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定家仮名遣

索引 定家仮名遣

定家仮名遣(ていかかなづかい)とは、仮名遣いの一種。平安時代末から鎌倉時代初期にかけての公家藤原定家がはじめたもので、明治に至るまで一定の支持を得た。.

68 関係: 助詞は行あ行いろは歌南北朝時代 (日本)古今和歌集大和言葉大野晋変体仮名契沖家集万葉集下官集平安時代二条派仮名 (文字)仮名遣い仙源抄伊勢物語弘安後撰和歌集土佐日記ハ行転呼和歌わ行アクセント冷泉為相出家公家元徳元禄勅撰和歌集国学空海終止形音韻鎌倉鎌倉時代行阿複合語西園寺実兼馬渕和夫言語学語尾藤原定家藤原為家色葉字類抄連体形掛詞歴史的仮名遣...歌人源親行漢語朝廷文永日本語日本語学日本書紀10世紀1210年代1266年1271年1284年12世紀1329年13世紀14世紀1695年 インデックスを展開 (18 もっと) »

助詞

助詞(じょし)とは、日本語の伝統的な品詞の一つである。他言語の後置詞、接続詞に当たる。.

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は行

は行(はぎょう)とは、五十音の第6番目の行を指す。「は行」には「は」、「ひ」、「ふ」、「へ」、「ほ」の仮名が含まれる。どの仮名も子音と母音から成る音節またはモーラを表す。 漢語や外来語を除いた和語においては、語頭以外(語中・語尾)にハ行音が現れることは非常に少ない。これはハ行転呼(後述)と呼ばれる歴史的な現象により、かつてのハ行音が「ワイウエオ」へ遷移してしまっているからである。.

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あ行

あ行(あぎょう)とは、日本語の五十音の最初の行である。仮名あ、い、う、え、おが含まれ、どの仮名も日本語の1モーラを表す。 あ行の仮名で表すモーラは、いずれも頭子音を伴わず、母音だけで発音される。あ、い、う、え、おの音素はそれぞれ、、、、である。各仮名の発音の詳細は、あ、い、う、え、おの記事参照。あ行はローマ字では日本式・ヘボン式ともに a i u e o と表記される。 あ行の仮名に関連する濁音にはヴおよび「ヴ」を第1文字とするヴァ行拗音がある(詳細はヴの記事参照)。「ヴ」およびヴァ行拗音以外には、あ行の仮名に濁点を付けて表記する濁直音またはそれを第1文字として表記する濁拗音は存在しない。 外来音や方言音、慣用音などを表す拗音の第2文字として、あ行の仮名を ぁ、ぃ、ぅ、ぇ、ぉ と小書きして使うことがあり(「つぁ」「ふぁ」など)、この場合は小書きされた第2文字だけではモーラを構成せず、直前の第1文字と一緒になって1モーラを構成する(例:「ふぁん」(fun)←→「ふあん」(不安))。 あ行の通常文字(小書きでない)の直前が同段の仮名である場合は、そのあ行音は直前の母音を1拍(1モーラ)伸ばした音(長音)に発音する(詳細は あ い う え お の各記事を参照)。.

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いろは歌

いろは歌(いろはうた)とは、すべての仮名を重複させずに使って作られた誦文(ずもん)のこと。七五調の形式となっている。のちに習字の手習いの手本として広く受容され、近代にいたるまで用いられた。また、その仮名の配列は字母表の「いろは順」として中世から近世の辞書類や番号付け等に広く利用された。ここから「いろは」は初歩の初歩として、あるいは仮名を重複させないもの、すなわち仮名尽しの代名詞としての意味も持つ。.

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南北朝時代 (日本)

