶺(ほうしょれい)、騎田嶺(きでんれい)、大庾嶺(だいゆれい)の五つの山並みが組み合わさっているためこの名がある。 南嶺山脈は歴史的に天然の障壁となっており、嶺南(広東省および広西チワン族自治区)と中原の間の交通の妨げであった。嶺南には中原の政治的支配や文化が十分に及ばない時期もあり、華北の人間は嶺南を「蛮夷の地」と呼んできた。唐朝の宰相・張九齢が大庾嶺を切り開いて「梅関古道」を築いて以後、嶺南地区の開発がようやく進んできた。また古代以来の中国の統治者たちは南嶺を行政区画を作る上で利用してきており、南嶺は諸省区の境界線および辺縁の地となってきた。.
南京市
南京市(ナンキンし、、、)は、中華人民共和国の副省級市で、江蘇省の省都。古くから長江流域・華南の中心地で、かつては三国・呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳(以上の6朝を総称して六朝)、十国の南唐や明といった王朝や南京国民政府の首都であった。中国四大古都の一つ。14世紀から15世紀にかけて、世界最大の都市であった。2016年の都市的地域の人口は678.14万人であり、総人口は827万人である。 金陵(きんりょう)は南京の別名である。また清朝のころには江寧(こうねい、簡体字:江宁)と呼ばれたことから略称は「寧(簡体字:宁)」である。夏はとても暑く、重慶、武漢と並ぶ中国三大ボイラー(三大火炉)の一つと言われている。.
南京長江大橋
南京長江大橋(なんきんちょうこうおおはし)は中華人民共和国江蘇省南京市に位置する自動車、鉄道両用橋梁。長江北岸の浦口区と、長江南岸の南京城側の鼓楼区とを連絡する。1960年に建設開始、1968年に完成した。1950年代の武漢長江大橋がソ連の援助によって建設されたのに対し、南京長江大橋は中国の独自技術により設計・施行され、文化大革命中に完成したため、中国における自力更生と革命の象徴として喧伝された。 道路橋は全長4,589m、幅19.5m、長江にかかる主な部分は長さ1,577mであり、上部が道路、下部が鉄道(中国国鉄京滬線)と2階構造となっており、橋の両端には4つの橋頭堡があり、各橋頭堡の高さは70mである。鉄道橋は全長6,772m、幅14m、長江にかかる主な部分は道路橋同じく長さ1,577mである。建設に要した鋼材は約10万トン、セメント100万トン、費用は2億8千万元である。橋のデザインは社会主義国家独特のものになっている。長江大橋の袂には大橋公園があり入場料5元のほかに橋堡参観料7元を払ってエレベーターで橋の上に出ることができる。 完成当時は鉄道道路併用橋としては世界最長であった。またこの開通によって、かつては長江で分断されていた京滬線がつながり、北京と上海が鉄道で直結された。 川の下流に位置し欄干も特に対策もされないため自殺しやすい場所として有名となり、年間百数十人もの自殺者がいる自殺の名所となっている。.
南京長江二橋
南京長江第二大橋(なんきんちょうこうだいにおおはし、通称:南京長江二橋、長江二橋)は中華人民共和国南京市棲霞区の長江にかかる橋。 南京長江大橋の下流11kmに位置し、全長21.337kmあり、主に南漢大橋と北漢大橋で構成される。建設工事は1997年10月6日に始まり、2001年3月26日に完成した。工事期間中には江沢民、朱鎔基、呉邦国など政府要人が視察に訪れている。 南京長江二橋は高速道路でもあり南岸には料金所が設置されている。南京長江二橋は二橋公園としても開発されており公園内から橋の上に登ることもできる。ただし、高速道路なので歩道は無く対岸に徒歩で渡ることはできないが、見学用通路から遠くの南京長江大橋を見ることもできる。公園内には橋梁展示館があり、南京長江二橋と古代から現代の橋に関する資料館となっており南京長江二橋と世界各国の橋の模型が展示されている。 画像:2qiao00.jpg|二橋公園 画像:2qiao02.jpg|長江二橋と橋梁展示館 画像:2qiao07.jpg|橋の上.
南北朝時代 (中国)
北魏と宋 北魏と南斉 東西魏と梁 北周、北斉と後梁、陳 中国史における南北朝時代(なんぼくちょうじだい)は、北魏が華北を統一した439年から始まり、隋が中国を再び統一する589年まで、中国の南北に王朝が並立していた時期を指す。 この時期、華南には宋、斉、梁、陳の4つの王朝が興亡した。こちらを南朝と呼ぶ。同じく建康(建業)に都をおいた三国時代の呉、東晋と南朝の4つの王朝をあわせて六朝(りくちょう)と呼び、この時代を六朝時代とも呼ぶ。この時期、江南(長江以南)の開発が一挙に進み、後の隋や唐の時代、江南は中国全体の経済基盤となった。南朝では政治的な混乱とは対照的に文学や仏教が隆盛をきわめ、六朝文化と呼ばれる貴族文化が栄えて、陶淵明や王羲之などが活躍した。 また華北では、鮮卑拓跋部の建てた北魏が五胡十六国時代の戦乱を収め、北方遊牧民の部族制を解体し、貴族制に基づく中国的国家に脱皮しつつあった。北魏は六鎮の乱を経て、534年に東魏、西魏に分裂した。東魏は550年に西魏は556年にそれぞれ北斉、北周に取って代わられた。577年、北周は北斉を滅ぼして再び華北を統一する。その後、581年に隋の楊堅が北周の譲りを受けて帝位についた。589年、隋は南朝の陳を滅ぼし、中国を再統一した。普通は北魏・東魏・西魏・北斉・北周の五王朝を北朝と呼ぶが、これに隋を加える説もある。李延寿の『北史』が隋を北朝に列しているためである。.
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南唐
南唐(なんとう、937年 - 975年)は、五代十国時代に江南に割拠した国であり、十国の一つである。首都は金陵(現在の南京)。国号は単に唐であるが、唐と名乗った他の政権と区別するために、特にこの国の名を南唐という。 十国の中では最大の勢力を誇ったが、華北の後周や北宋に攻め立てられて滅亡した。文化的・経済的には大いに繁栄していた。.
南通市
古南通城の模型 南通市(なんつう-し、中国語:南通市、、英語:Nantong)は中華人民共和国江蘇省に位置する地級市。2004年9月26日、第一回世界大都市発展高層論壇が南通で開催された。2005年の市内総生産の成長率は15.4%に達し、江蘇省内最大の経済成長率を記録している。2015年のGDPは6148.4億元に達し、全国で22番で、江蘇省内で4番である。.
南水北調
南水北調(なんすいほくちょう、中:南水北調工程)は、中国南方地域の水を北方地域に送り慢性的な水不足を解消する構想(プロジェクト)の事。2002年12月27日、当時の首相朱鎔基によって着工を宣言された。第10次5カ年計画の一つで、総投資額は約5,000億元。規模、難度共に、三峡ダム工事を超える。西気東輸、西電東送、青蔵鉄道とともに、西部大開発の目玉プロジェクトとして位置づけられる。.
大巴山脈
農架 巴東県渓丘湾郷の風景 大巴山脈(大巴山、あるいは巴山、)は、中国西南部の大きな山脈。 狭義の大巴山脈は、四川省(および重慶市)の北・陝西省の南・湖北省の西の境界に位置し、陝西省南部から湖北省に広がる漢水水系と、四川省東部の嘉陵江水系との分水界をなす。海抜はおよそ1,300mから2,000m。大巴山脈の東端にある主峰・神農架は湖北省の神農架林区に位置し、その最高峰・神農頂は標高3,105.4mの高さである。 広義の大巴山脈は湖北省から四川省、陝西省、西は甘粛省にまで至る各省の境界に連なる山脈を指し、大巴山脈北西の米倉山脈なども含める。広義の大巴山脈は四川盆地と漢中盆地を隔て、東は神農架山脈・巫山山脈にまで広がり、西は摩天嶺に接し、北は漢水に面する。巴蜀(四川盆地)を他の地方から隔てる山脈として、古くから軍事的に重要であった。 大巴山脈には特徴的な動植物も多く、巴山松、巴山冷杉などはその一部である。重慶市の北部に位置する大巴山自然保護区は、中国の国家級自然保護区の一つに指定されている。 Category:陝西省の地形 Category:四川省の地形 Category:湖北省の地形 Category:中国の山脈.
大渡河
大渡河(だいとが)は、中華人民共和国四川省西部を流れる大きな川で、岷江の支流。長江水系に属する。古称は沫水という。.
天目山 (浙江省)
天目山(てんもくさん)は、中国の浙江省杭州市臨安区の西に位置する山。西天目山(1506メートル)と東天目山(1480メートル)の2つの峰がある。山の名は峰の頂上近くにある2つの池に由来する。山の北西部は天目山国家級自然保護区になっている。天目山はUNESCOによるの一部である生物圏保存地域である。山は緑が多く、亜熱帯気候に属し、年間の降水量が1767mm、年平均気温が17.3°Cに達する。 天目山はスギ属の巨木、滝、天目茶、雲のめぐる峰々、タケノコ、寺院、尼寺、および奇岩によって知られる。山には2000種以上の植物が生育し、西天目山は真に野生のイチョウの最後の分布地になっている。スギのうちでは清の乾隆帝によって命名された「大樹王」が卓越している。2009年に計測した結果、高さ26.5メートル、直径2.33メートル、体積42.9立法メートルであった。天目山は何百種もの鳥や動物の住処でもあり、39の絶滅危惧種および保護種が含まれる。その中にはウンピョウやが含まれる。 中国語では「天目山」の語でを含む周囲の山脈をも指すことがある。.
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天津市
天津市(てんしんし/ティエンジンし、、、)は、中華人民共和国に位置する直轄市。国家中心都市の一つ。略称は津。 天津は華北平原海河の五大支流の合流する所に位置し、東に渤海を、北に燕山を臨む。市内を流れる海河は天津の母親河とも呼ばれる。 環渤海湾地域の経済的中心地であり、中国北方最大の対外開放港である。首都北京市とは高速道路、高速直通列車、京津城際線によって、0.5〜2時間以内で結ばれている。元々は海河の河港であったが、河口の塘沽に大規模な港湾やコンテナターミナル、工業地帯が形成されている。経済成長率の高さはここ数年に渡り、全国トップである。2017年の第13期の全国体育大会の開催が決まっており、夏季ダボスフォーラム常駐開催都市でもある。 市区人口は506万人、都市圏人口は720万人。.
太平天国の乱
太平天国の玉璽。 天王の玉座 天王府のミニチュア 長江での太平天国軍と清軍との戦い 太平天国の乱(たいへいてんごくのらん)は、清朝の中国で、1851年に起こった大規模な反乱。洪秀全を天王とし、キリスト教の信仰を紐帯とした組織太平天国によって起きた。長髪賊の乱ともいわれる。.
奉節県
奉節県(ほうせつ-けん)は、中華人民共和国重慶市に位置する県。.
孟浩然
孟 浩然(日本語読み:もう こうねん/もう こうぜん、中国語読み:モン ハオラン、ピンイン:Mèng Hàorán、689年 - 740年)は中国唐代(盛唐)の代表的な詩人。襄州襄陽(現在の湖北省襄陽市)出身。字も浩然。一説には、名は浩だとも言われる。.
孫権
孫 権(そん けん)は、三国時代の呉の初代皇帝。字は仲謀。なおよく並べられる曹操・劉備とは(父孫堅が同世代なので)およそ1世代下にあたる。.
宝山区 (上海市)
宝山区(ほうざんく、、、)は中華人民共和国上海市に位置する市轄区。常住人口は125.48万人。.
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宜賓市
宜賓市(ぎひん-し)は中華人民共和国四川省東南部に位置する地級市。「万里長江第一城」と呼ばれる。すなわち「長江の最初の街」であり、長江は宜賓より上流は金沙江と呼ばれ、岷江とこの地で合流し、ここから長江となる。また醸造業が古くから発達し、名酒・五粮液(:zh:五粮液、白酒)で知られ「酒都」の異名を持つ。.
宜昌市
宜昌市(ぎしょう-し)は中華人民共和国湖北省西部に位置ある地級市である。宜昌は長江の三峡の下流に位置する港町であり長江クルーズや貨物船の寄港地である。西陵峡の最下流部にあり、市街地の中には葛洲ダムが、その40km弱上流には三峡ダムがある。.
安史の乱
安史の乱(あんしのらん)、ないし安禄山の乱(あんろくざんのらん)は、755年から763年にかけて、唐の節度使・安禄山とその部下の史思明およびその子供達によって引き起こされた大規模な反乱。.
安寧河
安寧河(あんねい-が)は、中華人民共和国四川省西部を流れる川の一つで、長江水系に属する雅礱江の支流。古名は「孫水」、「長河」、「白沙江」、「長江水」など。 ミニヤコンカ(貢嘎山)の南麓、四川省涼山イ族自治州冕寧県菩薩崗地区に発する。南へ流れ、冤寧県、西昌市、徳昌県、攀枝花市米易県を流れ、大坪地で雅礱江に合流する。冤寧までが上流、冤寧から徳昌までが中流、徳昌以下が下流である。上流から下流まで、水運には適さない。 全長は320キロメートル、流域面積は11,000平方キロメートル。支流には孫水河、茨達河、錦川河、楠木河がある。流域の地層には安寧河断裂帯という断層がある。.
安徽省
安徽省(あんきしょう、アンホイしょう、中国語:安徽省、拼音:Ānhuī Shěng、英語:Anhui)は、中華人民共和国の省。名称は安慶の安、徽州(現黄山市)の徽による。省都は合肥市。略称は皖。.
宋 (南朝)
宋(そう、420年 - 479年)は、中国南北朝時代の南朝の王朝。周代の諸侯国の宋や趙匡胤が建てた宋などと区別するために、帝室の姓を冠し劉宋(りゅうそう)とも呼ばれる。首都は建康(現在の南京)。.
岳陽市
岳陽市(がくよう-し)は、中華人民共和国湖南省に位置する地級市。沼津市と友好都市になっている。.
岳陽楼
岳陽楼(がくようろう、、、)は中国湖南省岳陽市にある楼閣。洞庭湖の東北岸に建つ、高さ20.35メートルの三層の木造建築であり、眼下に広大な洞庭湖、北に長江を臨む雄大な景観で知られる。 黄鶴楼、滕王閣と共に、江南の三大名楼のひとつとされる。.
