50 関係: 古河城、古河公方、塩谷孝綱、塩谷氏、壬生綱房、壬生氏、大永、天文 (元号)、守護、守護代、宇都宮城、宇都宮尚綱、宇都宮忠綱、宇都宮興綱、宇都宮成綱、小田政治、岩城氏、上野国、下野宇都宮氏、下野国、享徳の乱、佐竹氏、公事、皆川氏、竹林の戦い、縄釣の戦い、猿山合戦、結城政勝、結城政朝、芳賀高孝、芳賀高勝、芳賀高経、芳賀氏、芳賀景高、足利将軍家、足利高基、足利政氏、鹿沼城、永正、永正の乱、戦国遺文、明応、文明 (日本)、1477年、1497年、1506年、1512年、1514年、1516年、1523年。
古河城
古河城(こがじょう)は、現在の茨城県古河市(下総国)の渡良瀬川東岸にあった日本の城。 室町時代には、古河御陣とも呼ばれ、北朝足利氏の拠点の一つであった。古河公方の本拠となった時期については古河御所(こがごしょ)とも呼ばれる。なお、古河鴻巣の古河公方館も御所と呼ばれるため、混同しないように注意する必要がある。.
古河公方
古河公方(こがくぼう)は、室町時代後期から戦国時代にかけて、下総国古河(茨城県古河市)を本拠とした関東足利氏。享徳4年(1455年)、第5代鎌倉公方・足利成氏が鎌倉から古河に本拠を移し、初代古河公方となった。(享徳の乱) その後も政氏・高基・晴氏・義氏へと約130年間引き継がれる。御所は主に古河城。古河公方を鎌倉公方の嫡流とみなし、両方をあわせて関東公方と呼ぶこともある。.
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塩谷孝綱
塩谷 孝綱(しおのや たかつな)は、下野国塩谷郡の戦国武将。.
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塩谷氏
塩谷氏(しおやし・しおのやし・しおたにし・えんやし 等)は、日本の氏族。氏姓における塩谷の読み方については、一般的には「しおや」だが、下野国塩谷郡を発祥とする塩谷氏が「しおのや」と名乗っているほか、「しおたに」「えんや」と呼称する塩谷氏もある。宇多源氏の塩冶氏(えんやし)とは別である。.
壬生綱房
壬生 綱房(みぶ つなふさ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将・戦国大名。下野宇都宮氏の家臣。壬生氏3代当主。権謀術数を駆使して芳賀高経等の重臣を失脚させ、宇都宮家中で絶大な権力を有した。晩年には下克上を果たし宇都宮氏から独立する。.
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壬生氏
壬生氏(みぶし)は、日本の氏族のひとつ。本姓は小槻氏。戦国時代、下野国壬生・鹿沼を中心に勢力を張った武家。.
大永
大永(だいえい、たいえい)は、日本の元号の一つ。永正の後、享禄の前。1521年から1527年までの期間を指す。この時代の天皇は後柏原天皇、後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義稙、足利義晴。.
天文 (元号)
天文(てんぶん、てんもん)は、日本の元号の一つ。享禄の後、弘治の前。1532年から1555年までの期間を指す。この時代の天皇は後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義晴、足利義輝。.
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守護
守護(しゅご)は、日本の鎌倉幕府・室町幕府が置いた武家の職制で、国単位で設置された軍事指揮官・行政官である。令外官である追捕使が守護の原型であって、後白河法皇が源頼朝に守護・地頭の設置と任免権を認めたことによって、幕府の職制に組み込まれていった。将軍により任命され、設立当時の主な任務は、在国の地頭の監督であった。鎌倉時代はといい、室町時代にはといった。 制度としては室町幕府滅亡後、織豊政権成立により守護が置かれなくなり守護制度が自然消滅するまで続いた。.
守護代
守護代(しゅごだい)とは、鎌倉時代と室町時代に守護の下に置かれた役職である。.
宇都宮城
宇都宮城(うつのみやじょう)は栃木県宇都宮市本丸町にあった日本の城。関東七名城の一つ。江戸時代は宇都宮藩の藩庁となった。.
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宇都宮尚綱
宇都宮 尚綱(うつのみや ひさつな、永正10年(1513年) - 天文18年9月17日(1549年10月7日))は、戦国時代の下野国の大名。宇都宮氏20代当主。結城政朝の娘を妻とした。初名は俊綱。.