南北朝時代(なんぼくちょう じだい)は、日本の歴史区分の一つ。建武の新政の崩壊を受けて足利尊氏が新たに光明天皇(北朝側)を擁立したのに対抗して京都を脱出した後醍醐天皇(南朝側)が吉野行宮に遷った1336年(延元元年/建武3年)から、南朝第4代の後亀山天皇が北朝第6代の後小松天皇に譲位するかたちで両朝が合一を見た1392年(元中9年/明徳3年)までの、56年間をいう。また両朝の並立はひとえに後醍醐天皇の皇位に対する執念が生み出したものであることから、彼を中心に歴史が動いた南北朝時代の序章とでもいうべき1331年(元弘元年)の元弘の乱から建武新政の終焉に至る5年間もまたこの時代に含めるのが一般的である。 鎌倉時代の後半から半世紀にわたって両統迭立という不自然なかたちの皇位継承を繰り返した皇統は、すでに持明院統と大覚寺統という二つの相容れない系統に割れた状態が恒常化するという実質的な分裂を招いていた。それが倒幕と新政の失敗を経て、この時代になると両統から二人の天皇が並立し、それに伴い京都の北朝と吉野の南朝の二つの朝廷が並存するという、王権の完全な分裂状態に陥った。両朝はそれぞれの正統性を主張して激突し、幾たびかの大規模な戦が起こった。また日本の各地でも守護や国人たちがそれぞれの利害関係から北朝あるいは南朝に与して戦乱に明け暮れた。 こうした当時の世相を、奈良興福寺大乗院の第20代門跡・尋尊は自らが編纂した『大乗院日記目録』の中で「一天両帝南北京也」と表現した。これを中国の魏晋南北朝の時代を模して南北朝時代と呼ぶようになったのはかなり後のことである。なお明治以後に南朝の天皇を正統とする史観が定着すると、この時代の名称が「北朝」の語を含むことが問題視されるようになったため、吉野朝時代(よしのちょう じだい)という新語が作られたが、第二次世界大戦後に皇国史観が影を潜めるとともに死語同然となった。.

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古今和歌集

『古今和歌集』(こきんわかしゅう)とは、平安時代前期の勅撰和歌集。全二十巻。勅撰和歌集として最初に編纂されたもの。略称を『古今集』(こきんしゅう)という。.

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大和言葉

大和言葉(やまとことば)とは、古くは和歌や雅語のことを意味したが、現在ではもっぱら日本語の語種(単語の出自)の一つであり漢語や外来語に対する日本の固有語を指す。飛鳥時代頃まで大和国や大和飛鳥を中心に話されていたと思われる。.

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大野晋

大野 晋(おおの すすむ、1919年(大正8年)8月23日 - 2008年(平成20年)7月14日)は、日本の国語学者。文学博士。学習院大学名誉教授。.

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変体仮名

変体仮名(へんたいがな)は、平仮名の字体のうち、1900年(明治33年)の小学校令施行規則改正以降の学校教育で用いられていないものの総称である。平仮名の字体の統一が進んだ結果、現在の日本では変体仮名はあまり使用されなくなったが、看板や書道、地名、人名など限定的な場面では使われている#築島1981、pp.352-353。。異体仮名(いたいがな)とも呼ばれる。また、ケンペルの日本誌では、大和仮名(やまとがな)とも表記されている。 変体仮名に対し、現在使われている字体を「現用字体」「現用仮名」「正体仮名」「本則仮名」と呼ぶ。また、変体仮名の使い分け(現用字体を含む)のことも「変体仮名」と呼ぶことがある。 Image:Hiragana_I_01.svg|以(い) Image:Hiragana_E_01.svg|江(え) Image:Hiragana_O_01.svg|於(お) Image:Hiragana_KA_01.svg|可(か) Image:Hiragana_KI_01.svg|起(き) Image:Hiragana_KO_01.svg|古(こ) Image:Hiragana_SI_01.svg|志(し) Image:Hiragana_SU_01.svg|春(す) Image:Hiragana_TA_01.svg|多(た) Image:Hiragana_NA_01.svg|奈(な) Image:Hiragana_NO_01.svg|能(の) Image:Hiragana_HA_01.svg|者(は) Image:Hiragana_YU_01.svg|由(ゆ) Image:Hiragana_RE_01.svg|連(れ) Image:Hiragana_RO_01.svg|路(ろ) Image:Hiragana_WA_01.svg|王(わ).

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契沖

契沖(けいちゅう、寛永17年(1640年) - 元禄14年1月25日(1701年3月4日))は、江戸時代中期の真言宗の僧であり、古典学者(国学者)。.

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家集

家集(か-しゅう)は王朝和歌の世界において、個人または一家の和歌をまとめて収めた歌集を指す。「家の集」ともいい、家集の語はこれを漢語ふうに表現したもの。自撰・他撰の別は問わないが、初期には子孫が先祖の家集を編むことが多く、自撰家集が盛んになるのは院政期から新古今期前後にかけてである。鎌倉時代には勅撰集と並んで盛行した。 家集のもっとも古い例は10世紀前半ごろに編纂されたと思われる人丸集・赤人集・家持集・猿丸集の四種で、これらはいずれも万葉集巻十四以降あたりから、当該歌人の作品を抜き出して編まれたものである。が内容的には、その名を冠された歌人以外の作品も含まれるなど不備は多いものの、和歌が撰集形式ではなく、個人の著作物として鑑賞される機運が高まってきたことを示す重要な事例であるといえる。人麻呂・赤人が歌聖として崇拝されたところから、このような家集の意識が生れてきたものと考えることができる。 Category:和歌.

