ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

第7回カンヌ国際映画祭

索引 第7回カンヌ国際映画祭

7回カンヌ国際映画祭は1954年4月25日から5月9日にかけて開催された。.

36 関係: にごりえ今井正地上より永遠に地獄門マリア・シェルマイケル・カコヤニスユーセフ・シャヒーンリチャード・ソープルネ・クレマンルイス・ブニュエルロバート・シオドマクパルム・ドールビマル・ロイフレッド・ジンネマンフアン・アントニオ・バルデムアレクサンデル・フォルトアンドレ・バザンアンドレ・カイヤットアウグスト・ジェニーナウォルト・ディズニーエットーレ・ジャンニーニカンヌ国際映画祭カンヌ国際映画祭 女優賞カンヌ国際映画祭 審査員特別グランプリカンヌ国際映画祭 監督賞カンヌ国際映画祭 脚本賞ギリシャジャン・コクトージャック・イベールジョルジュ・ルーキエジョージ・シートンセルゲイ・ユトケーヴィッチ砂漠は生きている田中絹代衣笠貞之助洪水の前 (映画)

にごりえ

にごりえ」は、樋口一葉の短編小説。1895年(明治28年)9月、博文館『文芸倶楽部』に発表される。 「にごりえ」が発表された明治28年は、1889年(明治22年)に死去した一葉の父・則義の七回忌にあたる。一葉は法要のため博文館に原稿料の前借りを申し出ており、「にごりえ」の原稿はその引き換えとして執筆された。山梨県立文学館所蔵の未定稿によれば、当初の草稿では「ものぐるひ」「親ゆずり」の仮題が付けられている。 銘酒屋の遊女お力が、落ちぶれて妻子とも別れた源七と情死するまでを描く。作者の住む丸山福山町を舞台に、ここに生きる住民を描写している。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とにごりえ · 続きを見る »

今井正

今井 正(いまい ただし、1912年1月8日 - 1991年11月22日)は、日本の映画監督。 戦後日本映画の左翼ヒューマニズムを代表する名匠である。東京帝国大学中退後、東宝の前身J.O.スタヂオに入り、入社2年で監督に昇進。戦後は独立プロ運動の中心人物として数多くの社会派映画を手がけた。『純愛物語』でベルリン国際映画祭銀熊賞 (監督賞)、『武士道残酷物語』で同映画祭グランプリを受賞、キネマ旬報ベスト・テンでは5本の監督作がベスト・ワンに選出されるなど、賞歴も多く作品の評価は高い。日本映画復興会議初代議長でもある。主な監督作に『青い山脈』『また逢う日まで』『真昼の暗黒』『キクとイサム』など。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭と今井正 · 続きを見る »

地上より永遠に

『地上より永遠に』(ここより とわに、原題: )は、ジェームズ・ジョーンズのベストセラー小説、およびその映画化である1953年のアメリカ映画。 原作は1951年に刊行され、360万部を売り上げた。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭と地上より永遠に · 続きを見る »

地獄門

『地獄門』(じごくもん、英題:Gate of Hell)は、1953年(昭和28年)10月31日公開の日本映画である。大映製作・配給。監督は衣笠貞之助、主演は長谷川一夫。イーストマンカラー、スタンダード、89分。 日本初のイーストマン・カラー作品で、大映にとっても初の総天然色映画となる。『平家物語』や『源平盛衰記』などで語り継がれた、袈裟と盛遠の物語を題材にした菊池寛の戯曲『袈裟の良人』が原作、東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年3月25日閲覧。色彩指導に洋画家の和田三造を起用して平安時代の色彩(和色)の再現に努めた。本作は第7回カンヌ国際映画祭でパルム・ドール、第27回アカデミー賞で名誉賞と衣裳デザイン賞を受賞した外部リンクに映像。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭と地獄門 · 続きを見る »

マリア・シェル

マリア・シェル(Maria Schell,1926年1月15日 - 2005年4月26日)はオーストリア出身の女優。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とマリア・シェル · 続きを見る »

マイケル・カコヤニス

マイケル・カコヤニス(、1922年6月11日 - 2011年7月25日)は、キプロス出身の映画監督、映画プロデューサー、脚本家である。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とマイケル・カコヤニス · 続きを見る »

ユーセフ・シャヒーン

ユーセフ・シャヒーン、ユースフ・シャーヒーン(アラビア語, Youssef Chahine, 1926年1月25日 - 2008年7月27日)は、エジプト・アレキサンドリア出身の映画監督。エジプトを代表する映画監督である。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とユーセフ・シャヒーン · 続きを見る »

リチャード・ソープ

リチャード・ソープ(Richard Thorpe、1896年2月24日 - 1991年5月1日)はアメリカ合衆国の映画監督。本名はRollo Smolt Thorpe。 カンザス州出身。息子のジェリー・ソープも映画監督である。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とリチャード・ソープ · 続きを見る »

