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神保長職

索引 神保長職

保 長職(じんぼう ながもと)は、戦国時代の大名。越中守護代・神保氏当主。初代越中富山城主。.

68 関係: 加賀国城生城受領名増山城大名天正天文 (元号)婦負郡嫡流家長守護代官途状寺島職定富山城小島職鎮射水郡上杉謙信常願寺川一向一揆幼名享禄仮名 (通称)佐々氏徳川氏元亀国司神保長城神保長住神保氏神保氏張神保慶宗神通川織田信長織田氏甲斐国畠山尚順畠山義綱畠山氏越中の戦国時代越中国越後国足利義昭長尾為景椎名康胤椎名長常椎名氏武田信玄水越勝重永禄...永正江戸時代惟宗氏戦国時代 (日本)新川郡1520年1531年1543年1544年1559年1560年1562年1566年1568年1570年1571年1572年1576年 インデックスを展開 (18 もっと) »

加賀国

加賀国(かがのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.

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城生城

城生城(じょうのじょう)は、富山県富山市八尾町城生字城鉄炮町にあった日本の城。市史跡。蛇尾城とも云う。.

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受領名

受領名(ずりょうめい)は前近代の日本において、主に武家や神職などの通称(仮名)として用いられた、非公式な官職名のこと。.

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増山城

増山城(ますやまじょう)は、富山県砺波市(越中国砺波郡・射水郡・婦負郡の三郡境付近)にあった日本の城(山城)。旧名、和田城。国の史跡。続日本100名城(日本城郭協会)。.

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大名

大名(だいみょう)は、大名主より転じた語。大いに名の轟く者のことを指す。対義語は小名である。.

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天正

天正(てんしょう)は日本の元号の一つ。元亀の後、文禄の前。ユリウス暦1573年からグレゴリオ暦1593年(ユリウス暦1592年)。 この時代の天皇は正親町天皇、後陽成天皇。征夷大将軍は足利義昭。.

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天文 (元号)

天文(てんぶん、てんもん)は、日本の元号の一つ。享禄の後、弘治の前。1532年から1555年までの期間を指す。この時代の天皇は後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義晴、足利義輝。.

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婦負郡

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嫡流

嫡流(ちゃくりゅう)とは、氏族の本家を継承する家筋・家系のことをいう。正嫡、正系、嫡系ともいう。対義語は庶流という。敬って「御嫡々の家系」という場合もある。嫡流の家を宗家、総本家、嫡家、大本家、本家という。  ちなみに、「直系」を嫡流の意味で用いるのは誤用で、直系とは正しくは親の親もしくは子の子といった関係の連鎖で結ばれる生物学的関係をいい、直系・傍系はあくまで純粋な生物学的血統上の語であり家筋・家系とは関係がない。例えば、ある人物から見たときその子孫はすべて直系卑属であるから、分家・庶流の子孫も直系であるし、また、傍系は相対的な系統上の関係をいうから、分家からみた本家は傍系である。詳しくは、 親族を参照。  あくまで当家の祭祀を継承する家系を意味するのであるから、長男が継承者となることが多いものの、必ずしも長男が継承するとは限らず、次男以下あるいは養子の子孫が嫡流となる場合もある点に注意。.

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家長

家長(かちょう)とは、一家の家督を継承して家族を統括し、その祭祀を主宰する者を指す。当主と同義の言葉とされている。.

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守護代

守護代(しゅごだい)とは、鎌倉時代と室町時代に守護の下に置かれた役職である。.

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官途状

官途状(かんどじょう)とは、室町時代以降、主君が武功を挙げた家臣に対して特定の官職を私称することを許した書状のことである。官途書出、受領書出とも国史大辞典編集委員会編『国史大辞典第3巻』(吉川弘文館、1983年)900-901頁参照。。.

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寺島職定

寺島 職定(てらしま もとさだ)は、戦国時代の武将。神保氏の家臣。新川郡池田城主。姓は寺嶋とも書く。.

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富山城

富山城(とやまじょう)は、富山県富山市丸の内にあった日本の城である。「浮城(うきしろ)」「安住城(あずみじょう)」ともいわれた。続日本100名城の一つである。.

