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細川持之

索引 細川持之

細川 持之(ほそかわ もちゆき 1400年~1442年9月8日)は、室町時代の武将・守護大名。第14代室町幕府管領。摂津・丹波・讃岐・土佐守護。第10代細川京兆家当主。細川満元の次男で兄に持元、弟に持賢がいる。妻は京極高光の娘。嫡男に勝元、成賢(しげかた、持賢養子)。.

61 関係: 吉川弘文館室町幕府室町時代守護守護大名山名宗全中務省丹波国享年京職京極高光人物叢書建内記佐藤和彦征夷大将軍従四位応永土佐国嘉吉嘉吉の乱嘉吉の徳政一揆出家元服国史大辞典 (昭和時代)管領細川勝元細川氏細川満元細川持常細川持元細川持賢結城合戦畠山持国讃岐国足利義勝足利義持足利義教錦昭江鈴木彰赤松氏赤松満祐関東地方暗殺樋口州男櫻井彦武将永享永享の乱津野氏...斯波義淳新人物往来社摂津国1400年1429年1432年1441年1442年6月24日 (旧暦)8月4日 (旧暦)9月8日 インデックスを展開 (11 もっと) »

吉川弘文館

吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)は日本史関連を主軸とした老舗の出版社。1857年(安政4年)に、吉川半七により設立。戦後1949年(昭和24年)に株式会社として現在に至る。.

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室町幕府

花の御所(室町殿) 室町幕府(むろまちばくふ)は、足利尊氏が京都において軍事貴族(武家貴族)として創始した武家政権。その称は3代将軍足利義満が京都北小路室町(現在の今出川通と室町通が交わる付近)に造営した花の御所(室町殿)に由来する。足利幕府ともいう。足利氏が15代にわたって将軍職を継承したが、織田信長によって事実上の滅亡に追い込まれた。.

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室町時代

室町時代(むろまちじだい)は、日本の歴史において、室町幕府(足利将軍家)によって統治されていた時代である。「室町時代」の名称は、京都の室町に幕府が置かれていたことに由来する。.

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守護

守護(しゅご)は、日本の鎌倉幕府・室町幕府が置いた武家の職制で、国単位で設置された軍事指揮官・行政官である。令外官である追捕使が守護の原型であって、後白河法皇が源頼朝に守護・地頭の設置と任免権を認めたことによって、幕府の職制に組み込まれていった。将軍により任命され、設立当時の主な任務は、在国の地頭の監督であった。鎌倉時代はといい、室町時代にはといった。 制度としては室町幕府滅亡後、織豊政権成立により守護が置かれなくなり守護制度が自然消滅するまで続いた。.

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守護大名

守護大名(しゅごだいみょう)は、軍事・警察権能だけでなく、経済的権能をも獲得し、一国内に領域的・一円的な支配を強化していった室町時代の守護を表す日本史上の概念。守護大名による領国支配の体制を守護領国制という。15世紀後期 - 16世紀初頭ごろに一部は戦国大名となり、一部は没落していった。.

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山名宗全

山名宗全公之墓、南禅寺在真乗院、京都市左京区 山名 宗全 / 山名 持豊(やまな そうぜん/やまな もちとよ)は、室町時代の武将、守護大名。家系は新田氏庶流の山名氏。室町幕府の四職の家柄で侍所頭人。但馬・備後・安芸・伊賀・播磨守護。山名時熙の3男で、母は山名氏清の娘。諱は持豊で、宗全は出家後の法名。応仁の乱の西軍の総大将として知られ、西軍の諸将からは宗全入道または赤入道と呼ばれていた。.

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中務省

中務省(なかつかさしょう)は、律令制における八省のひとつ。和名はナカノマツリゴトノツカサ。唐名は中書省など。「中」は禁中の意。.

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丹波国

丹波国(たんばのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。山陰道に属する。.