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万葉集

元暦校本万葉集 『万葉集』(まんようしゅう、萬葉集)は、7世紀後半から8世紀後半にかけて編まれた日本に現存する最古の和歌集である。天皇、貴族から下級官人、防人などさまざまな身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたもので、成立は759年(天平宝字3年)以後とみられる。 日本文学における第一級の史料であることは勿論だが、方言による歌もいくつか収録されており、さらにそのなかには詠み人の出身地も記録されていることから、方言学の資料としても非常に重要な史料である。.

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下官集

『下官集』(げかんしゅう)とは、和歌の書き方や写本を作る上での決まり等について記した書。藤原定家の作。『下官抄』(げかんしょう)ともいう。定家が仮名遣いについて記した文献であるとして一般には知られている。.

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平安時代

平安時代(へいあんじだい、延暦13年(794年) - 文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃)は、日本の歴史の時代区分の一つである。延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。.

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二条派

二条派(にじょうは)は、中世における和歌の流派。 藤原北家御堂流である御子左家は、藤原俊成・定家・為家と和歌の家としての地位を確立した。為家の子二条為氏は大覚寺統に近侍して歌壇を馳せていた。為氏の庶弟為教・為相と相続をめぐって不和となり、為教は京極家、為相は冷泉家に分家した。二条為氏の子為世、京極為教の子為兼の代になると、二条家嫡流の二条派は大覚寺統(のちの南朝)と結んで保守的な家風を墨守し、一方の京極派は持明院統(のちの北朝)と結んで破格・清新な歌風を唱えた。二条派と京極派は互いに激しく対立して勅撰和歌集の撰者の地位を争った。二条派は「玉葉和歌集」「風雅和歌集」「新続古今和歌集」以外の勅撰和歌集を独占したが、二条派実権は為世に師事していた僧頓阿に移っており、さらに二条家の嫡流は為世の玄孫の為衡の死によって断絶してしまう。 その後秘伝は、東氏(千葉氏の支流で武家)をへて三条西家(藤原氏で公家)に伝わり明治を迎えた。世に言う古今伝授である。また、三条西家高弟細川幽斎からは近世初頭の天皇家、宮家、堂上家、地下家(じげけ)にも広まったが、三条西家は、これ以降も、二条家嫡流の宗匠家としての権威を保ち続けた。中院家、烏丸家も二条派に属する。 近世、三条西家に伝来した古文書の多くは早稲田大学とカリフォルニア大学に所蔵されている。.

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仮名 (文字)

仮名(かな)とは、漢字をもとにして日本で作られた文字のこと。現在一般には平仮名と片仮名のことを指す。表音文字の一種であり、基本的に1字が1音節をあらわす音節文字に分類される。漢字に対して和字(わじ)ともいう。ただし和字は和製漢字を意味することもある。.

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仮名遣い

仮名遣い(かなづかい)とは、仮名の使い方のことである。これには二つの意味があり、第一に、同じ語に対して複数の仮名表記の方法がある場合にどちらを使うべきかという規範を指す「仮名遣い」『日本語学研究事典』。。特に、同じ音韻に対して複数の仮名を使い分けなければならない場合に仮名遣いが問題となる橋本進吉「仮名遣について」。。この意味の「仮名遣い」には現代仮名遣いや歴史的仮名遣などがあり、主として日本語において論じられる。第二に、規範とは関係なく実態として仮名がどう使われていたのかを指すこともある。例えば「上代には特殊な仮名遣いがあった」「漱石の仮名遣い」のような場合である。本項目では第一の場合について述べる。.

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仙源抄

『仙源抄』(せんげんしょう)は、『源氏物語』の注釈書である。この書名は「仙洞の『源氏物語』」を意味するとされている。内容がさまざまに異なる写本が存在し、表題も『源氏いろは抄』、『源氏物語色葉聞書』、『源氏秘抄』、『源語類集』などさまざまなものが存在する。.

