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日本児童文学学会

索引 日本児童文学学会

日本児童文学学会(にほんじどうぶんがくがっかい)は、児童文学・児童文化の研究者の学術団体。 1962年設立。会長に石森延男。事務局長は村松定孝。常任理事に猪熊葉子、神宮輝夫、鳥越信、滑川道夫、福田清人、藤田圭雄、村松定孝、渡辺茂男。学会紀要として『児童文学研究』(年1回)を刊行している。また「日本児童文学学会会報」(年2回)の発行、そして1年間の児童文学・児童文化の研究書に対して日本児童文学学会賞を設けて表彰もしている。.

114 関係: 加古里子加藤康子加藤理加藤暁子原昌まど・みちお千と千尋の神隠し壺井栄大藤幹夫宮沢賢治少女の友少年倶楽部岡本定男川勝泰介巌谷小波上笙一郎上田信道上野美子上野浩道与田凖一中川素子中川正文中京大学中野三敏中野晴行中村悦子三宅興子三木露風府川源一郎二上洋一井辻朱美仲村修弥吉菅一佐藤宗子佐藤通雅地獄先生ぬ〜べ〜の登場人物マーク・トウェインマザー・グースルイーザ・メイ・オルコットルイス・キャロルロビン・フッドロビンソン・クルーソーブリューゲルプランゲ文庫周東美材和田典子アンデルセンジゴマスーザン・J・ネイピア冨田博之...児童文学児童文化光吉夏弥勝尾金弥四方田犬彦矢崎節夫石原剛石森延男石澤小枝子神宮輝夫福田清人私市保彦竹久夢二竹内オサム筒井清忠米村みゆき米澤嘉博猪熊葉子畑中圭一瀬田貞二白土三平芥川龍之介西田良子西條八十高橋明彦講談社谷悦子鳥越信鷺只雄鈴木徹郎鈴木重三赤毛のアン関英雄藤子不二雄藤田圭雄藤本芳則藤本朝巳金子みすゞ金田一春彦長新太若松賤子恩田逸夫松田司郎村瀬学村松定孝桝居孝桑原三郎森洋子植田敏郎楠本君恵横川寿美子武田雅哉永嶺重敏永田桂子渡辺茂男渋沢青花滑川道夫木坂俊平木村八重子本居長世本田和子浜野卓也斎藤佐次郎新美南吉 インデックスを展開 (64 もっと) »

加古里子

加古 里子(かこ さとし、1926年3月31日 - 2018年5月2日)は、日本の絵本作家、児童文学者。工学博士、技術士(化学)。本名は、中島 哲(なかじま さとし)。ペンネームの「里子」は俳号。かこさとし名義でも活動。.

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加藤康子

加藤 康子(かとう こうこ、1959年 - )は、日本の都市経済研究家・評論家。民間研究者として「産業遺産」「近代化遺産」の発掘・保存に尽力し、国際鉱山歴史会議を空知炭鉱の赤平に誘致したほか、筑豊地方の炭鉱労働者の私的記録である「山本作兵衛炭坑記録画・記録文」の国連教育科学文化機関(ユネスコ)「世界記憶遺産」への登録(2011年5月)、九州・山口地方を中心とする8県23件の「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の同「世界文化遺産」への登録(2015年7月)の実現に中心的役割を果たした。これら遺産群の保存・継承を民間の立場から支援・推進する目的で2013年に一般財団法人産業遺産国民会議を設立し、専務理事に就任。2015年7月2日より、安倍晋三内閣における内閣官房参与(産業遺産の登録および観光振興を担当)を務める。.

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加藤理

加藤 理(かとう おさむ、1961年(昭和36年) - )は、日本の児童文化学者、文教大学教育学部教授。専門は、児童文化学の他に、子ども史。.

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加藤暁子

加藤 暁子(かとう あきこ、1933年 - )は、人形劇研究家。.

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原昌

原 昌(はら しょう、1931年1月3日 - )は、日本の児童文学研究者、翻訳家、中京大学名誉教授。 名古屋市生まれ。本名・昌一。南山大学文学部英文科卒、市邨学園短期大学(現・名古屋経済大学短期大学部)教授、1980年中京大学文学部教授、2002年名誉教授。台湾国立成功大学客員教授。日本イギリス児童文学会会長、日本児童文学学会会長を務めた。1974年新美南吉文学賞を『児童文学の笑い』で受賞。2004年児童文化功労者褒章。.

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まど・みちお

まど・みちお(本名:石田 道雄〈いしだ みちお〉, 1909年〈明治42年〉11月16日 - 2014年〈平成26年〉2月28日)は、日本の詩人.

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千と千尋の神隠し

『千と千尋の神隠し』(せんとちひろのかみかくし)は、スタジオジブリ制作の長編アニメーション映画。監督は宮崎駿。日本歴代興行収入第1位。 千尋という名の10歳の少女が、引っ越し先へ向かう途中に立ち入ったトンネルから、神々の世界へ迷い込んでしまう物語。千尋の両親は掟を破ったことで魔女の湯婆婆によって豚に変えられてしまう。千尋は、湯婆婆の経営する銭湯で働きながら、両親とともに人間の世界へ帰るために奮闘する。 声の出演は、柊瑠美・入野自由・夏木マリ・内藤剛志・沢口靖子・上條恒彦・小野武彦・菅原文太など。 制作のきっかけは、宮崎駿の個人的な友人である10歳の少女を喜ばせたいというものだった。この少女は日本テレビの映画プロデューサー、奥田誠治の娘であり、主人公千尋のモデルになった。企画当時宮崎は、信州に持っている山小屋にジブリ関係者たちの娘を集め、年に一度合宿を開いていた。宮崎はまだ10歳前後の年齢の女子に向けた映画を作ったことがなく、そのため彼女たちに映画を送り届けたいと思うようになった。 2001年7月20日に日本公開。興行収入は300億円を超え、日本歴代興行収入第1位を達成した。この記録は2018年現在も塗り替えられていない。第52回ベルリン国際映画祭では『ブラディ・サンデー』と同時に金熊賞を受賞した。宮崎の友人である映画監督ジョン・ラセターの尽力によって北米で公開され、第75回アカデミー賞ではアカデミー長編アニメ映画賞を受賞した外部リンクに映像。 2016年のイギリスBBC主催の投票では、世界の177人の批評家が「21世紀の偉大な映画ベスト100」の第4位に選出した。 2017年に行われたスタジオジブリ総選挙で見事1位に輝き、2017年9月10日(土)〜9月16日(金)の6日間、全国5カ所の映画館にて再上映された。.

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壺井栄

壺井 栄(つぼい さかえ、旧姓:岩井、女性、1899年(明治32年)8月5日 - 1967年(昭和42年)6月23日)は小説家・詩人。主に一般向小説および児童文学(童話)を主領域に活躍した作家で、戦後反戦文学の名作として後に映画化された『二十四の瞳』の作者として知られる。香川県小豆郡坂手村(現在の小豆島町)出身。夫は詩人の壺井繁治。.

