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呉淞江

索引 呉淞江

呉淞江(ごしょうこう、ウーソンチヤン)、また蘇州河ともいい、古くは松陵江といった。黄浦江の主要な支流。太湖の瓜涇口を源として発し、上海市街地の外灘北端にある外白渡橋の近くで黄浦江に合流する。全長125km、うち上海市内を流れる距離は54km。 明代までは太湖から海に出る最も大きな河川であり、当時の江南最大の都市であった蘇州にちなみ蘇州河と呼ばれた。しかし土砂の堆積で川底が浅くなり通行に支障をきたしたため、明代初期に戸部尚書の夏原吉により太湖周辺の河川に対する工事が行われ、その結果呉淞江の支流だった黄浦江が呉淞江から本流の座を奪った(黄浦奪淞)。呉淞江は長年にわたり上海と周辺を結ぶ重要な水上交通路でもあった。 Category:上海の地理 Category:江蘇省の河川 Category:中国の河川 Category:長江水系.

9 関係: 夏原吉太湖外灘外白渡橋上海市黄浦江蘇州市戸部 (六部)

夏原吉

夏原吉(かげんきつ、1366年 - 1430年)は、明初期の政治家。湖南省湘陰県の人。字は維喆。 苦学の末に国子監に入り、洪武帝の抜擢を受けて戸部畑を歴任した。靖難の役では、建文帝の側にあって一時捕えられるが、永楽帝もその才を認めて1402年に戸部尚書に抜擢し、以後19年にわたってその職にあった。直後に洪水に悩まされていた浙西地区での治水工事を成功させて水利を安定させ、北京遷都・漠北親征などの費用の捻出などに尽力し、明朝財政の基礎を築いた。1410年の永楽帝の漠北親征の際には皇太子朱高熾(後の洪熙帝)を補佐して北京の留守を守った。だが、1421年の漠北親征の際には反対論を唱え、永楽帝を諌めて怒りを買って投獄された。3年後に永楽帝が没して洪熙帝が立つと直ちに釈放されて戸部尚書に復職し、以後死ぬまでその職にあった。洪熙帝が急逝して若い宣徳帝が即位すると楊士奇とともにこれを補佐し、三楊(楊士奇・楊栄・楊溥)とともに重んじられた。死後に「忠靖」と諡られた。.

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太湖

太湖(たいこ、)は、中華人民共和国の江蘇省南部と浙江省北部の境界にある大きな湖である。その景観の美しさで知られ、中国政府の国家重点風景名勝区に指定されている。 太湖は長江デルタに位置する。大運河ともつながり、多くの中小の河川が流れ込み、またここから蘇州を流れる蘇州河や上海を流れる黄浦江などの河川が発している。これら太湖周辺の水系はすべて最後は長江に流入する。湖周囲の都市は、北岸の無錫、西岸の宜興、東岸の蘇州(いずれも江蘇省)、および南岸の湖州(浙江省)である。.

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外灘

外灘(ワイタン、、がいたん)あるいはバンド(英語名:The Bund)は、中国・上海市中心部の黄浦区にある、上海随一の観光エリアである。黄浦江西岸を走る中山東一路沿い、全長1.1kmほどの地域を指す。 この一帯は19世紀後半から20世紀前半にかけての租界地区(上海租界)であり、当時建設された西洋式高層建築が建ち並んでいる。租界時代の行政と経済の中心であったことから現在も官庁と銀行が多いが、ジョルジョ・アルマーニやカルティエなどの大型旗艦店や、租界時代のレトロな雰囲気を売り物にしたバーやレストランなどが建物の中に入るようになり、お洒落な街並みに変貌しつつある。 外灘の建築物群は、1996年に中華人民共和国の全国重点文物保護単位に指定された。.

