88 関係: 原田宗時、大宝寺義氏、大宝寺氏、大崎義隆、天童城、天童頼貞、天正、天文の乱、奥山兼清、寒河江城、寒河江兼広、寒河江氏、小国城 (出羽国最上郡)、小梁川盛宗、山形城、山形盆地、左沢楯山城、左沢氏、上山城、上山市、上山満兼、中山城、中野城 (出羽国)、中野義時、中野氏、二本松城、二本松市、二本松氏、亘理城、亘理元宗、亘理氏、延沢城、延沢満延、伊具郡、伊達実元、伊達輝宗、伊達郡、伊達氏、伊達晴宗、信夫郡、刈田郡、出羽国、元亀、米沢城、細川直元、置賜郡、義姫、畑谷城、牧野久仲、片倉景綱、...、相馬氏、白岩城、白岩氏、白石城、白石氏、白鳥長久、白鳥氏、遠藤基信、谷地城、蘆名盛興、里見氏、長崎中山氏、柴田郡、村山郡、桑折宗長、桑折氏、楯岡光直、氏家定直、氏家守棟、氏家氏、永禄、清和源氏、溝延城、溝延氏、最上川、最上八楯、最上義守、最上義光、最上郡、最上氏、戦国大名、戸沢氏、1560年、1564年、1570年、1573年、1574年、1577年。 インデックスを展開 (38 もっと) »
原田宗時
原田 宗時(はらだ むねとき、1565年(永禄8年)- 1593年7月(文禄2年))は、安土桃山時代の武将。伊達氏の家臣。通称は左馬之助。.
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大宝寺義氏
大宝寺 義氏(だいほうじ よしうじ) は、戦国時代から安土桃山時代にかけての大名。大宝寺氏17代当主。武藤義氏とも呼ばれ、越後国の上杉謙信と誼を結び上杉姓を名乗ったこともある(山形県史)。大宝寺氏の当主であると同時に羽黒山の別当職も務めた。.
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大宝寺氏
大宝寺氏(だいほうじし)は、日本の氏族のひとつ。中世の出羽国の大身豪族、戦国大名の氏族。本姓は藤原氏。鎮守府将軍藤原秀郷を祖とする武藤氏の流れをくみ少弐氏とは同族に当たる。.
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大崎義隆
大崎 義隆(おおさき よしたか)は、日本の戦国時代に陸奥国大崎地方に割拠した戦国大名である。大崎義直の子で、永禄10年(1567年)頃から天正18年(1590年)まで大崎氏第12代の当主だったが、豊臣秀吉の奥州仕置で取り潰された。官名には左衛門佐、左衛門、左衛門尉を名乗った。.
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天童城
天童城(てんどうじょう)は、山形県天童市天童にあった日本の城(山城)。.
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天童頼貞
天童 頼貞(てんどう よりさだ)は、戦国時代の武将。最上八楯と称される国人連合の盟主。里見氏(斯波氏)庶流天童氏の第16代当主。天童城(舞鶴城)主。.
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天正
天正(てんしょう)は日本の元号の一つ。元亀の後、文禄の前。ユリウス暦1573年からグレゴリオ暦1593年(ユリウス暦1592年)。 この時代の天皇は正親町天皇、後陽成天皇。征夷大将軍は足利義昭。.
天文の乱
天文の乱(てんぶんのらん)とは、天文11年から17年までの6年間(1542年 - 1548年)、伊達氏当主・伊達稙宗と嫡男・晴宗父子間の内紛に伴って発生した一連の争乱。洞の乱(うつろのらん)とも呼ぶ。.
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奥山兼清
奥山 兼清(おくやま かねきよ)は、戦国時代から江戸時代初期の武将。仙台藩重臣。.
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寒河江城
寒河江城(さがえじょう)は、出羽国村山郡寒河江荘(山形県寒河江市)にあった日本の城である。.
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寒河江兼広
寒河江 兼広(さがえ かねひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。寒河江氏17代当主。寒河江城主10代。.
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寒河江氏
寒河江氏(さがえうじ、さがえし)は、大江氏の支流である日本の氏族の一つ。寒河江荘を地盤とし鎌倉時代から室町時代初期までは藤原摂関家の請所(地頭請)として、それ以後は寒河江荘を国人領主として支配した。寒河江大江氏ともいう。南北朝時代末までは大江氏を称したが、以降は寒河江氏を称したとされる。.
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小国城 (出羽国最上郡)
小国城(おぐにじょう)は、山形県最上郡最上町本城にあった日本の城。形式は山城である。.
