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神武王

索引 神武王

神武王(しんぶおう、生年不詳 - 839年9月4日)は、新羅の第45代の王(在位:839年)であり、姓は金、諱は祐徴。第38代元聖王の曾孫であり、父は上大等金均貞、母は朴氏の真矯夫人、王妃は貞継夫人。

目次

  1. 34 関係: 坪井九馬三大彝震三国史記三国遺事一然井上秀雄張保皐僖康王冊府元亀全羅南道元聖王国立国会図書館節度使莞島郡近代デジタルライブラリー興徳王閔哀王開成 (唐)金富軾金思燁渤海 (国)清海鎮新羅文宗 (唐)文聖王慶尚北道慶州市1月23日 (旧暦)2月10日7月23日 (旧暦)9月4日

  2. 839年没

坪井九馬三

坪井 九馬三(つぼい くめぞう、安政5年12月12日(1859年1月15日) - 1936年1月21日)は、日本の歴史学者。東京帝国大学教授。

見る 神武王と坪井九馬三

大彝震

大 彝震(だい いしん)は渤海の第11代王。

見る 神武王と大彝震

三国史記

『三国史記』(さんごくしき)は、高麗17代仁宗の命を受けて金富軾が撰した、三国時代(新羅・高句麗・百済)から統一新羅末期までを対象とする紀伝体の歴史書。朝鮮半島に現存する最古の歴史書。1143年執筆開始、1145年完成、全50巻。

見る 神武王と三国史記

三国遺事

『三国遺事』(さんごくいじ)は、13世紀末に高麗の高僧一然(1206年 - 1289年)によって書かれた私撰の史書。大部分の撰述の時期は1270年代後半から1280年代中頃であり、一然の没後に弟子の無極(宝鑑国師の混丘)が補筆・署名し、刊行されたと見られる。 朝鮮半島における現存最古の史書である『三国史記』(1145年完成)に次ぐ古文献ではあるが、由来の怪しい古書を引用するなど、史書としての問題点は少なくない。しかし、三国時代及びそれ以前の朝鮮半島の歴史を記した資料は極めて乏しいということもあって、『三国史記』と並んで朝鮮半島古代史の基本文献として扱われている。また、『三国史記』が名だけを留めて収めなかった郷歌(きょうか、ヒャンガ)を14首伝えており、言語学資料としての価値も高い。

見る 神武王と三国遺事

一然

一然(イリョン、泰和6年6月11日(1206年7月18日) - 至元26年7月8日(1289年7月26日))は、高麗の禅宗の仏僧。俗姓は金、幼名は見明(または景明)、字は晦然。慶州獐山の出身。忠烈王より国尊の称号を賜り、円径冲照と号した。没後に普覚の諡号を賜り、普覚国尊一然と称されるようになった。三国時代の重要史料である『三国遺事』の撰述のほか、『語録』『偈頌雑著』などの著作がある。

見る 神武王と一然

井上秀雄

井上 秀雄(いのうえ ひでお、1924年(大正13年)12月1日 - 2008年10月7日)は、日本の歴史学者。東北大学名誉教授、樟蔭女子短期大学名誉教授。専門は古代朝鮮史、日朝関係史。

見る 神武王と井上秀雄

張保皐

張 保皐(ちょう ほこう、790年頃 - 841年)は、統一新羅時期に新羅、唐、日本にまたがる海上勢力を築いた人物。張宝高とも記される。朝鮮語でもどちらもチャン ボゴ(장 보고)と読む。張保皐とは漢名であり、本名は弓福(又は弓巴)だった。清海鎮大使から感義軍使を経て、鎮海将軍。

見る 神武王と張保皐

僖康王

僖康王(きこうおう、生年不詳 - 838年)は、新羅の第43代の王(在位:836年 - 838年)であり、姓は金、諱は悌隆(ていりゅう)または悌顒(ていぎょう)。38代元聖王の曾孫であり、父は伊飡(2等官)の金憲貞、母は朴氏の包道夫人。王妃は角干(1等官)の位にあった葛文王忠恭の娘の文穆夫人。836年12月に先代の興徳王が死去したときに、伯父の金均貞との間の政争に勝利して王位に就いた。

見る 神武王と僖康王

唐(とう、、618年 - 907年)は、中国の王朝。李淵が隋を滅ぼして建国した。7世紀の最盛期には中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国であり、中央アジアや東南アジア、北東アジア諸国(朝鮮半島や渤海、日本など)に政制・文化などの面で多大な影響を与えた。首都は長安に置かれた。

