128 関係: 吉永村 (静岡県志太郡)、大富村 (静岡県)、大井川、大井川町、大長村 (静岡県)、大正、大津村 (静岡県)、大洲村 (静岡県)、天領、安房国、寺社領、小川町 (静岡県)、岡部宿、岡部町 (静岡県)、岩村藩、島田宿、島田市、川根町、川根本町、上川根村、上総国、中川根町、平成、年貢、広幡村 (静岡県)、廃藩置県、伊久身村、徳山村 (静岡県)、徳川将軍家、信太郡、志太郡衙跡、志田郡、土岐郡、地方知行、和田村 (静岡県志太郡)、六合村 (静岡県志太郡)、知行、稲葉村 (静岡県)、笹間村 (静岡県)、美濃国、田中藩、町村制、焼津市、益津郡、相川村 (静岡県)、瀬戸谷村、花房藩、遠江国、菊間藩、青島町、...、静岡県、静浜村、西益津村、駿府藩、駿河国、角川日本地名大辞典、高洲村、豊田村 (静岡県志太郡)、転封、郡、郡区町村編制法、郡制、藤枝宿、藤枝市、藤枝町、藩、葉梨村、長尾藩、掛川藩、東川根村、東益津村、松尾藩、榛原郡、横須賀藩、沼津藩、消滅した郡の一覧、朝比奈村 (静岡県志太郡)、本川根町、明治、昭和、旧高旧領取調帳、慶応、10月1日、11月1日、11月7日 (旧暦)、1868年、1869年、1871年、1875年、1876年、1879年、1880年、1881年、1887年、1889年、1891年、1896年、1901年、1922年、1923年、1926年、1948年、1951年、1952年、1953年、1954年、1955年、1956年、1957年、1月1日、2008年、2009年、2月15日、2月26日、3月12日、3月1日、3月31日、4月1日、5月24日 (旧暦)、6月11日、6月28日、7月13日 (旧暦)、7月14日 (旧暦)、7月1日、8月7日 (旧暦)、9月1日、9月30日、9月5日 (旧暦)。 インデックスを展開 (78 もっと) »
吉永村 (静岡県志太郡)
吉永村(よしながむら)は、かつて静岡県志太郡にあった村。.
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大富村 (静岡県)
大富村(おおとみむら)は静岡県の中部、志太郡に属していた村。現在の焼津市中部の内陸側にあたる。.
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大井川
大井川(おおいがわ)は、静岡県を流れる河川。一級水系大井川の本流。.
大井川町
大井川町(おおいがわちょう)は、静岡県の中部、志太郡に位置していた町。2008年(平成20年)11月1日、焼津市に編入合併した。 大井川が西側に流れ南に駿河湾をのぞむ町で、地方交付税不交付団体であった。 春と秋の2回桜エビ漁が行われる。.
大長村 (静岡県)
大長村(おおながむら)は静岡県の中部、志太郡に属していた村。現在の島田市中心部に北接する大井川左岸の地域にあたる。.
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大正
大正(たいしょう)は日本の元号の一つ。明治の後、昭和の前。大正天皇の在位期間である1912年(明治45年/大正元年)7月30日から1926年(大正15年/昭和元年)12月25日までの期間。.
大津村 (静岡県)
大津村(おおつむら)は静岡県の中部、志太郡に属していた村。現在の島田市中心部に北接する地域にあたる。.
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大洲村 (静岡県)
大洲村(おおすむら)は静岡県の中部、志太郡に属していた村。現在の藤枝市南端、大井川と栃山川に挟まれた地域にあたる。.
