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温井続宗

索引 温井続宗

温井 続宗(ぬくい つぐむね)は、戦国時代の武将。能登畠山氏の家臣。畠山義続から偏諱を受け「続宗」を名乗る。 藤原北家利仁流の温井氏は能登国の国人で、現在の輪島を領していた。 永正10年(1513年)、温井総貞の嫡男として生まれる。父を補佐して遊佐氏を打倒、畠山氏の実権を掌握した。弘治元年(1555年)に父が主君・畠山義綱(義続の嫡男)によって討たれたため、子・景隆と共に加賀国へと逃亡した。 その後、続宗は叔父の続基・綱貞や、温井氏と縁が深い能登三宅氏を中心に反義綱派の勢力を結集させ、一族の畠山晴俊を擁立する形で謀反を起こしたが、戦闘の中で討ち死にした(弘治の内乱)。 つくむね Category:戦国武将 Category:能登国の人物 Category:戦国時代に戦死した人物 Category:1513年生 Category:1555年没.

23 関係: 加賀国三宅長盛弘治 (日本)弘治の内乱兵庫寮国人畠山義続畠山義綱遊佐氏輪島市能登国藤原北家藤原利仁長綱連武将永正温井総貞温井氏温井景隆戦国時代 (日本)1513年1555年

加賀国

加賀国(かがのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.

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三宅長盛

三宅 長盛(みやけ ながもり)は、戦国時代の武将。能登畠山氏の家臣。温井景隆の実弟。.

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弘治 (日本)

弘治(こうじ)は、日本の元号の一つ。天文の後、永禄の前。1555年から1558年までの期間を指す。この時代の天皇は後奈良天皇、正親町天皇。室町幕府将軍は足利義輝。.

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弘治の内乱

弘治の内乱(こうじのないらん)は、弘治元年(1555年)から永禄3年(1560年)頃まで能登国において続いた合戦。.

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兵庫寮

兵庫寮(ひょうごりょう)は、兵部省所管の兵庫(左右兵庫・内兵庫)の後身である軍事官司。和訓は「つわもののくらのつかさ」、唐名は武庫署。 『日本書紀』朱鳥元年(686年)条において難波に置かれた兵庫職が見える。令制では、左右兵庫と内兵庫があり、前者には頭・助・大允・少允・大属・少属各1人及び使部20人・直丁2人。後者には正・佑・令史各1人などの職員があった。左右兵庫は元旦儀衛・蕃客宴会などの儀礼や戦闘で用いる儀仗・兵器を色別に棚に安置して、その出納・曝涼・修理などにあたった。兵庫寮の武器管理の責任は重く、儀仗・武器の出納には、勅を必要とするなど厳重な管理下に置かれていた。一方、内兵庫については不明な点も多く、天皇御料の武器を管理していたとする説や非常に備えて左右兵庫と同様の組織を置いたとする説などがある。その後、大同3年(806年)に官司の整理のために内兵庫が左右兵庫に分割・合併され、翌年に左右兵庫にそれぞれ史生2名が追加された。 寛平8年9月7日(896年10月17日)、左右兵庫・造兵司・鼓吹司の4官司を統合して兵庫寮として、頭・助・大允・少允・大属・少属各1人、史生4人・使部12人などの職員を置いた。兵庫本来の任務としての朝廷における儀仗・武器の管理・出納に加えてもと造兵司所属の雑工戸や鼓吹司所属の鼓吹戸を管理し、造兵司が扱っていた儀仗・武器の製造や鼓吹司が扱っていた鼓吹の教習なども掌った。庁舎は安嘉門内西掖に置かれ、歴代の儀仗・武器などを収めるために多くの倉庫が併設されていたが、火災などで古くから伝わる秘蔵の儀仗・武器などが失われたことが問題にされたという。.

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国人

国人(こくじん、くにびと、くにゅうど)とは、広くその国の国民、住民のこと大辞泉(小学館)。 六国史(日本後紀および三代実録)において国衙領の国民または住民を指す言葉として用いられ、越前国人、大和国人、河内国人などが見える日本後紀三代実録。 また、国人領主(こくじんりょうしゅ)は中世の史料において、在京の名目上の領主である中央官吏に対して在地の実質上の領主を指す言葉として用いられ(国人領主制)、国衆(くにしゅう)や在国衆(ざいこくしゅう)とほぼ同義ないし明確な違いは無い。.

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畠山義続

山 義続(はたけやま よしつぐ)は、能登の戦国大名。能登畠山氏の第8代当主。.

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畠山義綱

山 義綱(はたけやま よしつな)は、能登国の戦国大名。能登畠山氏の第9代当主。.