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小島職鎮

小島 職鎮(こじま もとしげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。神保氏、上杉氏の家臣。日宮城代。姓は小嶋とも書く。.

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射水郡

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上杉謙信

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国の大名。関東管領(1561年 - 1578年)。山内上杉家16代当主。最強の戦国武将の1人といわれ、後世、軍神や越後の虎、越後の龍と称された。 越後守護・上杉家に仕える越後守護代・長尾為景(三条長尾家)の四男として生まれ、初名は長尾 景虎(ながお かげとら)。1561年(景虎31歳)、関東管領・上杉憲政の養子となり山内上杉氏の家督を譲られ(「上杉」姓と憲政の「政」の1字を与えられ)上杉 政虎(うえすぎ まさとら)と改名し、上杉氏が世襲していた室町幕府の重職関東管領を引き継いだ。後に室町幕府の将軍・足利義輝より偏諱(「輝」の1字)を受けて、最終的には上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)と名乗った。謙信は、さらに後に称した法号である。 内乱続きであった越後国を統一し、戦や政だけではなく、産業を振興して国を繁栄させた。他国から救援を要請されると秩序回復のために幾度となく出兵し、武田信玄、北条氏康、織田信長、越中一向一揆、蘆名盛氏、能登畠山氏、佐野昌綱、神保長職、椎名康胤らと合戦を繰り広げた。特に宿敵武田信玄との5回にわたる川中島の戦いはよく知られている。さらに足利将軍家からの要請を受けて上洛を試み、越後国から北陸路を西進して越中国・能登国・加賀国へ勢力を拡大したが48歳で志半ばで死去した。兜は、飯綱明神前立鉄錆地張兜。謙信には実子がおらず、謙信の死後、上杉家の家督の後継をめぐって御館の乱が勃発した。 謙信は、「義」を重んじ、戦乱の世にあっても侵略のための戦いはしない一方、他国から救援を要請されると出兵し、「依怙(えこ)によって弓矢は取らぬ。ただ筋目をもって何方(いずかた)へも合力す」(私利私欲で合戦はしない。ただ、道理をもって誰にでも力を貸す)『白河風土記』と述べている。また、謙信が敵将武田信玄の領国甲斐が塩不足に苦しんでいるのを知り、塩を送った逸話から、「敵に塩を送る」という故事も生まれた。.

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常願寺川

富山県富山市小見にて 立山連峰と常願寺川空撮 常願寺川(じょうがんじがわ)は、富山県中新川郡立山町 および富山市を流れ富山湾に注ぐ一級河川。古くは新川(にいかわ)と呼ばれ、新川郡の名の由来ともなっている。大森川(おおもりがわ)とも呼ばれた。 本項目では上流の真川(まがわ)と湯川(ゆかわ)も合わせて説明する。 富山県の七大河川(黒部川、片貝川、早月川、常願寺川、神通川、庄川、小矢部川)の一つ。.

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一向一揆

三河一向一揆 六字名号(蓮如筆)/本願寺所蔵 一向一揆(いっこういっき)とは、戦国時代に浄土真宗本願寺教団(一向宗)の信徒たちが起こした、権力に対する抵抗運動の一揆の総称。.

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幼名

幼名(ようみょう/ようめい)は、幼少時の名前の事。おさな名・童名・小字とも言う。 主に平安時代~江戸時代にかけて、武士や貴族の子が幼児である期間につけられる名前で、だいたい元服して諱をつけるまでその名前でいる。江戸期では、多くの慈善活動をした豪商が、その活動を認められ、公での苗字帯刀を許された場合、その商人の子も幼名を持つ例がある。農民の名前も幼名と呼ばれるが、武士とは違って諱をつける事は無い。 現在でも幼少時に改名した場合は、以前の名前を幼名と呼ぶ。.

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享禄

享禄(きょうろく)は、日本の元号の一つ。大永の後、天文の前。1528年から1531年までの期間を指す。この時代の天皇は後奈良天皇。室町幕府将軍は足利義晴。.

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仮名 (通称)

仮名(けみょう)は、江戸時代以前に諱を呼称することを避けるため、便宜的に用いた通称のこと。.

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佐々氏

佐々氏(さっさし)は日本の氏族のひとつ。.