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大藤幹夫

大藤 幹夫(おおふじ みきお、1936年8月17日 - )は、日本児童文学研究者、大阪教育大学名誉教授。 大阪市生まれ。大阪教育大学大学院修士課程修了。武庫川女子大学助教授、大阪教育大学助教授、教授、2000年定年退官、名誉教授、大阪総合保育大学教授。1999年、藤本芳則・上田信道と同人を務める季刊『児童文学資料研究』で日本児童文学学会賞特別賞受賞。.

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宮沢賢治

宮沢 賢治(みやざわ けんじ、正字: 宮澤 賢治、1896年8月27日 - 1933年9月21日)は、日本の詩人、童話作家。 仏教(法華経)信仰と農民生活に根ざした創作を行い、創作作品中に登場する架空の理想郷に、岩手をモチーフとしてイーハトーブ(Ihatov、イーハトヴあるいはイーハトーヴォ (Ihatovo) 等とも)と名付けたことで知られる。生前彼の作品はほとんど一般には知られず無名に近かったが、没後草野心平らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家となっていった。そうした経緯もあって日本には広く愛好者がおり、出身地である岩手県花巻市は彼の故郷として有名である。.

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少女の友

『少女の友』(しょうじょのとも)は、実業之日本社が発行していた少女向け雑誌。1908年(明治41年)創刊、1955年(昭和30年)に休刊。題字は当時20代だった北大路魯山人が揮毫した。.

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少年倶楽部

少年倶楽部(せうねんくらぶ、しょうねんくらぶ)は、1914年(大正3年)に大日本雄弁会(現・講談社)が創刊し、敗戦後の1946年に少年クラブと改名して1962年(昭和37年)まで、611冊刊行された月刊少年雑誌である。 なお、これ以外の『少年倶楽部』には、『北隆館』が1897年に、『少年倶楽部社』が1908年に、『大文社』が1911年に創刊して、いずれも短期に終わった三誌があった。.

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岡本定男

岡本 定男(おかもと さだお、1946年- )は、日本の教育学者、奈良教育大学名誉教授。前大阪健康福祉短期大学学長。 愛知県生まれ。1969年名古屋大学理学部数学科卒、1972年大阪教育大学大学院教育学研究科修士課程修了、1982年東京大学大学院教育学研究科教育史教育哲学博士課程満期退学。1993年『子ども文化の水脈』で日本児童文学学会賞奨励賞受賞。1987年奈良教育大学助教授、98年教授、2011年定年退任、名誉教授。1997年-2010年「教育科学研究会」副委員長。2015年2月-2017年3月大阪健康福祉短期大学学長。.

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川勝泰介

川勝 泰介(かわかつ たいすけ、1951年 - )は、日本の教育学者、京都女子大学教授(発達教育学部児童学科)。専門は、児童文化学、教育学、児童文学 発達教育学部 児童学科。.

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巌谷小波

巖谷小波 巖谷 小波(いわや さざなみ、1870年7月4日(明治3年6月6日) - 1933年(昭和8年)9月5日)は、明治から大正にかけての作家、児童文学者、俳人。本名は季雄(すえお)。別号に漣山人(さざなみ さんじん)、楽天居、隔恋坊、大江小波がある。.

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上笙一郎

上 笙一郎(かみ しょういちろう、1933年2月16日 - 2015年1月29日)は、日本の児童文化研究家。本名・山崎健寿(けんじゅ)。妻は、山崎朋子。共著で『日本の幼稚園──幼児教育の歴史』(ちくま学芸文庫)がある。.

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上田信道

上田 信道(うえだ のぶみち、1953年(昭和28年) - )は、童謡研究者、岡崎女子大学教授。 大阪市生まれ。大阪教育大学大学院修士課程修了後、大阪府立高校の教諭、大阪国際児童文学館主任専門員、2001年退職し非常勤講師。2006年岡崎女子短期大学教授、岡崎女子大学子ども教育学部教授。1999年、大藤幹夫、藤本芳則と同人を務める季刊『児童文学資料研究』で日本児童文学学会賞特別賞受賞。雨情会会員。.

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上野美子

上野 美子(うえの よしこ、1939年 - )は、日本の英文学者、東京都立大学名誉教授。 兵庫県生まれ。東京女子大学文理学部英米文学科卒業、東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。1993年、「ロビン・フッド伝説」で東京大学文学博士。1967年、東京都立大学人文学部専任講師、のちに助教授、教授。2004年、名誉教授。 中世ロビン・フッド伝説、ウィリアム・シェイクスピアが専門。.

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上野浩道

上野 浩道(うえの ひろみち、1940年3月29日- )は、日本の教育学者、お茶の水女子大学・東京藝術大学名誉教授。美術教育が専門。.

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与田凖一

与田 凖一(よだじゅんいち、1905年6月25日 - 1997年2月3日)は、日本の児童文学者・詩人。昭和期の日本の児童文学界において指導的役割を担った。作詞家を担当、巽聖歌らと親交を結びその後も本格的な執筆活動を開始し、1929年に初の童謡集「旗・蜂・雲」を出版した。 橋本淳の父。ドイツ文学翻訳の与田静(1942- )は長女。與田凖一の表記もある。.

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中川素子

中川 素子(なかがわ もとこ、1942年 - )は、日本の美術学者、文教大学名誉教授。 東京生まれ。父は小説家の高杉一郎。1966年東京藝術大学美術学部卒。1969年同大学院保存修復技術修士課程修了。同年立正女子大学助手、71年専任講師、78年文教大学(校名変更)教育学部助教授、93年教授、2013年定年退任、名誉教授。1965年安宅賞受賞。1992年『絵本はアート』で日本児童文学学会賞奨励賞受賞。絵本、ブックアートなどが専門。.

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中川正文

中川 正文(なかがわ まさふみ、1921年1月11日 - 2011年10月13日)は、日本の児童文学作家、児童文化研究者。財団法人大阪国際児童文学館特別顧問、京都女子大学名誉教授、大阪府立国際児童文学館名誉館長。 京都女子大学教授、日本児童文学学会会長、日本保育学会理事、大阪府立国際児童文学館館長、財団法人大阪国際児童文学館理事長などを歴任した。.

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中京大学

記載なし。

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中野三敏

中野 三敏(なかの みつとし、1935年(昭和10年)11月24日 - )は、日本の日本文学研究者。江戸から明治期の近世文学を中心に研究。九州大学名誉教授(元文学部長)。.

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中野晴行

中野晴行(なかの はるゆき、1954年 - )は、フリーライター、漫画評論家。東京都生まれ、大阪府出身。.

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中村悦子

中村 悦子(なかむら えつこ).

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三宅興子

三宅 興子(みやけ おきこ、1938年 - )は、英国児童文学研究者、梅花女子大学名誉教授。 大阪府立大学大学院修士課程修了。大谷女子短期大学講師、梅花女子大学教授、2007年定年、名誉教授。1983年『児童文学はじめの一歩』(共著)で日本児童文学学会賞奨励賞受賞。96年『イギリスの絵本の歴史』で日本児童文学学会賞受賞。.

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三木露風

三木 露風(みき ろふう、1889年(明治22年)6月23日 - 1964年(昭和39年)12月29日)は、日本の詩人、童謡作家、歌人、随筆家。本名は三木 操(みき みさお)。異父弟に映画カメラマンの碧川道夫がいる。 近代日本を代表する詩人・作詞家として、北原白秋と並んで「白露時代」を築いた。若き日は日本における象徴派詩人でもあった。.

