ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

西武田村

索引 西武田村

西武田村(にしたけだむら)は、鹿児島県の中部、鹿児島郡に属していた村。1934年8月1日に吉野村、中郡宇村とともに鹿児島市へ編入。 村名は西ノ別府村、武村、田上村の頭文字を取り命名したことに由来している『西武田村誌』 - 田上尋常高等小学校 1915年7月4日発行。.

34 関係: 吉野村 (鹿児島県)天保山町 (鹿児島市)上荒田町中郡宇村広木 (鹿児島市)伊敷村紫原田上 (鹿児島市)田上台町村制飛地西別府町谷山市鹿児島中央駅鹿児島市鹿児島市立田上小学校鹿児島市立武小学校鹿児島県の廃止市町村一覧鹿児島郡鹿児島本線松元町武 (鹿児島市)指宿枕崎線日置郡日本の合成地名一覧1889年1904年1907年1911年1912年1915年1934年8月1日

吉野村 (鹿児島県)

吉野村(よしのむら)は、鹿児島県の中部、鹿児島郡に属していた村。1934年8月1日に西武田村、中郡宇村とともに鹿児島市へ編入。.

新しい!!: 西武田村と吉野村 (鹿児島県) · 続きを見る »

天保山町 (鹿児島市)

天保山町(てんぽざんちょう Tenpozan-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧鹿児島郡西武田村大字武の一部(飛地)。郵便番号は890-0061。人口は1,990人、世帯数は980世帯(2009年9月末現在)。天保山町の全域で住居表示を実施している。 「天保山」という地名は天保年間に甲突川をさらい、その砂を揚げた地であることに由来している『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.689。.

新しい!!: 西武田村と天保山町 (鹿児島市) · 続きを見る »

上荒田町

上荒田町(うえあらたちょう Uearata-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧鹿児島郡鹿児島近在荒田村、鹿児島市大字荒田現在の上荒田町と荒田を含めた範囲。。郵便番号は890-0055。人口は5,965人、世帯数は3,437世帯(2015年3月1日現在)。上荒田町の全域で住居表示を実施している。.

新しい!!: 西武田村と上荒田町 · 続きを見る »

中郡宇村

中郡宇村(なかこおりうむら)は、鹿児島県の中部、鹿児島郡に属していた村。1934年8月1日に吉野村、西武田村とともに鹿児島市へ編入され自治体としては消滅した。 村名は中村、郡元村、宇宿村の頭文字を取り命名したことに由来している『中郡宇村誌』p.2 - 鹿児島郡中郡宇村役場 1930年。.

新しい!!: 西武田村と中郡宇村 · 続きを見る »

広木 (鹿児島市)

広木(ひろき Hiroki)は、鹿児島県鹿児島市の町名。広木一丁目から広木三丁目までがあり、広木一丁目から広木三丁目までの全域で住居表示を実施している。郵便番号は890-0037。人口は2,722人、世帯数は1,119世帯(2013年9月末現在) - 鹿児島市ホームページ。。.

新しい!!: 西武田村と広木 (鹿児島市) · 続きを見る »

伊敷村

伊敷村(いしきむら)は、鹿児島県中部にあった村。1950年10月1日に東桜島村とともに鹿児島市へ編入され自治体としては消滅した。平成の大合併以前の鹿児島市域の北西にあたる。.

新しい!!: 西武田村と伊敷村 · 続きを見る »

紫原

紫原(むらさきばる Murasakibaru)は鹿児島県鹿児島市の町名。紫原一丁目から紫原七丁目まであり、紫原一丁目から紫原七丁目までの全域で住居表示を実施している。郵便番号は890-0082。人口は23,757人、世帯数は10,458世帯。(2009年9月末現在)。 紫原という地名は現在の紫原付近が田上村、郡元村、宇宿村の村境の原に位置していたことに由来するという説がある古地図で見る かごしまの町 p.137。 西南戦争(1877年)では鹿児島方面最大の激戦となる「紫原の戦い」が勃発し激戦地となった。.

新しい!!: 西武田村と紫原 · 続きを見る »

田上 (鹿児島市)

上(たがみ Tagami)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧鹿児島郡鹿児島近在田上村、鹿児島郡西武田村大字田上の一部。田上一丁目から田上八丁目及び田上町があり、田上一丁目から田上八丁目までは住居表示を実施している。人口は14,826人、世帯数は6,245世帯(2009年9月末現在)。 郵便番号は田上一丁目から田上八丁目までは890-0034、田上町は890-0035。 田上七丁目には本州からの高速自動車国道の縦貫道としては最南端に位置する鹿児島インターチェンジがあり、北方向には九州自動車道、南方向には指宿スカイライン、西方向には南九州西回り自動車道が伸びており、東方向には鹿児島市街と鹿児島インターチェンジを結ぶ鹿児島東西幹線道路があり、鹿児島の交通の要衝となっている。.

