ロゴ
ユニオンペディア
コミュニケーション
Google Play で手に入れよう
新しい! あなたのAndroid™デバイスでユニオンペディアをダウンロードしてください!
無料
ブラウザよりも高速アクセス!
 

汾河

索引 汾河

汾河(ふんが、)、別名・汾水(ふんすい)とは、中国の山西省を南北に流れる大きな川で、渭河に次ぐ黄河第二の支流。 山西省北部の忻州市寧武県の管涔山に発する。源流域はトウヒやカラマツの森が広がり、森林公園に指定されている。黄土高原の谷間を流れる支流を集めて南西方向へ流れ、次いで南東方向へ、さらに北東方向へと大きく曲がりながら太原市で盆地に出る。晋中市から臨汾市へと、山西省中部の盆地を北東から南西の方向へ貫き、侯馬で西へ折れ、運城市河津で黄河左岸に合流する。 流域面積は39,417平方kmで山西省の面積の25.3%を占める。山西省中部から南部にかけての、重要な工業都市や春秋戦国時代以来の歴史的都市の多くが汾河流域にあり、黄河文明や中国の歴代王朝の多くを生んだ山西省の母なる川でもある。 かつては水量も豊富で、川魚が多く獲れ行き交う船も多かった。しかし、20世紀後半の鉱工業発展・水需要の増加・上流での砂漠化やダム建設などで水量は減少し、断流して水が流れない時期も増えている。太原市は1990年代に移設可能な堰を市の中心部を流れる汾河の各所に設けて水を貯め、汾河沿いに公園を整備し、常に水面が市内にある状態を人工的に作っている。.

25 関係: 太原市寧武県山西省中華人民共和国仰韶文化侯馬市忻州市トウヒダムカラマツコ沱河運城市黄土高原黄河黄河文明龍山文化臨汾市桑乾河河津市渭水春秋戦国時代流路形状晋中市1990年代20世紀

太原市

太原市(たいげんし、中国語:太原市、英語:Taiyuan)は、中華人民共和国山西省の省都。市域は中国の古都の一つで、2500年の歴史がある。.

新しい!!: 汾河と太原市 · 続きを見る »

寧武県

寧武県(ねいぶけん)は中華人民共和国山西省の忻州市の管轄下にある県。.

新しい!!: 汾河と寧武県 · 続きを見る »

山西省

山西省(さんせいしょう、中国語:山西省、拼音:Shānxī Shěng、英語:Shanxi)は、中華人民共和国の行政区分の一つ。省都は太原市。略称は晋。.

新しい!!: 汾河と山西省 · 続きを見る »

中華人民共和国

中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく、中华人民共和国、中華人民共和國、People's Republic of China, PRC)、通称中国(ちゅうごく、China)は、東アジアに位置する主権国家である。 中華人民共和国は、13億8千万人以上の人口で世界一人口が多い国である。中華人民共和国は、首都北京市を政庁所在地とする中国共産党により統治されるヘゲモニー政党制である。.

新しい!!: 汾河と中華人民共和国 · 続きを見る »

