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高田焼

索引 高田焼

高田焼(こうだやき)は熊本県八代市で焼かれる陶器で、八代焼(やつしろやき)ともいう。焼き物には珍しい象嵌を施すところが特徴。

目次

  1. 22 関係: 加藤清正寛永小倉藩上野焼利休七哲八代城八代市八代郡細川忠利細川忠興熊本市熊本県熊本藩高麗青磁豊前国象嵌茶道肥後国金尊楷陶磁器明治日奈久温泉

  2. 熊本県の文化

加藤清正

加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。肥後国熊本藩初代藩主。

見る 高田焼と加藤清正

寛永

寛永 (かんえい、寛󠄁永)は、日本の元号の一つ。元和の後、正保の前。1624年から1644年までの期間を指す。この時代の天皇は後水尾天皇、明正天皇、後光明天皇。江戸幕府将軍は徳川家光。

見る 高田焼と寛永

小倉藩

小倉藩(こくらはん)は、江戸時代の豊前国にあった藩。藩庁は小倉城(福岡県北九州市小倉北区)に置かれた。幕末から明治維新にかけては香春藩(かわらはん)、のち豊津藩(とよつはん)となった。

見る 高田焼と小倉藩

上野焼

上野焼(あがのやき)は、福岡県田川郡香春町、福智町、大任町で焼かれる陶器。 豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の引き上げの際、加藤清正が連れ帰った尊楷(上野喜蔵)が、細川忠興の小倉城入城の際に招かれ、豊前国上野に開窯したのが始まりである。最初の窯は皿山窯(本窯)、釜の口窯、岩谷窯(唐人窯)の3つで、これらは上野古窯と呼ばれる。江戸時代に入ると、小堀遠州に高く評価され、遠州七窯の一つにも数えられるほど茶人に好まれた。明治期には衰退の様相を見せたが、1902年に復興、1983年には通産省(現在の経産省)指定伝統的工芸品の指定を受けた。 上野焼の特徴は他の陶器と比べると生地が薄く、軽量であることである。また使用する釉薬も非常に種類が多く、青緑釉、鉄釉、白褐釉、黄褐釉など様々な釉薬を用い、窯変(窯の中で釉薬が溶け、千変万化の模様を作り出すこと)を生み出すのが特徴で、絵付けは基本的に用いない。

見る 高田焼と上野焼

利休七哲

利休七哲(りきゅうしちてつ)とは、千利休の高弟とされる七人の武将のこと。

見る 高田焼と利休七哲

八代城

八代城(やつしろじょう)は、熊本県八代市(旧 肥後国八代郡)にあった日本の城。江戸時代初期に球磨川河口の松江に幕府の許可を得て建築されたことから松江城(現八代城趾)とも言う。 熊本県史跡であったが、同じく八代城とも呼ばれた南北朝時代の古麓城と安土桃山時代の麦島城の三つの城跡を併せて、平成26年(2014年)に「八代城跡群(やつしろしろあとぐん)」との名称で一括して国の史跡に指定された平成26年3月18日文部科学省告示第30号。指定区域には、麦島城の瓦を製造していた平山瓦窯跡(八代市平山新町)も含まれる。。 2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(190番)に選定された。

見る 高田焼と八代城

八代市

八代市(やつしろし)は、熊本県中央部の南側寄りに位置する市。熊本県第2の人口を擁する。

見る 高田焼と八代市

八代郡

熊本県八代郡の位置(緑:氷川町 水色:後に他郡から編入した区域) 八代郡(やつしろぐん)は、熊本県(肥後国)の郡である。 以下の1町を含む。

見る 高田焼と八代郡

細川忠利

水前寺成趣園内にある細川忠利の像 細川 忠利(ほそかわ ただとし)は、江戸時代前期の大名。豊前国小倉藩2代藩主、肥後国熊本藩初代藩主。官位は従四位下・左少将。

見る 高田焼と細川忠利

細川忠興

細川九曜 細川 忠興(ほそかわ ただおき) / 長岡 忠興(ながおか ただおき)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。丹後国宮津城主を経て、豊前国小倉藩初代藩主。肥後細川家初代。 佐々木氏の支流の大原氏流細川氏の出身である。正室は明智光秀の娘の玉子(通称細川ガラシャ)。室町幕府15代将軍・足利義昭追放後は長岡氏を称し、その後は羽柴氏も称したが、大坂の陣後に細川氏へ復した。 足利義昭・織田信長・豊臣秀吉・徳川家康と、時の有力者に仕えて、現在まで続く肥後細川家の基礎を築いた。また父の幽斎と同じく、教養人・茶人の細川三斎(ほそかわ さんさい)としても有名で、利休七哲の一人に数えられる。

