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37 関係: 南部利剛、吉川元経、吉川興経、大匠院、山内忠豊、島津綱貴、嶺松院 (榊原政房の娘)、三輪吉高、久松俊勝、徳川家康、徳川綱吉、徳川綱誠、徳川頼宣、徳川斉昭、保科正之、信松尼、全久院 (豊橋市)、前田吉徳、前田綱紀、竹中定矩、織田信忠、真田信利、真田信音、蜂須賀綱通、蜂須賀正勝、松姫 (久松俊勝の娘)、松姫 (徳川家)、松平康長、松平信平、松平信政、松平義行、松平永兼、松本神社、榊原政房、武田信玄、毛利弘元、於大の方。
南部利剛
南部 利剛(なんぶ としひさ)は、江戸時代後期の大名。陸奥国盛岡藩の第14代藩主。官位は従四位下・美濃守、侍従。
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吉川元経
吉川 元経(きっかわ もとつね)は、戦国時代の武将。安芸国国人・吉川氏13代当主。
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吉川興経
吉川 興経(きっかわ おきつね)は、戦国時代の武将。安芸国国人・吉川氏14代(藤姓吉川氏としては最後の)当主。「興」の字は大内義興より偏諱を受けたものである。
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大匠院
大匠院(だいしょういん、? - 慶長16年4月23日(1611年6月4日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての女性。蜂須賀正勝の正室。名は松、まつ。
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山内忠豊
山内 忠豊(やまうち ただとよ)は、江戸時代前期の大名。土佐国高知藩の第3代藩主。
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島津綱貴
島津 綱貴(しまづ つなたか)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。島津氏20代当主。薩摩藩の第3代藩主。
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嶺松院 (榊原政房の娘)
嶺松院(れいしょういん、生没不詳)は、阿波徳島藩第4代藩主・蜂須賀綱通の正室、のち美濃高須藩初代藩主・松平義行の継室。父は播磨姫路藩第2代藩主・榊原政房。母は継室で池尻共孝の娘。兄は榊原政倫。実名は松。
三輪吉高
三輪 吉高(みわ よしたか)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武士。豊臣秀吉の家臣。
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久松俊勝
久松 俊勝(ひさまつ としかつ)は、戦国時代の武将。尾張国知多郡の坂部城(阿久比城:愛知県阿久比町卯坂)主。初名は定俊及び長家(ながいえ)。徳川家康の生母・伝通院の再婚相手として知られる。本姓は菅原氏。佐渡守を称した。実父は久松定義とされている(『藩翰譜』1巻320頁など)。『東照宮御実紀』巻二には、尾州の智多郡阿古屋の久松佐渡守俊勝とある。
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徳川家康
徳川 家康(とくがわ いえやす、)は、戦国時代から江戸時代初期の日本の武将、戦国大名、江戸幕府初代将軍。徳川氏(将軍家、御三家など)の祖。三英傑の1人に数えられる。
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徳川綱吉
徳川 綱吉(とくがわ つなよし)は、上野・館林藩初代藩主、江戸幕府の第5代将軍(在職:1680年 - 1709年)。第3代将軍・徳川家光の四男。館林徳川家初代。
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徳川綱誠
徳川 綱誠(とくがわ つなのぶ/つななり)は、江戸時代前期の大名。尾張藩3代藩主。はじめ綱義といった。字は子明。 新陰流第7世。昭和天皇は雲孫にあたる。
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徳川頼宣
徳川 頼宣(とくがわ よりのぶ)は、紀伊国和歌山藩の初代藩主。紀州(紀伊)徳川家の祖。
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徳川斉昭
徳川斉昭と七郎麿(後の将軍徳川慶喜)の像(茨城県水戸市、千波公園) 徳川 斉昭(とくがわ なりあき)は、江戸時代後期の大名(親藩)。御三家のひとつ、常陸国水戸藩の第9代藩主。江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の実父である。