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徳川氏

徳川氏(とくがわし/とくがわうじ、)は、徳川家康が創始した日本の氏族。新田氏系得河氏・得川氏の末裔を称した際に嘉字を用いて徳川と称したことが始まりとなり、江戸幕府将軍家と親族の家名とした。しかし『徳川家譜』に記される家系に関しては『尊卑分脈』の該当記録に似通った流れはあるものの、当代史料による検証がならず、得川氏と家康の家系との同一性は実証できていない。.

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元亀

元亀(げんき)は、日本の元号の一つ。永禄の後、天正の前。1570年から1573年までの期間を指す。この時代の天皇は正親町天皇。室町幕府将軍は足利義昭。.

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国司

国司(こくし、くにのつかさ)は、古代から中世の日本で、地方行政単位である国の行政官として中央から派遣された官吏で、四等官である守(かみ)、介(すけ)、掾(じょう)、目(さかん)等を指す(詳細は古代日本の地方官制も併せて参照のこと)。守の唐名は刺史、太守など。 郡の官吏(郡司)は在地の有力者、いわゆる旧豪族からの任命だったので、中央からの支配のかなめは国司にあった。任期は6年(のちに4年)であった。国司は国衙において政務に当たり、祭祀・行政・司法・軍事のすべてを司り、管内では絶大な権限を持った。.

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神保長城

保 長城(じんぼう ながなり)は戦国時代の武将。父は神保長職、兄に神保長住がいる。.

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神保長住

保 長住(じんぼう ながずみ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。.

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神保氏

保氏(じんぼうし)は、本姓惟宗氏で、上野国多胡郡辛科郷神保邑が名字発祥の地という。家紋は「竪二引両」。越中国の越中神保氏が有名。.

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神保氏張

保 氏張(じんぼう うじはる)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。本姓は惟宗氏。通称は宗五郎、安芸守。越中守山城主、古国府城主。神保氏重の子。妻は織田信秀の娘で織田信長の姉(神保・稲葉夫人、後に離縁し、稲葉貞通室となる)。子に氏興、氏長。しばしば同族の神保長住と混同されるが別人である。.

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神保慶宗

保 慶宗(じんぼう よしむね/のりむね、生年不詳 - 永正17年12月22日(1521年1月30日))は日本の戦国時代の武将で越中守護代家神保氏の当主。父は神保長誠。子に長職。越前守。道五郎。宗右衛門尉。初名は慶良、のち慶宗に改名。いずれも「慶」の1字は、主君にあたる越中守護・畠山尚慶(のち尚順、尚長に改名)より偏諱を受けたものである(弟とされている神保慶明についても同様)。法名は大樹宗茂。.

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神通川

筏橋からみた宮川(神通川)と中橋 神通川の河川敷に建設された富山空港 神通川(じんずうがわ、じんづうがわ、じんつうがわ)は、岐阜県および富山県を流れる一級河川で、神通川水系の本流。上流側の岐阜県内では支流である高原川との合流点より上流を宮川(みやがわ)と称する。.

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織田信長

織田 信長(おだ のぶなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。三英傑の一人。 尾張国(現在の愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男。 尾張守護代の織田氏の中でも庶流・弾正忠家の生まれであったが、父の代から主家の清洲織田氏(織田大和守家)や尾張守護の斯波氏(斯波武衛家)をも凌ぐ力をつけて、家督争いの混乱を収めて尾張を統一し、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ると、婚姻による同盟策などを駆使しながら領土を拡大した。足利義昭を奉じて上洛すると、将軍、次いでは天皇の権威を利用して天下に号令した。後には義昭を追放して室町幕府を事実上滅ぼして、畿内を中心に強力な中央集権的政権(織田政権)を確立して天下人となった。これによって他の有力な大名を抑え、戦国乱世の終焉に道筋をつけた。 しかし天正10年6月2日(1582年6月21日)、重臣・明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害した。すでに家督を譲っていた嫡男・織田信忠も同日に二条城で自刃し、信長の政権は、豊臣秀吉による豊臣政権、徳川家康が開いた江戸幕府へと引き継がれていくことになる。.

