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旧山内家下屋敷長屋

索引 旧山内家下屋敷長屋

旧山内家下屋敷長屋(きゅうやまうちけしもやしきながや)は高知県高知市にあった山内家の下屋敷内に建てられた長屋。通称は散田邸。国の重要文化財。旧山内家下屋敷長屋展示館として一般公開されている。.

26 関係: 山内容堂山内神社幕末土佐藩土佐電気鉄道和船元治筆山公園県庁前停留場 (高知県)鏡川西郷隆盛高知城高知市高知市立龍馬の生まれたまち記念館高知県重要文化財長屋武家屋敷明治春木南溟慶応1864年1866年1867年1978年1979年

山内容堂

山内 容堂 / 豊信(やまうち ようどう / とよしげ)は、幕末の外様大名。土佐藩15代藩主(在任期間:嘉永元年12月27日(1848年1月21日) - 明治5年(1872年)2月)。官位は、従四位下・土佐守・侍従、のちに従二位・権中納言まで昇進、明治時代には麝香間祗候に列し、生前位階は正二位まで昇った。薨去後は従一位を贈位された。諱は豊信。隠居後の号は容堂。 土佐藩連枝の山内南家当主・山内豊著(12代藩主・山内豊資の弟)の長男。母は側室・平石氏。正室は烏丸光政の娘・正子(三条実万の養女)。子は山内豊尹(長男)、光子(北白川宮能久親王妃)、八重子(小松宮依仁親王妃のち秋元興朝継室)。幼名は輝衛。酒と女と詩を愛し、自らを「鯨海酔侯(げいかいすいこう)」と称した。藩政改革を断行し、幕末の四賢侯の一人として評価される一方で、当時の志士達からは、幕末の時流に上手く乗ろうとした態度を、「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と揶揄された。.

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山内神社

務所、西神門 山内神社(やまうちじんじゃ)は、高知県高知市にある神社である。土佐藩初代藩主山内一豊、同夫人、および土佐藩歴代藩主を祀る。旧社格は別格官幣社で、現在は神社本庁等に属さない単立神社となっている。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。.

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幕末

幕末(ばくまつ)は、日本の歴史のうち、江戸幕府が政権を握っていた時代(江戸時代)の末期を指す。本記事においては、黒船来航(1853年)から戊辰戦争(1869年)までの時代を主に扱う。.

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土佐藩

土佐藩(とさはん)は、廃藩置県以前に土佐国(現在の高知県)一円を領有した外様藩。明治初年の正称は高知藩(こうちはん)。藩庁は高知城(高知市)にあった。大広間詰国持大名。一貫して山内氏が支配した。 高知城 土佐藩邸跡 京都三条木屋町下ル 山之内氏が用いた家紋『土佐柏(とさかしわ)』 伏見土佐藩邸跡 京都市伏見区.

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土佐電気鉄道

土佐電気鉄道株式会社(とさでんきてつどう)とは、かつて高知県で路面電車と、路線バスを運営していた会社である。2014年10月1日より、高知県交通・土佐電ドリームサービスとともにとさでん交通株式会社へ事業統合した。専ら地元では土電(とでん)と呼ばれていた。県外では土佐電鉄、また(東京)都電と区別するため鉄道関係雑誌などでは土佐電と呼ばれることが多かった。高知県は、とさでん以外に電化路線が存在しないため、「電車」と呼ばれることも多い。 以下に記す鉄道・軌道事業・バス事業についての内容はとさでん交通への移管直前の2014年9月30日時点のものである。.

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和船

広島県内海町漁協所属の打瀬船「内海丸」、2007年5月の最後の航海。広島観音マリーナにて。 滋賀県西浅井町(現長浜市)の「丸子船の館」に保存されている丸子船の船首部分 江戸時代に工楽松右衛門が開発した、通称「松右衛門帆」。 明治時代の廻船 thumb 和船(わせん)とは、日本において発達し、幕末以後の洋式船舶の導入の前まで、移動や漁業に用いられた構造船及び準構造船の総称である。.

