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小枝御前

索引 小枝御前

小枝御前(さえごぜん、生没年不詳)は、平安時代後期の女性。源義仲の母で、源義賢の妻。紫山尼とも。

目次

  1. 17 関係: 女性尊卑分脈巴御前中原兼遠中央公論新社平安時代今井兼平佼成出版社徳音寺信濃国秩父重隆生没年不詳鎌倉市遊女樋口兼光源義仲源義賢

女性

女性(じょせい、γυναίκα、woman)は、男性と対比されるヒト(人間)の性別であり、女の人。一般的に「女性」という語は成人の女を指す。未成年の女子に対しては「少女」となり、小児の場合は「女の子」や「女児」となる。

見る 小枝御前と女性

尊卑分脈

『尊卑分脈』(そんぴぶんみゃく、、異体字で『尊卑分脉』とも)は、日本の初期の系図集。正式名称は『新編纂図本朝尊卑分脈系譜雑類要集』(しんぺん さんず ほんちょう そんぴぶんみゃく けいふざつるい ようしゅう、)、また『諸家大系図』(しょか だいけいず)あるいは単に『大系図』(だいけいず)とも呼ばれる。

見る 小枝御前と尊卑分脈

巴御前

巴御前(ともえごぜん、生没年不詳)は、平安時代末期の信濃国の女性。女武者として伝えられている。字は鞆、鞆絵とも。『平家物語』によれば源義仲に仕える女武者。『源平闘諍録』によれば樋口兼光の娘。『源平盛衰記』によれば中原兼遠の娘、樋口兼光・今井兼平の姉妹で、源義仲の妾。『平家物語』では義仲は京で松殿基房の娘(藤原伊子とされる)を妻としており、『源平盛衰記』では京で基房の娘を妻とした他に、義仲が巴に向かって信濃の妻に再び会えないのが心残りだとも言っている。。

見る 小枝御前と巴御前

中原兼遠

中原 兼遠(なかはら の かねとお、生年未詳 - 治承5年(1181年)?)は、平安時代末期の武家。木曾義仲の乳母父。木曾中三(中原氏の三男)を号した。

見る 小枝御前と中原兼遠

中央公論新社

株式会社中央公論新社(ちゅうおうこうろんしんしゃ)は、日本の出版社である。読売新聞グループ本社の傘下。略称は中公(ちゅうこう)。 本項では、旧法人の株式会社中央公論社(ちゅうおうこうろんしゃ)についても述べる。

見る 小枝御前と中央公論新社

平安時代

平安時代(へいあんじだい、、延暦3年(784年)/延暦13年(794年) - 12世紀末)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都・現京都府京都市)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。広義では延暦3年(784年)の長岡京遷都からの約400年間を指す。 通常、古代の末期に位置づけられるが、中世の萌芽期と位置づけることも可能であり、古代から中世への過渡期と理解されている。近年では、荘園公領制が確立した院政期を中世初期に含める見解が有力になり、学校教育においてもこれに沿った構成を取る教科書が増えている。さらに遡って、律令制から王朝国家体制に移行する平安中期(900年頃以降)を中世の発端とする意見もある。平安時代を古代と中世のどちらに分類するかはいまだに議論があり、中立的な概念と古くから主に文学史の世界で使われてきた「中古」という語を用いることもある。

見る 小枝御前と平安時代

今井兼平

今井 兼平(いまい かねひら)は、平安時代末期の武将。正式な名のりは中原 兼平(なかはら の かねひら)。父は中原兼遠。木曾義仲の乳母子で義仲四天王の一人。兄に樋口兼光がいる。現在の長野県にあたる信濃国今井の地を領して今井を称した。 義仲の乳母子として共に育ち、兄の兼光と共に側近として仕える。治承・寿永の乱では治承4年(1180年)の義仲挙兵に従い、養和元年(1181年)5月、横田河原の戦いで城助職を破る。寿永2年(1183年)、般若野の戦い・倶利伽羅峠の戦い・篠原の戦いで平家軍を破り、7月には平家を都落ちさせて義仲と共に入京。10月、福隆寺縄手の戦いで妹尾兼康を破る。11月、後白河法皇と義仲が対立した法住寺合戦では、兼平・兼光兄弟の活躍が著しかった。元暦元年(1184年)正月20日、鎌倉軍に追われ敗走する義仲に従い、粟津の戦いで討ち死にした義仲の後を追って自害した。享年33。