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府川源一郎

府川 源一郎(ふかわ げんいちろう、1948年 - )は、日本の教育学者、横浜国立大学教授。.

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二上洋一

二上 洋一(ふたがみ ひろかず、1937年5月1日『日本ミステリー事典』(権田萬治 新保博久 監修、新潮社、2000年)p276 - 2009年1月16日)は、日本のミステリ評論家、少年小説研究家。本名、倉持功。別名、千葉健児、金田一郎、根岸洋2013年9月21日閲覧。 茨城県生まれ。早稲田大学卒業。在学中はワセダミステリクラブに所属。学生時代から『宝石』誌上に「高木彬光論」などの推理小説論を発表。1961年、ミステリ誌『エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン』の短編コンテストにて「古事記殺人事件」が最終選考に残る。1962年、権田萬治や島崎博らと『みすてりい』を創刊。 集英社で少女漫画の編集に携わる傍ら、70年代後半には『幻影城』の月評執筆者および幻影城新人賞の予選委員としても活動した。ミステリ評論のみならず、少年小説研究家でもあり、1978年に評論集『少年小説の系譜』で日本児童文学学会奨励賞を受賞。.

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井辻朱美

井辻 朱美(いつじ あけみ、1955年12月12日 - )は日本の翻訳家、ファンタジー小説家、歌人。東京大学理学部生物学科卒・同大学院人文系研究科比較文学比較文化専攻修了。白百合女子大学文学部児童文化学科教授。 トールキンなどの正当ファンタジーの愛好家として出発し石堂藍「挑戦するファンタジー」『幻想文学58 特集 女性ファンタジスト2000』、幻想文学企画室 編集、アトリエOCTA、2000年、英米のファンタジー小説を多く翻訳する。また自身も、ロード・ダンセイニなどの英米ファンタジーの世界観の影響を受けたファンタジー小説を多数著している。作風は軽やかで明るいものが多い。ファンタジー評論家の石堂藍は、言葉への深いこだわりを持ち、徹底して空想的な世界を描く作家と評し、山尾悠子と好一対のファンタジストと述べている。児童文学総合雑誌「ネバーランド」(てらいんく刊行)編集委員。 歌人としては短歌結社「詩歌」にて、前田夕暮の長男である前田透に師事した後、1984年より歌人集団「かばん」創刊メンバーとして所属。本人がFT短歌(ファンタジー短歌)と呼ぶ独特の世界観を持ったファンタジックな短歌を詠む。詩人・翻訳家の原葵は「壮大なスペース・ロマンが短歌の中で繰りひろげられている。どの歌もすべて物語の予感にみちている。」と評している。現在、同誌発行人。 オペラが趣味でドイツ語に長じ、NHK-BSで字幕を手がけた経験もある。裏千家茶道準教授、藤間流の日舞名取でもある。夫は哲学者の黒崎政男。.

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仲村修

仲村 修(なかむら おさむ、1949年 - )は、朝鮮文学者。 岡山県生まれ。岡山大学卒、大阪外国語大学朝鮮語科専攻科卒業。神戸市職員となり、神戸市立中学校教師をへて韓国仁荷大学大学院修士課程修了。1997年『韓国・朝鮮児童文学評論集』(編訳)で日本児童文学学会奨励賞受賞。オリニの会・オリニほんやく会主宰、日本児童文学者協会・日本児童文学学会・朝鮮学会会員。.

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弥吉菅一

弥吉 菅一(彌吉菅一、やよし かんいち、1911年9月27日 - 2000年3月14日)は、児童詩研究家・日本文学研究家。 福岡県浮羽郡(現うきは市)生まれ。広島文理科大学(現・広島大学)国文科卒。大阪学芸大学助教授、校名変更で大阪教育大学教授、1977年定年退官、名誉教授、梅花女子大学教授。1984年「日本児童詩教育の歴史的研究」で広島大学教育学博士。1997年日本児童文学学会特別賞受賞。1977年度博報賞受賞。.

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佐藤宗子

佐藤 宗子(さとう もとこ、1955年 - )は、比較文学者、児童文学研究者、千葉大学教授。前日本児童文学学会会長。.

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佐藤通雅

佐藤 通雅(さとう みちまさ、1943年1月2日 - )は、日本の歌人、評論家。元高校教師。岩手県出身。東北大学教育学部卒業。 歌誌『短歌人』を経て、1966年文学思想個人編集誌『路上』を創刊。短歌、詩、評論、児童文学研究などの分野で編集。宮沢賢治論、北原白秋論が多い。2011年の第120号にて第1期を終刊、第2期へと移行した。河北新報歌壇選者。 1965年、「青海」で第11回角川短歌賞候補。1971年『新美南吉童話論』で第4回日本児童文学者協会新人賞受賞。1986年『日本児童文学の成立・序説』で日本児童文学学会賞奨励賞。2000年『宮沢賢治 東北砕石工場技師論』で第10回宮沢賢治賞受賞。2012年歌集『強霜』で第27回詩歌文学館賞短歌部門を受賞。.

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地獄先生ぬ〜べ〜の登場人物

地獄先生ぬ〜べ〜の登場人物(じごくせんせいぬ〜べ〜のとうじょうじんぶつ)は、原作:真倉翔、作画:岡野剛の漫画作品およびそれを原作としたアニメ・ドラマ『地獄先生ぬ〜べ〜』と『地獄先生ぬ〜べ〜NEO』に登場する架空の人物の一覧。.

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マーク・トウェイン

マーク・トウェイン(Mark Twain, 1835年11月30日 - 1910年4月21日)、本名サミュエル・ラングホーン・クレメンズ(Samuel Langhorne Clemens)は、アメリカ合衆国の作家、小説家。ミズーリ州出身。『トム・ソーヤーの冒険』の著者として知られ、数多くの小説やエッセーを発表、世界中で講演活動を行うなど、当時最も人気のある著名人であった。 ウィリアム・フォークナーは、トウェインが「最初の真のアメリカ人作家であり、我々の全ては彼の相続人である」と記した。アーネスト・ヘミングウェイは『アフリカの緑の丘』において、「あらゆる現代アメリカ文学は、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィン』と呼ばれる一冊に由来する」と述べた。.

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マザー・グース

マザー・グース (Mother Goose) は、英米を中心に親しまれている英語の伝承童謡の総称。イギリス発祥のものが多いが、アメリカ合衆国発祥のものもあり、著名な童謡は特に17世紀の大英帝国の植民地化政策によって世界中に広まっている藤野 (2007), 4頁。。600から1000以上の種類があるといわれるマザー・グースは、英米では庶民から貴族まで階級の隔てなく親しまれており、聖書やシェイクスピアと並んで英米人の教養の基礎となっているとも言われている。現代の大衆文化においても、マザー・グースからの引用や言及は頻繁になされている。 なお、英語の童謡を指す言葉としてほかにナーサリーライムがあり、イギリスでは童謡の総称としてはマザー・グースよりもこちらが使われる傾向もある。しかし「ナーサリー・ライム」が新作も含む童謡全般を指しうる言葉であるのに対して、「マザー・グース」は伝承化した童謡のみに用いられる点に違いがあると考えられる藤野 (2007), 7頁。。後述するように「マザー・グース」が童謡の総称として用いられるようになったのは18世紀後半からであるが、それに対して「ナーサリー・ライム」が童謡の総称に用いられるようになったのは1824年のスコットランドのある雑誌においてであり、「ナーサリー・ライム」のほうが新しい呼称である。.