岷江
岷江流域 岷江と金沙江が合流し長江が始まる地点(宜賓市) 岷江(みんこう、びんこう、)は、中華人民共和国を流れる川の一つで、長江の左岸の支流。四川省中部の代表的な川である。古称は汶水ともいった。長さは735kmで、岷江水系の運ぶ水量は長江の支流でも最大。古代は長江上流の様子が分からず、相当長い間、金沙江ではなく岷江が長江の源流と考えられていた時期があった。 主な支流には、黒水河(黑水河)、雑谷脳河(杂谷脑河)、大渡河、馬辺河(马边河)、錦江などがある。 岷江は四川省北部のアバ・チベット族チャン族自治州北部、甘粛省から四川省へのびる岷山山脈の南麓に発する。松潘県(スンチュ)、茂県、汶川県と、岷山山脈と邛崍山脈の間の深い山地を流れ、成都市(都江堰市)で成都平原に出て眉山市を貫き、楽山市で大渡河と合流する。最終的には宜賓市で金沙江(ディチュ河)と合流して長江を形成する。岷江とその支流が流れる肥沃な成都平原は、四川盆地の西部にあり、中国南西部でも最大の平野である。 支流のうち大渡河は、青海省玉樹チベット族自治州南部のバヤン・ハル山脈南麓に発して四川省カンゼ・チベット族自治州の大雪山脈と邛崍山脈の間を通り、楽山で岷江に合流する長さ1,155kmの大河である。大渡河は岷江の支流として扱われるが、合流点までの延長は岷江よりも長く、水量も岷江よりも多い。 岷江が山岳部から成都平原に出る場所には、戦国時代末期に秦によって建設された水利施設・都江堰(とこうえん)があり、岷江の水を成都平原方面へ分水して、水害防止・水運・灌漑などに用いられる。都江堰は、現在まで2000年以上にわたり成都平原の広大な農地を潤す水路網の起点であり、世界遺産にも指定されている。 岷江を使った灌漑は、現在でも都江堰の修繕と利用が続いているほか、流域に多数のダムが建設されている。中でも汶川県の山間部で岷江を堰き止める巨大な紫坪埔ダムは、水資源開発事業の中でも重要なものであり2006年に完成したが、チベット族の移住、環境への影響の大きさ、都江堰への影響などが懸念されている。.
崑崙山脈
タクラマカン砂漠(黄色の部分)の南端に沿って崑崙山脈が連なっている。 崑崙山脈(こんろんさんみゃく、クンルンシャンマイ)とは中央アジア地域にある約3000kmに及ぶ大山脈で、標高6000m以上の高山が、200峰以上連なっている。新疆ウイグル自治区タクラマカン砂漠の南、チベットの北部、中国の西部にあたる。 パミール高原に接する中国西部の国境を南に伸び、それから東に曲がり、チベット(チベット自治区・青海省)の北の境界になっている。また、麓のタリム盆地南端をはしる「西域南道」には、崑崙山脈の氷河を水源とする内陸河川・カレーズに灌漑されたオアシス都市群(ホータン、ヤルカンドなど)が連なっている。 著名な山はコングール山(公格爾山7,649m)、ムスタグアタ山(慕士塔格山7,546m)、青蔵鉄道からその氷河もよく見える玉珠峰(6,178m)などがある。 中国史家の松本善海(元東亜研究所研究員)は、中国には北と南の二つの中国があり、中国の歴史を捉えるにはその北と南の相違を理解しなくてはならないと述べ、その境界線を崑崙山脈から東に連なる秦嶺山脈、伏牛山、大別山脈と次第に低くなる一連の山系としている - 家近亮子、敬愛大学国際研究第2号、1998年。この山系の北側に当たる中国は乾燥し、畑作が中心、人々も長身で面長、南側は湿潤で米作が中心、身長も低く丸顔が多く、文化的にも南北で相違があり、対立もあるとしている。.
崇明島
崇明島(すうめいとう、チョンミンダオ、)は、中華人民共和国の長江河口にあり、上海市崇明区及び江蘇省海門市、啓東市に属す島である。東経121°09′30〃から121°54′00〃,北経31°27′00〃から31°51′15〃に位置する。北亜熱帯に属す気候は温和で湿潤。年平均気温は15.2℃で、四季がある。.
巣湖
巣湖(そうこ、、、Lake Chao)は中華人民共和国安徽省中部の合肥市にある大きな淡水湖。合肥市の包河区、巣湖市、肥東県、肥西県、廬江県にまたがる。長江水系の淡水湖で、面積は778平方キロメートルと中国の淡水湖でも5位の大きさ。 巣湖という名は先秦時代に「巣国」という国が現在の巣湖市付近にあったことにちなみ、巣国はさらに有巣氏(大巣氏)という氏族にその源をたどれるとされる。後に、湖の形が巣に似ているからとも、居巣県があるから巣湖と呼ばれるようになったとも説明されるようになった。古い時代は地名は「巢」、都市名は「鄛」と区別されており、また湖の名は「漅湖」とも書かれた。ほかに「焦湖」などの別称もあった。.
巫峡
巫峡 三峡ダム完成以前の巫山県の県城。1999年 巫峡十二峰 巫峡(ふきょう)は中国・長江三峡の二番目の峡谷。重慶市巫山県の大寧河の河口から湖北省巴東県官渡口まで全長45km。「長江三峡巫峡長、猿啼三声涙沾裳」と謳われた三峡中屈指の風景名勝を誇った。かつては狭い峡谷であったが、現在は三峡ダムの建設により風景が一変した。 上流側の巫山県は四川盆地東端にあり、巫山山脈をはじめ東西方向に伸びる細長い褶曲山脈多数が並行して走っている。巫山県城付近は長江沿いの丘陵地帯で大寧河の河口付近にある。大寧河は、北の陝西省から重慶市域の巫渓県に入り、褶曲山脈を次々と南北に貫いて流れるため、「小小三峡」「小三峡」と呼ばれる峡谷地帯を形成している。 長江は大寧河の河口の下流で巫峡に入り、切り立った褶曲山脈・巫山を北西から南東に貫通する。さらに険しい巫山の南を東西に流れ、巴東県の盆地に出るまでが巫峡である。長江の両側にはほぼ垂直の斜面の巫山の山々が屹立し、重なる峰が天を隠し日を蔽い、谷底の長江に太陽が差すことを遮る。長江の水はこの狭い峡谷に殺到し、先を争うような急流となる。 巴東県の盆地を出ると、次は西陵峡に入る。 巫峡の両側にある景勝地は「三台八景十二峰」と呼ばれ、特に雲の中に聳える神女峰が代表的な存在である。.
上海市
上海市(シャンハイし、、 ()、呉語発音: 、)は、中華人民共和国の直轄市である。 有数の世界都市であり、同国の商業・金融・工業・交通などの中心地、香港・北京と並ぶ中国最大の都市の一つである。アメリカのシンクタンクが2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界9位と評価された。 2012年6月時点の常住人口は2,400万人を超え、市内総生産は2兆3,560億元(約45兆円)であり、いずれも首都の北京市を凌ぎ中国最大である。中華人民共和国国務院により国家中心都市の一つに指定されている。 略称は滬(/こ:フー)だが、古称の申(しん:シェン)も用いられる。.
中国大陸
中国大陸(ちゅうごくたいりく、Mainland China)とは、台湾(中華民国)・香港・マカオを除いて、中華人民共和国が実際支配及び直接統治するアジア大陸(ユーラシア大陸東部)の広い陸地(亜大陸)である。古くは日本列島と地続きであった。本項では、中華人民共和国成立以前の日本語圏の中国関連分野と今の中国語圏での政治的な意味合い、この二つの事を含む用法について詳述する。.
中国語
記載なし。
中華人民共和国
中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく、中华人民共和国、中華人民共和國、People's Republic of China, PRC)、通称中国(ちゅうごく、China)は、東アジアに位置する主権国家である。 中華人民共和国は、13億8千万人以上の人口で世界一人口が多い国である。中華人民共和国は、首都北京市を政庁所在地とする中国共産党により統治されるヘゲモニー政党制である。.
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中華民国
中華民国(ちゅうかみんこく)は、東アジアに位置する民主共和制国家。 アジアで2番目の共和国として1912年に中国大陸で成立し、国共内戦により中国大陸で中華人民共和国が建国された1949年以降は台湾島と周辺の島嶼群など(自由地区)のみを実効支配する海洋国家となった。自由地区は、日本やフィリピン、中華人民共和国などと領海を接する。 議会制民主主義・資本主義体制国であり、1971年までは国際連合安全保障理事会常任理事国として国際社会に大きな影響を与えていた。しかし国連の代表権問題や一つの中国政策により、中華人民共和国が中華民国を国家承認しないように要求しているため、2018年5月24日現在では中華民国を正式に国家として承認している国は18か国に留まる。上記の経緯があるため以前の国交を結んでいた国々を中心に、日本を含めて多くの国々と活発な経済的文化的な交流が行われている。台湾島及びその周辺島嶼群を含む地域名である台湾(たいわん)と表記されるのが一般的である。.
三峡
瞿塘峡の夔門(きもん)(2006年) 三峡(長江三峡、さんきょう、)は中国の長江本流にある三つの峡谷の総称。重慶市奉節県の白帝城から湖北省宜昌市の南津関までの193kmの間に、上流から瞿塘峡(くとうきょう、8km)、巫峡(ふきょう、45km)、西陵峡(せいりょうきょう、66km)が連続する景勝地である。三峡を船で上り下りするクルーズは中国内外の多くの観光客を集めており、重慶から宜昌・武漢・上海までの間を運航している。三峡の下流部分には国家的事業である三峡ダムが建設され、三峡の景観や環境が大きく変化した。.
三峡ダム
三峡ダム(さんきょうダム)は、中国・長江中流域の湖北省宜昌市三斗坪にある大型重力式コンクリートダムである。 三峡ダム発電所のフランシス水車。 1993年に着工、2009年に完成した。洪水抑制・電力供給・水運改善を主目的としている。三峡ダム水力発電所は、2,250万kWの発電が可能な世界最大の水力発電ダムである。 ダムは長江三峡のうち最も下流にある西陵峡の半ば(湖北省宜昌市夷陵区三斗坪鎮)に建設された。貯水池は宜昌市街の上流の三斗坪鎮に始まり、重慶市街の下流にいたる約660kmに渡り、下流域の洪水を抑制するとともに、長江の水運の大きな利便性をもたらす。このダムの建設によって、それまで重慶市中心部には3,000t級の船しか遡上できなかったのが、10,000t級の大型船舶まで航行できるようになった。加えて、水力発電所は中国の年間消費エネルギーの1割弱の発電能力を有し、電力不足の中国において重要な電力供給源となる。また、火力発電と比べ発電時のCO2発生も抑制することができる。しかし、その一方で建設過程における住民110万人の強制移転、三峡各地に残る名所旧跡の水没、更には水質汚染や生態系への悪影響等、ダム建設に伴う問題も指摘されている。.
三江併流
三江併流(さんこうへいりゅう)は中国のチベット高原に源を有する三つの川、金沙江(長江上流部)、瀾滄江(メコン川上流部)、怒江(サルウィン川上流部)が雲南省北部のデチェン蔵族自治州及び怒江リス族自治州を平行に流れている1,698,400haに及ぶ地域で、その地域は14の保護された地域からなる。動植物層が豊かなことから、ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録されている。.
九江市
九江市(きゅうこう-し)は中華人民共和国江西省北部に位置する地級市。市区部は長江(揚子江)沿岸の重要港湾都市となっている。.
京杭大運河
京杭大運河(けいこうだいうんが)は、中国の北京から杭州までを結ぶ、総延長2500キロメートルに及ぶ大運河である。途中で、黄河と揚子江を横断している。戦国時代より部分的には開削されてきたが、隋の文帝と煬帝がこれを整備した。完成は610年。運河建設は人民に負担を強いて隋末の反乱の原因となったが、運河によって経済の中心地江南と政治の中心地華北、さらに軍事上の要地涿郡(後の北京)が結合して、中国統一の基盤が整備された。この運河は、その後の歴代王朝でもおおいに活用され、現在も中国の大動脈として利用されている。2014年の第38回世界遺産委員会で世界遺産リストに登録された。.
広元市
広元市(こうげん-し)は中華人民共和国四川省に位置する地級市。.
建康 (都城)
建康(けんこう)は、中国の六朝の歴代の都であり、南京市の古称である。 三国の呉においては建業(けんぎょう)と呼ばれたが、西晋のときに愍帝(司馬鄴)の諱に触れることから、建康と改称された。建康を中心に六朝文化が栄え、とくに仏教の隆盛ぶりは「南朝四百八十寺」と讃えられた。.
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建文帝
建文帝(けんぶんてい)は、明朝の第2代皇帝。諱は允炆(いんぶん)。靖難の変により永楽帝に帝位を簒奪されたため、明代には皇帝としての在位が否定されていた。日本ではその在位中の年号「建文」から一般的に建文帝と称される。.
張士誠
張士誠 張 士誠(ちょう しせい)は、元末の群雄の一人。娘婿に潘元紹。 蘇州を拠点として江東に強大な勢力を誇り、朱元璋、陳友諒と覇を競ったが、朱元璋によって滅ぼされた。 元末に蜂起した群雄の多くは白蓮教の影響を受けた紅巾軍の系譜に属していたが、張士誠は紅巾軍には属していない。.
当曲
当曲(とうきょく)、もしくはダムチュ(འདམ་ཆུ)は、中華人民共和国青海省(チベットアムド地方)を流れる長江の上流。長江の源流には三つの川があるが、一番の源流が沱沱河(トト河)、北の源流が楚瑪爾河(チュマル河)、そして南の源流がこの当曲とされている。チベット高原の北東部、青海省ザトェ県とディトェ県内を通っている。 タンラ山脈(唐古拉山脈)の東の部分、霞舍日阿巴山(5,395メートル)の東麓に発する。タンラ山脈北の青海省側へ向かい、東に曲がって青海省南部の高原地帯の峡谷を流れ、沱沱河と合流して「通天河」(長江上流の名称)となる。川の長さは352キロメートル、流域面積は30,219平方キロメートル。河口流量は220立方メートル/秒で、長江の本来の源流とされる沱沱河よりも数倍多く、三本の源流の中で最も水量が多い。 「当曲」(ダムチュー)とはチベット語で「沼沢地の河」を意味する。当曲の源流は「多朝能」という一本の小川で、地下水の豊富な沼地を流れている。この沼地は世界でも最も標高の高い沼地のひとつで、無数の大小の沼が一面に広がりあちこちで地下水が湧き出している。 当曲の支流には、沱沱河源流同様の氷河地帯から流れてくる布曲(ブチュ、)、および尕爾曲(ガルチュ、)があり、これらの流入で水量も速度もさらに大きくなっている。.
後周
後周(こうしゅう、951年 - 960年)は、中国の王朝で、五代の最後の王朝である。国号は単に周であるが、古代の周と区別するために後周と呼ぶ。都は開封にあった。.
後蜀
後蜀(こうしょく)は、中国の王朝名。現在の四川省に成立した。.
後漢
後漢(ごかん、東漢、、25年 - 220年)は、中国の王朝。漢王朝の皇族劉秀(光武帝)が、王莽に滅ぼされた漢を再興して立てた。都は洛陽(当時は雒陽と称した。ただし後漢最末期には長安・許昌へと遷都)。五代の後漢(こうかん)と区別するため、中国では東漢と言う(この場合、長安に都した前漢を西漢という)。.