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享年

享年(きょうねん)とは人が「天から享(う)けた年数」という意味であり、この世に存在した年数である。「行年(ぎょうねん)」ともいい「娑婆で修行した年数」、「行(時が進むの意味)『漢字源』学研、「行」の項を参照。の年数」の意味。「享年70(満68歳)」(数え年の場合)のように用いる。享年を数え年ではなく満年齢で表し「享年68(歳)」と表すこともある。.

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京職

京職(きょうしき)とは、日本の律令制において京(みやこ)の司法、行政、警察を行った行政機関である。古訓はミサトヅカサ。京は碁盤の目状に大路・小路が整備され(条坊制)、京内の東側を「左京(さきょう=南面する玉座より見て左)」、西側を「右京(うきょう=南面する玉座より見て右)」と呼び、「左京職(さきょうしき)」・「右京職(うきょうしき)」に分かれていた。なお、京職(きょうしょく)は京都所司代の別称。.

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京極高光

京極高光(きょうごく たかみつ)は、室町時代中期の守護大名。室町幕府侍所頭人、出雲国・隠岐国・飛騨国守護。.

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人物叢書

『人物叢書』(じんぶつそうしょ)とは、吉川弘文館より刊行されている日本史上の人物の学術伝記叢書。1958年に刊行開始し、1980年代後半に新装版に切り替わった。日本歴史学会編集。100冊を刊行した時点で第11回(1963年)の菊池寛賞を受賞している。 日本史上の人物が対象のため、大半は日本人が対象となっているが、日本史での活動が見られる来日外国人や、国姓爺のように日本と関わりのあるのみの外国人もごく稀に対象となる。また、1冊で複数人や一族(奥州藤原氏・菊池氏・浅井氏)を題材としているものもある。.

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建内記

『建内記』(けんないき)は、室町時代の公卿万里小路時房の日記。「けんだいき」とも読まれる。書名は時房の法号である「建聖院」と、時房の極官である内大臣に由来。後世の人が時房の日記を「建聖院内府記」と呼び、この呼称が略されて「建内記」の呼称が定着した。「満済准后日記」「薩戒記」「看聞日記」と並び、室町時代中期の日記を代表する。 記述は1414年(応永21年)から1455年(康正元年)まで及ぶが、現在する記述は断片的である。1429年(永享元年)から1449年(宝徳元年)の20年分の記述が、最も欠落が少なく、現存状態が良好とされる。筆者時房は南都伝奏、勧修寺氏長者などを担当し、幕府とも密接な関係にあった。そのため、伝奏、氏長者としての仕事や、幕府、公武関係の動向に関する記述が豊富。将軍足利義教が横死した嘉吉の乱、嘉吉の徳政一揆の経緯についても詳らかに記述する。また万里小路家が保有する荘園が年貢滞納のために武士、商人、僧侶らに代官請に移行しなければならなくなった経緯など、社会経済に関する記述が多い。これは公家の日記の中でも特色とされ、室町中期の社会経済史研究に有益な情報を提供する。 時房の死後、日記は実子の冬房、甘露寺家から養子に入った春房、さらに勧修寺家から養子に入った賢房の手に渡り、賢房の実父である勧修寺教秀の所有するところとなっていた。中御門宣胤の1489年(延徳元年)の日記から、この時教秀が『建内記』を所有していたことが確認される。 その後、どのようにして伝来したのかは不明。伝来する過程で散逸、欠落もあった。最終的には伏見宮、菊亭家の手に渡ったらしく、伏見本は宮内庁書陵部に、菊亭本は京都大学付属図書館に所蔵されている。.

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佐藤和彦

佐藤 和彦(さとう かずひこ、1937年3月17日 - 2006年5月13日)は、日本史学者。.