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伊勢物語

『伊勢物語』(いせものがたり)とは、平安初期に成立した歌物語。一巻。作者不詳。『在五が物語』、『在五中将物語』、『在五中将の日記』とも呼ばれる。.

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弘安

弘安(こうあん)は、日本の元号の一つ。建治の後、正応の前。1278年から1287年までの期間を指す。この時代の天皇は後宇多天皇、伏見天皇。鎌倉幕府将軍は惟康親王、執権は北条時宗、北条貞時。.

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後撰和歌集

後撰和歌集 巻十二 『後撰和歌集』(ごせんわかしゅう)は、村上天皇の下命によって編纂された二番目の勅撰和歌集。体裁は『古今和歌集』に倣い、春(上・中・下)、夏、秋(上・中・下)、冬、恋(六巻)、雑(四巻)、離別(附 羇旅)、賀歌(附 哀傷)の二十巻からなり、総歌数は1425首。離別歌と羇旅歌とを、賀歌と哀傷歌とを併せて収めた所が独特である。.

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土佐日記

『土佐日記』(とさにっき)とは、平安時代に成立した日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事をジョークを交えて綴ったもので、成立は承平5年(935年)頃といわれる。古くは『土左日記』と表記されていた。.

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ハ行転呼

'''FA'''XICVRAと表記された支倉常長のローマ市公民権証書 ハ行転呼(はぎょうてんこ)とは、日本語史における大きな音韻変化の一つで、語中・語尾のハ行音がワ行音へと変化した現象をいう。平安時代に起こり一般化した。このようにして成立したワ行音をハ行転呼音という。.

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和歌

和歌(わか)とは、短歌型式の古典詩。古典短歌。広義には『万葉集』に所収される歌体の総称。 「和歌」の訓は「やまとうた」である。「和」の代わりに「倭」の字が、「歌」の代わりに「謌」、「哥」の字が宛てられたこともある。なお、歌謡と混同されるおそれがない文脈においては「歌」「うた」と表記され、呼ばれることもある。 長連歌、俳諧、狂歌、川柳風狂句は定型の古典詩であるが、和歌には含まれない。また、明治の和歌革新家とその後継者の短歌作品、すなわち近現代短歌は「短歌」と称され、「和歌」とは称されない。近現代短歌はこの項では取り上げない。.

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わ行

わ行(わぎょう)とは、日本語の五十音図の第10行である。わ行は仮名 わ、(ゐ)、(う)、(ゑ)、をで構成され、それぞれの仮名は日本語の1音節または1モーラを表す。「う」は、あ行と重複するので、空欄とすることが多く、「ゐ」「ゑ」 は現代仮名遣いでは使わない字であるので、これも空欄とすることが多いが、同音の 「い」「え」に置き換えることもある。.

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アクセント

アクセントとは、言語学において単語または単語結合ごとに社会的な慣習として決まっている音の相対的な強弱や高低の配置のこと長野正『日本語の音声表現』玉川大学出版部、1995年、108頁。音の強弱による強弱アクセント(強勢アクセント) (stress accent) と音の高低による高低アクセント (pitch accent) に分けられる。なお、文レベルの感情表現に関わる高低はイントネーションという。アクセントは音素の一つであり、単語ごとに決まっていて意味との結びつきが必然性を持たないのに対し、イントネーションは文単位であり、アクセントの上にかぶさって疑問や肯定などの意味を付け加える。.

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冷泉為相

冷泉 為相(れいぜい ためすけ)は、鎌倉時代中期から後期にかけての公卿・歌人。冷泉家の祖。権大納言民部卿・藤原為家の晩年の子。母は『十六夜日記』作者として知られる阿仏尼(安嘉門院四条)。官位は正二位・権中納言。.

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出家

出家(しゅっけ、pabbajja、pravrajyaa、प्रव्रज्या) とは、師僧から正しい戒律である『沙弥戒』や『具足戒』を授かって世俗を離れ、家庭生活を捨て仏教に入ることである。落飾(らくしょく)ともいう。対義語は還俗(げんぞく、“俗界に還る”の意)。 在家(ざいけ)と対比される。インドでは、紀元前5世紀頃、バラモン教の伝統的権威を認めない沙門(しゃもん)と呼ばれる修行者が現れ、解脱(げだつ)への道を求めて禅定や苦行などの修行にいそしんだ。有力な沙門の下には多くの弟子が集まり、出家者集団を形成したが、釈迦もその沙門の1人であった。 仏教における出家の伝統はこれに由来する。仏教教団において剃髪(ていはつ)して袈裟を被い、「正式に受戒(じゅかい)して入門した沙弥や沙弥尼」になることを言うが、その後、「具足戒を受けて正規の僧となった比丘や比丘尼」を呼ぶ場合にも使う。.