信江
信江(しんこう、Hsin River / Xin River、、)は、中華人民共和国江西省北東部を流れる河川で、長江水系の鄱陽湖に注いでいる。 玉山県の懐玉山の南に発する玉山水と、福建省浦城県の武夷山麓に発する豊溪の二つの川が水源にあたる。上饒市中心部でこの二つの川が合流し、そこから信江と呼ばれるようになる。 本流は東から西へ向けて流れ、上饒市、鉛山県、弋陽県、貴渓市、鷹潭市、余江県、余干県を経て、余干県の県境で二つの分流に分かれて鄱陽湖に注ぐ。途中で、石渓水、鉛山水、陳坊水、葛渓水、羅塘河、白塔河などの主要な支流が合流している。 全流域面積は17,600平方キロメートルで、人口420万人あまりが住み、耕地は391万畝、そのうち水田が349万畝を占める。信江は、上饒市までを上流、上饒市から鷹潭市までを中流、それ以後を下流とする。上流の沿岸一帯は、低い山地が主であり、地形の起伏は比較的大きい。中流は信江盆地であり、その周縁の地勢は、北・東・南の三面は山が次第に低くなっており、盆地内は西へ向かって低くなっている。下流は鄱陽湖沖積平野で、地勢は平坦で開けている。流域のうち、山地面積が40%を占め、丘陵は35%、平原は25%となっている。 信江流域は亜熱帯の温暖湿潤気候に属する。一般には4月から雨量が増加し、梅雨の5月・6月は雨が激しく増える。上流の懐玉山一帯では、年降雨量は2,000ミリメートル以上になる。7月から9月は高気圧の影響を受け、夕立や台風などを除いては雨量は少ない。流域の年平均気温は18℃、年平均降水量は1,845ミリメートルになる。降雨分布は東部が多く西部は少なく、山地のほうが平野部より多い傾向にある。4月から6月で年の雨量の半分が降り、7月から9月は年の雨量の18%、それ以外の季節は雨が少ないという、雨量が特定の季節に集中する傾向が見られる。 信江の上流の支流・金沙渓には玉山七一ダム(三清湖)がある。容量は1.87億立方メートルあり、14万畝の耕地を灌漑する。発電容量は7,000キロワットで、1950年代に建設された信江流域最大のダム湖である。流域の用水路の中では余江県の白塔渠が最大で、引水流量は毎秒19立方メートルであり、19万畝の水田を潤している。.
修水
修水(しゅうすい、Xiu River、、)は、中華人民共和国江西省北西部、九江市域を流れる河川で、長江水系の鄱陽湖に注いでいる。修河(しゅうが、)、あるいは修江とも。 修水の水源は、湖南省・江西省・湖北省が交わるところにある幕阜山脈にある。西から東へ向けて流れ、修水県、武寧県、永修県を通る。河口は永修県呉城鎮にあり、ここで修水は贛江の分流の一つと合流した後、鄱陽湖に注ぐ。呉城鎮は修水・贛江の河口があることから古くから水上交通の中心として栄えた町であった。 河の長さは357キロメートル、流域面積は14,793平方キロメートル。.
チベット
チベットの旗(雪山獅子旗) チベット(英語:Tibet,,,, )は、東経77-105度、北緯27-40度に至る地域を占め、南はヒマラヤ山脈、北は崑崙山脈、東は邛崍山脈に囲まれた地域、およびこの地域に成立した国家や政権、民族、言語等に対して使用される呼称。.
チベット語
チベット語(チベットご)は、ユーラシア大陸の中央、およそ東経77-105度・北緯27-40度付近で使用されているシナ・チベット語族(支那-蔵系)のチベット・ビルマ語派チベット諸語に属する言語。 形態論において孤立語に分類されるが膠着語的な性質ももつ。方言による差はあるが、2種ないし4種の声調をもつ。チベット高原における約600万人、国外に移住した約15万人のチベット人が母語として使用している。 ラサ方言を含む中央チベット方言、カム・チベット方言、アムド・チベット方言は通常は同一の言語の方言とみなされ、この3方言を総称してチベット語といわれる。特にラサ方言は標準チベット語と呼ばれる。本記事は標準チベット語を中心に記述するが、他方言についても言及する。 チベット語に含まれない周辺のチベット系言語についてはチベット諸語を参照。.
チベット高原
チベット高原(チベットこうげん、、)はユーラシア大陸の中央部に広がる世界最大級の高原。チベットの領域とほぼ等しい。.
ハ陽湖
鄱陽湖(はようこ、)は、中華人民共和国江西省北部、長江南岸にある湖。中国の淡水湖では最大。に位置する。贛江・撫河・信江・鄱江(饒河)・修水などの長江支流がここで流入する。 湖の表面積は、季節により146km2から3,210km2まで変わり、長江の水流を調節する役目もしている。 渡り鳥の生息地で鳥見が楽しめ、冬にはソデグロヅル、ナベヅル、コウノトリが飛来する。魚の宝庫で漁業が盛んだが乱獲などにより数が減り、現在では春と冬に一部が禁漁となっている。絶滅の危機にあるヨウスコウカワイルカがおり、州に保護されている。1992年3月にはラムサール条約登録地になった。 紀元前から記録されている湖で、彭蠡澤、あるいは彭澤とも呼ばれた。何度も洪水を起こし、そのために築いた堤防が湖の中に残っている。1363年、朱元璋軍と陳友諒軍の間で鄱陽湖の戦いが起こり、陳友諒が戦死している。 西には廬山がある。.
ハ江
鄱江(はこう、Po River、、)、または饒河(じょうが、、)は、中華人民共和国江西省北東部を流れる河川で、長江水系の鄱陽湖に注ぐ。別名は「長港」、古い呼び名には「番水」がある。 源流は、安徽省祁門県に発し北を流れる昌江(全長は267キロメートル)と、江西省婺源県に発して南を流れる楽安河(全長は279キロメートル)の二つがある。この二つの川が上饒市鄱陽県で合流して鄱江という名になる。合流後、北へ向けて曲がり、鄱陽県蓮湖で鄱陽湖に入っている。本流部分の長さは40キロメートル、流域面積は15,000平方キロメートル。そのうち、江西省内に属する面積は12,000平方キロメートルである。本流は全て通航可能で、江西省の主要河川のひとつとなっている。 Category:中国の河川 Category:長江水系 Category:江西省の河川.
バヤンカラ山脈
バヤンカラ山脈 (Bayan Har Uul) は中国の青海省の中部に位置する山脈である。青海省の中部の南寄りから青海省と四川省の交点付近へと南東に伸びている。長さは780kmあまりである。 地質的にみれば、これは崑崙山脈の一支脈とも言える。最高峰は海抜5369mのゴロク (果洛) 山である。 バヤンカラ山脈の名前はモンゴル語の、「豊かで青い山」に由来する。バヤンカラ山脈の北側は比較的緩やかであるが、南側は険しく、多くの深い谷を有する。高地であるため、気温は低く、海抜5000m以上の山々の積雪は一年中消えることはない。海抜が比較的低い丘陵部分は、重要な牧場であり、主に綿羊やヤクが牧畜されている。住民の大多数はチベット民族である。 バヤンカラ山脈は黄河の水源地であり、また黄河と長江との分水嶺である。この山脈から南へ向かって流れる雅礱江や大渡河などいくつかの大河は、長江の上流の重要な支流である。.
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メコン川
メコン川(メコンがわ、Mekong River、แม่น้ำโขง(ラテン文字転写:Mae Nam Khong)、Sông Cửu Long/瀧九龍)は、東南アジアを流れる河川。東南アジアで最長、アジア全体でも7番目に長い川である。.
ヤク
ヤク(家畜化された種としての学名はBos grunniens、野生種はBos mutus)は、ウシ目(偶蹄目)ウシ科ウシ属に分類される偶蹄類。.
ヨウスコウカワイルカ
ヨウスコウカワイルカ(揚子江河海豚、Lipotes vexillifer)は淡水に生息するイルカで、長江(揚子江)の固有種である。ハクジラ亜目ヨウスコウカワイルカ科ヨウスコウカワイルカ属に分類され、本種のみでヨウスコウカワイルカ科ヨウスコウカワイルカ属を形成する。Baijitun()、Beiji、Pai-chi、Whitefin Dolphin(白ひれイルカ)、Whiteflag Dolphin(白旗イルカ)、Yangtze Dolphin、Yangtze River Dolphin などと呼ばれている。.
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レイ水
澧水(れいすい、Lishui River / Li River、、)は、中華人民共和国湖南省北西部を流れる大きな川で、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流。湖南省の四大河川(湘江、沅江、資江、澧水)の一つ。 渭水の支流で、周の都鎬京跡の西を流れる灃水(ほうすい、豐水とも)とは字体が似ているが、字も別であり別の川である。.
ワイリー方式
ワイリー方式(ワイリーほうしき、英:Wylie transliteration)はチベット文字による綴りをラテン・アルファベットに翻字するための方式のひとつ。1959年にタレル・ワイリーにより考案され、チベット研究における翻字の標準的な表記法となった。.
トンネル
トンネル(、)とは、地上から目的地まで地下や海底、山岳などの土中を通る人工の、または自然に形成された土木構造物であり、断面の高さあるいは幅に比べて軸方向に細長い地下空間をいう。1970年のOECDトンネル会議で「計画された位置に所定の断面寸法をもって設けられた地下構造物で、その施工法は問わないが、仕上がり断面積が2平方メートル (m2) 以上のものとする」と定義された。 人工のものは道路、鉄道(線路)といった交通路(山岳トンネル、地下鉄など)や水道、電線等ライフラインの敷設(共同溝など)、鉱物の採掘、物資の貯留などを目的として建設される。 日本ではかつて中国語と同じく隧道(すいどう、ずいどう)と呼ばれていた。常用漢字以外の文字(隧)が使われているために、第二次世界大戦後の漢字制限や用語の簡略化、外来語の流入などの時代の流れにより、今日では一般的には「トンネル」と呼ばれるようになったが、トンネルの正式名称に「隧道」と記されることも多い(青函隧道など)。 鉄道や道路のトンネルには「入口」「出口」が決められており、起点に近い方が「入口」となっている。新幹線で例えると、東京寄りの坑口が「入口」であり、その反対側が「出口」である。.
ビン (十国)
閩(びん 909年 - 945年)は、中国五代十国時代に現在の福建省を中心に存在した国。十国の一つ。.
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ディチュ河
ディチュ河(འབྲི་ཆུ ワイリー拡張方式のチベット語表記: 'bri chu)は、チベット高原の中央部を、西から横断し、東南方向へ流れる長江のチベット語名。なお、中国語の金沙江(きんさこう)は長江の上流部のみを指し、チベット名ディチュ河とも部分的に重なっているが、チベット人がディチュ河と呼ぶ区間は遙か下流までであり、その区間は完全には一致していない。 国際的には長江の一部、または金沙江(Jinsha River)とされることが多く、ディチュ河の名が使われることは少ない。 青海省西部で発した後、南の崑崙山脈へ向かい、青海省とチベット(西蔵)自治区の境界をなすタンラ山脈の北麓を流れ、チベット東部のカム地方を東西に二分している。東経97度、北緯27-37度付近では、中国の行政区分でいう「西蔵自治区」と「四川省」の境界となっている。 Category:チベット自治区の河川 Category:青海省の地形 Category:四川省の河川 Category:雲南省の河川 Category:長江.
フフシル
フフシル(中国語簡体字:可可西里、ピンイン:Kěkěxīlǐ)は、チベット高原北部の、西蔵自治区の北部と青海省の西南部にまたがり、およそ東経90°、北緯36°付近に位置する山地。世界第3位の広さを持つ無人地帯で原始的な自然状態がほぼ完璧に維持されており、230種類を越す野生動物が生息している。名称「フフシル(xöxesil)」はモンゴル語で「蒼き玻璃」を意味し、チベット名の「ホホシリ(ho ho zhi li)」、中国名の「可可西里」はいずれもこのモンゴル名を音写したものである。日本では、中国名「可可西里」からカタカナ転写された「ココシリ」という呼称が用いられる例が多い。 近年高値で売買される絶滅危惧種であるチベットアンテロープの毛皮をめぐる密猟と、密猟者に対するパトロール活動が注目を集めているが、映画『ココシリ』の公開でより知られるようになった。2017年にはフフシルに含まれる自然保護億などが、自然美と生物多様性を理由として、世界遺産リストに登録された。.
フウ江
涪江(ふうこう、)は、中華人民共和国の四川省を流れる大きな川で、嘉陵江の支流。 源流は四川省北部のアバ・チベット族チャン族自治州であり、岷山山脈の主峰・雪宝頂の付近、松潘県と九寨溝県の間の分水嶺に発する。涪江は岷山山脈の深い山間を南へ流れ平武県(綿陽市)を通り、四川盆地へ出て江油市、綿陽市、射洪県、遂寧市を通り、重慶市合川区で嘉陵江に合流する。 全長は700km、流域面積は3.64万平方km。平武から河口の合川までの552kmは航行可能だが、土砂で川が浅くなった部分もあり水運には困難を伴う部分もあるため、河川改修工事が地元市政府により行われている。また豊富な水量を活用してダムなどを造り、水力発電や四川盆地に対する大規模な灌漑を行う計画(武都引水工程)も1980年代後半以来進んでいる。.
列強
国連安保理で拒否権を持たない列強:日本, ドイツ 列強(れっきょう、great powers, major powers)とは、世界規模の影響力を持つ複数の国家を指す用語である。 列強は経済的、軍事的、外交的、文化的、政治的などの力を持ち、しばしば他の小国の行動に影響を与える。国際関係の理論では列強の位置づけは、その力を発揮できる能力や、領土などの空間や、国際的な地位などの面から特徴づけられる。 いくつかの諸国が広く列強と呼ばれているが、その明確な定義は存在せず、ウィーン会議などの国際会議や国際連合安全保障理事会などの国際組織によって公式に認識されるDanilovic, Vesna.
嘉陵江
嘉陵江(かりょうこう、Jialing River 、)は、中華人民共和国の甘粛省から陝西省を通り四川省へと流れる大きな川で、重慶市で長江に合流する。長さ1,119km、流域面積は16万平方kmで、長江の支流の中でも流域面積が最大。嘉陵江という名は、上流の陝西省宝鶏市鳳県で嘉陵谷という渓谷を通ることに由来する。旧名は閬水(ろうすい、阆水)、渝水(ゆすい、渝水)。.
呉 (十国)
呉(ご、902年 - 937年)は中国の五代十国時代に金陵(現在の南京)を中心に江蘇省・安徽省・江西省を支配した国。江南の豊かな経済力を背景に強勢を誇ったが、により簒奪され、南唐に取って代わられた。.
呉 (三国)
呉(ご、、222年 - 280年)は、中国の三国時代に孫権が長江流域に建てた王朝。姓は孫(そん)氏で、首都は建業(現在の南京付近)。孫呉、東呉とも呼ばれる。 222年というのは、それまで魏に対して称臣していた孫権が黄武と言う新しい元号を使い始め、魏からの独立を宣言した年である。正式には呉の建国としては孫権が皇帝に即位した229年を採る場合もある。しかし孫権が勢力を張ったのは父孫堅・兄孫策が築いたものを受け継いでのことであり、この項では孫堅の代から説明する。.