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天領
天領(てんりょう)は、江戸時代における江戸幕府の直轄地の俗称で、このほか幕府直轄領、徳川幕府領、徳川支配地、幕府領、幕領など様々な呼称があり、必ずしも絶対的な単一の歴史用語ではない村上直, 「天領の成立と代官の位置について」, 法政史学48号, 1996年。幕府直轄領は元禄以降、全国で約400万石あった。その領地は日本全国に散らばっており、江戸時代を通じて何らかの形で幕府直轄地が存在した国は51ヶ国と1地域(蝦夷地)に及び、年貢収取の対象となる田畑以外に交通・商業の要衝と港湾、主要な鉱山、城郭や御殿の建築用材の産出地としての山林地帯が編入され江戸幕府の主要な財源であった村上直, 「天領の成立と代官の位置について」, 法政史学48号, 1996年。 幕府直轄地が「天領」と呼ばれるようになったのは明治時代である。大政奉還後に幕府直轄地が明治政府に返還された際に、「天朝の御料(御領)」などの略語として「天領」と呼ばれたのがはじまり。その後、この呼称が江戸時代にもさかのぼって使われるようになった。よって、江戸時代に使われていた呼称ではない。江戸幕府での正式名は御料・御領(ごりょう)であり、その他、江戸時代の幕府法令には御料所(ごりょうしょ、ごりょうじょ)、代官所、支配所(しはいしょ、しはいじょ)とある。江戸時代の地方書では大名領や旗本領を私領としたのに対して公領・公料、また公儀御料所(こうぎごりょうしょ)とある。 大政奉還後の慶応4年(1868年、同年明治元年)には徳川支配地を天領と呼んだ布告があるが、同時期の別の布告では「これまで徳川支配地を天領と称し居候は言語道断の儀に候、総て天朝の御料に復し、真の天領に相成候間」とある。 幕府の直轄地についての呼称については、従来は「天領」と表記していたが、この「天領」という呼称が明治以降の俗称であるという点から、近年では「幕領」と呼ぶ傾向になっており、全国の歴史教科書なども「幕領」への表記の変更が進められている。.
安房国
安房国(あわのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.
寺社領
寺社領(じしゃりょう)とは、かつて日本にあった領地区分のひとつ。.
小川町 (静岡県)
小川町(こがわちょう)は静岡県の中部、志太郡に属していた町。現在の焼津市中心部に南接する地域である。本項では町制前の名称である小川村についても記す。.
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岡部宿
歌川広重『東海道五十三次・岡部』 岡部宿(おかべしゅく、おかべじゅく)とは、東海道五十三次の21番目の宿場である。 現在の静岡県藤枝市岡部町。.
岡部町 (静岡県)
岡部町(おかべちょう)は、静岡県志太郡にかつて存在した町である。静岡市と藤枝市の間にあり、江戸時代には東海道の宿場町として栄えた。現在も町内を国道1号が通り、静岡市との境界にある宇津ノ谷峠は現在でも交通の要衝であり、旧街道、明治・昭和初期・昭和中期・平成のトンネルが全て利用可能なまま残っている。近年、住宅団地が多く造成され、静岡市のベッドタウン化が進行した。2年に一度の祭り「朝比奈大龍勢」では勇壮なロケット花火の打上げがみられる。藤枝市との合併協議を進め、2009年1月1日に藤枝市と合併した。現在の旧町域の住所表記は「藤枝市岡部町○○」。.
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岩村藩
岩村藩(いわむらはん)は、美濃国(現在の岐阜県)の岩村城を拠点として美濃国と駿河国の一部を支配した藩。.
島田宿
歌川広重『東海道五十三次・嶋田』 島田宿 (しまだしゅく、しまだじゅく、旧名「嶋田宿」)は、東海道五十三次の23番目の宿場である。 現在の静岡県島田市。大井川の左岸(江戸側)にあるため、増水で大井川の川越が禁止されると、お伊勢詣りなどの江戸から京都方面へ上る旅客が足止めされ、さながら江戸のような賑わいをみせた。長雨により、滞在費と遊興費に所持金を使い果たすことも珍しくなかった。そのため、所持金が無くなったり宿が満員になった際に家を借りた名残で、島田の旧・東海道沿いには御仮屋という地名がある。 「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川」と詠われた、東海道の難所の一つである。 大井川上流から切り出された木材の集積地としても発展。元禄期には運河が開削され、栃山川、木屋川を経て、和田湊(現在の焼津漁港南部)から江戸に運ばれた。.