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征夷大将軍

征夷大将軍(せいいたいしょうぐん 旧字体:征夷大將軍)は、朝廷の令外官の一つである。「征夷」は、蝦夷を征討するという意味。 飛鳥時代・奈良時代以来、東北地方の蝦夷征討事業を指揮する臨時の官職は、鎮東将軍・持節征夷将軍・持節征東大使・持節征東将軍・征東大将軍などさまざまにあったが、奈良末期に大伴弟麻呂が初めて征夷大将軍に任命された。征夷大将軍(征夷将軍)の下には、征夷副将軍・征夷軍監・征夷軍曹、征東将軍(大使)の下には、征東副将軍(副使)・征東軍監・征東軍曹などの役職が置かれた。 大伴弟麻呂の次の坂上田村麻呂は阿弖流為を降して勇名を馳せたが、次の文室綿麻呂が征夷将軍に任ぜられた後は途絶えた。平安中期に藤原忠文が、平安末期には源義仲が征東大将軍に任じられたが、もはや蝦夷征討を目的としたものではなかった。なお、後述のとおり、義仲が任命されたのは征東大将軍であり、従来考えられていた征夷大将軍ではなかったことが明らかにされている。 平氏政権・奥州藤原氏を滅ぼして武家政権(幕府)を創始した源頼朝は「大将軍」の称号を望み、朝廷は坂上田村麻呂が任官した征夷大将軍を吉例としてこれに任じた。以降675年間にわたり、武士の棟梁として事実上の日本の最高権力者である征夷大将軍を長とする鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府が(一時的な空白を挟みながら)続いた。慶応3年(1867年)徳川慶喜の大政奉還を受けた明治新政府が王政復古の大号令を発し、征夷大将軍職は廃止された。.

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従四位

従四位(じゅしい)とは、日本の位階及び神階における位のひとつ。正四位の下、正五位の上に位する。贈位の場合、贈従四位という。.

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応永

応永(おうえい、旧字体:應永)は、日本の元号の1つ。明徳の後、正長の前。1394年から1427年までの期間を指す。この時代の天皇は後小松天皇、称光天皇。室町幕府将軍は足利義満、足利義持、足利義量。日本の元号の中では、昭和、明治に次いで3番目の長さ(35年)であり、一世一元の制導入以前では最長である。また、応永10年から22年までの約10年間は戦乱などが途絶え「応永の平和」と言われる。.

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土佐国

土佐国(とさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。.

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嘉吉

嘉吉(かきつ)は、日本の元号の一つ。永享の後、文安の前。1441年から1444年までの期間を指す。この時代の天皇は後花園天皇。室町幕府将軍は足利義教、足利義勝。.

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嘉吉の乱

嘉吉の乱(かきつのらん)は、室町時代の嘉吉元年(1441年)に播磨・備前・美作の守護赤松満祐が、室町幕府6代将軍足利義教を暗殺し、領国の播磨で幕府方討伐軍に敗れて討たれるまでの一連の騒乱である。主に嘉吉の変(かきつのへん)と呼ばれることが多い。 この事件については伏見宮貞成親王の日記『看聞日記』に義教暗殺当日の事情が記されている。全一巻の『嘉吉記』には、嘉吉の乱から後の神器奪還までの赤松氏の事情が記されている。.

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嘉吉の徳政一揆

嘉吉の徳政一揆(かきつのとくせいいっき)は、嘉吉元年(1441年)に徳政令を求めて京都及び近江など周辺地域で発生した土一揆のこと。嘉吉の土一揆(かきつのつちいっき)とも。.

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出家

出家(しゅっけ、pabbajja、pravrajyaa、प्रव्रज्या) とは、師僧から正しい戒律である『沙弥戒』や『具足戒』を授かって世俗を離れ、家庭生活を捨て仏教に入ることである。落飾(らくしょく)ともいう。対義語は還俗(げんぞく、“俗界に還る”の意)。 在家(ざいけ)と対比される。インドでは、紀元前5世紀頃、バラモン教の伝統的権威を認めない沙門(しゃもん)と呼ばれる修行者が現れ、解脱(げだつ)への道を求めて禅定や苦行などの修行にいそしんだ。有力な沙門の下には多くの弟子が集まり、出家者集団を形成したが、釈迦もその沙門の1人であった。 仏教における出家の伝統はこれに由来する。仏教教団において剃髪(ていはつ)して袈裟を被い、「正式に受戒(じゅかい)して入門した沙弥や沙弥尼」になることを言うが、その後、「具足戒を受けて正規の僧となった比丘や比丘尼」を呼ぶ場合にも使う。.

