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楊松

索引 楊松

楊 松(よう しょう)は小説『三国志演義』に登場する架空の人物。漢中の領主張魯配下の佞臣で、金に汚い男とされる。楊柏(正史では楊白)の兄という設定。 益州を支配する劉璋は漢中の張魯の脅威に怯え、劉備と結び張魯への備えにしようとしたが、かえって劉備に攻撃されたため、反目していた張魯に援軍を申し入れる。このとき、かつて曹操に敗れて落ち延びてきた馬超が援軍の役を引き受け、劉備の軍勢とぶつかり合うことになる。 馬超と対峙することは得でないと見た劉備陣営は、馬超と張魯の関係を破綻させるべく楊松に賄賂を贈り、張魯に讒言するように申し入れる。快諾した楊松は「馬超は蜀の地を我が物にするつもりだ」と張魯に吹聴し、馬超を退くことも進むこともできない状態に追い込んだ。行くあてを失った馬超は、李恢に説得され劉備に降るのであるが、この折に監視役だった楊柏が手土産として斬られている。 215年、曹操の張魯征伐の折、難攻不落の陽平関攻めに決め手を欠いた曹操陣営は、楊松に対して賄賂と共に内応の申し入れを行う。財宝と爵位に目が眩んだ楊松は、進んで曹操軍を引き入れることに協力、これにより曹操は張魯の支配する漢中の制圧に成功するのである。 張魯およびその配下は、降伏時の対応から曹操に厚遇を受けることとなるが、楊松だけは「主君を売った罪」を問われ、処刑されてしまう。 よう しよう.

11 関係: 劉備劉璋三国志演義張魯馬超賄賂李恢楊白漢中郡曹操215年

劉備

劉 備(りゅう び、延熹4年(161年) - 章武3年4月24日(223年6月10日))は、後漢末期から三国時代の武将、蜀漢の初代皇帝。字は玄徳。 黄巾の乱の鎮圧で功績を挙げ、その後は各地を転戦した。諸葛亮の天下三分の計に基づいて益州の地を得て勢力を築き、後漢の滅亡を受けて皇帝に即位して、蜀漢を建国した。その後の、魏・呉・蜀漢による三国鼎立の時代を生じさせた。 明代の小説『三国志演義』では中心人物として登場する。.

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劉璋

劉 璋(りゅう しょう、? - 219年(建安24年))は、中国の後漢末期の群雄である。劉焉の子。家系は劉氏。字は季玉。劉瑁の弟である。.

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三国志演義

劉備と関羽、張飛(桃園の誓い) 『三国志演義』(さんごくしえんぎ、 )は、中国の明代に書かれた、後漢末・三国時代(魏、蜀、呉)を舞台とする時代小説・通俗歴史小説である。四大奇書の一つに数えられる。書名については下記。 著者は定説をみず、施耐庵あるいは羅貫中の手によるものと伝えられている。.

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張魯

張 魯(ちょう ろ、? - 建安21年(216年))は、中国後漢末期の五斗米道(後の正一教)の指導者。字は公祺。豫州沛国豊県(現在の江蘇省徐州市豊県)の人。祖父は張陵。祖母は雍氏(または孫氏、張陵の妻)。父は張衡。母は盧氏(または陳氏)。姑は張文姫(字は文姫、名は不詳、張衡の姉)・張文光(字は文光、名は不詳、張衡の妹)・張賢(字は賢姫、張衡の妹)・張芝(字は芳芝、張衡の妹)。弟は張衛・張愧(字は公仁)・張徴。姉妹は張玉蘭(張衡の娘)。子は張富ら十人と女子一人(曹宇妻)。『三国志』では魏志に伝がある。.

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馬超

成都武侯祠の馬超像 馬 超(ば ちょう、 、熹平5年(176年) - 章武2年(222年))は、中国後漢末期から三国時代にかけての蜀漢の将軍。字は孟起(もうき)。諡は威侯。司隷扶風郡茂陵県(陝西省興平市)の人。『三国志』蜀志に伝がある。 後漢の名将馬援の子孫と称する一族の出身。祖父は馬平(子碩)。父は馬騰。弟は馬休・馬鉄。従弟は馬岱。妻は楊氏・董氏(側室)。子は馬秋・馬承。娘は劉理の妻。 父が羌族との混血であったため(『典略』)、この血を引いている馬超も漢王朝の支配を受けない民族からの信望が厚かった。関中の独立軍閥の長の座を父から引き継ぎ、曹操に服属していたが、後に韓遂と共に曹操に反乱を起こして敗れた。一族も勢力も失い流浪した末、益州の劉備の下に身を寄せ、厚遇を受けた。.

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賄賂

賄賂(わいろ)又は賂(まいない)とは、主権者の代理として公権力を執行する為政者や官吏が、権力執行の裁量に情実をさしはさんでもらうことを期待する他者から、法や道徳に反する形で受ける財やサービスのこと。.

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李恢

李 恢(り かい、? - 231年)は、中国後漢末期から三国時代の武将、政治家。蜀漢に仕えた。字は徳昂。子は李遺(または李蔚)。甥は李球。益州建寧郡兪元県の人。『三国志』蜀志に伝がある。.

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楊白

楊 白(よう はく、生没年不詳)は、中国後漢末期の人物。張魯に仕えた。小説『三国志演義』では楊柏とする。 『三国志』本文に記述はなく、馬超伝の注に引かれた魚豢の『典略』に僅かな記録が残っている。 それによると、張魯に身を寄せた馬超は兵を借り、失地回復を図って涼州を攻めたが、勝利は得られなかった。この時に楊白が馬超の能力を非難したという。また、馬超の自由を害しようとした、との訳もある。 さらには、張魯が馬超に娘を娶わせようとすると「親を愛せない人が、他人を愛することなどできましょうか」と、反対する者がおり取り止めたという記録があるが、これが楊白の進言かどうかは不明である。因みにここでいう「親を愛せない」の意味は、潼関の戦いより前に馬超が曹操の陽動攻撃(この時、どの勢力が敵か味方かを判別するために、わざと攻撃するそぶりをした)で疑心暗鬼にかられて挙兵したため、その結果一族が連座して処刑されてしまった、という行動を指している。.

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漢中郡

漢中郡(かんちゅう-ぐん)は、古代中国に存在した郡。後に漢中(かんちゅう)は、郡の役所が置かれた南鄭(なんてい、現在の陝西省漢中市)を中心とした一帯の名称となる。劉邦が興した漢王朝や、現在の「漢民族」や「漢字」などの名称の由来となる地名でもある。.

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曹操

曹 操(そう そう、拼音:Cáo Cāo、永寿元年(155年) - 建安25年1月23日(220年3月15日))は、後漢末期の武将、政治家。詩人、兵法家としても業績を残した。字は孟徳(もうとく)、幼名は阿瞞、また吉利。豫州沛国譙県(現在の安徽省亳州市譙城区)の出身。 後漢の丞相・魏王で、三国時代の魏の基礎を作った。廟号は太祖、謚号は武皇帝。後世では魏の武帝、魏武とも呼ばれる。.

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215年

記載なし。

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