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尾高・宮沢論争

索引 尾高・宮沢論争

尾高・宮沢論争(おだか・みやざわろんそう)は1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)にかけて、東京大学教授で法哲学者である尾高朝雄と、同じく東京大学教授で憲法学者の宮沢俊義の間で行われた論争。日本国憲法の制定に伴って生じた国体論争の一つであるが、本論争は日本国憲法下における主権の所在に関する論争であると位置づけられる。 大日本帝国憲法では天皇が日本の統治権者であったのに対し、日本国憲法は象徴天皇制と国民主権を採用している。この変革につき、尾高は、与えられた具体的な条件の下でできるだけ多くの人々の福祉をできるだけ公平に実現しなければならないという筋道、すなわちノモス(社会制度上の道徳)に従った政治をしなければならず、主権が国政のあり方を決定するものであれば、主権はノモスに存在しなければならないとして、天皇主権であっても国民主権であってもノモスの主権は変わらないとして、象徴天皇制と国民主権の調和を図った。 これに対し宮沢は、国政のあり方を最終的に決める力を主権として捉えるのであれば、それを最終的に決める力を持つ具体的人間は誰なのかという問題(君主に主権があるのか、国民に主権があるのかという問題)、仮にノモス主権が承認されたとしてもノモスの具体的な内容を決めるのは誰なのかという問題が残り、ノモス主権説は主権の所在に関する回答になっていないと主張した。 尾高・宮沢論争も含め、日本国憲法制定時における国体論争は、そもそも国体という概念をどのような意味で用いるかにつき論者によって異なり、いわば定義の問題と評価することも可能である。また、尾高・宮沢両者の考え方の対立は、主権という概念の捉え方の対立、旧憲法から現憲法への移行の連続性を重視するか変化を重視するかについての対立であり、単に見方が違うだけという評価も可能である。もっとも、主権の所在という観点からすれば、尾高説によればどのような政変があっても主権の所在は不変ということになり、政治の根本原理の変化を包み隠すものであるとして、宮沢説が通説化した。実際、尾高自身、論争の口火を切った「国民主権と天皇制」において、純粋の法理論からいえば日本国憲法の制定により国体が変革されたことはほとんど不可避の結論であるとしている。 なお、宮沢説によっても、そもそも主権を制約する原理があるのではないかという問題は残る(尾高説は、この問題に対する回答とも評価できる。)が、この問題は現在では少なくとも主権の所在に関する問題とは捉えられていない。.

24 関係: 君主主権大日本帝国憲法天皇機関説宮澤俊義尾高朝雄主権ノモス国家有機体説国体国体論争国民主権社会契約継承国自然法東京大学法の支配法哲学昭和日本国憲法憲法教授慣習法1947年1949年

君主主権

君主主権(くんしゅしゅけん)とは、君主が主権を持つ政体である。 主権とは「国家(領土・領海・国民・国家体制等)を支配する権限」である。.

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大日本帝国憲法

憲法発布略図1889年(明治22年)、楊洲周延画 新皇居於テ正殿憲法発布式之図1889年(明治22年)、安達吟光画 大日本帝国憲法(だいにほんていこくけんぽう、だいにっぽんていこくけんぽう、旧字体:大日本帝國憲法)は、1889年(明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日に施行された、外見的立憲主義に基づく日本の憲法 大日本帝国憲法には、表題に「大日本帝国」が使用されているが、詔勅では「大日本憲法」と称しており、正式な国号と規定されたものではない。「大日本帝国」が正式な国号と規定された1936年(昭和11年)まで、他に「日本国」「日本」等の名称も使用された。。 明治憲法(めいじけんぽう)、あるいは単に帝国憲法(ていこくけんぽう)と呼ばれることも多い。現行の日本国憲法との対比で旧憲法(きゅうけんぽう)とも呼ばれる。 短期間で停止されたオスマン帝国憲法を除けば実質上のアジア初の近代憲法である。1947年(昭和22年)5月3日の日本国憲法施行まで半世紀以上の間正確には56年5か月4日(20608日)、一度も改正されることはなかった。1947年(昭和22年)5月2日まで存続し、1946年(昭和21年)11月3日に第73条の憲法改正手続による公布を経て、翌1947年(昭和22年)5月3日に日本国憲法が施行された。.

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天皇機関説

天皇機関説(てんのうきかんせつ)とは、大日本帝国憲法下で確立された憲法学説で、統治権は法人たる国家にあり、天皇はその最高機関として、内閣をはじめとする他の機関からの輔弼を得ながら統治権を行使すると説いたものである。ドイツの公法学者ゲオルク・イェリネックに代表される国家法人説に基づき、憲法学者・美濃部達吉らが主張した学説で、天皇主権説(穂積八束・上杉慎吉らが主張)などと対立する。.

