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造寺司

索引 造寺司

造寺司(ぞうじし)とは、奈良時代に官寺あるいはこれに准じた寺院を造営するために設置された令外官のこと。.

43 関係: 墾田永年私財法大安寺奈良時代官司官寺官位相当制宇佐八幡宮神託事件寺院富本銭封戸三綱下野薬師寺跡平安時代令外官律令制僧尼令僧綱初期荘園別当写経四等官石山寺経典鎮護国家遷都飛鳥寺西大寺 (奈良市)西隆寺舎人興福寺蘇我善徳蘇我馬子薬師寺東大寺東大寺造寺所正倉院文書法華寺法興寺朝廷木工寮日本の官制所 (機関)

墾田永年私財法

墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいのほう)は、奈良時代中期の聖武天皇の治世に、天平15年5月27日(743年6月23日)に発布された勅(天皇の名による命令)で、墾田(自分で新しく開墾した耕地)の永年私財化を認める法令である。古くは墾田永世私有法と呼称した。荘園発生の基礎となった法令である。1897年にも開墾地無償付与という似た制度が実施されている。.

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大安寺

大安寺(だいあんじ)は、奈良市中心部にある高野山真言宗の仏教寺院。本尊は十一面観音。開基(創立者)は聖徳太子と伝える。南都七大寺の1つで、奈良時代(平城京)から平安時代前半は東大寺、興福寺と並ぶ大寺であった。.

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奈良時代

奈良時代(ならじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つで、平城京(奈良)に都が置かれた時代である。平城時代(へいじょうじだい)ともいう。日本仏教による鎮護国家を目指して、天平文化が花開いた時代である。.

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官司

官司(かんし)とは、古代日本における官庁及び官人組織のこと。 日本の官司の原型はヤマト王権(大和朝廷)の行政事務を複数の伴造が分掌して部民を動員・管理して業務を遂行した組織体であったと考えられている。その後、部民を管理して行政事務の実務を遂行する官人組織が伴部の下に形成された(人制)。 大化の改新以後、部民制に代わって四等官制度など律令制に基づく官司組織が形成されるようになるが、それが一応の完成をみたのは大宝律令の制定以後のことである。ただし、唐のような高度に体系化された官司間の統属関係は形成されず、一応は各省の下にあるものの独立した権限を有した品官や律令制の枠外に新たに設置された令外官などが存在した。.

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官寺

官寺(かんじ)とは、国家の監督を受ける代わりにその経済的保障を受けていた寺院のこと。寺格の一つ。広義では、朝廷または国衙が伽藍の造営・維持のための費用その他を拠出している寺院を指し、狭義では食封や墾田保有権(荘園私有の権利)を国家から与えられて、運営が行われている寺院のことを指す。 一般的には大寺(だいじ・官大寺(かんだいじ))と同義と考えられているが、国分寺・国分尼寺も官寺の定義に該当するため、官寺に含んで考えられる事も多い。また、これよりも小規模な有封寺(有食封寺)・諸寺と言った寺院も存在した。更に皇室の私寺的色彩の強い勅願寺や有力な貴族・豪族の氏寺であった私寺のうち官の保護を受けた定額寺も官寺に准じて扱われることがある。.

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官位相当制

官位相当制(かんいそうとうせい)とは、日本の律令制において、官人に付与する位階と官職との間に一定の相当関係を設定した官僚序列システム。.

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宇佐八幡宮神託事件

宇佐八幡宮神託事件(うさはちまんぐうしんたくじけん)は、奈良時代の神護景雲3年(769年)、宇佐八幡宮より称徳天皇(孝謙天皇)に対して「道鏡が皇位に就くべし」との託宣を受けて、弓削道鏡が天皇位を得ようとしたとされ、紛糾が起こった事件。道鏡事件とも呼ばれる。同年10月1日(11月7日)に称徳天皇が詔を発し、道鏡には皇位は継がせないと宣言したため、事件の決着がついた。.

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寺院

日本の寺院の地図記号 寺院(じいん、梵、)は、仏像が祀られ、仏教の出家者が起居し、修行を行う施設である。寺(てら)、仏閣(ぶっかく)ともいう。 本来は仏教用語であるが、神道を除く諸宗教の教会・神殿を指す語としても広く用いられている(ごく稀に神社にも用いられることがある)。.

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富本銭

富本銭(複製品) 富本銭(ふほんせん)は、683年(天武天皇12年)頃に日本でつくられたと推定される銭貨である。708年(和銅元年)に発行された和同開珎より年代は古い。この貨幣が実際に流通したのか、厭勝銭(えんしょうせん:まじない用に使われる銭)として使われたに留まったかについては学説が分かれている。 富本銭よりも前の貨幣として無文銀銭が知られている。無文銀銭・富本銭・和同開珎の関係、貨幣としての価値、流通範囲、機能などはまだ不明な点が多く、今後の研究課題である。.