仰韶文化

人面魚の描かれた陶器(半坡遺跡) フクロウの面をかたどった像、仰韶文化の廟底溝期の陶器 仰韶文化の範囲を示した図 仰韶文化(ぎょうしょうぶんか、ヤンシャオぶんか、Yangshao culture、漢語ピンイン: Yǎngsháo wénhuà)は、中国の黄河中流全域に存在した新石器時代の文化である。仰韶文化の年代は紀元前5000年から紀元前3000年あたりである。この文化の名称は初めて出土した代表的な村である仰韶にちなんで付けられた。仰韶村遺跡は1921年に河南省澠池県仰韶村で発見された。この文化が主に栄えた地域は、河南省、陝西省および山西省である。 仰韶の人々の自給自足生活はさまざまである。彼らは広く粟を耕作していた。麦や米を耕作していた村もあった。仰韶農業の正確な性質 -- 小規模な焼畑農業か永続的な農地での集約農業か、は現在議論の余地がある。しかしながら、Jiangzhiのような中期の仰韶集落には、余剰の穀物を格納するために使われた可能性のある高床式建築があった。彼らは豚や牛、そのほか羊、山羊、および牛のような動物を飼っていたが、それらの肉の大部分は狩猟や漁業で得ていた。彼らの石器は研磨されており、非常に専門化されていた。仰韶の人々は原始的な形態の養蚕も実践していた可能性がある。 仰韶文化は彩陶で有名である。仰韶の職人は美しい白、赤、および黒の彩陶で人面、動物、および幾何学模様を作成した。後世の龍山文化と異なり、仰韶文化は土器の作成にろくろを使わなかった。発掘調査により、子供達が彩文土器のかめに埋葬されていたことが判明した。 西安に近い半坡村の考古学遺跡・半坡遺跡は、仰韶文化のもっとも有名な溝で囲まれた集落の1つである。西安・臨潼区の姜寨と呼ばれるもう1つの主要な集落遺跡がその限界に発掘され、考古学者たちはこれらの集落が完全に環濠で取り囲まれていたことを確認した。これらの遺跡からは半坡文字と呼ばれる文字に近い記号も発見されている。.

新しい!!: 汾河と仰韶文化 · 続きを見る »

侯馬市

侯馬市(こうば-し)は中華人民共和国山西省臨汾市に位置する県級市。.

新しい!!: 汾河と侯馬市 · 続きを見る »

忻州市

忻州市(きんしゅう-し)は中華人民共和国山西省北部に位置する地級市。市内岢嵐県に太原衛星発射センターがある。.

新しい!!: 汾河と忻州市 · 続きを見る »

トウヒ

トウヒ(唐檜、学名: var.

新しい!!: 汾河とトウヒ · 続きを見る »

ダム

ダム(Dam)、堰堤(えんてい)は、水力発電、治水、利水、治山、砂防、廃棄物処分などを目的として、川や谷を横断もしくは窪地を包囲するなどして作られる土木構造物。一般にコンクリートや土砂、岩石などによって築く人工物を指すが、ダムを造る動物としてビーバーがおり、また土砂崩れや地すべりによって川がせき止められることで形成される天然ダムと呼ばれるものもある。また、ダムは地上にあるものばかりでなく、地下水脈をせき止める地下ダムというものもある。このほか、貯留、貯蓄を暗示する概念的に用いられることがあり、森林の保水力を指す緑のダムという言葉がある。 堰(せき、い、いせき)ともいうが、この場合は取水や水位の調節などが目的で、砂防目的のものは除く。 日本のダムについての詳細は日本のダムを参照のこと。.

新しい!!: 汾河とダム · 続きを見る »

カラマツ

ラマツ(落葉松、唐松、学名:)は、マツ科カラマツ属の落葉針葉樹。日本の固有種で、東北地方南部・関東地方・中部地方の亜高山帯から高山帯に分布しFarjon, A. (1990).

新しい!!: 汾河とカラマツ · 続きを見る »

コ沱河

滹沱河(こだが、こだか、)は、中華人民共和国の山西省北部から河北省中部を流れる河川のひとつで、海河水系の西南の支流に属する。 「滹」(こ)は「呼」と読みが同じであり、滹沱河は古くは「虖池」(こち)あるいは「滹池」とも呼ばれた。戦国時代から秦にかけては、呼沱水、呼池水、虖池河などの呼び名もある。沱は「滂沱(ぼうだ)の涙」の沱で、雨が多い様、流れが急な様をあらわす。 滹沱河は山西省北部の忻州市繁峙県に発する。黄土高原の泰戯山のふもとの源流から、忻州市を南へ流れた後に東へ向きを変える。五台山と恒山の間を通り、太行山脈を貫く険しい峡谷を経て華北平原へ出る。石家荘市を東へ流れた後、滄州市の献県で南西から流れてきた滏陽河(ふようが)と合流し子牙河(しがが)となる。 水源から合流点までの距離は513.3kmで、うち山西省内を流れる距離は48.75km。流域は高原や山地が多く、高い山から平坦な華北平原までの落差は大きい。普段は水量が非常に少ないが雨の季節には増水し、平原に出るところでしばしば大水害を起こしたため、治水に水利や発電を兼ねて多数のダムが建設されている。河北省の省都・石家荘市の重要な水源であるが、土壌流失や水量の減少が著しい。.