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宮澤俊義

宮澤 俊義(みやざわ としよし、1899年(明治32年)3月6日 - 1976年(昭和51年)9月4日)は、日本の法学者。専攻は憲法。東京大学名誉教授。貴族院議員。長野県長野市出身。.

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尾高朝雄

尾高 朝雄(おたか ともお、1899年1月28日 - 1956年5月15日)は、日本の法学者。専門は法哲学。日本学士院会員。第3期日本学術会議副会長。.

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主権

主権(しゅけん)とは、国家の構成要素のうち、最高・独立・絶対の権力中沢 和男「国際政治における主権の機能とその将来」東海大学紀要.

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ノモス

ノモス(νόμος, pl.: νόμοι, nomos)は、古代ギリシアにおいて用いられた社会概念で、法律、礼法、習慣、掟、伝統文化といった規範を指した。語源は「分配する」を意味する動詞のnemeinで、ノモス本来の原義は「定められた分け前」である。そこからポリス社会が氏族制をとった古い時代には「神々・父祖伝来の伝統によって必然的に定められた行動規範」と認識されていた。大沼 (1988)出 (1972) ポリス社会が高度に発展して民主主義と自然哲学の出現した紀元前5世紀後半(「枢軸時代」も参照のこと)になると、ノモスの名で認識されていた規範は自由を束縛する意味のない因習・強制力と見られるようになった。新興のソフィスト達はこの社会的要請に応え、新たな規範として「自然」、「ものの本来あるがままの姿」を意味するピュシスあるいはフュシス(φύσις, physis)を持ち出してノモスからの開放を唱え、弱肉強食に代表されるような自然の規範を、人為的、主観的なノモスに掣肘されずに人間社会もとるべきとしてピュシスのあり方を探求した。大沼 (1988)出 (1972)斎藤 (1988) こうした風潮に異議を唱えたのがソクラテスや彼の弟子のプラトンであり、彼らはピュシスそのものがノモスと不可分なものであると唱えてノモスの尊重を主張した。大沼 (1988) 英語の「~の知識体系」、「~の秩序法則」を意味する接尾辞“-nomy”の語源はノモスであり松田 (1984)、また、以下の意味にも発展している。.

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国家有機体説

国家有機体説(こっかゆうきたいせつ、英 organistic theory of the state、独 Staatsorganismus)とは、国家をひとつの生物であるかのようにみなし、その成員である個人は全体の機能を分担するものであるとする国家観。古くはプラトンに始まり、ヘーゲルやバーク、ハーバート・スペンサーらによって論じられている。社会契約説と逆の立場。 ヘーゲルによれば、国家とは、個を含む全体であるとともに、個の独立性をも許容し、高次の統一と調和を実現する有機的統一体だとする。バークによれば、国家とは現に生きている人々だけでなく、死者や将来生まれてくる人々との共同体であるとする。ヨハン・カスパル・ブルンチュリやハンス・ゲルバー、オットー・フォン・ギールケなどドイツ国法学者たちも、国家とは、単に法的組織にとどまらない、文化的多様性をもった歴史的存在としての倫理的・精神的有機体、つまり生命体であるとした。.

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国体

国体(こくたい、旧字体: 國體)とは、八木秀次によれば“ある国の基礎的な政治の原則”。事実上、日本の事象に特化した政治思想用語であり、特に「天皇を中心とした秩序(政体)」を意味する語とされている。そのため、外国語においても固有名詞扱いで "Kokutai" と表記される。.

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国体論争

国体論争(こくたいろんそう)とは、国体をめぐるさまざまな論点に関して、継承的に発展させたり、相対立する考え方を主張し批判し合うことである。.

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国民主権

国民主権(こくみんしゅけん、popular sovereignty、Volkssouveränität)は、主権は国民にある、という思想であり、つまり国民が政治権力の源(拠り所)・責任主体であり、政府は国民の意思により設立され運営される機関であるとする思想のこと。「主権在民」または「人民主権」ともいう。.

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社会契約

会契約(しゃかいけいやく、、)は、政治学や法学で、ある国家とその市民の関係についての契約を指す用語。.

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継承国

継承国(けいしょうこく)、承継国(しょうけいこく)とは、ある国家が消滅したのち、その国が締結していた条約上などの義務や権利を引き継ぐ国。 複数の新国家が旧国家の領土を分割した場合や、旧国家の消滅後に長い空白期間をおいて新国家が成立した場合などに問題になる。また、革命政権などの樹立により、前政権による対外債務や各条約の継承を受け入れない場合、国家が併合する場合に消滅する側の締約していた条約の継承なども問題となる。サクセッサーステート(継承国)方式は、国際法における国権の在り様に関する主張(継承国理論)であり、必ずしも国際法上の明確性を持つものでない。 主な例としては、ソビエト連邦に対するロシア連邦、チェコスロバキア共和国に対するチェコ共和国など。ユーゴスラビアについては、セルビア・モンテネグロ問題に対する反発から10年近くにわたって継承が認められず、「旧ユーゴスラビア」という呼称が用いられた。.