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ルイーザ・メイ・オルコット

ルイーザ・メイ・オルコット(Louisa May Alcott, 1832年11月29日 - 1888年3月6日)は、アメリカの小説家。1868年に書かれた『若草物語』(Little Women)で知られる。.

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ルイス・キャロル

ルイス・キャロル(Lewis Carroll, 1832年1月27日 - 1898年1月14日)は、イギリスの数学者、論理学者、写真家、作家、詩人である。 本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン (Charles Lutwidge Dodgson) で、作家として活動する時にルイス・キャロルのペンネームを用いた。このペンネームは "Charles Lutwidge" をこれに対応するラテン語名 "Carolus Ludovicus" に直し、再び英語名に戻して順序を入れ替えたものである。なお、 "Dodgson" の実際の発音は「ドジソン」ではなく「ドッドソン」に近いという説もあるが、この記事では慣例に従い「ドジソン」と表記する。 作家としてのルイス・キャロルは、『不思議の国のアリス』の作者として非常に良く知られている。「かばん語」として知られる複数の語からなる造語など、様々な実験的手法で注目されている。数学者としては、チャールズ・ドジソン名義で著作を出している。 キャロルの作品は出版以来人気を博し続けており、その影響は児童文学の域に止まらず、ジェイムズ・ジョイスやホルヘ・ルイス・ボルヘスのような20世紀の作家らにも及んでいる。.

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ロビン・フッド

ビン・フッド碑 ロビン・フッド は、中世イングランドの伝説上の人物である。まれに「ロビン・フード」と表記されることがある。.

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ロビンソン・クルーソー

ビンソン・クルーソー 『ロビンソン・クルーソー』(Robinson Crusoe)は、イギリスの小説家ダニエル・デフォーの小説。主に第1作を指して『ロビンソン漂流記』などともいう。.

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ブリューゲル

ブリューゲル (Brueghel、オランダ語:Bruegel) は、フランドルで16世紀から17世紀にかけて画家を多く出した一族の姓。画家としては以下の人物が代表的である。同名の人物もいるため、必要に応じて父・子や大・小などの字を付したり、得意とした画題や絵の印象を冠したりして区別される。.

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プランゲ文庫

ードン・W・プランゲ文庫(ゴードン・W・プランゲぶんこ、英称:Gordon W. Prange Collection)は、第二次世界大戦後1945年から1949年までに日本で出版された印刷物のほとんどを所蔵するである。.

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周東美材

周東 美材(しゅうとう よしき、1980年 - )は、日本の社会学者:、日本体育大学体育学部准教授。童謡の歴史などに焦点をあて、文化社会学、メディア論の観点から日本のポピュラー音楽の歴史について研究している。.

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和田典子

和田 典子(わだ のりこ、1915年12月10日 - 2005年9月30日)は、家庭科教師、社会運動家。 京都府生まれ。1938年東京女子高等師範学校家事科卒、1944年まで高等女学校の教諭、戦後は1947年から東京女子高等師範学校研究科で学び、その後東京都職員(教諭)として1950年から1979年まで東京都立戸山高等学校家庭科教員。家庭科教育研究者連盟会長。家庭科の男女共修を訴え続けた。.

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アンデルセン

アンデルセン(Andersen)はデンマーク系の姓。デンマーク語では正しくは(アナスン)と発音する。 他言語では、(アンダーゼン)/(アンダースン) 、(アンデシェン)となる。これらは別記事を参照。.

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ジゴマ

『ジゴマ』(Zigomar)は、によるフランスの怪盗小説シリーズ。及びそれを原作とした映画。日本で爆発的なブームとなり、多くの独自の映画・小説も作られ、子供への影響から映画の上映禁止にまで及んだ。「怪盗ジゴマ」「凶賊ジゴマ」などの呼び名もある。.

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スーザン・J・ネイピア

ーザン・J・ネイピア(Susan Jolliffe Napier, 1955年-)は、アメリカ合衆国の日本文学・文化研究者。とくに現代日本のアニメ研究で知られる。第27回日本児童文学学会特別賞受賞。 ハーヴァード大学で博士号取得。テキサス大学助教授・教授を経て、現在、タフツ大学教授。.

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冨田博之

冨田博之(とみた ひろゆき、1922年6月20日-1994年12月21日)は、児童演劇作家、研究家。 福島県生まれ。1943年青山師範学校(現東京学芸大学)専攻科卒。小学校教師ののち出征、戦後、福島県で教員、児童演劇の執筆、研究をおこない、76年『日本児童演劇史』で毎日出版文化賞、日本児童文学者協会賞受賞。77年芸術選奨文部大臣賞受賞。90年紫綬褒章受章。93年日本児童文学学会会長。.

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児童文学

児童文学(じどうぶんがく)は、0歳から10代、概ね12歳頃までのプレティーンの読み手や聞き手を対象にした文学作品およびジャンルであるが、ティーンエイジャーまでを範疇に含む場合もある。イラストレーションが添えられている場合が多い。 この語は娯楽性に重きを置いているエンターテイメント作品群であるヤングアダルト小説(ライトノベルや少女小説)や漫画などの他のジャンルと区別する形で使われる場合もある。明確に子ども向けに作られた書物は17世紀までには既に存在していた。児童文学の研究のための職業団体、専門の出版物、大学の専攻課程なども存在する。国や世代を超えて読みつがれる名作や、幅広い世代に受け入れられるベストセラーやロングセラー作品が数多くある。 日本においては、子どもを対象としたフィクションの文学ジャンルについては、童話という用語が使われていることが多い。だが、空想的なお話というジャンルとしての用語として使われることもあり、昭和時代以降は、広義には児童文学が使われるようになっており、童話に関しては、年少者向けという狭義の意味合いで一般には流布している。出版社や出版業界では、こうしたものや絵本を児童書あるいは児童図書と呼んで扱っている。.

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児童文化

児童文化(じどうぶんか)は、広義には児童生活におよぼす文化的影響の総和、狭義には児童文化財の内容や子ども自身の文化的活動を表すもので、日本独自の概念である。1930年代に心理学者の波多野完治によって作られた概念とも、あるいは既に1922年に峰地光重の『文化中心綴方新教授法』の中で既に使われ、1920年代を通して綴り方教育運動の中で使用されているともいうが、いずれにせよ本格的に使われ始めたのは、1920年代後半から1930年代にかけてである。これには明治から大正時代にかけて巌谷小波や鈴木三重吉らによって子どものために興された童心芸術運動が背景にあるとされる。具体的は絵本、児童文学、唱歌、詩歌、紙芝居、児童劇などといったもので、それらは児童文化財とも呼ばれた。.