見る 小枝御前と今井兼平

佼成出版社

株式会社佼成出版社(こうせいしゅっぱんしゃ)は、東京都杉並区に本部を置く、立正佼成会の出版部。 立正佼成会関係の雑誌や書籍のほか、広く仏教関係の書籍、児童書、吹奏楽の楽譜などを刊行している。

見る 小枝御前と佼成出版社

徳音寺

徳音寺(とくおんじ)は、長野県木曽郡木曽町日義にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は日照山。木曽七福神霊場(毘沙門天)、中部四十九薬師霊場二十二番。

見る 小枝御前と徳音寺

信濃国

信濃国(しなののくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東山道に属する。 『万葉集』での枕詞は「水薦苅(みこもかる )」。

見る 小枝御前と信濃国

秩父重隆

秩父 重隆(ちちぶ しげたか)は、平安時代後期の武将、武蔵国の在庁官人。秩父重綱の次男。河越氏の祖。

見る 小枝御前と秩父重隆

生没年不詳

生没年不詳(せいぼつねんふしょう)とは、歴史上の人物の生没年がともに不明であることを示す。 生没年(せいぼつねん)は、ある個人の生まれた年(生年)、死亡した年(没年)をあわせた名称であり、伝記を記述するに当たって重要な要素の一つである。

見る 小枝御前と生没年不詳

鎌倉市

鎌倉市(かまくらし)は、神奈川県の南部に位置する市。人口は約17万人。三浦半島西側の付け根にあり、歴史的都市鎌倉が市域の中心にある。

見る 小枝御前と鎌倉市

遊女

遊女(ゆうじょ、あそびめ)は、遊廓や宿場で男性に性的サービスをする女性のことで、娼婦、売春婦の古い呼称『大百科事典』 (平凡社、1935年)。「客を遊ばせる女」と言う意味が一般的である。

見る 小枝御前と遊女

樋口兼光

樋口 兼光(ひぐち かねみつ)は、平安時代末期の武将。中原兼遠の次男。今井兼平の兄。正式な名のりは中原 兼光(なかはら の かねみつ)。木曾義仲の乳母子にして股肱の臣。義仲四天王の一人。信濃国筑摩郡樋口谷(現・木曽町日義)に在して樋口を称した。

見る 小枝御前と樋口兼光

源義仲

源 義仲(みなもと の よしなか)は、平安時代末期の信濃源氏の武将。河内源氏の一族、源義賢の次男。源頼朝・義経兄弟とは従兄弟にあたる。木曾 義仲(きそ よしなか)の名でも知られる。『平家物語』においては朝日将軍(あさひしょうぐん、旭将軍とも)と呼ばれている。 以仁王の令旨によって挙兵、都から逃れたその遺児を北陸宮として擁護し、倶利伽羅峠の戦い・篠原の戦いで平氏の大軍を破って入京する。連年の飢饉で荒廃した都の治安回復を期待されたが、治安の回復の遅れと大軍が都に居座ったことによる食糧事情の悪化、皇位継承への介入などにより後白河法皇と不和となる。法住寺合戦に及んで法皇と後鳥羽天皇を幽閉して征東大将軍(征夷大将軍とも)となるが、源頼朝が送った源範頼・義経の軍勢により、粟津の戦いで討たれた。

見る 小枝御前と源義仲

源義賢

源 義賢(みなもと の よしかた)は、平安時代後期の武将。河内源氏、源為義の次男。源義朝の異母弟。源義仲(木曾義仲)の父。

見る 小枝御前と源義賢