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遠淡海国造

索引 遠淡海国造

遠淡海国造(とおつおうみのくにみやつこ・とおつおうみこくぞう)は遠江国西部を支配した国造。遠江国造とも。.

16 関係: 古事記吉川弘文館山川出版社上海上国造下海上国造建比良鳥命伊甚国造伊香色雄アメノホヒ出雲国造先代旧事本紀国造物部氏遠江国新人物往来社无邪志国造

古事記

真福寺収蔵の国宝・『古事記』。信瑜の弟子の賢瑜による写本 古事記(こじき、ふることふみ、ふることぶみ)は、日本最古の歴史書である。その序によれば、和銅5年(712年)に太安万侶が編纂し、元明天皇に献上された。.

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吉川弘文館

吉川弘文館(よしかわこうぶんかん)は日本史関連を主軸とした老舗の出版社。1857年(安政4年)に、吉川半七により設立。戦後1949年(昭和24年)に株式会社として現在に至る。.

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山川出版社

山川出版社(やまかわしゅっぱんしゃ)は、高校教科書(地歴公民科)・参考書・歴史関係の一般書などを刊行する日本の出版社である。.

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上海上国造

上海上国造(かみつうなかみのくにみやつこ・かみつうなかみこくぞう)は、上総国海上郡(現在の千葉県市原市の一部)を支配した国造。上菟上国造とも。.

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下海上国造

下海上国造(しもつうなかみのくにみやつこ・しもつうなかみこくぞう)は、後の令制国の下総国東部、現在の千葉県旭市、銚子市および香取郡一帯を支配した国造。下菟上国造とも。.

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建比良鳥命

建比良鳥命(たけひらとりのみこと)は、日本神話に登場する神である。『古事記』では建比良鳥命、『日本書紀』では武日照命(たけひなてるのみこと)・武夷鳥命 ・天夷鳥命(あめのひなどりのみこと)と記され、天日照命(あめのひなでりのみこと)とも称される。これらの異名・異称の同定は出雲国造家として出雲神社の祭祀を受け継いだ千家家が伝える系譜書『出雲国造伝統略』に拠っている。 『古事記』ではアマテラスとスサノオの誓約の段で、天之菩卑能命の子が建比良鳥命であり、出雲国造・无邪志国造・上菟上国造・下菟上国造・伊自牟国造・津島県直・遠江国造等の祖神であると記されている。 『日本書紀』では、崇神天皇60年7月、天皇が「武日照命(武夷鳥命とも天夷鳥命ともいう)が天から持って来た神宝が出雲大社に納められているから、それを見たい」と言って献上させ、その結果出雲氏に内紛が起き、当時の当主の出雲振根が誅殺されたと記されている。 『日本文徳天皇実録』に天安二年三月二十二日条に「在河内國天夷鳥命神授従五位下」とあり、現在の道明寺天満宮にられる天夷鳥命に従五位下が授けられたと考えられる 『出雲国造神賀詞』には、「天夷鳥命に布都怒志命を副へて天降し」という一節がある。 神名の「ヒラトリ」「ヒナドリ」「ヒナテル」は「鄙照(ひなてる)」の意で、天降って辺鄙な地を平定した神の意という説がある。 鷲宮神社(埼玉県久喜市)、道明寺天満宮・元宮土師社(大阪府藤井寺市)に祀られている。.

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伊甚国造

伊甚国造(いじみのくにのみやつこ・いじみこくぞう)は、後の令制国の上総国埴生郡、現在の千葉県茂原市の一部と長生郡長南町および睦沢町の一部を支配した国造。伊甚屯倉設置以前は夷灊郡も支配していたと考えられている。表記については、『先代旧事本紀』「国造本紀」と『日本書紀』は伊甚国造とするが、『古事記』は伊自牟国造(いじむ-)とする。.

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伊香色雄

伊香色雄(いかがしこお)は『記紀』等に伝わる古代日本の豪族。物部氏の祖。『古事記』では伊迦賀色許男命(いかがしこおのみこと)。崇神天皇7年大物主神をまつる「神班物者」(かみのものあかつひと)に任じられたと伝えられている。.

