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浜村蔵六 (五世)

索引 浜村蔵六 (五世)

五世 浜村 蔵六(ごせい はまむら ぞうろく、男性、慶応2年(1866年) - 明治42年(1909年)11月25日)は、明治期の日本の篆刻家である。 名は裕、字は有孚、蔵六を号し、別号に無咎道人・彫虫窟主人。通称立平。陸奥国弘前出身。.

35 関係: 印籍印譜号 (称号)向島 (墨田区)天王寺 (台東区)中井敬所中田勇次郎幸田露伴享年康有為二玄社弘前市徐三庚ボタン (服飾)呉昌碩犬養毅石井雙石篆刻谷中 (台東区)蘭学腸チフス通称陸奥国東奥義塾高等学校明治浜村蔵六浜村蔵六 (四世)日本の篆刻家一覧慶応11月25日1866年1909年

印籍

印籍(いんせき)とは、篆刻に関する書籍全般を差す。印書・印本ともいう。 印籍は印譜、印論、印人伝に分類できる。印譜は印影を中心にその研究あるいは美術的鑑賞を目的とする。 印論は更に印章論、篆刻論、印籍論に分けられる。日本においては曽之唯『印籍考』がユニークな印論として特筆できる。曽之唯は別に印文、印語を集めた『印語纂』を著している。 代表的な印人伝としては、中国では周亮工『印人伝』・汪啓淑『続印人伝』、日本では中井敬所の遺稿『日本印人伝』や伏見冲敬編『印人伝集成』などが挙げられる。.

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印譜

印譜(いんぷ)とは、印籍の一種で、鑑賞や研究を目的として印章の印影および印款を中心に掲載した書籍である。原印を直接鈐した原鈐本と、模刻した印を鈐した鈐印本、木版などに写した翻刻本がある。中国や日本の近世・近代に文人や篆刻家によって盛んに刊行された。 最初の印譜は、中国北宋の大観年間に楊克一が出版した『集古印格』とされる。続いて宣和年間に徽宗が撰した『宣和印譜』とされるがこれは伝存していない。宋・元を通じて16種の印譜が出版されたがいずれも翻刻であった。 原鈐本が伝わる最古の印譜は明代の隆慶6年(1572年)に出版された、顧従徳の『集古印譜』である。初版は僅か20部であり、秦・漢の古印の印影を1700方余り集めている。現存しているのはこのうちの1部(1帙5冊・欠1冊)である。万暦年間に王常の協力を得て翻刻し、最終的には4000方近くにまでの印影を集めた。増刷の過程で複数の異なった書名となり、『顧氏芸閣集古印譜』・『顧氏印藪』・『王氏秦漢印統』などがある。篆刻芸術の黎明期と重なり、多くの篆刻家がこの印譜の啓発を受けている。 内容で分類すると、古銅印譜と近人印譜に分けられる。古銅印譜は、古代の主に青銅製の印(古銅印)を収集して押した印譜である。近人印譜は、明時代以降(日本では江戸時代以降)、文人による篆刻が盛んになった情勢下に編集された、篆刻家の印(主に石材の印)の印を押したものである。後者には、篆刻家自身の編集によるもの、コレクターが編集したもの、画家や書家が使用した印を集めたもの(自用印譜)などがある。.

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号 (称号)

号(ごう)とは、称号の略。本名とは別に使用する名称。.

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名(な、みょう、めい).

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向島 (墨田区)

向島(むこうじま)は、東京都墨田区の地名。現行行政地名は向島一丁目から五丁目。住居表示実施済み区域である。郵便番号は131-0033。.

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天王寺 (台東区)

釈迦如来坐像 本堂 かつて存在していた谷中五重塔 天王寺(てんのうじ)は、東京都台東区谷中にある、天台宗の寺院。正式名称は「護国山尊重院天王寺」である。.

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字(あざな、)とは、中国など東アジアの漢字圏諸国で使われる人名の一要素である。 昔、中国で成人男子が実名以外につけた名。日本でも学者・文人がこれをまねて用いた。 また、実名以外に呼び習わされた名。あだな。.

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中井敬所

中井 敬所(なかい けいしょ、天保2年6月25日(1831年8月2日) - 明治42年(1909年)9月30日)は、明治時代の篆刻家である。篆刻家としてだけでなく日本印章学の基礎を築いた学者としても知られる。 名を兼之、字を資同、敬所は号。江戸本所に生まれる。.