呉 (春秋)
呉(ご、拼音:wú、紀元前585年頃 - 紀元前473年)は、中国の春秋時代に存在した君国の一つ。現在の蘇州周辺を支配した。君主の姓は姫。元の国号は句呉(こうご、くご)。 勾呉の表記もなされる。 中国の周王朝の祖、古公亶父の長子の太伯(泰伯)が、次弟の虞仲(呉仲・仲雍)と千余家の人々と共に建てた国である。虞仲の子孫である寿夢が国名を「句呉」から「呉」に改めた。 紀元前12世紀から紀元前473年夫差王まで続き、越王の勾践により滅ぼされた。 国姓は姫(き)。.
呉越
923年頃の勢力地図。ピンクが呉越 呉越(ごえつ 907年 - 978年)は中国・五代十国時代に現在の杭州を中心に浙江省と江蘇省の一部を支配した国。.
呉淞江
呉淞江(ごしょうこう、ウーソンチヤン)、また蘇州河ともいい、古くは松陵江といった。黄浦江の主要な支流。太湖の瓜涇口を源として発し、上海市街地の外灘北端にある外白渡橋の近くで黄浦江に合流する。全長125km、うち上海市内を流れる距離は54km。 明代までは太湖から海に出る最も大きな河川であり、当時の江南最大の都市であった蘇州にちなみ蘇州河と呼ばれた。しかし土砂の堆積で川底が浅くなり通行に支障をきたしたため、明代初期に戸部尚書の夏原吉により太湖周辺の河川に対する工事が行われ、その結果呉淞江の支流だった黄浦江が呉淞江から本流の座を奪った(黄浦奪淞)。呉淞江は長年にわたり上海と周辺を結ぶ重要な水上交通路でもあった。 Category:上海の地理 Category:江蘇省の河川 Category:中国の河川 Category:長江水系.
アジア
アジア アジアの地図 東南アジア アジア(ラテン語: Asia古典ラテン語では「アシア」だが、現代ラテン語では「アジア」とも発音する。)は、世界の大州のひとつ。現在では一般的にヨーロッパを除くユーラシア大陸全般を指すが、政治的・経済的な立場の違いにより、様々な定義がなされる場合がある。亜州。 アッシリア語で東を意味する「アス」に語源をもつ。古代では現在の小アジアを指した。.
イギリス
レートブリテン及び北アイルランド連合王国(グレートブリテンおよびきたアイルランドれんごうおうこく、United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)、通称の一例としてイギリス、あるいは英国(えいこく)は、ヨーロッパ大陸の北西岸に位置するグレートブリテン島・アイルランド島北東部・その他多くの島々から成る同君連合型の主権国家である。イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドの4つの国で構成されている。 また、イギリスの擬人化にジョン・ブル、ブリタニアがある。.
カム
ム.
カラチョウザメ
ラチョウザメ(Acipenser sinensis、p)はチョウザメ目チョウザメ科に属する魚類である。中国各地に古代から生息し、中華チョウザメ、中国チョウザメとも呼ばれる。 中国では遼寧省北票市などのジュラ紀の化石に亜種が発見されていて、現在は長江などに生息している。 絶滅危惧種に指定されていて、三峡ダムのすぐ下流の葛洲ダム付近の黄柏河上の島(湖北省宜昌市)に保護センターがある。.
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カン江
贛江(かんこう、)、あるいは贛水(かんすい)は、中華人民共和国を流れる川の一つで、鄱陽湖に流入している長江右岸の支流。江西省を南北に貫く江西最大の川である。江西省の別名・「贛」(かん)はこの川に由来する。長さは751km(支流の源流まで合わせた長さは991km)。.
ゲン江
沅江(げんこう、Yuan River、、)、あるいは沅水(げんすい、)は、中華人民共和国を流れる大きな川で、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流。湖南省の四大河川(湘江、沅江、資江、澧水)の一つで、その長さは湘江に次ぐ。.
シャングリラ市
ャングリラ市(シャングリラし、チベット語:སེམས་ཀྱི་ཉི་ཟླ་གྲོང་ཁྱེར།、、、)は中華人民共和国雲南省デチェン・チベット族自治州に位置する県級市。チベットではカム地方南部に当る。自治州の州政府の所在地であり、市政府は建塘鎮に位置している。 チベット語でギャルタンと称され、チベット文化圏の南東端にあたり、北は徳欽(ジョル)、南は麗江を連絡する滇蔵公路における要衝となっている。ソンツェリン寺や虎跳峡が有名。また獰猛な性格で知られるチベット犬の産地でもある。.
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スナメリ
ナメリ(砂滑、Neophocaena phocaenoides)は、ネズミイルカ科スナメリ属に属する小型のイルカである。主に海水域に生息するが、淡水である中国の長江(揚子江)に生息する個体群も見られ、中国では江豚(jiangtun、長江の豚の意)と呼ばれている。 スナメリ属(Neophocaena)はスナメリ(N.
タンラ山脈
タンラ山脈(タンラさんみゃく)は、チベット高原の中央部を西北西より東南東の方向へ縦断している山脈の一つ。.
サルウィン川
ྱལ་མོ་རྔུལ་ཆུ། 怒江 | other_name_1.
唐
唐(とう、、618年 - 907年)は、中国の王朝である。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、中央アジアや、東南アジア、北東アジア諸国、例えば朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化などの面で多大な影響を与えた世界帝国である。日本の場合は遣唐使などを送り、894年(寛平6年)に菅原道真の意見でその回の遣唐使を中止し、結果としてそれ以降遣唐使は送られず、それまでは積極的な交流をしていた。首都は長安に置かれた。 690年に唐王朝は廃されて武周王朝が建てられたが、705年に武則天が失脚して唐が復活したことにより、この時代も唐の歴史に含めて叙述することが通例である。 日本では唐の滅亡後も唐、唐土の語はそれ以降の王朝、さらには外国全般を漠然と指す語として用いられた。しかし、天竺同様昔の呼称のため、正確に対応するわけではない。詳しくは中国を参照のこと。.
凱里市
凱里市(がいり-し)は中華人民共和国貴州省黔東南ミャオ族トン族自治州に位置する県級市。.
八王の乱
八王の乱(はちおうのらん)は、中国の王朝晋(西晋)の滅亡のきっかけを作った皇族同士の内乱である。西晋は100年に渡る三国時代に終止符を打って全土を統一したが、その平穏はわずか数10年で崩れ去った。この後、中国は隋が統一するまでのおよそ300年にわたり、再び動乱の時代を迎える事となる。.
六朝
六朝(りくちょう)は、中国史上で建康(建業)に都をおいた、三国時代の呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳の総称。 呉の滅亡(280年)から東晋の成立(317年)までの時代を含め、この時代(222年 - 589年)を六朝時代(りくちょうじだい)とも呼び、この時期の文化を特に六朝文化(りくちょうぶんか)と称することもある。.
前蜀
前蜀(923年頃) 前蜀(ぜんしょく)は、中国の五代十国時代に成都を中心に四川省を支配した国。創始者は王建。.
四川省
三星堆遺跡の青銅仮面 四川省の伝統芸能『川劇』 四川省(しせんしょう、、、)は、中華人民共和国西南部に位置する省。略称は川あるいは蜀。省都は成都。西北部はチベットの伝統的な地方区分でいうアムド地方の東南部、西部はカムの東部にあたる。また、東部の重慶は直轄市として1997年に分離した。.
四川盆地
四川盆地の衛星写真。中央の平坦な部分が四川盆地で、盆地の東部には丘陵の連なりが数本見える。北東の緑の山地は大巴山脈や米倉山脈、北西には雪をかぶった山脈と草原がチベットへ続く。北には植生の少ない陝西省や甘粛省の黄土地帯が広がる 四川盆地(しせんぼんち、、)は、中華人民共和国の西南部にある盆地。長江の上流域にあり、四方を高い山脈や高原に囲まれた大きな盆地で、面積はおよそ16万平方km、タリム盆地・ジュンガル盆地・ツァイダム盆地と並ぶ中国4大盆地の一つ。四川省の東部と中部、および重慶市の市域に当たる。 四川の名の由来には諸説ある。盆地内を流れる長江の四つの支流(岷江、沱江、嘉陵江、烏江。烏江の代わりに長江を入れるものや大渡河を入れるものなどもある)に由来するという説、また宋代にこの地方に置かれた行政区画・川峡路が後に益州路・利州路・梓州路・夔州路の四つに分割され、川峡四路と総称されたことが四川の名の始まりという説もある。その他、赤色・赤紫色の土壌から、「紅色盆地」・「赤色盆地」とも呼ばれる。.
瞿塘峡
瞿塘峡(くとうきょう)は中華人民共和国の長江本流に位置する峡谷。巫峡(ふきょう)、西陵峡(せいりょうきょう)と並び、三峡を構成する。別名は夔峡(ききょう)。 瞿塘峡は三峡のもっとも上流にあり、西は重慶市奉節県の白帝城から、東は重慶市巫山県の大溪鎮までの区間である。四川盆地の東部では、東西方向に伸びる細長い褶曲山脈が多数平行に走っているが、その山脈のうち高さ1,000mを超える一本を長江本流が北西から東南へ貫通するところが瞿塘峡である。 全長は8kmと三峡の他の峡谷に比べると際立って短いが、その川幅は三峡の中で最も狭く、風景の雄大さは三峡の中でも際立っている。瞿塘峡では長江の幅は広い所で150mを超えず、狭いところでは100mにもならない。この狭い川の北側には赤甲山、南側には白塩山があり、その高さは川面から1,200mに達し、間を通る船を圧迫するような急傾斜が聳え立っている。赤甲・白塩の両山に囲まれた門のような部分を夔門(きもん)と呼ぶが、「夔門天下雄」としてその雄大さは称えられていて、中国の10元紙幣の裏側に図柄としても使われている。.
玉竜ナシ族自治県
玉竜ナシ族自治県(ぎょくりゅうナシぞくじちけん)は中華人民共和国雲南省麗江市に位置する自治県。面積6521平方キロ、人口24万人(2003年)。 雲南省麗江市玉竜ナシ族自治県石鼓鎮で南向きから北向きへ流れを変える金沙江(長江第一湾).
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玉龍雪山
玉龍雪山 玉龍雪山(ぎょくりゅうせつざん、、、Jade Dragon Snow Mountain)は雲南省麗江市玉龍納西族自治県にある高山。横断山脈のうち沙魯里山脈の南部を占める。付近一帯は玉龍雪山国家重点風景名勝区として世界遺産に、同時に麗江市玉龍雪山景区として中国最高レベル(5A級)の国定公園に指定されている。北半球で最も南に位置する氷河がある。 麗江市街地の北15kmほどのところにあり、南北約35km、東西約13kmの公園区域内に、13の峰がある。最高峰は扇子陡(せんすとう、Shanzidou)で、その山頂は標高5596mである。未だ扇子陡の登頂に成功した者はなく、処女峰である。 麗江一帯に住むナシ族の宗教であるトンパ教の聖地である。ふもとの金沙江本流には、虎跳峡と呼ばれる深い峡谷がある。 観光地としての整備も進んできており、麗江古城地区の北から7路のバスで雪山ロープウェイ乗り場まで行けば、扇子陡のすぐ下の4506m地点までのロープウェイに乗れる。ロープウェイの運行は天候に左右されやすく、一日4000人限定のため、注意を要する。 Category:中国の山 Category:中国の国立公園 Category:中国の観光地 Category:麗江市 Category:雲南省の地形 Category:霊峰 Category:中国の観光地等級AAAAA.
玉樹チベット族自治州
玉樹チベット族自治州(ぎょくじゅ-チベットぞく-じちしゅう)は中華人民共和国青海省に位置するチベット族自治州。 チベット名ユフ・プーリー・ランキョンクル()。中国語名「玉樹」は、この地方の伝統的呼称ユルシュル (yul shul) の音写であるが、現行のチベット名はこの「玉樹」から再音写した表記である。 チベットの伝統的な地理区分では大部分がアムド地方に属するが、東南部はカム地方の北部に相当する。 州人民政府は玉樹市のケグ(skye rgu、Gyêgu、結古)鎮にある。西洋や古いチベットの文献ではジェクンド(Jyekundo, skye dgu mdo, skye rgu mdo)の名でも登場する。.
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理塘河
塘河(りとう-が、Litang river、, )は、中華人民共和国四川省を流れる川の一つで、長江支流の雅礱江に合流している。別名は無量河、勒曲、木里河、小金河など。 理塘河はチベット高原東部の険しい山岳地帯を流れており、伝統的にはチベットのカム地方に属する。四川省カンゼ・チベット族自治州の理塘県(リタン)の西部、沙魯里山脈の中部の雪山椏口に発し、上流は無量河と呼ばれる。ムリ・チベット族自治県(木里県)を流れ、塩源県の北部の窪里郷・欧家湾で雅礱江に合流する。 平均流量は290立方m/秒、徑流量50.86億立方mに達する。中流・下流の川幅の平均は66m。ほとんどは高山地帯を貫く峡谷であり、流量は多く川床は狭い。 支流には臥落河、羊奶河、陳昌溝、苦巴店溝、瓦廠河がある。 Category:四川省の河川 Category:長江水系.
秦嶺山脈
中央の茶色の部分が秦嶺山脈 秦嶺山脈(しんれいさんみゃく)は、中国中部を東西に貫く山脈。黄河と揚子江を中流域で分けている。中国語でチンリンシャンマイ(Qínlǐng Shānmài)、英語でQinling Mountains。.
秦嶺・淮河線
嶺・淮河線(しんれい・わいがせん)は中国東部における年間降水量1000mmのラインのことである。秦嶺・淮河ライン、チンリン・ホワイ線ともいう。 ちょうど年間降水量1000mmの等量線が秦嶺山脈と淮河を結ぶ線と一致することからこの名前で呼ばれ、一般的にこの線より以北が小麦地帯、以南が稲作地帯とされている。 耕作穀物の違いが、食文化の違いも産んでおり、この線の北側が麺食・パン食、南側が米食という主食を分ける大まかな線と考えることもできる。 中国では秦嶺・淮河線が800mm等降水量線であり、1月の0度等温線である。伝統上これを境に、「南北」が別れる。気候が大きく異なると共に農業生産や生活習慣が大きく異なる。.
秦淮河
淮河(しんわいが、Qinhuai river、、)は、中華人民共和国の江蘇省南京市内を貫く河川。長江下流(揚子江)の右支流で、南京市内では長江を除くと最大の川である。全長は100キロメートル余り、流域面積は2,600平方キロメートル余りで、句容市(鎮江市)、溧水県(南京市)、江寧区などを流れている。.
稲作
タイの田植え。東南アジアの稲作では1ヘクタールに満たない水田でも、田植え、除草、収穫に農業労働者が雇用されることが多い ミャンマーの稲の収穫。 稲作(いなさく)とは、イネ(稲)を栽培することである。主に米を得るため、北緯50°から南緯35°の範囲にある世界各地域で稲作が行われている。現在では、米生産の約90%をアジアが占め、アジア以外では南アメリカのブラジルやコロンビア、アフリカのエジプトやセネガル、マダガスカルでも稲作が行われている。 稲の栽培には水田や畑が利用され、それぞれの環境や需要にあった品種が用られる。水田での栽培は水稲(すいとう)、畑地の栽培は陸稲(りくとう、おかぼ)とよばれる。 収穫後の稲からは、米、米糠(ぬか)、籾殻(もみがら)、藁(わら)がとれる。これらは再利用でき有用な資源でもある。.