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織田氏

家紋あげはちょう'''揚羽蝶''' 織田氏(おだし)は、日本の氏族・武家。斯波氏の家臣の家柄。家紋は揚羽蝶、織田木瓜など。通し字は嫡流・伊勢守家の「広」、大和守家の「定」、後に近世大名となる弾正忠家の「信」など。.

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甲斐国

斐国(かいのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。.

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畠山尚順

山 尚順(はたけやま ひさのぶ / ひさより「尚順」の読みについては、「順」の字を受けた遊佐順盛の読みから、前者が有力である。遊佐順盛についてはを参照。)は、戦国時代の武将、守護大名。室町幕府紀伊・河内・越中守護。足利氏の支流畠山氏出身で畠山氏の一派畠山尾州家の当主。 畠山政長の子。稙長、長経、政国、晴熙(はるひろ)の父。初名は尚慶(ひさよし/ひさのり)、後に尚順と名乗るが、更に父・政長の1字を取って尚長(ひさなが)と改名した。いずれも「尚」の字は室町幕府第9代将軍・足利義尚より偏諱を受けたものである。通称は次郎、官位は尾張守。号は卜山。法号は勝仙院竜源徳陽。 生涯を通して足利義稙の有力な与党として活動した。明応の政変で父政長を殺され、紀伊での逼塞を余儀無くされたが、流浪の義稙を支持して宿敵の畠山義豊を討ち、細川政元に抵抗し続けた。義稙の将軍復帰後は領国へ下向し、実効支配を確立しようとしたが、紀伊で謀反を起こされ没落。その後出奔した義稙に呼応するも、復帰を果たせぬまま死去した。.

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畠山義綱

山 義綱(はたけやま よしつな)は、能登国の戦国大名。能登畠山氏の第9代当主。.

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畠山氏

山氏(はたけやまし/はたけやまうじ)は、武蔵国を本貫地とする武家の一族。主に桓武平氏系と清和源氏系の2家系があるが、両者は間接的な血縁関係である(後述)。読みには他に「はたやま」もある。 室町時代には畠山金吾家が大和宇智郡・河内・紀伊(管領就任時には山城も)などの畿内およびその周辺国に該当する重要な地域を守護として治め、また幕府の管領として国の政務を執った。しかし、家督争いにより、総州家と尾州家に分かれて、応仁の乱勃発の一因となり、その後も激しく争い続けた。 また、北陸の越中の守護も兼ね、分家は能登の守護を代々世襲する。著名な末裔として実業家の畠山一清がいる。.

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諱(いみな)とは、人名の一要素に対する中国などの東アジアの漢字圏における呼称である。忌み名(いみな)とも。漢字圏以外でも同様の概念はあり、英語では (直訳すると「真の名」)がそれに当たる。.

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越中の戦国時代

越中の戦国時代(えっちゅうのせんごくじだい)は、戦国時代における越中国(富山県)内の戦乱である。.

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越中国

越中国(えっちゅうのくに)は、かつて日本の地方行政区分であった令制国の一つ。北陸道に属する。現在の富山県にあたる地域である。.

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越後国

越後国(えちごのくに)は、かつて日本の行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.

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足利義昭

足利 義昭(あしかが よしあき)は、室町幕府第15代(最後)の将軍(在職:永禄11年(1568年) - 天正16年(1588年))。 父は室町幕府第12代将軍・足利義晴。母は近衛尚通の娘・慶寿院。第13代将軍・足利義輝は同母兄。 足利将軍家の家督相続者以外の子として、慣例により仏門に入って覚慶(かくけい)と名乗り一乗院門跡となった。兄・義輝らが三好三人衆らに暗殺されると、三淵藤英・細川藤孝ら幕臣の援助を受けて奈良から脱出し、還俗して義秋(よしあき)と名乗る。美濃国の織田信長に擁されて上洛し、第15代将軍に就任する。やがて信長と対立し、武田信玄や朝倉義景らと呼応して信長包囲網を築き上げる。一時は信長を追いつめもしたがやがて京都から追われ備後国に下向し、一般にはこれをもって室町幕府の滅亡とされている。 信長が本能寺の変によって横死した後も将軍職にあったが、豊臣政権確立後はこれを辞し、豊臣秀吉から山城国槙島1万石の大名として認められ、前将軍だった貴人として遇され余生を送った。.

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長尾為景

長尾 為景(ながお ためかげ)は、越後国の戦国大名。越後守護代・越中国新河郡分郡守護代。上杉謙信の実父。米沢藩初代藩主・上杉景勝は外孫に当たる。.

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椎名康胤

椎名 康胤(しいな やすたね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。越中国の国人。松倉城主。.

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椎名長常

椎名 長常(しいな ながつね、生没年不詳)は、戦国時代の武将。越中の国人で新川郡又守護代。弾正左衛門尉。 長常は大永から弘治年間の椎名氏当主である。長常の前後に椎名氏の当主であった椎名慶胤・椎名康胤との続柄は不明確だが、一説には慶胤の兄弟で康胤の叔父にあたると考えられている。尚、諱の「長」の字は当初主君であった畠山尚長から偏諱を賜ったものとみられる。 これより前、慶胤は畠山氏からの独立を図った永正17年(1520年)の神保慶宗の乱に加担して敗北し、椎名氏は越後の長尾為景に服属していた。椎名氏はこれにより新川郡守護代職を長尾氏に奪われたが、長常は為景から越中新川郡の統治を任された。為景の死後、後ろ盾を失った長常の勢力は衰退し、越中大乱で神保長職(慶宗の後継者)と争い没落した。 長常の没年は不詳だが、まもなくして康胤が椎名氏の家督を継ぐこととなり、能登畠山氏や、為景の子である上杉謙信という後ろ盾を得ながら、長職と抗争していくこととなる。 なかつね Category:戦国武将 Category:越中国の人物.

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椎名氏

椎名氏(しいなし)は、日本の氏族のひとつ。.

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武田信玄

武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。1915年(大正4年)11月10日に従三位を贈られる。 甲斐の守護を務めた甲斐源氏武田家第18代・武田信虎の嫡男。先代・信虎期に武田氏は守護大名から戦国大名化し国内統一を達成し、信玄も体制を継承して隣国・信濃に侵攻する。その過程で越後国の上杉謙信(長尾景虎)と五次にわたると言われる川中島の戦いで抗争しつつ信濃をほぼ領国化し、甲斐本国に加え信濃、駿河、西上野、遠江、三河と美濃の一部を領し、次代の勝頼期にかけて領国を拡大したものの、西上作戦の途上に三河で病を発し、信濃への帰還中に病没した。.

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水越勝重

水越 勝重(みずこし かつしげ、生没年不詳)は、越中国の戦国武将。神保氏の家臣で、後継者には水越職勝がいた。 著名な実績としては天文年間に椎名氏領の新川郡侵攻への足掛かりとして、神保長職の命で富山城を築城した。なお勝重がこの後長職と称したという誤った記述が『越登賀三州史』にあり、そのために二人は同一人物だと考えられていた時期があった。 Category:戦国武将 Category:越中国の人物.

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永禄

永禄(えいろく)は、日本の元号の一つ。弘治の後、元亀の前。1558年から1570年までの期間を指す。この時代の天皇は正親町天皇。室町幕府将軍は足利義輝、足利義栄、足利義昭。.

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永正

永正(えいしょう)は、日本の元号の一つ。文亀の後、大永の前。1504年から1521年までの期間を指す。この時代の天皇は後柏原天皇。室町幕府将軍は足利義澄、足利義稙。.

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江戸時代

江戸時代(えどじだい)は、日本の歴史において徳川将軍家が日本を統治していた時代である。徳川時代(とくがわじだい)とも言う。この時代の徳川将軍家による政府は、江戸幕府(えどばくふ)あるいは徳川幕府(とくがわばくふ)と呼ぶ。 藩政時代(はんせいじだい)という別称もあるが、こちらは江戸時代に何らかの藩の領土だった地域の郷土史を指す語として使われる例が多い。.

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惟宗氏

惟宗氏(これむねうじ)は、日本の氏族のひとつ。平安時代に始まる氏族で、秦氏の子孫とされる。.

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戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.

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新川郡

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1520年

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1531年

記載なし。

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1543年

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1544年

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1559年

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1560年

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1562年

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1566年

記載なし。

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1568年

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1570年

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1571年

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1572年

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1576年

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