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西澤諭志

索引 西澤諭志

西澤諭志(にしざわ さとし、1983年 - )は日本の写真家。フィクション対リアルの二元論への違和に基づく奇妙な無人の日常隅景を写真化している。 牛腸茂雄の夭折により、理解されることなく途絶えたコンポラ写真の系譜を受け継ぐ作家として、安村崇、小山泰介、武田陽介、中島大輔らと共に美術評論家の清水穣にネオ・コンポラと論じられている。.

22 関係: 南條史生安村崇小山泰介中島大輔 (写真家)中平卓馬コンポラ写真写真家写真新世紀美術評論家美術手帖牛腸茂雄飯沢耕太郎長野県Provoke (雑誌)東北芸術工科大学森山大道榎本了壱武田陽介清水穣日本日本写真史1983年

南條史生

南條 史生(なんじょう ふみお、1949年4月21日 - )は、日本の美術評論家、キュレーター。東京都出身。森美術館館長。.

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安村崇

安村崇(やすむら たかし、1972年 - )は日本の写真家。「普通」の中の微細な「違和感」をカメラ・アイによって極限まで拡大する。 牛腸茂雄の夭折により、理解されることなく途絶えたコンポラ写真の系譜を受け継ぐ作家として、小山泰介、武田陽介、中島大輔、西澤諭志らと共に美術評論家の清水穣にネオ・コンポラと論じられている。.

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小山泰介

小山泰介(こやま たいすけ、1978年 - )は日本の写真家。刻々と変化していく都市を生物や自然と同じような有機体としてとらえ、都市の新陳代謝のような人工物の表面や状態、現象の細部を撮影し、有機的で抽象度の高い写真作品を制作している。 牛腸茂雄の夭折により、理解されることなく途絶えたコンポラ写真の系譜を受け継ぐ作家として、安村崇、武田陽介、中島大輔、西澤諭志らと共に美術評論家の清水穣にネオ・コンポラと論じられている。.

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中島大輔 (写真家)

中島大輔(なかしま だいすけ Daisuke Nakashima 、1983年 - )は日本の写真家。 フレームによって対象を分断する独特の感覚によって、突き放したクールな構成の写真作品を制作している。 牛腸茂雄の夭折により、理解されることなく途絶えたコンポラ写真の系譜を受け継ぐ作家として、安村崇、小山泰介、武田陽介、西澤諭志らと共に美術評論家の清水穣にネオ・コンポラと論じられている。.

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中平卓馬

中平 卓馬(なかひら たくま、1938年7月6日 - 2015年9月1日)は、日本の写真家、写真評論家。 東京の原宿に生まれる。父は、書道家の中平南谿(本名:恵)。 東京都立小山台高等学校を経て、東京外国語大学スペイン語学科卒業。 『現代の眼』編集者時代には、柚木明の名前で作品を発表。1970年発表の写真集『来たるべき言葉のために』までは森山大道とともに「アレ、ブレ、ボケ(荒い画面、手ブレや被写体ブレ、ピント外れの意)」の作風で知られたが、1973年発表の『なぜ、植物図鑑か』では一転して「アレ、ブレ、ボケ」の作風を否定し、撮り手の情緒を排したカタログ写真や図鑑の写真のような写真を目指した。.

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コンポラ写真

ンポラ写真(コンポラしゃしん)とは、日本において、1970年前後に強まった写真の一傾向。アンリ・カルティエ=ブレッソンや木村伊兵衛によるスナップ写真へのアンチテーゼとして登場したと解釈されている。.

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写真家

写真家(しゃしんか、photographer)とは、主に写真を撮影もしくは製作する事を生活の中心にしている人。カメラマンと区別して写真家と呼ぶ場合、動画ではない写真を撮影する人をさす場合や、特に芸術的な写真を撮影し発表する人(芸術写真家)を指す場合がある。.