米
米(こめ、rice)は、稲の果実である籾から外皮を取り去った粒状の穀物である。穀物の一種として米穀(べいこく)とも呼ぶ。東アジア・東南アジア・南アジア以外では一般的に主食として特別視することが希薄であり、日本語でいう「米」「稲」「飯」といった、収穫前・収穫後・調理前・調理後などによる区別がない言語が多数ある。例えば英語圏ではすべてriceという同一の単語で扱われる。.
紅河
紅河(こうが、)は、インドシナ半島北東部を流れる川。全長 1,200 キロメートル。かつてはソンコイ川(、「母なる川」)と呼ばれた。.
紀元前223年
紀元前223年は、ローマ暦の年である。当時は、「ガイウス・フラミニウス、プブリウス・フリウス・ピルスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元531年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前223年と表記されるのが一般的となった。.
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紀行番組
紀行番組(きこうばんぐみ)は、紀行、すなわち旅の体験・見聞・感想などを収めたテレビ番組のこと。.
烏江
烏江(うこう、Wu Jiang 、, )は、中華人民共和国の貴州省から重慶市へと流れる大きな川で、長江上流で南岸(右岸)から入る支流の中でも重要な川。雲貴高原を流れる、貴州省随一の大河でもある。長さ1,037km。古くは黔江(けんこう)、涪水(ふうすい)、延江。 南北二つの大きな支流が合わさって烏江になる。南の三岔河は、貴州省西端の畢節市威寧イ族回族ミャオ族自治県の烏蒙山東麓に発し、北の六沖河は同じく畢節市の赫章県に発する。慣習上、三岔河が本流とされる。 烏江 両川は合流して鴨池河となり、省都貴陽市の息烽県で烏江と名を変える。貴州省を東西に貫いた烏江は、銅仁市から重慶市に入り、湖北省恩施土家族苗族自治州からの支流を合せ、重慶市涪陵区で合流する。 主な支流は、芙蓉江、清水江、濯河、猫跳河、洪渡河など。流域には多数のダムが建設され、中国でも有数の水力発電地帯になっている。.
田
植え前の田 田植え後の田 夏の水田 スズメなどによる食害を防ぐため反射テープを張った田 秋の稲穂 刈田と稲木に架けた稲の天日干し 刈田完了後の田 鑑賞を前提に作られた田 イラン マーザンダラーン州の田 タイ王国 チェンマイ県の田 イタリア ロンバルディア州の田 田(た)は、穀物を栽培するために区画された農地をいう。田圃(たんぼ)、水田(すいでん)ともいう。.
牛欄江
牛欄江(ぎゅうらんこう、Niulan river、, )は、中華人民共和国の雲南省を流れる河川で、長江上流(金沙江)右岸の支流。『漢書』には堂琅江という名で書かれている。別名は牛洪江、牛欄河とも。 昆明市の北部、雲貴高原にある尋甸回族イ族自治県の爛泥篝を流れる果馬河を源流とする。本流は昆明市嵩明県の嘉麗澤に始まり、北東方向へ流れ、尋甸回族イ族自治県、曲靖市の沾益区、宣威市、会沢県、昭通市の巧家県、魯甸県を経て、昭通市昭陽区と四川省の境界付近で金沙江に合流している。 大きな支流には馬龍河、西澤河、硝廠河、菜園子河、沙壩河等がある。上流の嵩明県や尋甸回族イ族自治県では広い盆地を通り、昆明市との交通の便がよく農業も盛んで、川の水が灌漑などに使われるが、乾季の水量は少ない。中流では雲貴高原の山地に入り、600メートル近い落差を生かして多数のダムが作られ水力発電が行われている。下流は険しい峡谷地帯になり、交通も不便な谷間を通っている。 Category:雲南省の河川 Category:長江水系.
瀟湘八景
瀟湘八景(しょうしょう はっけい)とは、中国の山水画の伝統的な画題。またその8つの名所のこと。瀟湘は湖南省長沙一帯の地域。洞庭湖と流入する瀟水と湘江の合流するあたりを瀟湘といい、古より風光明媚な水郷地帯として知られる。北宋時代の高級官僚・宋迪はこの地に赴任したときにこの景色を山水図として画いた。後にこの画題が流行し、やがては日本にも及んだ。.
瀾滄江
滄江(らんそうこう)とは、メコン川上流での中国の呼び名で浪滄江ともいわれる。 青海省玉樹チベット族自治州雑多県扎曲江地毛長山拉賽貢瑪 (チベット高原)を水源とし、青海省、雲南省を経てモウ臘県を境にラオスとミャンマーで呼ばれるメコン川になる。瀾滄江流域は世界で最も稲作が盛んで流域の民族は上座部仏教、チベット仏教を信仰している。.
白帝城
白帝城の門。『白帝城』の扁額は郭沫若の揮毫である。 白帝城(はくていじょう)は、中国重慶市奉節県の長江三峡に位置する地名。かつて新末後漢初の群雄公孫述がこの地に築いた城が白帝城と呼ばれたことが由来である。永安宮ともいう。 三国時代、蜀(蜀漢)の建国者劉備が夷陵の戦いで呉に敗れ、逃れたのが白帝城であった。劉備は後事を諸葛亮に託し、この城で没した。『三国志演義』では、一度呉の将陸遜が夷陵追撃戦として白帝城を攻撃したが、あらかじめ諸葛亮が仕掛けておいた石兵八陣により敗走する。 後の唐の時代の詩人李白は『早発白帝城』(早に白帝城を発す)という詩を残している。 2006年に三峡ダムの開発により島となった。2006年に中華人民共和国の全国重点文物保護単位に指定された。 File:Bai Di Miao.jpg|白帝廟 File:Baidi Mao.jpg|毛沢東の揮毫よる李白に詩の銅匾 File:Li Bai Zhou Enlai.jpg|白帝城銅匾-周恩来に揮毫による《朝辞白帝彩云间》 File:Tuo gu tang.jpg|白帝城の劉備像。左は諸葛亮で右は趙雲.
銭塘江
銭塘江(せんとうこう、)は、中華人民共和国浙江省を流れる河川で、仙霞嶺山脈を源として杭州湾に注いでいる。別名に浙江、折江、曲江、之江、羅刹江がある。折江や曲江の名前は、流路が激しく蛇行していることに由来する。 河口では潮流の関係で河水が海から激しく逆流し、激浪になって川をさかのぼる海嘯(かいしょう)という特異な現象が発生することで古くから名高い。このため、春秋時代の越国の記録、范仲淹の作品や水滸伝での魯智深の円寂した場面など、多くの古典文学作品にも登場している。同様の現象はアマゾン川でも発生し、ポロロッカと呼ばれている。 隋の時代には大運河によって長江と結ばれた。南宋が都を臨安(今の杭州市)において以来、銭塘江流域は著しく発展する。現在の銭塘江河畔は、大都市の上海や寧波を擁し、中国沿海部でもっとも発展の進んだ地域となっている。.
隋
隋(呉音: ずい、漢音: すい、 、581年 - 618年)は、中国の王朝。魏晋南北朝時代の混乱を鎮め、西晋が滅んだ後分裂していた中国をおよそ300年ぶりに再統一した。しかし第2代煬帝の失政により滅亡し、その後は唐が中国を支配するようになる。都は大興城(現在の中華人民共和国西安市)。国姓は楊。当時の日本である倭国からは遣隋使が送られた。.
鎮江市
鎮江市(ちんこうし)は中華人民共和国江蘇省に位置する地級市。古くから商業都市として発達した国家歴史文化名城である。.
運河
運河(うんが)とは、船舶の移動のために人工的に造られた水路であり、河川・湖沼を利用しているものもある。鉄道同様経路中に、橋梁や隧道なども見られる。産業革命以前は船舶を騾馬などが牽引したため、経路に沿って曳舟道(トウパス、towpath、船曳道、牽引路)が設けられている。.
荊南
荊南(けいなん、907年 - 963年)は、中国の五代十国時代に現在の湖北省を支配した国。弱小ながら、交易の中継点として栄えた。南平(なんぺい)・北楚(ほくそ)とも。ただし、実際には中原の五代王朝の節度使の1人に過ぎず、独立した国家ではなかったとする異説がある(後述)。.
荊州
荊州(けいしゅう)は、中国の歴史的な州の一つ。現在の湖北省一帯に置かれた。.
華中
華中(かちゅう)とは、中国の揚子江と黄河に挟まれた地域。春秋戦国時代には楚の領地であり、三国時代は荊州である。北が華北、東が華東、南が華南、西は四川進出の入り口、古代からの戦略要衝であり、有名な赤壁の戦いもここで起された。 尚、第二次世界大戦頃まで日本国内では同地域を中支、中支那などの名称を用いていた。 亜熱帯大陸気候で、夏の気温と湿度が非常に高い。また地勢が低いため、毎年6、7月になると洪水災害が多発する。.
靖難の変
靖難の変の地図 靖難の変(せいなんのへん)は、明王朝初期の政変、内乱。1399年7月にはじまり、華北を舞台に1402年まで続く。「靖難」とは、「君難を靖んじる」という意味で、乱を起こした燕王朱棣(永楽帝)が挙兵する際に掲げた主張に基づく。.
青弋江
青弋江(せいよくこう、Qingyi、, )は、中華人民共和国安徽省南部を流れる川で、黄山山脈から北へ向かって流れ、蕪湖市中心部で長江に合流している。 青弋江は黟県に発し、上流では「美溪河」と呼ばれる。大河口を過ぎた後は「清溪河」と名が変わる。陳村ダムが形成する太平湖へと入り、太平湖を出た後で青弋江となり、蕪湖市域の西南で長江に合流する。 川の全長は309キロメートル、流域面積は7,195平方キロメートル。青弋江は祁門県、黄山区、黟県、歙県、旌徳県、石台県、涇県、青陽県、南陵県、宣城市、蕪湖市と、11の県と市を経て流れている。.
青衣江
青衣江(せいいこう、)は、中華人民共和国四川省を流れる川の一つで、大渡河の支流。長江水系に属する。古くは平羌江(へいこうきょう)、若水(じゃくすい)とも呼ばれた。邛崍山脈の巴朗山と夾金山の間の蜀西営に発し、四川盆地西端の雅安市を貫き、楽山市で北から大渡河に合流し、さらに同所で岷江に流入する。三川合流点には楽山大仏が建つ。 青衣江は航行不可能で水運には使えないが、ダムが作られ三つの水力発電所がある。李白はその詩で、「峨眉山、月半輪の秋 影は平羌江水に入りて流る」(峨眉山月半輪秋、影入平羌江水流)とよんでいる。.
青海省
青海省(せいかいしょう、中国語:青海省、拼音:Qīnghǎi Shěng、英語:Qinghai、チベット語: མཚོ་སྔོན་ཞིང་ཆེན།、 モンゴル語:)は、中華人民共和国の西部に位置する省のひとつ。省都は西寧市。1928年に青海省成立。省名は、省内に国内最大の湖沼である青海湖(チベット名ツォティショギャルモ、モンゴル名フフノール)があることにちなむ。.
褶曲
がけに現れた褶曲面、ベルギー 褶曲面の拡大写真、クレタ島 褶曲の形成 褶曲(しゅうきょく、)は、地層の側方から大きな力が掛かった際に、地層が曲がりくねるように変形する現象のこと。 褶曲は、野外の地質調査で見落とすもしくは判別できないと、地層累重の法則が適用できない場合がある。地震の力によって短時間で形成される場合もあるが、多くはプレートの移動などで長時間強い力を受け続けることで形成される。2方からの圧縮の力と、隆起や沈降の力などがかかって形成される。比較的固い岩盤の場合は、褶曲が形成される途中で破断して断層となることが多い。.
西蔵
西蔵(せいぞう/シーツァンXīzàng)は歴史的チベットのうち、アムドやカムを除く、西南部2分の1程度を占める部分に対する中国語による呼称として成立した、地域概念の用語。元代より康熙中期ごろまで用いられた烏斯蔵に代わり、康熙末年ごろより使用され始めた地域概念である。その後、中国以外の漢字圏でこの表記がとりいれられ、あるいは中国国外在住の中国語話者たちが発信するチベット関連の情報において、中国における概念・用法にあわせてチベットの一部として、もしくは中国における概念・用法とは別個に全チベットの総称として、使用されるようになった。本来の、および派生した概念・用法の主要なものは、以下のとおり。.
西陵峡
秭帰県付近 西陵峡(せいりょうきょう)は中華人民共和国湖北省の長江本流にある峡谷。瞿塘峡(くとうきょう)、巫峡(ふきょう)と並び、三峡を構成する。三峡の最下流に当たり、長さは66kmと三峡で最長。 西陵峡の名は西陵山から取られている。西は湖北省秭帰県の香溪口から、東は宜昌市の南津関までの範囲であり、急峻な沿岸には人家はほとんど見られず、航行に危険なほどの急流と両岸に並ぶ険しい奇岩の山々で知られた。瞿塘峡の「雄」、巫峡の「秀」に対し、西陵峡は「奇」とされている。西陵峡のなかでも著名な部分には、破水峡、兵書宝剣峡、米倉峡、鎮山峡、白狗峡、牛肝馬肺峡、黄牛峡、燈影峡などがある。特に北岸の兵書宝剣峡、牛肝馬肺峡や、南岸の燈影峡は有名。 巴東県で巫峡を出た長江は、東西に伸びる巫山山脈などの褶曲山脈から離れ、今度は湖北省西端で南北に走る山脈を迂回しながら次々に貫いて東西へ流れる。巴東県の官渡口からは香溪寛谷、西陵峡上段峡谷、廟南寛谷、西陵峡下段峡谷と4つの部分に分かれる。西の上段峡谷には兵書宝剣峡、牛肝馬肺峡谷、崆岭峡などが、下段峡谷では黄牛峡、燈影峡がある。 南津関を出ると、長江は宜昌市街に入り、以後は川幅も広く流れも緩やかになり、湖北省の沖積平野へと入ってゆく。 かつては航行の難所であり、急流の下にある暗礁にぶつかって沈んだ船も多く、沿岸には白骨塔という慰霊のための塔も作られている。しかし1988年に、宜昌市街のすぐ上流に葛洲壩ダムが完成した後、西陵峡の下流部分の流れは緩やかになり航行は容易になった。さらに、西陵峡の半ばの山中に開けた丘陵地帯・三斗坪に長江最大のダムである三峡ダムが建設され、周囲は大きく様相を変えている。三斗坪とは、一戸の家が三斗の米を元手に旅人に食事と宿を提供する店を開いていたとの言い伝えから来た地名だが、この地に幅2,309mのダムと発電所が完成している。船はこのダムを迂回するように築かれた閘門を通る。 Category:中国の谷 Category:湖北省の地形 Category:宜昌市 Category:長江 Category:三峡.
西晋
西晋(せいしん、)は、司馬炎によって建てられた中国の王朝(265年 - 316年)。成立期は中国北部と西南部を領する王朝であったが、呉を滅ぼして中国全土を統一し、後漢末期以降分裂していた中国を100年振りに統一した。国号は単に晋だが、建康に遷都した後の政権(東晋)に対して西晋と呼ばれる。.