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光吉夏弥

光吉 夏弥(みつよし なつや、1904年11月20日 - 1989年3月7日)は、日本の翻訳家・絵本研究家・舞踊評論家。本名・積男。 大阪府北区北野茶屋町で生まれる。1929年慶應義塾大学経済学部卒業。専門は児童文学・写真・舞踊。1953年岩波書店で「岩波の子どもの本」絵本シリーズを石井桃子とともに創立する。ほか児童書の翻訳、バレエの入門書など多数がある。1990年『絵本図書館(世界の絵本作家たち)』で日本児童文学学会賞特別賞受賞。 岩波書店刊の絵本『ちびくろ・さんぼ』(1953年初版)の翻訳者として知られる。同絵本は、1988年に人種差別の指摘を受け、絶版となったが(いわゆるサンボ一斉絶版問題)、2005年に瑞雲舎からほぼそっくりそのままの形で復刊された。.

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勝尾金弥

勝尾 金弥(かつお きんや、1927年9月20日 - )は、日本の児童文学者。愛知県立大学名誉教授。.

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四方田犬彦

四方田 犬彦(よもた いぬひこ、1953年2月20日 - )は、日本の比較文学者、映画史家。 専攻は比較文学、映画史、漫画論、記号学。本人は「映画評論家ではない」と言っているが、その肩書が用いられることがある。.

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矢崎節夫

崎 節夫(やざき せつお、1947年5月5日 - )は、児童文学作家、童謡詩人。.

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石原剛

石原 剛(いしはら つよし 1978年4月12日 - )京都を中心に活動する写真家でギャラリスト。既婚。作家名はヴィクター・マインレンダー(VECTOR MAINLANDER)。写真家の藤田一咲に師事。 大叔父は洋画家の石原薫であり、画家家系。本人も一時期写実画家を目指すが断念、写真の世界に転向する。.

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石森延男

石森 延男(いしもり のぶお、1897年6月16日 - 1987年8月14日)は、日本の児童文学者、国語教育学者、教科書編集者。.

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石澤小枝子

石澤 小枝子(いしざわ さえこ、1932年8月15日 - )は、フランス文学者・児童文学者、梅花女子大学名誉教授。 東京生まれ。旧姓・内海。1955年大阪大学文学部仏文科卒、58年同大学院文学研究科仏文科修士課程修了。1970年梅花女子大学文学部専任講師、75年助教授、82年教授、2008年名誉教授。1991年『フランス児童文学の研究』で日本児童文学学会賞受賞。 明治期日本のちりめん本を研究、自ら創作も行った。.

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神宮輝夫

宮 輝夫(じんぐう てるお、1932年2月26日 - )は、児童文学の翻訳、研究家。青山学院大学名誉教授。 群馬県高崎市生まれ。早稲田大学英文科卒業、同大学院修了。在学中から早大童話会に参加し「小さい仲間」の同人となる。若い頃から英国児童文学の翻訳を精力的に続け、アーサー・ランサム全集のほか、リチャード・アダムズ『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』、モーリス・センダック『かいじゅうたちのいるところ』、ジョン・ロウ・タウンゼンド『アーノルドのはげしい夏』、ウィリアム・メイン、ロイド・アリグザンダーなど、戦後の代表的な作品の多くを手がけた。ほか、自身による創作、評論等も多数ある。1964年、『世界児童文学案内』で日本児童文学者協会賞、1966年、サンケイ児童出版文化賞、『アーサー・ランサム全集』で1968年、児童福祉文学賞、2009年、国際グリム賞受賞。青山学院大学教授、白百合女子大学教授を務めた。野間児童文芸賞、巌谷小波文芸賞選考委員。.

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福田清人

福田 清人(ふくだ きよと、Kiyoto Fukuda, 1904年(明治37年)11月29日 - 1995年(平成7年)6月13日)は、日本の児童文学作家、文芸評論家。 .

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私市保彦

私市 保彦(きさいち やすひこ、1933年10月14日 - )は、日本のフランス文学・比較文学者、武蔵大学名誉教授。 バルザックやジュール・ヴェルヌを中心とするフランス文学研究と、フランス文学を基礎に、幻想文学、児童文学の分野での比較文学的研究を行う。そのかたわら、創作活動も行う。.

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竹久夢二

竹久 夢二(たけひさ ゆめじ、1884年(明治17年)9月16日 - 1934年(昭和9年)9月1日)は、日本の画家・詩人。本名は竹久 茂次郎(たけひさ もじろう)。.

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竹内オサム

竹内 オサム(たけうち おさむ、1951年7月1日- 、本名・竹内長武)は、日本の漫画研究家、漫画家、同志社大学社会学部メディア学科教授。日本児童文学学会、日本子ども社会学会、マスコミュニケーション学会、各会員。日本マンガ学会、日本アニメーション学会、各会員。.

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筒井清忠

井 清忠(つつい きよただ、1948年8月18日 - )は日本の社会学者。帝京大学文学部日本文化学科教授・文学部長。東京財団上席研究員。大分県大分市出身。.

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米村みゆき

米村 みゆき(よねむら みゆき)は、日本近代文学の研究者、専修大学文学部准教授。 愛知県出身。2002年名古屋大学大学院博士課程修了、「宮沢賢治・作家神話の形成と解体」で博士(文学)、2004年『宮澤賢治を作った男たち』で日本児童文学学会奨励賞受賞、その後甲南女子大学文学部メディア表現学科専任講師、2009年専修大学准教授。 吉田司の『宮澤賢治殺人事件』を受けて、賢治神話の生成過程を追った。その後は、宮崎駿のアニメーションなど、研究領域を広げている。.

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米澤嘉博

米澤 嘉博(よねざわ よしひろ、1953年3月21日 - 2006年10月1日)は日本の漫画評論家、大衆文化評論家、編集者、コミックマーケット準備会の第2代代表である。有限会社コミケット取締役社長、日本マンガ学会理事、手塚治虫文化賞選考委員、日本オタク大賞審査員なども務めた。「おたく四天王」の一人に挙げられる。愛称は米やん。 妻の英子(えいこ)はサークル「迷宮」以来の仲間。コミックマーケット準備会代表補佐として夫とともに運営に関わり、夫の死後は準備会副代表・有限会社コミケット社長に就任した。 名字について戸籍上は「米澤」表記であるが、普段は「米沢」表記を使っていた。.

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猪熊葉子

葉子(いのくま ようこ、1928年8月16日 - )は、日本近代文学、英近代文学、児童文学者、翻訳家、聖心女子大学名誉教授。.

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畑中圭一

畑中 圭一(はたなか けいいち、1932年5月28日 - )は、日本の児童文学研究者。 北海道岩見沢市生まれ。京都大学文学部仏文科卒業。高校教師をしながら童謡の創作と研究に携わり、大阪府で社会教育行政に従事、1984年大阪国際児童文学館総括専門員、名古屋明徳短期大学教授。1981年詩集『大阪弁のうた二人集ほんまにほんま』(島田陽子と共著)で第11回日本童謡賞を受賞。1991年『童謡論の系譜』で日本児童文学学会賞奨賞賞受賞。2007年『日本の童謡 誕生から九〇年の歩み』で日本児童文学学会賞受賞。.

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瀬田貞二

貞二(せた ていじ、1916年4月26日 - 1979年8月21日)は、日本の児童文学作家、翻訳家、児童文学研究者。.