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元服

元服(げんぶく、げんぷく)とは、奈良時代以降の日本で成人を示すものとして行われた儀式。通過儀礼の一つである。 「元」は首(=頭)、「服」は着用を表すので、「頭に冠をつける」という意味。加冠とも初冠(ういこうぶり)とも言われる。なお、公家の女子の成人式は裳着(もぎ)と言う。民間においては褌親(へこおや・ふんどしおや)の元で、初めてふんどしを付け、性に関する知識を授かる褌祝(ふんどしいわい)と呼ばれる儀式がある。.

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国史大辞典 (昭和時代)

國史大辭典(こくしだいじてん)とは、昭和54年(1979年)から平成9年(1997年)にかけて吉川弘文館から刊行された、日本で最大級の歴史百科事典である。四六倍判で全15巻(17冊)、総収録項目数は54000余である。各巻は平均して1000ページ、うち平均150ページは原色図版など。第45回菊池寛賞を受賞した。 2010年7月1日よりデジタル版「国史大辞典」が、インターネット百科事典「ジャパンナレッジ」の新しいコンテンツとして公開された。.

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管領

管領(かんれい)は、以下の役職・地位およびその座にあった者を指す名称。.

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細川勝元

細川 勝元(ほそかわ かつもと)は、室町時代の武将・守護大名。第16、18、21代室町幕府管領。土佐・讃岐・丹波・摂津・伊予守護。第11代細川京兆家当主。父は第14代室町幕府管領、細川持之。政元の父。応仁の乱の東軍総大将として知られている。.

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細川氏

細川氏(ほそかわし)は、本姓は源氏、鎌倉時代から江戸時代にかけて栄えた武家。清和源氏の名門足利氏の支流。名字は鎌倉時代に三河国額田郡細川郷(現在の愛知県岡崎市細川町周辺)に土着したことに由来する。 南北朝時代に足利尊氏に従って発展し、嫡流は室町幕府の管領家に列する有力守護大名となる。また江戸時代には、傍流から肥後熊本藩54万石の藩主家を出した。.

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細川満元

細川 満元(ほそかわ みつもと)は、室町時代前期の守護大名。第11代室町幕府管領。摂津・土佐・讃岐・丹波守護。第8代細川京兆家当主。細川頼元の長男。満国の兄。子に持元、持之、持賢。幼名は聡明丸、のち元服に際して3代将軍・足利義満より偏諱を受け満元に改名。通称は五郎。官位は右馬頭、右京大夫。 応永4年(1397年)、父の死去により家督を継い摂津・土佐・讃岐・丹波の守護となる。応永19年(1412年)3月に管領職に就任した。就任中の北畠満雅の反乱、上杉禅秀の乱、足利義嗣の殺害事件、有力守護大名と4代将軍足利義持及び側近の富樫満成との対立など様々な問題が起こったが、満元は義持をよく補佐してこれを全て処理し、守護連合制度の確立に努めた。 応永28年(1421年)7月に管領を辞任、5年後の応永33年(1426年)10月16日、49歳で死去した。 満済は『満済准后日記』で満元について「天下の重人なり、御政道等一方の意見者」と記し、公家の中山定親も日記『薩戒記』で「執政の器」と評しており、満元が公家からも武家からも幕政における重鎮と評されていたことを示している。.

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細川持常

細川 持常(ほそかわ もちつね)は、室町時代の守護大名。室町幕府相伴衆、阿波・三河守護。細川氏の分家・阿波細川家の当主。父は、細川満之の子・細川満久(みつひさ)。弟に教祐(のりすけ)、その子の成之は持常の養子となる。官位は従五位下、兵部少輔、讃岐守。.