襄陽市
襄陽市(シアンヤンし、じょうようし)は、中華人民共和国湖北省に位置する地級市。2010年12月、襄樊市から襄陽市に改名された。旧名・襄樊の名は、襄陽、樊城から得ている。漢水(漢江)の重要な内陸河川港。.
鮮水河
鮮水河(せんすいが、Xianshui、, )は、中華人民共和国四川省西部を流れる川の一つで、長江水系に属する雅礱江の支流。全長680キロメートル。 源流は二つあり、北西から流れる達曲という河と、北から流れる泥曲という河がカンゼ・チベット族自治州炉霍県(タンゴ)で合流した後、鮮水河という名に変わる。東南へ道孚県を流れ、雅江県の両河口で雅礱江と合流する。支流には、紐日河などがある。 流域は高山と峡谷が織り成すチベット高原の東部であり地震が頻発しており、中国語で「鮮水河地震帯」、あるいは「鮮水河断裂帯」と呼ばれる断層帯が走る。.
貴州省
貴州省(きしゅうしょう、中国語:贵州省、拼音:Gùizhōu Shěng、英語:Guizhou)は、中華人民共和国南西部の省。省都は貴陽市。略称の黔(けん)は黒を意味する。.
資江
資江(しこう、Zi River、、)、あるいは資水(しすい)は、中華人民共和国を流れる大きな川で、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流。湖南省の四大河川(湘江、沅江、資江、澧水)の一つである。.
越
越(えつ、紀元前600年頃 - 紀元前334年)は、春秋時代に中国浙江省の辺りにあった国。首都は会稽(現在の浙江省紹興市)。後に漢民族形成の中核となった黄河流域の都市国家群の周辺民族とは別の、南方の長江流域の百越に属する民族を主体に建設されたと言われる。越は楚、呉など長江文明を築いた流れを汲むと考えられており、稲作や銅の生成で栄えた。 『史記』をはじめとする諸書では、夏の少康の庶子を越に封じたことを越の君主の起源とする伝説を述べている。.
麗江市
麗江の街並み。街の中には水路が数多く走っている。右の女性の着ている青い服装はナシ族の民族衣装。麗江では普通に見かけることができる。 麗江の家並み。瓦や煉瓦はこの地方の土の性質で燻銀色になる。 商店の看板にもトンパ文字が見られる。 ナシ族の踊りとそれを見る観光客(2004年)。 麗江市(れいこうし)は中華人民共和国雲南省西北部に位置する地級市。 麗江古城はかつて少数民族のナシ族の王都であり、現在でもナシ族の人々が多く居住している。またナシ族のほかにリス族、プミ族、ペー族、イ族が居住し、漢族より少数民族人口の多い地域となっている。1996年の大地震で大きな被害を受けたが、翌年の古城区の麗江古城の旧市街の世界遺産への登録などを契機に復興が進められた。4年ほどで地震被害はほぼ修復されたうえ、古すぎた建物も修復された。その後の人気化とともに以前は旧市街ではなく、近代的な建物があった場所まで旧市街と同様の建物が建てられ、「旧市街」の範囲が広がりつつある。.
黄巣
巣軍の進路 黄巣(こう そう)は、唐末の反乱指導者。874年から10年間、全土を転戦しながら反乱を指揮した。 この一連の大乱を黄巣の名をとって黄巣の乱と呼ぶ。黄巣の乱により全国王朝としての唐は実質的に滅び、以後は各地に割拠する軍閥の中で長安一帯をかろうじて治める一地方政権に転落する。.
黄河
河流域 黄河(こうが、、ファンフー)とは、中国の北部を流れ、渤海へと注ぐ川。全長約5,464kmで、中国では長江(揚子江)に次いで2番目に長く、アジアでは長江とエニセイ川に次いで3位、世界では6番目の長さである。なお、河という漢字は本来固有名詞であり、中国で「河」と書いたときは黄河を指す。これに対し、「江」と書いたときは長江を指す。現在の中国文明の直接の母体である黄河文明を育んだ川であり、中国史上において長江と並び巨大な存在感を持つ河川である。.
黄河文明
河文明(こうがぶんめい)は黄河の中・下流域で栄えた古代の中国文明のひとつである。黄河の氾濫原で農業を開始し、やがて黄河の治水や灌漑を通じて政治権力の強化や都市の発達などを成し遂げていった。東アジアの歴史の教科書には「世界四大文明」のうちのひとつとして挙げられていることが多いが、現在は長江文明や遼河文明などさまざまな文明が中国各地で発見されているため、四大文明に黄河文明のみを取り上げる手法はもはや古くなっている(最近の教科書では、「黄河・長江流域の文明」のようにややぼかした表現になっている)。 新石器時代の仰韶(ヤンシャオ)文化から竜山(ロンシャン)文化をへて、殷・周の青銅器文化に発展していった。.
黄浦江
浦江(こうほこう、Huangpu River、、、)は中華人民共和国の上海市内を流れる、長さ97kmの川である。上海市街地の下流の呉淞口で長江に合流し、長江が東シナ海に入る前の最後の大きな支流である。川幅は平均400mほどで深さは平均9m。年中凍ることはない。 黄浦江は太湖から流れた川が注ぎ込むに源を発する。 太湖からは蘇州河(呉淞江)も発しており、黄浦江はもと蘇州河の分流のひとつとみなされていたが、黄浦江が大きくなった結果、蘇州河のほうが黄浦江の支流となっている。 黄浦江の主要な支流には、蘇州河(呉淞江)のほか、薀藻浜、川楊河、淀浦河、大治河、斜塘、園泄涇、大泖港などがある。.
辛亥革命
辛亥革命(しんがいかくめい)は、1911年(宣統3年)から1912年(民国元年)にかけて、清(中国)で発生した共和革命である。名称は、革命が勃発した1911年の干支である辛亥に因む。 この結果、アジアにおいて史上初の共和制国家である中華民国が誕生した。.
范仲淹
'''范仲淹''' 范 仲淹(はん ちゅうえん、989年(端拱2年) - 1052年(皇祐4年))は、中国・北宋の政治家、文人。字は希文、諡は文正。.
船
''アメリゴ・ヴェスプッチ'' 船(ふね、舟、舩)とは、人や物をのせて水上を渡航(移動)する目的で作られた乗り物の総称である広辞苑 第五版 p.2354「ふね【船・舟・槽】」。 基本的には海、湖、川などの水上を移動する乗り物を指しているが、広い意味では水中を移動する潜水艇や潜水艦も含まれる。動力は人力・帆・原動機などにより得る。 大和言葉、つまりひらがなやカタカナの「ふね」「フネ」は広範囲のものを指しており、規模や用途の違いに応じて「船・舟・槽・艦」などの漢字が使い分けられている。よりかしこまった総称では船舶(せんぱく)あるいは船艇(せんてい)などとも呼ばれる(→#呼称参照)。 水上を移動するための乗り物には、ホバークラフトのようにエアクッションや表面効果を利用した船に近いものも存在する。また、水上機や飛行艇のように飛行機の機能と船の機能を組み合わせた乗り物も存在し、水上機のフロートや飛行艇の艇体は「浮舟」(うきぶね)と表現される。 なお、宇宙船や飛行船などの水上以外を航行する比較的大型の乗り物も「ふね」「船」「シップ」などと呼ばれる。これらについては宇宙船、飛行船などの各記事を参照のこと。また舟に形状が似ているもの、例えば刺身を盛る浅めの容器、セメントを混ぜるための容器(プラ舟)等々も、その形状から「舟」と呼ばれる。これらについても容器など、各記事を参照のこと。.
蘇州市
蘇州市(そしゅうし、、、)は、中華人民共和国江蘇省東南部に位置する地級市。 古くから絹織物で発展した国家歴史文化名城であり、上海市に隣接する地の利があり、現在も省の経済的中心である。 蘇州で話されている蘇州語(蘇州方言/蘇州話)は、北部呉語を代表する方言と考えられていたが、現在は上海語にその座を譲っている。蘇州方言と上海方言とでは、異なる語彙や発音があるが、しばらく会話すれば意志の疎通に大きな支障はなくなる。但し、学校での普通話(標準語/共通語)一辺倒による教育により、上海語の事例同様、若者は蘇州語を話せなくなってきている。その問題に対し、学校・教育側は方言の授業を設ける等を検討している。また、上海に比べ方言(蘇州語)によるTV番組が多く見られる。.
蘇通長江公路大橋
蘇通長江公路大橋(そつうちょうこうこうろおおはし、)は、中華人民共和国江蘇省常熟市と南通市を結ぶ、世界第2位(建設中の橋を除く)の主径間長を誇る斜張橋である。.
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赤壁
赤壁(せきへき).
赤壁の戦い
赤壁の戦い要図 赤壁の戦い(せきへきのたたかい、簡体字:赤壁之战、繁体字:赤壁之戰)は、中国後漢末期の208年、長江の赤壁(現在の湖北省咸寧市赤壁市)において起こった曹操軍と孫権・劉備連合軍の間の戦いである。.
赤水河
赤水河(せきすいが、)は、中華人民共和国を流れる川の一つで、長江の右岸の支流。雲南省の北東端、昭通市鎮雄県安家壩の源流から東に向かい、貴州省と四川省を経て、四川省瀘州市合江県で長江に流入する。全長は436.5km、流域面積は20,440平方km。上流では魚洞、畢数河とも呼ばれる。主要な支流には、二道河、桐梓河、古藺河、大同河、習水河、風溪河がある。 赤水河という名は、夏になると泥で赤茶色に濁ることから付けられている。支流・風溪河の上流には十丈洞瀑布という幅の広い滝があるのをはじめ、多くの滝がある。また沿岸は深い森や竹林、崖や急流が多く、優れた景観を誇る。 赤水河の流域、例えば貴州省遵義市に属する仁懐市や赤水市などは酒造りの郷として知られ、茅台酒、習酒、郎酒などの名酒の産地である。 長征の際には、国民党軍に追われる紅軍は貴州省に至り、四川北東部で紅四方面軍と合流すべく赤水河を渡ったが四川軍閥にぶつかって再度赤水河を渡り貴州の遵義市に戻った。次に長江上流の金沙江を渡ろうとして赤水河を超えて四川に入ったがまた引き返す羽目になった。1935年1月から3月にかけて四川進入に失敗し赤水河を4度も渡ったこの転戦を四渡赤水と呼ぶ。紅軍は最終的に雲南省を経て四川省の西を大回りしたが、四渡赤水は無目的な流浪状態から「農村から都市を包囲する」目的のための転戦へと移る転換点とされている。.
葛洲ダム
葛洲ダム(ガージョウ・ダム、葛洲坝、Gezhou Dam))は葛洲ダム水利センター(葛洲坝水利枢纽、Gezhou Dam Water Control Center)とも呼ばれ、中国湖北省宜昌市にあるダムである。 長江に黄柏河が流れ込むところにあり、ここは三峡の最下流の西陵峡の下流にあり、長江で初めての大規模な水利コントロール事業として1988年に完成した。 なお「坝」(旧漢字:壩)は「ダム」の意味。.
重慶市
重慶市(じゅうけいし / チョンチンし、、、)は、中華人民共和国の直轄市で、同国である。 重慶市の人口は3022万人(2017年)。2017年の都市圏人口は1962.66万人である。 略称の「渝」は重慶市内にある嘉陵江の古称、渝水からきている。2017年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス・人材・文化・政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第115位の都市と評価されている。.
蕪湖市
蕪湖市(ぶこ-し)は中華人民共和国安徽省に位置する地級市。1952年8月27日に市が設立された。 この地で長江と青弋江が合流する。.
長江三峡下り
長江三峡下り(ちょうこうさんきょうくだり)は、「三峡」が他にもあるが単に「三峡下り」ともいい、長江の中流、特に長江三峡を船で下ることである。.
長江デルタ
300px 長江デルタ(ちょうこう-)とは中国の上海市と江蘇省南部・浙江省北部を含む、長江河口の三角洲を中心とした地域。.
長江文明
長江文明(ちょうこうぶんめい)とは中国長江流域で起こった複数の古代文明の総称。黄河文明と共に中国文明の代表とされる。文明の時期として紀元前14000年ごろから紀元前1000年頃までが範囲に入る。後の楚・呉・越などの祖になっていると考えられる。.
鋼
鋼(はがね、こう、釼は異体字、steel)とは、炭素を0.04~2パーセント程度含む鉄の合金。鋼鉄(こうてつ)とも呼ばれる。強靭で加工性に優れ、ニッケル・クロムなどを加えた特殊鋼や鋳鋼等とあわせて鉄鋼(てっこう)とも呼ばれ、産業上重要な位置を占める。.
雲南省
雲南省(うんなんしょう、中国語:云南省、拼音:Yúnnán Shěng、英語:Yunnan)は、中華人民共和国西南部に位置する省。略称は滇(てん)。省都は昆明市。省名は雲嶺(四川省との境の山地)の南にあることに由来する。.
雅安市
雅安市(があん-し)は中華人民共和国四川省西部に位置する地級市。 長江の上流地帯に位置し、四川盆地の西縁に位置する。東は成都市と眉山市、楽山市、西はカンゼ・チベット族自治州、北はアバ・チベット族チャン族自治州、南は涼山イ族自治州と接する。「川西咽喉」(四川西部ののど)、「西蔵門戸」(チベットの玄関)、「民族走廊」(少数民族の回廊)などの異名を持つ。.
雅ロウ江
雅礱江(がろうこう)、またはニャクチュ(ཉག་ཆུ་)は、中華人民共和国を流れる川の一つで、ディチュ河(金沙江、長江上流部)の左岸の支流。長江の支流の中でも最長のものの一つである。 雅礱江は、青海省玉樹チベット族自治州南部のバヤン・ハル山脈(巴顔喀拉山)の南麓に発し、四川省に入りカンゼ・チベット族自治州の沙魯里山脈と大雪山脈の間を南へ流れる。沙魯里山脈の西には金沙江が、大雪山脈の東には大渡河が並行して流れている。 カンゼ自治州のカンゼ(甘孜)、ニャロン(新龍)、ニャクチュ(雅江)などを通過し、涼山イ族自治州に入る。州都・西昌市の西で一旦北に曲がり再度南に曲がって大雪山脈を超え、攀枝花市の裸果で金沙江に合流する。 本流の全長は1,637km、うち四川省内の全長は1,375km。流域は四川省、青海省、雲南省の3省29県市にまたがり、その面積は128,444平方kmにおよぶ。 源流から合流点までの標高差は4,420mで、合流点での平均流量は1,914m3/s。川の水量が豊かで落差が大きいため、雅礱江流域には大型ダムが連続し、中国の水力発電の中心地のひとつとなっている。攀枝花市の金沙江との合流点から30kmほど上流には、発電容量3,300MW、年平均発電量170億Kwhの水力発電所・「二灘水電站」がある。さらに上流には、3,600MWの錦屏一級水電站、4,400MWの錦屏二級水電站、1,800MWの官地水電站、450MWの桐子林水電站などが計画され建設途上にある。また南水北調プロジェクトの一環として、雅礱江上流にダムを建設し、北の青海省の黄河上流に水を引く計画もある。 流域にはチベット族、羌族、漢族など多数の民族が住む。.