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白土三平

白土 三平(しらと さんぺい、1932年2月15日 - )は、日本の漫画家。東京府出身。男性。本名は岡本 登(おかもと のぼる)。A型。『忍者武芸帳 影丸伝』『サスケ』『カムイ伝』など忍者を扱った劇画作品で人気を博した。 父親はプロレタリア画家の岡本唐貴。妹は絵本作家の岡本颯子。弟の岡本鉄二は「赤目プロ」で作画を担当、岡本真は「赤目プロ」マネージャー。.

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芥川龍之介

芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年(明治25年)3月1日 - 1927年(昭和2年)7月24日)は、日本の小説家。本名同じ、号は、俳号は我鬼。 その作品の多くは短編小説である。また、「芋粥」「藪の中」「地獄変」など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』といった古典から題材をとったものが多い。「蜘蛛の糸」「杜子春」といった児童向けの作品も書いている。.

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西田良子

西田 良子(にしだ よしこ、1931年2月5日 - )は、日本児童文学研究者。 福岡県出身。1956年早稲田大学大学院日本文学博士課程満期退学。國學院女子短期大学(現國學院大學北海道短期大学部)助教授、大阪国際児童文学館総括専門員、大谷大学教授。2002年定年退任。2010年これまでの業績に対して日本児童文学学会特別賞受賞。夫は国語学者の西田直敏。.

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西條八十

西條 八十(さいじょう やそ、新字体:西条、1892年(明治25年)1月15日 - 1970年(昭和45年)8月12日)は、日本の詩人、作詞家、仏文学者。 長男の西條八束は陸水学者。長女の三井ふたばこ(西條嫩子)も詩人。孫の西條八兄はエレキギター製作者。.

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高橋明彦

橋 明彦(たかはし あきひこ、1954年 - )は日本の数理経済学者、元金融工学実務家。東京大学経済学部卒業後、日本興業銀行を経て、Haas School of Business, University of California, BerkeleyにてPh.D.を取得。平成10年LTCM、平成11年東京大学大学院数理科学研究科助教授、平成19年東京大学大学院経済学研究科教授。専門は数理ファイナンス。.

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講談社

株式会社講談社(こうだんしゃ、英称:Kodansha Ltd.)は、日本の総合出版社。創業者の野間清治の一族が経営する同族企業。.

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谷悦子

谷悦子(たに えつこ、1944年 - )は、日本児童文学研究者、梅花女子大学名誉教授。 徳島県生まれ。1967年大阪学芸大学教育学部国文科卒、1967年-72年大阪市立津守小学校教諭、1976年大阪学芸大学を改称した大阪教育大学大学院博士課程中退。1984年梅花女子大学講師、87年助教授、95年教授、文化表現学部教授、2008年名誉教授。1988年『まど・みちお詩と童謡』で日本児童文学学会賞奨励賞受賞。.

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鳥越信

鳥越 信(とりごえ しん、1929年12月4日 - 2013年2月14日)は、日本の児童文学研究者、児童文学者。.

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鷺只雄

鷺 只雄(さぎ ただお、1936年 - )は、日本近代文学の研究者、都留文科大学名誉教授。 福島県いわき市生まれ。東京教育大学文学部国文科卒業。都留文科大学教授を務め、2002年定年退官。中島敦、芥川龍之介、壺井栄を研究。腎不全で闘病し、姉から腎臓移植を受けた経験を描いた『姉から贈られたいのち』がある。2012年日本児童文学学会特別賞受賞。2013年『評伝壺井栄』でやまなし文学賞受賞。.

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鈴木徹郎

鈴木 徹郎(すずき てつろう、1922年 - 1990年3月)は、北欧文学者、児童文学者。.

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鈴木重三

鈴木 重三(すずき じゅうぞう、1919年 - 2010年9月1日)は、日本の近世文学、美術の研究者。.

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赤毛のアン

『赤毛のアン』(あかげのアン、原題: Anne of Green Gables)は、カナダの作家L・M・モンゴメリが1908年に発表した長編小説。特に児童を対象に書かれた作品ではないが、この数十年は児童文学とみなされている。原題のグリーンゲイブルズ (Green Gables) はアンが住むことになるカスバート家の屋号であり、直訳すると、「緑の切妻屋根」という意味になる。.

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関英雄

関 英雄(せき ひでお、1912年1月24日 - 1996年4月12日)は、日本の児童文学者。.

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藤子不二雄

藤子 不二雄(ふじこ ふじお)は日本の漫画家ユニットで、本名 藤本弘(のちのペンネーム 藤子・F・不二雄)と安孫子素雄(同 藤子不二雄Ⓐ)の共同ペンネームである。1951年にコンビを結成。足塚不二雄などの名義を経て、1954年から、コンビを解消する1987年まで使用。 コンビ結成時から長らく2人で話を考え2人で絵を描いてきたが、互いの作風に変化が出てきたのちは別々に作品を執筆し、それぞれが共通の「藤子不二雄」名義で発表していた。 コンビ解消後は別々にペンネームを名乗り(藤本→「藤子・F・不二雄」、安孫子→「藤子不二雄Ⓐ」)、コンビ解消前の作品の多くがそれぞれの名義に改められた。 代表作は『オバケのQ太郎』(共作)、『ドラえもん』(藤本)、『パーマン』(藤本)、『忍者ハットリくん』(安孫子)、『怪物くん』(安孫子)など多数。.

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藤田圭雄

藤田 圭雄(ふじた たまお、1905年11月11日 - 1999年11月7日)は、日本の編集者・児童文学作家・評論家。.

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藤本芳則

藤本 芳則(ふじもと よしのり、1952年 - )は、日本児童文学研究者、大谷大学教授・短期大学部長。 大阪府生まれ。大阪教育大学大学院修士課程修了。大谷大学短期大学部助教授、大谷大学短期大学部教授。1994年『巌谷小波お伽作品目録稿』(編)で日本児童文学学会賞奨励賞受賞。1999年、大藤幹夫・上田信道と同人を務める季刊『児童文学資料研究』で日本児童文学学会賞特別賞受賞。.

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藤本朝巳

藤本 朝巳(ふじもと ともみ、男性、1953年9月18日 藤本 朝巳のホームページ、2015年1月14日閲覧。 - )は、英国児童文学研究者、フェリス女学院大学教授。 熊本県阿蘇郡高森町生まれ。青山学院大学英米文学科卒業。1995年関東学院大学文学研究科修士課程英語英米文学専攻修了、1998年白百合女子大学大学院児童文学科博士課程単位取得退学。米国ポートランド州立大学に学ぶ。フェリス女学院大学文学部英語英米文学科教授。絵本学会理事。JBBY(日本国際児童図書評議会)理事、日本イギリス児童文学会理事。2001年『昔話と昔話絵本の世界』で日本児童文学学会賞奨励賞受賞。.

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金子みすゞ

金子 みすゞ(かねこ みすず、1903年(明治36年)4月11日 - 1930年(昭和5年)3月10日)は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人。本名、金子 テル(かねこ テル)。 大正末期から昭和初期にかけて、26歳で死去するまでに500余編もの詩を綴ったとされる。1923年(大正12年)9月に『童話』『婦人倶楽部』『婦人画報』『金の星』の4誌に一斉に詩が掲載され、西條八十からは「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛された。.