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外白渡橋

外白渡橋(がいはくときょう、、 、)は、中国・上海にある鉄橋。上海の中心地である外灘の北端にあり、呉淞江をまたいで黄浦区と虹口区を結ぶいくつかの橋のうち最も東側(黄浦江側)にあたる。前身も含め4代目として1907年に建てられたこの橋は、中国初の全鋼橋であり"The Preservation and Renovation of Waibaidu Bridge,"WHITR-AP (Shanghai) NEWSLETTER 9 (March 2009):4.; http://whitr-ap.org/download/Newsletter%209.pdf、同国に現存する唯一のパーカートラス橋である。この橋は、その交通上の重要性、百年前の姿をとどめる独特なデザインによって、上海の著名なランドマークの一つとなっている。.

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上海市

上海市(シャンハイし、、 ()、呉語発音: 、)は、中華人民共和国の直轄市である。 有数の世界都市であり、同国の商業・金融・工業・交通などの中心地、香港・北京と並ぶ中国最大の都市の一つである。アメリカのシンクタンクが2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界9位と評価された。 2012年6月時点の常住人口は2,400万人を超え、市内総生産は2兆3,560億元(約45兆円)であり、いずれも首都の北京市を凌ぎ中国最大である。中華人民共和国国務院により国家中心都市の一つに指定されている。 略称は滬(/こ:フー)だが、古称の申(しん:シェン)も用いられる。.

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黄浦江

浦江(こうほこう、Huangpu River、、、)は中華人民共和国の上海市内を流れる、長さ97kmの川である。上海市街地の下流の呉淞口で長江に合流し、長江が東シナ海に入る前の最後の大きな支流である。川幅は平均400mほどで深さは平均9m。年中凍ることはない。 黄浦江は太湖から流れた川が注ぎ込むに源を発する。 太湖からは蘇州河(呉淞江)も発しており、黄浦江はもと蘇州河の分流のひとつとみなされていたが、黄浦江が大きくなった結果、蘇州河のほうが黄浦江の支流となっている。 黄浦江の主要な支流には、蘇州河(呉淞江)のほか、薀藻浜、川楊河、淀浦河、大治河、斜塘、園泄涇、大泖港などがある。.

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蘇州市

蘇州市(そしゅうし、、、)は、中華人民共和国江蘇省東南部に位置する地級市。 古くから絹織物で発展した国家歴史文化名城であり、上海市に隣接する地の利があり、現在も省の経済的中心である。 蘇州で話されている蘇州語(蘇州方言/蘇州話)は、北部呉語を代表する方言と考えられていたが、現在は上海語にその座を譲っている。蘇州方言と上海方言とでは、異なる語彙や発音があるが、しばらく会話すれば意志の疎通に大きな支障はなくなる。但し、学校での普通話(標準語/共通語)一辺倒による教育により、上海語の事例同様、若者は蘇州語を話せなくなってきている。その問題に対し、学校・教育側は方言の授業を設ける等を検討している。また、上海に比べ方言(蘇州語)によるTV番組が多く見られる。.

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戸部 (六部)

戸部(こぶ)は六部の一で、土地管理、戸籍、官人への俸給などの財務関連の行政を司掌した。 祖型は三国時代の度支尚書であり、隋にて民部と改称され、更に唐より太宗の諱世民の民字を避諱して戸部と称されるようになった。長官は(戸部尚書)で次官は侍郎(戸部侍郎)。隋唐期に戸(民)部、度支(たくし)、金部(きんぶ)、倉部(そうぶ)の4司が属し、それぞれに判官であるとが置かれた。 その後、安史の乱以降の財政難に対して戸部尚書の下の戸部司と新たに設けられた使職の度支使・塩鉄使が財政を司るところとなり、戸部は有名無実化した。 これが北宋の元豊の改革の際に再び実権を取り戻し、再び財政を司るところと成った。清光緒32年(基督教暦1906年)のにより戸部は度支部と改称され、宣統3年(同1911年)の内閣官制実施で完全に廃止された。.

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明(みん、1368年 - 1644年)は、中国の歴代王朝の一つである。明朝あるいは大明とも号した。 朱元璋が元を北へ逐って建国し、滅亡の後には清が明の再建を目指す南明政権を制圧して中国を支配した。.

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蘇州河

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