見る 高田焼と細川忠興

熊本市

熊本市(くまもとし)は、熊本県の県庁所在地かつ人口が最多の市。政令指定都市の一つで西区、北区、中央区、東区、南区の5つの行政区が設置されている。

見る 高田焼と熊本市

熊本県

熊本県(くまもとけん)は、日本の九州地方に位置する県。県庁所在地は熊本市。 令制国の肥後国に当たる。有明海、八代海、東シナ海に面している。

見る 高田焼と熊本県

熊本藩

熊本城 熊本藩(くまもとはん)は、1600年から1871年まで存在した藩。52万石(細川家の時代に、八代領と両支藩を分封ののち高直しで54万石)。1871年肥後国(熊本県)の球磨郡・天草郡を除く地域と豊後国(大分県)の一部(鶴崎・佐賀関など)を知行した。肥後藩(ひごはん)とも呼ばれる。藩庁は熊本城(熊本市)に置かれた。熊本藩細川家は肥後一円を領有していないが、国持ち大名(大身国持)とされた。

見る 高田焼と熊本藩

高麗青磁

高麗青磁(こうらいせいじ、朝鮮語: 고려청자、中国語: 高麗靑瓷)は、朝鮮半島の高麗時代(918年 - 1391年)に製作された青磁釉を施した陶磁器である。また、20世紀になり高麗時代の製法を復元した青磁釉陶磁器も高麗青磁と呼ばれる。

見る 高田焼と高麗青磁

豊前国

豊前国(ぶぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属し、現在の福岡県東部及び大分県の北西部に属する。和名で平安時代までは「とよくにのみちのくち」と読んだ。

見る 高田焼と豊前国

象嵌

スペイン、トレドの象嵌細工 象嵌(ぞうがん、象眼とも)は、一つの素材に異質の素材を嵌め込む工芸技法。 象は「かたどる」、嵌は「はめる」と言う意味があり、金工象嵌・木工象嵌・陶象嵌等がある。その中の金工象嵌は、シリアのダマスカスで生まれ、シルクロード経由で飛鳥時代に日本に伝わったとされる。江戸時代には京都などに優れた職人が多数生まれ、日本刀の拵えや甲冑、鏡や根付、文箱、重箱などに腕を振るった。素材としては金属だけではなく、彩色した木材や骨片、貝殻、陶磁器なども用いられる。日本国内に現存する最古の象嵌製品は石上神宮の神宝「七支刀」。

見る 高田焼と象嵌

茶道

茶を点てる様子。写真は、盆と鉄瓶を使った簡略的な点茶の例。 茶道(さどう、ちゃどう)は、湯を沸かし、茶を練(ね)るか点(た)てる、あるいは淹れ、茶を振る舞う日本伝統の行為(茶の儀式)。また、それを基本とした様式と芸道。 元来「茶湯(さのゆ、ちゃのゆ)」といった。千利休は「数寄道」、古田織部は「茶湯」と呼んでいたが、小堀遠州は「茶の道」という呼んで「道」の字が使われ始め、やがて江戸時代17世紀後半には茶道(さどう)とも呼ばれるようになった(『茶話指月集』『南方録』など)。表千家や千家以外の多くの流派では「さどう」、裏千家では「ちゃどう」と読む。「茶道」の英語訳としては tea ceremony (ティーセレモニー) のほか、茶道の表千家と裏千家ではそれぞれ the way of tea(ザ ウェイ オブ ティー)、chanoyu を用いている。

見る 高田焼と茶道

肥後国

肥後国(ひごのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属し、熊本県に属する。

見る 高田焼と肥後国

金尊楷

金 尊楷(きん そんかい、嘉靖45年(1566年) - 承応3年8月3日(1654年9月13日))は、上野焼および高田焼の基礎を築いたとされる朝鮮陶工の1人である。 文禄の役の際、朝鮮の泗川十時地方(現在の泗川市)から加藤清正に従って日本に来る。唐津に落ち着いた後、本国に帰って高麗青磁の技法を会得して再び来日。 1602年、茶道に造詣が深く利休七哲の1人としても名高い豊前小倉藩主細川忠興(三斎)に招かれ、豊前国田川郡上野に窯を開き、名を上野喜蔵高国(あがのきぞうたかくに)と改めた。以後30年余の間、この地で忠興好みの格調高い作品作りに携わったが、忠興・忠利父子の肥後転封に従い、長男の忠兵衛・三男の藤四郎とともに肥後国八代郡高田(こうだ)に移って高田焼を創始した。上野焼は、二男の十時孫左衛門と娘婿の渡久左衛門が継承した。

見る 高田焼と金尊楷

陶磁器

陶磁器(とうじき、pottery and porcelain)は、粘土・長石・ケイ石などを主原料にした焼き物(やきもの)の総称。セラミックスの一種。

見る 高田焼と陶磁器

明治

明治(めいじ、)は元号の一つ。 慶応の後、大正の前。大化以降228番目、244個目南北朝時代の北朝の元号を除くか含めるかによる。の元号。明治天皇の即位に伴い定められた(代始改元)。 明治の元号下にあった1868年10月23日(明治元年9月8日)これは改元日を起点とする形式的区分であり、改元の詔書による明治の開始日とは異なる(後節参照)。から1912年(明治45年)7月30日までの45年間をと呼ぶ。本項ではこの時代についても記述する。

見る 高田焼と明治

日奈久温泉

日奈久温泉(ひなぐおんせん)は、熊本県八代市(旧国肥後国)にある温泉。詩人・種田山頭火が愛好したことで知られる。藩営の温泉として栄えたため、町並みに風格がある。

見る 高田焼と日奈久温泉

参考情報

熊本県の文化