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おうふう
株式会社おうふうは、東京都千代田区にかつて存在した出版社。学術出版社で、国語学や国文学などに関する著作を刊行していた。旧社名の桜楓社でも知られていた。桜楓社という社名は、日本大学の国文学者・鈴木知太郎がつけた。
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ひつじ書房
株式会社ひつじ書房(ひつじしょぼう)は、日本の学術出版社。1990年(平成2年)に創業。 神戸市岡本に同名の児童書店があるが、本項目のひつじ書房とは無関係である。また、かつて存在していた出版社の一つである羊書房と混同されることがあるが、そちらとも無関係である。
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天和 (日本)
は、日本の元号の一つ。延宝の後、貞享の前。1681年から1684年までの期間を指す。この時代の天皇は霊元天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。
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字余り
字余り(じあまり)とは、日本の定型詩(和歌、俳句など)において定型音数律(五・七・五、あるいは七・七)を超過することを指す。音数が五もしくは七ではなく、六、八などとなり、違和感を感じる場合もある。 ただし字余りであっても、その中の単独母音(ア・イ・ウ・オ)を短く曖昧に発音しても違和感が小さい場合もあり、定型音数へ近付くことから、古代より意識されており、則った作品も少なくない。 なお音数に基づき、字余りを定義する考え方が大半である。一方、文字数に基づくとする立場もある。
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宝井其角
宝井 其角(たからい きかく、寛文元年7月17日(1661年8月11日) - 宝永4年2月30日(1707年4月2日。一説には2月29日(4月1日))は、江戸時代前期の俳諧師。本名は竹下 侃憲(たけした ただのり)。別号は「螺舎(らしゃ)」「狂雷堂(きょうらいだう)」「晋子(しんし)」「宝晋斎(ほうしんさい)」など。
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寒山
尾竹国観筆「寒山拾得図」(部分)個人蔵 寒山(かんざん、生没年不詳)は、中国唐代に台州にある天台山の国清寺にいたとされる伝説的な風狂僧。『寒山子詩』の作者とされる。後世、拾得と共に有髪の姿で禅画の画題とされる。
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岡本勝
岡本勝(おかもと まさる)。
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佐藤勝明
佐藤 勝明(さとう かつあき、1958年 - )は、日本の国文学者。専門は日本近世文学。特に、近世俳壇史(元禄俳人の動向)や蕉風俳諧の成立と展開(延宝期~享保期)。
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俳諧
俳諧(はいかい)とは、主に江戸時代に栄えた日本文学の形式、また、その作品のこと。誹諧とも表記する。正しくは俳諧の連歌あるいは俳諧連歌と呼び、正統の連歌から分岐して、遊戯性を高めた集団文芸であり、発句や連句といった形式の総称である。
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白居易
白 居易(はく きょい、大暦7年1月20日(772年2月28日) - 会昌6年8月14日(846年9月8日))は、唐代中期の漢詩人。本貫は太原郡陽邑県。兄は浮梁県の主簿の白幼文。弟は白行簡。北斉の白建末裔。古くより白楽天の呼び名で知られる。 名の「居易」は、『礼記』「中庸」の「君子居易以俟命、小人行険而僥倖」(君子は安全な所にいて運が巡ってくるのを待ち、小人は冒険をして幸いを求めるという意)」に由来する。字は楽天。「楽天」は、『易』「繋辞伝」上の「楽天知命、故不憂」(天の法則を楽しみ運命をわきまえる。だから憂えることがないという意)に由来する。号は酔吟先生・香山居士。
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西行
西行像(MOA美術館蔵) 西行(さいぎょう、元永元年〈1118年〉- 文治6年2月16日〈1190年3月23日〉)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての日本の武士であり、僧侶、歌人。西行法師と呼ばれ、俗名は佐藤 義清(さとう のりきよ)。憲清、則清、範清とも記される。西行は号であり僧名は円位。後に大本房、大宝房、大法房とも称す。 和歌は約2,300首が伝わる。勅撰集では『詞花集』に初出(1首)。『千載集』に18首、『新古今集』に94首(入撰数第1位)をはじめとして二十一代集に計265首が入撰。家集に『山家集』(六家集の一)、『山家心中集』(自撰)、『聞書集』。その逸話や伝説を集めた説話集に『撰集抄』『西行物語』があり、『撰集抄』については作者と注目される事もある。