ルネ・クレマン

ルネ・クレマン(René Clément、1913年3月18日 - 1996年3月17日)は、フランスの映画監督。ボルドー生まれ。サスペンス、コメディ、反戦、恋愛映画と、バラエティに富んだ作品を残した。代表作に『禁じられた遊び』、『太陽がいっぱい』など。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とルネ・クレマン · 続きを見る »

ルイス・ブニュエル

ルイス・ブニュエル(Luis Buñuel, 1900年2月22日 - 1983年7月29日)は、スペイン出身、のちにメキシコに帰化した映画監督、脚本家、俳優である。フランス、スペイン、アメリカ合衆国、メキシコ、国境を越えて多種多様な映画を撮った。特にシュルレアリスム作品とエロティシズムを描いた耽美的作品で有名である。キリスト教に関する作品もあり、物議を醸した。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とルイス・ブニュエル · 続きを見る »

ロバート・シオドマク

バート・シオドマク(Robert Siodmak, 1900年8月8日 - 1973年8月10日) はドイツ・アメリカ合衆国の映画監督。主にフィルム・ノワールを多く撮った。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とロバート・シオドマク · 続きを見る »

パルム・ドール

パルム・ドール(Palme d'Or)は、カンヌ国際映画祭(1946年 - )における最高賞。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とパルム・ドール · 続きを見る »

ビマル・ロイ

ビマル・ロイ(বিমল রায়、1909年7月12日 - 1966年1月8日)は、インドの映画監督。インドのリアリズム映画を代表する映画人の一人。 イギリス領インド時代のベンガル地方のダッカに生まれる。ベンガル映画の製作を手がけたのちにムンバイへ移り、ヒンディー映画を撮る。バルラージ・サーヘニー主演の『2エーカーの土地』で高い評価を受け、1954年の第7回カンヌ国際映画祭で国際賞を受賞した。その他に、『スジャーター』(Sujata)、『女囚』(Bandini)などが代表作として知られている。インドの映画賞では、フィルムフェア賞やナショナル・フィルム・アワードを多数受賞している。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とビマル・ロイ · 続きを見る »

フレッド・ジンネマン

フレッド・ジンネマン(, 1907年4月29日 - 1997年3月14日)は、アメリカ合衆国の映画監督。 信念を貫く人物を描く作品で本領を発揮し、自身もハリウッドの中で信念を押し通した映画監督。若き日に出会った記録映画監督ロバート・フラハティに強い影響を受けている。また、マーケティングに基づいた今日の商業主義的映画製作に批判的な態度を示していた。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とフレッド・ジンネマン · 続きを見る »

フアン・アントニオ・バルデム

フアン・アントニオ・バルデム(Juan Antonio Bardem,, 1922年6月2日 - 2002年10月30日)は、スペイン・マドリード出身の脚本家・映画監督。同時代のスペインに生まれた映画監督、ルイス・ブニュエル(Buñuel、1900年生)、ルイス・ガルシア・ベルランガ(Berlanga、1921年生)とともに「3人の優れた"B"」と呼ばれ、やや後年のカルロス・サウラ(Saura、1932年生)を加えて「3B1S」と呼ばれることもある。2002年度には名誉ゴヤ賞を受賞し、2011年にはのひとりに選ばれた。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とフアン・アントニオ・バルデム · 続きを見る »

アレクサンデル・フォルト

アレクサンデル・フォルト(Aleksander Ford, 1908年11月24日 - 1980年4月4日)は、ポーランドの映画監督。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とアレクサンデル・フォルト · 続きを見る »

アンドレ・バザン

アンドレ・バザン(André Bazin、1918年4月18日 アンジェ - 1958年11月11日 ノジャン=シュル=マルヌ)は、戦後フランスで影響力の非常に大きかった映画批評家である。「ヌーヴェルヴァーグの精神的父親」と称されることもある。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とアンドレ・バザン · 続きを見る »

アンドレ・カイヤット

アンドレ・カイヤット(Andre Cayatte, 1909年2月3日 - 1989年2月6日)は、フランスの映画監督。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とアンドレ・カイヤット · 続きを見る »