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写真新世紀

写真新世紀(しゃしんしんせいき)は、キヤノン主催による写真のコンテスト。 写真の現在に注目し、写真表現の新たな可能性に挑戦する新人写真家の発掘・育成・支援を目的とした公募コンテストとして1991年設立された。 グランプリ受賞者には野口里佳、HIROMIXなど、また優秀賞には蜷川実花、佐内正史、オノデラユキ、澤田知子などがおり、若手実力派の写真家の登竜門になっている。.

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美術評論家

美術評論家(びじゅつひょうろんか)は、美術について評論する評論家のこと。専門分野により、建築評論家、写真評論家などの言い方もされる。 美術館の学芸員、キュレーター、大学等の教育・研究機関の教官・研究員(教授・助教授・講師など)、雑誌等編集者と兼務している場合も多いが、フリーで美術評論家だけをしている場合もある(元学芸員の場合等、もともとは美術関係の他の肩書きを持っていた者が、退職等でその肩書きを失った後に美術評論家と呼ばれるケースも含む)。主として、雑誌記事や書籍の執筆、講演会開催、テレビやラジオへの出演、美術展の企画等が、その仕事である。 最近は、「評論家」が持つマイナスイメージを嫌うためか、「美術評論家」の代わりに「美術史家」または「美術批評家」などの呼び方も用いられる。これらの3つの呼び方には明確な境界や区別はなく、1人の人間に対して、時と場合により、この3つの呼び方が使われることがある(または自分で用いることがある)。.

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美術手帖

『美術手帖』(びじゅつてちょう)は、美術出版社から刊行されている隔月刊の美術誌。愛称は『BT』。A5サイズ。1948年創刊。 近現代美術を中心に、内外の美術動向を紹介する雑誌である。各号ごとの特集のほか、海外ニュース、展覧会ガイドなどを掲載。 増刊として、毎年1回『美術手帖年鑑(BT年鑑)』が1957年から長らく刊行されていたが、個人情報保護法の問題もあり、『BT年鑑2006』までで休刊。.

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牛腸茂雄

牛腸 茂雄(ごちょう しげお、1946年11月2日 - 1983年6月2日)は、写真家。新潟県加茂市出身。新潟県立三条実業高等学校商業科(現新潟県立三条商業高等学校)卒業。桑沢デザイン研究所修了。写真を大辻清司に学ぶ。 コンポラ写真の代表的な作家。 幼少(3歳)から胸椎カリエスを患って成長が止まり、背中が曲がる後遺症を抱える。学生時代にも地元新潟の絵画デザインコンクールに応募受賞し、以後病気と闘いながら36歳で死去するまでに数々の作品を残す。子供を撮ったスナップショットが多く子供の世界にスウーッと入っていく作風で知られた。また写真以外にも旺盛な創作意欲を見せ心理学を応用したマーブリング・プロット、ロールシャッハなどの個展・作品集を発表、刊行。8ミリ、16ミリの映画制作にも挑戦している。 存命中に発表した写真集「SELF AND OTHERS」では日本写真協会新人賞を受賞。死後、1992年4月に季刊誌「deja-vu」第8号で牛腸茂雄特集が組まれてから、牛腸を再評価する気運が高まる。 1994年には未來社から「SELF AND OTHERS」が再刊され、2000年には同作品を題材にした映画も製作・公開された。2004年には、新潟市美術館、三鷹市美術ギャラリー、山形美術館で大規模な回顧展が開催され、共同通信社から「牛腸茂雄作品集成」が刊行された。 死の数年前より千葉の九十九里海岸にカプセルのような自宅の建設を予定(設計は友人の建築家・海老原鋭二)していたが、死去により頓挫。家の横には一本の大木を植える予定であったという。.

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飯沢耕太郎

飯沢耕太郎(いいざわ こうたろう、1954年3月26日 - )は、日本の写真評論家。.