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封戸

封戸(ふこ)とは、古代の貴族に対する封禄制度の1つ。特定数の公民の戸を支給するもので、「封戸を食む」という意味から、実際に行われた支給制度を「食封」とも呼び、封戸は食封にあてられた戸そのものを指す場合もあった。 中国では南北朝時代以後に制度が整備され、日本でも大化2年(646年)の「改新の詔」で初めて登場する。その後、白鳳5年(676年)以後の改変を経て、大宝・養老両令で整備された。令制では封戸のある令制国の国司が封物の徴収にあたり、租の半分と庸調の全部が封主のもとに納入されることになっていた。 封戸には位階に応じて(五位以上、慶雲の改革以後は三位以上)給せられる位封、大納言以上(後に参議以上)の官職に応じて与えられる職封のほか、五位以上の者で功績のあったものに給せられる功封、天皇より特に授けられる本封以外の別勅封、中宮・上皇・東宮などの院宮封などがある。寺院は封戸支給の対象外であったが、場合によっては支給期間5年に限定して寺封が与えられることがあった。更に令外の封戸として神封が存在した。 封戸は律令制度における公民制の存在を前提にしていたため、律令制度が動揺するとともに公民制の解体とともに封戸も衰退していく。更に地方制度も弛緩して封主による直接徴収が認められるようになると、封戸の田地が封主の私領と化して荘園に発展していくものもあった。(→封戸田を参照) 備後の国内には大安寺の封戸50戸、東大寺の封戸150戸があった。 長屋王邸跡から出土した木簡から、葦田郡葦田郷が氷高内親王(のちの元正天皇)の封戸であったことが分かる。安芸国では興福寺の封戸100戸、東大寺の封戸50戸、備後国の東大寺の封戸から年間100斛以上の米が運ばれていた。 Category:日本の律令制.

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三綱

三綱(さんごう)とは、仏教寺院において寺院を管理・運営し、僧尼を統括する上座(じょうざ)・寺主(じしゅ)・都維那(ついな・維那とも)の3つ僧職の総称。所司(しょし)とも呼ばれている。 三綱にあたる僧職のうち、上座は一般的には年長の高徳者が任じられる寺院の最高責任者、寺主は寺院内における事務・経営の責任者、都維那は僧尼の戒律・学問に関する監督責任者である(ただし、上座と寺主をいずれを上位とするかには異説もある)いずれもインドあるいは中国に由来を有する役職である。.

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下野薬師寺跡

下野薬師寺 回廊(復元) 下野薬師寺跡(しもつけやくしじあと)は、栃木県下野市にある古代寺院跡。国の史跡に指定されている。 寺院名称は「薬師寺」であったが、旧国名を冠して「下野薬師寺」と記載されることが多く、本項でも「下野薬師寺」と表記して解説する。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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令外官

令外官(りょうげのかん)とは、律令の令制に規定のない新設の官職。令外官が管掌する官司を令外官司(りょうげのかんし)と称する場合もある。 現実的な政治課題に対して、既存の律令制・官制にとらわれず、柔軟かつ即応的な対応を行うために置かれた。中国ではじまり、8世紀前期~中期に令外官が多数新設された。日本では、8世紀末の桓武期の改革の際に多くの令外官が置かれ、その後も現実に対応するため、いくつかの令外官が設置されていった。.

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律令制

律令制(りつりょうせい)は、律令に基づく制度のこと。主に古代東アジアで見られた中央集権的な統治制度であるといわれることもあるが、唐制に倣った体系的法典を編纂・施行したことが実証されるのは日本だけである山内昌之・古田博司。日本では律令制または律令体制や律令国家と呼ばれるが、中国にはこのような呼称は存在しない菊池秀明p8 (日中歴史共同研究報告書 p153)。中国において「律令」という言葉は秦から明まで長期にわたって使われており、その間にその内容や位置づけは大きな変遷をみている。そのため、日本の律令制の直接的モデルとなった隋や唐の国家体制をもって「律令制」と定義することは、中国の律令の変遷の実情を無視することとなり、また秦から明までのおよそ1800年間(律のみ存在した清も加えれば2100年間)の制度を一括りにすることにはあまり意味がないとする考えもある廣瀬薫雄『秦漢律令研究』2010年、汲古書院、第一部第一章「律令史の時代區分について」。.