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宇都宮忠綱
宇都宮 忠綱(うつのみや ただつな、明応6年(1497年) - 大永7年7月16日(1527年8月12日))は戦国時代の武将で、下野の宇都宮氏第18代当主。宇都宮氏の中興の祖で知られる宇都宮成綱の嫡男。母は那須資親の娘。瑞雲院(足利高基妻)は姉妹である。近年の研究では、尚綱・興綱は忠綱の弟という説江田郁夫 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第四巻 下野宇都宮氏』(戒光祥出版、2012年)P17-19もある。岡本元綱という実子もいたといわれるが不詳。弥三郎。.
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宇都宮興綱
宇都宮 興綱(うつのみや おきつな)は日本の戦国時代の武将で、下野の宇都宮氏第19代当主。.
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宇都宮成綱
宇都宮 成綱(うつのみや しげつな)は戦国時代の武将・戦国大名で、下野の宇都宮氏17代当主。 戦国時代初期に、室町時代から続く度重なる内乱、戦乱で没落した下野宇都宮氏を立て直し、支配体制、家臣団を再編する。佐竹氏の中興の祖と呼ばれている佐竹義舜や蘆名氏の中興の祖蘆名盛高、那須氏や長沼氏、岩城氏など近隣の大名と争い大きく勢力を伸ばし、北関東最大の勢力にまで成長させ、下野宇都宮氏の最盛期を築き上げた。 また、下野宇都宮氏の戦国大名化に努めたため、宇都宮氏の中興の祖と呼ばれる。成綱は実質的に北関東の覇権を制した。.
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小田政治
小田 政治(おだ まさはる)は、常陸の戦国大名。小田氏の第14代当主。小田氏の中興の祖とよばれ、小田氏を戦国大名化へと導き、最盛期を築いた。.
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岩城氏
岩城氏(いわきし)は、日本の氏族。常陸平氏の庶流と称した「海道平氏」の嫡流ともいわれる。.
上野国
上野国(こうずけのくに、かみつけぬのくに、かみつけののくに、かみつけのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。 常陸国・上総国とともに親王が国司を務める親王任国であり、国府の実質的長官は上野介であった類聚三代格。.
下野宇都宮氏
下野宇都宮氏(しもつけうつのみやし)は藤原北家道兼流の名族・宇都宮氏の嫡流である。代々下野国司を務め、鬼怒川(当時は毛野川)流域一帯を治めた大身。奥州を見据える要衝の地・宇都宮及び日光の地を治める社務職(宇都宮検校等)を務め、京都との繋がりが強かった。 下野国は宇都宮氏の発祥地であり、当地の宇都宮氏が嫡流。庶流として豊前宇都宮氏(城井氏)があり、さらに伊予宇都宮氏、筑後宇都宮氏(蒲池氏)などがある。それらと区別するため本貫の下野の地名を付けて下野宇都宮氏と呼ばれる。.
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下野国
下野国(しもつけのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。.
享徳の乱
享徳の乱(きょうとくのらん、享徳3年12月27日(1455年1月15日) - 文明14年11月27日(1483年1月6日))は、室町幕府8代将軍・足利義政の時に起こり、28年間断続的に続いた内乱。第5代鎌倉公方・足利成氏が関東管領・上杉憲忠を暗殺した事に端を発し、室町幕府・足利将軍家と山内上杉家・扇谷上杉家が、鎌倉公方・足利成氏と争い、関東地方一円に拡大し、関東地方における戦国時代の遠因(もしくは直接の発端)となった。.
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佐竹氏
佐竹氏(さたけし)は、日本の氏族のひとつ。日本の武家。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系 河内源氏の流れをくみ、新羅三郎義光を祖とする常陸源氏の嫡流。武田氏に代表される甲斐源氏と同族である。通字は「義」。佐竹氏は家紋として定紋の「扇に月」(一般的には日の丸扇と呼ばれている)の他に、源氏香(花散里)・笹竜胆・佐竹桐・丸に釘貫・丁子巴・鉄線を加えた七つの家紋を「御当家七ッ御紋」としている。源氏から中近世大名、華族として明確な系譜として現代まで残った中ではもっとも大きな流れの一つである。.
公事
公事(くじ、くうじ、おほやけごと)とは日本史における用語の1つで、下記の意味で用いられている。.