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自然法

自然法(しぜんほう、natural law、Naturrecht、lex naturae、lex naturalis)とは、事物の自然本性(nature、Natur、natura)から導き出される法の総称である。.

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東京大学

記載なし。

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法の支配

法の支配(ほうのしはい、rule of law)は、専断的な国家権力の支配を排し、権力を法で拘束するという英米法系の基本的原理である。.

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法哲学

法哲学(ほうてつがく、Philosophy of law、Rechtsphilosophie)とは、法に関して、その制定および運用や様ざまな人の法観念・法感覚、また、法現象とよばれる社会現象等に視点をあてて、哲学的に、平たく言えば、既存の諸概念にとらわれることなく考察する学問分野である。そのため、具体的な内容について研究者間の見解の相違が大きく、法の一般的定義は困難となっている。.

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昭和

昭和(しょうわ)は日本の元号の一つ。大正の後、平成の前。昭和天皇の在位期間である1926年(昭和元年)12月25日から1989年(昭和64年)1月7日まで。20世紀の大半を占める。 昭和は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号であり、元年と64年は使用期間が共に7日間であるため実際の時間としては62年と14日となる。なお、外国の元号を含めても最も長く続いた元号であり、歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和(64年)、清の康熙(61年)および乾隆(60年)しかない。 第二次世界大戦が終結した1945年(昭和20年)を境にして近代と現代に区切ることがある。.

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日本国憲法

日本国憲法(にほんこくけんぽう、にっぽんこくけんぽう)は、現在の日本の国家形態および統治の組織・作用を規定している憲法。1947年(昭和22年)5月3日に施行された。ブルジョア憲法(資本主義憲法)の一種。 昭和憲法(しょうわけんぽう)、あるいは単に現行憲法(げんこうけんぽう)とも呼ばれる。 1945年(昭和20年)に、ポツダム宣言を受諾して連合国に対し降伏した日本政府は、そこに要求された「日本軍の無条件降伏」「日本の民主主義的傾向の復活強化」「基本的人権の尊重」「平和政治」「国民の自由意思による政治形態の決定」などにより、事実上憲法改正の法的義務を負うことになった。そこで連合国軍占領中に連合国軍最高司令官総司令部の監督の下で「憲法改正草案要綱」を作成し『世界大百科事典』(平凡社)「日本国憲法」の項目より、その後の紆余曲折を経て起草された新憲法案は、大日本帝国憲法73条の憲法改正手続に従い、1946年(昭和21年)5月16日の第90回帝国議会の審議を経て若干の修正を受けた後、同年1946年(昭和21年)11月3日に日本国憲法として公布され、その6か月後の翌年1947年(昭和22年)5月3日に施行された。 国民主権の原則に基づいて象徴天皇制を定め、個人の尊厳を基礎に基本的人権の尊重を掲げて各種の憲法上の権利を保障し、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認という平和主義を定める。また国会・内閣・裁判所の三権分立の国家の統治機構と基本的秩序を定めている。「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の3つは、日本国憲法を特徴付ける三大要素と呼ばれることもある。 2017年現在、現行憲法としては世界で最も長い期間改正されていない憲法である(Webアーカイブ)出典元記事の記載では、施行されてから一度も改正されていないという立場であるが、日本国憲法が一度も改正されていないか否かは、行われた改正手続き通り、大日本帝国憲法の全面改正として日本国憲法を捉えるか、事実上大日本帝国憲法を破棄して制定された新憲法と捉えるかで異論がある。日本国憲法は、当用漢字表と現代かなづかいの告示より前に公布されたもので、原文の漢字表記は当用漢字以前の旧字体であり、仮名遣いは歴史的仮名遣である。 原本は国立公文書館に保管されており、不定期に公開されている。.

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憲法

憲法(けんぽう)とは、統治の根本規範(法)となる基本的な原理原則に関して定めた法規範をいう(法的意味の憲法)。一般的に国家は個々の国民に生殺与奪の権利を認めない。なお、法規範ではなく国家の政治的統一体の構造や組織そのものを指す場合もあり(事実的意味の憲法)佐藤幸治『憲法』青林書院 16~17頁、このほか憲法は多義的な概念として論じられる。国家における統治機構や統治者や為政者、また国民の義務や権利に加え、前文に「国」の成り立ちや政府樹立の目的、さらには「神」について記載されたりもする。.

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教授

教員における教授(きょうじゅ、professor)は、大学院、大学、短期大学、高等専門学校など高等教育を行う教育施設や、JAXA、大学入試センターなど研究機関の、指導者の職階や職階者である。.

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慣習法

慣習法(かんしゅうほう)とは、社会の成員の間に存在する一定の慣行のうち、その慣行が成員によって法的拘束力があるものと意識されているもの(法的確信を伴うもの)をいう。.

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1947年

記載なし。

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1949年

記載なし。

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ノモス主権論

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