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中田勇次郎

中田 勇次郎(なかだ ゆうじろう、明治38年(1905年)1月7日 - 平成10年(1998年)10月23日)は、日本の文学者、大学教授である。主に漢文学、書道史を専攻した。号は有廬(ゆうろ)、書斎を心花室(しんげしつ)と称した。.

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幸田露伴

幸田 露伴(こうだ ろはん、1867年8月22日(慶応3年7月23日) - 1947年(昭和22年)7月30日)は、日本の小説家。本名は成行(しげゆき)。別号に蝸牛庵(かぎゅうあん)、笹のつゆ、雷音洞主、脱天子など多数。江戸(現東京都)下谷生れ。帝国学士院会員。帝国芸術院会員。第1回文化勲章受章。娘の幸田文も随筆家・小説家。高木卓の伯父。 『風流仏』で評価され、『五重塔』『運命』などの文語体作品で文壇での地位を確立。尾崎紅葉とともに紅露時代と呼ばれる時代を築いた。擬古典主義の代表的作家で、また漢文学・日本古典や諸宗教にも通じ、多くの随筆や史伝のほか、『芭蕉七部集評釈』などの古典研究などを残した。.

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享年

享年(きょうねん)とは人が「天から享(う)けた年数」という意味であり、この世に存在した年数である。「行年(ぎょうねん)」ともいい「娑婆で修行した年数」、「行(時が進むの意味)『漢字源』学研、「行」の項を参照。の年数」の意味。「享年70(満68歳)」(数え年の場合)のように用いる。享年を数え年ではなく満年齢で表し「享年68(歳)」と表すこともある。.

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康有為

康 有為(こう ゆうい)は、清末民初にかけての思想家・政治家・書家。字は広厦、号は長素、のちに更生(更甡)と称した。出身地から康南海とも呼ばれる。.

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二玄社

二玄社(にげんしゃ/英記 Nigensha Co, Ltd)は、日本の出版社。書道等の東洋美術専門の出版社として設立された。自動車雑誌「カーグラフィック」創刊以降は、「書道・美術部門」と「自動車関係部門」の2部門を特徴としていたが、『NAVI(ナビ)』誌の休刊と『カーグラフィック』誌の移管以降は美術関連のみ取り扱っている。.

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弘前市

弘前市(ひろさきし)は、青森県西部の市である。日本で最初に市制施行地に指定された都市のひとつ。弘前藩の城下町として発展し、現在も津軽地方の中心都市として、周辺自治体に広がる人口約31万人(2005年時点)の弘前都市圏を形成している。.

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徐三庚

徐三庚(じょ さんこう、男性、1826年 - 1890年)は、中国清朝末期の篆刻家である。 字を袖海・辛穀、号は金罍山民・井罍山民。浙江上虞の人。.

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ボタン (服飾)

フスボタン。英語ではcuff links ボタンホール ボタン(ポルトガル語: botão、英語: button、釦、鈕)とは、衣服、鞄、靴などに止め具として使用される服飾物である 特許庁。多くは装飾を兼ねる。語源はポルトガル語 botão が最も有力な説とされる。 「飾りボタン」としてもっぱら装飾目的のみのものもある。11月22日は「ボタンの日」。また、男子の制服の心臓に一番近いボタン(多くの場合は第二ボタン)を好きな女子に渡す事もある。 日本は服飾用ボタン生産量で世界第3位である(テレビ東京、「世界を変える100人の日本人」より)。.

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呉昌碩

呉 昌碩(ご しょうせき 、1844年9月12日 - 1927年11月29日)は中国の清朝末期から近代にかけて活躍した画家、書家、篆刻家。清代最後の文人といわれ、詩・書・画・篆刻ともに精通し、「四絶」と称賛され、中国近代でもっとも優れた芸術家と評価が高い。 初めの名は俊(しゅん)、のちに俊卿(しゅんけい)、字をはじめ香圃。1912年(中華民国元年)、69歳から昌碩とする。別字に蒼石、倉石、倉碩。号に缶廬(フロ)、苦鉄、破荷、大聾、老蒼、石尊者、石人子、石敢当、破荷亭長、蕪青亭長、五湖印丐など。.

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犬養毅

養 毅(いぬかい つよし、1855年6月4日(安政2年4月20日) - 1932年(昭和7年)5月15日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は勲一等。通称は仙次郎。号は木堂、子遠。 中国進歩党総裁、立憲国民党総裁、革新倶楽部総裁、立憲政友会総裁(第6代)、文部大臣(第13・31代)、逓信大臣(第27・29代)、内閣総理大臣(第29代)、外務大臣(第45代)、内務大臣(第50代)などを歴任した。.