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遊佐氏

遊佐氏(ゆさし)は、日本の氏族。南北朝時代に三管領と呼ばれた畠山氏に仕え、子孫は河内国、能登国、越中国の守護代を務めた。.

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諱(いみな)とは、人名の一要素に対する中国などの東アジアの漢字圏における呼称である。忌み名(いみな)とも。漢字圏以外でも同様の概念はあり、英語では (直訳すると「真の名」)がそれに当たる。.

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輪島市

輪島市(わじまし)は、石川県北部に位置する市。能登半島北部の奥能登の中核となる市で、輪島塗や朝市ならびに御陣乗太鼓で全国的に有名である。.

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能登国

能登国(のとのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。北陸道に属する。.

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藤原北家

藤原北家(ふじわらほっけ)とは、右大臣藤原不比等の次男藤原房前を祖とする家系。藤原四家の一つ。藤原房前の邸宅が兄の藤原武智麻呂の邸宅よりも北に位置したことがこの名の由来。.

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藤原利仁

藤原 利仁(ふじわら の としひと)は、平安時代中期の武将。民部卿藤原時長(中納言藤原山蔭の同母兄弟)の子。越前国敦賀の豪族藤原有仁(忌部姓?)の娘婿ともなっていた。.

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長綱連

長 綱連(ちょう つなつら)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。能登畠山氏の家臣。.

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武将

武将(ぶしょう)とは、軍勢を統率する将軍、特に武道に秀でた将のこと。 日本の戦国時代においては、武士や農民・町人から徴用された足軽たちを統率する戦国大名やその家臣を指すことがある(戦国武将)。なお、部隊を率いる将を部将と呼ぶ。 明治政府が当時の事象や日本の歴史について文献に基づきまとめた古事類苑に「武将」の文言は見られない。.

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永正

永正(えいしょう)は、日本の元号の一つ。文亀の後、大永の前。1504年から1521年までの期間を指す。この時代の天皇は後柏原天皇。室町幕府将軍は足利義澄、足利義稙。.

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温井総貞

温井 総貞(ぬくい ふささだ)は、戦国時代の武将。能登畠山氏の家臣。剃髪後の温井紹春でも知られる。畠山七人衆の筆頭。能登国天堂城主。.

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温井氏

温井氏(ぬくいし/ぬくいうじ)は、能登国輪島を本貫地とする武家。 出自は藤原北家利仁流系から清和源氏桃井氏系と称した。 室町時代に桃井直常の流れをくむ桃井兵庫助直信の嫡男景信が(藤姓)温井景直に迎えられ桃井から温井へと姓を改めた、とある。 総領が直信以来の「兵庫助」を世襲する温井氏は、やがて能登の守護となった畠山氏の被官となった。 能登畠山氏が最盛期を迎えた畠山義総の頃(16世紀前半)に重臣として、その治世を支えた温井総貞が畠山七人衆の地位を築くに至った。 その七人衆での権力闘争に陥ると、政敵・遊佐続光を一時的に退けて筆頭となったことで、かえって疎まれた総貞は、今度は主権回復を目論む畠山義綱(義総の孫)による上意討ちに遭い、命を失った。 遺族は七人衆の同輩・三宅氏の支援を得て弘治の内乱を引き起こすも、主君・義綱軍の中核となった遊佐氏と長氏によって3度の蜂起を鎮圧され、そのたびに総貞の弟や長男などを失って加賀国へ落ち延びた。 やがて主君の義続・義綱父子を国外追放した遊佐続光と和解し、能登へ帰参したが、往時の威勢を取り戻すには至らなかった。.

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温井景隆

温井 景隆(ぬくい かげたか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。能登畠山氏の家臣。 藤原北家利仁流の温井氏は能登国の国人で、現在の輪島を領していた。 弘治元年(1555年)、祖父・温井総貞が主君・畠山義綱によって討たれると、温井一族は反乱を起こすが敗れて加賀国へ逃亡した。永禄9年(1566年)、義綱とその父・義続が重臣らによって追放されると帰参し、年寄衆に列して再び重臣となる。 天正5年(1577年)、上杉謙信の大軍に七尾城を囲まれると、続光と協力して親織田派の長続連らを殺害し、謙信に内応した。しかし謙信の死後、織田軍の侵攻に遭って能登を追われる。天正10年(1582年)、本能寺の変により織田信長が没すると、復権を目指して上杉景勝の支援のもと能登へ侵攻したが、佐久間盛政と前田利家の反撃に遭って殺された。.

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戦国時代 (日本)

日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。.

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1513年

記載なし。

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1555年

記載なし。

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