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火攻

索引 火攻

ファイアカタパルトを解説した版画。 火攻(かこう)とは、火を使って敵を攻めること。何らかの方法で敵陣や敵国の市街地などに火を放ちながら敵を攻めること全般を指す。火攻め、火計(かけい)、焼討ちとも言う。

目次

  1. 46 関係: たいまつ大辞泉孫子 (書物)山火事ペルシア戦争レリーフヘロドトスピッチ (樹脂)ベトナム戦争アルマダの海戦アッシリアアテナイウシギリシア火薬サーモバリック爆薬火矢火炎瓶火炎放射器火炎放射戦車火船爆弾田単焦土作戦焼夷弾焼夷剤煙幕特定通常兵器使用禁止制限条約白リン弾騎行軍鳩赤壁の戦い東ローマ帝国欽明天皇治承・寿永の乱源平盛衰記源義仲春秋時代斉国日本国語大辞典日本本土空襲日本書紀攻城兵器攻城戦放火罪

たいまつ

たいまつ。イギリス南部、ルイス(Lewes)で、11月5日のガイ・フォークス・ナイトに、徹夜で行われるたき火祭りで使われるもの 八幡まつりで使われるもの ルイスのガイ・フォークス・ナイトの風景 たいまつ(松明、炬火、トーチ、英語:torch)とは、木材あるいは木片を束ねて火をともす屋外用の照明具。通常、油脂を先端の表面に塗ったり、布切れなどに浸して巻き付けたものである。続松(ついまつ)ともいう*。 なお、ガスカートリッジに点火装置とノズルからなる本体を接続して、火口から高温の炎を出す燃焼器具をガストーチあるいはトーチバーナーという(バーナー参照)。また、懐中電灯はイギリス英語ではtorchという(アメリカ英語ではFlashlight)。

見る 火攻とたいまつ

大辞泉

『大辞泉』(だいじせん)は、小学館が発行する中型国語辞典。書籍版は25万語、デジタル版は2018年11月の時点で約30万語を収録。

見る 火攻と大辞泉

孫子 (書物)

孫子の著者とされる孫武の像。鳥取県湯梨浜町の燕趙園に立つ 『孫子』(そんし)は、紀元前500年ごろの中国春秋時代の軍事思想家孫武の作とされる兵法書。武経七書の一つ。古今東西の軍事理論書のうち、最も著名なものの一つである。紀元前5世紀中頃から紀元前4世紀中頃あたりに成立したと推定されている。 『孫子』以前は、戦争の勝敗は天運に左右されるという考え方が強かった。孫武は戦争の記録を分析・研究し、勝敗は運ではなく人為によることを知り、勝利を得るための指針を理論化して、本書で後世に残そうとした。

見る 火攻と孫子 (書物)

山火事

2020年、米国アリゾナ州の山火事 山火事(やまかじ、英語:wildfire)とは、自然界における火災の日本語での総称。山でなく、平坦な土地の森林や草原で発生・延焼する場合も含み、その対象に応じて森林火災(しんりんかさい)、山林火災(さんりんかさい)、林野火災(りんやかさい)、原野火災(げんやかさい)などともいう。乾燥や強風といった条件が重なると火災旋風に発展することもある。 地球温暖化により頻度および規模が増大しており各地で大きな被害を出しているほか、山火事の多発が地球の大気中で温暖化ガスである二酸化炭素()を増やしたり、北極と南極の氷や永久凍土の融解を促したりして温暖化を加速させる一因になっている「」『朝日新聞』夕刊2022年12月22日4面(同日閲覧)。

見る 火攻と山火事

ペルシア戦争

アケメネス朝の最大勢力域 ペルシア戦争(ペルシアせんそう、Περσικοί Πόλεμοι)は、紀元前492年から紀元前449年の、3度にわたるアケメネス朝ペルシア帝国の遠征軍とギリシアの諸都市の連合軍の間におこなわれた戦争。 戦争の経緯を記している資料としては(ギリシア側の歴史家の)ヘロドトスの『歴史』がほぼ唯一の資料である。なおヘロドトスの記述については、プルタルコスが「ヘロドトスの悪意」という文章の中で、当戦争の歴史的事実がヘロドトス個人の悪意に満ちた主観によってひどく歪められてしまった、と批判した(つまりペルシア戦争の「事実」として現代に伝わってしまっていることには、ヘロドトス個人の悪意に基づいた、根拠の無い推察やデフォルメが大量に含まれている可能性が高い)。他の資料としてはシケリアのディオドロスによる『歴史叢書』(古代ギリシア語:, ラテン語:Bibliotheca Historica。英語版記事:en:Bibliotheca historicaが参照可)が知られている。