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公家

公家(くげ)とは、日本において朝廷に仕える貴族・上級官人の総称。天皇に近侍し、または御所に出仕していた、主に三位以上の位階を世襲する家。 公家の称の由来として、元来は天皇または朝廷を指し、「こうけ」「おおやけ」と読んだ。鎌倉時代以降、藤原氏・源氏・平氏などの貴族の内で、武力で天皇に奉仕する幕府を武家(軍事貴族、武家貴族)と称するようになると、それに対比して、儀式と文治をもって天皇に奉仕する宮廷貴族一般を公家(公家貴族)と呼ぶようになった。.

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元徳

元徳(元德、げんとく)は、日本の元号の一つ。嘉暦の後。大覚寺統(南朝)では元弘の前で、1329年から1330年までの期間を指す。この時代の天皇は後醍醐天皇。鎌倉幕府将軍は守邦親王、執権は北条守時。 後醍醐天皇が元弘に改元した直後に倒幕の兵を挙げて失敗、隠岐に流され(元弘の乱)、持明院統(北朝)の光厳天皇が立てられた。光厳天皇と幕府は元弘改元を認めず、1331年まで元徳の元号を使用し、1332年に正慶に改元した。.

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元禄

元禄(げんろく、旧字体: 元祿)は日本の元号の一つ。貞享の後、宝永の前。1688年から1704年までの期間を指す。この時代の天皇は東山天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。.

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勅撰和歌集

勅撰和歌集(ちょくせんわかしゅう)は、天皇や上皇の命により編集された歌集のことである。古今和歌集(延喜5年(905年)成立)に始まり、新続古今和歌集(永享11年(1439年)成立)までの534年間で21の勅撰和歌集があり、総称して「二十一代集」という。このほかに南朝で編纂された新葉和歌集を準勅撰集とする。 また編集時期による分類として、三代集(古今集・ 後撰和歌集・拾遺集)・八代集(古今集から新古今集)・十三代集(新勅撰集から新続古今集)とする。(三代集と八代集の対象は重複していることに注意).

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国学

国学(こくがく、正字・國學)は、日本の江戸時代中期に勃興した学問である。蘭学と並び江戸時代を代表する学問の一つで、和学・皇朝学・古学(古道学)などの別名がある。その扱う範囲は国語学、国文学、歌道、歴史学、地理学、有職故実、神学に及び、学問に対する態度も学者それぞれによって幅広い。.

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空海

海(くうかい、宝亀5年(774年) - 承和2年3月21日(835年4月22日))は、平安時代初期の僧。弘法大師(こうぼうだいし)の諡号(921年、醍醐天皇による)で知られる真言宗の開祖である。俗名(幼名)は佐伯 眞魚(さえき の まお)。日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国より真言密教をもたらした。能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられている。.

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終止形

終止形(しゅうしけい)とは、.

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音韻

音韻(おんいん)とは、もともと日本語・中国語などで漢字の音を構成する声、音などの総称。漢語の音声を研究する学問を音韻学という。また近代の言語学では、意味の弁別をなす最小の音声単位であるphonemeの訳語として当てられ、phonemeを研究する学問を音韻論と呼んでいる。この場合の音韻は音素(おんそ)と同義であるが、各言語の歴史的な変化や体系性といった文脈で語られることが多い。中国音韻学と音韻論とはまったく別の学問である。.

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鎌倉

鎌倉(かまくら)は、現在の神奈川県鎌倉市の中心部に当たる地域。源頼朝を旗頭として、北条時政、北条義時らによって鎌倉幕府が置かれた都市であり、三浦半島の付け根に位置し、相模湾に面している。古くは鎌府(れんぷ)とも呼ばれた。三方を山に、一方を海に囲まれている。 鎌倉大仏.

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鎌倉時代

伝・源頼朝肖像 鎌倉・高徳院の大仏 鎌倉時代(かまくらじだい、1185年頃 - 1333年)は、日本史で幕府が鎌倉に置かれていた時代を指す日本の歴史の時代区分の一つである。朝廷と並んで全国統治の中心となった鎌倉幕府が相模国鎌倉に所在したのでこう言う。本格的な武家政権による統治が開始した時代である。 始期については従来の1192年の征夷大将軍就任説をはじめ諸説あるが、東国支配権の承認を得た1183年説と守護・地頭設置権を認められた1185年説が有力になっている。(詳細は鎌倉幕府#概要を参照).