新しい!!: 汾河とコ沱河 · 続きを見る »

運城市

運城市(うんじょう-し)は中華人民共和国山西省西南部に位置する地級市。 古くは河東と呼ばれ、中華文明揺籃地である「中原」の一部である。三国時代蜀漢の武将関羽の出身地である。市内にある塩湖「解池」では、古くから塩の生産が行われている。唐の時代、都の長安へ塩を送っていた塩の道と呼ばれている所に遺跡が点在している。近年は塩湖の汚染のため食用塩の生産は行われず、工業塩の生産が行われている。.

新しい!!: 汾河と運城市 · 続きを見る »

黄土高原

土高原の広がり(影の部分) 黄土高原(こうどこうげん、、英語名:Loess Plateau または Huangtu Plateau)は、中華人民共和国を流れる黄河の上流および中流域に広がるおよそ400,000平方kmから640,000平方kmの広さの高原。日本に飛来する黄砂の主要発生地。 この数千年間に起こった戦乱、森林伐採、過剰な開墾・放牧などにより、黄土高原の植生は破壊され、土壌の流失が加速し、一帯の地形は無数の水流が削ったために溝だらけのような状態(「千溝万壑」)になっている。.

新しい!!: 汾河と黄土高原 · 続きを見る »

黄河

河流域 黄河(こうが、、ファンフー)とは、中国の北部を流れ、渤海へと注ぐ川。全長約5,464kmで、中国では長江(揚子江)に次いで2番目に長く、アジアでは長江とエニセイ川に次いで3位、世界では6番目の長さである。なお、河という漢字は本来固有名詞であり、中国で「河」と書いたときは黄河を指す。これに対し、「江」と書いたときは長江を指す。現在の中国文明の直接の母体である黄河文明を育んだ川であり、中国史上において長江と並び巨大な存在感を持つ河川である。.

新しい!!: 汾河と黄河 · 続きを見る »

黄河文明

河文明(こうがぶんめい)は黄河の中・下流域で栄えた古代の中国文明のひとつである。黄河の氾濫原で農業を開始し、やがて黄河の治水や灌漑を通じて政治権力の強化や都市の発達などを成し遂げていった。東アジアの歴史の教科書には「世界四大文明」のうちのひとつとして挙げられていることが多いが、現在は長江文明や遼河文明などさまざまな文明が中国各地で発見されているため、四大文明に黄河文明のみを取り上げる手法はもはや古くなっている(最近の教科書では、「黄河・長江流域の文明」のようにややぼかした表現になっている)。 新石器時代の仰韶(ヤンシャオ)文化から竜山(ロンシャン)文化をへて、殷・周の青銅器文化に発展していった。.

新しい!!: 汾河と黄河文明 · 続きを見る »

龍山文化

龍山文化(りゅうざんぶんか、龙山文化、: ロンシャン・ウェンフア, 紀元前3000年頃-紀元前2000年頃)は、中国北部(華北)の黄河中流から下流にかけて広がる新石器時代後期の文化である。黒陶が発達したことから黒陶文化ともいう。 龍山文化は、中原龍山文化(河南龍山文化と陝西龍山文化)および山東龍山文化に分かれている。山東龍山文化は黄河下流を中心に存在した大汶口文化に続いて現れており、河南龍山文化は黄河中流に存在した仰韶文化に続いて登場している。龍山文化は黄河流域のそれまで異なった文化が栄えていた地域に広がっただけでなく、長江流域など後に漢民族の文化が栄える地域一帯に影響を及ぼした。.