新しい!!: 西武田村と田上 (鹿児島市) · 続きを見る »

田上台

上台(たがみだい Tagami-Dai)は、鹿児島県鹿児島市の町名。田上台一丁目から田上台四丁目まであり、全域で住居表示を実施している。郵便番号は890-0036。人口は6,444人、世帯数は2,731世帯(2010年2月末現在)。.

新しい!!: 西武田村と田上台 · 続きを見る »

町村制

村制(ちょうそんせい、明治44年4月7日法律第69号)とは市制とともに大日本帝国憲法下における地方自治に関する基本法である。.

新しい!!: 西武田村と町村制 · 続きを見る »

飛地

飛地(とびち、飛び地)とは、一つの国の領土や行政区画、町会等の内、地理的に分離している一部分である。土地の一部が「他所に飛んでいる」と見られることからこう呼ばれる。 オエクシ)が飛地にあたる。.

新しい!!: 西武田村と飛地 · 続きを見る »

西別府町

西別府町(にしべっぷちょう Nishibeppu-Chō)は、鹿児島県鹿児島市の町名。旧鹿児島郡鹿児島近在西別府村、鹿児島郡西武田村大字西別府。郵便番号は890-0033。人口は643人、世帯数は1,093世帯(2009年9月末現在)。.

新しい!!: 西武田村と西別府町 · 続きを見る »

谷山市

谷山市(たにやまし)は、かつて鹿児島県中部に存在した市。1965年時点の人口は42,683人、面積は97.65Km2。 1889年の町村制施行に伴い谷山郷(外城)の区域より谿山郡谷山村として発足し、1924年に町制施行し鹿児島郡谷山町となり、1957年に谷山町が単独で市制施行し谷山市となったが、1967年4月29日に鹿児島市と新設合併し、新制鹿児島市となり消滅した。 町村制施行直後の1889年12月31日の市区町村現住人口では谷山村の人口は24,248名であり、当時の全国の市町村では神奈川県三浦郡横須賀町(現在の横須賀市)に次いで50番目、千葉県の県庁所在地である千葉県千葉郡千葉町(52位、現千葉市)より上位であった。村としては大阪府西成郡難波村(現在の大阪市の一部)に次いで2番目に人口が多い村であり、日本全国の三大村の一つと称されていた。.

新しい!!: 西武田村と谷山市 · 続きを見る »

鹿児島中央駅

鹿児島中央駅(かごしまちゅうおうえき)は、鹿児島県鹿児島市中央町にある、九州旅客鉄道(JR九州)・鹿児島市交通局の駅である。 鹿児島市交通局の電停の名称は鹿児島中央駅前電停(かごしまちゅうおうえきまえでんてい)である。.

新しい!!: 西武田村と鹿児島中央駅 · 続きを見る »

鹿児島市

かごしま県民交流センター 鹿児島市(かごしまし)は、九州の南部に位置する市であり、鹿児島県の県庁所在地でもある。 鹿児島湾西岸の市街地から桜島を望む景観がイタリアのナポリからヴェズーヴィオ火山を望む風景に似ていることから、『東洋のナポリ』と称される。.

新しい!!: 西武田村と鹿児島市 · 続きを見る »

鹿児島市立田上小学校

鹿児島市立田上小学校(かごしましりつ たがみしょうがっこう Tagami Elementary School)は、鹿児島県鹿児島市田上五丁目にある公立小学校。1949年(昭和24年)より鹿児島大学教育学部の代用附属に指定されている。.

新しい!!: 西武田村と鹿児島市立田上小学校 · 続きを見る »

鹿児島市立武小学校

鹿児島市立武小学校(かごしましりつ たけしょうがっこう Take Elementary School)は、鹿児島県鹿児島市武一丁目にある公立小学校。1937年(昭和12年)中州小学校に併設開校。児童数は昭和35年度をピークに減少するが平成13年度を境に増加に転じ平成18年度には601人、21学級と5年間で増加した。.

新しい!!: 西武田村と鹿児島市立武小学校 · 続きを見る »

鹿児島県の廃止市町村一覧

鹿児島県の廃止市町村一覧(かごしまけんのはいししちょうそんいちらん)は鹿児島県における市制・町村制施行(1889年4月1日)後に、市町村合併や他の自治体に統合されることなどにより廃止した市町村の一覧である。単なる名称の変更は対象としない。.

新しい!!: 西武田村と鹿児島県の廃止市町村一覧 · 続きを見る »

鹿児島郡

*.