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細川持元

細川 持元(ほそかわ もちもと、応永6年(1399年) - 正長2年7月14日(1429年8月14日))は室町時代前期の武将・守護大名。摂津、丹波、讃岐、土佐守護。第9代細川京兆家当主。細川満元の嫡男。持之、持賢の兄。幼名は聡明丸、通称は五郎。官途は右馬助、右京大夫。.

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細川持賢

細川 持賢(ほそかわ もちかた)は、室町時代後期の武将。細川典厩家の祖。細川満元の3男で持元、持之の弟。.

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結城合戦

結城合戦(ゆうきかっせん)は、永享12年(1440年)に関東地方で起こった室町幕府と結城氏ら関東の諸豪族との間の戦いである。.

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畠山持国

山 持国(はたけやま もちくに)は、室町時代の守護大名。室町幕府管領、河内・紀伊・越中・山城守護。足利氏一門の畠山氏出身。畠山満家の嫡男。義就の父。 危機的状況を脱して管領に就任、勢力拡大を目指すも晩年にお家騒動を発生させ、畠山氏衰退の元を生み出してしまった。.

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諱(いみな)とは、人名の一要素に対する中国などの東アジアの漢字圏における呼称である。忌み名(いみな)とも。漢字圏以外でも同様の概念はあり、英語では (直訳すると「真の名」)がそれに当たる。.

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讃岐国

讃岐国(さぬきのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。南海道に属する。.

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足利義勝

足利 義勝(あしかが よしかつ)は、室町時代中期の室町幕府第7代将軍(在任:1442年 - 1443年)。幼名は千也茶丸(せんやちゃまる)。6代将軍足利義教の嫡男で庶子。.

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足利義持

足利 義持(あしかが よしもち)は、室町幕府第4代将軍(在任:応永元年(1394年) - 応永30年(1423年))。父は3代将軍・足利義満。母は安芸法眼の娘で側室の藤原慶子。 父の死後、勢力を盛り返す守護大名の中にあって調整役として機敏に立ち回った将軍で、室町幕府の歴代将軍の中で比較的安定した政権を築き上げた。なお、義持の将軍在職28年は歴代室町将軍中最長の在任期間である。.

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足利義教

足利 義教(あしかが よしのり、義)は、室町幕府の第6代将軍(在職:1428年 - 1441年)。第3代将軍・足利義満の五男。母は側室の藤原慶子で、第4代将軍・足利義持の同母弟。僧侶時代は義円(ぎえん、義圓)、還俗直後は義宣(よしのぶ)と名乗った。.

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錦昭江

錦 昭江(にしき あきえ、1955年 - )は、日本の歴史学者、鎌倉女学院中学校・高等学校校長。.

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鈴木彰

鈴木彰(すずき あきら、1969年- )は、日本文学研究者、立教大学教授。.

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赤松氏

赤松氏(あかまつし)は、日本の氏族の1つ。鎌倉時代末期から安土桃山時代にかけて播磨を支配した武家である。.

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赤松満祐

赤松 満祐(あかまつ みつすけ/まんゆう)は、室町時代中期の武将、守護大名である。室町幕府侍所頭人、播磨・備前・美作守護。赤松義則の嫡男。兄弟に義雅、祐尚(祐之)、則繁など。従兄弟に有馬持家、満政。子に教康。生年は文中2年/応安6年(1373年)説もある。.

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関東地方

関東地方(かんとうちほう)は、日本の地域区分のひとつであり、本州の東部に位置している。その範囲について法律上の明確な定義はないが、一般的には茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県の1都6県を指して関東地方と呼ぶ『日本地名大百科』p.350。。 首都・東京を擁する関東地方は日本の政治・経済の中心となっており、日本の総人口の3分の1が集中している。 首都圏整備法が定義する「首都圏」には、関東地方に山梨県を加えた1都7県が含まれる。また、「関東地方知事会」には、首都圏1都7県に加えて、中部圏知事会議にも加わっている静岡県、長野県の両県知事がオブザーバー参加している。関東地方は人口・面積が多数・広大なので、利根川を境界線に北を北関東(茨城県・栃木県・群馬県)地方、南を南関東地方(埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県)に分割することもある。.