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金田一春彦

金田一 春彦(きんだいち はるひこ、1913年4月3日 - 2004年5月19日)は、日本の言語学者、国語学者。国語辞典などの編纂、日本語の方言におけるアクセント研究でよく知られている。文学博士(東京大学、1962年)。栄典は瑞宝重光章・勲三等旭日中綬章・紫綬褒章。 その他の表彰歴として文化功労者、東京都名誉都民など。 父の金田一京助も言語学者で東京帝大教授。長男の金田一真澄はロシア語学者で慶應義塾大学教授、次男の金田一秀穂は言語学者で杏林大学外国語学部教授、長女の美奈子はゴルフ関係のライター。父・京助の従姉妹の夫に実業家の金田一国士。.

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長新太

長 新太(ちょう しんた、1927年9月24日 コトバンク - 典拠は『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』『デジタル大辞泉』『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』 - 2005年6月25日 asahi.com 出版ニュース、2005年6月25日)は日本の漫画家・絵本作家。 本名:鈴木 揫治(すずき しゅうじ、「しゅう」は「秋」の下に「手」)寺光忠男『正伝・昭和漫画 ナンセンスの系譜』 毎日新聞社、1990年 pp.122-126。漫画作品のほか、「ユーモラスな展開と不条理な筋立て」による「ナンセンス絵本」と称される数多くの絵本や、児童文学の挿絵を描き、「ナンセンスの神様」の異名をとった。また、エッセイなどの分野でも活動した。.

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若松賤子

若松 賤子(わかまつ しずこ、1864年4月6日(元治元年3月1日) - 1896年(明治29年)2月10日)は、教育家、翻訳家、作家。巌本善治夫人。バーネットの『小公子』の名訳で知られ、日本で初めて少年少女のためのキリスト教文学を紹介した。.

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恩田逸夫

恩田逸夫(おんだ いつお、1916年-1979年8月24日)は、日本近代文学研究者。 東京生まれ。京都帝国大学文学部哲学科卒、東京帝国大学文学部国文科卒、同大学院(旧制)修了。明治薬科大学教授、跡見学園女子大学教授を務めた。没後宮沢賢治研究の業績に対して日本児童文学学会賞受賞。弟は画家の恩田秋夫。.

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松田司郎

松田 司郎(まつだ しろう、1942年3月13日 - )は、児童文学作家・評論家。大阪国際大学名誉教授。.

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村瀬学

村瀬 学(むらせ まなぶ、1949年 - )は、日本の児童文化研究者、心理学者、同志社女子大学教授。.

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村松定孝

村松 定孝(むらまつ さだたか、1918年6月17日 - 2007年10月5日)は、日本の国文学者。上智大学名誉教授。専門は近代文学。長男は名城大学人間学部教授の村松定史。.

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桝居孝

桝居 孝(ますい たかし、1926年10月24日 - )は、児童文化史研究家。 東京に生まれ、神奈川県鎌倉市、藤沢市で育つ。第一高等学校卒、東京帝国大学法学部法律学科卒業。公務員として自治省、神奈川県、鹿児島県、大阪府に30年勤務。日本赤十字社職員として大阪府支部、日赤本社に十余年勤務。大阪府教育長在職中に大阪府立国際児童文学館の設立に関与。2011年『日本最初の少年少女雑誌『ちゑのあけぼの』の探索 「鹿鳴館時代」の大阪、京都、神戸』で日本児童文学学会特別賞受賞。.

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桑原三郎

桑原 三郎(くわばら さぶろう、1926年12月20日 - 2009年1月21日)は日本の教育者、児童文学者、文学博士。日本児童文芸家協会顧問、慶應義塾福澤研究センター顧問。 人形劇『きかんしゃトーマス』の原作となった絵本『汽車のえほん』の翻訳者のひとり。.

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森洋子

森洋子(もり ようこ)は、日本人女性の名前.

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植田敏郎

植田 敏郎(うえだ としろう、1908年1月17日 - 1992年10月21日)は、ドイツ文学者、翻訳家。.

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楠本君恵

楠本 君恵(くすもと きみえ、1943年 - )は、英国児童文学研究者、法政大学名誉教授。 山梨県生まれ。山梨大学学芸学部卒、早稲田大学大学院修士課程修了。高校教師をへて、法政大学経済学部助教授、教授。2011年定年退任、名誉教授。日本ルイス・キャロル協会会員。沢登君恵の名で翻訳をおこなう。1981年『金色の影』で旺文社児童文学翻訳賞受賞。2001年『翻訳の国の「アリス」』で日本児童文学学会賞奨励賞受賞。.

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横川寿美子

横川 寿美子(よこかわ すみこ、1953年3月 - )は、英米文学者、児童文学研究者。帝塚山学院大学文学部教授。京都市生まれ。.

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武田雅哉

武田 雅哉(たけだ まさや、1958年1月 - )は、日本の中国文学者。北海道大学教授(Book Asahi.com2007年02月18日掲載 2013年1月14日閲覧。 北海道函館市生まれ。1985年北海道大学文学部中国文学科卒、1988年同大学院修士課程修了、中野美代子に師事する。北大助手等を経て、北海道大学文学部助教授、教授。北海道大学大学院文学研究科中国文化論講座教授、95年『蒼頡たちの宴』でサントリー学芸賞受賞。2017年『中国のマンガ〈連環画〉の世界』で日本児童文学学会賞特別賞受賞。.

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永嶺重敏

永嶺重敏(ながみね しげとし、1955年- )は、出版文化研究者。   鹿児島県生まれ。九州大学文学部史学科卒業、図書館短期大学別科修了。東京大学経済学部図書室勤務、同法学部附属明治新聞雑誌文庫、史料編纂所図書室、駒場図書館、情報学環図書室、文学部図書室勤務。1997年『雑誌と読者の近代』で日本出版学会賞、国立大学図書館協議会賞、2001年『モダン都市の読書空間』で日本図書館情報学会賞、2006年『怪盗ジゴマと活動写真の時代』で内川芳美記念マス・コミュニケーション学会賞、日本児童文学学会奨励賞受賞。日本出版学会、日本マス・コミュニケーション学会、メディア史研究会会員。.

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永田桂子

永田 桂子(ながた けいこ、1947年3月3日 - )は、児童文化研究者。 愛知県出身。愛知県立女子大学(現・愛知県立大学)児童福祉学科卒業。京都女子大学大学院家政学研究科修了(児童学専攻)。武蔵野大学大学院人間社会・文化研究科(人間社会専攻)博士課程満期退学。1987年『絵本観・玩具観の変遷』で日本児童文学学会賞奨励賞受賞。2009年「「絵本」という文化財に内在する機能 歴史・母子関係・現代社会からの総合的考察を通して」で武蔵野大学学術博士。日本児童文学学会、絵本学会の理事、評議員等。財団法人大阪国際児童文学館(現・大阪国際児童文学振興財団)他に勤務した後、大学講師。.