島田市
島田市(しまだし)は、静岡県中部、大井川の両岸に位置する都市。.
川根町
川根町(かわねちょう)は、静岡県の中部、榛原郡に位置していた町 で「川根茶」の産地として知られる町である。2008年(平成20年)4月1日、島田市に編入合併した。現在の住所表記は「島田市川根町」。.
川根本町
川根本町(かわねほんちょう)は、静岡県中部に位置する町。榛原郡。.
上川根村
上川根村(かみかわねむら)は静岡県の中部、榛原郡に属していた村。現在の川根本町北西部にあたる。.
上総国
上総国(かずさのくに、正仮名遣:かづさのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。 常陸国・上野国とともに親王が国司を務める親王任国であり、国府の実質的長官は上総介であった。.
中川根町
中川根町(なかかわねちょう)は、静岡県の中部に位置していた、「川根茶」の産地として知られる町である。隣接する川根町、本川根町とともに、三川根と呼ばれていた。.
平成
平成(へいせい)は日本の元号の一つ。昭和の後。今上天皇在位中の1989年(平成元年)1月8日から現在に至る。2001年(平成13年)の始まりには西暦における20世紀から21世紀への世紀の転換もあった。2019年(平成31年)4月30日に今上天皇退位により終了する予定であり、予定通り終了した場合、30年113日間(=11,070日間)にわたることとなる。なお、日本の元号では昭和(64年)、明治(45年)、応永(35年)に次いで4番目の長さである(5番目は延暦の25年)。 西暦2018年(本年)は平成30年に当たる。本項では平成が使われた時代(平成時代)についても記述する。.
年貢
年貢(ねんぐ)は、日本史上の租税の一形態。律令制における田租が、平安時代初期-中期に律令制が崩壊・形骸化したことにともなって、年貢へと変質したが、貢租(こうそ)という別称に名残が見られる。その後、中世・近世を通じて、領主が百姓(農民でなく普通の民をいう。)を始めとする民衆に課する租税として存続した。主に、米で納めるため、その米を年貢米(ねんぐまい)と呼ばれた。.
広幡村 (静岡県)
広幡村(ひろはたむら)は静岡県の中部、志太郡に属していた村。現在の藤枝市東部および焼津市越後島にあたる。.
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廃藩置県
廃藩置県(はいはんちけん)とは、明治維新期の明治4年7月14日(1871年8月29日)に、明治政府がそれまでの藩を廃止して地方統治を中央管下の府と県に一元化した行政改革である。 各藩の武装解除の過程については「鎮台」を参照。.
伊久身村
伊久身村(いくみむら)は、静岡県志太郡にあった村。大井川中流の右岸に位置した。.
徳山村 (静岡県)
徳山村(とくやまむら)は静岡県の中部、志太郡に属していた村。現在の川根本町南東部にあたる。.
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徳川将軍家
徳川将軍家の略系図 徳川将軍家(德川將軍家、とくがわしょうぐんけ)は、江戸幕府の征夷大将軍を世襲した徳川氏の宗家(徳川宗家、とくがわそうけ)。明治維新後の1884年(明治17年)には公爵の爵位を授けられて徳川公爵家となった。華族制度廃止後は、単に徳川宗家と呼ばれる。.
信太郡
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志太郡衙跡
志太郡衙跡(しだぐんがあと)は、静岡県藤枝市南駿河台にある古代駿河国志太郡の郡家(郡衙)の遺跡。別名を「御子ヶ谷遺跡(みこがやいせき)」。国の史跡に指定されている。.