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談林派
談林派(だんりんは)は、延宝期を中心に、主として京都・大坂・江戸の三都で流行した誹諧の流派。また、その俳風。
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貞門派
貞門派(ていもんは)は、江戸時代前期の歌人・俳人で連歌も行った松永貞徳(1571年-1654年)によって提唱された俳諧の流派。
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雲英末雄
雲英 末雄(きら すえお、1940年3月28日 - 2008年10月6日)は、日本の国文学者。学位は、文学博士(早稲田大学・論文博士・1986年)(学位論文『元禄京都俳壇研究』)。早稲田大学名誉教授。
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李白
李 白(り はく、、701年(長安元年) - 762年10月22日(宝応元年9月30日))は、中国の盛唐の時代の詩人である。字は太白(たいはく)。号は青蓮居士。唐代のみならず中国詩歌史上において、同時代の杜甫とともに最高の存在とされる。奔放で変幻自在な詩風から、後世に『詩仙』と称される。
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松尾芭蕉
松尾 芭蕉(まつお ばしょう、寛永21年(正保元年)(1644年) - 元禄7年10月12日(1694年11月28日)佐藤編(2011)、p.248-249、松尾芭蕉関係年表阿部(1986)、p.235-241 略年譜、p.1-34 誕生と身辺・郷党の秀才)は、江戸時代前期の俳諧師。伊賀国阿拝郡(現在の三重県伊賀市)出身。幼名は金作佐藤編(2011)、p.30-34、芭蕉の生涯 伊賀上野時代(寛永~寛文期)。通称は甚七郎、甚四郎。名は忠右衛門、のち宗房(むねふさ)高橋(1993)、p.303 略年譜、p.4-9 松尾忠右衛門宗房の寛文時代。俳号としては初め宗房(そうぼう)を称し、次いで桃青(とうせい)、芭蕉(はせを)と改めた。
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杜甫
成都杜甫草堂 杜甫 杜甫の像 杜 甫(と ほ、、712年(先天元年) - 770年(大暦5年)は、中国盛唐の詩人。字は子美。号は少陵野老、別号は杜陵野老、または杜陵布衣。「杜少陵」「杜工部(検校工部員外郎)」「杜拾遺(左拾遺)」とも呼ばれる。杜預の末裔。律詩の表現を大成させた。幼少の頃から詩文の才能があり、李白と並ぶ中国文学史上最高の詩人として、李白の「詩仙」に対して、「詩聖」と呼ばれている。また晩唐期の詩人の杜牧の「小杜」に対し「老杜」「大杜」と呼ばれることもある。
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杉山杉風
杉山 杉風(すぎやま さんぷう、正保4年(1647年) - 享保17年6月13日(1732年8月3日))は、江戸時代前期から中期の俳人。蕉門十哲の一人。通称は市兵衛、または藤左衛門。名は元雅。別号は採荼庵、荼庵、荼舎、蓑翁、蓑杖は「衰杖・衰翁」、『江戸名所図絵第四冊』巻之七搖光之部1753頁には「衰翁衰杖すゐをうすいぢやう」、『芭蕉事典』320頁には「蓑翁・衰杖」とある。初め「蓑翁」といったが、大病ののち衰えた杉風を見た芭蕉が「蓑」を「衰」にしたらよいと戯れに言い、晩年の杉風において「衰翁」を別号にしたものという(『図説江戸の芭蕉を歩く』104頁)。、五雲亭、存耕庵。隠居して一元。
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漢語
日本語における漢語(かんご)とは、語種の一区分である。比較的古い時代の中国語から借用された形態素、すなわち漢字の字音から構成される語彙体系である。漢字の音読みと対応する語彙体系であるので字音語と称することもある佐藤喜代治(1996)、88頁。。固有語である「和語」、漢語以外の借用語である「外来語(洋語)」と対立する概念である。 漢語の原義は「漢民族の言語」であり、本来は漢民族が母語である中国語を自称する際の用語なのだが、日本においては国語として定着した中国由来の語彙体系を「漢語」と総称することが多い。また、漢字の字音は複合の自由度が高く、日本で独自に造語されたいわゆる「和製漢語」も多い。 日本語以外でも、朝鮮語、ベトナム語などの言語は同様の語彙体系を有している。これら言語が有する中国由来の語彙体系をまとめて「漢語系語彙(Sinoxenic vocabulary)」と呼ぶことがある。
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服部嵐雪
服部 嵐雪(はっとり らんせつ、承応3年(1654年) - 宝永4年10月13日(1707年11月6日))は、江戸時代前期の俳諧師。幼名は久馬之助または久米之助、通称は孫之丞、彦兵衛など。別号は嵐亭治助、雪中庵、不白軒、寒蓼斎、寒蓼庵、玄峯堂、黄落庵など。松尾芭蕉の高弟。雪門の祖。
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