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小梁川盛宗
小梁川 盛宗(こやながわ もりむね).
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山形城
山形城(やまがたじょう)は、山形県山形市霞城町にあった日本の城。別名は霞城(かじょう)、霞ヶ城(かすみがじょう)と呼ばれる。また、吉字城とも呼ばれた。国の史跡に指定され、日本100名城に選定されている。.
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山形盆地
山形盆地(やまがたぼんち)は、山形県の東部に位置する盆地。村山盆地(むらやまぼんち)とも呼ばれる。.
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左沢楯山城
左沢楯山城(あてらざわたてやまじょう)は、出羽国村山郡寒河江荘左沢(山形県西村山郡大江町)にあった日本の城である。跡地は国史跡である。.
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左沢氏
左沢氏(あてらざわし)は、日本の氏族の一つ。大江氏の支流である寒河江大江氏(寒河江氏)の一族である。居城は左沢楯山城(現在の山形県西村山郡大江町)。.
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上山城
上山城(かみのやまじょう)は、山形県上山市にあった日本の城である。別名、月岡城。江戸時代には上山藩の藩庁が置かれた。.
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上山市
葉山 上山市(かみのやまし)は、山形県南東部にある市。江戸時代には上山藩の城下町や羽州街道の宿場町として栄え、現在は上山温泉で知られる。城下町・宿場町・温泉街の3つを兼ね備えた都市は、全国的にも珍しいとされる。.
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上山満兼
上山 満兼(かみのやま みつかね、生年未詳 - 天正8年(1580年))は安土桃山時代の武将。上山城城主。父は武衛義節。初名は武衛義政、また別名は里見満兼ともいう。.
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中山城
中山城(なかやまじょう)は日本の城。.
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中野城 (出羽国)
中野城(なかのじょう)は、山形県山形市にあった日本の城。.
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中野義時
中野 義時(なかの よしとき)は、戦国時代の武将。史料としての初出は、寛政4年(1792年)に成立した『稽補出羽国風土略記』であり、架空の人物の可能性がある。.
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中野氏
中野氏は日本の氏族。.
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二本松城
二本松城(にほんまつじょう)は、福島県二本松市郭内にある日本の城(平山城)。日本100名城の一つ。別名、霞ヶ城・白旗城と呼ばれる。平成19年(2007年)7月26日、二本松城跡として国の史跡に指定された。「霞ヶ城公園」として日本さくら名所100選に選定されている。.
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二本松市
二本松市(にほんまつし)は、福島県中通りの北に位置する市である。「智恵子抄」に詠われた安達太良山と阿武隈川で知られる。.
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二本松氏
二本松氏(にほんまつし)は、陸奥国安達郡二本松城に拠った戦国大名。二本松畠山氏、奥州畠山氏とも。奥州管領畠山国氏の子、国詮を祖とする 。.
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亘理城
亘理城(わたりじょう)は、陸奥国亘理郡(宮城県亘理郡亘理町)にあった日本の城。地形が牛の臥せた形に似ていることから臥牛城ともいわれる。また、江戸時代は亘理要害と呼ばれた。.
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亘理元宗
亘理 元宗(わたり もとむね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。伊達氏の重臣。亘理氏17代当主。陸奥国亘理郡亘理城主。.
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亘理氏
亘理氏(わたりし)は、日本の氏族。陸奥国亘理郡を根拠地とした。古くは曰理と表記した。.
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延沢城
延沢城(のべさわじょう)は、日本の城。所在地は山形県尾花沢市。霧山城や野辺沢城とも呼ばれた。国の史跡に指定されている。.
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延沢満延
延沢 満延(のべさわ みつのぶ) は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。最上氏の家臣。出羽国野辺沢城主。延沢ではなく、野辺沢と表記する場合もある。.
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伊具郡
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伊達実元
伊達 実元(だて さねもと)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。陸奥国信夫郡大森城主。もとは越後守護・上杉氏を継ぐ予定であったが天文の乱により頓挫、その後は奥州に残り一門の重鎮として活躍した。のちの亘理伊達氏の家祖にあたる。.
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伊達輝宗
伊達 輝宗(だて てるむね / てりむね)は、戦国時代の武将・戦国大名。伊達氏第16代当主。.
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伊達郡
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伊達氏
伊達氏(だてし/いだてし)は、鎌倉時代から江戸時代まで東北地方南部を本拠とした一族で、桓武平氏繁盛流常陸大掾と称する。伊予国・但馬国・駿河国などに庶流家がある。.
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伊達晴宗
伊達 晴宗(だて はるむね)は、陸奥の戦国大名。伊達氏の第15代当主。.
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信夫郡
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刈田郡
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出羽国
出羽国(でわのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。.
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元亀
元亀(げんき)は、日本の元号の一つ。永禄の後、天正の前。1570年から1573年までの期間を指す。この時代の天皇は正親町天皇。室町幕府将軍は足利義昭。.
米沢城
米沢城(よねざわじょう)は、山形県米沢市丸の内(出羽国置賜郡)にあった中世から近世にかけての日本の城(平城)である。江戸時代は米沢藩上杉氏の藩庁および、二の丸に米沢新田藩の藩庁が置かれていた。2017年には続日本100名城に選定された。.
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細川直元
細川 直元(ほそかわ なおもと)は、戦国時代の武将。出羽国小国城主。陸奥細川氏の一族と思われるが、出自の詳細は不明。.
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置賜郡
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義姫
義姫(よしひめ、天文17年(1548年、1547年とも) - 元和9年7月17日(1623年8月13日))は、出羽国の戦国大名最上義守の娘。最上義光の2歳下の妹にあたる。伊達輝宗の正室で、伊達政宗の母。通称は米沢城の東館に住んだことからお東の方や最上御前とも呼ばれた。出家後の院号は保春院。.
畑谷城
畑谷城(はたやじょう)は、山形県東村山郡山辺町畑谷にあった戦国時代の日本の城。形式は山城である。 東黒森山の尾根城続きの館山に、山頂を本丸(主郭)とし各所に空堀を配した山城を築きその任にあたった。.
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牧野久仲
牧野 久仲(まきの ひさなか)は、戦国時代の武将。伊達氏重臣。陸奥国守護代。出羽国長井郡小松城主。.
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片倉景綱
片倉 景綱(かたくら かげつな)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。伊達氏の家臣。伊達政宗の近習となり、のち軍師的役割を務めたとされる。仙台藩片倉氏の初代で、景綱の通称「小十郎」は代々の当主が踏襲して名乗るようになった。兜は、神符八日月前立筋兜。.
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相馬氏
氏(そうまうじ、そうまし)は、日本の氏族のひとつ。中世から近世にかけて下総国北西部(現在の千葉県北西部)や陸奥国南東部(現在の浜通り夜ノ森以北)を領した大名の氏族である。桓武平氏良文流千葉氏の庶流。通字は「胤」(たね)。.
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白岩城
白岩城(しらいわじょう)は、出羽国村山郡寒河江荘白岩(山形県寒河江市白岩)にあった城である。.
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白岩氏
白岩氏(しらいわし)は、日本の氏族の一つ。大江氏の支流である寒河江大江氏(寒河江氏)の一族である。居城は白岩城(現在の山形県寒河江市白岩)。.
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白石城
白石城(しろいしじょう)は、宮城県白石市にあった日本の城である。別名益岡城(枡岡とも)。.
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白石氏
白石氏(しろいしし、しらいしし).
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白鳥長久
白鳥 長久(しらとり/しろとり ながひさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。出羽国白鳥城、谷地城主。.
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白鳥氏
白鳥氏(しろとりうじ/しろとりし)は、日本の氏族の一つ。南北朝時代から出羽国白鳥郷(山形県村山市白鳥)を本拠地として活動し、戦国時代には谷地(山形県西村山郡河北町谷地)に進出した。.
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遠藤基信
遠藤 基信(えんどう もとのぶ、天文元年(1532年) - 天正13年10月21日(1585年12月12日))は、戦国時代から安土桃山時代の武将。陸奥国の伊達氏の家臣。不入斎と号す。子に遠藤宗信がいる。.
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谷地城
谷地城(やちじょう)は、出羽国村山郡谷地(山形県西村山郡河北町)にあった日本の城である。.
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蘆名盛興
蘆名 盛興(あしな もりおき)は、戦国時代の陸奥国の戦国大名。蘆名氏第17代当主。.
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里見氏
里見氏(さとみし)は、日本の氏族のひとつ。中世に日本の武家としてはじまった。本姓は源氏(河内源氏)。源(新田)義重の子・義俊を祖とする氏族で、新田氏の庶宗家である。戦国時代、一族からは房総地方を領する戦国大名・安房里見氏が出た。.
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長崎中山氏
長崎中山氏(ながさきなかやまし)は、日本の氏族の一つ。藤原北家花山院家の支流。花山院忠宗の子中山忠親(中山家)を始祖とする。忠親の曾孫中山忠義が大江氏の支流である寒河江大江氏(寒河江氏)とともに出羽国に定住した。居城は長崎楯(現在の山形県東村山郡中山町)。.
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柴田郡
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村山郡
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桑折宗長
桑折 宗長(こおり むねなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。伊達氏の重臣。伊達輝宗、政宗に仕えた。.
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桑折氏
桑折氏(こおりし)は、伊達氏の支流である日本の氏族の一つ。鎌倉時代に伊達氏から別れ、その家臣として支えた。.
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楯岡光直
楯岡 光直(たておか みつなお)は、戦国時代から江戸時代前期の武将。最上氏の一門。嫡兄・最上義光からの一字拝領であれば、読み名は“あきなお”になる。.
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氏家定直
氏家 定直(うじいえ さだなお)は、戦国時代の武将。最上氏の家臣。 元服時に最上義定より偏諱を受けて定直と名乗った。永正17年(1520年)に義定が没すると、義定の養子となって跡を継いだ義守に仕えることとなる。 天文11年(1542年)の天文の乱の際は、若年であった義守を補佐しつつ伊達稙宗方として参戦する。乱は伊達晴宗(稙宗の子)方の勝利に終わるが、晴宗と義守との関係修復に尽力した。元亀元年(1570年)、義守とその長男・義光との家督をめぐっての内紛では、病身を押して仲介に奔走し、父子の和睦と義光への家督譲渡を実現させた。 その後、程なく没したとされ、跡を嫡男・守棟が継いだ。 さたなお Category:戦国武将 Category:出羽国の人物 Category:1504年生 Category:1570年没.
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氏家守棟
氏家 守棟(うじいえ もりむね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。最上氏の家臣。主君・最上義守から偏諱を受け守棟を名乗った。.
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氏家氏
氏家氏(うじいえし)は、日本の氏族の一つ。.
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永禄
永禄(えいろく)は、日本の元号の一つ。弘治の後、元亀の前。1558年から1570年までの期間を指す。この時代の天皇は正親町天皇。室町幕府将軍は足利義輝、足利義栄、足利義昭。.
清和源氏
清和源氏(せいわげんじ)は、第56代清和天皇の皇子・諸王を祖とする源氏氏族で、賜姓皇族の一つ。姓(カバネ)は朝臣。.
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溝延城
溝延城(みぞのべじょう)は、出羽国村山郡寒河江荘溝延(山形県西村山郡河北町)にあった日本の城である。.
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溝延氏
溝延氏(みぞのべし)は大江氏の支流である寒河江大江氏(寒河江氏)の一族で日本の氏族。居城は溝延城(現在の山形県西村山郡河北町溝延)。.
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最上川
最上川(もがみがわ)は、山形県を流れる一級河川最上川水系の本川。流路延長229kmは、一つの都府県のみを流域とする河川としては、国内最長。流域面積は7,040km2で、山形県の面積の約75%にあたる。日本三大急流の一つである。.
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最上八楯
最上八楯(もがみやつだて)は、戦国時代に出羽国に存在した有力国人領主による国人連合。天童八楯(てんどうやつだて)とも。.
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最上義守
最上 義守(もがみ よしもり)は、出羽国の戦国大名。最上氏第10代当主。中野義清(よしきよ)の子。最上義光の父、伊達政宗の外祖父にあたる。.
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最上義光
最上 義光(もがみ よしあき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての出羽国の大名。最上氏第11代当主。出羽山形藩の初代藩主。伊達政宗の伯父にあたる。関ヶ原の戦いにおいて東軍につき、最上家を57万石の大大名に成長させて全盛期を築き上げた。.
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最上郡
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最上氏
最上氏(もがみし)は、清和源氏の足利氏の支流である。三管領の一つ斯波氏の分家にあたる。室町幕府の羽州探題を世襲できる家柄で、のち出羽国の戦国大名として成長した。斯波最上氏とも斯波出羽家とも呼ばれることがある。.
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戦国大名
戦国大名(せんごくだいみょう)は、日本の戦国時代に数郡から数カ国規模の領域を一元的に支配した大名を指す。.
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戸沢氏
戸沢氏(とざわし)は、陸奥国、後に出羽国を支配した氏族。国人、のち戦国大名、江戸時代には新庄藩主となり明治維新に至る。.
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1560年
記載なし。
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1564年
記載なし。
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1570年
記載なし。
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1573年
記載なし。
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1574年
記載なし。
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1577年
記載なし。
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