見る 神武王と唐

冊府元亀

『冊府元亀』(さっぷげんき)は、中国の北宋時代に成立した類書のひとつ。『太平広記』、『太平御覧』、『文苑英華』とあわせて四大書と称せられる。

見る 神武王と冊府元亀

全羅南道

全羅南道(チョルラナムド、ぜんらなんどう、전라남도)は、朝鮮半島南西部に位置する大韓民国(韓国)の道。全南(チョンナム、전남)と略される。 1896年、朝鮮八道における全羅道の南半分を「全羅南道」と定めた。1948年より韓国の一部となり、現在に至る。日本統治時代までは済州島および周辺島嶼も全羅南道に含まれていたが、1946年に済州道(現・済州特別自治道)として分離。また、かつて全羅南道所属であった光州市も1986年に光州直轄市(現・光州広域市)として分離した。 道庁は務安郡に所在する。十三道制施行時から2005年までは現在の光州広域市に置かれていた。

見る 神武王と全羅南道

元聖王

元聖王(げんせいおう、生年不詳 - 799年2月12日)は、新羅の第38代の王(在位:785年 - 799年)であり、姓は金、諱は敬信。第17代の奈勿尼師今の十二世孫であり、高祖父は大阿飡(5等官)の金法宣、曽祖父は伊飡(2等官)の金義寬、祖父は伊飡(2等官)の金魏文、父は一吉飡(7等官)の金孝譲、母は朴氏の継烏夫人。王妃は角干(1等官)の金神述の娘の淑貞夫人。785年正月に先代の宣徳王が死去すると、金周元との抗争に勝って王位に就いた。

見る 神武王と元聖王

国立国会図書館

国立国会図書館(こくりつこっかいとしょかん、)は、日本の国会議員の調査研究、行政、ならびに日本国民のために奉仕する図書館である。また、納本制度に基づいて、日本国内で出版されたすべての出版物を収集・保存する日本唯一の法定納本図書館である。設置根拠は国会法第130条および国立国会図書館法第1条。 国立国会図書館は、日本の立法府である国会に属する国の機関であり、国会の立法行為を補佐することを第一の目的とする議会図書館である。同時に、納本図書館として日本で唯一の国立図書館としての機能を兼ねており、行政・司法の各部門および日本国民に対するサービスも行っている。バーチャル国際典拠ファイルに参加している。

見る 神武王と国立国会図書館

節度使

節度使(せつどし)は、中国古代の官職名。軍を指揮する皇帝の使い、という意味を有する。とりわけ唐代のものを指す場合が多く、律令に規定のない令外官だった。

見る 神武王と節度使

莞島郡

莞島郡(ワンドぐん)は、大韓民国全羅南道にある郡。

見る 神武王と莞島郡

、あるいはは、漢字文化圏において、主に帝王・相国などの貴人の死後に奉る、生前の事績への評価に基づく名のことである。「諡」の訓読み「おくりな」は「贈り名」を意味する。

見る 神武王と諡

諱(いみな)とは、人名の一要素に対する中国など東アジアの漢字圏における呼称である。「忌み名」とも表記される。

見る 神武王と諱

近代デジタルライブラリー

近代デジタルライブラリー(きんだいデジタルライブラリー、Digital Library from the Meiji Era)は、国立国会図書館が明治・大正・昭和前期の資料を公開するインターネット上の電子図書館。2016年5月末をもって、「国立国会図書館デジタルコレクション」と統合された。(電子図書館事業を参照)。

見る 神武王と近代デジタルライブラリー

興徳王

興徳王(こうとくおう、777年 - 836年)は、新羅の第42代の王(在位:826年 - 836年)であり、姓は金、諱は秀宗、のちに景徽(けいき)と改名した。父は第38代元聖王の元太子の金仁謙(昭聖王により恵忠大王と追封)、母は角干(1等官)の金神述の娘の淑貞夫人(聖穆太后と追封)であり、第39代昭聖王・第41代憲徳王の同母弟である。王妃は昭聖王の娘の章和夫人。826年10月、先代の憲徳王が死去すると、副君の位にあった秀昇が即位した。

見る 神武王と興徳王

閔哀王

閔哀王(びんあいおう、817年 - 839年2月10日)は、新羅の第44代の王(在位:838年 - 839年)であり、姓は金、諱は明。『三国遺事』王暦では敏哀王の別表記も伝える。第38代元聖王の曾孫であり、父は大阿飡(5等官)の金忠恭、母は金氏の貴宝夫人、王妃は金氏の允容王后。838年1月に反乱を起こして先代の僖康王を追い詰め、僖康王が自殺したことにより自ら即位した。

見る 神武王と閔哀王

開成 (唐)

開成(かいせい)は中国・唐代の元号。文宗の治世で用いられた元号。836年正月 - 840年12月。

見る 神武王と開成 (唐)

金富軾

金 富軾(キム・ブシク、きん ふしょく、1075年 - 1151年)は、高麗の官僚・儒学者。慶州金氏出身の門閥貴族である。朝鮮に現存する最古の歴史書である『三国史記』を編纂し、後に楽浪郡開国侯を賜った。父は金覲。兄は金富弼・金富佾。弟は金富轍。

見る 神武王と金富軾

金思燁

金思燁(キム・サヨプ、1912年 - 1992年)は、韓国慶尚北道出身の文学者・作家。

見る 神武王と金思燁

渤海 (国)