虎跳峡
虎跳峡の中にある虎跳石 上空から見た虎跳峡 虎跳峡の山腹にある道 虎跳峡(こちょうきょう、、、Tiger Leaping Gorge)は中華人民共和国雲南省の金沙江(長江上流の名称)の本流にある非常に深い峡谷で、同省麗江市およびデチェン・チベット族自治州に属する。世界遺産に登録されている三江併流の哈巴雪山地域に含まれている。.
陳 (南朝)
陳(ちん、557年 - 589年)は、中国の南北朝時代に江南に存在した国。南朝の最後の王朝。.
陳友諒
陳 友諒(ちん ゆうりょう)は、元末の群雄の一人。兄に陳友富、陳友直、弟に陳友仁、陳友貴ら。子に陳善、陳理ら。.
柴栄
柴 栄(さい えい)は、五代後周の第2代皇帝。廟号は世宗。五代で随一の名君とされる。.
柑橘類
柑橘類(かんきつるい)は、ミカン科ミカン亜科ミカン連(カンキツ連)の、ミカン属など数属の総称である。漢籍由来の言葉ではなく日本での造語で、ミカン(蜜柑)やタチバナ(橘)に代表される。.
揚州市
揚州市(ようしゅうし)は、中華人民共和国江蘇省に位置する地級市。本来「楊州」と書かれ、漢代に置かれた13州の一つであった。それが唐代に表記を「揚州」と改められた。.
李白
李 白(り はく、、、701年(長安元年) - 762年10月22日(宝応元年9月30日))は、中国の盛唐の時代の詩人である。字は太白(たいはく)。号は青蓮居士。唐代のみならず中国詩歌史上において、同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。奔放で変幻自在な詩風から、後世『詩仙』と称される。.
東シナ海
東シナ海(ひがしシナかい、東支那海、東中国海、East China Sea)は、太平洋西部の海。南西諸島とユーラシア大陸に挟まれている。.
東海テレビ放送
東海テレビ放送東京支社が入居する日比谷中日ビル 東海テレビ放送株式会社(とうかいテレビほうそう、Tokai Television Broadcasting Co., Ltd.)は、中京広域圏を放送対象地域とするテレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者である。 略称は東海テレビ。FNN、FNSに加盟するフジテレビ系列局。 名古屋親局のコールサインはJOFX-DTV。物理チャンネルの21chはフジテレビと同じだがリモコンキーIDはフジテレビ系列で唯一の「1」。.
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東方之星沈没事故
東方之星沈没事故(とうほうのほしちんぼつじこ)は、2015年6月1日に中国湖北省荊州市監利県の長江水域で発生した転覆・沈没事故である。2015年6月3日9時30分時点で14名が救出されるが2015年6月7日現在、431名が死亡・11名が行方不明となる事態となった。.
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東晋
前涼・前秦・前燕と東晋。 東晋(とうしん、)は、中国の西晋王朝が劉淵の漢(前趙)より滅ぼされた後に、西晋の皇族であった司馬睿によって江南に建てられた王朝である(317年 - 420年)。西晋に対し史書では東晋と呼んで区別する。.
杜甫
成都杜甫草堂 杜甫 杜甫の像 杜 甫(と ほ、、712年(先天元年) - 770年(大暦5年))は、中国盛唐の詩人。字は子美。号は少陵野老、別号は杜陵野老、または杜陵布衣。「杜少陵」「杜工部」とも呼ばれる。律詩の表現を大成させた。幼少の頃から詩文の才能があり、李白と並ぶ中国文学史上最高の詩人として、李白の「詩仙」に対して、「詩聖」と呼ばれている。また晩唐期の詩人・杜牧の「小杜」に対し「老杜」と呼ばれることもある。.
梁 (南朝)
梁(りょう、502年 - 557年)は、中国の南北朝時代に江南に存在した王朝。蕭梁とも呼ばれる。.
楚 (十国)
楚(そ、907年 - 951年)は中国五代十国時代に湖南省・広西チワン族自治区を支配した国。茶の交易で栄えた。.
楚 (春秋)
楚(そ - 紀元前223年)は、中国に周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在した王国。現在の湖北省、湖南省を中心とした広い地域を領土とした。首都は郢と称したが、名前が同じだけで場所は何度か変わっている。.
楚瑪爾河
楚瑪爾河(そまじが、Chumaer river、, )、もしくはチュマル河は、中国を流れる長江の上流。長江の源流には三つの川があるが、一番の源流がタンラ山脈(唐古拉山脈)に発する沱沱河(トト河)、南の源流がタンラ山脈東部に発する当曲(ダムチュー)、そして北の源流がこのチュマル河とされている。チベット高原の北東部、青海省内を通っている。 チュマル河とはチベット語で「赤い水の河」を意味する。別名は曲麻莱河()、または曲瑪河とも。 チュマル河はチベット高原の北東部に横たわるフフシル山地(可可西里山またはその音写からココシリとも)の東部、黒脊山の南麓(海抜5,432メートル)に発する。東へ向けて流れ、途中で崑崙山脈南麓の氷河の水や雪解け水や地下水を大量に集める。フフシル南部で、青海省とチベットを結ぶ道路である青蔵公路と、青蔵鉄道がこの河を長大橋で渡る(青蔵鉄道の橋は長さ2,565メートル)。その後南へ折れ、曲麻莱県の西部にある楚拉地区で通天河(長江上流の名)に合流する。楚拉地区は、沱沱河と当曲が合流して通天河になる地点から200キロメートルほど下流に当たる。.
横断山脈
横断山脈(おうだんさんみゃく)は中華人民共和国南西部の山脈。チベット高原(青蔵高原)の南東に位置し、四川省西部、雲南省西部、チベット自治区東部の交わるあたりを南北方向に走っている山脈の総称である。 東には邛崍(キョウライ)山脈が、西には伯舒拉嶺(ボシュラ山脈)が走り、北はチャムド(昌都)・カンゼ(甘孜)・バルカム(馬爾康)を結ぶ線に達し、南は中国とミャンマーの国境地帯にあたる。面積は60万平方キロメートル以上。中国にある南北方向の山脈のうち、最も長く、最も幅広い山脈である。.
橋
橋(はし)、橋梁(きょうりょう)とは、地面または水面よりも高い場所に設けられた道である。.
武夷山
武夷山(ぶいさん)は中国・福建省にある黄崗山(2,158m)を中心とする山系の総称。山水の名勝として有名で、黄山、桂林と並び中国人が人生一度は訪れたいとされる場所の一つとされる。1999年以降ユネスコの世界遺産(複合遺産)に登録。年間350万人の観光客が訪れている。.
武漢市
武漢市(ぶかんし/ウーハンし、中国語:武汉市、武漢語:/u˦˨xan˧˥si˧˥/、、英語:Wuhan City)は、中華人民共和国の中部、湖北省の東部、長江とその最大の支流漢江の合流点に位置する都市である。中国中部地方及び長江中流域唯一のメガシティで、湖北省の省都および華中地方唯一の副省級市でもある。また、中国有数の工業都市、文教都市及び交通要衝でもある。市の総面積は8569.15㎞2であり、人口は1089.29万人である。市政府の所在地は江岸区沿江大道188号。.
武漢長江大橋
武漢長江大橋(ぶかんちょうこうおおはし、)は、中華人民共和国湖北省武漢市の漢陽区と武昌区を結ぶ、長江に架かる鉄道道路併用橋。全長1670m、道路部の幅22.5mの2層桁橋である。 新中国成立後、ソビエト連邦の技術協力により長江にはじめて架けられたのがこの武漢長江大橋である。その後、1959年に重慶のが架けられた。3番めに造られた南京長江大橋(1968年竣工)は、中国独自の技術で架橋されたはじめてのである。.
武昌区
武昌区(ぶしょう-く)は中華人民共和国湖北省武漢市に位置する市轄区。 現地の習慣では武漢市の長江以南(右岸)の武昌区、青山区、洪山区、東湖新技術開発区(中国光谷)の4つの行政区画を武昌と総称している。 武漢市の市政府は長江対岸の漢口地区の江岸区にあるが、武昌区には中華人民共和国の湖北省委員会、湖北省政府、湖北省人民代表大会と湖北省政治協商会議などの省レベルの国家機関が駐在しており、湖北省の政治の中心になっている。.
武昌起義
武昌市街図・各隊の進攻 武昌起義(ぶしょうきぎ)または武昌蜂起(ぶしょうほうき)は、1911年10月10日に清(中国)の武昌で起きた兵士たちの反乱。辛亥革命の幕開けとなる事件である。.
毛沢東
毛 沢東(もう たくとう、マオ・ツォートン、1893年12月26日 - 1976年9月9日)は、中華人民共和国の政治家、軍事戦略家、思想家。字は詠芝、潤芝、潤之。筆名は子任。 中国共産党の創立党員の1人で、長征、日中戦争を経て党内の指導権を獲得し、1945年より中国共産党中央委員会主席と中央軍事委員会主席を務めた。 日中戦争後の国共内戦では蒋介石率いる中華民国を台湾に追放し、中国大陸に中華人民共和国を建国した。以後、死去するまで同国の最高指導者の地位にあった。.
水陽江
水陽江(すいようこう、Shuiyang river、, )は、中華人民共和国の安徽省と江蘇省を流れる河川で、長江下流(揚子江)右岸(南岸)の主要な支流の一つ。東は江蘇省の太湖水系、および南京市を流れる秦淮河水系に接している。 安徽省と浙江省北西部の境界にある天目山を源流とする。安徽省の績渓県、旌徳県、寧国市、宣城市、広徳県、郎渓県、蕪湖県、当塗県、および江蘇省高淳県、溧水県の10県市を流れている。 上流では西津河と称し、下流で東西に分流している。西の分流は青弋江と交わりながら長江に合流し、東の分流は当塗県の太平口で長江に注ぐ。水陽江の幹流の全長は254キロメートル、流域面積は10,305平方キロメートル。 主な支流には、西津河、中津河、東津河、郎川河、無量河、夏渡河、華陽河などがある。 Category:中国の河川 Category:長江水系 Category:安徽省の地形 Category:江蘇省の河川.
氷河
氷河(ひょうが、)は、山地では重力、平坦な大陸では氷の重さによる圧力によって塑性流動する、巨大な氷の塊である。.
永楽帝
永楽帝(えいらくてい)は、明の第3代皇帝。姓は朱(しゅ)。諱は棣(てい)。廟号は太宗(たいそう)であったが、嘉靖帝の時に成祖と改称された。諡号は体天弘道高明広運聖武神功純仁至孝文皇帝、嘉靖帝の時に啓天弘道高明肇運聖武神功純仁至孝文皇帝と改称された。一般的に日本ではその在位中の元号から永楽帝と称される。.
江南
江南(日本語:こうなん、中国語:チャンナン、朝鮮語:カンナム).
江安県
江安県(こうあん-けん)は中華人民共和国四川省宜賓市に位置する県。.
江西省
江西省(こうせいしょう、江西省、、Jiangxi)は、中華人民共和国中部、長江南岸に位置する内陸部の省。省都は南昌市。.
江蘇省
江蘇省(こうそしょう、、、)は、中国東部にある行政区。長江の河口域であり、北部は淮河が流れ黄海に面する。名称は江寧(現南京市)の江、蘇州の蘇による。省都は南京市(中華民国政府が公表している省都は鎮江市)。略称は蘇。.
江陵市
江陵市(カンヌンし)は大韓民国江原道東部の市。.
汨羅江
汨羅江(べきらこう、、)中華人民共和国を流れる川の一つで、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流。湖南省の北東部を流れる。周代の諸侯国の一つ、羅国の遺民が住んだことからこの名がある。長さは250km。 汨羅江は江西省修水県黄龍山の梨樹堝に発する汨水(べきすい)が源流である。修水県の白石橋を経て、龍門で湖南省平江県に入る。西へ流れて平江県の中心市街地を流れ、汨羅市で羅水と合流して汨羅江となり、北西へ向きを変え磊石郷へ流れ、汨羅江口で洞庭湖に注ぐ。 汨羅江には南北二つの大きな支流があるが、南の支流・汨水が主流となっている。北の支流は羅水と呼ばれ、汨羅市の屈譚(大丘湾)で合流している。汨水からの本流の長さは253km、洞庭湖の東側では最大の河川である。.
沱江
沱江(だこう、)は、中華人民共和国四川省東部を流れる大きな川で、長江左岸の支流。龍門山脈の最高峰・茶坪山(九頂山、標高4,984m)の南麓に発する3本の河川が成都市付近で合流し、四川盆地を南北に流れる。 沱江は、古くは「江沱」と称され、外江、中江などの呼び名もある。 源流となる川は3つある。東の綿遠河(180km)は、アバ・チベット族チャン族自治州茂県の米茶坪山に発し、南へ流れ綿竹市で四川盆地に出、西南に向きを変えて徳陽市、広漢市を流れる。真ん中の石亭江(141km)は、什邡市と茂県の境の九頂山南麓に発し、什邡市と綿竹市の境界を南に流れ、広漢市を過ぎ、成都市金堂県で綿遠河と合流する。西の湔江(131km)は彭州市北部の茶坪山南麓に発する。これらのうち、東側の綿遠河が沱江の起点とみなされる。3つの川は金堂県の趙家渡で合流し沱江となる。このほか、西に隣接して流れる大河・岷江から分流した柏條河と青白江が金堂県で合流する。 金堂県で合流した後の本流は簡陽市、資陽市、資中県、内江市、富順県を経て、瀘州市で長江に注ぐ。途中の大きな支流には、左岸の瀬渓河、大清流河、陽化河、右岸の威遠河、球渓河がある。 金堂県の趙家渡より北が上流にあたる。うち綿竹市より北は険しい山岳部を通る川で、南は河谷も平坦になる。趙家渡より資中県までが中流で、盆地の中の丘陵地帯を穿つような狭い河谷を走る。資中県以南は下流で川は深くなり蛇行し、幅も300mから500mと広くなる。 沱江流域は四川省でも人口の密集した工業地帯である。沿岸の森林被覆率は低く、土壌流失が大きな問題となっている。また2004年2月には流域の工場で大規模な事故や廃棄物不法投棄が起こり、川が著しく汚染される事件も起こった(沱江特大水汚染事件)。.
沱沱河
沱沱河(だだが、Tuotuo、, )、もしくはトト河は、中国を流れる長江の源流とされている川。チベット高原の北東部、青海省内を通っている。モンゴル語でウラン・ムレン河(Ulaan Mörön、赤い川)ともいう。 タンラ山脈(唐古拉山脈)の主峰、(格拉丹冬山、6,621メートル)の西南側にあるチャンゲンデイル氷河(姜根迪如氷河)を水源とする。水源地の海抜は5,500メートルに達する。付近には海抜6,000メートルを超える高山が二十余座あり、5,800メートル以上は万年雪になっている。.