皆川氏
川氏(みながわし)は日本の武家。本姓は藤原氏。家系は藤原北家の流れを汲む鎮守府将軍藤原秀郷を祖先とし、下野守護 小山氏の支流で鎌倉時代は阿波守護を務め、室町時代は鎌倉府から屋形号を与えられ関東八屋形のひとつに数えられた長沼氏の庶家にあたる。.
竹林の戦い
竹林の戦い(たけばやしのたたかい)は、永正11年8月(1514年8月)に下野国宇都宮竹林で行われた合戦。別名・高林の戦い、高林合戦など。 また、同年に竹林の戦いの前哨戦として発生した那須口の戦い(なすぐちのたたかい)についても本項で説明する。.
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縄釣の戦い
縄釣の戦い(なわづりのたたかい)は、永正13年6月(1516年)に下野国上那須庄浄法寺縄釣で行われた合戦。別名・小川縄釣の合戦。.
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猿山合戦
猿山合戦(さるやまかっせん)とは大永3年(1523年)8月に下野国で行われた合戦。.
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結城政勝
結城 政勝(ゆうき まさかつ)は、戦国時代の武将・戦国大名。下総結城氏16代当主。.
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結城政朝
結城 政朝(ゆうき まさとも)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将・戦国大名。下総結城氏15代当主。.
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芳賀高孝
芳賀 高孝(はが たかたか)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。下野宇都宮氏の家臣。.
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芳賀高勝
芳賀 高勝(はが たかかつ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。下野宇都宮氏の家臣。.
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芳賀高経
芳賀 高経(はが たかつね)は、戦国時代の武将。下野宇都宮氏の家臣。下野国真岡城主。.
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芳賀氏
芳賀氏(はがし)は、鎌倉時代から戦国時代の武家。下野国芳賀郡より起こる。本姓は清原氏。ただし紀氏説もある。下野宇都宮氏の重臣。養子・姻戚関係のため宇都宮氏一族でもあり、下野国の有力武士団・清党の棟梁。真岡城主。家紋は左三つ巴。.
芳賀景高
芳賀 景高(はが かげたか)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。下野宇都宮氏の家臣。.
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足利将軍家
足利将軍家(あしかがしょうぐんけ)は、足利氏の惣領家(宗家)のうち、とくに足利尊氏以来の、代々室町幕府の将軍職を世襲した一家(軍事貴族)。初代尊氏の後は2代として嫡男義詮が継ぎ、3代足利義満を経て、15代義昭まで続く。2代義詮以降、歴代将軍は諱において義の字を通字とした。.
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足利高基
足利 高基(あしかが たかもと)は、戦国時代の武将。3代目古河公方(在職:永正9年(1512年) - 天文4年(1535年))。足利政氏の長男。母は不詳。妻は宇都宮成綱の娘・瑞雲院。.
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足利政氏
足利 政氏(あしかが まさうじ)は、戦国時代の武将。2代目古河公方(在職:延徳元年(1489年) - 永正9年(1512年))。父は足利成氏。母は伝心院(簗田満助の養女、満助の兄・簗田直助(なおすけ)の娘)。.
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鹿沼城
鹿沼城(かぬまじょう)は、下野国上都賀郡鹿沼(現在の栃木県鹿沼市今宮町・西鹿沼町)にあった日本の城である。.
永正
永正(えいしょう)は、日本の元号の一つ。文亀の後、大永の前。1504年から1521年までの期間を指す。この時代の天皇は後柏原天皇。室町幕府将軍は足利義澄、足利義稙。.
永正の乱
永正の乱(えいしょうのらん)とは、戦国時代初期の永正年間に関東・北陸地方で発生した一連の戦乱のこと。.
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戦国遺文
戦国遺文(せんごくいぶん)は、東京堂出版から発行されている戦国時代の古文書を集めた史料集。.
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明応
明応(めいおう)は、日本の元号の一つ。延徳の後、文亀の前。1492年から1501年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇、後柏原天皇。室町幕府将軍は足利義材、足利義澄。.
文明 (日本)
文明(ぶんめい)は、日本の元号の一つ。応仁の後、長享の前。1469年から1486年までの期間を指す。この時代の天皇は後土御門天皇。室町幕府将軍は足利義政、足利義尚。.
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1477年
記載なし。
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1497年
記載なし。
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1506年
記載なし。
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1512年
記載なし。
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1514年
記載なし。
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1516年
記載なし。
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1523年
記載なし。
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