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僧(そう、संघ Saṃgha)はサンガを音写した「僧伽」の略で仏教の戒律を守る、男性の出家修行者である「比丘(びく)」と女性の出家修行者である「比丘尼(びくに)」の集団のこと。仏教の三宝の一つ。在家信者を含めた教団を僧(サンガ)とは呼ばず、出家者が四人以上集まったとき僧となる。男性の出家修行者の集団を比丘僧といい、女性の場合は比丘尼僧という。衆あるいは和合衆と訳される。.

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僧尼令

僧尼令(そうにりょう)とは、日本律令法に設けられた編目の1つ。養老令においては全27条で構成される。僧・尼及び国家より度牒を受けた沙弥・沙弥尼を対象とする法令である(仏教そのものを統制した法令ではないことに注意を要する)。ただし、日本律令法の母法である中国(唐)律令法では、道教の道士を含めた格である「道僧格」に属しており、そこから日本では行われていない道教の要素は排除されたものの、刑法典的な「律」の要素と行政法的な「令」の要素が分離されないまま令として編入されたために、令でありながら刑罰規定を有するという複雑な構造になっている。.

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僧綱

僧綱(そうごう)とは日本における仏教の僧尼を管理するためにおかれた僧官の職である。.

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初期荘園

初期荘園(しょきしょうえん)は、8世紀から9世紀に未墾地の墾田化・既墾の墾田の集積を通して成立した荘園。墾田地系荘園(こんでんちけいしょうえん)とも言う。租を納めねばならず、律令支配体制から脱却していない。.

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別当

別当(べっとう)は、本来、律令制において本官を持つ者が他の官司の職務全体を統括・監督する地位に就いた時に補任される地位。後に官司の長官一般を指すようになり、このことから転じて、以下のような複数の意味を持つ。.

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写経

写経(しゃきょう)とは、仏教において経典を書写すること、またはその書写された経典のことを指す。.

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四等官

四等官(しとうかん、字音仮名遣:しとうくわん)または四等官制( - せい)は、律令制において各官司の中核職員が4等級で構成されていたことを表す用語。元は中国律令に現れ、律令制を支える精緻な官僚システムの基礎制度として機能した。日本も律令制開始と同時に四等官制を導入している。.

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石山寺

本堂 (国宝) 珪灰石 (国の天然記念物) 石山寺(いしやまでら)は、滋賀県大津市石山寺1丁目にある東寺真言宗の寺院。本尊は如意輪観音、開基(創立者)は良弁。当寺は京都府の清水寺や奈良県の長谷寺と並ぶ、日本でも有数の観音霊場であり、西国三十三所観音霊場第13番札所となっている。また当寺は『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』などの文学作品にも登場し、『源氏物語』の作者紫式部は、石山寺参篭の折に物語の着想を得たとする伝承がある。「近江八景」の1つ「石山秋月」でも知られる。 紅葉の名所としても知られ、秋にはライトアップが行われており、2015年に日本夜景遺産に認定された。 洋画家の三谷祐幸から寄付される形で関西美術院の所有者となっている。.

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経典

経典(きょうてん、きょうでん、sūtra, スートラ、sutta, スッタ、経)とは、仏教において釈迦が説いた教えを記録した聖典のこと。.

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鎮護国家

鎮護国家(ちんごこっか)は、政府が仏教を利用して内政の安定を図ろうとした政策、または、仏教には国家を守護・安定させる力があるとする思想。.

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遷都

遷都(せんと)は、都(みやこ)を他所へうつす(遷す)こと広辞苑 第五版。、都を替えることを意味する漢字文化圏の語。日本語では古くは都遷り大辞林 第三版。/都移り(みやこうつり)とも言った。反対に、かつて都であった場所に都を戻す(還す)ことは還都(かんと)と言い(cf. #還都の一覧)、日本語では古くは都還り(みやこがえり)とも言った。ただし、日本語に限っては、還都は遷都と同義で用いられることもある。現代では、首都機能の全部もしくは重要な一部を他に遷すことを指して首都機能移転という語も用いられる(後述)。.

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飛鳥寺

本堂 飛鳥寺(あすかでら)は、奈良県高市郡明日香村にある寺院。蘇我氏の氏寺である法興寺(仏法が興隆する寺の意)の後身である。本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来、開基(創立者)は蘇我馬子である。山号を鳥形山(とりがたやま)と称する。現在の宗派は真言宗豊山派。.

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西大寺 (奈良市)

西大寺(さいだいじ)は、奈良県奈良市西大寺芝町にある真言律宗総本山の寺院。奈良時代に孝謙上皇(重祚して称徳天皇)の発願により、僧・常騰を開山(初代住職)として建立された。南都七大寺の1つとして奈良時代には壮大な伽藍を誇ったが、平安時代に一時衰退し、鎌倉時代に叡尊によって復興された。山号は勝宝山。現在の本尊は釈迦如来である。.