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保科正之
保科 正之(ほしな まさゆき)は、江戸時代前期の大名。会津松平家の祖。信濃国高遠藩藩主、出羽国山形藩藩主を経て、陸奥国会津藩初代藩主となった。 江戸幕府初代将軍徳川家康の孫、第2代将軍徳川秀忠の子であり、3代将軍徳川家光の異母弟、4代将軍徳川家綱と5代将軍徳川綱吉の叔父である。家光と家綱を輔佐し、幕閣に重きを成した。
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信松尼
信松尼(しんしょうに、永禄4年(1561年) - 元和2年4月16日(1616年5月31日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。甲斐国の戦国大名である武田信玄の四女(諸説あり)。出家前の名は松姫(まつひめ)。母は側室の油川夫人。同母の兄弟姉妹には仁科盛信(五郎)、葛山信貞、真理姫(木曾義昌室・母は三条の方とも)、菊姫(上杉景勝室)らがいる。
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全久院 (豊橋市)
全久院(ぜんきゅういん)は、愛知県豊橋市にある曹洞宗の寺院である。
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前田吉徳
前田 吉徳(まえだ よしのり)は、加賀藩の第5代藩主。加賀前田家6代。先代藩主前田綱紀の三男。母は側室の預玄院(町、三田村氏)。前田利常と徳川頼房の曾孫にあたる。
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前田綱紀
前田 綱紀(まえだ つなのり)は、加賀藩4代藩主。加賀前田家第5代。最後の女帝・後桜町天皇の外曾祖父。
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竹中定矩
竹中 定矩(たけなか さだのり、元禄2年(1689年) - 宝暦5年2月6日(1755年3月18日))は、江戸幕府の旗本。官位は従五位下・周防守。初名は重教。通称は寅吉、主水。鷹司松平家の祖である松平信平の二男。竹中重富の娘を妻とし、婿養子となった。妻の妹は谷衛尚に嫁いだ。子に定弘、天野正興室、小笠原長民室、大澤定良室(離婚後、浄岸院に仕えた)、定胤、伊勢貞敦(伊勢貞丈の養子)、山岡景満(山岡景明の養子)、本多信充室がいる。なお、定矩の竹中家は豊臣秀吉の家臣として知られる竹中半兵衛重治の分家筋にあたる。
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織田信忠
織田 信忠(おだ のぶただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。岐阜城城主。 父・織田信長から尾張・美濃の大名織田氏の家督を譲られる。天正10年(1582年)3月に甲斐武田氏を滅ぼして甲斐・信濃に勢力を拡大し、信長は「天下の儀も御与奪なさるべき」との意向だったが、3か月後の本能寺の変で信長は本能寺、信忠は二条新御所にて自刃した。
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真田信利
真田 信利(さなだ のぶとし)は、江戸時代前期の上野沼田藩の第4代藩主。父は真田信吉。母は側室で真田家家臣依田氏の娘。「信利」の名については、後述 #実名について を参照。以下、本項では実際に名乗ったとされる信直で統一する。
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真田信音
真田 信音(さなだ のぶおと)は、江戸時代前期から中期にかけての旗本寄合席。官位は従五位下・弾正忠、後に采女正。
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蜂須賀綱通
蜂須賀 綱通(はちすか つなみち)は、阿波国徳島藩の第4代藩主。
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蜂須賀正勝
蜂須賀 正勝(はちすか まさかつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名。豊臣秀吉の股肱の家臣。播磨龍野城主。徳島藩主蜂須賀家の家祖。 初名は利政。通称は小六(ころく)もしくは小六郎(ころくろう)で、特に前者は広く知られているが、のちに彦右衛門(ひこえもん)と改名している。官位は従四位下、修理大夫。
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松姫 (久松俊勝の娘)
松姫(まつひめ、永禄8年(1565年) - 天正16年(1588年))は戦国時代の女性。智勝院とも。徳川家康の異父妹。