志田郡
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土岐郡
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地方知行
地方知行(じがたちぎょう)とは、江戸時代に将軍あるいは大名が家臣に対して禄として与える知行を、所領(地方と呼ばれる土地)及びそこの付随する百姓の形で与え、支配させること。将軍が大名に土地を与える場合には特に大名知行(だいみょうちぎょう)と呼ばれている。 ここにおける地方知行の解説に大名知行は含めないが、必要に応じて大名知行の例についても言及するものとする。.
和田村 (静岡県志太郡)
和田村(わだむら)は静岡県の中部、志太郡に属していた村。現在の焼津市中部の海側にあたる。.
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六合村 (静岡県志太郡)
六合村(ろくごうむら)は、静岡県西部、志太郡にあった村。1955年(昭和30年)1月1日、隣接する島田市に編入された。.
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知行
知行(ちぎょう)とは、日本の中世・近世において、領主が行使した所領支配権を意味する歴史概念。平安時代から「知行」の語が使用され始め、以降、各時代ごとに「知行」の意味する範囲は微妙に変化していった。日本の歴史上の領主はヨーロッパの農奴制における領主のように無制限に所領の土地と人民を私有財産として所有したのではなく、徴税権・支配権にかかわる一定の権利義務の体系を所持した存在であった。この体系が知行であり、日本史における領主階層のあり方を理解する上で、知行の概念の理解は欠かせない。.
稲葉村 (静岡県)
葉村(いなばむら)は静岡県の中部、志太郡に属していた村。現在の藤枝市中部、瀬戸川中流域にあたる。.
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笹間村 (静岡県)
笹間村(ささまむら)は静岡県志太郡にあった村。 大井川の支流・笹間川流域の村落を中心に形成されていた。ただし、大井川合流部の笹間渡(旧伊久身村)を除く。.
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美濃国
美濃国(みののくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.
田中藩
中藩(たなかはん)は、駿河国益津郡の田中城(現在の静岡県藤枝市)に藩庁を置いた藩。 江戸時代初期に酒井忠利が入り、城下町・藤枝宿の整備を行ったが、以後藩主はめまぐるしく変わった。享保15年(1730年)に本多家が4万石で入り、明治維新まで7代約130年続いた。本多家時代には水戸藩の弘道館とともに武道の二関と呼ばれた藩校・日知館を有した。なお、田中藩の歴代藩主のほとんどは幕閣入りを果たしており、田中藩主になることは幕政参加への登竜門のひとつであったといえる。.
町村制
村制(ちょうそんせい、明治44年4月7日法律第69号)とは市制とともに大日本帝国憲法下における地方自治に関する基本法である。.
焼津市
津市(やいづし)は、静岡県中部に位置する市。漁港を中心に発展し、遠洋漁業・水産加工業は全国的に有名である。.
益津郡
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相川村 (静岡県)
川村(あいかわむら)は静岡県の中部、志太郡に属していた村である。現在の焼津市南部にあたる。.
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瀬戸谷村
戸谷村(せとのやむら)は静岡県の中部、志太郡に属していた村。現在の藤枝市北西部にあたる。自治体名は「せとのやむら」であるが、現在は「せとやむら」と呼ばれ、旧村単位での地域活性化が試みられている。.
花房藩
花房藩(はなぶさはん)は、明治維新期の短期間、安房国・上総国に領地を有した藩。1868年に遠江横須賀藩の西尾家が3万5000石で移封され、1871年の廃藩置県まで存続した。仮藩庁を安房国長狭郡横渚(よこすか)村(現在の鴨川市横渚)に置き、同郡花房村(現在の鴨川市花房)に築城を開始したが、間もなく廃藩となった。.
遠江国
遠江国(とおとうみのくに/とほたふみのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。東海道に属する。.
菊間藩
菊間藩(きくまはん)は、明治維新期の短期間、上総国に存在した藩。1868年に駿河沼津藩の水野家が移封され、1871年の廃藩置県まで存続した。石高は5万石で、越後国や三河国にも領地があった。藩庁は上総国市原郡菊間村(現在の千葉県市原市菊間)の菊間陣屋。.