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行阿

行阿(ぎょうあ、生没年不詳)は、南北朝時代の和学者。源義行の子で、俗名は源 知行(みなもと の ともゆき)。 いわゆる河内方のひとり。曾祖父光行によって始められ、祖父親行の代にほぼ完成した『源氏物語』の注釈書『水原抄』に加筆、また『原中最秘抄』を完成して源氏学(.

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複合語

複合語(ふくごうご)とは、語構成において2つ以上の語根によって形成された語をいう。合成語の下位分類の一つ。.

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西園寺実兼

西園寺 実兼(さいおんじ さねかね/さねかぬ)は、鎌倉時代後期の公卿。従一位太政大臣。西園寺入道前相国、又は北山入道相国と号す。父は太政大臣西園寺公相、母は大外記中原師朝の娘。.

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馬渕和夫

渕和夫(まぶち かずお、1918年 ― 2011年11月24日)は、日本の国語学者。筑波大学・東京成徳短期大学名誉教授。.

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言語学

言語学(げんごがく)は、ヒトが使用する言語の構造や意味を科学的に研究する学問である。.

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語尾

語尾(ごび)とは、形態論で活用する語の変化する部分を指す。これに対して変化しない部分は語幹という。語幹が語尾と結びつき、派生語幹となってさらに語尾を取るものがある。語尾に実質的な意味はなく、文法的な意味を表している。語尾は名詞、動詞、形容詞等違う品詞から文法化したものが多い。語尾を伴わずに語幹だけでも用いられる場合には、語尾は接尾辞と見ることもできる。 また、日常の語として語尾と言った場合、単に「台詞の終わり」「言葉尻」のことを意味する場合もある。これは上記のような文法上の定義と概ね重なるが、必ずしも一致しない。 単純に語の末尾に在る音、文字等を指す場合は、語末のほうが正確である。.

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藤原定家

藤原 定家(ふじわら の さだいえ/ていか)は、鎌倉時代初期の公家・歌人。諱は「ていか」と音読みされることが多い。小倉百人一首の撰者で権中納言定家を称する。.

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藤原為家

藤原 為家(ふじわら の ためいえ)は、鎌倉時代中期の公家・歌人。正二位・権中納言藤原定家の三男。官位は正二位・権大納言。.

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色葉字類抄

色葉字類抄(いろはじるいしょう)は、平安時代末期に成立した古辞書。橘忠兼編。三巻本のほか二巻本の系統もあり、また十巻本『伊呂波字類抄』もある。.

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連体形

連体形(れんたいけい)とは、日本語の用言における活用形の一つ。日本語の動詞や形容詞などは語形変化を起こすが、活用形とは学校文法において語形変化後の語形を6つに分類したものであり、連体形はそのうちの一つで4番目に置かれる。.

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掛詞

掛詞(かけことば)とは、和歌などにおける修辞技法の一つ。.

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歴史的仮名遣

歴史的仮名遣(れきしてきかなづかい)とは、仮名遣の一種。現代仮名遣いと対比して旧仮名遣(きゅうかなづかい)とも呼ばれるが、別称として「復古仮名遣い」とも、また「古典仮名遣い」とも呼ばれる。 1986年7月1日に告示、訓令された「現代仮名遣い(内閣告示第一号)」の巻頭部においては、歴史的仮名遣いと記されている。.

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歌人

歌人(かじん)とは、和歌または短歌を詠む人物のことをいう。歌詠み(うたよみ)ともいう。.

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源親行

源 親行(みなもと の ちかゆき、生没年不詳)は、鎌倉時代前期の文人政治家・古典学者・歌人。いわゆる河内方のひとり。大和守源光行の子。清和源氏義忠流。子に源義行。.