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暗殺

リンカーン大統領の暗殺を描いた絵画(米国) ガンディー・暗殺されたインドの政治家 金玉均・暗殺された李氏朝鮮の政治家 ジョン・レノン・イングランド出身の音楽家、銃弾を受け死去 坂本龍馬・幕末の英雄、盟友の中岡と共に死去 暗殺(あんさつ)は、主に政治的、宗教的または実利的な理由により、要人殺害を密かに計画・立案し、不意打ちを狙って実行する殺人行為(謀殺)のこと。 見せしめや弾圧、粛清の一種としても存在する。.

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樋口州男

樋口 州男(ひぐち くにお、1945年 - )は、日本の歴史学者。専修大学非常勤講師、拓殖大学非常勤講師。日本中世の武士などを研究する。.

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櫻井彦

櫻井 彦(さくらい よしお、1964年 - )は、日本の歴史学者、宮内庁書陵部主任研究員。.

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武将

武将(ぶしょう)とは、軍勢を統率する将軍、特に武道に秀でた将のこと。 日本の戦国時代においては、武士や農民・町人から徴用された足軽たちを統率する戦国大名やその家臣を指すことがある(戦国武将)。なお、部隊を率いる将を部将と呼ぶ。 明治政府が当時の事象や日本の歴史について文献に基づきまとめた古事類苑に「武将」の文言は見られない。.

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永享

永享(えいきょう)は、日本の元号の一つ。正長の後、嘉吉の前。1429年9月5日から1441年2月17日までの期間を指す。この時代の天皇は後花園天皇。室町幕府将軍は足利義教。.

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永享の乱

永享の乱(えいきょうのらん)は、室町時代の永享10年(1438年)に関東地方で発生した戦乱。鎌倉公方の足利持氏と関東管領の上杉憲実の対立に端を発する、室町幕府6代将軍足利義教が持氏討伐を命じた事件、戦いである。.

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津野氏

津野氏(つのし)は土佐国高岡郡の豪族。土佐七雄の一つ。高岡郡のうち中西部の津野荘・山間部の津野新荘・檮原荘を拠点とした。.

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斯波義淳

斯波 義淳(しば よしあつ)は、室町時代中期の武将・守護大名。室町幕府管領、越前・尾張・遠江守護。斯波氏(武衛家)7代当主。管領斯波義重の嫡男で、室町幕府前期の有力者斯波義将の孫に当たる。.

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新人物往来社

株式会社新人物往来社(しんじんぶつおうらいしゃ)は、かつて存在した日本の出版社。雑誌『歴史読本』の発行元として知られる歴史図書専門の出版社である。 2008年(平成20年)11月26日に中経出版の子会社になり、その後2009年(平成21年)4月7日に中経出版が角川グループホールディングスの子会社となったことにより、新人物往来社も角川グループの1つとなった。さらに2013年(平成25年)4月1日に中経出版に吸収合併され、社名が消滅することとなった。.

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摂津国

摂津国(せっつのくに、旧字体:攝津國)は、日本の令制国の一つ。畿内に属する。現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部にあたる。.

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1400年

14世紀の最後でもある。.

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1429年

記載なし。

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1432年

記載なし。

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1441年

記載なし。

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1442年

記載なし。

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6月24日 (旧暦)

旧暦6月24日は旧暦6月の24日目である。六曜は大安である。.

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8月4日 (旧暦)

旧暦8月4日(きゅうれきはちがつよっか)は、旧暦8月の4日目である。六曜は大安である。.

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9月8日

9月8日(くがつようか)は、グレゴリオ暦で年始から251日目(閏年では252日目)にあたり、年末まであと114日ある。.

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