青島町
青島町(あおじまちょう)は静岡県の中部、志太郡に属していた町。現在の藤枝市南部、藤枝駅周辺にあたる。本項では町制前の名称である青島村についても記す。.
静岡県
静岡県(しずおかけん)は、太平洋に面する日本の県の一つ。県庁所在地は静岡市。中部地方及び東海地方に含まれる。2017年(平成29年)現在、県の人口は約367万人であり都道府県別で第10位である。.
静浜村
静浜村(しずはまむら)は静岡県の中部、志太郡に属していた村。現在の焼津市南部にあたる。航空自衛隊静浜基地にその名をとどめる。.
西益津村
西益津村(にしましづむら)は静岡県の中部、益津郡・志太郡に属していた村。藤枝市の市街地に東接する。.
駿府藩
駿府藩(すんぷはん)は、駿府城(現在の静岡県静岡市葵区)を中心に静岡県の駿河・遠江・愛知県の三河・山梨県の甲斐の地域に江戸時代初期に存在した藩である。駿河府中藩もしくは府中藩とも呼ばれる。なお明治2年8月7日(1869年9月12日)に成立した藩は静岡藩(しずおかはん)と呼ぶ。.
駿河国
駿河国(するがのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.
角川日本地名大辞典
『角川日本地名大辞典』(かどかわにほんちめいだいじてん)は、角川書店の出版による日本の地名辞典である。 著者は「角川日本地名大辞典」編纂委員会で、委員長を務めた竹内理三は本書を制作する目的として「民族遺産としての地名を将来に伝えること」、現代の地名を収録したことについては「現代の社会生活上の必要を満たし、地域の現状を歴史として後世に伝えること」としている(それぞれ本書冒頭の「編纂のことば」より引用)。.
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高洲村
洲村(たかすむら)は静岡県の中部、志太郡に属していた村。現在の藤枝市南部、藤枝駅の東側一帯にあたる。.
豊田村 (静岡県志太郡)
豊田村(とよだむら)は静岡県の中部、志太郡に属していた村。現在の焼津市中心部の西側、西焼津駅周辺にあたる。.
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転封
転封(てんぽう)は、知行地、所領を別の場所に移すことである。国替(くにがえ)、移封(いほう)とほぼ同義である。 史料上は「国替」、「所替」(ところがえ)、「得替」(とくたい)等が使用された。.
郡
郡(ぐん)は、行政区画の一種。中国・日本・朝鮮などの漢字文化圏に導入されたものである。 なお、欧米などの行政区画の一部を日本語に翻訳するときに、訳語としてこの語を当てることがある(カウンティも参照)。.
郡区町村編制法
郡区町村編制法(ぐんくちょうそんへんせいほう、明治11年7月22日太政官布告第17号)は、1878年(明治11年)7月22日に制定された、日本の地方制度に関する太政官布告である。.
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郡制
郡制(ぐんせい、明治32年3月16日法律第65号)は、日本における府県と町村との間に位置する郡を地方自治体として定めた制度であり、また、その制度を規定した法律である。明治期から大正期にかけて実施された。最初の法律は、1890年(明治23年)5月17日に公布され(明治23年5月17日法律第36号)、後に全部改正された。.
藤枝宿
歌川広重『東海道五十三次・藤枝』 藤枝宿(ふじえだしゅく、ふじえだじゅく)とは、東海道五十三次の22番目の宿場である。.
藤枝市
藤枝市(ふじえだし)は、静岡県中部に位置する都市。静岡県中部では静岡市に次ぎ二番目に人口が多い。.
藤枝町
藤枝町(ふじえだちょう)は静岡県の中部、志太郡に属していた町。現在の藤枝市は1954年に新設合併により発足したもので、本町とは別の自治体である。.
藩
藩(はん)は、諸侯が治める領地、およびその統治組織のことである。.
葉梨村
葉梨村(はなしむら)は静岡県の中部、志太郡に属していた村。現在の藤枝市中部、葉梨川上流域にあたる。.