見る 火攻とペルシア戦争

レリーフ

レリーフ(英: relief、仏: relief )あるいは浮き彫り(うきぼり)または浮き彫り細工(〜さいく)は、美術の技法である。 平面を浮き立たせるように彫りこむ、もしくは平面上に形を盛り上げるように肉づけして制作する彫刻の一種で、芸術品のほか、肖像、地図、硬貨、家具や建築物の外装などに使われる。

見る 火攻とレリーフ

ヘロドトス

ヘロドトス(ヘーロドトス、Ἡρόδοτος, Hēródotos、羅:Herodotus、紀元前484年頃 - 紀元前425年頃)は、古代ギリシアの歴史家である。歴史という概念の成立過程に大きな影響を残していることから、歴史学および史学史において非常に重要な人物の1人とされ、しばしば西洋に於て「歴史の父」とも呼ばれる。 彼が記した『歴史』は、完本として現存している古典古代の歴史書の中では最古のものであり、ギリシアのみならずバビロニア、エジプト、アナトリア、クリミア、ペルシアなどの古代史研究における基本史料の1つである。 生没年は不詳であり、生年は大雑把に前490年から前480年までの間とするのが定説である松平 解説, p.

見る 火攻とヘロドトス

ピッチ (樹脂)

ピッチ は黒色で粘弾性のある樹脂。石油から精製されるものは歴青、植物樹脂から生成されるものはロジンと呼ばれる。

見る 火攻とピッチ (樹脂)

ベトナム戦争

ベトナム戦争(べとなむせんそう、、Vietnam War)は、当時南北に分断されていたベトナムで社会主義陣営の北ベトナム(ベトナム民主共和国)と資本主義陣営の南ベトナム(ベトナム共和国)との間で勃発した戦争であり、冷戦中に起こったアメリカ合衆国とソビエト連邦の代理戦争とされる。経済力・物量の差から「象と蟻」の戦いと揶揄された。 建国当初よりベトナム南北両国は対立関係にあり、南ベトナム国内では北ベトナムに支援された反政府組織である南ベトナム解放民族戦線(解放戦線)が活動して軍や警察などと衝突していた。南ベトナムの同盟国であるアメリカ合衆国(アメリカ)は軍事顧問を送り込むなどして以前より南ベトナムを援助していたが、1964年8月のトンキン湾事件を契機として全面的な軍事介入を開始した。しかしアメリカ軍は北ベトナム軍や解放戦線側によるゲリラ戦を相手に苦戦し、最終的に和平協定を結んでこの戦争から撤退することとなった。戦争はその後、1975年4月30日に北ベトナム軍が南ベトナムの首都サイゴン(現在のホーチミン市)を陥落させるまで継続した。

見る 火攻とベトナム戦争

アルマダの海戦

アルマダの海戦(アルマダのかいせん)、アルマダ戦争(アルマダせんそう、Battle of Armada, Armada Wars)は、スペイン無敵艦隊(Spanish Armada、Grande y Felicísima Armada)のイングランド侵攻において、1588年7月から8月(旧暦7月)に英仏海峡で行われた諸海戦の総称である。 広く知られる「無敵艦隊」の名称はスペイン語Armada Invencibleの訳で、スペイン海軍のC・F・ドゥロ大佐が1884年に著した論文の題名が原典とされている小林幸雄は、本当ならば無敵であったはずという慨嘆と哀悼の意を題名に込めたのではないかとしている。