渤海(ぼっかい、朝鮮語:발해 パレ、渤海、、Бохай、698年 - 926年)は、現中国東北部から朝鮮半島北部、現ロシアの沿海地方にかけて、かつて存在した国家。靺鞨族の大祚栄により建国され、周囲との交易で栄え、唐からも「海東の盛国」(『新唐書』)と呼ばれたが、最後は契丹(遼)によって滅ぼされた。 「渤海」の名は本来、遼東半島と山東半島の内側にあり黄河が注ぎ込む湾状の海域のことである。初代国王大祚栄が、この渤海の沿岸で現在の河北省南部にあたる渤海郡の名目上の王(渤海郡王)に封ぜられたことから、本来の渤海からやや離れたこの国の国号となった。

見る 神武王と渤海 (国)

清海鎮

将島 清海鎮(チョンヘジン)は、韓国全羅南道莞島郡莞島邑長佐里734の将島にある統一新羅時代の軍鎮であった。莞島から清海鎮遺跡地のある小さな島である将島(장도)までの距離は約180mで、1日2回ずつ引潮の時は海底が現れ、直接に島へ歩くこともできる。9世紀・新羅の武将、張保皐はここに清海鎮を設置して海賊を掃討して三海の海上権を掌握した海上交易路の本拠地であり、現在は重要な歴史的遺跡である。

見る 神武王と清海鎮

新羅

新羅(しらぎ/しんら、シルラ、前57年 - 935年)は、古代の朝鮮半島南東部にあった国家。当初は「斯蘆」(しろ、サロ)と称していたが、503年に「新羅」を正式な国号とした。朝鮮半島北部の高句麗、半島南西部の百済との並立時代を経て、7世紀中頃までに朝鮮半島中部以南をほぼ統一し、高麗、李氏朝鮮と続くその後の半島国家の祖形となった。内乱や飢饉で国力を弱体化させ、高麗に降伏して滅亡した。 朝鮮の歴史区分では、新羅、高句麗、百済の3か国が鼎立した7世紀中盤までの時代を三国時代(さんごくじだい)、新羅が朝鮮半島唯一の国家であった時代(668年-900年)を統一新羅時代(とういつしらぎじだい)、新羅から後高句麗と後百済が分裂した10世紀の時代を後三国時代(ごさんごくじだい)という。ただし1970年代以降の韓国では、渤海を朝鮮民族の歴史に組み込む意図(朝鮮の歴史観)から、統一新羅時代を南北国時代(なんぼくこくじだい)と称しているので注意が必要である。

見る 神武王と新羅

文宗 (唐)

文宗(ぶんそう)は、唐朝の第17代皇帝。穆宗の次男で、敬宗の同年の異母弟にあたる。

見る 神武王と文宗 (唐)

文聖王

文聖王(ぶんせいおう、生年不詳 - 857年)は、新羅の第46代の王(在位: 839年 - 857年)であり、姓は金、諱は慶膺(けいよう)。父は先代の神武王であり、母は貞継夫人、王妃は伊飡(2等官)の金陽の娘の炤明王后。839年1月に神武王が即位するとともに太子として立てられ、同年7月に神武王が亡くなると即位した。

見る 神武王と文聖王

慶尚北道

慶尚北道(キョンサンブクト、けいしょうほくどう、경상북도)は、朝鮮半島東南部に位置する大韓民国(韓国)の道。慶北(キョンブク、경북)と略される。

見る 神武王と慶尚北道

慶州市

慶州市(キョンジュし)は、大韓民国慶尚北道の歴史文化都市。東は日本海に面し、西は永川市と清道郡、南は蔚山広域市、北は浦項市に接する。面積1,324.41平方キロ、人口258,156人(2017年6月30日)。市のブランドスローガンはGolden City, Gyeongju。 新羅王国の都・金城(クムソン)の地であり、石窟庵と仏国寺が1995年にユネスコの世界遺産に登録された。また、2000年には南山ベルト・月城ベルト・大陵園(古墳公園)に含まれる膨大な遺跡と芬皇寺などが慶州歴史地域として登録され、さらに、2010年には市の北部・江東面に位置する両班の伝統的民俗村である良洞村が、安東河回村とともに世界遺産に登録された。これで同市内には3件の世界遺産が存在する事になり、稀な世界遺産都市となった。

見る 神武王と慶州市

1月23日 (旧暦)

旧暦1月23日は旧暦1月の23日目である。六曜は大安である。

見る 神武王と1月23日 (旧暦)

2月10日

2月10日(にがつとおか)は、グレゴリオ暦で年始から41日目にあたり、年末まであと324日(閏年では325日)ある。

見る 神武王と2月10日

7月23日 (旧暦)

旧暦7月23日は旧暦7月の23日目である。六曜は大安である。

見る 神武王と7月23日 (旧暦)

9月4日

9月4日(くがつよっか)は、グレゴリオ暦で年始から247日目(閏年では248日目)にあたり、年末まであと118日ある。

見る 神武王と9月4日

参考情報

839年没