長尾藩
長尾藩(ながおはん)は、明治維新期の短期間、安房国に存在した藩。1868年に駿河田中藩主本多家が4万石で移封され、1871年の廃藩置県まで存続した。藩庁ははじめ長尾陣屋(現・千葉県南房総市白浜町滝口)に置かれ、のち北条陣屋(現・館山市北条)に移転した。.
掛川藩
掛川藩(かけがわはん)は、遠江国掛川(現在の静岡県掛川市)に存在した藩。政庁は掛川城に置かれた。.
東川根村
東川根村(ひかしかわねむら)は静岡県の中部、志太郡に属していた村。現在の川根本町北東部にあたる。.
東益津村
東益津村(ひがしましづむら)は静岡県の中部、益津郡・志太郡に属していた村。焼津市のうち瀬戸川、朝比奈川以北を占める。.
松尾藩
松尾藩(まつおはん)は、明治維新期の短期間、上総国に存在した藩。1868年に遠江掛川藩の太田家が5万3000余石で移封され、1871年の廃藩置県まで存続した。藩庁ははじめ上総国武射郡柴山(現在の千葉県山武郡芝山町)に置かれ「柴山藩(しばやまはん)」と称したが、のちに武射郡松尾(山武市松尾町)に松尾城を築いて移転した。.
榛原郡
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横須賀藩
横須賀藩(よこすかはん)は、遠江国に存在した藩。藩庁は横須賀城(静岡県掛川市西大渕)。.
沼津藩
沼津藩(ぬまづはん)は、江戸時代の藩の一つ。駿河国駿東郡(現:静岡県沼津市大手町)の沼津城を居城とした。.
消滅した郡の一覧
消滅した郡の一覧は、属していた町村が全て市制施行または市に編入されたことなどにより、消滅した郡の一覧である。(朝鮮半島は除外) 年月日は消滅した年月日(すなわち、その前日まで郡があった)を、括弧内は消滅した事由を示す。 消滅した郡の都道府県別一覧も参照のこと。 なお、沖縄県は郡消滅が1つもないが、宮古郡は2005年の宮古島市誕生により1村(多良間村)を残すのみで、八重山郡との再編が検討されている。.
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朝比奈村 (静岡県志太郡)
朝比奈村(あさひなむら)は、かつて静岡県志太郡にあった村。 現在の藤枝市岡部町羽佐間、岡部町殿、岡部町野田沢、岡部町新舟、岡部町宮島、岡部町玉取、岡部町青羽根に当たる。.
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本川根町
本川根町(ほんかわねちょう)は、静岡県榛原郡の最北に位置していた山間の町。 大井川が蛇行しながら町を南北に流れ、わずかな平地に集落が点在する。SLで知られる大井川鐵道の北のターミナル千頭駅を擁し、寸又峡温泉や接岨峡温泉、南アルプス南部の登山基地としてシーズンは観光客で賑わう。また大井川ダムを始めとする水力発電施設は町の重要な産業の1つとなっている。.
明治
明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.
昭和
昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.
旧高旧領取調帳
旧高旧領取調帳(きゅうだかきゅうりょうとりしらべちょう)とは、明治時代初期に政府が各府県に作成させた、江戸時代における日本全国の村落の実情を把握するための台帳である。.
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慶応
慶応(けいおう、旧字体: 慶應)は日本の元号の一つ。元治の後、明治の前。1865年から1868年までの期間。この時代の天皇は孝明天皇、明治天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂、徳川慶喜。日本での「一世一元の詔」発布以前では最後の元号。.
10月1日
10月1日(じゅうがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から274日目(閏年では275日目)にあたり、年末まであと91日ある。.
11月1日
11月1日(じゅういちがつついたち)はグレゴリオ暦で始から305日目(閏年では306日目)にあたり、年末まであと60日ある。.
11月7日 (旧暦)
旧暦11月7日(きゅうれきじゅういちがつなのか)は旧暦11月の7日目である。六曜は大安である。.
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1868年
記載なし。
1869年
記載なし。
1871年
記載なし。
1875年
記載なし。
1876年
記載なし。
1879年
記載なし。
1880年
記載なし。
1881年
記載なし。
1887年
記載なし。
1889年
記載なし。
1891年
記載なし。
1896年
記載なし。
1901年
20世紀最初の年である。.
1922年
記載なし。
1923年
記載なし。
1926年
記載なし。
1948年
記載なし。
1951年
記載なし。
1952年
この項目では、国際的な視点に基づいた1952年について記載する。.
1953年
記載なし。
1954年
記載なし。
1955年
記載なし。
1956年
記載なし。
1957年
記載なし。
1月1日
1月1日(いちがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から1日目に当たり、年末まであと364日(閏年では365日)ある。誕生花は松(黒松)、または福寿草。 キリスト教においては生後8日目のイエス・キリストが割礼と命名を受けた日として伝えられる。.
2008年
この項目では、国際的な視点に基づいた2008年について記載する。.
2009年
この項目では、国際的な視点に基づいた2009年について記載する。.
2月15日
2月15日(にがつじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から46日目にあたり、年末まであと319日(閏年では320日)ある。.
2月26日
2月26日(にがつにじゅうろくにち)は、グレゴリオ暦で年始から57日目にあたり、年末まであと308日(閏年では309日)ある。.
3月12日
3月12日(さんがつじゅうににち)は、グレゴリオ暦で年始から71日目(閏年では72日目)にあたり、年末まであと294日ある。.
3月1日
3月1日(さんがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から60日目(閏年では61日目)にあたり、年末まであと305日ある。.
3月31日
3月31日(さんがつさんじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から90日目(閏年では91日目)にあたり、年末まであと275日ある。3月の最終日。 日本では前年4月始まりの年度最終日とされている。.
4月1日
4月1日(しがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から91日目(閏年では92日目)にあたり、年末まであと274日ある。誕生花はカスミソウ、クロッカス。 日本や一部の国では4月1日は会計年度・学校年度の初日である。この日は政府機関、企業などで多くの制度の変更、新設、発足が行われ、異動や新入学など大きな変化が起こる日である。.
5月24日 (旧暦)
旧暦5月24日は旧暦5月の24日目である。六曜は仏滅である。.
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6月11日
6月11日(ろくがつじゅういちにち)はグレゴリオ暦で年始から162日目(閏年では163日目)にあたり、年末まであと203日ある。誕生花はヒゲナデシコ、ガクアジサイ。.
6月28日
6月28日(ろくがつにじゅうはちにち)は、グレゴリオ暦で年始から179日目(閏年では180日目)にあたり、年末まであと186日ある。誕生花はクチナシ、ツルハナナス。.
7月13日 (旧暦)
旧暦7月13日は旧暦7月の13日目である。六曜は先勝である。.
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7月14日 (旧暦)
旧暦7月14日(きゅうれきしちがつじゅうよっか)は、旧暦7月の14日目である。六曜は友引である。.
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7月1日
7月1日(しちがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から182日目(閏年では183日目)にあたり、年末まであと183日ある。誕生花はアジサイ、ベゴニア。.
8月7日 (旧暦)
旧暦8月7日(きゅうれきはちがつなのか)は、旧暦8月の7日目である。六曜は友引である。.
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9月1日
9月1日(くがつついたち)は、グレゴリオ暦で年始から244日目(閏年では245日目)にあたり、年末まではあと121日ある。.
9月30日
9月30日(くがつさんじゅうにち)はグレゴリオ暦で年始から273日目(閏年では274日目)にあたり、年末まであと92日ある。9月の最終日である。.
9月5日 (旧暦)
旧暦9月5日(きゅうれきくがついつか)は旧暦9月の5日目である。六曜は先勝である。.
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