見る 火攻とアルマダの海戦

アッシリア

アッシリア(Assyria,, اشور)は、現在のイラク北部を占める地域、またはそこに興った王国。アッシュル市を中核とし、帝国期にはニネヴェやニムルドが都として機能した。歴史地理的名称としてのアッシリアはチグリス川とユーフラテス川の上流域、つまりメソポタミアの北部を指し、メソポタミア南部は一般にバビロニアと呼ばれる。最終的にメソポタミア・シリア・エジプトを含む世界帝国を築き、その遺産はハカーマニシュ朝(アケメネス朝、ペルシア帝国)に受け継がれてその王権や社会に影響を与えた。 紀元前824年と紀元前671年のアッシリアの版図。 アッシリアに関連した都市と国の位置関係ハニガルバトとは、『ミタンニ』に対するアッシリア側からの他称である。 紀元前627年頃)の浮き彫り(ロンドンの大英博物館蔵)。

見る 火攻とアッシリア

アテナイ

アクロポリス、間にアレオパゴス、西にプニュクスがある。 label。

見る 火攻とアテナイ

ウシ

ウシ(牛)は、哺乳綱鯨偶蹄目ウシ科ウシ亜科の動物である。野生のオーロックスが、人類によって家畜化されて生まれた。但し、アメリカ哺乳類学会では、ウシ、オーロックス、コブウシをそれぞれ独立した種として分類している。 「ウシ」は、狭義では特に(種レベルで)家畜種のウシ(学名:)を指す。一方、やや広義では、ウシ属 (genus) を指し、そこにはバンテンなどの野生牛が含まれる。さらに広義では、ウシ亜科 (subfamilia) の総称である。すなわち、アフリカスイギュウ属、アジアスイギュウ属、ウシ属、バイソン属などを指す。これらは牛と認められる共通の体形と特徴を持つ。大きな胴体、短い首と一対の角、胴体と比べて短めで前後にだけしか動けない脚、軽快さの乏しい比較的鈍重な動き、などが特徴である。ウシと比較的近縁の動物としては、同じウシ亜目(反芻亜目)にキリン類やシカ類、また、同じウシ科の仲間としてヤギ、ヒツジ、レイヨウなどがあるが、これらが牛と混同されることはまずない。

見る 火攻とウシ

ギリシア火薬

ギリシア火薬(ギリシアかやく)とは東ローマ帝国で使用された焼夷兵器である。東ローマ帝国では海戦において典型的にこの兵器が使用され、これは水上に浮いている間ずっと燃え続けて多大な効果を上げた。この兵器は技術的な優位を与え、東ローマ帝国の多くの軍事的勝利において鍵となる役割を果たした。最も特記すべきはコンスタンティノープルをアラブ軍の2度に渡る攻囲から救出したことである。これにより帝国は生き残ることができた。 ギリシア火薬は西ヨーロッパの十字軍にある印象を作り出しており、ギリシア火薬という名前はいかなる種類の焼夷兵器にも適用され、これらにはアラブ人、中国人、またモンゴル人によって用いられた焼夷兵器も含まれていた。しかしながら、これらは異なる混合法により作られており、東ローマ帝国の製法によるものではなかった。ギリシア火薬は固い機密保持で守られ、秘密は失われてしまった。ギリシア火薬の配合の問題は推測や議論のままに残されており、松脂、ナフサ、酸化カルシウム、硫黄または硝石の混合物とする意見が見られる。東ローマ帝国で用いられた焼夷用の混合物は、敵の上に液体を噴射する高圧サイフォンの使用によって区別される。「Greek fire」の言葉は英語で一般的なものであり、他言語のそれは十字軍からのもので、オリジナルの東ローマ帝国の資料では数種の名称で呼ばれた。それらは「πῦρ θαλάσσιον、sea fire(海の火)」、「πῦρ ῥωμαϊκόν、Roman fire(ローマの火)」、「πολεμικὸν πῦρ、war fire(戦いの火)」「ὑγρὸν πῦρ、liquid fire(液火)」、また「πῦρ σκευαστόν、manufactured fire(作られた火)」である。

見る 火攻とギリシア火薬

サーモバリック爆薬

サーモバリック爆薬(サーモバリックばくやく、)とは、燃料気化爆弾の次世代型に当たる気体爆薬である。1990年代から開発が始まり2002年ごろから実用化された。

見る 火攻とサーモバリック爆薬

矢(や)は、弓の弾力を利用して発射される武具(狩猟具)。箭の字も用いられる。

見る 火攻と矢

マッチの火 火(ひ)とは、化学的には物質の燃焼(物質の急激な酸化)に伴って発生するプラズマ、あるいは燃焼の一部、と考えられている現象である。 火は、熱や光を発生させると共に、様々な化学物質も生成する。気体が燃焼することによって発生する激しいものは炎と呼ばれる。煙が熱と光を持った形態で、気体の示す一つの姿であり、気体がイオン化してプラズマを生じている状態である。燃焼している物質の種類や含有している物質により、炎の色や強さが変化する。 人類の火についての理解は大きく変遷してきている。象徴的な理解は古代から現代まで力を持っている。また理知的には古代ギリシアにおいては4大元素のひとつと考えられた。

見る 火攻と火

火矢

火矢 火矢(ひや)とは、敵方の建築物に遠距離から火を放つための矢のこと。現代の焼夷弾に相当する投射武器の総称である。火箭(かせん)ともいう。

見る 火攻と火矢

火炎瓶

火炎瓶(かえんびん、火焔瓶とも表記)は、主にガラス製の瓶にガソリン・灯油などの可燃性の液体を充填した、簡易な焼夷弾の一種である。冬戦争における故事から、「モロトフ・カクテル(Molotov cocktail)」とも呼ばれる。

見る 火攻と火炎瓶

火炎放射器

火炎放射器(かえんほうしゃき、火焔放射器、flamethrower)は、液体燃料を圧縮ガスで点火させることで、火炎を放射する兵器である。 民生用としては、農業や一般家庭などにおける雑草の駆除に使用されるものがある。

見る 火攻と火炎放射器

火炎放射戦車

火炎放射戦車(かえんほうしゃせんしゃ)は、砲塔や車体前面などに設置された噴射口から加圧した油を噴射し着火することによって、火炎を放射する戦車。火炎放射器を主武装とした戦闘車両である。主に、陣地攻撃、森や建物・塹壕に潜む敵兵のあぶり出しなどに使用された。 最初に火炎放射戦車を使用したのは、1936年のエチオピアにおけるイタリア軍といわれる。L3軽戦車にトレーラー式の油槽を装備したものであった。組織的に火炎放射戦車を運用し始めたのは第二次世界大戦中のドイツ国防軍・ソ連赤軍である。携帯式の火炎放射器と比較し、燃料搭載量が多いことが利点となっている火炎放射器-豪華を放つ地獄の近接兵器- 松代守弘 歴史群像 2006年12月号 P12-15 学習研究社。油輸送専用のトレーラーを牽引させる方式と、戦車内に油槽を持たせる方式に二分できる。

見る 火攻と火炎放射戦車

火船

11世紀に書かれた中国の兵法書に登場する火船の例。 火船(かせん、ひぶね)とは、可燃物や爆発物を積載して敵艦船に体当たり攻撃をしかける船のこと。焼き討ち船とも呼ばれる。

見る 火攻と火船

爆弾

ワイヤ 爆弾(ばくだん、Bombe)とは、爆発による熱や衝撃などによって対象とする生物や物体を殺傷、破壊するための兵器である。一般に、爆薬とそれを装填する容器、信管などの発火装置で構成される。なお、兵器以外でも、発破などの民間利用に用いられる同様の装置を指して爆弾と呼ぶことがある。トンネル工事などに用いられる事もある。 軍事利用の面では、特に航空機から投下される航空機搭載爆弾を指して爆弾の語が使われる。他にも爆薬を使った兵器として、小型で人力により投射される手榴弾、水中に投下される機雷や爆雷、大砲から投射するものを榴弾、推進装置を持つ物をロケット弾、さらに誘導装置まで持つものをミサイルと呼ぶ。ただし、推進装置は持たないが誘導装置を持つ物は一般的に誘導爆弾に分類される。