松姫 (徳川家)
松姫(まつひめ、慶長元年10月7日(1596年11月26日) - 慶長3年1月29日(1598年3月6日))は、安土桃山時代の女性。徳川家康の四女。
見る 松姫と松姫 (徳川家)
松平康長
松平 康長(まつだいら やすなが)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。徳川氏の家臣。戸田宗家16代当主。官位は従四位下・丹波守。松平の名字を許され、戸田松平家の祖となる。 家紋は松平姓と共に下賜された三つ葉葵と戸田家歴代の六曜紋である。なお、名前の表記について、書籍によっては戸田康長として載せるものもある。
見る 松姫と松平康長
松平信平
松平 信平(まつだいら のぶひら)は、江戸時代前期の旗本。鷹司松平家の祖。本姓は藤原氏で、五摂家の一つ鷹司家の出自。
見る 松姫と松平信平
松平信政
松平 信政(まつだいら のぶまさ、寛文元年11月6日(1661年12月27日) - 元禄4年11月25日(1692年1月13日))は、江戸時代前期の旗本。父は鷹司松平家初代松平信平、母は紀州藩主徳川頼宣の娘・松姫。正室は森長継の娘・大姫。『寛政重修諸家譜』などによる諱は信正。 寛文12年(1672年)閏6月9日、将軍徳川家綱に拝謁する。延宝4年12月26日(1677年1月29日)、従四位下・侍従に叙任されて近江守を名乗る。後に左兵衛督に改める。元禄2年12月2日(1690年1月12日)、父の死により遺領7000石を継承する。将軍徳川綱吉の御台所で鷹司家出身(従姪に当たるが年齢は10歳上)の鷹司信子から信任を受けた。父の死から2年後に後を追うように病死した。戒名は温恭院殿従四位拾遺法嵓純真大居士。家督は長男の信清が相続した。
見る 松姫と松平信政
松平義行
松平 義行(まつだいら よしゆき)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。信濃国高井藩主、のち美濃国高須藩初代藩主。四谷松平家(高須松平家)の祖。
見る 松姫と松平義行
松平永兼
松平 永兼(まつだいら ながかね)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての信濃国松本藩戸田松平家の世嗣。通称は孫六郎。信州松本神社で祭神の一柱の暘谷(ようこく)神として祀られている。
見る 松姫と松平永兼
松本神社
境内から松本城を望む 松本神社(まつもとじんじゃ)は、長野県松本市丸の内にあり、松本城の北隣に鎮座する神社。地元では「ごしゃ(五社)」と呼ばれている。
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榊原政房
榊原 政房(さかきばら まさふさ)は、江戸時代前期の大名。播磨姫路藩の第2代藩主。榊原家4代当主。
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武田信玄
武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏第19代当主。武田氏の第16代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。正式な姓名は、源 晴信(みなもと の はるのぶ)。表記は、「源朝臣武田信濃守太郎晴信」。「信玄」とは(出家後の)法名で、正式には徳栄軒信玄。 甲斐の守護を務めた武田氏の第18代当主・武田信虎の嫡男。先代・信虎期に武田氏は守護大名から戦国大名化して国内統一を達成し、信玄も体制を継承して隣国・信濃に侵攻する。その過程で、越後国の上杉謙信(長尾景虎)と五次にわたると言われる川中島の戦いで抗争しつつ信濃をほぼ領国化し、甲斐本国に加え、信濃・駿河・西上野および遠江・三河・美濃・飛騨などの一部を領した。次代の勝頼期にかけて領国をさらに拡大する基盤を築いた。
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毛利弘元
毛利 弘元(もうり ひろもと)は、室町時代から戦国時代にかけての武将。安芸国の国人領主・毛利氏当主。吉田郡山城主。父は毛利豊元。子に毛利興元(嫡男)、毛利元就(次男)、相合元綱(三男)、北就勝(四男)がいる。
見る 松姫と毛利弘元
於大の方
於大の方(おだいのかた)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。松平広忠の正室で、徳川家康の母。晩年は出家して伝通院と称した。 実名は「大」、または「太」・「たい」実名は江戸初期編纂『寛永諸家系図伝』「水野氏」の忠政の女子に「御太方(たいはう)」とあり、同時期寛永18年(1641年)に幕府に提出された「水野勝成覚書」には甥の勝成が「たいほう」と冒頭系図に書き記している。朝廷から贈られた名前「大子」も読みは「たいこ」であろう。。なお、嘉永3年(1850年)10月29日に従一位の贈位があり、その位記では、諱を「大子」としている。
見る 松姫と於大の方