アウグスト・ジェニーナ

アウグスト・ジェニーナ(Augusto Genina, 1892年1月28日 - 1957年9月18日)は、イタリアの映画草創期から活動した映画監督、映画プロデューサー。 1892年、ローマに生まれる。イル・モンド誌にて演劇批評や喜劇を執筆したのち、アルド・デ・ベネデッティの勧めのもと映画製作会社フィルム・ダルテ・イタリアーナでの映画づくりに身を転じる。ドイツやフランスにも渡り、フランスではルイーズ・ブルックス主演の映画『ミス・ヨーロッパ』の監督をつとめて話題を呼ぶ。その後、イタリアに戻って、ファシスト党のプロパガンダ映画をいくつか製作し、同党政治体制のもと開催されたヴェネツィア国際映画祭で最高賞のムッソリーニ杯を1936年、1940年、1942年の3度にわたって受賞。 戦後はネオレアリズモに接近し、1950年には、聖人マリア・ゴレッティを描いた映画『沼の上の空』でイタリアの映画賞ナストロ・ダルジェント監督賞を受賞した。 この作品はネオリアリズモとしてはメロドラマ的過ぎたものの、作品としては高く評価された。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とアウグスト・ジェニーナ · 続きを見る »

ウォルト・ディズニー

ウォルト・ディズニー(Walt Disney, 1901年12月5日 - 1966年12月15日)は、アメリカ合衆国・イリノイ州シカゴに生まれたアニメーター、プロデューサー、映画監督、脚本家、声優、実業家、エンターテイナーである。世界的に有名なアニメーションキャラクター「ミッキーマウス」の生みの親であり、兄のロイ・O・ディズニーと共同で設立したウォルト・ディズニー・カンパニーは数々の倒産を繰り返すも、350億ドル以上の収入を持つ国際的な大企業に発展した。 本名はウォルター・イライアス・ディズニー (Walter Elias Disney)。一族はアイルランドからの移民であり、姓の「ディズニー」は、フランスのノルマンディ地方のカルヴァドス県のイズニーから11世紀にイギリスやアイルランドに渡来したノルマン人の末裔であることに由来し、後に英語風に直された。イライアスは父名。共和党を支持し右派として知られていた。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とウォルト・ディズニー · 続きを見る »

エットーレ・ジャンニーニ

ットーレ・ジャンニーニ(Ettore Giannini, 1912年12月15日 - 1990年11月15日)は、イタリアの脚本家、映画監督であるEttore Giannini, インターネット・ムービー・データベース, 2011年1月24日閲覧。Ettore Giannini, allmovie, 2011年1月24日閲覧。。ネオレアリズモ、イタリア式コメディの映画作家であり、寡作である。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とエットーレ・ジャンニーニ · 続きを見る »

カンヌ国際映画祭

ンヌ国際映画祭(カンヌこくさいえいがさい、Festival International du Film de Cannes)は、1946年にフランス政府が開催して以来、毎年5月(1948年、1950年は中止)にフランス南部コート・ダジュール沿いの都市カンヌで開かれている世界で最も有名な国際映画祭の一つ。単にカンヌ映画祭(Festival de Cannes)とも呼ばれる。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とカンヌ国際映画祭 · 続きを見る »

カンヌ国際映画祭 女優賞

ンヌ国際映画祭 女優賞(Prix d'interprétation féminine)は、カンヌ国際映画祭の部門の1つ。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とカンヌ国際映画祭 女優賞 · 続きを見る »

カンヌ国際映画祭 審査員特別グランプリ

ンヌ国際映画祭 審査員特別グランプリ (Grand prix du jury) はカンヌ国際映画祭の賞のひとつ。1951年から授与されている。 この賞は何度か名称が変わっており、1966年までは「審査員特別賞 (Spécial Prix du Jury)」、1988年までは「審査員特別グランプリ (Grand Prix Spécial du Jury)」、1994年までは「審査員グランプリ (Grand Prix du Jury)」、1995年からは「グランプリ (Grand Prix)」という名称である。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とカンヌ国際映画祭 審査員特別グランプリ · 続きを見る »

カンヌ国際映画祭 監督賞

ンヌ国際映画祭 監督賞(Prix de la mise en scène)は、カンヌ国際映画祭の部門の一つ。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とカンヌ国際映画祭 監督賞 · 続きを見る »

カンヌ国際映画祭 脚本賞

ンヌ国際映画祭 脚本賞(Prix du scénario)は、カンヌ国際映画祭の部門の1つ。1994年からは毎年授与されているが、それ以前は不定期であった。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とカンヌ国際映画祭 脚本賞 · 続きを見る »

ギリシャ

リシャ共和国(ギリシャきょうわこく、ギリシャ語: Ελληνική Δημοκρατία)、通称ギリシャは、南ヨーロッパに位置する国。2011年国勢調査によると、ギリシャの人口は約1,081万人である。アテネは首都及び最大都市であり、テッサロニキは第2の都市及び中央マケドニアの州都である。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とギリシャ · 続きを見る »