見る 火攻と爆弾

田単

田 単(でん たん、紀元前3世紀前半頃)は、中国戦国時代の斉の武将。燕によって滅亡寸前に追い詰められた斉を優れた知略によって救った。

見る 火攻と田単

焦土作戦

焦土作戦(しょうどさくせん)とは、戦争等において、防御側が、攻撃側に奪われる地域の利用価値のある建物・施設や食料を焼き払い、その地の生活に不可欠なインフラストラクチャーの利用価値をなくして攻撃側に利便性を残さない、つまり自国領土に侵攻する敵軍に食料・燃料の補給・休養等の現地調達を不可能とする戦術及び戦略の一種である。 なお、攻撃軍が退却に際し、追撃を遅らせるために鉄道施設や補給施設を破壊する場合も焦土作戦に含まれる。

見る 火攻と焦土作戦

焼夷弾

焼夷弾(しょういだん、incendiary bomb、incendiary ammunition)は、焼夷剤を装填した兵器である。 通常の銃砲弾・爆弾とは異なり、目標を爆発で破壊するのではなく、攻撃対象に着火させて焼き払うために使用する。そのため、発生する爆風や飛散する破片で対象物を破壊する爆弾と違い、焼夷弾は中に入っている燃料が燃焼することで、対象物を火災に追い込む。 このような、燃焼を利用する銃砲弾が全て焼夷弾ということではなく、同様の機構を持ちながらも目的の異なる、照明弾・曳光弾・発煙弾・ガス弾などもある。

見る 火攻と焼夷弾

焼夷剤

焼夷剤(しょういざい、)とは、可燃性物質を発火炎上させることを目的とした薬剤である。 大きく分けて二種類あり、一つは自分自身がガソリンなどの強燃性の物質で出来ていて激しく燃える物で、ナパーム弾や火炎放射器がこれに該当する。もう一つは、触れた物体と化学反応を起こして高温を発することで付着した物体を発火させるタイプである。 後者は実戦では用いられていないが、三フッ化塩素などのガスを噴射して対象物を腐食、炎上させる兵器がドイツで研究されていた。 焼夷剤については、火薬で目標を破壊するような通常兵器と区別する必要はなく、今日では化学兵器に含まれないという見解が有力である。ただし、特定通常兵器使用禁止制限条約の附属議定書によって、民間人や人口密集地に対する使用が制限されている。

見る 火攻と焼夷剤

煙幕

発煙弾を用いて煙幕を展開する水陸両用部隊 煙幕(えんまく、)は、軍事部隊などの活動や位置を隠蔽するために発生させる煙である。 もっとも一般的な形態として、小さな缶状の発煙弾がある。この発煙弾から放出される白色もしくは有色の、非常に濃い煙は微かな風でも拡散し、周辺領域を満たすように設計されている。

見る 火攻と煙幕

特定通常兵器使用禁止制限条約

特定通常兵器使用禁止制限条約(とくていつうじょうへいきしようきんしせいげんじょうやく、英語表記はCCW or CCWC:Convention on Certain Conventional Weapons)とは、過剰な傷害または無差別の効果を発生させると認定される通常兵器の使用を禁止または制限する多国間条約である。

見る 火攻と特定通常兵器使用禁止制限条約

白リン弾

白リン弾(はくリンだん、白燐弾)は、手榴弾、砲弾、爆弾、煙幕弾の一種で、充填する白リンが大気中で自然燃焼すると吸湿して、極めて透過性の悪い五酸化二リンの煙を発生させることを利用する。限定的な照明効果および焼夷効果を持つ場合もあるアルミニウムと混合することで焼夷弾としての効果を付与したものもある。詳細は「ロケット弾」を参照。 陸上自衛隊では、白リン弾を発煙弾としてのみ装備している。白リンの英名"White Phosphorus"の頭文字をとってWP発煙弾とも呼ばれる。 英語圏では白リンと黄リンが共に「White Phosphorus」と表記されるため、日本語訳は白リン発煙弾と黄リン発煙弾の二種類がある。

見る 火攻と白リン弾

騎行

騎行(きこう、Chevauchée )は、文脈上で「プロムナード(散歩)」か「騎兵の突撃」を意味する。においては敵を弱体化するために行われる敵領土の生産拠点(村落)への焼討ちや略奪を行う襲撃を意味する。14世紀以降は戦争の仕方が包囲戦になったため減少した。 イベリア半島では、この種の侵攻をカバルガータ(スペイン語:Cabalgata、古い綴り:cavalgada)と呼ぶ in the Diccionario de la Real Academia Española.。イスラム圏の razzia も同様である。 敵を挑発したり、為政者の支持を低下させ人心を引き離す離間計としての効果を持つ。また、大量の難民を要塞化された拠点に押し寄せさせる効果もあるが触れられていない。

見る 火攻と騎行

軍鳩

軍鳩(ぐんきゅう、War pigeon)は、軍隊で使用される鳩。伝書鳩として使われ、無線が普及していない時代の重要な伝達手段だった。特に帰巣性が強く、方向転換に優れている鳩が使用された。

見る 火攻と軍鳩

赤壁の戦い

赤壁の戦い要図 赤壁の戦い(せきへきのたたかい、簡体字:赤壁之战、繁体字:赤壁之戰)は、中国後漢末期の208年、長江の赤壁(現在の湖北省咸寧市赤壁市)において起こった曹操軍と孫権・劉備連合軍の間の戦いである。

見る 火攻と赤壁の戦い

東ローマ帝国

東ローマ帝国(ひがしローマていこく)またはビザンツ帝国ただし、標準ドイツ語発音では「ビュツァンツ」に近い。また、現代ドイツ語では地名ビュザンティオンは Byzantion,帝国の呼称としては Byzantinisches Reich(ビュツァンティニッシェス・ライヒ) が用いられるのが一般的である。、ビザンティン帝国、ギリシア帝国、ギリシャ帝国は、東西に分割統治されて以降のローマ帝国の東側の領域、国家である。ローマ帝国の東西分担統治は3世紀以降断続的に存在したが、一般的には西暦395年以降の東の皇帝の統治領域を指すなお、当時の国法的にはローマ帝国が東西に「分裂」したという事実は存在せず、当時の人々は東ローマ帝国と西ローマ帝国とを合わせて一つのローマ帝国であると考えていた。

見る 火攻と東ローマ帝国

欽明天皇

欽明天皇(きんめいてんのう、509年〈継体天皇3年〉 - 571年5月24日〈欽明天皇32年4月15日〉)は、日本の第29代天皇(在位:539年12月30日?〈宣化天皇4年12月5日〉 - 571年5月24日?〈欽明天皇32年4月15日〉)。 和風諡号は天国排開広庭天皇(あめくにおしはらきひろにわのすめらみこと)。別名、志帰嶋天皇・斯帰斯麻天皇(いずれも「しきしまのすめらみこと」と呼ぶ)。この代に、百済より仏教が公伝し、任那が滅亡した。

見る 火攻と欽明天皇

治承・寿永の乱

治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)は、平安時代末期の治承4年(1180年)から元暦2年(1185年)にかけての6年間にわたる国内各地の内乱であり、平清盛を中心とする伊勢平氏正盛流に対する反乱である。反平家勢力の中には祖を同じとする坂東平氏も含まれており遠戚間の対立、嫉妬に契機を発した抗争でもある。日宋貿易で得られた富を中央政府側で独占し、その財と権力で栄華を極め、傍若無人に振る舞った平家に他勢力が不満を募らせたことで反乱を招いた。このことから、平家の繁栄と没落を描いた叙述書、平家物語冒頭の「驕れる者も久しからず」という一文は「財や地位、権力を盾に威張る者は平家のようにいずれ滅びる」という意味の諺にもなっている。

見る 火攻と治承・寿永の乱

源平盛衰記

『源平盛衰記』(げんぺいせいすいき/げんぺいじょうすいき)は、軍記物語の『平家物語』の異本のひとつ。48巻。著者不明。読み本系統に分類される(詳しくは『平家物語』を参照)。

見る 火攻と源平盛衰記

源義仲

源 義仲(みなもと の よしなか)は、平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏の一族、源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。木曾 義仲(きそ よしなか)の名でも知られる。『平家物語』においては朝日将軍(あさひしょうぐん、旭将軍とも)と呼ばれている。 以仁王の令旨によって挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、倶利伽羅峠の戦い・篠原の戦いで平氏の大軍を破って入京する。連年の飢饉で荒廃した都の治安回復を期待されたが、治安の回復の遅れと大軍が都に居座ったことによる食糧事情の悪化、皇位継承への介入などにより後白河法皇と不和となる。法住寺合戦に及んで法皇と後鳥羽天皇を幽閉して征東大将軍(征夷大将軍とも)となるが、源頼朝が送った源範頼・義経の軍勢により、粟津の戦いで討たれた。

見る 火攻と源義仲

春秋時代

代替文。

見る 火攻と春秋時代

斉国

斉(せい、拼音:Qí、繁体字:齊國、簡体字:齐国、紀元前1046年 - 紀元前221年)は周朝の諸侯国に端を発し、西周・春秋時代・戦国時代にわたって中国の東方に存在した国家である。国号は単に「斉」であるが、「田氏代斉」以前の姜氏の斉と、以後の田氏の斉を区別するために前者を「姜斉」、後者を「田斉」と称する。現在の山東省北部を中心に勢威を張り、盛時には山東省の大部分、河北省の東南部、河南省の東北部を支配した。戦国時代には、いわゆる「戦国七雄」の一国として強盛を誇り、秦が他の五国を滅ぼしたのちも命脈を保った。斉は、秦によって最後に滅ぼされた国である。 創始者は、周の文王・武王の国師であった軍師の太公望呂尚(姜尚)である。

見る 火攻と斉国

日本国語大辞典

日本国語大辞典(にほんこくごだいじてん)は、小学館が発行する日本最大で唯一の大型国語辞典である。初版は日本大辞典刊行会編。

見る 火攻と日本国語大辞典

日本本土空襲

日本本土空襲(にほんほんどくうしゅう)は、第二次世界大戦中に連合国軍が大日本帝国各都市や工場などに対して行った空襲である。 1944年(昭和19年)11月24日から本格化し、1945年春頃から本格的な戦略爆撃となり、大規模な無差別爆撃も実施された。主力となったアメリカ陸軍航空軍のB-29爆撃機、B-24爆撃機により日本の主要都市は焦土と化し、史上初の核攻撃(日本への原子爆弾投下)も実施され、数十万人から百万人が死亡した。

見る 火攻と日本本土空襲

日本書紀

『日本書紀』(にほんしょき、やまとぶみ、やまとふみ)は、奈良時代に成立した日本の歴史書。『古事記』と並び伝存する最も古い史書の1つで、養老4年(720年)に完成したと伝わる。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。神典の一つに挙げられる。神代から持統天皇の時代までを扱い、漢文・編年体で記述されている。全30巻。系図1巻が付属したが失われた。

見る 火攻と日本書紀

攻城兵器

攻城兵器(こうじょうへいき)は、攻城戦において城郭都市や他の要塞を包囲、破壊するための装置である。いくつかのものは防御物に近接して、他種のものは防御物から距離をとって攻撃を加えるよう運用された。古代から、攻城兵器は主に木で製造され、石または類似の投射物を発射するには歯車比を用いる傾向があった。火薬の開発に伴う金属工学の進歩により、攻城兵器は火砲へと進化した。全体的に、包囲を完成するために必要な攻城兵器や砲列、および必須の部隊と輸送車両は、攻城砲列と呼ばれる。

見る 火攻と攻城兵器

攻城戦

コンスタンティノープルの陥落 攻城戦(こうじょうせん、siege)とは、敵の砦、城、城壁都市を奪取するための戦闘のことである。相手を飢えさせる戦法であるため兵糧攻めともいう。また、守る側(防塞・塁塞)から見た戦闘を籠城戦(または篭城戦、ろうじょうせん)と呼ぶ。

見る 火攻と攻城戦

放火罪

放火罪(ほうかざい、arson、Brandstiftung)は、故意または悪意をもって建造物や自然保護区などに火を放つこと(放火)により成立する犯罪。自然発火や山火事のような、他の原因とは区別される。通常は他人の財産または保険金目的で自分の財産に対して故意に生じさせた火災をいう。

見る 火攻と放火罪

火攻め 別名。