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西隆寺

西隆寺(さいりゅうじ)は、奈良時代に平城京に造営された尼寺。.

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舎人

舎人(とねり/しゃじん)とは、皇族や貴族に仕え、警備や雑用などに従事していた者。その役職。.

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興福寺

興福寺(こうふくじ)は、奈良県奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)にある、南都六宗の一つ、法相宗の大本山の寺院である。南都七大寺の一つに数えられる。藤原氏の祖・藤原鎌足とその子息・藤原不比等ゆかりの寺院で、藤原氏の氏寺であり、古代から中世にかけて強大な勢力を誇った。南円堂は西国三十三所第9番札所である。「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。.

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蘇我善徳

蘇我 善徳(そが の ぜんとこ、生没年不詳)は、飛鳥時代の豪族。蘇我馬子の長男。子に、志慈(御炊朝臣の祖)、果安がいたとする文献がある。飛鳥寺(法興寺)の初代寺司(てらのつかさ、司長)。 『日本書紀』巻第22には「推古四年冬十一月 法興寺造竟 則以大臣男善徳臣拝寺司 是日恵慈 恵聡二僧 始住於法興寺(冬十一月、法興寺 造り竟(おは)りぬ。則(すなは)ち大臣の男 善徳臣を以て寺司に拝す。是の日に、恵慈 、恵聡、二の僧、始めて法興寺に住り。)」とある。 『日本書紀』巻第22,推古天皇18年(610年)の記事に現れる蘇我蝦夷の年齢は、『扶桑略記』の記述によると25歳となり、推古天皇4年(596年)における蝦夷の年齢は11歳となることから、善徳が蝦夷の兄と推定されている。.

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蘇我馬子

各人物記事へのリンク表示) 蘇我 馬子(そが の うまこ)名に「子」の字が付くが男性である(当時は「子」が男女問わず用いられた)。子 (人名)を参照のこと。は、飛鳥時代の政治家、貴族。邸宅に島を浮かべた池があったことから嶋大臣とも呼ばれた。 敏達天皇のとき大臣に就き、 以降、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の4代に仕え、54年にわたり権勢を振るい、蘇我氏の全盛時代を築いた。.

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薬師寺

薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山である。南都七大寺のひとつに数えられる。本尊は薬師如来、開基(創立者)は天武天皇。1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。.

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東大寺

東大寺(とうだいじ)は、奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。 金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁である。現別当(住職・222世)は狹川普文。 奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、また現存する大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄時代)の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されている。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。 東大寺は1998年12月に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。.

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東大寺造寺所

東大寺造寺所(とうだいじぞうじしょ)とは、東大寺の造寺司であった造東大寺司の廃止後、造寺・造仏・造営の業務を引き継いだ機関。修理所とも呼ばれた。.

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正倉院文書

正倉院文書(しょうそういんもんじょ)は、奈良県の東大寺正倉院宝庫(中倉)に保管されてきた文書群である。文書の数は1万数千点とされる。 正倉院中倉には東大寺写経所が作成した文書群が保管されていた。この写経所文書を狭義の正倉院文書と呼ぶ。今日に残る奈良時代の古文書のほとんどを占めている。紙背文書に戸籍など当時の社会を知る史料を含み、古代史の研究に欠かせない史料群として重要視されている。 正倉院には中倉の写経所文書の他に、北倉文書などがあり、これらを含めて(広義の)正倉院文書と呼ぶことがある。以下、写経所文書を中心に説明する。.

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法華寺

南門 法華寺(ほっけじ)は、奈良県奈良市法華寺町にある仏教寺院。奈良時代には日本の総国分尼寺とされた。山号はなし。本尊は十一面観音、開基は光明皇后である。元は真言律宗に属したが、平成11年(1999年)に同宗を離脱し、光明宗と称する。.

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法興寺

法興寺(ほうこうじ).

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朝廷

朝廷(ちょうてい)とは、君主制下で官僚組織をともなった政府および政権で、とりわけ中国と日本におけるものを指す。また、君主が政治執務を行う場所や建物(朝堂院:朝政と朝儀を行う廟堂)。.

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木工寮

木工寮(もくりょう)は律令制において宮内省に属する機関。和名はコダクミノツカサ(古多久美乃豆加佐)。 主に造営、および材木採集を掌り各職工を支配する役所である。.

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日本の官制

日本の官制(にほんのかんせい)では、日本の前近代、とくに律令制期の廃止された統治機構について概観する。なお近代の官制は近代日本の官制を、現在の官制については日本の国家機関を参照。.

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所 (機関)

所(ところ)は、前近代の日本において、特定の機能を果たす場所・機関を指して称したもの。.

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造東大寺司

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