河口
利根川河口 河口(かこう、estuary、river mouth)とは、河川が海や湖など他の水域へ注ぎ込む部分、繋がる地点のこと。.
河川争奪
河川争奪(かせんそうだつ)は、河川の流域のある一部分を別の河川が奪う(自らの流域に組み入れる)地理的現象のこと。特に珍しい現象ではなく、世界各地にその痕跡地形(河川争奪地形)が見られる。.
沼地
ドイツのエルベ湿地 沼地(ぬまち、)とは、一般的に泥の深い湿地を指している。ただし、英語での「沼」を意味する、bog(ボグ)、moor(ムーア)、fen(フェン)、peat bog 等のような明確な区分けはない。.
洞庭湖
洞庭湖 洞庭湖(どうていこ、 ドンティンフー)は、中華人民共和国湖南省北東部にある淡水湖。中国の淡水湖としては鄱陽湖に次いで2番目に大きい。全体的に浅く、長江と連なっていて、その大量の水の受け皿となっており、季節ごとにその大きさが変わる。湖北省と湖南省はこの湖の北と南にあることからその名が付いた。.
洪秀全
洪 秀全(こう しゅうぜん、)は清代の宗教家・革命家。キリスト教を基にした宗教教団、拝上帝会を興し天王を自称、南京を首都として清に反旗を翻し、国号を太平天国とした(太平天国の乱)。.
渠江
渠江(きょこう、Qu Jiang、)は、中華人民共和国の四川省東部を流れる大きな川で、嘉陵江の支流。渠河ともいう。 東の州河、および北の巴河の二つの川が、渠江の源流となる。州河は四川省・重慶市・陝西省の境界の大巴山脈の西南麓に発し西南へ流れる。巴河は四川省・陝西省の境界にある米倉山の南麓に発して南へ流れる。四川省の東の端から来たこれら二つの川が達州市渠県の三匯鎮で合流して渠江となる。 渠江は渠県、広安市、岳池県、隣水県を流れ、重慶市合川区にある釣魚山の下の雲門鎮・姚家溝村付近で嘉陵江に合流する。全長は720km、流域面積は39,200平方km。 Category:四川省の河川 Category:長江水系.
渡し船
渡し船(わたしぶね)とは、港湾・河川・湖沼などで両岸を往復して客や荷物を運ぶ船及び航路のことである。渡船(とせん)とも言う。また、渡し船に乗り降りするところを渡し場(わたしば)、渡船場(とせんじょう、とせんば)などという。 広義の「渡し船」には、離島との航路などや、釣り客を沖の独立した防波堤や岩礁へ運ぶ渡船業、リゾート企業などが顧客専用として運用するものも含まれる。本稿では狭義の渡し船として、「比較的狭い距離の対岸同士を渡し、庶民の日常の交通手段や観光に利用され、公共性の高いもの」について述べる。大型かつ航路の長いものはフェリーを、単純な対岸往復でなく、河川や運河の流れに沿って複数の船着場を行き来する船は水上バスを参照のこと。なお、フェリーと渡し船を呼び分ける文化は日本以外にはあまり存在しないため、各国語版へのリンクはフェリーのほうを主に参照されたい。.
温帯夏雨気候
温帯夏雨気候(おんたいかうきこう)とはケッペンの気候区分における気候区のひとつで温帯に属する。温暖冬季少雨気候(おんだんとうきしょううきこう)ともいう。記号はCwa,Cwb,CwcでCは温帯、wは冬季乾燥(wintertrocken)を示す。 アリソフの気候区分では気候帯4-4.亜熱帯東岸気候に相当する。.
温暖湿潤気候
温暖湿潤気候(おんだんしつじゅんきこう、Humid subtropical climate)とはケッペンの気候区分における気候区のひとつで温帯に属する。温帯湿潤気候と呼ぶこともある。記号はCfaでCは温帯、fは湿潤(feucht)、aは(温帯の中で)夏の気温が高いことを示す。.
清
清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.
清江
清江(せいこう、Qing river、)は、中華人民共和国の湖北省南西部を流れる河川で、長江中流右岸の支流。古くは夷水、また圤水とも称した。 湖北省利川市と重慶市の境にある斉岳山の東麓に源を発した龍洞溝を源流とする。利川市、恩施市、建始県、長陽トゥチャ族自治県を経て、長江南岸に位置する宜都市(旧称・枝城市)の中心部で南から長江へと合流している。長さは423キロメートルで、その長さから「八百里清江」という別名がある。流域面積は16,700平方キロメートル。 流域には三つの大きなダムがあり、水力発電と治水に供されている。1994年、長陽トゥチャ族自治県で隔河岩ダムと発電所の工事が始まった。ダムの下流1キロの地点には、工事のためにアジア最長とされる鉄索橋(鉄の吊り橋)が作られた。長さは303メートルで車も通行できたが、工事後に撤去された。その代わりに清江大橋が架けられている。.
湘江
湘江(しょうこう、Xiang River、)、あるいは湘水(しょうすい)は、中華人民共和国を流れる大きな川の一つで、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流。湖南省最大の川であり、湖南省の別名・「湘」(しょう)はこの川に由来する。長さは856km。.
湖南省
湖南省(こなんしょう、中国語:湖南省、拼音:Húnán Shěng、湘語(雙峰語):/ɣəu13 læ̃ 13/、英語:Hunan)は、中華人民共和国の省の一つ。省都は長沙市。略称は湘。.
湖口県
湖口県(ここう-けん)は中華人民共和国江西省九江市に位置する県。鄱陽湖の出口にあたることからこの名がついた。.
湖北省
湖北省(こほくしょう、フーペイしょう、中国語:湖北省、拼音:Húběi Shěng、英語:Hubei Province)は、中華人民共和国中部地方にある第一級行政区画である。揚子江中流域に位置し、洞庭湖以北にあるため、「湖北」と言う名称がつけられた。略称は鄂、楚、荊で、荊楚とも呼ばれる。省都は武漢市である。.
溪洛渡ダム
溪洛渡ダム(けいらくとダム、Xiluodu Dam 、, )とは、中華人民共和国の長江上流の金沙江での水力発電プロジェクトにより作られているダムである。 中国政府は、2005年前半に環境影響調査の不足のため工事を休止したと発表した。ダムが完成すると、溪洛渡ダムは、世界で3番目に大きいダムとなる見込みであり、プロジェクトの主要な部分を構成する。総発電力は1万2600 MWとなる。.
漢口
漢口(かんこう/ハンコウ、簡体字:汉口、繁体字:漢口、、武漢語:/xan˧˥kʰəu˦˨/、英語:Hankou/Hankow)とは、漢水の北岸、長江の西岸に位置し、長江と支流の漢水が合流する所を指す地理名称である。.
漢陽区
漢陽区(かんようく)は中国湖北省武漢市に位置する市轄区。 現地の習慣では武漢市の長江以北(左岸)・漢江以南(右岸)の漢陽区、武漢経済技術開発区(沌口)の2つの行政区画を漢陽と総称している。.
漢江
漢江(ハンガン・かんこう)は朝鮮半島、大韓民国(韓国)統治圏の北部を流れる河川。全長494km、流域面積35,770km2。洛東江に続いて韓国2位の長さであるが、流域面積は洛東江より広く、韓国1位である。.
漢江 (中国)
漢江(かんこう)または漢水(かんすい)は、長江の最大の支流である。延長は1,532km、流域の面積は17.43万km2。.
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朱元璋
朱 元璋(しゅ げんしょう)は、明の始祖であり、初代皇帝である。廟号は太祖(たいそ)。その治世の年号を取って、洪武帝(こうぶてい)と呼ばれる。また、生まれた頃の名は、朱重八(しゅ じゅうはち)といい、後に朱興宗(しゅ こうそう)と改名し、紅巾(こうきん)軍に参加する頃にさらに朱元璋と改名し、字を国瑞(こくずい)とした。.
成都市
成都市にはパンダの繁殖基地がある 成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地 四川省の伝統芸能『川劇』 麻雀は成都市における最もポピュラーな娯楽である 麻婆豆腐は成都の陳森富の妻劉氏が考案したとされている 成都武侯祠の劉備像・三国志の英雄 劉備は巴蜀の地で最期を遂げた 成都市の古地図(1930年) 琴台路(往年の宝石販売の大通り) 天府広場 成都市の木 銀杏(四川大学) 木芙蓉 成都市(せいとし/チェンドゥし、、、)は、中華人民共和国四川省の省都であり、副省級市。豊かな成都平原の中にあって古くから『天府の国』と呼ばれてきた。唐の時代から蜀錦を産出するため錦城の別称を持ち、また芙蓉の花を市花とするところから蓉城の別称ももつ。.
成昆線
成昆線(せいこんせん、)は中華人民共和国四川省成都市と雲南省昆明市を連絡する全長1100kmの鉄道路線。世界でも有数の山岳路線である。.
明
明(みん、1368年 - 1644年)は、中国の歴代王朝の一つである。明朝あるいは大明とも号した。 朱元璋が元を北へ逐って建国し、滅亡の後には清が明の再建を目指す南明政権を制圧して中国を支配した。.
春秋時代
春秋時代の諸国 春秋時代(しゅんじゅうじだい、、)は、中国の時代区分の一つ。紀元前770年、周の幽王が犬戎に殺され洛邑(成周)へ都を移してから、晋が三国(韓、魏、趙)に分裂した紀元前403年までである。 春秋の名称は、四書五経の一つ『春秋』に記述された時代、という意味を持つ。 春秋時代と戦国時代をあわせて、春秋戦国時代(しゅんじゅうせんごくじだい)といったり東周時代(とうしゅうじだい)といったりする。どこをもって春秋時代と戦国時代の境目とするかは歴史家の間で意見が分かれている。.
昭文社
株式会社昭文社(しょうぶんしゃ)は東京都千代田区麴町三丁目に本社を置く地図の出版社である。道路地図や旅行ガイド(まっぷる)などで知られる。.
浙江省
浙江省(せっこうしょう、中国語:浙江省、拼音:Zhèjiāng Shěng、英語:Zhejiang)は、中華人民共和国の省の一つ。略称は浙。華東地区中部に位置し、東シナ海に面す。省都は杭州市。浙とは省内最大の河川・銭塘江を指す。銭塘江は蛇行が激しいことから曲江・之江・折江・浙江などと呼ばれてきた。.
斉 (南朝)
斉(せい、479年 - 502年)は、中国の南北朝時代に江南に存在した国。南朝の一つ。北朝の北斉や春秋戦国時代の斉などと区別するために南斉(なんせい)あるいは蕭斉(しょうせい)とも呼ばれる。.
撫河
撫河(ぶが、Fu River、、)は、中華人民共和国江西省東部を流れる河川である。長江水系の鄱陽湖に注ぐ。撫州地方(現在の江西省撫州市)に発することから撫河の名が付けられた。古い呼び名には、盱水(くすい)、盱江、建昌江、武陽水、汝水などがある。.
攀鋼集団
攀鋼集団有限公司(はんこう-しゅうだん-ゆうげんこうし)は、中華人民共和国四川省に本拠を置く企業である。鉄鋼のほか、バナジウムやチタンを生産する。1965年建設開始(公式サイト)。旧称は「攀枝花鋼鉄(集団)公司」。 四川省攀枝花市東区を本拠とし、四川省成都市・綿陽市、重慶市、広西自治区北海市などにも拠点を置く。粗鋼の年間生産能力は940万トン。遼寧省鞍山市を本拠とする鞍山鋼鉄集団とともに鞍鋼集団の傘下で、同社が100%出資する「攀钢集团钢铁钒钛股份有限公司2010年年度报告」p8。 傘下の攀鋼集団鋼鉄股分有限公司(はんこう-しゅうだん-こうてつばんた-こふんゆうげんこうし、略称「攀鋼」)は、1993年3月27日成立の上場会社で、圳証券取引所に株式を上場している(コードは000629)。攀鋼集団が株式の4.86%を直接持つほか、攀鋼集団が100%出資する攀枝花鋼鉄有限責任公司が30.63%の株式を持つ。攀鋼は、攀枝花市の鉄鋼製錬業者・攀鋼集団攀枝花鋼有限公司、成都市の鋼鉄製錬業者・攀鋼集団成都鋼有限公司、攀枝花市の鉱業業者・攀鋼集団礦業有限公司などの子会社を持つ。.
攀枝花市
攀枝花市(はんしか-し)は中華人民共和国四川省に位置する地級市。金沙江(長江上流の名称)が流れる。成都市と昆明市を結ぶ成昆鉄道と108国道が南北に貫く要衝の地であり、北の成都へは749km、南の昆明へは351km。攀鋼集団(旧・攀枝花鋼鉄)など、鉄鋼業を中心とした重工業、および鉱業を中心とした産業都市でもある。 漢族が中心だが、彝族、傈僳族、納西族、回族などの民族も住む。.
曲麻莱県
曲麻莱県(きょくまらい-けん、 チュマルレプ・ゾン, chu dmar leb rdzong)は中華人民共和国青海省玉樹チベット族自治州に位置する県。チベット高原や峡谷があり、楚瑪爾河(チュマル河、別名・曲麻莱河)が通天河(長江上流の名)に合流している。.
曹操
曹 操(そう そう、拼音:Cáo Cāo、永寿元年(155年) - 建安25年1月23日(220年3月15日))は、後漢末期の武将、政治家。詩人、兵法家としても業績を残した。字は孟徳(もうとく)、幼名は阿瞞、また吉利。豫州沛国譙県(現在の安徽省亳州市譙城区)の出身。 後漢の丞相・魏王で、三国時代の魏の基礎を作った。廟号は太祖、謚号は武皇帝。後世では魏の武帝、魏武とも呼ばれる。.
普渡河
普渡河(ふとが、Pudu river、)は、中華人民共和国の雲南省を流れる河川で、長江の支流。雲南省最大の湖・滇池を出る唯一の川である。 滇池の唯一の水の出口は、湖の南西部にある海口鎮付近であり、普渡河はここを源流とする。最初は北西へ出て、やがて北東へ向きを変える。湖を出てすぐの上流部は螳螂川ともいう。中下流は雲貴高原を切り裂いて北東へ流れ、深い峡谷を形成しており、昆明市北部の禄勧イ族ミャオ族自治県と東川区の境界にある新店房で金沙江(長江上流の名)の右岸に流入している。合流点の海抜は746メートルで、昆明市域でも最も低い地点に当たる。 全長は294キロメートル、金沙江の支流の中では、雅礱江と牛欄江に長さでわずかに及ばない。.
1126年
記載なし。
1127年
記載なし。
1279年
記載なし。
1368年
記載なし。
1421年
記載なし。
1851年
記載なし。
1864年
記載なし。
1911年
記載なし。
1926年
記載なし。
1952年
この項目では、国際的な視点に基づいた1952年について記載する。.
1956年
記載なし。
1965年
記載なし。
1977年
記載なし。
2002年
この項目では、国際的な視点に基づいた2002年について記載する。.
2012年
この項目では、国際的な視点に基づいた2012年について記載する。.
208年
記載なし。
222年
記載なし。
280年
記載なし。
317年
記載なし。
589年
記載なし。
610年
記載なし。
958年
記載なし。
978年
記載なし。