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長野県

長野県空撮画像。長野盆地、富士山、浅間山、日本アルプスなどを望む。 長野県の地形図 長野県(ながのけん)は、本州内陸部に位置する日本の県の一つ。令制国名の信濃国に因み「信州」とも呼ばれている。海に面していないいわゆる内陸県であり、大規模な山岳地があるため可住地面積率は小さい。県庁所在地は長野市。善光寺の門前町として発展し第18回冬季オリンピックの開催地となった自治体でもある。.

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Provoke (雑誌)

『provoke』(プロヴォーク)とは中平卓馬、高梨豊、多木浩二、岡田隆彦らによって創刊された写真同人誌。1968年11月1日創刊。 サブタイトルは「思想のための挑発的資料」。写真や写真批評だけの写真界に留まるのではなく、1960年代という政治的であり閉塞的になりつつあった思想を、写真を用いて破壊しようと考えていた。 2号から森山大道も参加。3号まで発刊されたが、総括集「まずたしからしさの世界をすてろ」で廃刊。わずか3号と総括集の出版であったが、日本の写真史に残した功績は大きい。.

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東北芸術工科大学

記載なし。

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森山大道

森山 大道(もりやま だいどう、本名:-ひろみち、1938年10月10日 - )は、日本の写真家。大阪府池田市生まれ。 日本写真批評家協会新人賞、日本写真家協会年度賞、第44回毎日芸術賞受賞、ドイツ写真家協会賞受賞などを受賞。 日本のみならず、海外でも高く評価されている。アメリカ、イタリア、イギリス、フランス、オーストリア、ベルギー、ドイツ、中国、スペインなどでも個展を開いている。 東京工芸大学客員教授、京都造形芸術大学客員教授、専門学校東京ビジュアルアーツ顧問、専門学校名古屋ビジュアルアーツ特別顧問。 過去に、ワークショップ写真学校や東京写真専門学校(現 東京ビジュアルアーツ)の講師など、さまざまな写真教育活動に当たるなど、教育活動にも力を入れている。.

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榎本了壱

榎本 了壱(えのもと りょういち、1947年 - )は、日本のアートディレクター。 東京都出身。武蔵野美術大学造形学部商業デザイン学科卒。1969年同校卒業後、寺山修司の映画の美術を担当し、雑誌『ビックリハウスsuper』の編集長を経て、1986年アタマトテ・インターナショナルを主宰する。その後、NHKの企画や展示をプロデュース、「世界デザイン博住友館」の総合プロデュースを担当。広告批評などでデザイン論評を寄せている。2006年、コムコム.com(komu-komu.com)を配信開始。 2013年まで京都造形芸術大学教授・情報デザイン学科長・教授(現在は大学院所属の客員教授)、日本文化デザインフォーラム幹事。全税共文化財団理事。.

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武田陽介

武田陽介(たけだ ようすけ、1982年 - )は日本の写真家。ストレート・フォトグラフィでありながら、抽象絵画のような構図や平面性を兼ね備え、それゆえ日常の雑景からやや遊離したシュールでクールな雰囲気を湛えていると評価されている。 牛腸茂雄の夭折により、理解されることなく途絶えたコンポラ写真の系譜を受け継ぐ作家として、安村崇、小山泰介、中島大輔、西澤諭志らと共に美術評論家の清水穣にネオ・コンポラと論じられている。.

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清水穣

清水 穣(しみず みのる、1963年10月18日 - )は、日本の写真研究者、同志社大学教授。.

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日本

日本国(にっぽんこく、にほんこく、ひのもとのくに)、または日本(にっぽん、にほん、ひのもと)は、東アジアに位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の主要四島およびそれに付随する島々)及び、南西諸島・伊豆諸島・小笠原諸島などから成る島国広辞苑第5版。.

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日本写真史

日本写真史(にほんしゃしんし)とは、日本における写真の歴史で、本稿ではその概要を述べる。.

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1983年

この項目では、国際的な視点に基づいた1983年について記載する。.

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