ジャン・コクトー

ャン・コクトー、右端 ジャン・コクトー (Jean Cocteau, 1889年7月5日 - 1963年10月11日) は、フランスの芸術家。詩人、小説家、劇作家、評論家として著名であるだけでなく、画家、映画監督、脚本家としての活動も行った。自身は中でも詩人と呼ばれることを望んだという。ダダやシュルレアリスムと相互影響はあったと考えられるが、自身は直接は運動に参加せず、むしろ対立も多かった。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とジャン・コクトー · 続きを見る »

ジャック・イベール

ャック・フランソワ・アントワーヌ・イベール(Jacques François Antoine Ibert, 1890年8月15日 - 1962年2月5日)は、パリ生まれのフランスの作曲家。しばしばその作風は、軽妙、洒脱、新鮮、洗練などと言った言葉で評される。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とジャック・イベール · 続きを見る »

ジョルジュ・ルーキエ

ョルジュ・ルーキエ(Georges Rouquier、1909年 リュネルヴィエル - 1989年12月19日)は、フランスの俳優、映画監督である。そのオリジナルなドキュメンタリーはシネフィルに崇拝されている。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とジョルジュ・ルーキエ · 続きを見る »

ジョージ・シートン

ョージ・シートン(George Seaton, 1911年4月17日 - 1979年7月28日)はアメリカ合衆国インディアナ州出身の映画監督・脚本家。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とジョージ・シートン · 続きを見る »

セルゲイ・ユトケーヴィッチ

ルゲイ・ユトケーヴィッチ(, 1904年9月15日 - 1985年4月24日)は、ソビエト連邦の映画監督、脚本家である。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭とセルゲイ・ユトケーヴィッチ · 続きを見る »

砂漠は生きている

『砂漠は生きている』(原題: The Living Desert)は、ウォルト・ディズニーによって1953年に製作されたドキュメンタリー映画。アメリカ合衆国南西部の砂漠に生きる動物たちの日常を記録した作品。脚本は、ジェームス・アルガー、ウィンストン・ヒブラー、ジャック・モフィット、テッド・シアーズ。ジェームス・アルガーが監督し、ウィンストン・ヒブラーはナレーターを務めた。 アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞を獲得。2000年にアメリカ議会図書館はこの映画が「文化的に重要である」と認定し、アメリカ国立フィルム登録簿に登録された。 当時の文部省により半ば強制的に全ての義務教育校で鑑賞が義務付けられた。そのためディズニーと配給した大映は莫大な利益を手にすることとなった。あまりにも露骨なやり方だったため他省庁から非難され、以後強制的な動員をすることは無かった。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭と砂漠は生きている · 続きを見る »

田中絹代

中 絹代(たなか きぬよ、1909年11月29日 - 1977年3月21日)は、日本の女優、映画監督。本名同じ。旧芸名は田中 錦華(たなか きんか)。 黎明期から日本映画界を支えた大スターであり、日本映画史を代表する大女優の一人。小津安二郎、五所平之助、溝口健二、成瀬巳喜男、清水宏、木下惠介ら大物監督に重用され、約260本の作品に出演した。14歳で松竹に入社し、清純派スターとして人気を得て、松竹の看板女優となった。戦後は年齢を経るに従って演技派として成長し、脇役を演じることが多くなるも円熟した演技を見せ、晩年は『サンダカン八番娼館 望郷』の演技でベルリン国際映画祭銀熊賞(最優秀主演女優賞)を受賞した。主な作品に『マダムと女房』『愛染かつら』『西鶴一代女』『雨月物語』『煙突の見える場所』『楢山節考』『おとうと』など。また、映画監督としても6本の作品を残している。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭と田中絹代 · 続きを見る »

衣笠貞之助

衣笠 貞之助(きぬがさ ていのすけ、1896年1月1日 - 1982年2月26日)は、日本の俳優、映画監督、脚本家。本名は小亀 貞之助(こかめ ていのすけ)。 女形俳優から転身した映画監督で、新派劇団を経て日活向島撮影所で女形スターとして活躍後、牧野省三の下で映画監督となった。新感覚派の作家と組んで前衛映画『狂つた一頁』を製作後、松竹・東宝・大映で長谷川一夫とコンビを組んで多くの時代劇映画を製作した。江戸や明治の情緒を新派劇の素養であでやかに描き出すことにかけては第一人者だった佐藤2007、p.202。1953年(昭和28年)公開の『地獄門』は、第7回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。上記以外の主な作品に『十字路』『雪之丞変化』など。妻は女優の千早晶子、弟は映画監督の衣笠十四三。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭と衣笠貞之助 · 続きを見る »

洪水の前 (映画)

『洪水の前』(Avant le déluge)は、アンドレ・カイヤットが監督した1954年のフランス映画である。1954年のカンヌ映画祭に出品された。.

新しい!!: 第7回カンヌ国際映画祭と洪水の前 (映画) · 続きを見る »

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »