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経量部

索引 経量部

経量部(きょうりょうぶ、, サウトラーンティカ、, スッタヴァーダ、音写:僧迦蘭提迦)は、部派仏教の一派である。説一切有部から分派した。3世紀末に (鳩摩羅駄) によって開かれ、4世紀になってシュリーラータ (室利羅多) によって盛んになった。 ナーランダー大僧院で仏教の学的探求が盛んになった時代に勢力を持っていたため、同時代の説一切有部、及び大乗仏教の中観派・唯識派と共に、「インド仏教4大学派」の1つに数えられたりもする。 説一切有部が論(アビダルマ)を重んじたのに対して、経典を重んじて基準(量)としたため、「経量」部と呼ばれた。.

18 関係: 大乗仏教中観派世親京都大学心所ナーランダ大学インドの仏教儒教経典瑜伽行唯識学派訶梨跋摩説一切有部部派仏教阿毘達磨量 (仏教)成実論3世紀4世紀

大乗仏教

大乗仏教(だいじょうぶっきょう、महायान Māhāyāna, Mahāyāna Buddhism)は、伝統的にユーラシア大陸の中央部から東部にかけて信仰されてきた仏教の一派。大乗仏教が発祥した背景としてはさまざまな説が唱えられているが、部派仏教への批判的見地から起こった側面があるとされている。.

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中観派

中観派(ちゅうがんは、माध्यमिक,, マーディヤミカ)は、インド大乗仏教において、瑜伽行派(唯識派)と並ぶ2大学派のひとつ総合仏教大辞典編集委員会 『総合仏教大辞典』 法蔵館、1988年1月、994-995頁。。龍樹(りゅうじゅ、Nāgārjuna, ナーガールジュナ、150年 - 250年頃)を祖師とし、その著作『中論』などを基本典籍とする学派。『中論』を根底として般若空観を宣揚した中村元 『広説佛教語大辞典』中巻 東京書籍、2001年6月、1179-1180頁。。縁起と空の思想を説き、中(madhyama) もしくは中道 (madhyamā pratipat) の立場を重んじる中村・2005年 250頁。.

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世親

世親(せしん、वसुबन्धु vasubandhu)は、古代インド仏教瑜伽行唯識学派の僧である。世親はサンスクリット名である「ヴァスバンドゥ」の訳名であり、玄奘訳以降定着した。それより前には「天親」(てんじん)と訳されることが多い。「婆薮般豆」、「婆薮般頭」と音写することもある。 唯識思想を大成し、後の仏教において大きな潮流となった。また、多くの重要な著作を著し、地論宗・摂論宗・法相宗・浄土教をはじめ、東アジア仏教の形成に大きな影響を与えた。浄土真宗では七高僧の第二祖とされ「天親菩薩」と尊称される。.

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京都大学

記載なし。

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心所

心所(しんじょ、cetasika, チェータシカ、caitasika, チャイタシカ)とは、仏教における心・精神の構成要素・機能のこと。五位分類においては、「心所法」として表現される。.

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ナーランダ大学

ナーランダ大学(ナーランダだいがく、、 ナーランダー大学)は、インドビハール州、ナーランダ()中部にある427年に建てられた世界最古の大学の1つ。北部インド仏教の最重要拠点であり、後期以降はヴィクラマシーラ大学()等と共に、インド仏教が終幕を迎えるまでそれを支えた。ナーランダ僧院(ナーランダー僧院)、ナーランダ大僧院(ナーランダー大僧院)、那爛陀寺とも。.

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インドの仏教

インドの仏教(インドのぶっきょう)は、仏教の開祖の釈迦牟尼(ガウタマ・シッダールタ)が古代インド十六大国時代の一つコーサラ国のカピラ城(カピラヴァストゥ)に生まれたことに始まるとされる。 現在はカピラ城の所在は不明だが、ネパールのティラウラコート と、インドのピプラーワー (Piprahwa、ピプラフワとも)が有力である。 通説では、ネパールルンビニに生まれたことに始まるとされる。釈迦在世時代の仏教については、釈迦を参照。.

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儒教

儒教の始祖、孔子 董仲舒 儒教(じゅきょう)は、孔子を始祖とする思考・信仰の体系である。紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上にわたって強い影響力を持つ。その学問的側面から儒学、思想的側面からは名教・礼教ともいう。大成者の孔子から、孔教・孔子教とも呼ぶ。中国では、哲学・思想としては儒家思想という。.

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経典

経典(きょうてん、きょうでん、sūtra, スートラ、sutta, スッタ、経)とは、仏教において釈迦が説いた教えを記録した聖典のこと。.

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瑜伽行唯識学派

伽行唯識学派(ゆがぎょうゆいしきがくは)は大乗仏教の学派のひとつで、唯識の教学を唱導した学派である。 唯識瑜伽行派、唯識派(विज्ञानवाद, Vijñānavāda, ヴィジュニャーナヴァーダ、Vijñapti-mātra(tā), ビジュニャプティ・マートラ(ター)、Cittamātra, チッタマートラ)、瑜伽行派 (योगाचार, Yogācāra, ヨーガーチャーラ)とも言う。.

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訶梨跋摩

訶梨跋摩(かりばつま、梵: हरिवर्मन् Harivarman, ハリヴァルマン、獅子鎧、師子鎧)は、4世紀ごろのインド仏教僧である。 中インドの婆羅門の出身。最初はヒンドゥー教の数論派(サーンキヤ学派)に属していたが、仏教に入り、説一切有部の学匠鳩摩羅馱(Kumāralabdha कुमारब्ध)から『発智論』を学び、次いで摩訶僧祇部に移って大乗も研究し、諸派比較の上、経量部の立場から『成実論』202品を著した。後、グプタ朝の王の命により外道の諸論師をことごとく論破して、国師に任ぜられた。 なお、鳩摩羅什によって『成実論』が漢訳されたのは、西暦412年のことである。.

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説一切有部

説一切有部(せついっさいうぶ、Sarvāstivādin)は、部派仏教時代の部派の一つ。略称は有部。説因部(せついんぶ、Hetuvāda)ともよばれる。紀元前1世紀の半ば頃に上座部から分派したとされ、部派仏教の中で最も優勢な部派であったという。同じく上座部系とされる南伝の分別説部と並んで、多くのアビダルマ文献が現存している。 「あらゆる現象」(諸法、dharmā)を構成する基体として、有法、法体(ダルマ、dharma)を想定し、主観的な我(人我)は空だが客体的な事物の類型(法)は三世に渡って実在するとした。説一切有部は大衆部や経量部と対立し、大乗仏教からも批判されたが、大きな勢力を保った。.

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部派仏教

部派仏教(ぶはぶっきょう、Early Buddhist schools)とは、釈迦の死後百年から数百年の間に仏教の原始教団から分裂して成立した諸派の仏教。アビダルマ仏教ともいう。紀元前3世紀頃に原始教団が上座部と大衆部に分裂(根本分裂)したのち、この2部派がさらに分裂してゆき、部派の数は全体で20となった。各部派は、釈迦が残した教法を研究・整理して、独自の教義を論(アビダルマ)として作り、互いに論争した。部派仏教は、釈迦と直弟子時代の初期仏教を継承し、大乗仏教の成立後も数世紀に渡りインドで大きな勢力を有していたとされる。のちに興った大乗仏教からは小乗仏教と貶称された。.

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阿毘達磨

阿毘達磨(あびだつま、Abhidhamma, アビダンマ、Abhidharma अभिधर्म, アビダルマ、音写:阿毘曇(あびどん)、毘曇(びどん)、阿鼻達磨)とは、仏教の教説(具体的には経蔵、律蔵など)の研究・思想体系、およびそれらの解説書・注釈書のこと。大法、無比法、対法と漢訳する。解説書・注釈書は論書といい、これらをまとめたものを「論蔵」と呼ぶ。.

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量 (仏教)

仏教(ことに漢語)における量(pramāṇa)とは、知識根拠・軌範のことをいう。インドの瑜伽行唯識学派などで主に自らの認識を判定するために、この量の考察が深められた。原語は、測定・目盛り・基準などの意味を持っている。.

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成実論

『成実論』(じょうじつろん、Satyasiddhi-śāstra, Tattvasiddhi-śāstra)は、訶梨跋摩(かりばつま、Harivarman, ハリヴァルマン)によって著された、16巻の仏教論書である。.

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3世紀

ナクシュ・イ・ルスタムの磨崖像で、平伏するローマ皇帝ウァレリアヌスと騎乗のサーサーン朝皇帝シャープール1世が浮き彫りにされている。 3世紀(さんせいき)は、西暦201年から西暦300年までの100年間を指す世紀。.

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4世紀

皇帝コンスタンティヌス1世。ミラノ勅令によりキリスト教を公式に認め新首都コンスタンティノポリスを造営した。画像はローマのカピトリーノ美術館にある皇帝の巨像(コロッスス)。 Musée national du Moyen Âgeにある皇帝の像。 メリダ国立ローマ博物館蔵)のレプリカ。 修道生活の基礎が築かれた。画像は大アントニオスを追慕して356年に建てられたエジプトのスエズ県にあるコプト教会の「聖アントニオス修道院」。 アクスム王国の勃興。クシュ王国を滅ぼし現在のエチオピアの地に成立したのがアクスム王国で、最も古くからキリスト教を受容していたことでも知られている。画像はキリスト教に改宗したエザナ王によるオベリスク(石柱)で24mの高さがある。 ゲルマン民族の大移動。ローマ帝国との国境を越えたゲルマン諸族は各地で混乱や衝突を起こした。画像は1920年代に描かれた西ゴート族の王アラリック1世のアテナイ入城(395年)の挿絵。 顧愷之。顧愷之は東晋の画家で、画絶・才絶・癡絶の三絶を備えると云われていた人物。画像は代表作「女史箴図」(大英博物館蔵)。 書聖王羲之。王羲之は東晋の書家で「蘭亭序」他の作で知られ、歴代皇帝にも愛好された。画像は宋末元初の文人画家銭選が王羲之を画題として描いた「蘭亭観鵝図」(台湾・国立故宮博物院蔵)。 七支刀が所蔵されている石上神宮。ここの七支刀が『日本書紀』神功記に記載のある百済から献上されたものだと推定されている。 チャンドラグプタ2世の金貨。チャンドラグプタ2世はインド・グプタ朝の領土を最大に広げ、繁栄をもたらした。 シャクンタラー』。指輪をめぐるシャクンタラー姫の数奇な運命の物語でチャンドラグプタ2世王時代の宮廷詩人カーリダーサによりまとめられたとされる。画像はラヴィ・ヴァルマによる物語絵。 4世紀(よんせいき)は、西暦301年から西暦400年までの100年間を指す世紀。.

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