新しい!!: 汾河と龍山文化 · 続きを見る »

臨汾市

臨汾市(りんふん-し)は、中華人民共和国山西省南部、汾河下流域にある地級市。汾河が貫く臨汾盆地に位置し、市の西側の陝西省との境には黄河が流れる。 古称は堯都。伝説上、堯の故郷とされる。.

新しい!!: 汾河と臨汾市 · 続きを見る »

桑乾河

桑乾河(そうかんが、, )は、中華人民共和国の山西省北部と河北省西北部を流れる河川のひとつで、海河水系に属する。北京市西部から天津市を流れる永定河の主な支流である。 桑乾河という名は、毎年桑の実が熟する時期になると川が涸れることからきているとされる。また永定河は隋代には桑乾河と呼ばれていた。桑乾河は唐の詩人賈島の『度桑乾』(桑乾を渡る)や近代の小説家・丁玲の1948年の代表作『太陽照在桑乾河上』などの舞台になっている。 源流は山西省北部を流れる元子河および恢河で、朔州市で合流して桑乾河と呼ばれるようになる。大同市を経て河北省北部の張家口市懐来県に入り、朱官屯で洋河と合流して永定河となる。永定河は官庁ダムを経て北京西部へと流れ、最終的には海河を経て渤海に注ぐ。長さは506km、流域面積は23,900平方km。 主な支流には壺流河、御河、渾河などがある。また本流には冊田ダム(冊田水庫)が建設されている。 華北や中国では水不足や河川の枯渇が重要な問題になっているが、大同などを流れる桑乾河も1997年以後、ほとんど涸れ川となってしまった状態である。主な原因には以下のようなものが考えられる。.

新しい!!: 汾河と桑乾河 · 続きを見る »

河津市

河津市(かしん-し)は中華人民共和国山西省の南西部、運城市に位置する県級市。 汾河が黄河に合流する地点にある。黄河の対岸には陝西省韓城市が広がっている。.

新しい!!: 汾河と河津市 · 続きを見る »

渭水

渭水(いすい)は黄河の支流の1つ。.

新しい!!: 汾河と渭水 · 続きを見る »

春秋戦国時代

春秋戦国時代(しゅんじゅうせんごくじだい)は、中国史において、紀元前770年に周が都を洛邑(成周)へ移してから、紀元前221年に秦が中国を統一するまでの時代である。この時代の周が東周と称されることから、東周時代(とうしゅうじだい)と称されることもある。.

新しい!!: 汾河と春秋戦国時代 · 続きを見る »

流路形状

流路形状(りゅうろけいじょう)は、河川の部分的な流路(川筋)の地形の総称である。これに対し水系は流路を同じくする河川全体を一体的にとらえて体系化する概念・分類法である。主要流路(本川、本流)、分岐する流路(派川、分流)合流する流路(支川・支流)などに加え、湖沼なども含めた、流路を部分的に共有する河川全体の体系を水系と呼び、これらの水系が水を集める範囲(分水界の内側)を流域と呼ぶ。.

新しい!!: 汾河と流路形状 · 続きを見る »

晋中市

晋中市(しんちゅうし)は、中華人民共和国山西省東部に位置する地級市。.

新しい!!: 汾河と晋中市 · 続きを見る »

1990年代

1990年代(せんきゅうひゃくきゅうじゅうねんだい)は、西暦(グレゴリオ暦)1990年から1999年までの10年間を指す十年紀。この項目では、国際的な視点に基づいた1990年代について記載する。.

新しい!!: 汾河と1990年代 · 続きを見る »

20世紀

摩天楼群) 20世紀(にじっせいき、にじゅっせいき)とは、西暦1901年から西暦2000年までの100年間を指す世紀。2千年紀における最後の世紀である。漢字で二十世紀の他に、廿世紀と表記される場合もある。.

新しい!!: 汾河と20世紀 · 続きを見る »

ここにリダイレクトされます:

汾水

出ていきます入ってきます
ヘイ!私たちは今、Facebook上です! »