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漢語

日本語における漢語(かんご)とは、語種の一区分である。比較的古い時代の中国語から借用された形態素、すなわち漢字の字音から構成される語彙体系である。漢字の音読みと対応する語彙体系であるので字音語と称することもある佐藤喜代治(1996)、88頁。。固有語である「和語」、漢語以外の借用語である「外来語(洋語)」と対立する概念である。 漢語の原義は「漢民族の言語」であり、本来は漢民族が母語である中国語を自称する際の用語なのだが、日本においては国語として定着した中国由来の語彙体系を「漢語」と総称することが多い。また、漢字の字音は複合の自由度が高く、日本で独自に造語されたいわゆる「和製漢語」も多い。 日本語以外でも、朝鮮語、ベトナム語などの言語は同様の語彙体系を有している。これら言語が有する中国由来の語彙体系をまとめて「漢語系語彙(Sinoxenic vocabulary)」と呼ぶことがある。.

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朝廷

朝廷(ちょうてい)とは、君主制下で官僚組織をともなった政府および政権で、とりわけ中国と日本におけるものを指す。また、君主が政治執務を行う場所や建物(朝堂院:朝政と朝儀を行う廟堂)。.

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文永

文永(ぶんえい)は、日本の元号の一つ。弘長の後、建治の前。1264年から1274年までの期間を指す。この時代の天皇は亀山天皇、後宇多天皇。鎌倉幕府将軍は宗尊親王、惟康親王、執権は北条長時、北条政村、北条時宗。.

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日本語

日本語(にほんご、にっぽんご「にっぽんご」を見出し語に立てている国語辞典は日本国語大辞典など少数にとどまる。)は、主に日本国内や日本人同士の間で使用されている言語である。 日本は法令によって公用語を規定していないが、法令その他の公用文は全て日本語で記述され、各種法令において日本語を用いることが規定され、学校教育においては「国語」として学習を課されるなど、事実上、唯一の公用語となっている。 使用人口について正確な統計はないが、日本国内の人口、および日本国外に住む日本人や日系人、日本がかつて統治した地域の一部住民など、約1億3千万人以上と考えられている。統計によって前後する場合もあるが、この数は世界の母語話者数で上位10位以内に入る人数である。 日本で生まれ育ったほとんどの人は、日本語を母語とする多くの場合、外国籍であっても日本で生まれ育てば日本語が一番話しやすい。しかし日本語以外を母語として育つ場合もあり、また琉球語を日本語と別の言語とする立場を採る考え方などもあるため、一概に「全て」と言い切れるわけではない。。日本語の文法体系や音韻体系を反映する手話として日本語対応手話がある。 2017年4月現在、インターネット上の言語使用者数は、英語、中国語、スペイン語、アラビア語、ポルトガル語、マレー語に次いで7番目に多い。.

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日本語学

日本語学(にほんごがく)とは、日本語を研究の対象とする学問である。.

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日本書紀

日本書紀(平安時代の写本) 『日本書紀』(にほんしょき)は、奈良時代に成立した日本の歴史書。日本に伝存する最古の正史で、六国史の第一にあたる。舎人親王らの撰で、養老4年(720年)に完成した。神代から持統天皇の時代までを扱う。漢文・編年体にて記述されている。全30巻。系図1巻が付属したが失われた。.

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10世紀

江南の爛熟。画像は顧閎中が描いた「韓煕載夜宴図(北京故宮博物館蔵)」。五代十国南唐の後主李煜時代の宮廷の優雅な様子がしのばれる。 コルドバ。画像はコルドバにあるメスキータの円柱の森。10世紀末までに歴代の後ウマイヤ朝カリフによって改築が続けられ今ある姿となった。 10世紀(じっせいき)とは、西暦901年から西暦1000年までの100年間を指す世紀。1千年紀における最後の世紀である。.

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1210年代

1210年代(せんにひゃくじゅうねんだい)は、西暦(ユリウス暦)1210年から1219年までの10年間を指す十年紀。.

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1266年

記載なし。

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1271年

記載なし。

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1284年

記載なし。

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12世紀

アンコールの地にアンコール朝の王スーリヤヴァルマン2世はアンコール・ワットの建設を行い、続くジャヤーヴァルマン7世はアンコール・トムを築いた。画像はアンコール・トムのバイヨン四面像(観世菩薩像)。 12世紀(じゅうにせいき)とは、西暦1101年から西暦1200年までの100年間を指す世紀。.

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1329年

記載なし。

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13世紀

チンギス・ハーン像。 モンゴル帝国の発展。 モンゴル帝国の最大領域。 13世紀(じゅうさんせいき)は、西暦1201年から西暦1300年までの100年間を指す世紀。.