新しい!!: 西武田村と鹿児島郡 · 続きを見る »

鹿児島本線

鹿児島本線(かごしまほんせん)は、福岡県北九州市門司区の門司港駅から小倉駅・博多駅・熊本駅を経由して熊本県八代市の八代駅までと、鹿児島県薩摩川内市の川内駅から鹿児島県鹿児島市の鹿児島駅までを結ぶ九州旅客鉄道(JR九州)の鉄道路線(幹線)である。このほか、日本貨物鉄道(JR貨物)の路線として香椎駅 - 福岡貨物ターミナル駅間の貨物支線がある。.

新しい!!: 西武田村と鹿児島本線 · 続きを見る »

松元町

松元町(まつもとちょう)は、鹿児島県日置郡にあった町。 1889年の町村制施行に伴いそれまでの伊集院郷(外城)のうち南部にある6村の区域を以って上伊集院村(かみいじゅういんむら)として発足。1960年に上伊集院村を松元村に改称、即日町制施行し松元町となった。2004年11月1日に鹿児島市に編入され自治体としては消滅した。 2004年9月1日現在で、人口12,698人、世帯数4,629世帯、面積は51.05Km2であり、2000年に行われた国勢調査において松元町は1995年の国勢調査時点からの人口増加率が9.3パーセント増加となり、鹿児島県内の市町村では人口増加率が最も高かった - 鹿児島県 2013年10月17日閲覧。 。 また、「卓球の町」をスローガンに町おこしを行い、松元平野岡体育館では全国大会なども広く行われていた。.

新しい!!: 西武田村と松元町 · 続きを見る »

村(むら、そん)とは、日本における普通地方公共団体の一つ。.

新しい!!: 西武田村と村 · 続きを見る »

武 (鹿児島市)

武(たけ Take)は鹿児島県鹿児島市の町名。旧鹿児島郡鹿児島近在武村、鹿児島郡西武田村大字武、鹿児島市武町の一部。武一丁目から武三丁目まであり、全域で住居表示を実施している。郵便番号は890-0045。人口は7,112人、世帯数は3,871世帯。(2009年9月末現在) - 鹿児島市ホームページ。。 「武」という町名は産土神である建部神社に由来するという説と、稲田がこの付近に多く所在していた為それを田毛と呼称されるようになったという説がある。.

新しい!!: 西武田村と武 (鹿児島市) · 続きを見る »

指宿枕崎線

指宿枕崎線(いぶすきまくらざきせん)は、鹿児島県鹿児島市の鹿児島中央駅から鹿児島県枕崎市の枕崎駅に至る九州旅客鉄道(JR九州)の鉄道路線(地方交通線)である。JRグループで最も南を走る路線である。 薩摩半島の東岸と南端を廻り、県都鹿児島市と温泉地指宿市および港町の枕崎市を結ぶ観光の足となっているほか、鹿児島市への通勤・通学路線となっている。.

新しい!!: 西武田村と指宿枕崎線 · 続きを見る »

日置郡

*.

新しい!!: 西武田村と日置郡 · 続きを見る »

日本の合成地名一覧

日本の合成地名一覧(にほんのごうせいちめいいちらん)は、日本における合成地名を種別・地域別に列挙した一覧である。 複数の地域を総称するために数を表す言葉を用いた地名も合成地名の一種としてカテゴライズされることもある。例えば上野国と下野国の領域を総称した「両毛」、陸前国・陸中国・陸奥国にまたがる「三陸海岸」、6つの大字が分立してできた「六合村」(現・中之条町)などがある。 合併時にどちらの地名を用いるか論争になった際に妥協案として実施されたものが多く、いわゆる地名研究家などから「伝統的な地名の破壊につながる」という批判が多い。一方で、両方の地名をそのまま残す、連称に関しても批判は存在するが、合成地名ほどではない。 他の同名自治体との識別などで広域地名を付した地名については、言葉の成り立ちとしては連称による合成地名の一種といえないこともないが意味合いが異なることからここでは合成地名として扱わない。市町村合併も参照されたい。.

新しい!!: 西武田村と日本の合成地名一覧 · 続きを見る »

1889年

記載なし。

新しい!!: 西武田村と1889年 · 続きを見る »

1904年

記載なし。

新しい!!: 西武田村と1904年 · 続きを見る »

1907年

記載なし。

新しい!!: 西武田村と1907年 · 続きを見る »

1911年

記載なし。

新しい!!: 西武田村と1911年 · 続きを見る »

1912年

記載なし。

新しい!!: 西武田村と1912年 · 続きを見る »

1915年

記載なし。

新しい!!: 西武田村と1915年 · 続きを見る »

1934年

記載なし。

新しい!!: 西武田村と1934年 · 続きを見る »

8月1日

8月1日(はちがつついたち)はグレゴリオ暦で年始から213日目(閏年では214日目)にあたり、年末まではあと152日ある。.

新しい!!: 西武田村と8月1日 · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »