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パッショ・オラヴィ

索引 パッショ・オラヴィ

『ヘイムスクリングラ』中の「オーラヴ聖王のサガ」に添えられた花形装飾による挿絵(イェールハルド・ムンテ画)。オーラヴ聖王が天上の王として描かれている パッショ・オラヴィ(Passio Olavi、ラテン語で「オーラヴの受難」)、正式名Passio et miracula beati Olavi(「福者オーラヴの受難と奇跡」、ノルウェー語:Hellig Olavs lidelse og undergjerninger/聖オーラヴの受難と奇跡、Hellig Olavs liv og jærtegn/聖オーラヴの生涯と予兆)は、ノルウェー王オーラヴ聖王にまつわる伝説集である。おそらくエイステイン・エルレンズソンがニーダロス大司教在位中(1159年-1188年)に編纂されたと考えられ、エイステイン自身によって書かれた可能性もある。 長短2種の異稿があり、長文版は「古ノルド説教集」(Gammelnorsk homiliebok)から抜粋した古ノルド語版の形で知られ、聖オーラヴの日(Olsok)に読むことになっていた。短文版はラテン語で書かれ広く流布し、イギリス、フランス、ウィーン、フィンランドなどヨーロッパ各地に所蔵されている。長文版は、リーセ聖母マリア修道院(Lyse kloster)を設立したイギリス・ヨークのファウンテンズ修道院による英語写本の形でも知られる。.

13 関係: 古ノルド語大司教ノルウェー君主一覧ノルウェー語ヨーク (イングランド)ラテン語ファウンテンズ修道院ニーダロス大聖堂イェールハルド・ムンテエイステイン・エルレンズソンオーラヴ2世 (ノルウェー王)オーラヴ聖王のサガ福者

古ノルド語

古ノルド語(こノルドご、、 )とは、インド・ヨーロッパ語族ゲルマン語派北ゲルマン語群に属する言語である。古北欧語(こほくおうご)とも。 一般には、8世紀から14世紀にかけて、スカンディナヴィア人やスカンディナヴィア出身の入植者たちによって用いられていたであろう言語を指す。時代区分を2世紀から8世紀とする文献もある。 アイスランド語の書物『グラーガース』は、スウェーデン人、ノルウェー人、アイスランド人、デンマーク人がと呼ばれる同一の言語を話していた、と記している。スウェーデンやデンマークといった、東部の方言を話していた人々は、自身の言葉を(デーン人の言語)あるいは(北方人の言葉)と呼んでいた。.

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大司教

大司教の紋章 大司教(だいしきょう、Archiepiscopus)は、カトリック教会の聖職者位階司教の範疇に属する聖務職。正教会と聖公会では大主教に相当する。他言語のほとんどでは区別せず、たとえば英語ではともにアーチビショップ(archbishop)である。 カトリック教会の教会法において4種類に分類される。.

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ノルウェー君主一覧

ノルウェー君主一覧(ノルウェーくんしゅいちらん)では、過去にノルウェーを支配した君主を掲げる。 王位継承は、1990年の憲法改正より最長子相続制をとっている。.

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ノルウェー語

ノルウェー語(ノルウェーご、norsk)は、インド・ヨーロッパ語族 ゲルマン語派 北ゲルマン語群に属する。古ノルド語から分化した言語である。話者の人口は約400万ほど。標準語として、デンマーク語やスウェーデン語と近縁のブークモールと、アイスランド語と同じ西スカンディナヴィア語群に分類されるニーノシュクが存在する。.

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ヨーク (イングランド)

ヨーク(York)は、イングランド北部のノース・ヨークシャー州の都市である。人口は202,400人である(2010年推定)。.

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ラテン語

ラテン語(ラテンご、lingua latina リングア・ラティーナ)は、インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派の言語の一つ。ラテン・ファリスク語群。漢字表記は拉丁語・羅甸語で、拉語・羅語と略される。.

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ファウンテンズ修道院

ファウンテンズ修道院(ファウンテンズしゅうどういん、Fountains Abbey)は、イングランド北部、ノース・ヨークシャーのリポンにあるシトー会の修道院跡である。 周辺のスタッドリー王立公園 (Studley Royal Water Garden) とともに、ユネスコ世界遺産に登録されている。.

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ニーダロス大聖堂

ニーダロス大聖堂 (ノルウェー語:Nidarosdomen)は、ノルウェーで最も壮麗な教会建築で、トロンハイムにある。1152年に設立されたノルウェー大司教座の大聖堂。宗教改革以後、ルーテル教会派の司教座となった。建築様式はロマネスク様式とゴシック様式である。過去には北ヨーロッパ中から信徒がやってくる重要な巡礼地であった。.

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イェールハルド・ムンテ

リスチャン・クローグが描いたイェールハルド・ムンテ 『ヘイムスクリングラ』、『オーラヴ聖王のサガ』の挿絵。 イェールハルド・ムンテ(Gerhard Peter Franz Wilhelm Munthe。1849年7月19日 - 1929年1月15日)は、ノルウェーの画家である。 デュッセルドルフとミュンヘンで学ぶ。風景画を得意とし、レアリスムの風景画を制作。1886年からはロマン主義の傾向が表れてきたエーヴァ・エーリクソン「スウェーデン・インテリアの理想としてのスンドボーンの家」『カール・ラーション展』荒屋鋪透訳、46、55頁。。 オスロ郊外のリッサーケル(en)はノルウェーにおける芸術村として知られているが、ムンテは1980年代にリッサーケルに家を建て、彼の妻は織物を制作して室内を飾った。彼の家の実用的かつ簡素さは近代化の行き着いた姿だと研究者に指摘されている。.

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エイステイン・エルレンズソン

イステイン・エルレンズソン(Eysteinn Erlendsson、現代ノルウェー語:Øystein Erlendsson、Augustinus Nidrosiensis) (1188年1月26日死去)は、1161年から彼の死ぬ1188年にかけての大司教(en)を務めた。.

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オーラヴ2世 (ノルウェー王)

ーラヴ2世またはオーラヴ・ハラルズソン(オーラヴ・ハラルドソン、オーラヴ・ハーラルソンの日本語表記も)(Olaf II Haraldsson、995年 – 1030年7月29日)は、ノルウェー王(在位:1015年 - 1028年)で、キリスト教の聖人。子にマグヌス1世があった。.

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オーラヴ聖王のサガ

1899年に刊行された『ヘイムスクリングラ』の挿絵より。ノルウェーの画家イェールハルド・ムンテによる。(1896年頃) 『オーラヴ聖王のサガ』『オージンのいる風景 オージン教とエッダ』(ヘルマン・パウルソン(en)著、大塚光子他訳、東海大学出版会、1995年、ISBN 978-4-486-01318-1)252頁で確認した日本語表記。Óláfs saga helga、St.)は、何編かの異なる王のサガ(en)を指しうる。.

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福者

福者(ふくしゃ (男性形), beāta 、Beato)は、カトリック教会において、死後その徳と聖性を認められた信者に与えられる称号。この称号を受けることを列福という。その後、さらに列聖調査がおこなわれて聖人に列せられることもある。.

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