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渡辺茂男

渡辺 茂男(わたなべ しげお、1928年3月20日 - 2006年11月18日)は、日本の児童文学者、翻訳家。昭和時代戦後から平成時代にかけて、児童文学を多数創作したほか、英米の絵本や童話を中心とした児童文学や海外の児童文学理論の翻訳を数多く手がけた。.

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渋沢青花

渋沢 青花(しぶさわ せいか、1889年2月18日 - 1983年5月19日)は、日本の編集者、児童文学作家、児童文学研究者。本名・寿三郎。別名・孤星、素風。 東京・八丁堀生まれ。小学校時代に友人であった小宮山豊作や久保田万太郎の影響で文学に開眼日外アソシエーツ現代人物情報。府立三中を経て早大英文科に入学し、片上伸に師事日外アソシエーツ現代人物情報。 1912年早稲田大学文学部英文学科卒業。島村抱月の紹介で実業之日本社に入社日外アソシエーツ現代人物情報。はじめ「実業講習録」編集部に勤務するが、1913年「少女の友」に少女小説「悲しき海へ」を寄稿したのがきっかけで、1914年同誌に配属された。1919年「日本少年」主筆、1911年「小学男生」主筆を歴任し、大正時代の少年少女雑誌隆盛の一翼を担った日外アソシエーツ現代人物情報。 関東大震災で「小学男生」が「幼年の友」に合併されたのを機に、1923年退社日外アソシエーツ現代人物情報。以後は執筆活動に専念する日外アソシエーツ現代人物情報。1928年、水谷まさる、千葉省三らの童話文学社の同人となる日外アソシエーツ現代人物情報。同社解散後は創作の傍ら、三省堂の「書苑」や「大日本画劇」の編集に従事し、1937年、前田晁、村岡花子らとともに日本児童文化協会を設立し、常務理事として児童文芸の普及に努めた日外アソシエーツ現代人物情報。のち創作を廃し、戦後は主に海外の作品や民話などを紹介した日外アソシエーツ現代人物情報。 1960年児童文化功労者。「大正の『日本少年』と『少女の友』」で1981年第6回日本児童文芸家協会賞特別賞および1982年第6回日本児童文学学会賞特別賞受賞。.

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滑川道夫

滑川 道夫(なめかわ みちお、1906年11月3日 - 1992年12月13日)は、日本の教育者、教育学者。.

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木坂俊平

木坂 俊平(きさか しゅんぺい、1910年7月27日 - 1986年4月4日)は、童謡作家。 兵庫県神崎郡中寺村(のち香寺町、現姫路市)生まれ。本名・市場周久(かねひさ)。2歳で姫路に移る。家庭の事情のため中学を中退、郵便配達などの職につく。詩を書き始めて木山捷平に師事しそこから木山俊平の筆名を得る。1934年大阪ガスに就職。1935年小春久一郎、渡辺香雪と童謡誌『胡桃』を創刊、豊田次雄らと大阪童謡芸術協会を設立。童謡作家として活動、十年ほど肺結核で病臥し夫人が書店を経営して家計を支えた。1986年『関西の童謡運動史』(没後刊行)で日本児童文学学会特別賞受賞。1988年日本童謡賞特別賞受賞。.

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木村八重子

木村 八重子(きむら やえこ、1942年4月22日。2015年8月20日閲覧。 - )は、日本の女優。東京都出身。サイアン所属。身長153cm。体重53kg。.

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本居長世

本居 長世(もとおり ながよ、1885年(明治18年)4月4日 - 1945年(昭和20年)10月14日)は、日本の男性童謡作曲家。晩年は長豫と称した。.

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本田和子

本田 和子(ほんだ ますこ、1931年1月15日 - )は、日本の児童学者。お茶の水女子大学名誉教授。 元お茶の水女子大学学長。専門は児童文化論、児童社会史。新潟県生まれ。 放送倫理・番組向上機構(放送と青少年に関する委員会(青少年委員会))委員長も務めた。.

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浜野卓也

浜野 卓也(はまの たくや、1926年1月5日 - 2003年8月10日)は、日本の児童文学作家・評論家。専攻は近代文学。.

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斎藤佐次郎

斎藤 佐次郎(さいとう さじろう、1893年(明治26年)9月26日-1983年(昭和58年)12月11日)は、出版社金の星社の創業者。児童雑誌『金の船』(後『金の星』と改題)主宰者。 1893年(明治26年)父佐次郎(佐次郎と同名)の5男として生まれる。父親は人力車の防水幌や雨合羽の防水加工で財を成した。佐次郎が成人する前に両親と死別するが、父親の遺産により裕福な青年時代を送る。早稲田大学英文科卒業。在学中には坪内逍遥や島村抱月らの指導を受け、文学への道を志す。 1918年(大正7年)鈴木三重吉が児童雑誌『赤い鳥』を創刊したのに触発され、出版社キンノツノ社社長横山寿篤と児童雑誌創刊を決意。島崎藤村、若山牧水、西條八十、有島生馬らの賛同を得、さらに西條八十から野口雨情の紹介を受け、1919年(大正8年)11月、児童雑誌『金の船』を創刊、自ら執筆にも関わる。その後中山晋平より本居長世の紹介を受け、野口雨情と本居長世による多くの童謡を世に送り出した。 童謡は『赤い鳥』に掲載された西條八十と成田為三による『かなりや』を嚆矢とするが、その後の『赤い鳥』には童謡の掲載は少なく、むしろ『金の船』が童謡普及運動を牽引したといってよい。最盛期の発行部数は2万5千部にのぼった。 1922年(大正11年)6月、金銭上の問題から横山寿篤と袂を分かつ。『金の船』の発行名義は出版社社長である横山寿篤となっていたため、金の星社を設立し、それまでの執筆陣らと共に新たに雑誌『金の星』を発刊。横山寿篤の『金の船』と分裂する事態となった。『金の星』はその後も引き続き読者の支持を得るが、やがて童謡人気の衰退に伴い、1929年(昭和4年)7月、『金の星』終刊。 その後も児童図書の出版に力を注ぐが、1981年(昭和56年)金の星社の社長職を子息に譲り、会長に就任。1983年(昭和58年)脳梗塞で死去。 1996年『斎藤佐次郎・児童文学史』(宮崎芳彦編、金の星社、1996)で日本児童文学学会賞特別賞受賞。.

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新美南吉

新美南吉記念館(半田市) 親子狐の像・『手袋を買いに』(1943年) 新美南吉(にいみ なんきち、1913年7月30日 - 1943年3月22日)は、日本の児童文学作家。本名は新美正八(旧姓:渡邊)。愛知県半田市出身。雑誌『赤い鳥』出身の作家の一人であり、彼の代表作『ごん狐』(1932年)はこの雑誌に掲載されたのが初出。結核により29歳の若さで亡くなったため、作品数は多くない。童話の他に童謡、詩、短歌、俳句や戯曲も残した。彼の生前から発表の機会を多く提供していた友人の巽聖歌は、南吉の死後もその作品を広める努力をした。 半田市名誉市民。出身地の半田には、新美南吉記念館のほか、彼の実家や作品ゆかりの場所を巡るウォーキングコースも作られている。半田市は生誕100周年にあたる2013年に新美南吉生誕100年記念事業を各種行った。.

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