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元治

元治(げんじ)は日本の元号の一つ。文久の後、慶応の前。1864年から1865年までの期間。この時代の天皇は孝明天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂。.

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筆山公園

園内からの眺望 鏡川北岸から筆山を望む 筆山公園(ひつざんこうえん)は高知県高知市にある公園。夜景と桜の名所である。.

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県庁前停留場 (高知県)

伊野方面行きホームからはりまや橋方面を望む 県庁前停留場(けんちょうまえていりゅうじょう)は、高知県高知市本町にあるとさでん交通伊野線の路面電車停留場。高知市役所も近いことから、「県庁・市役所前」と案内される場合がある。.

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鏡川

鏡川と高知市中心部 鏡川(かがみがわ)は、高知県高知市を流れる河川。二級水系である鏡川水系の本流で、二級河川に指定されている。 環境省から「平成の名水百選」に選定されている。.

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西郷隆盛

西郷 隆盛(さいごう たかもり、、文政10年12月7日〈1828年1月23日〉 - 明治10年〈1877年〉9月24日)は日本の武士(薩摩藩士)・軍人・政治家。 薩摩国薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男。諱は元服時に隆永(たかなが)のちに武雄・隆盛(たかもり)と変更。幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と順次変更。号は南洲(なんしゅう)。隆盛は父と同名であるが、これは王政復古の章典で位階を授けられる際に親友の吉井友実が誤って父・吉兵衛の名で届け出てしまい、それ以後は父の名を名乗ったためである。一時、西郷三助・菊池源吾・大島三右衛門、大島吉之助などの変名も名乗った。 西郷家の初代は熊本から鹿児島に移り、鹿児島へ来てからの7代目が父・吉兵衛隆盛、8代目が吉之助隆盛である。次弟は戊辰戦争(北越戦争・新潟県長岡市)で戦死した西郷吉二郎(隆廣)、三弟は明治政府の重鎮西郷従道(通称は信吾、号は竜庵)、四弟は西南戦争で戦死した西郷小兵衛(隆雄、隆武)。大山巌(弥助)は従弟、川村純義(与十郎)も親戚である。 薩摩藩の下級武士であったが、藩主の島津斉彬の目にとまり抜擢され、当代一の開明派大名であった斉彬の身近にあって、強い影響を受けた。斉彬の急死で失脚し、奄美大島に流される。その後復帰するが、新藩主島津忠義の実父で事実上の最高権力者の島津久光と折り合わず、再び沖永良部島に流罪に遭う。しかし、家老・小松清廉(帯刀)や大久保利通の後押しで復帰し、元治元年(1864年)の禁門の変以降に活躍し、薩長同盟の成立や王政復古に成功し、戊辰戦争を巧みに主導した。江戸総攻撃を前に勝海舟らとの降伏交渉に当たり、幕府側の降伏条件を受け入れて、総攻撃を中止した(江戸無血開城)。 その後、薩摩へ帰郷したが、明治4年(1871年)に参議として新政府に復職。さらにその後には陸軍大将・近衛都督を兼務し、大久保、木戸ら岩倉使節団の外遊中には留守政府を主導した。朝鮮との国交回復問題では朝鮮開国を勧める遣韓使節として自らが朝鮮に赴くことを提案し、一旦大使に任命されたが、帰国した大久保らと対立する。明治6年(1873年)の政変で江藤新平、板垣退助らとともに下野、再び鹿児島に戻り、私学校で教育に専念する。佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱など士族の反乱が続く中で、明治10年(1877年)に私学校生徒の暴動から起こった西南戦争の指導者となるが、敗れて城山で自刃した。 死後十数年を経て名誉を回復され、位階は贈正三位。功により、継嗣の寅太郎が侯爵となる。.

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高知城

知城(こうちじょう)は、高知県高知市(土佐国土佐郡高知)にある日本の城。別名鷹城(たかじょう)。 江戸時代、土佐藩の藩庁が置かれた。江戸時代に建造された天守や本丸御殿(天守と本丸御殿が両方現存しているのは高知城のみ)、追手門等が現存し(天守と追手門が両方現存している城は全国で弘前城・丸亀城・高知城の3ヶ所)、城跡は国の史跡に指定されている。日本100名城に選定されている。.