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14世紀

ナスル朝。イベリア半島最後のイスラム王朝であるこの王朝はすでに半島南端を占めるだけの小国となっていたが文化や芸術は最後の輝きを見せていた。画像はイスラム特有のアラベスクに彩られたアルハンブラ宮殿の「二姉妹の間」。 Gilles Le Muisitの年代記』の挿絵)。 エドワード3世率いるイングランド軍にフランス軍が大敗を喫した。画像はこの戦いを描いたジャン・フロワサールの『年代記』写本の挿絵。 ユダヤ人迫害。中世末期の不穏な情勢の中でスケープゴートとして標的にされたのがユダヤ人であった。画像は15世紀にまとめられた『ニュルンベルク年代記』の木版挿絵で、1338年に起きたバイエルン地方のデッゲンドルフでの「聖餅󠄀冒瀆」の罪により、生きながら火炙りにされたユダヤ人たちが描かれている。 カルマル同盟。デンマーク摂政(事実上の女王)マルグレーテ1世がデンマーク・ノルウェー・スウェーデンの三国を統合した。画像はロスキレ大聖堂に安置されたマルグレーテの石棺。 七選帝侯。神聖ローマ帝国では諸侯の分権化が強く選帝侯を味方につけることで帝権は維持された。やがてこの選出方法は金印勅書で法制化されることになる。 原初同盟は14世紀にはハプスブルク家との戦いに勝利し自立への道を踏み固めていった。画像は1315年のモルガルテンの戦いを描いたもの。 アヴィニョン教皇宮殿の正面入り口。 ダンテとベアトリーチェ。ダンテは地獄・煉獄・天国をまわる壮大な『神曲』を書いた詩人。画像は19世紀のヘンリー・ホリデーによるもの(ウォーカー・アート・ギャラリー蔵)。 シエナ。この街は黒死病の被害の影響が大きかったため景観が変化せず中世都市の面影を強く残した街となっている。画像はアンブロージョ・ロレンツェッティによるシエナのプブリコ宮殿(現シエナ市役所)九頭の間の壁画「善政の効果」。 セルビア人の帝国。ネマニッチ朝のステファン・ウロシュ4世ドゥシャンは東ローマ帝国を抑えバルカン最強の国家を樹立した。画像はウロシュ4世により創建されたコソボのデチャニ修道院にあるネマニッチ一族の系譜を描いたフレスコ画。 Codex Mendoza」。 後醍醐天皇。鎌倉幕府を亡ぼし建武の新政を行ったが、政権崩壊後には逃れて吉野に南朝を立てた。画像は清浄光寺所蔵の肖像画。 足利義満。室町幕府3代将軍で南北朝の統一を行い、将軍位を息子義持に譲ってからも法体で実際の政治を握っていた。画像は鹿苑寺所蔵の肖像画。 西アフリカのマリ王国の王マンサ・ムーサ。イスラム教徒としてメッカに巡礼に向かう旅路で黄金を惜しみなく使った逸話で知られる。 Baptistère de Saint Louis」。フランス歴代国王が実際に用いた洗礼盤だが、聖王ルイの時代より正確には半世紀ほど後のもので、マムルーク朝時代のエジプトまたはシリアで作られたイスラム工芸を代表する名品。現在はルーヴル美術館が所蔵している。 歴史家ラシードゥッディーン。その当時の知られていた世界の歴史を『集史』としてまとめ上げた。画像は彼が仕えたイル・ハン国の君主ガザンとオルジェイトゥの兄弟を描いた『集史』の挿絵。 草原の英雄ティムール。モンゴル帝国の分裂後の中央アジア・西アジアはティムールによって統一された。画像は1370年のバルフ包囲戦を描いたホーンダミール『清浄園』の16世紀の写本の挿絵。 ハンピ)のヴィルーパークシャ寺院。 チベット仏教の改革者ツォンカパ。綱紀粛正に努め左道密教を退けて現在のダライラマに連なるゲルク派(黄帽派)を大成した。 青花の誕生。元朝後期に西アジア産のコバルト顔料を用いて白磁に紋様を描く青花(染付)の技法が開発された。画像はこの世紀に造られた「青花魚藻文壺(ブルックリン美術館蔵)」。 明の洪武帝朱元璋。モンゴル人の元朝を北方に追いやり、漢民族の王朝を復興した。画像は洪武帝の肖像画(台北国立故宮博物院蔵)。 14世紀(じゅうよんせいき)は、西暦1301年から西暦1400年までの100年間を指す世紀。.

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1695年

記載なし。

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