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石井雙石

石井 雙石(いしい そうせき、 明治6年(1873年)4月1日 - 昭和46年(1971年)10月29日)は、昭和期の日本の篆刻家・書家である。 幼名は石松、長じて碩と改名。雙石を号とした。千葉県山辺郡 (千葉県)四天木村(現・大網白里市四天木)の生まれ。.

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篆刻

仏法僧宝」印影 篆刻(てんこく)とは、印章を作成する行為である。中国を起源としており、主に篆書を印文に彫ることから篆刻というが、その他の書体や図章の場合もある。また金属(銅・金など)を鋳造して印章を作成する場合も篆刻という。その鋳型に彫刻を要するからである。書と彫刻が結合した工芸美術としての側面が強く、特に文人の余技としての行為を指す。現代でも中国・日本を中心に篆刻を趣味とする人は多い。.

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谷中 (台東区)

谷中(やなか)は、東京都台東区の地名で、旧下谷区にあたる下谷地域内である。現行行政地名は谷中一丁目から谷中七丁目。郵便番号は110-0001。.

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蘭学

蘭学(らんがく)は、江戸時代にオランダを通じて日本に入ってきたヨーロッパの学術・文化・技術の総称。幕末の開国以後は世界各国と外交関係を築き、オランダ一国に留まらなくなったため、「洋学」(ようがく)の名称が一般的になった。初期は蛮学(「南蛮学」の意)、中期を「蘭学」、後期を「洋学」と名称が変わっていった経緯がある。.

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腸チフス

腸チフス(ちょうチフス)は、サルモネラの一種であるチフス菌 (Salmonella enterica var enterica serovar Typhi) によって引き起こされる感染症の一種である。一般のサルモネラ感染症とは区別され、チフス性疾患と総称される。治療後も1年間ほどチフス菌を排出する場合がある。 感染源は汚染された飲み水や食物などである。潜伏期間は7〜14日間ほど。衛生環境の悪い地域や発展途上国で発生して流行を起こす伝染病であり、発展途上国を中心にアフリカ、東アジア、東南アジア、中南米、東欧、西欧などで世界各地で発生が見られる。 日本では感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律の施行時に2類感染症に指定されていたが、2006年(平成18年)12月8日公布の「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律等の一部を改正する法律」により3類感染症に変更となった。.

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通称

通称(つうしょう)は、正式な名称ではないが、特定の人や物、事象に対する呼び名として世間一般において通用している語のことである。俗称(ぞくしょう)ともいう。.

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陸奥国

奥国(むつのくに)は、かつて存在した令制国の一つ。東山道に属する。 明治維新後、出羽国とともに分割された後の陸奥国については、陸奥国 (1869-)を参照。.

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東奥義塾高等学校

東奥義塾高等学校(とうおうぎじゅくこうとうがっこう)は、青森県弘前市大字石川字長者森にあるキリスト教(プロテスタント)系の私立高等学校。略称は「東義」。.

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清(しん)は、清朝、大清、清国、大清帝国、清王朝ともいい、1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清(、カタカナ転写:ダァチン)と号した。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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浜村蔵六

浜村蔵六(はまむらぞうろく)とは、江戸時代中期から明治時代にかけて5代に亙って篆刻家として活躍した浜村家が名乗った名跡である。蔵六とは亀の異名とされ、初世が亀鈕の銅印を所蔵していたことから号とした。この銅印は代々宝印として伝えられ現在は東京国立博物館に所蔵されている。.

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浜村蔵六 (四世)

四世 浜村 蔵六(よんせ はまむら ぞうろく、男性、文政9年(1826年) - 明治28年(1895年)2月24日)は、明治期の日本の篆刻家である。 正本氏、後に塩見氏を名乗る。名は観侯、字は大澥、蔵六を号し、別号に薇山・雨村。通称参蔵。備前岡山(岡山県瀬戸内市)の人。.

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日本の篆刻家一覧

日本の篆刻家一覧(にほんのてんこくかいちらん)とは、日本の主な篆刻家を時代区分した上で諸流派別にした一覧である(※流派の関係から一部の人物が重複する)。.

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慶応

慶応(けいおう、旧字体: 慶應)は日本の元号の一つ。元治の後、明治の前。1865年から1868年までの期間。この時代の天皇は孝明天皇、明治天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂、徳川慶喜。日本での「一世一元の詔」発布以前では最後の元号。.

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11月25日

11月25日(じゅういちがつにじゅうごにち)は、グレゴリオ暦で年始から329日目(閏年では330日目)にあたり、年末まであと36日ある。.

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1866年

記載なし。

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1909年

記載なし。

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