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高知市

知市(こうちし)は、四国の中南部に位置する都市で、高知県の県庁所在地である。中核市に指定されている。旧土佐郡・長岡郡・吾川郡。.

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高知市立龍馬の生まれたまち記念館

知市立龍馬の生まれたまち記念館(こうちしりつ りょうまのうまれたまちきねんかん)は、高知県高知市にある博物館。.

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高知県

知県(こうちけん)は、日本の県の一つ。四国の太平洋側に位置する。県庁所在地は高知市。.

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重要文化財

建造物の例(通潤橋) 歴史資料の例(123号機関車 京都・宮津海陸運輸所有) 彫刻の例(塑造金剛力士立像 法隆寺蔵) 考古資料の例(埴輪子持家 東京国立博物館蔵) 絵画の例(黒田清輝筆「湖畔」) 建造物(民家)の例:荒井家住宅(栃木県矢板市) 重要文化財(じゅうようぶんかざい)は、日本に所在する建造物、美術工芸品、考古資料、歴史資料等の有形文化財のうち、歴史上・芸術上の価値の高いもの、または学術的に価値の高いものとして文化財保護法に基づき日本国政府(文部科学大臣)が指定した文化財を指す。重文(じゅうぶん)と略称されることが多い。文化庁による英語表記はImportant Cultural Properties。 日本の地方公共団体(都道府県、市町村)がそれぞれの文化財保護条例に基いて指定する有形文化財についても「県指定重要文化財」「市指定重要文化財」等と呼称される場合があるが、文化財保護法に規定する「重要文化財」とは国(日本国文部大臣)が指定した有形文化財のことを指す。本項では特記なき限り、文化財保護法第27条の規定に基づき日本国(文部科学大臣)が指定した重要文化財(いわゆる「国の重要文化財」)について記述する。.

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長屋

長屋(ながや)とは集合住宅の一形態である。もっぱら1階建て(近年は2階以上もある)で、この呼称では日本のものを指す事が多い。.

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武家屋敷

武家屋敷(ぶけやしき)は、武家が所有した邸宅である。 大名が所有するものは大名屋敷あるいは藩邸と呼ばれることもある。現在は下級武士の住まいである侍屋敷も武家屋敷と呼ぶことが多くなっている。 ここでは、現代の侍屋敷の呼称としての武家屋敷についても記述する。.

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明治

明治(めいじ)は日本の元号の一つ。慶応の後、大正の前。新暦1868年1月25日(旧暦慶応4年1月1日/明治元年1月1日)から1912年(明治45年)7月30日までの期間を指す。日本での一世一元の制による最初の元号。明治天皇在位期間とほぼ一致する。ただし、実際に改元の詔書が出されたのは新暦1868年10月23日(旧暦慶応4年9月8日)で慶応4年1月1日に遡って明治元年1月1日とすると定めた。これが、明治時代である。.

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春木南溟

春木 南溟(はるき なんめい、寛政7年(1795年) - 明治11年(1878年)12月11日)は、江戸時代後期から明治期の南画家。春木南湖の長男。 名ははじめ秀熙のちに龍。字は子敬のちに子緝。南溟は号、別号に耕雲漁者・呑山楼など。通称は卯之助。江戸の生まれ。.

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慶応

慶応(けいおう、旧字体: 慶應)は日本の元号の一つ。元治の後、明治の前。1865年から1868年までの期間。この時代の天皇は孝明天皇、明治天皇。江戸幕府将軍は徳川家茂、徳川慶喜。日本での「一世一元の詔」発布以前では最後の元号。.

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1864年

記載なし。

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1866年

記載なし。

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1867年

記載なし。

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1978年

記載なし。

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1979年

記載なし。

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旧山内家下屋敷長屋展示館散田邸物見亭

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