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アメノホヒ

アメノホヒは、日本神話に登場する男神。天之菩卑能命、天穂日命、天菩比神などと書かれる。 天照大神とスサノオが誓約をしたときに生まれた五男三女神の一柱。天照大神の右のみずらに巻いた勾玉から成った。物実(ものざね:物事のタネとなるもの)の持ち主である天照大神の第二子とされ、アメノオシホミミの弟神にあたる。葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされたが、大国主神を説得するうちに心服して地上に住み着き、3年間高天原に戻らなかった。その後、出雲にイザナミを祭る神魂神社(島根県松江市)を建て、子の建比良鳥命は出雲国造らの祖神となったとされる。 任務を遂行しなかったというのは『古事記』や『日本書紀』による記述だが、『出雲国造神賀詞』では異なる記述になっている。これによれば、アメノホヒは地上の悪神を鎮めるために地上に遣わされ、地上の様子を天照大神にきちんと報告し、子のアメノヒナドリおよび剣の神フツヌシとともに地上を平定した、としている。すなわち、こちらでは地上を平定した偉大な神とされているが、『出雲国造神賀詞』はアメノホヒの子孫である出雲国造が書いたものであるので、そこは割り引かなければならないかもしれない。 名前の「ホヒ」を「穂霊」の意味として稲穂の神とする説と、「火日」の意味として太陽神とする説がある。 農業神、稲穂の神、養蚕の神、木綿の神、産業の神などとして信仰されており、能義神社(島根県安来市。出雲四大神である野城大神と呼ばれる)などの旧出雲国内だけでなく、天穂日命神社(鳥取県鳥取市福井)、鷲宮神社(埼玉県久喜市鷲宮)、桐生天満宮(群馬県桐生市)、芦屋神社(兵庫県芦屋市)、馬見岡綿向神社(滋賀県蒲生郡日野町)など全国で祀られている。六甲山山頂、六甲山カンツリーハウス敷地内にアメノホヒ=天穂日命の磐座がある。.

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出雲国造

出雲国造(いずものくにのみやつこ、いずもこくそう)は、出雲国(現在の島根県東部地方)を上古に支配した国造。その氏族の長が代々出雲大社の祭祀と出雲国造の称号を受け継いだ。 『先代旧事本紀』の巻10『国造本紀』によれば、第10代崇神天皇のとき、天穂日命(あめのほひのみこと)の11世の孫である宇賀都久怒(うかつくぬ)を国造に定めたとある。『古事記』によれば、无邪志国造・上菟上国造・下菟上国造・伊自牟国造・遠江国造も天穂日命の子神・建比良鳥命(たけひらとりのみこと)を同祖とする。 祭祀継承は、『古事記』・『日本書紀』と『出雲国風土記』、千家家が伝える系譜書『出雲国造伝統略』に記されている。.

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先代旧事本紀

『先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ、先代舊事本紀)は、日本の史書であり、神道における神典である。『旧事紀』(くじき)、『旧事本紀』(くじほんぎ)ともいう。全10巻からなり、天地開闢から推古天皇までの歴史が記述されている。 序文に聖徳太子、蘇我馬子らが著したとあるが、江戸時代の国学者である多田義俊、伊勢貞丈、本居宣長らによって偽書とされた。現在では大同年間(806年~810年)以後、延喜書紀講筵(904年~906年)以前に成立したとみられている。 物部氏の氏族伝承など部分的に資料価値があると評価する立場の者もいる。.

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国造

国造(くに の みやつこ・こくぞう・こくそう)は、古代日本の行政機構において地方を治める官職のこと。また、その官職に就いた人のこと。軍事権、裁判権などを持つその地方の支配者であったが、大化の改新以降は主に祭祀を司る世襲制の名誉職となった。 訓の「みやつこ」とは「御奴(ミヤツコ)」または「御家つ子」の意味とされる。.

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物部氏

物部氏(もののべうじ)は、「物部」を氏の名とする氏族。姓(かばね)は、始め物部連、後に物部朝臣。 大和国山辺郡・河内国渋川郡あたりを本拠地とした有力な豪族で、神武天皇よりも前に大和入りをした饒速日命が祖先と伝わる神別氏族。穂積氏や采女氏とは同族の関係にある。饒速日命は登美夜須毘売を妻とし物部氏の初代の宇摩志麻遅命(可美真手命)をもうけた。.

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遠江国

遠江国(とおとうみのくに/とほたふみのくに)は、日本の地方行政区分である令制国の一つ。東海道に属する。.

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新人物往来社

株式会社新人物往来社(しんじんぶつおうらいしゃ)は、かつて存在した日本の出版社。雑誌『歴史読本』の発行元として知られる歴史図書専門の出版社である。 2008年(平成20年)11月26日に中経出版の子会社になり、その後2009年(平成21年)4月7日に中経出版が角川グループホールディングスの子会社となったことにより、新人物往来社も角川グループの1つとなった。さらに2013年(平成25年)4月1日に中経出版に吸収合併され、社名が消滅することとなった。.

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无邪志国造

无邪志国造(むさしのくにのみやつこ、むさしこくぞう)はのちに武蔵国東部となる地域(无邪志国)を支配した国造である。 『先代旧事本紀』の「国造本紀」において无邪志国造条の次に胸刺国造条があるが、この2国造は同一のものであるとする説と別であるとする説がある。.

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